浅田真央の母親の職業や生い立ちは岐阜?死因は酒からの癌だった?

◆人物

◆浅田真央の母親・浅田匡子さんの死亡が伝えられたカナダ・グランプリファイナルの試合、母の死因は癌?最期は?写真画像

 

2011年12月9日早朝に浅田真央さんは母親の浅田匡子さんを亡くします。

 

母親の体調の急変について連絡を受けたのはカナダでのグランプリファイナルの大会中でしたが、浅田真央さんは母親の急変を聞き、大会を欠場しての帰国だったといいます。

 

 

浅田匡子さんも試合前、自身の体調が思わしくないのは分かっていながらも、試合前の真央さんに弱っているところを見せたくないといつも通り見送っていたのでした。

 

 

母に会う為に途中で切り上げ急いで母の元に急いだものの結局、浅田真央さんは最期には間に合わなかったそうです。母親の浅田匡子さんは名古屋市内の病院で死去されました。

 

海外の試合も浅田真央さんに同行する母親の浅田匡子さん

海外の試合も浅田真央さんに同行する母親の浅田匡子さん

画像:テレビニュース速報

 

カナダ・ケベック
グランプリファイナルを欠場

 

浅田真央選手は6日にカナダ入りし、7日の公式練習ではトリプルアクセルも着氷しました。

3年ぶりのファイナル制覇へ好調ぶりを見せていましたが、ケベックの現地時間8日早朝に容体が急変したという連絡を受け、即座に欠場を決断しました。

現地のチームリーダーである小林芳子・日本スケート連盟フィギュア強化副部長によれば、

浅田真央選手は「回復したという連絡があれば出たいと思っていたけど、かなわなかった。ご迷惑をお掛けします」と、気丈に振る舞っていたといいます。

 

浅田真央さんの
母親・浅田匡子さんは
48歳だったそうです。

 

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝える新聞

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝える新聞

 

浅田真央選手不在のカナダ大会では…

 

悲しみとともに、ファイナルの幕が開いた。男女SPが行われ、浅田真央の母・浅田匡子(きょうこ)さん(享年48)を悼んで、日本選手はジャージーに喪章を付けて臨んだ。外国の選手たちも一様に哀悼の意を表した。

 

世界中のトップスケーターたちがツイッターを通して次々に浅田真央選手に哀悼の言葉を伝えていました。

 


画像:デイリー

 

We are all with you and my heart with you!

-twitter(@EvgeniPlushenko)

 

浅田真央さんに対してお母さんの浅田匡子さんは

 

『ソチ五輪で金メダルを取るまで泣いちゃダメ』

 

という言葉を残したそうです。

 

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝えるニュース番組

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝えるニュース番組

画像:テレビニュース速報

 

 浅田匡子さんは自宅療養をしながら治療を続けてきた。体調が悪いと入院し、回復すると退院の繰り返しだったという。

4月末から5月にかけての世界選手権で、浅田は通常よりも数キロ、体重が落ちていた。決して、その理由を明かさなかったが、激やせも母の病気が要因だったという。

所属事務所によると、夏以降は状態がさらに悪化していた。

 

ずっと、浅田真央さんもお母さん・浅田匡子さんの体調を気にしながらの練習だったのですね。21歳の心で世界で戦う気持ちと無二の母親を心配する気持ちを常に持ち続けていたかと思うとどれだけの不安と戦ってきていたのか胸が痛みます。

 

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝える報道番組

浅田真央さんの母親の浅田匡子さんの訃報を伝える報道番組

画像:テレビニュース速報

 

前年は銀メダルを
母親浅田匡子さんに
見せることができた。

 

前年のバンクーバー冬季五輪では、浅田真央選手は同い年のキム・ヨナ(韓国)に敗れはしたものの銀メダルを獲得しました。

そのとき、「メダルを誰に見せたいか」と問われると、「お母さんです」と即答していました。超一流のアスリートとしての過酷な選手生活の中で、母親である浅田匡子さんが一番の理解者だったのです。

 

一番メダルを見せたいのはお母さん。

 

