いつも瑞々しい笑顔で森の妖精のような透明感漂わせ、芸能界の妖精だけに年齢不詳の女優の一人、原田知世さん。彼女の印象に残る映画のひとつに『私をスキーに連れてって』があります。
今回はトレンディードラマの先駆けになり、昨年の冬季に30年ぶりの再来を果たしたこの映画を追いかけつつ、共演していた叶美香さんや原田知世さんの魅力に迫っていきたいと思います。
◆原田知世と映画『私をスキーに連れてって』まえがき
『私をスキーに連れてって』は、1987年11月に公開された原田知世さんがヒロイン役の邦画です。この映画の成功によって、『彼女が水着にきがえたら』『波の数だけ抱きしめて』とホイチョイ三部作が続くことになります。略称「私スキ」。
国内のスキー映画の中で最も代表的な映画となり、色々な流行と共にスキーブームを起こすことにもなりました。この時、原田知世さんは12月で20歳という年齢でした。
こちらの作品で日本アカデミー賞話題賞を原田知世さんが受賞しました。
トレンディー性を特徴とする本作品はタイトルの通り「彼女ができたらとりあえずスキーに誘う」や「ゲレンデで彼女を見つける」といった風潮を作り、ゲレンデでおしゃれをするといったことも生み出した。トレンディドラマブームはこの直後となる。

ちょっとチャラい発想ですね(笑)
また、2017年12月には改めて『JR SKISKI』原田知世&三上博史 “30周年”特別企画として展開し、話題を呼んでいます。
◆若い頃の原田知世主演『私をスキーに連れてって』出演キャストは?叶美香も!?画像
映画『私をスキーに連れてって』に出演したキャストの顔ぶれを少しだけご紹介します。まずはヒロイン役の原田知世さん。さすがに若いですね。
そして、原田知世さんの相手役に三上博史さん
かっこいいよ~~~~!!
当初、主役の矢野文男には俳優として売り出す予定だったスキーヤーが配役されていたが、クランクイン寸前に出演をキャンセルしている。このため、急遽スキーができる俳優を探したところ、当時無名だった三上博史が抜擢された。

三上博さんはここで話題になったことで、後からくるトレンディードラマの時代の人気俳優として大活躍できたのかもしれませんね!
馬場監督は当時、会社員から映画の現場に転身して、右も左も判らない時で、「大変無礼な話だけど、三上博史って知らなかったんですよ(笑)」。
これに対し「当時、青山の4畳半の部屋に住んでたんですが、いただいた台本を読んでは9割方、その部屋の壁に投げつけていました(笑)。
その中にこの台本もあって、一回投げたんですけど、でも拾いに行きました(笑)と振り返る三上博さん。
原田知世さんのお姉さんの原田貴和子さんも映画『私をスキーに連れてって』に共演しています。
こちらは化粧が既にその後訪れるトレンディードラマのまえどりですね(笑)流行に敏感♡
池上優: 原田知世
矢野文男: 三上博史
佐藤真理子: 原田貴和子
小杉正明: 沖田浩之
羽田ヒロコ: 高橋ひとみ
泉和彦: 布施博
恭世: 鳥越マリ
ロッジのオーナー: 上田耕一
ゆり江: 飛田ゆき乃
課長(文男の上司): 小坂一也
所崎: 竹中直人
田山雄一郎: 田中邦衛
おっとまたまたいい男!
竹中直人さんも出演されていました。今も原田知世さんと仲良しなご様子。
ちょっと意外な出演者として、
叶姉妹の叶美香さんが旧芸名「玉乃ヒカリ」(矢野勤務先の隣席のOL)で出演しています。この頃は素朴な感じでかわいいですね。
■原田知世さんと共演していた叶美香さんのファビュラスな猫ちゃんのお話はこちら↓


