壇蜜の資格取得と免許、職業経歴が異色!教職・ホステス・エンバーマー

―仕事・技術・資格・所属・才能

若い頃壇蜜の資格取得や免許!教職、ホステスやエンバーマー、葬儀屋等の仕事と職業経歴に女性の経済的自立

 

刺激的で妖艶な立ち居振る舞いと知的なことばで注目を集め、テレビやラジオ、雑誌など各種メディアで視聴者を魅了してきた壇蜜さんですが、大変ここまでの仕事の経歴や職業経歴がホステス、葬儀屋と異色であり、取得している資格も教職免許やエンバーマー、調理師免許、日本舞踊の師範ととても広範囲に及ぶということが分かりました。

今回は仕事と自分が生きていくことについて長く一生懸命に向き合ってきた壇蜜さんのデビューまでの経歴を調べてみました。

◆壇蜜の出身地・本名は?学歴出身校・年齢は?若い頃のあだ名が「愛人」の学生時代画像

 

壇蜜さんは若い頃に保育士であった母親の実家・秋田県横手市で1980年12月3日生まれます。2020年に40歳です。本名及び旧芸名が齋藤支靜加(さいとうしずか)さんというそうです。

 


画像:日経ARIA

 

名前:壇蜜(だんみつ)

本名及び旧芸名:齋藤 支靜加(さいとう しずか)
生年月日:1980年12月3日
出生地:秋田県横手市
血液型:O型
身長:158㎝
スリーサイズ:85-60-89
カップサイズ:E
靴のサイズ:23.5㎝
最終学歴:昭和女子大学
デビュー:2009年
ジャンル:グラビアモデル、タレント、女優

 

若い頃からきわどいお仕事が多い印象の壇蜜さんですが、その姿から放たれる光や眼差しはとても透き通っていることが不思議な魅力としてある女性です。

 

そんな精神性が育まれた経緯をここから追っていきます。

 

 

◆生家の家庭環境~若い頃の壇蜜の父親の仕事はツアーコンダクター、母親は保育士の共働きでひとりで過ごすことが多い幼少時代、学生時代も孤立傾向に

 

壇蜜さんの若い頃のご両親のお仕事を見ると、ツアーコンダクターという職業の父親と保育士という仕事の母親ということですから、ご両親どちらもお仕事的に多忙で体力仕事であることが分かります。

 


画像:日経DUAL

 

父は沖縄に単身赴任で、
母はフルタイムで仕事。
自分はひとりっこ。

 

家事をできるのは私一人だったので、とにかく家のことをきちんとできていないと恥ずかしいと思って、よりお手伝いに力を入れるようになりましたね。

引用元:日経DUAL

 

壇蜜さんは若い頃から早く自分も大人のように役に立ちたい早く仕事をしたいという気持ちが大きかったようです。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

仕事で親が家にいなくても
寂しいと思ったことはない。

 

両親とも夜の8時か9時くらいまで働いていたので、私は自宅からバスで10分くらいのところにあった父の実家に預けられていました。それで、夜に父か母が迎えにきて一緒に帰ることが多かったです。

引用元:日経DUAL

 

おばあちゃんが
大好きだった。
両親に代わり、可愛がってくれた。

 


画像:『はなまるマーケット』

 

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小さい頃から一人でいることが普通だった感覚というのは私も両親共働きだったので同じような経験があります。

 

壇蜜さんは昭和女子大学附属昭和小学校に入学し、小学校、中学校、高校、大学まで同学校で内部進学し、卒業しています。中学生の時に同級生からつけられた若い頃のあだ名が「愛人」だったそうです。

 


画像:http://www.skyqzone.com/article/MmFMUnhKNDJHMWs9

 

12歳にして、
あだ名が「愛人」という快挙。

 

子供のころから自立を求められていた印象のある壇蜜さんは同級生よりもずっと精神年齢が高かったのかもしれません。

 

学校生活が始まると、学校にあまりなじめなくて、家で洗濯物を畳んだり、食器を洗ったりと家事を自分からするようになりました。

引用:日経DUAL

 


画像:『ウチくる!?』

 

学校になじめないというのも、その壇蜜さんの早くに自立した精神性によるものかもしれません。家の教育だったのか分かりませんが、テレビでの刺激が強い露出の印象とは裏腹に、壇蜜さんは知れば知るほどとても家庭的で実直な一面を感じさせます。

 

 

◆学生時代―壇蜜14歳という若い頃から自らの色気のルーツと語る「日本舞踊」を嗜み、「坂東流師範の免許」を取得!

