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「石原家」の4人の個性的な息子たちを母親として育て上げ、同時に若い頃から石原慎太郎さんの妻として旦那さんの作家作家・政治家である活動を陰で支え続けたた妻・石原典子さんという女性について今回は調べてみました

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石原慎太郎さんというと、1956年(昭和31年)に小説『太陽の季節』という作品で当時最年少(年齢24歳)で芥川賞を受賞し、その受賞をきっかけに実の弟である石原裕次郎さんのスター俳優としての道も切り開くこととなった立役者である作家です。

 


画像:http://sugarbabe49.hatenablog.com/entry/20140621

 

それから半世紀以上もの間、日本の各時代で作家・政治家として旋風を巻き起こし続けてきた剛腕・石原慎太郎さんですが、その活躍の背景に居た、妻・石原典子さんというあまり知られることがなかった女性の生き方が興味深いものとなっています。

 

まず、大前提で
かなりお美しい女性!

 


画像:https://young-days.com/yoshizumi/

 

石原典子さんは石原慎太郎さんとは高校卒業後にご結婚されたというお話でした。

 

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◆夫・石原慎太郎との結婚期間は石原典子の高校卒業後から現在でなんと65年目!「戦争を知っている子供」だった夫妻の年齢差は?今何歳?

 

夫である石原慎太郎さんは1932年(昭和7年)9月30日生まれで2020年現在88歳となります。一方、妻の石原典子さんは1938年(昭和13年)生まれという事なので2020年に82歳となります。お二人とも終戦前に生まれている「戦争を知っている子供」ということとなります。

 


画像:https://festy.jp/web/posts/1001312

 

石原慎太郎さんは一般的に日本国内で「終戦の日」とされる1945年8月15日、(世界的には大日本帝国政府が公式にポツダム宣言受諾による降伏文書に調印した1945年9月2日に対して呼ぶことが多い)において、13歳になる直前という事ですから、戦争については鮮明にイメージがある世代だろうと思われます。

 


画像:https://grapee.jp/208746

 

石原夫妻の年齢差は6歳

 

ご夫婦の年齢差は6歳ですから石原典子さんは終戦時に7歳になる年齢。とても過酷な世代だったと言わざるを得ません。

 

石原慎太郎さんと石原典子さんがご結婚されたのは1955年の12月ですから石原慎太郎さんが23歳石原典子さんはなんと17歳・・・。2020年の夫婦の結婚期間は65年目という事となります。終戦から約10年後のご結婚だったことになります。

 

石原慎太郎さんは2020年で88歳、妻の石原典子さんは82歳となります。

 

紀宮さまこと黒田清子さんのステキなお話↓

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◆石原慎太郎の嫁・石原典子の幼少期、出身地は母親の生家の広島市。改名前の本名は?兄弟は?画像

 

石原慎太郎さんの妻・石原典子さんの母親広島県広島市己斐町(現・西区己斐)出身の女性で、石原典子さん自身も母の実家で生まれています。石原典子さん(石田由美子さん)の母親の石田まさ子さんと父親の石田光治さんは1934年にご結婚され、1935年には長男の石田省三さんが誕生していました。

 


画像:https://4travel.jp/travelogue/10405067

 

少し気になったので調べてみると、石原典子さんが生まれた母方の実家のある広島市西区己斐エリアから原爆ドームまではおよそ10.4㎞車でわずか17分という距離にありました。

 

 

もともと石原典子さんが広島の母方の実家で生まれた経緯としては、父親である石田光治さんが東洋麻糸という落下傘の紐などを製造する紡績会社の彦根工場に赴任していた為、おそらくその時期までは滋賀県北東部にある彦根市に家族は居住していたようです。

 

 

◆父親は召集令状を受け、中国戦線に出征、娘・石田由美子が生まれ、国家総動員法施行の年に戦死 画像

 

けれども、その父親の石田光治さんが召集令状を受け、中国戦線に出征したため、身重の母親・石田まさ子さんが広島の実家へ身を寄せて1938年1月に出産したという事です。1938年というと第1次近衛内閣によって5月5日に「国家総動員法」が施行されています。

 


画像:twitter

 

国家総動員法とは?

日中戦争の長期化による総力戦の遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。
引用元:Wikipedia

 

結局、父親・石田光治さんは娘の石原典子旧姓本名:石田由美子)さんが生まれてから約10か月後の秋に中支の攻略戦で敵の弾丸を受け、胸部貫通銃創で亡くなってしまったそうです。娘を一度も抱くこともないまま無念の想いで他界されています。

 

その後、どの時期かの詳細は不明ですが、石原典子さんの一家は神奈川県へ転居し、石原典子さんは鎌倉、金沢八景、逗子でその後の幼少期を過ごしたようです。

 


画像:いつもNAVI

 

石原慎太郎さんとは、少なくとも石原典子さんが小学生の頃に(おそらく逗子で)出会っているため、1950年頃までには神奈川県へ移転していたことになります。父親の戦死後すぐに転居されていたのかもしれませんが、

 