2013年福岡 グランプリファイナルでの浅田真央さん

2013年福岡 グランプリファイナルでの浅田真央さん

画像:文春オンライン

 

浅田真央さん自身は周りには伝えていなかったものの、母親の浅田匡子さんの病状は以前からかなり深刻で、もう長くないことは分かっていたそうです。

 

浅田真央:このオフは悲しいことがあって、よく泣きました

 
 


画像:論座

 

誰もがうらやむ華々しい活躍と世界的なフィギュアスケーターとしての地位を獲得し、日本中の誰からも愛される選手である浅田真央さんにしても、叶わない夢、本当に大切な人を失うという苦悩を一方では経験していたのでした。
 
 
 
 
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◆母親・浅田匡子が他界し、葬儀後の浅田真央のコメント全文

 

最愛の母親・浅田匡子さんが他界された後、その葬儀は名古屋市内で近親者のみで無事行われたそうで、浅田真央さんは間もなくこのようなコメントを発表しています。

 


画像:朝日新聞

 

応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。

最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。

それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。

まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。

浅田真央

引用元:https://ameblo.jp/white-mimi/entry-11105116267.html
 
 
21歳のまだあどけない少女が描いた文章です。とても立派ですよね。また、いつもはあまり私生活での苦悩を見せない浅田真央さんですが、当時の生の感情をそのまま文章に残しています。
 
 
 
試合をするかどうか一瞬悩んだ時にも、自分の感情ではなく、お母さんならどちらが喜ぶだろうという事を必死で考えていた姿がよく伝わります。自分の事よりも、お母さんを喜ばせたい気持ちでこれまでもずっと走り続けてきた浅田真央さんが良く分かる気がします。
 
 
 

◆浅田真央は母親・浅田匡子を亡くした同月の全日本選手権に「いつも通り」出場した 写真画像

 

母親・浅田匡子さんを失った後、同じ月にあった全日本選手権では「いつも通り」の演技をする浅田真央さんがいました。欠場を予想していたために、周りもとても心配しながらの大会幕開けとなりました。

 


画像:youtube

 

おばあちゃんが葬儀の日に言った「全日本選手権に出るんだろう」の言葉で吹っ切れ、大会に出場するのです。

引用元:exciteニュース

 

母親の浅田匡子さんを亡くして暫くの浅田真央さんは母親の死に目に会えなかったことを本当に悔いており、スケートをせずに看病をしていればよかったと悩むことも多かったそうです。

 

しかし、2週間後の全日本選手権に「いつも通り」出場できたのには浅田真央さんのおばあちゃんの言葉があったようです。

 

幼少期の浅田姉妹と母親の浅田匡子さん

幼少期の浅田姉妹と母親の浅田匡子さん

 

ママがいちばん嬉しいことは
真央が大会で優勝することなの

 

やると決めたことは
投げ出さないで最後までやり遂げる

 

というお母さんの浅田匡子さんが言っていた言葉と、

 

それに、一番メダルを見せたいのはお母さんだから

 

 

天国のお母さんのために
私は滑ろう。

 

そんな風に全日本選手権での浅田真央さんの姿は映りました。それを見ていた日本中の人々が浅田真央さんの願いと祈りから、たくさんの力をもらっていました。

 

その時、人々が力を分けてあげたいと思っていた浅田真央さんの方が、逆に我々を大きく勇気づけていました。

 

◆母親・浅田匡子さんは死亡する半年前に『週刊女性』のロングインタビューを受けていた。その時の娘・浅田真央の一番辛かった時の気持ちを代弁するコメントとは?写真画像

 

浅田真央さんの母親・浅田匡子さんは2011年12月に亡くなる半年前に雑誌『週刊女性』のロングインタビューに応えていました。

 

 

後から考えると、体調がすぐれない中で約60分にも及ぶインタビューに応えたこと自体、浅田匡子さんが必ず娘たちに残しておきたい気持ちがここにあったのだと思えます。

 

 

◆母親・浅田匡子が死去する前に娘たちに伝えたかったこと①:母親から見た浅田真央の強み

 