 

そんな壇蜜さんが若い頃から夢中になていたのは日本舞踊だったようです。壇蜜さんは14歳から日本舞踊を嗜み、現在では日本舞踊坂東流師範資格もお持ちだそうです。

 


画像:https://ameblo.jp/syouki-s/entry-12073831791.html

 

もともと若い頃に芸能界入りしたきっかけとして、この日本舞踊坂東流師範の免許を取得するためには、家元や師範への挨拶金や発表会出演など多額の費用を用意しなければ叶わないことから、その資金稼ぎのためとも言われており、どれだけ壇蜜さんが真剣に日本舞踊へ向かってこられたかが分かります。

 


画像:ORICON

 

しかし、資格を取得してからも、先生から「流派だけは言わないでくれ」とくぎを刺されていたという話もあります。

 

壇蜜は坂東流の師範
であることを
家元に配慮して黙っていた。

 


画像:ORICON

 

2013年には
紅白歌合戦で日本舞踊を披露!

 

坂東流は日本舞踊の五大流派のひとつに数えられる江戸時代後期から続く名門。日本全国に稽古場があり、弟子も1万人ほどいる大きな流派なんです。師範になるには、家元である三津五郎さんの前で踊りを披露してOKをもらわなければならない難しい免許です。師範になれば、自分で弟子を取って、日舞を教えることができるんです」(坂東流関係者)

引用元:NEWポストセブン

 

壇蜜さんは自らの色気について「日本舞踊がルーツ」と語っているそうです。

 

■サーヤこと黒田清子さんも日本舞踊を大事にされています。

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◆学生時代―壇蜜の出身校は昭和女子大学で若い頃から16年間女子一貫校教育で教職課程を修了!「教員免許資格」を取得 画像

 

大学での出身学部は「人間文化部英語コミュニケーション科」という英語教育をメインとした学科だったという事です。

 


画像:『ファミリーヒストリー』

 

学生時代には両親の希望から英語の能力を上げることにフォーカスしており、高校時代という若い頃ですが、シアトルやボストンへの短期語学留学の経歴があるということから、教育熱心な比較的裕福な家庭の育ちだったことが伺われます。この頃の心境を壇蜜さんはこのように話しています。

 

娘の私に大学進学させたいという強い思いから、両親は小学校から大学まで一貫教育の女子校に進学させてくれました。一方、私は漫然とした気持ちで学生時代を過ごし、目立たず、人並み程度に毎日 小枝を過ごすことが最良と決めつけ、目的を持てないまま人生の駒を進めてしまいました。

引用元:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

両親から敷かれたレールの上を進んでくるだけの状況で、人生の目的を見つけられなかった若い頃の壇蜜さん。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

学生時代にボストンに留学していました。ニューヨークも要ったことがあって、セントラルパークのジョンレノンのメモリアルスタチューで記念撮影をして、今でも写真を部屋に飾ってあります。

引用元:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 


画像:『ファミリーヒストリー』

 

これは、ジョンレノンさんの遺灰が散骨された場所のことのようです。

 

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自分の道を模索する旅へ。

 

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生粋の女子校育ち!

 

さんの父親の職業がツアーコンダクターだったということもあったのか、若い頃は英語に力を入れた教育を娘には受けさせたい気持ちが大きかったようです。そして、壇蜜さんは大学在学中に英語科の教員免許を取得しています。

 

何かが違っていたら
教職についていたかもしれないw

 

 

◆壇蜜の昭和大学卒業後から芸能界デビューまでの若い頃の学業・異色の仕事や職業経歴画像

 

小学校からずっと同じ系列の女子一貫校で学んできた若い頃の壇蜜さんは、小学校時代からあまり馴染めず、厳しい学校だったこともあってとにかく言われたことをちゃんとやるだけの生活をしていたという事です。

 


画像:リアルライブ

 

高校生の時には
ムダに生きているという想いがあった。

 

高校時代はとにかく言われたことをちゃんとやらないと、いろんなものが奪われていくような感じで。高校生のころは「私、ムダに生きてるな」と思っていました。なんで生きてるのか分からなかった。

引用元:日経AIRA

 