母親としての目線で考えると、生まれたばかりの乳児を抱えて、仕事もあるかどうか、また勤められるかどうかも分からないのに不慣れな土地へ転居するというのはあまりにも不自然であるため、終戦の1945年前後の時期までは広島県に居たのではないか?と思うのが自然かなとは思います。

 


画像:http://globe.hatenablog.com/entry/2015/08/19/202219

 

終戦の時に石原典子さんは7歳になる年、ということでとても過酷な幼少期であったことは間違いないでしょう。のちに一度も会う事のなかった父親の面影を追いかけるように、2010年『君よわが妻よ:父石田光治少尉の手紙』という本を72歳という年齢で出版されています。

 


画像:http://www.a50.gr.jp/jp/2ndwar.html

 

日本では、310万人の生命が失われ、1,000万人以上もの人々が家を失ったといわれます。主要な都市はほとんど焦土と化し、街の至る所に焼け爛れたトタン板を使った急造のバラックが散見されました。(中略)

街には戦災孤児や失業者が溢れていました。
(中略)腹を空かした子供たちが、街中で、通りすがりの進駐軍兵士たちにガムやチョコレートなどをねだる光景もあちらこちらで見られました。
引用元:http://www.a50.gr.jp/jp/2ndwar.html

 

これだけ長い間、人生のほとんどの時間をその声も知らない父親への想いを抱き続けて生きてこられたという事かと思います。子供の親に対する焦がれた想いというものを感じずにはいられません。

 

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◆石原典子の将来の旦那・石原慎太郎の若い頃は父親・石原潔の勤務する山下汽船の転勤で北海道小樽市、神奈川県逗子市へ移住 画像

 

一方の石原慎太郎さんはというと、父親の石原潔さんと母親の石原光子さんの間の長男として1932年(昭和7年)に兵庫県の神戸市須磨区で誕生しており、実の弟・石原裕次郎さんもその地で2年後に誕生しています。

 


画像:wikipedia

 

当時は父親・石原潔さんが勤めていた海運会社である山下汽船の社員寮に一家は暮らしていたそうです。社員寮と言っても中産階級以上の人が住むエリアであり、社員寮も立派だったという情報です。

 


画像:ジャパンアーカイブ

 

石原慎太郎さんの誕生から5年後には石原一家は父の会社の辞令で北海道の小樽市に移転していたようです。やがて1942年には、父親の石原潔さんは貿易港として重要度の高くなった北海道小樽市の小樽出張所の長となり、翌年には小樽出張所は小樽支店に格上げされ山下汽船初代小樽支店長として赴任しています。

 

しかし、2か月余りで東京支店副長の辞令があり、それに伴い、石原慎太郎さんを含め家族は転居しています。石原慎太郎さん一家は数年間を北海道小樽市で暮らしていました。

 

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◆「石原家」が神奈川県逗子市へ転居、12歳の石原慎太郎が進学した湘南中学がエリート「海軍士官」を志す神奈川県イチ一流画像と、その頃に出会った未来の妻・石原典子

 

そして、日本の敗戦間近となる1945年の4月までに今度は父親・石原潔さんは子会社の山下近海機船(昭和24年山下近海汽船に改称)に転出となったことで一家は神奈川県逗子市へ転居

 

その春から中学生となる石原慎太郎さん(当時年齢12歳)は神奈川県一の名門校であった神奈川県鵠沼の湘南中学へ入学しています。

 


画像:http://210.136.153.187/novel/novelm.html

 

海軍高級士官の子弟が多く通う
海軍士官養成所のような学校。

 

石原慎太郎さんが進学した名門湘南中学校海軍士官を志す者が通う「エリート養成所」のような学校だったようで、戦争の最中にもその教育や育成が優遇されているような学校だったようです。

 

他の中学校の生徒は1年生の時から工場に動員される世情でしたが、石原慎太郎さんの通う湘南中学では一般授業が継続して行われており、戦争のさなかでも生徒達には英語の授業が施されており、教師も生徒に対し、「海軍士官」を志すことが至上のものであるという教育を行っていたそうです。

 


画像:石原光子

 

それとは別に、石原慎太郎さんが中学生だった1945年~1947年の間までに、未来の妻となる当時小学生の石原典子さんとすでに出会っています。

 

石原慎太郎さんの母親・石原光子さんと、石原典子さんの母親・石田まさこさんが母親同士が知り合いだったという話ですが、石原慎太郎さんの母親がテレビ番組で放送された『グレートマザー物語』では広島県の生まれと紹介されていたという事なので、母親同士も故郷を同じくする者として気が合ったのかもしれません。

 


画像:『君よ わが妻よ』表紙

 

こちらは石原典子さんが後に書かれた著書『君よ わが妻よ』の表紙の女性ですが、おそらく石原典子さんの母親である石田まさ子さんの肖像ではないかと思われます。とてもお綺麗な方です。

 

石原良純さんにとってお婆ちゃんとは長男の石原伸晃さんと大学時代にカナダへ行った事があるようです。

 

 

石原典子さんの回想にも中学生だった頃の石原慎太郎さんについてのくだりがあります。

また、石原典子さんが12歳の頃には、石原慎太郎さんという男性は淡い恋心をいだく対象だったという話でした。6歳差のお二人ですから、当時の石原慎太郎さんは18歳ということになります。