まさかこの後化けるとは…(笑)
◆若い頃の原田知世主演『私をスキーに連れてって』ロケ地はどこ?相手役・三上博史と監督の対談
ヒロイン役の原田知世さんの契約スケジュール上、4月からしか撮影に来られないという、スキーの映画としては致命的な状況だったため(笑)撮影現場はまだ雪が残る山奥へとどんどん移動して行ったようです。
撮影し切れなかった場合はニュージーランドロケも考えられていたが、時期はずれの大雪が降り、志賀高原での国内撮影だけで無事クランクアップした。
時期外れの大雪(笑)さすが原田知世さん持ってる!
長野県:志賀高原スキー場、奥志賀高原スキー場、焼額山スキー場、横手山スキー場、渋峠スキー場
群馬県:万座温泉スキー場
宿泊施設:志賀高原プリンスホテル、万座プリンスホテル、万座温泉ロッジ「ハウスユキ」
2018年1月のインタビューにこんなものがありました。当時の過酷な撮影状況を笑いあいながら話す監督の馬場康夫さんと三上博さん。
雪を追いかけての撮影だった。
馬場:原田知世ちゃんが色々契約があって4月からしか来れなかったんだよね。普通だったらスキーシーズンが終わって誰も来ない時期で…
三上博:あの年も春が早くて、雪追いかけてましたもんね。どんどん山奥に入って行って…
馬場:あれも胃が痛かった(苦笑)三上君と知世ちゃんがリフトに乗るシーンとか、僕たちの感覚だと雪が無いんだけど、30年経ってみると凄い雪がある感じに見えて。
三上博:めくれてきて雪解けのところが小川になってましたもんね、天気が良くて。
馬場:雪があまりにも無くて、当初予定になかった日本で一番標高の高いスキー場まで行って。そしたら今度は、雪はたっぷりあったんだけど、寒くて寒くて大変だったでしょ?(笑)
春先からの撮影だったために、雪景色の撮影のための雪確保が大変だったようですね。

聞いているだけで寒そう。。。
本作品では西武系の万座プリンスホテル・志賀高原プリンスホテルがロケ地として使用されていたため、ゲレンデ前のホテルとしてプリンスホテルが不動のものとなったと考えられる。
スキーブーム時にはゲレンデ前のプリンスホテルから客室の予約が埋まってしまうほど「西武系のスキー場ならプリンスへ」というのが一般化した。また西武系のスキー場はコースレイアウトが良い(リフトへの接続が楽である)と有名である。
原田知世さん主演映画『私をスキーに連れてって』のヒットでスキーブームが起こり、そこから発展してプリンスホテルの全盛時代だったようですね。
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私はスキー場に行ったのは夏しかありません。
さらに馬場監督と三上博史さんの原田知世さん主演映画『私をスキーに連れてって』爆笑インタビュー対談は続きます。
かっこいい♡
三上博:昼間はまだ滑ってたから良いけど、夜のシーンはきつかったですね…。今でも覚えてるのが、スタッフに「今、何度?」って聞いたら「知らない方がいいですよ」って(笑)。「いやいや、一応思い出だから」って聞いたらマイナス30度だったです。
馬場:最悪!大寒波だね、それ(笑)
三上博:原田知世ちゃんも言ってたけど、顔がガチガチで演技どころじゃないんですよね。携帯のガスコンロのストーブをいつも1人1台持ってて、睫毛が燃えるんじゃないかってくらい本番前まで近づけながら、「よーい」って言ったら離してセリフを喋った覚えがあるもん。
馬場:4月最初とはいえ標高2000メートルですからね(笑)。深夜2時とか3時にやってるし(笑)。
ひゅうううう。マイナス30度の世界www
もう寒いかどうかというより、生死の境に近いですね。こんな過酷な現場で撮影されていたとは初めて知りました。
過酷な気候条件での撮影でしたが、
「自然の猛威がみんなの心を一つにしてくれのかな」と振り返る馬場監督。
三上博さんも「スタッフも全部含めて組み合わせが良かったかもしれませんね。僕もそんなにベテランじゃないし、ヘソ曲げてどうこうなる感じでもないし…」
と当時について語っていました。
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馬場監督にとっても、三上博史さんにとっても原田知世さん主演映画『私をスキーに連れてって』はとても思い出が残る撮影だったようですね。
◆若い頃の原田知世主演『私をスキーに連れてって』サントラ楽曲を歌っていたのは若いユーミン!画像
原田知世さん主演映画『私をスキーに連れてって』と言えば、映画を何倍にも輝かせた主題歌がとても印象的でした。
当初、主題歌は主演の原田知世さんが歌う形でどうだろうと制作スタッフは考えていたということです。
しかし原田知世さん自身が「ユーミンがいいと思う」と提案したこと、これを馬場監督以下その他スタッフも了承したことで主題歌・挿入歌共に松任谷由実が担当することになったといいます。
松任谷由実「恋人がサンタクロース」「ロッヂで待つクリスマス」「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」特筆すべき点として「恋人がサンタクロース」は、本映画と言えばこの曲の名前が真っ先に挙がるほど一般に浸透した。
主題歌を凌駕した本作品の象徴とも言うべき挿入歌であり、クリスマスの定番曲として現在も数多くのアーティストによってカヴァーされ続けている。
我らがゆーみん!
実は原田知世さんがユーミンを推薦したのには理由がありました。ユーミンは1983年映画『時をかける少女』の主題歌で原田知世の代表曲の一つにもなった「時をかける少女」の作詞・作曲を担当し、大ヒットをすでに達成していたのです。
原田知世さんにとってはもうすでに自分とのタッグにおいて結果を出している信頼できる人がユーミンだったのですね。