私自身も若い頃、女子校の中高一貫校に6年も同じ環境下で育ち、当時同じような焦燥感に駆られていたことをよく覚えています。それを壇蜜さんは小学校からトータルで16年も続けていたという事ですから、よほど多くの焦燥感に駆られていただろうと感じます。

 

そこからようやく「自分の道」を切り開くんだと思い立った時間が流れていくことになります。大学卒業後に「運良く」内定は1つも取れず、派遣で転々とするような働き方しか選べなかったことが大きかったようです。

 

 

◆2002年 壇蜜(年齢21歳)服部栄養専門学校で「調理師免許資格」を取得し、和菓子工場で菓子職人として勤務したがクビになり通信会社受付へ

 

大学卒業後の若い頃は、和菓子店を開業したいと考えていた壇蜜さんは服部栄養専門学校の2年制の学科である調理ハイテクニカル経営学科に所属し、和洋中華菓子の調理を学び、店舗の開店や経営運営ノウハウも併せて学べるコースに通っていたようです。

 

実際に和菓子工場でも2、3年勤務していたことがあったようですが、壇蜜さんは「和菓子工場はクビになった」とインタビューで話しています。しかし、これも後の仕事にも生きてくることになります。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

壇蜜さんが通った調理ハイテクニカル経営学科は学費もなかなかの金額で、調べた時点では2年間で300万円前後かかる学科のようです。

 

小学校から私立の学校で16年間の教育費がかかった後、さらに専門学校で300万円という出費はなかなか大きいので、そういうこともあってお金の問題を解決するために次のホステスの仕事に従事することになったのかもしれません。

 

300万もかけて
工場勤務となったのに
そこもクビ。

 


女が経済的に自立して
生きていくことは

なんて大変なんだろうという絶望。

 

その後、壇蜜さんは半年ほど、通信会社の受付の仕事もされていたようです。この辺りまでは自分は何が得意かを薄々感じながらも、それでも「昼間の仕事」で真っ当に生きていかなくては、という親の期待のようなものをまだ振り切れない葛藤のようなものを感じます。

 


画像:ORICON

 

2014年には壇蜜さんはテレビ番組でも和菓子職人を目指した腕前を披露しています。

 

壇蜜さんの不動産投資についてはこちら↓

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◆2004年前後 壇蜜(年齢23歳)銀座の高級クラブホステスという職業に就き、若い頃に艶やかに黒髪勤務を開始!夜の仕事へ

 

2004年頃から、まだ和菓子店の出店を意識しての資金調達の意味なのか、学費の為なのか、若い頃の壇蜜さんは銀座の高級クラブホステスとしても活躍していました。

 

情報によると壇蜜さんが23歳の頃から始めたとあります。2009年の9月に日経トレンディネットで「黒髪のキャバ嬢」として紹介されていたようですので、少なくとも5年程はホステスとしての仕事をしていたようです。

 

 

生きていくには
キレイごとの前に
何としても
食べるお金を稼げる仕事で働くしかない。

 

当時を知る、銀座の高級クラブを長年切り盛りしてきたママをして、「これまで雇ったどの女の子と比べても存在感が抜きん出ていました」、「当時から“この子は大物になるだろうな”と感じていました」というほどの逸材。当時も今と変わらず、涼しい目元にロングの黒髪で、周囲の茶髪で巻き髪が主流のホステスの中では異彩を放っていた

画像:リアルライブ

 

当時、お菓子職人を目指していた壇蜜さんは、店に手作りのお菓子を差し入れていたそうです。そして、お客様に対する接客姿勢も日本舞踊の心得もあることから、他のホステスの女性とはひとつひとつのしぐさや身のこなしが違い、新聞を読んで情報収集も怠らなかったため、どんな話題にも対応していたと言われています。

 

天性のホステスの資質。

 

 

また、小学校の頃からなんとなく思っていたこととして「私はやっぱりこういう仕事が向いているんだ」とも思ったそうです。

 

テーブルにつくといつの間にか、隣のお客にしなだれかかり、メガネフェチであったため、メガネをかけたお客の隣につくと、体を寄せて指先でめがねを突いていたという。そんな“必殺技”にメロメロになった客が多く、上場企業の重役を含め年配の指名客の数はダントツだったというのだ。

画像:リアルライブ

 