 

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将来の妻となる石原典子さんから淡い恋心を抱かれていた高校時代の石原慎太郎さんはというと、最初の人生の苦境に立たされていました。終戦後の日本では価値観ががらりと変化し、石原慎太郎さんは新制「湘南高校」へ進学します。

 


画像:https://kirakuossa.exblog.jp/23786783/

 

ところが進学後2年間はサッカー部に所属し、レギュラーとして活躍していたこともあってか何とか高校へ通っていたようですが、学校教師たちがちぐはぐの民主主義を説き、東大への進学「国の役人」になることを強要する体質にうんざりし、学校へ行くのが嫌で嫌でたまらなかったそうです。

 

そして、石原慎太郎さんは湘南高校3年生になると元々以前から弱かった胃腸の不良を仮病の理由にし、なんと1年間もの長期間、高校を休学してしまいます。一方で、この青年時代の葛藤が作家としての豊かな感性を育む大事な時間をもたらしてもいます。

 


画像:http://210.136.153.187/novel/novelm.html

 

その頃、石原を捕らえて離さなかったものは、サンボリズムの詩シュールレアリズムの絵であった。石原は絵を描き、芝居やオペラを観、真昼間から映画鑑賞に耽り、フランス文学が好きという理由からあてもなくフランス語の勉強をしたりしていた。

引用元:http://210.136.153.187/novel/novelm.html

 

1年後に高校3年生を
復学した矢先、
父親が他界

 

石原慎太郎さんの父親は前述のように山下汽船へ入社して14歳という年齢で店童 (てんどう)と呼ばれる身分から最後は関連会社の重役にまで出世するほどの人材として働き続けました。

 

けれども、体に悪いと知りながらも仕事の付き合いである酒をやめられず、1951年の10月(享年51歳)で若くして亡くなってしまいます。石原慎太郎さんの年齢はその時19歳でした。

 

 
もちろん父の会社からは弔慰金が支払われ、それ以外にも父の仲間が私たち兄弟の大学までの資金を積み立ててくれた。
しかし、慶應の付属高校に進んでいた弟が友人に見栄を張って放蕩し、家計はどんどん傾いていく。この時から長男として一家を背負って立つ意識が芽生えるようになり、学業や部活動の傍ら、家庭教師のアルバイトをして生計を立てた。
 
引用元:https://ameblo.jp/abcd5963dcba/entry-12482001801.html
 

 

 


画像:https://ameblo.jp/hoseiyakyuubukenkyuu/

 

 

大黒柱を失った「石原家」は破綻の危機が迫っていましたが、経済観念のない母親と放蕩を繰り返す弟の間で葛藤し、一家の生計を担う為、公認会計士になろうと決心し、最も有利であると言われていた一橋大学進学へ進学します。

 

 

ところが、公認会計士という職業について学んでいくと、全くもって自分には不向きであるということが分かり、半年ほどでその匙を投げてしまったということでした。そこからは様々な職業について検討しては、バツ印をつけていく日々だったようです。

 

暗中模索の大学時代。

 

一方の石原典子さんが高校に進学した頃(年齢15歳)になると、いつのタイミングかは分かりませんが石原慎太郎さんとの交際が始まっています。

 

 

その後、高校卒業後の17歳で結婚することになるわけですが、交際相手の石原慎太郎さんの精神状況が青年期と家長しての重圧でかなり不安定だったことが伺えますので、その精神的な寄り添いを続け、自身が集中して学びたいことは後回しになる状況だったのではないかと推測されます。

 

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一般的なサラリーマンには魅かれず、映画やものづくりが好きだという自覚があった石原慎太郎さんは、せめて映画会社に入って映画監督を目指そうと考えますが、その道すら経済的な確立に時間が相当かかることが分かり断念します。

 


画像:慎太郎刈り

 

希望を見出せる職が見つからない状況のまま一橋大学4年生をしていたある日、僅か2晩で書き、5日間で仕上げたという小説『太陽の季節』が1955年に第1回「文学界新人賞」を受賞、これを機に石原慎太郎さん(当時23歳)は作家として生きていくことを決意し、以前より交際していた石原典子さん(当時 石田由美子さん17歳)とご結婚されます。

 

さらに翌年の1956年には石原慎太郎さんは同作品で史上最年少での「芥川賞」を受賞することとなりました。

 

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石原慎太郎さんが世に生み出した『太陽の季節』はその時代の若者にとても大きな影響を与えたようです。

 


画像:https://ameblo.jp/abcd5963dcba/entry-12482001801.html

 

みんなサイドを刈り上げる「慎太郎刈り」だったらしい。

 

「太陽族」なる若者を出現させ、更には「慎太郎刈り」というヘアースタイルが流行になった。『太陽の季節』は新潮社より刊行され、瞬く間に25万部を売り尽くした。
 それは「もはや戦後ではない」と経済白書に記述された年であった。新しい時代の幕開けを誰もが望み、それを石原が切り開いたのである。

引用元:http://210.136.153.187/novel/novelm.html

 

そしてアロハを着て「太陽族」

 


画像:太陽族

 

おそ松くんもw

 

 

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この作品が「石原家」の窮地を救い、結婚まで成し遂げることができた、石原慎太郎さんにとって人生を一変させる革新的な一撃でした。

 

革新的・慎太郎刈り
がこちら

 


画像:https://www.vismoriguchi.jp/2016/07/16/今一押しの平成慎太郎刈り/

 

いくらもらったの??