母親・浅田匡子さんが亡くなる半年前に見ていたものは自分病気の問題よりもソチ五輪に向けた娘・浅田真央さんの調整に対する課題でした。

 


画像:http://www.akb48matomemory.com/archives/1035590166…

 

これまでずっとストイックに戦い続けてきた浅田真央さんがソチ五輪で成果を出すためには、時間があるうちに、思い切った精神的なリフレッシュと調整が必要であることをこれまでの経験から語っていました。

 

真央は心も体も金属疲労のような状態。ストイックにやってきて、それがいっぱいいっぱいになっちゃう時期にきているのかも。措置まで時間があるのでどこかで思い切ってリフレッシュしないと、うまくいかなくなっちゃうわ。

引用元:exciteニュース

 

そして、同時に、娘・浅田真央さんの「強み」についても改めて強調します。

 


画像:http://momolunafever.blog64.fc2.com/page-291.html

 

12歳からケガもあったりしたけど、ずーっと試合に出続けていたのが真央の強み

引用元:exciteニュース

 

最も力を付けるのはいつも「苦しい実践」であり、その最たるものとしてある「試合」を投げ出さずにここまで全力で闘いを続けてきたことへの価値を、改めて母親として評価していました。

 

辛い戦いを小さなころから強いられてきた浅田真央さんの苦しみを一番よく分かっていたのも他でもない母親の浅田匡子さんだったのです。

 

よくここまで頑張ってきたね。

 


画像:http://noh-gakudo.jp/asadamao-mother-oitachi/

 

なかなか近くにいる親子であると、こうしたことは普段伝えられないことだったのかもしれません。

 

常にいつも次の目標が立ちはだかり、一時の勝利に陶酔している時間はなかった過去を振り返り、浅田匡子さんは母親として、いつも十分すぎるほど頑張ってきた娘の闘いを誇りに思っていることを必ず伝えておきたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

 

◆母親・浅田匡子が死去する前に娘たちに伝えたかったこと②:姉・浅田舞と妹・浅田真央の悲しみ、一番つらかった事、望んでいる事について 写真画像

 

2人の娘、姉の浅田舞さん、妹の浅田真央さんを両方とも日本を代表するフィギュアスケーターに育て上げた母親・浅田匡子さんでしたが、2人とも実力が育ったことでの苦悩も早い段階で経験されていました。

 


画像:http://special-review.net/未分類/asadamai-kako/

 

3人4脚で歩んできた
フィギュアスケートが
揺らいだ時代もあった

 

母親の浅田匡子さんにとって、最も辛かったのは一緒に戦ってきた姉妹が、直接対決することになったジュニア時代の事だと語っていました。

 

また、母親の浅田匡子さんだけでなく、その経験は姉の浅田舞さんにとっても、妹の浅田真央さんにとっても最も辛い経験となり、その後しばらく暗い影をつくったようです。

 

一番つらかったことは
2004年
全日本ジュニア

 


画像:スポニチ

 

1位が妹・浅田真央、2位が姉・浅田舞

 

そして、浅田真央さんにとって、初優勝の大会でもありました。

 

全日本ジュニアで真央が1位でが2位になって、お姉ちゃんは世界ジュニアに行けなくなったの。舞が16歳だったんだけど、私はその時のことを一生、忘れられないわ。
舞は「もうスケートしたくない」って言ったのよ。

引用元:exciteニュース

 

前年にあたる第72回全日本ジュニア選手権大会は2003年11月に京都アクアリーナで行われた大会です。その時の浅田真央さんの写真がこちら。

 


画像:http://momolunafever.blog64.fc2.com/blog-entry-648.html?sp

 

とべた!