そして、ここでの若い頃の職業経歴が壇蜜さんの芸能界デビューのきっかけにもつながってきます。

 

壇蜜さんと泉ピン子さんの下積み時代の若い頃が似ていると話題の件はこちら↓

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◆2007年 壇蜜(年齢26歳)冠婚葬祭の専門学校「日本ヒューマンセレモニー専門学校」に入学。特殊資格「遺体衛生保全士(エンバーマー)」も取得し、芸名の由来となる葬儀場での仕事勤務?も経験

 

和菓子店の開業を志していた壇蜜さんでしたが、和菓子店の出資の際に知り合ったという母の友人で恩師の知人の急死にショックを受け、「死がタブー視されている世の中を疑い、疑う前に内側を知りたい」という気持ちになり、進路を変更します。

 


画像:産経west

 

やっと
自分の仕事が持てる
と思った矢先に、夢が消えた絶望。

 

殆どの情報ではそのきっかけは恩人の急死のみがその進路の「きっかけ」とされていますが、実は高校2年生の時に壇蜜さんが若い頃に読んだ本の影響が最初のきっかけとなっています。その本は『黒鷺死体宅配便』という本です。

 


画像:日経ARIA

 

親が何かと
心のネックになる壇蜜さん。

 

エンバーマーになることはこの頃からずっと頭の片隅にありましたが、親に言える雰囲気ではなかった。親は大学に行って普通に就職するのが当たり前だと思っていましたから。

引用元:日経AIRA

 

「それはあなたがやらなくてもいいことでしょ」って言われました。

 

親の期待と若い頃の自分の意思との線引きにとても葛藤する気持ちが伝わります。親には感謝をしているし、できれば自慢の娘として両親に喜ばれる生き方を選びたい。

 

でもそうしてしまうと
それは自分の人生ではなくなってしまう。

 

こんな話を聞くと映画字幕で有名な戸田奈津子さんの言葉をつい思い出してしまうのですが、戸田奈津子さんはこんな風に言ってくれています。

 

あなたの才能は
親が心配するようなところにあるかもしれない。

 

■戸田奈津子さんの映画日本語翻訳家という職業、経済的自立に関するお話はこちら↓

戸田奈津子の誤訳集批判を再考!映画字幕翻訳家への道!直訳との違いは?
戸田奈津子さんの映画字幕翻訳家になるまでの道を追ってみました。また、話題となっているなっち語による直訳との違い、誤訳の問題の批判についても調べました。好きなことを仕事にする熱意と誇りは人生を輝かせるようです。

 


画像:仕事の学校ナビ

 

そういうわけで、若い頃の壇蜜さんは改めて冠婚葬祭の専門学校「日本ヒューマンセレモニー専門学校」へさらに2年間通うことになります。

その専門学校で壇蜜さんは民間資格である遺体衛生保全士資格(エンバーマー)という遺体の修復、防腐を行う特殊な資格を取得しています。

 

遺体衛生保全士資格(エンバーマー)とは、亡くなられた方のご遺体を生前に近い姿に修復する仕事であり、「元気だった姿」が見えてこそ、家族は故人ときちんとした悔いのないお別れができるということで処置のニーズが年々高まっている職種だそうです。

 

葬儀社時代と言われている壇蜜さんの写真がこちら↓

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

また、その後、一つの情報では葬儀場で勤務することになったそうですが、その採用面接時には「白いワイシャツに黒いブラジャーを透けさせたら受かった」ということで、この頃には自身が持っている武器というものにもホステスという職業経歴を経て確信をもっていたようです。

 


画像:日経AIRA

 

どんな手を使っても
雇ってもらわなければならない。

 

壇蜜さんの仕事に関する想いを知ると、団塊ジュニア世代から始まった就職氷河期ロスジェネ世代の女性がみんな経験してきた、「男女平等など、この世にはない」という超現実的な気持ちが強く伝わってきて、同じ女性として共感を覚えます。

 

権利を主張したところで
女性は救われないのだ。

 

ここでの葬儀場で働いた職業経歴が現在の芸名となっている「壇蜜」という名前につながっていると言われています。「壇」は仏壇を、「密」はお供え物を意味している。と言われています。

 

 

◆2009年 壇蜜(年齢28歳)冠婚葬祭の専門学校卒業後、大学研究所で行政解剖・司法解剖の補助の仕事として勤務開始

 