 

どのくらいの金額を石原慎太郎さんが当時手にしたかというと、文藝春秋から四万円という大金とその後の作品映画化による、原作料として四十万円というさらなる大金を手にしたそうです。

 


画像:https://koimousagi.com/17426.html

 

大金と言われても、お金の価値が現在の状況とかなり異なるので、当時の感覚がどのようなものかを探してみると、石原慎太郎さんに公認会計士になることを勧めてくれた父親の元上司の話としてこんなものがありました。

 

父の元上司が私を呼び出し、家族を養うためには当時できたばかりの公認会計士になりなさいと勧めてくださった。大卒の初任給が約一万五千円だったところ、公認会計士の収入は最低でも二十万円あるというのだ。

引用元:https://ameblo.jp/abcd5963dcba/entry-12482001801.html

 

大卒初任給が
1万5000円の時代。

 


画像:https://www.vismoriguchi.jp/2016/07/16/今一押しの平成慎太郎刈り/

 

初任給が1万5000円という事ですからおよそ現在の15倍ほどの価値でしょうか?そうなると、最初に文芸春秋で手にした4万円は現在の60万円、映画化による原作料40万円は現在の600万円という計算となります。

 

その金銭でまず最初にしたことは、父親が他界してから苦労を掛けてきた母親へ、電気洗濯機を購入して贈ったことだったそうです。

 

そして何といっても
昭和の大スター
石原裕次郎の誕生!

 


画像:http://looksroom.blog.jp/archives/26426122.html

 

小説の『太陽の季節』で脇役として俳優デビューを果たした石原裕次郎さんでしたが。石原慎太郎さん原作の次回作となる映画『狂った果実』の脚本を日活に依頼された際には、「条件として弟・石原裕次郎を主演とすること」を提示したのだそうです。

 

この映画『狂った果実』での主演が、石原裕次郎さんをスター俳優へ導いたということもとても有名なお話です。

 

もはや戦後ではない。

その言葉にふさわしい華々しい時代が到来していました。

 

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画像:https://www.vismoriguchi.jp/

 

余談ですが、石原慎太郎さん自身も俳優として出演した作品があるそうです。しかしこうして見てみるとやはり、弟の石原裕次郎さんと比較すると、若い時代の石原慎太郎さんはスターという煌びやかさはなく、文豪の方が似合うような印象です。

 

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◆石原慎太郎の嫁となった石田由美子は結婚を境に改名したことが濃厚。長男息子・石原伸晃の妻も入籍後改名 姓名判断してみた画像

 

石原典子さんがいつの時期に改名をされ由美子」さんから「典子」さんとなったのかは具体的には不明です。しかし、情報によると、長男である石原伸晃さんが結婚される際も、石原家へ入ることになった田中理佐さんが「石原理佐」となった場合の画数の悪さに気づき、改名を勧めたと言われています。

 

そして結果的に「理佐」さんも「里紗」さんへ改名しています。そのことから、石原典子さんも結婚を境に字画を見て貰って改名したのではないかと推測されます。

 

 

しかし、実際に姓名を変えない場合、変えた場合を簡易の姓名判断で見てみると、石原典子さんの場合、「由美子」さんから「典子」さんへの改名で総格が32(大吉)から総格26(凶)へ、地格外格「吉へ向上となっています。

 

え、これって、
良くなってるの??

 

と、あまりにもぱっと見、良くなってなさそうだったため(笑)、もう少しだけ調べてみました。すると・・・。

 

天格:「家」に課された運命・職業、56歳以降の晩年の運勢

人格:数え36歳~55歳の運勢(幼少期から影響)

地格:0歳から数え35歳までの運勢(生涯影響)

外格:外敵や援助者の有無、その人の外観や信用度、行動力や健康を判断

総格:変動期、転換期、努力度、健康の判断
※女性の総画2332は注意

社会運:主に交際関係(運勢に直接の影響はなし)但し家庭運と同画数や悪い組み合わせの場合を除く。<総格-最後の字の画数>

家庭運:結婚運や幸福度、生活の基本的な考え方を判断する要素。<総格ー最初の文字の画数>

援助運:援助運の画数は運勢の盛衰に影響します。表面の社会運は内面では「援助運」
※特に内面の援助運は重要な部分らしい。


画像:姓名判断

 

調べてみると、「由美子」さんの場合、総格32大吉であっても女性は避けた方が良い数字であることが分かりました。。また、「典子」さんにすることによって、「社会運」23「家庭運」21が両方ともから大吉になっています。「社会運」=「内面の援助運」というとても大事な画数であるようで、それらが全て大吉となるように改名されたのかもしれません。

 

 

一方の石原里紗さんの場合ですが、「理佐」さんから「里紗」さんへの改名で総格が33(吉)から総格32(大吉)、外格が凶から吉へ向上「吉」から「半吉となっています。

 