ちなみに今日まで「恋人はサンタクロース」だと思っていました(笑)
◆『私をスキーに連れてって』流行語「凍ってるね」「とりあえず」「ゲレンデ美人」って?
この大ヒット作の映画で生まれた流行語もあります。ともかくヒロインである原田知世さんがまぶしすぎる!ということで、彼女の“ニット帽にゴーグル”スタイルは女性に大流行し、当時は「ゲレンデ美人」という言葉も生み出したほどでした。
流行語までできた!
「とりあえず」写真を撮る際のかけ声。
「凍ってるね」車を発進させる前にドアを開けて路面状態を確かめる行為。
「ゲレンデ美人」ゲレンデにいるとき『だけ』美しく見える女性という皮肉もこめられている。
ヒロインである原田知世さんの“ニット帽にゴーグル”スタイル
少しびっくりしたのがこの中でも「とりあえず」。もう現代では完全に日常に使う会話の言葉に組み込まれてしまっていますね。ここから流行語になっていたということにビックリです。
当時19歳だった原田知世さん。「この作品では、役者さんごとにスキーの脱ぎ方を監督が決めていて、スキーの細かな部分の楽しさが提案されていました。いまだに色々な方の青春の1ページにこの作品が入っているというのを聞くとすごくよくわかりますし、心に残る作品に出演させて頂いたことを、とても嬉しく思っています」と当時を振り返りました。

色々な個性を役者さんごとに細かく設定していたのですね。
◆若い頃の原田知世主演『私をスキーに連れてって』車にもブームが
原田知世さん主演映画『私をスキーに連れてって』は車の世界でも流行を作り出しました。
この頃は
若者がみんな車買ってた時代だった衝撃!
劇用車は当初三菱自動車に打診したが許諾を得られなかったため、トヨタ自動車のセリカGT-FOURになった。
劇用車のトヨタ・セリカGT-FOURは「スキーにセリカで行くのがオシャレ」と大人気となった。また「Naeba」や「APPI」などのスキー場名ステッカーを車に貼るのも流行した。
三上博史見ちゃったら
車買うよねw
「Naeba」の
ステッカー!!
それにしてもやはり世界のトヨタですね。先見性があります。この頃はまだトレンディードラマもなく、この映画がトレンディードラマの先駆けになったということで、以後こうしたヒット作品が世の中の流行を作る動きがより顕著になっていく時期でした。
この映画の中で、雪道には2WDより4WDが最適と明確に描いており、「スキーに行くには4WD」というのをブームの流行と合わせ一般化させたといいます。
ほう。
映画の中でスタッドレスタイヤがスパイクタイヤに替わるものとして視聴者に強く印象付けられたことにより、ナント本作品がスタッドレスタイヤへの移行と普及に一役買うこととなったと言われています。
まさに文化を変えた
映画ですね。
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◆原田知世主演『私をスキーに連れてって』DVD販売が好調!
2017年11月のSKI SKIキャンペーンは、明らかにこの世代のスキー需要を開拓しようとする試みでした。
そこへ30年前の『私をスキーに連れてって』
26種類に及ぶCMでは、当時の映像素材と松任谷由美の楽曲を使いつつも、若き原田知世と三上博史にコント調の台詞を被せて広告化しているので、心地よいノスタルジーには微妙に浸れない。
それでも一定の関心は集めたようで、ネット通販大手アマゾンの邦画DVD販売ランキング(アニメを除く)で、2017年の12月は『私をスキーに連れてって』が1位を獲得したらしい。

30年後に改めてブームに火をつけるなんて、当時の過熱ぶりが相当だったことが伺えますね!
ばーん♡
彼に向け、指で作ったピストルで「バーン」。このジェスチャーは劇中あと4回出てくる。

ちょっと今は使いにくいですね(笑)
◆最後に原田知世主演『私をスキーに連れてって』の素敵なセリフ名言を(笑)
ちょっとオトメなら言われてみたい、三上博史さんのセリフを最後に(笑)
『内足の癖、直せと言ったろ』
(映画内で優に追いついた矢野が放った台詞)
やっぱり最後まで
三上博史がカッコよかった!!!!

三上博史にメロメロりんにされてしまいましたw
■原田知世さんの元旦那さんはアーティストでした↓

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