一方で、別の情報もあり、葬儀社で遺体衛生保全士資格(エンバーマー)として働くことはを諦めたというご自身の手記もあります。壇蜜さんが創業された時期は遺体衛生保全士資格(エンバーマー)として働きたい希望者が多く、儀式の司会者として就職して活躍の機会を「待つ」という選択肢しかなかったようです。

 


画像:SANKEI-Biz

 

またしても
食べていけそうな
仕事、資格ではなかった。

 

だんだん聞いているだけで泣けてくる(涙)

 

葬儀社への就職はあきらめ、当時、解剖学などの授業をしてくださった大学教授のツテで、大学の研究所で助手としてはたらくことになりました。ご遺体の行政解剖、司法解剖の補助をするという役割は、死と向き合うには充分な環境で、そこにいられることに意味を感じていました。

引用元:web an

 

また、壇蜜さんは「納得のいく別れ」を残された人たちに提供するの大切さを近年でもビックサイトのソナエ博イベントセミナーでも語られています。

 


画像:日刊SPA!

 

自分の道を模索する道で、どのように働き生きていくか、ということを見出すのが若い頃の壇蜜さんにとってとても困難な日々が続いたことが伺えます。就職先や道に迷う人々へ壇蜜さんはやわらかな気持ちでこのように語っています。

 

就職活動から振り返ってみて「好きをシゴトに」「シゴトに楽しさ」といった情熱は、持てる人と持てない人がいることに気がつきました。情熱がなくても生きていくことはできます。その場合は、マイナスをゼロにするシゴトに美学を見出すのはいかがでしょう。

引用元:web an

 

そして、強くこう伝えます。

「どんな人にも進むべき道があります。」

 

壇蜜さんの言葉の端々には、この世界で苦しんでも苦しんでも一生懸命生きていくため、受け取った命を運んでいくために

 

純粋な気持ちで、経済的自立を模索している女性がたくさんいることを知っているのだという印象を覚えます。そこには親たちの世代が望むようなきれいごとでは食べていけない今という時代の現実の厳しさも知っている慈愛が込められています。

 

◆2010年 壇蜜(年齢29歳)の若い頃、遅咲き芸能界デビュー!夜の仕事やホステスの職業経歴が花咲くことに/公式ブログ「黒髪の白拍子」画像

 

2009年9月、壇蜜(齋藤支静加 名義)さん(年齢28歳)の時、壇蜜さんはセガブースで注目を集める「黒髪のキャバ嬢」でも特集されたようにゲーム『龍が如く4 伝説を継ぐもの』のオーディションでキャバ嬢役に抜擢され出演を果たします。

 


画像:gigazine.net

 

得意な仕事が!

 

2010年9月(年齢29歳)の時、壇蜜さんは『週刊SPA!』の一般公募型グラビア企画「美女タレント発掘プロジェクト どるばこ」へ応募し、グラビアデビューを果たします。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/564

 

たまたまオーディション用のプロフィール写真が余っていたのと、葬儀学校の卒業が重なって、自分のなかでは、ほんの記念のつもりで応募したんです。その時の私は『チャンスが欲しい!』というよりも、『良い思い出にしたい』という気持ちでした」

引用元:日刊SPA!

 

この『SPA!』の「グラビアン魂」へ若い頃の壇蜜さんのグラビアが掲載されたことで、リリー・フランキー氏やみうらじゅん氏が絶賛し、瞬く間に壇蜜フェロモンの虜となった多くの男性が出現し、時代を象徴するセクシーシンボルとなりました。

 


画像:https://www.asahi.com/and_w/

 

セクシーシンボル
であることを恥じることはない。

 

それと前後する2010年7月(年齢29歳)には芸能事務所にスカウトされたこと、そして被写体としての役割を与えられることに悦びを感じたことで、副業としてグラビアアイドルになることを決意

 

ずっと食べていける
真っ当な仕事ではないという思いはあった。

 

芸名も本名の齋藤支靜加から「壇蜜」に変更します。壇蜜さんは旧芸名時代から続けていた「黒髪の白拍子」というブログ内でも芸能活動を副業としてやっていくことを表明しています。

 

当初はあくまで
副業を強調。
大学病院での勤務が主軸のつもりだった。

 

お疲れ様です、支靜加です。

突然なことで大変恐縮なのですが、この度、私はもう一つお仕事を増やすことにいたしました。お仕事といってもそう頻繁にはできない、「被写体」としての御役目です。(中略)