「社会運(内面援助運)」18(吉)→22(凶)「家庭運」18(吉)→27(半吉)・・・とえ、これもどうなの?と思ったのですが、社会運家庭運は同数は避けるべき組み合わせのようで、改名前ですと確かに同数ということでした。

 

素人的には総格や一般的な画数のみで見てしまいますが、「社会運」「家庭運」などもみて名前を付けようと思うと、ちょっと素人では難しそう(;’∀’)ということが今回分かりました。

 

 

◆石原慎太郎と石原典子の結婚によりできた『石原家』家族(息子たち)家系図がスゴイ!昭和のスーパースター俳優で弟の石原裕次郎も家族!画像

 

まずは石原慎太郎さんと石原典子さんのご結婚により誕生することとなったご家族の家系図を先に写真付きで見ていきたいと思います。

 


画像:2019年12月作成

 

ぼやき>実はこちらの「石原家」家系図は別サイト用に私が夜なべして寝落ちしながら、コーヒーをひっくり返しながら作った力作の転用です。(転用なのかw)身を潜めているのでなかなか見つけられないかと思いますが、見かけたら、わたしの事を思い出してください(やだよw)

 

「石原家」のご家族を並べることで、ご家族に顕著に継承されているテイストがあり、遺伝っておもしろいな~という事が分かります。良純さんの枠が若干大きいのは、

 

私が良純さん好きだからです!(爆)


ヨシズミさん好きをつい最近、うっかり発見してしまった詳細はこちら(直ジャンプで滝川クリステルさんの話の中です)

 

 

◆新婚後の若い頃夫・石原慎太郎が妻・石原典子と息子たち(石原伸晃・石原良純・石原宏高・石原延啓)に課した「石原家の3つの家訓」が結構ひどい画像

 

結婚後の石原慎太郎さんはとても厳しい男性だったようで、新しい時代の到来を指揮したにもかかわらず、「ザ・亭主関白」な古き家長制度を重んじる男性でもありました。

 


画像:fujitv-view.jp

 

結婚から2年後には長男で政治家となった石原伸晃さんが誕生し、一家は最初の5年間、3人家族として家庭の基本構造を築いたようです。

 

 

次男・石原良純さんは長男・石原伸晃さんが生まれて5年後に誕生した息子であり、以後2年おきに3男・石原宏高さん、4男・石原延啓さんが誕生しています。長男の石原伸晃さんと4男の石原延啓さんの年齢差は9歳ということになります。

 

 

兄弟の中でも石原慎太郎さんの因子から遠い、異質の経歴を進んだ石原良純さんはのちにバラエティ番組で「石原家の3つの家訓」を公開しています。それは以下のようなものでした。

 

①朝は絶対に物音を立てるな

②朝食は3種類、用意せよ!

③子供と夕食を食べない!

 

なんてワンマンなんだw

 


画像:http://vivaishiharashintaro.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/index.html

 

父親・石原慎太郎さんにとって深夜は創作意欲のわく時間帯であったようで、遅くまで執筆活動をすることから、朝の起床時間は昼前後となることが多く、父親の神聖な睡眠を妨げることが無いよう、家族全員で生活音に気を配って暮らしていたそうです。

 

 

子供には父親の言うことは順守させ、自分は子供とは遊ばずにテニスに行く・・・。

 

 

やっぱりどこを切り取ってもワンマンw

 

また、妻の石原典子さんは夫の為に朝食は「ごはん」「パン」「うどん」を常に嫌な顔一つせず準備し、石原慎太郎さんはその日の気分で選んでいたそうです。

 

 

慎太郎ファーストを貫いていたとされる妻・石原典子さんも、さすがにあまりに子供と関わらない育児丸投げの父親としての姿勢たまに帰ってきて子供たちを叱るだけという状況には子供たちの気持ちが分かるだけに、母親として少しだけ不満はあったようでした。

 

 

しかし、「怖いお父さん」で居てくれたために子供たちがお父さんがいることで引き締まることによって、自分が怒鳴らなくて済むことについては妻として助かっていると言っていました。

 

 

ほんとに人格者。

 

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◆若い頃の父親・石原慎太郎の『スパルタ教育』が次男・石原良純の本『石原家の人びと』で暴露

 

1969年(昭和44年)石原慎太郎さんは『スパルタ論』という70万部のベストセラーを出版しています。

 


画像:amazon

 

吉田豪さんは対談で石原慎太郎さんの『スパルタ教育』の内容について語っています。

 

だいたいまあ、社会的に見たら間違っているとされているようなことばっかりを書いてる本。石原さん、30代半ばで出した本なんですけど。
まあ、目次もすごいんですよ。ざっと挙げるだけでも、

『いじめっ子に育てよ』『犯罪は許せないが仕方のないことを教えよ』『暴力の尊厳を教えよ』『子供に酒を禁じるな』『子供の不良性の芽を摘むな』『子供の嘘を咎めるな』『友達が1人もいないことを褒めてやれ』『ものを壊すことを押さえるな』『親はいちばん軽蔑する人間の話をしろ』『先生を敬わせるな』『子供に戦争は悪いものだと教えるな』っていう感じで。まあ都知事らしいというね。

