古田新太は嫁西端弥生と結婚!娘アロエ腐女子浪人中を父暴露の家族愛

◆結婚・夫婦

◆本名 古田岳史は、若い頃生家の母親・フルタヤエコに『オールナイトニッポン』ラジオ時代に自分の声で吹き込んだデモテープをお見舞いされていた! /俳優・古田新太の個性的な家族(生家) 

 

古田新太さんの周りに個性的な人間が揃うのは今に始まったことではなく、どうやら生家の家族からそうだったようです。古田新太さんの母親は息子が全国的に名前を知られるきっかけとなった『オールナイトニッポン』のラジオ番組に、自身の声で歌う生歌のデモテープをラジオ局に送りつけてきたことがあったそうです。

 

 

普通なら、

もーオカン止めてくれ。

とひっそり胸にしまうところだと思うのですが、家族を愛する古田新太さんはやっぱりやることが違いました。

 

それを、だから
1曲目にかけましたw

 

しかも、演歌

 

それでは今日の1曲目、フルタヤエコさんで・・・って。
引用元:『伊集院光 日曜日の秘密基地』

 

なかなかの息子愛母親愛です。

 

浅田真央さんとお母さんのお話はこちら

 

◆本名 古田岳史は、生家の父親・フルタアラタも個性的。芸名の由来ときっかけ。弟と一緒に2階から落とす激情型のしつけ? /俳優・古田新太の個性的な家族(生家) 

 

色々調べていくと、古田新太さんがこうしたユニークな感性を育んでいった時代に暮らしていた兵庫県神戸市西区にあった生家の父親がこれまた個性的な人物であるという事が分かっています。

 


画像:NHK

 

まず、古田新太さんの父親の名前が「古田新(フルタアラタ)」さんであるということだけで、だいぶおかしいことになっています(笑)。古田新太さんの本名は古田岳史(ふるたたけふみ)さんというお名前です。

 

これは本当は古田新太さんが芸名を決めた当初、「古田新(フルタアラタ)」という「太」という漢字を除いた父親の名前そのものでの俳優として活動をしようと思っていた古田新太さんでしたが、

 

所属していた劇団である「劇団☆新感線」の公演チラシに手違いで「古田新と印刷されてしまった事で、父親の本名と完全に一致することはなくなったという奇天烈な背景があったようです。

 


画像:NHK

 

でも、そもそも芸名に
父親の名前つけること自体が
シュール過ぎるよね??(笑)

 

それだけ、古田新太さんにとって、父親の存在が「憧れ」であったと言えるのかもしれません。自分の名前「岳史(タケフミ)が地味で普通で堅いイメージであるのに対し、「アラタ」という父親の名前がロックでカッコいい名前に思えたというニュアンスのお話を過去にされています。

 

 

憧れの父親
フルタアラタ

 

 

◆古田新太の父親・フルタアラタは若い頃熊本出身で大阪ガスのサラリーマン。高身長のお酒好き 画像

 

そして、古田新太さんの父親は、大阪ガスのサラリーマンだったということなので、かなり堅めの会社のサラリーマンだったという事になります。

 


画像:NHK

 

そんな古田新太さんの父親・フルタアラタさんも息子同様、お酒が大好き185㎝という高身長に90㎏という大柄の男性だったようです。

 

◆古田新太の父親・フルタアラタが寡黙で過激なスパルタ教育で若い頃息子を指導した伝説の個性派エピソード

 

古田新太さんの幼少期の父親との思い出として語られている激しい教育方針のお話がありました。寡黙な男性だった古田新太さんの父親ですが、高校時代にはやり投げをやっていた為、力が強く、兄弟で叱られる時には2階から投げ落とすようなことがよくあったようです。

 


画像:スポニチ

 

幼少期の古田新太さんが「万引き」をしたことがあったそうで、それを知った父親のフルタアラタさんは息子である古田新太さんに猿ぐつわをさせ、両手両足を縛りあげてゴルフ場に放置したという事があったそうです。

 

かなり
苛烈なお仕置きw

 

◆古田新太の父親・フルタアラタが息子のラジオ生放送中に謎の電話をかけてきた伝説の個性派エピソード

 

古田新太さんの父親・フルタアラタさんは大手の堅い企業のサラリーマンという事でさぞお堅い常識人だと思いきや、古田新太さんがまだ関西で活動していた時代に、大阪ラジオ番組『ヤングタウン』の生放送開始の午後10:00直後に突然電話をかけてきたことがあったそうです。

 


画像:http://kimamana-topic.com/9338.html

 

番組ディレクターも古田新太さんの父親から生放送中の電話という事で慌てて古田新太さんへ繋いだそうです。それを聞いて古田新太さん自身も「オフクロ倒れたかな」という少し緊張した気持ちに電話に出たところ、父親・フルタアラタさんの電話での驚くべき第一声がこちら。

 

「お、いたか。今、毎日放送の近くまで着てるんだけど飲みに行かねーか。」

 


画像:matome.naver.jp/

 

おい!(笑)

 

心の中では激しくツッコミを入れていたと思われる古田新太さんでしたが、お父さんへは「えーと、番組終るの1時だけど・・・。」と答えたそうです。優しいのかお父さんがこの時もまだ怖かったのか?そして合流は果たせたのかどうかは不明です。