私は今年30歳になりますし、すでにお勤めをしている身でしたので、「いい年をして恥ずかしくないのか」「ニーズなんてあると思っているのか」など自分自身に問い掛けては思い留まるという毎日の繰り返しでした。

しかし、母や叔母、祖母といった身内や、先輩方、そしてSPAの関係者の方から「今のお勤めを大切にしながら、副業としてできる限りやってみればいいじゃない」と背中を押してもらい、気持ちがまとまりました。

引用元:壇蜜公式ブログ「黒髪の白拍子」

 

この時期の壇蜜さんは、
3年間ほど芸能事務所に水商売
大学病院の助手と
3つの仕事を同時進行で掛け持ちしていたらしい。

 

何としても
食べていける仕事を確立したい!

 


画像:an

 

いつも大きな期待などせずに、先の不安や憂いで動けなくなることよりも、「何とかなるでしょ」と精いっぱいやれることをして、はしごを外されても大丈夫である自分を維持して働いていた印象があります。

 

遺体に触れた後に漫画喫茶でシャワーを浴び、それから水着の仕事へ、といった生活を3年ほど続けました。

よく、それで得たものあるんですか? と聞かれますが、徹底的に大変な状況に身を置いたことは今の土台になっていると思います。あとは、“バニーガールの衣裳のしっぽは、乾燥機に入れると半分くらいに縮む”と学んだことくらいでしょうか。働き過ぎで、ほかは何も覚えていないんです。

引用元:ゲンダイ

 

いつ、どこで
はしごを外されても
大丈夫な自分。

 

これは、どこかの場面ではしごを外され、再起不能かと思えるような地獄の日々を過ごし、そこから血を吐くような想いをして蘇生してきた者にしかない感覚だと思います。そうした険しい女道の修行のような日々を超えて、こうした穏やかでゆったりと物事が進むのを見ていられる人間性が育まれたのかなと感じます。

 

一日で大金を動かすわけでも、多くの人に感謝されるようなこともないけれど、それでも誰かから必要とされる仕事をしていて、今はそれで生計が成り立っている。その事実だけが私の支えでした。

―壇蜜

 

「粛々と与えられた仕事をまっとうするだけ」

 

ですから、壇蜜さんは性的なシンボルとして過激なことを要求されても、それが仕事であり、そこに求める人があるのであれば、誰に何と言われようと、どう見られようと、何でもしようという気持ちで芸能界でも生きてきたようです。

ここまで命を運んでくれた過去の自分に感謝して誇りをもって生きて行く。

 

◆壇蜜は若い頃に大型二輪免許取得でバイク運転資格も取得!愛車2台持ち画像 

 

さらに壇蜜さんは、意外な資格として、大型二輪免許を取得し、愛車であるバイクを2台も持っています。

 

 

基本的にひとり好きw

 

壇蜜さんのバイクの好きの件はこちら↓

壇蜜の愛車は大人バイクバーグマン!車種画像&バンバン大型二輪免許で乗る無修正の素顔
壇蜜さんは大型二輪免許を持つ愛車・バーグマン・バンバン車種を乗りこなすバイク女子!大人でセクシーな素顔画像に迫りたいと思います♡

 

◆2012年 壇蜜(年齢32歳)自身の誕生日イベント「生誕祭」でふんどし姿を披露し「ベストフンドシスト賞2012」を受賞する異色の経歴画像

 

「ベストフンドシスト」という言葉の通り、若い頃の壇蜜さんは過激なグラビア写真だけでなく、2012年の自身の32回目の誕生日を祝うイベント「生誕祭」ではなんと自らふんどし姿を披露し、2012年日本ふんどし協会のベストフンドシスト賞を受賞しています。

 

「自分のやりたいことをやるのはダメだ」と気づいた。

 


画像:https://katsuo5252.exblog.jp/17831083/

 

日本古来から男性的イメージの強い「ふんどし」が、明るく健康的なイメージと壇蜜さんのセクシーさも絡んで新たな脚光を浴びそうですが、なかなか普通のグラビアアイドルや女優では受けない仕事になるのかなと感じます。さすがです。

 


画像:新宿経済新聞

 

「ベストフンドシスト賞2012」受賞

 

 