引用元:https://miyearnzzlabo.com/archives/18997

 

ちょっと私は「男の子」を育てたことが無いので分からないのですが、石原慎太郎さんのように育った男性に娘を嫁にやるのは大変そうだなと感じてしまいます(笑)。

 

老害ではなくて、
昔から害っぽい(笑)

 


画像:Amazon

 

2001年には「石原家」次男の石原良純さんが『石原家の人びと』という著作を出版し、若き日の父親・石原慎太郎の強父話を暴露しています。その中で印象的な言葉はもスゴイ。

 

父はいつも怒鳴っていた。
「お前ら、くだらん質問をするな」「いい話をするから、よく聞け」「飲め、さもなくばテーブルを去れ」。母は男ばかり四人の子供と、誰より手の懸かる夫の世話に追われる日々…。
引用元:『石原家の人びと』

 

家族が一番の被害者にみえてくるw

 

子供目線でも父親・石原慎太郎さんの身勝手さと母親の大変そうな毎日に心を痛めている様子が伝わってきます。

 

 

◆父親・石原慎太郎と母親・石原典子の育児。夫妻の息子たちは全員慶応大学出身卒業!子供時代からカラーを指定!個性を伸ばし、それぞれの進路、道へ 画像

 

いつもいつもテレビや気まぐれに子供たちまでを怒っていた父・石原慎太郎さんは子供とは遊ばず、育児は妻に丸投げということで、当時のテレビ番組内では見事に息子たちから日ごろの制裁を受けている石原慎太郎さんでした(笑)。

 

 

幼少期の息子さんたちのVTRを見ても、子供たちはお父さんが怖いからどことなく遠慮がちでしたが、明らかに「お父さんは怖いから遊んでくれなくていいし、帰ってこなくてもいいし、勝手だし、居なくてもいい。」という印象でした(爆)

いつも家に居ないことに対して「もっと会いたい?」と聞かれた当時8歳の石原良純さんは・・・

 

 

「会いたいっていう感じじゃないんだよなあ…。」という子供ながらの素直な表情と「会いたくないなんて言ったら叱られるかもしれないしなあ」という葛藤を顕著に映像として残していました(笑)

 

かわいいw

 

面白い話としては、兄弟はそれぞれ「指定色」をいつの間にか割り振られており、クローゼットの中にはそれぞれの指定色の洋服ばかりだったそうです。最終段階には幼少期から「マイカラー」として刷り込みされた影響で、旅行先でも自分の指定色を無意識に買う習性が兄弟みんなあったそうです。

 

各人のマイカラーはこちら!

 

 

①長男:石原伸晃水色
②次男:石原良純赤色
③三男:石原宏高黄色
④四男:石原延啓白色

 

家事の合理性もあったかもしれませんが、「みんな別々の個性でよい、一緒じゃなくてよい」というひとりひとりの尊厳や個性をお互いに大事にするための教育も兼ねていたのかもしrません。

 

青色だせー!

 

なんて言おうものなら、マイカラーですから直ちに取っ組み合いの兄弟げんかになるでしょうし、そこでそれぞれの軸となる大事にするものを周りも尊重して、自分の大切なもののように大事にしてあげなければならないんだ、ということを子供たちは幼いながらに学んでいったのかもしれません。

 

小さい子供たちを豊かで立派に、そしてとても個性と才能あふれる人間へと導いた功労者は母親である石原典子さんだったと言えそうです。

 

 

そして
湘南ボーイに続き、
全員・慶応ボーイ!

 

長男・石原伸晃さんは父と同じ政治家の道へ
次男の石原伸晃さんは気象予報士マルチタレント
三男の石原延啓さんは芸術家への道を進んでいきました。

 

 

ほんとうにアッパレとしか言いようがありません。

 

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◆夫・石原慎太郎ファーストを完璧に遂行してきた妻・石原典子が30歳の時に旦那へお願いしたたった一度の「わがまま」慶応義塾大学進学 画像

 

こんなワンマンで勝手で、帰ってこない上に子供とも遊ばない旦那・石原慎太郎さんに対して、妻の石原典子さんという人はそれでも断固として石原慎太郎さんをいつも最優先で第一に考えていたそうです。

 

 

慎太郎ファースト!

 

それが、次男の石原良純さんに言わせると、子供ながらに「(母親は)本当に変わっている」と思っていたそうです。一番手がかかる父親の世話を大変そうだと感じていたからこそ、母親想いの優しい息子さんに育ったのかもしれません。

 

石原良純さんは母親の石原典子さんの事が大好きで、年に2度だけ一緒に母と二人きりで高島屋へ出掛けることがあり、母を独占出来て至福の気持ちだったようなのですが、それでも母親の石原典子さんは子供たちよりもいつも夫・石原慎太郎が一番!という姿勢だったそうです。

 

 

母に片想いw

 

結婚して以来、石原典子さんが未だ守り続けているという「石原家の家訓」、朝から3種の朝食を60年以上、夫・石原慎太郎の為に準備し続けてきているそうです。全くあの「家訓」について異論すら唱えなかったようです。