 

高橋英樹さんと子供時代の高橋真麻さんの父と娘のお話はこちら

 

◆古田新太の父親・フルタアラタが亡くなる際に息子たちへ泣ける奇跡のボケを宝物として遺した伝説の個性派エピソード

 

古田新太さんの父親は前述のように大変お酒が好きな方だった為、肝臓を壊したことが原因で亡くなられたそうです。既に入院生活をしていた父・フルタアラタさんに会いに行くと、そこにあったのはガリガリに激痩せした父の姿でした。

 

さらに、幻覚症状が見えるような状況となっていたと言います。その状況だけでも古田新太さんは胸が締め付けられ泣きそうになってたそうです。

 


画像:NHK

 

古田新太さんの父・フルタアラタさんは幻覚症状酸素マスクを取って、それをコップに見立ててお酒を飲むふりをしていたそうです。

「盃じゃないから。」

 

と泣きそうになりながら父へツッコミを入れる古田新太さん。すると今度はお父さんは少し考えてからその酸素マスクを噛み始めたのだそうです。

 

「つまみでもないから。」

 

とまた泣きそうになりながら幻覚症状の中にいるツッコミを入れた古田新太さん。

 

泣きそうになってんだよ。こっちは。で最後また、じーっとそのマスクを見ていて、「もしもし?」ってやったんだよね。
さすがに、もう泣いていたんだけど、弟は笑ったね。
引用元:『伊集院光 日曜日の秘密基地』

 

死ぬ前に
息子たちへ3回ボケた。

 


画像:livedoorニュース

 

古田新太:それが、わざとじゃなくてホントのボケだから・・・。
伊集院光:なるほど…。うわなんか、凄いものをくれますね。親は。
古田新太くれる。
伊集院光:笑っていいのか分からないけど、それは演劇人としては凄い財産でしょ。その光景は。
古田新太そう。そう。
引用元:『伊集院光 日曜日の秘密基地』

 

父親の本当のリアルな演技を最後に魅せて貰った古田新太さんだったのでした。その他にも古田新太さんの父親はまじめで寡黙な男性なのにやることが天然でとんちんかんであるようなところが多くあったようです。瓶ビールを開けようと歯で開けようとし、歯を折ってしまったりすることもあったようです。

 

 

◆古田新太の父親・フルタアラタは息子へ「幸福とは?」という問いの根幹と「男たるもの」を若い頃から叩き込んだ人物だった

 

もう一歩、踏み込んで古田新太さんの父親が背景に抱えていた時代について考えてみました。

古田新太さんは1965年12月生まれであるため、父親のフルタアラタさんはおよそ1940年前後の生まれと考えると、「幻の東京オリンピック」と言われている1940年の五輪開催の中止、

日本が最も大変な時代に突入していく時期に誕生しているおそらくは戦争を知っている子供」という事が分かります。

 


画像:Amazon

 

1940年というと、国民精神総動員本部が東京市内中に「贅沢は敵だ!」「日本人ならぜいたくは出来ないはずだ」という立看板を1500枚設置したとされる年であり、食堂や料理店では米食使用が禁止された年でもありました。

 


画像:https://blog.goo.ne.jp/jf3tbm/e/563fb41b1943bb288e70f024d612c4bc

 

そこから敗戦した日本全体が復興する時代に各世帯へのインフラとしてのガス供給に関わるお仕事をされてきたという事ですから、「日本の各家庭に家族で囲む暖かい灯」を届けるお仕事をされてきた人物だったと言えそうです。

 


画像:https://www.solve–solve.com

 

あまり、ユニークな話にはならなそうなので古田新太さんの口から話されることはないのかもしれませんが、「家族を大事に想う気持ち」というものがどれだけ尊いものであるかを古田新太さんは父親・フルタアラタさんとの幼少期からのふれあいの中で、受け取ってきていたのかもしれません。

 


画像:https://blog.goo.ne.jp/jf3tbm/e/563fb41b1943bb288e70f024d612c4bc

 

貧しい時代にそれでもみんなで工夫をして、それでも笑って楽しく生きていくという豊かさの名残りを感じながら少年時代の古田新太さんは成長されたのかもしれません。

 

こうして考えていくと、古田新太さんが自身の芸名を父親の名前にしたという時の気持ちとしては、尊敬する父親の名前に泥を塗るようなことが無いよう(?)にとにかく真っすぐに生きていくという気持ちと、

たとえどんなに芸能界で有名になって、お金を稼ぎチヤホヤされたとしても、両親たちが若い頃に生きた「飢え」を豊かさで振り切った時代の精神や生命力を絶対に忘れないようにという事だったのかもしれません。

 

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下品でゆかいな
お芝居をやっていきたい。

 

古田新太さんがいつも純粋に下品で愉快にしていられるのは、どんな時も信じて愛してくれるに違いないと思える人たち、家族がいるからかもしれません。365日お酒を飲まないことのない古田新太さんは自宅で飲むときには西端弥生さんや娘のアロエさんにたまに付き合って貰えることが何よりもうれしいようです。

そして今でも古田新太さんは、知人の舞台を見に行く時には横に妻である西端弥生さんを連れて出かけるのだそうです。

 

ドラマ『おしん』の貧しくて豊かな自立と結婚、家族の物語はこちら

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