◆2016年 壇蜜(年齢35歳)原美術館で篠山紀信展「快楽の館」でヌードを披露する異色の経歴画像

 

2016年には東京都にある原美術館での篠山紀信「快楽の館」において、壇蜜さんは33人の女性の被写体のひとりとして原美術館で全員全裸で撮影する作品に参加していました。

これ、
私見に行きました(笑)。

 


画像:modelpress

 

個人的には私は篠山紀信さんが女性の写真を撮影する時があまり好きではないので、たまたま友人に誘われたので行っただけでしたが、壇蜜さんがとてもきれいに撮られているなという印象は強く受け印象に残ってました。

 

ちょっと一部だけ。

 


画像:VOGUE

 

壇蜜さんも29歳の遅咲きで売れ方もだいぶ過激な路線でのポジションということで、最後は身ぐるみ剥がされ、脱いで捨てられて終わるに違いないというような話を以前からしており、2012年の11月には映画『わたしの奴隷になりなさい』でフルヌードを披露。2013年の『SPA!』25周年の頃には自分の直面する現実と未来に対してこんな話をしていました。

 

『ついにここまで来てしまった』『もう後戻りできない』という“絶望感”だけです(笑)。でも、それだからこそ表現できるもの、撮れる表情もあるはずです。まるで、まともに材料がない絶望的な状態でも作れるために“絶望のパスタ”と呼ばれるようになったペペロンチーノのように

画像:日刊SPA!

 

3年やって
芽が出なかったら
芸能界を引退する約束。

 

壇蜜さんは芸能界で3年芽が出なかったら引退するという約束をご両親とされていたようです。また、裸で仕事をする際も、母親には事前に職業について伝えていたものの、父親には言わずに仕事をしており、それを知った父親とは暫くギクシャクしていたという話があります。

 

父は最初、たまたま電車の網棚に置いてあった雑誌を手に取って、私の仕事を知ったんです。「この女性、娘に似てるな‥‥おいおい、脱いでるじゃないか!」と、家庭に衝撃が走りまして(笑)。

引用元:livedoorニュース

 

しかし現在では、壇蜜さんは既に「その先」の夢を、引き続き私たちに魅せてくれています。自分で今できること、求められている事をひとつひとつ応えるように仕事にしてきた壇蜜さんが、

自分で選び
自分で切り開いてきた
誇り高き自分の道です。

 


画像:dybe

 

そんな壇蜜さんの考えはこうです。

 

仕事で「これだけは譲れないことは何か」と聞かれたら、タレントであるうちは、「自分のやりたいことをしない」と答えます。アイデアなどを求められたら出したりはしますけど、自分発信で「これを書きたい!」「あれをやりたい!」ということは言いません。

引用元:https://ten-navi.com/dybe/6599/

 

求められるものの
コマであれ

 

日々、そう自身に言い聞かせているという壇蜜さんでした。もろもろな謙虚さがないと女性など男性の力には結局かなう訳がないという絶望世代の感性の意味で、そこと闘ってはならないのだという達観した感性も感じます。

 

また、そこを手放すことこそが
圧倒的権力を決して分かち合うことが無い男性社会
に対する絶望世代の女性の唯一の抵抗でもある気がします。

 

その後、だんだんテレビの仕事が増えてきたおかげで、壇蜜さんはようやく父親とも仲直りができたそうです。

 

面倒くさい話を振られた時にそれをかわす「3語」をお伝えしたいと思います。

“武勇伝”を語られたら「ロックですね!」で上司の心をくすぐりましょう。“有名人と知り合いだ”は「お顔が広いんですね。うらやましい!」で撃退。一番やっかいで永遠に続く“身内自慢”には「楽しみですね」がもっとも効果的です。だいたいこの3語があれば、なんとかなりますよ。

イライラする前に盾となる言葉を身に着け、ぜひ日々を粛々と乗り切ってください。

引用元:https://ten-navi.com/dybe/6599/

 

こうしてみていくと、転んでも転んでも立ち上がり、にっこり微笑んで進んでいく。

 

柳のように争わず生きる

これが壇蜜さんが見せてくれた女性の自立のひとつのコツなのかもしれません。闘う相手は自分の中の弱い心だけでいいようです。

 

たとえ絶望世代であっても
自分の人生を愛することを
私は諦めてはいけないんだ。

 

壇蜜さんの結婚観はこちら↓

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