③の「子供と一緒に食事をしない」はおんな子供が食事を終えた後に、ゆったりと静かに自分ひとりだけでお酒を飲みながら食事をしたいからと設けた食事の二部制だそうですw

 

現代だったらすぐ離婚されそうw

 

■妻必読!?「男性が浮気をする時磯野貴理子さん「子供が欲しい」離婚の衝撃はこちら

磯野貴理子2度目旦那・高橋東吾との結婚離婚理由・夫婦は愛の学び舎
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◆妻・石原典子が30歳の若い頃に夫・石原慎太郎に唯一「お願い」した慶應義塾大学進学 画像

 

けれども、これまでにたった一度だけ、妻の石原典子さんが夫・石原慎太郎さんに「わがまま」を言ったことがあったそうで、4人の男児の子供を出産し、少し落ち着いた30歳の時に「慶応大学」を受験したのだそうです。

 

17歳で結婚した石原典子さんにとって、そこからは「石原家の3つの家訓」を順守し、子供たちを出産育児する生活を繰り返してきており、自分の知らない大学生活大学進学というのは長い間自分にとって憧れだったのでしょう。

 

 

母親である石原典子さんは、自分の子供たちはみんな4人とも慶應義塾大学へ進学させてきました。

 

息子たちを進学させておきながら、密かに自分自身も大学へいつか行ってみたいと心に秘めていたと思うと、灰かぶり姫と姉妹に言われながらお城のダンスパーティを夢見たシンデレラのストーリーのようでもあります。とても胸が熱くなる想いです。

 

 

良純さんは「勉強したかったんじゃないかな。うちの母親は偉いんだよね」と語った。

引用元:FNN PRIME

 

そうして、石原典子さんは慶応義塾大学法学部政治学科に入学し、無事ご卒業されています。ずっと夢に描いた4年間はどんな気持ちで過ごされたのかなと興味深いです。こう考えると、大人になってからいく大学という世界も豊かな時間になるだろうなあと感じます。

 

 

◆石原慎太郎の妻・石原典子は慶応大学卒業後に初めての著書『妻がシルクロードを夢見るとき』を出版画像

 

卒業後の1979年、石原典子さんは著書『妻がシルクロードを夢みるとき』を執筆されています。

 

 

作家・石原慎太郎を夫に持つ石原典子さんが石原慎太郎さんの聖域である活字の世界で活躍するというのはとても意外な印象がします。もしかするとこの本の執筆は夫である石原慎太郎さんの勧めだったのかもしれません。

 

◆国会議員として政界へ進出した夫・石原慎太郎を弟の石原裕次郎と共に妻として支えてきた石原典子 画像

 

話が前後しますが、1968年(昭和43年)に石原慎太郎さんはは第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬します。石原慎太郎さんは史上最高の301万票を集めて初当選し、以後、国会議員として国政を舞台に活躍するステージとなります。

 

国会議員デビュー

 


画像:https://withnews.jp/

 

1975年には衆議院議員を辞職し、一旦、東京都知事選に自民党推薦で出馬しています。この際には弟である石原裕次郎さんも妻・石原典子さんも応援に駆け付ける姿が写真に残っています。その甲斐あって、233万票を得票しますが落選しています。

 


画像:産経フォト

 

そして、1976年12月には衆議院選で国政に復帰

時は流れて議員在職25年となった1995年(平成7年)にはその表彰を受けての衆議院本会議場での演説中に、辞職を匂わす激しい発言をし、その後、衆議院議員を辞職しています。

 

「日本の政治は駄目だ。失望した」
引用:Wikipedia

 

実は翌年にあたる1996年、石原慎太郎さんに愛人報道、そしてその愛人との間に隠し子の存在があったことが週刊誌の報道で明らかとなっているため、その種の騒動が先に内々にあったのかもしれません。また、この年にはミリオンセラーとなった『弟』という著作が発表されているのも興味深いところです。

 

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◆政治家として活躍の場を移し、石原慎太郎は東京都知事選挙再挑戦へ その後の愛人問題・隠し子問題を認める!その時妻・石原典子は? 画像

 

国会議員の辞職から4年後にあたる1999年には石原慎太郎さんは東京都知事選へ1975年以来再挑戦の出馬をし、当選を果たします。

 

しかし…。

 

1997年の段階で最初に雑誌『フライデー』で報道された石原慎太郎さんの「愛人・隠し子騒動」について、1999年4月に都知事選の当選後に隠し子の事実を認めています。

 

これは子供といなかった時間
全部怪しくなってくる・・・

 

 

石原慎太郎さんは愛人とされた女性は1981年石原慎太郎 年齢49歳当時)に出会い、愛人女性24歳の時に妊娠。石原慎太郎さんはその時51歳ということでした。ということは隠し子とされる男児1983年か1984年生まれということになります。

 

さらに、2012年の段階にはその詳細が『週刊新潮』によって再度スクープされます。

 


画像:https://nobiciro.com/person/8531/

 

いやな予感w

 

事実です。20年前のことで、私にとって若気の至りというか、私の不徳というか、そのことについては男として十分の責任を取ったと思います。
引用元:https://nobiciro.com/person/8531/