 

自分でもジャンプが決まったことへの驚きと嬉しさで夢中な様子が伝わってきます。この頃の浅田真央さんは試合に勝つ喜びよりも、自分に新しい事ができた!ちゃんと練習したジャンプが試合で決められた!という達成感でいっぱいです。

 

 

そんなただただ楽しい!という浅田真央さんの様子も母親の浅田匡子さんにはよくわかっていたようでした。

 

 

全日本ジュニアで浅田真央さんが優勝し、浅田舞さんから世界ジュニアへ行けなくなったことで「もうスケートをしたくない」と言われた時のことを母親の浅田匡子さんはこのように語っていました。

 


画像:https://lifepages.jp/maoletitgo-4252

それくらい傷ついて・・・。真央も私にとっては大切な娘だし、その時苦しんだのことを、私は誇りに思うわ。そして真央も自分のせいでお姉ちゃんがいけなかったことに傷ついたのよ。ただ、真央と一緒に世界ジュニアに行きたいだけだったのよ。

引用元:exciteニュース

 

ただ、
お母さんとお姉ちゃんと
一緒に居たかっただけだったのに

 


画像:http://momolunafever.blog64.fc2.com/blog-entry-648.html?sp

 

そこから、仲が良かった姉妹の関係もぎくしゃくしたものとなり、姉の浅田舞さんは複雑な想いから暫く家族とは距離を置いて過ごす時期を迎えます。

 

 

そうした変わっていく大好きな姉と自分、母親の間で複雑な心境を抱えて、浅田真央さんは闘っていた時期があったという事です。

 


画像:http://noh-gakudo.jp/asadamao-mother-shi/

 

その後、皮肉なことに、母親・浅田匡子さんの病状が悪化してから、姉妹の関係はまた修復し始め、絆を取り戻したと言われています。インタビューの時には姉妹の最近の仲の良い姿を嬉しそうに話していたという事でした。

 


画像:GQ

 

これからも姉妹で頼り合って生きて行ってほしいな

引用元:exciteニュース

 

母親・浅田匡子さんは、そう語っていたそうです。

 

石原家のスーパーお母さん石原典子さんはこちら

 

 

◆フィギュアスケーター・浅田真央が公式ブログにて引退発表。引退会見写真画像

 

2017年4月10日、浅田真央さんは自身の公式ブログにおいてフィギュアスケーターを引退する内容を発表しました。母親・浅田匡子さんが亡くなって、6年目の決断でした。

 


画像:浅田真央公式ブログ

 

浅田真央の
フィギュアスケート選手としての時代が終わった。

 

去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。

これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

浅田真央

引用元:浅田真央公式ブログ

 

そのその2日後には公式の引退記者会見も行われ、浅田真央さんは21年間のスケーターとしての競技生活を振り返り、このような言葉を残しています。

 


画像:スポーツナビ

 

もし、もう1度、人生があれば、スケートの道には行かないと思います。
引用元:exciteニュース

 

この短い言葉の中に凝縮された想い、どれだけここまで浅田真央選手として費やした時間が過酷で苦しいものだったかを物語っているように思います。

 

 

また、この中には母親・浅田匡子さんを亡くしたことや、大好きで憧れだった姉・浅田舞さんとの確執を生んだスケートに対する、そういったすべてを含んだ感想だったのかもしれません。

 

kira2
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食べることが好きなのでケーキ屋さんとかカフェとかrレストランをやっているだろう、という話でした。

 


画像:スポーツナビ

 

そして、一番印象に残っているのはやっぱり、お母さんと約束していた

 

ソチのフリー

 


画像:スポーツナビ

 

悲しくて切ない会見になると思いきや…

 

晴れ晴れしいほどの笑顔。

 

この笑顔は、本当に自分自身と戦い切ったという後にしか出せない笑顔なのではないかと思います。

 


画像:https://grapee.jp/470049

 

一方の姉・浅田舞さんも妹・浅田真央さんの引退に際し、このようなコメントを寄せています。

 

本当に彼女が引退する日がくるものなんだと、今がその時なんだと、いまだ私自身が信じる事が出来ていません

姉としても、ファンの1人としても、彼女の選手としての生活に心からお疲れ様。そして、本当に多くの感動をありがとう

引用元:スポニチ

 

光の背景で苦しんだ姉・浅田舞さんもまた、妹の引退については大きな節目を感じているようでした。浅田舞さんも苦しい戦いを強いられて共闘してきた人でしたから、感慨深かった事でしょう。