 

「男として十分の責任を取った」と堂々と表明する背景としては月額20万円(と言われている)の金額を隠し子が成人するまで払ったということだそうです。しかし、それまで一度も子供と会うことはなく、ようやく週刊誌で騒ぎ立てられて、隠し子が30歳を超えてから一度会う機会を設けたと言われています。

 


画像:http://looksroom.blog.jp/archives/30015983.html

 

妻の石原典子さんはというと…。この件が発覚した後にストレスから顔面神経麻痺まで起こしてしまったそうです。自分が17歳の時に嫁ぎ、それ以来、毎日誰よりも一番に考えて役目を徹底し果たしてきた妻・石原典子さんにとってはとても大きなショックだったことでしょう。

 

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◆夫・石原慎太郎と石原典子の夫婦の結婚の馴れ初めが阿川佐和子との対談で明らかに 画像

 

そして石原慎太郎さんもさすがに奥様に対しては以後、改心して優しくなったのかと思いきや・・・。阿川佐和子さんとの対談の際にこんな話をします。

 


画像:https://aucview.aucfan.com/yahoo/u49379731/

 

妻となった石原典子さんあまりにも若い結婚をしていた石原慎太郎さんに対し、阿川佐和子さんが二人の結婚の馴れ初めを聞くと、こんな風に全く反省の見られないマイウェイ&エゴイストな石原慎太郎さんが相変わらず見られましたw

 

結婚について慎太郎阿川佐和子との対談で「まあね、面倒臭いからしちゃったんですよね。今でいうホテルから二人で出てくるのを親戚に見つかって、おっかないおばあさんにいいつけられちゃった (笑)
それで、呼びつけられて“切れるか結婚するか、どっちだ?”って言われて、しょうがないから”結婚します”って決心しちゃったのよ (笑) 」と述べている。

引用元:wikipedia

 

私の父もこの辺りが完全に一致して同じタイプなのですが、もう令和時代では絶滅への道をたどっている種族である気がします。『太陽族』を大量発生させるほどの影響力を持ち、新しい時代へ国を引っ張ってきた人物としては何となく残念な姿でもあります。

 

後に阿川佐和子さんは『強父論』という本を出版し、石原慎太郎さんの次男・石原良純さんと共に、お互いの強父たちの過去や人格を酷評し(笑)、共感をし合っています。

 

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もはや戦後ではない。
という言葉もどこか遠くなってしまいました。

 

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◆石原慎太郎の嫁・石原典子は父親の想いと母の歌を2010年著作『妻がシルクロードを夢みるとき』として残し出版していた! 画像

 

一方の石原慎太郎さんの妻である石原典子さんは1979年以来の著作『君よわが妻よ:父 石田光治少尉の手紙』2010年に発表しています。

 


画像:Amazon

 

序盤でお話した、石原典子さんの父親で、石原典子さんが誕生する前に戦争へ召集され、ただの一度も娘である石原典子さんと会うこともなく中支の攻略戦で亡くなってしまった石田光治さん、そして自身の母である石田まさ子さんとの間で交わされた特別な手紙を記した内容です。

 

戦地から愛する妻へ送り続けた書簡。

 

目には見えないし、形もない、重量もない、一般的には「ある」と証明しようがないものが、今ここに「確実にある」という感覚を、

 

今の時代の「泥沼」「混沌」「虚無」「不信」そして「枯渇」の世界の中で、それでも必死に生きている日本の人達に感じてもらうため、届けるために書かれている印象がしました。

そうした尊いものを自分の力で感じとって、自身をを満たし、大事にしていける感性をもう一度手に、と言うような印象でした。

 


画像:産経フォト

 

石原典子さんの母親、石田まさ子さんは夫が亡くなったことを歌にして残しています。

 

能登川の流れに沿ひしあの家に
移りて間もなく夫(つま)は召されぬ

石田まさ子詠 『アラアラギ』昭和17年10月号

 

そしてそれでもなお、石原典子さんの父・石田光治さんが母親・石田まさ子さんへ書き綴った言葉は閃光のように強いエネルギーを放ち続けます。

 

一日でも貴女の幸多からん日を送られんことを希わない日はありません。
遠く離れて初めて知る貴女への思慕の情。

引用元:『君よわが妻よ:父 石田光治少尉の手紙』

 

この本はもしかすると、妻・石原典子さんの、夫・石原慎太郎さんへ届けておきたい感度でもあったのかもしれません。

 

私たちにはいずれ、
戦争がなくとも肉体として別れる日が訪れる。

けれどもそれは、「ある」のであれば、
私たちの間の光はこれからも瞬き続ける

 

 

石原慎太郎さんの「戦後ではない」がもはや遠くも古く感じる一方で、石原典子さんの残した著書は戦時中の話とは思えないほど、どこかとても現代に刺さってくる、豊かな女性の残した作品となっていました。

 

また、石原典子さんが大切に育てた息子たちは、女性たちからもとても評価が高く、「レディーとして大切に接してくれるジェントルマン」と言われる、この時代に合った素敵な男性に育ったようです。

 

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