 

◆母親・浅田匡子さんの死去から数年、浅田真央が40歳になった時になりたいもの、夢はお母さんとインタビューでのコメント写真画像

 

母親・浅田匡子さんを亡くして数年後に、浅田真央さんは自分が40歳になったら、というときの話をインタビューに応じる形で語っていました。

 

将来、お母さんになったら、今度は自分が子どもに、こう、全てを捧げられるような、私の母がそうだったので、(自分も)そういう母になりたいです。

もう子供のために全て注いでいた。そういうお母さんを目指しています。

 

お母さんみたいな
お母さんになりたい。

 

 

浅田匡子さんも、かつて浅田真央さんについてこんな私生活での会話を語っていました。

 

昔から「お母さんになりたい。いっぱい子供が欲しい」って言ってたしね、だから結婚はしたいみたいよ。

引用元:exciteニュース

 


画像:https://detail.chiebukuro.

 

浅田真央さんはフィギュアスケートで数々の偉業を果たし活躍していた闘志からは考えられないくらい、本来はとても家庭的な「普通の」女の子のようです。

 

お母さん・浅田匡子さんは最後、亡くなる前に病床から大事な娘たちにこんなメッセージを残したといいます。

 

『あなたたち姉妹には2人で生きていけるレールは敷きました。もう私はいつ亡くなっても大丈夫』

 

kira2
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私にも娘がいるのでなおさら思うことですが、本当に立派なお母さんだなと思います。

 

 

浅田真央さんが大事にしている言葉は「いつも通り」だそうです。

これは11歳のシニアへのデビュー戦の時から浅田真央さんの口癖のようです。母親を亡くした直後の全日本選手権で「いつも通り」演技することができたのも、そう振舞うことで母親・浅田匡子さんを感じることができたからかもしれません。

 

だからこれからもきっと
一緒に生きていける。

たとえ、その姿は見えなくとも。

 


写真:『週刊女性PRIME』

 

 

そして、浅田真央さんの母親・浅田匡子さんも生前こう語っていました。

 

匡子さんは最後に記者の手をにぎり、満面の笑みでこう話してくれた。

女の子を育てるって、本当に楽しいから!

引用元:『週刊女性PRIME』

 

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浅田真央さんの素晴らしい演技と感動は、母と娘の愛情、結びつきがつくった物語だったようです。

 

 

kira2
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お母さんになるステージの浅田真央さんもとっても楽しみですね!

 

 

◆2020年7月最新!浅田真央がお母さんになれる日も近い?

 

コロナ大流行の2020年、3か月近くリンクに立てない状況が続いていた浅田真央さんに熱愛?の報道が流れました。お相手は浅田真央さんよりも1歳年下のスケーターの男性のようです。

 


画像:https://ameblo.jp/chobaydayodayo

 

6月25日に姉妹で出演した『ぐるナイ』でも浅田真央さんが姉の浅田舞さんに現役引退後に恋人を紹介したことがあるというこぼれ話に注目が集まりました。

 

私、けっこう用心深いので、なんかパッと会った人に『この人かな?』とは思わないんですよね。ちゃんと知っている人と、やっぱり安心して、この人だったのかなって思うので

引用元:『女性自身』2020年7月3日

 

ゆっくりと時間をかけて愛を育んでいくタイプであるらしい浅田真央さんでした。きっとお母さんも天国からにっこり笑って見守っている事でしょう。

 

2020年9月には浅田真央さんも、なんと30歳!

 

 

視聴者は何故かみんなまだ浅田真央さんを中学生くらいの気持ちで見ていますけれども、もうすっかり大人のレディーです。そろそろ大人の恋も温めているのかも(?)しれません。これからも色々な人生ステージで輝いていく姿が楽しみですね。

 

浅田真央さんのお父さんについてはこちらです。↓

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浅田真央さんのお父さんの職業や現在について調べました。娘たちをスケート選手として自立、活躍させるために懸命にホストとして仕事をされ、経済面で支えていたことが分かりました。

 

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