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【写真画像】昔の若い時~40代の加賀まりこの目がかわいい♡若い頃のメイクとファッション出演映画

●キューティー/かわいい 属

 

年齢を重ねるごとにその時代その時代の魅力を放ってきた女優加賀まりこさん。今でも女優としてキラキラ輝く彼女ですが、今よりずっと若い時代の尖った’60Sキューティーとしてのスタイルは特に見逃せません。

今回は第1弾としてそんな加賀まりこさんの若い頃のファッション、メイク、ヘアスタイルなどに絞って出演した映画と共に紹介していきたいと思います。

【写真画像】若い頃のキューティー小悪魔炸裂♡昔の加賀まりこが可愛すぎる件

 

デビュー以来、奔放な言動でマスコミを賑わせ、若い頃は「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」という愛称もあった加賀まりこさん。ともかく、見ているだけでため息が出るような可愛さ!昔の芸能界って、どうも「和製〇○」と言いたがる傾向があるよな、と思うのですが、最初に声を大きくして言っておきたいと思います(笑)

 

加賀まりこは加賀まりこだっ!

 

 

加賀まりこさんは1943年生まれの日本を代表する女優で、若い頃は女性が憧れるファッションリーダーだったそうです。

 

お人形のようなかわいらしい顔とは反対にはっきりした物言いで、「意思のある目」をしているのが印象的ですね。かわいらしいだけでなく、ちょっぴりスパイシーなものが混在しているところが魅力だなあと私は思っています。(女性目線)

 

ブリジット・バルドー

ブリジット・バルドー

 

と言いつつ、一応見ておきましょうかね、ブリジット・バルドーさん。彼女は1934年生まれのフランスの女優兼ファッションモデルです。彼女の方は「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表する象徴的なファッションリーダーだったようですね。

 

管理人kira2
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確かに似てるというのも分かるかも(笑)

 

 

彼女も「意思のある目」をしていますね。ファッションモデルということだけあって、化粧やファッション、髪型等もとってもこだわりを感じますし、当時の’60sファッションをヨーロッパから発信していた人ですから、色々と加賀さんも彼女のファッションを参考にされたこともあったのかもしれません。

 

↑↑↑

「意思のある目」はこちら(笑)

 

 

でも、加賀さんはとってもユニークでチャーミングな女性なんです。

 

 

この頃はまだ何だかあどけない少女のような表情ですね。

 

 

徐々に女優としてのプロ意識が芽生えてきます。

 

 

こんな少し憂鬱そうな顔すら可愛いのはなぜなんでしょうか!?

 

 

もう、見てるだけで満足度が高いので、いくらでも見ていられますが、そろそろ加賀まりこさんの可愛さにもっと迫っていきたいと思います(笑)

 

 

管理人kira2
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色々マネしたいですなあ(溜)

 

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女優ビューのきっかけは寺山修司だった!?

 

寺山修司氏と篠田正浩氏

寺山修司氏と篠田正浩氏

 

加賀まりこさんがテレビ番組で、自身のデビューのきっかけとなったお話をされていました。どうやら偶然のスカウトからのようですが、元々お父さんが映画会社大映のプロデューサー加賀四郎氏で芸能一家のようですし、加賀さんのような歩いているだけで華やかな女性であれば、偶然でなくともいずれデビューしていたのかな?と思います。

 

 

祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉氏。他にも従姉や親せきに著名人が多い家系に生まれ育ちました。お父さんの仕事の関係で、学校から帰宅すると美空ひばりさんがいたりなど、有名人が出入りするのはごく日常だったそうです。

 

加賀まりこさんが若い頃から奔放な行動したり発言が出来たのは育った家庭環境が大きく影響していたようですね。

 

 父が映画プロデューサーだった加賀。高校2年の夏休みに、町で脚本家の寺山修司氏と映画監督の篠田正浩氏から声をかけられたという。「お汁粉屋に入ってとつとつとお話されて」。2人からは製作する映画のヒロインが決まったが、横やりが入って中止になる窮地に立たされているという話を聞かされた。寺山が青森弁で「とっても困ってんのね」と打ち明けられ、出演を要請されたという。

 寺山氏は、加賀が映画プロデューサの娘だったことはまったく知らずに声をかけたという加賀はこの時、「いきさつを聞いて、かわいそうっていうか助けてやろう」と決意したという。自宅で父に相談すると「あなたで助けてあげることがあったら、やってあげなさい」と後押しされ、17歳での女優デビューが決まったのだと話していた。

 

て、て、寺山修司!?

 

 

当時17歳の通学姿の加賀さんを見初めた寺山修司氏と映画監督の篠田正浩氏に声をかけられたということですが、なかなか街を歩いていて、そんな文化人には会わないような気もするんですが…。

 

「言葉の錬金術師」と呼ばれる劇作家寺山修司にかかれば、女子高生ひとり口説き落とすのなんて簡単なようにも思えますが、相手はただの女子高生じゃなく、「加賀まりこ」でしたからね(笑)それなりに苦戦されたことが想像できます(笑)とりあえず、甘いもん食わせとけ、と。そんな感じでしょうか?

 

加賀まりこさんの人生は

なぜか文化人に囲まれていくことになります。

 

管理人kira2
管理人kira2

お汁粉屋で協議ってのが、そもそも文化的ですね(笑)

加賀さんは既に小学校の頃から天性の小悪魔っぷりに覚醒しており、姉が在学していた明治大学に潜入しては、当時の男子学生にあんみつをおごらせる(笑)など、存分に能力を発揮していたようです。

 

 

絶対法則

女の子には甘いもの食わせろ(笑)

 

一方では、感受性の高さからなのか文学に親しみ、中学生時代には、学校の制服のまま六本木の高級イタリアンレストランに通って、そこのお店の女性オーナーの自立した生き方にとても憧れを抱いていたといいます。

文化人に囲まれていったことについては、元々加賀さんが芸能一家にあったということもありますが、加賀さんの女優スタートが寺山修二さんとの出会いで始まった事も大きいのかもしれません。ちなみに当時の寺山修司さんはというと、こんな感じです。

 

1954年に文壇デビューを果たし、山田太一と早稲田大学で同級。中城ふみ子の影響で短歌に没頭。石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之らと「若い日本の会」を結成。大沢渚と出会いった時期。

学研の「高三コース」にて高校生の詩の選者を務めて多くの若い才能を掘り起こしたり、新書館の少女向け詩集レーベル「フォアレディース」を編んだりするなど、「青少年のカリスマ」としての位置づけを強めていく。1963年に『現代の青春論』(『家出のすすめ』)を刊行。横尾忠則、東由多加、九條映子らと劇団「天井桟敷」を結成。『毛皮のマリー』で美輪明宏が出演している。

 

寺山修司は「青少年のカリスマ」で

すでに周りも文化人だらけ!(驚)

 

 

多感なティーンズ時代にこういった「多感な大人たち」に囲まれて生きたことで、加賀まりこさんの女優としての感性も、イチ女性としての感性も大きな影響を受けたことは間違いないだろうと思われます。

 

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若い頃の’60sキューティ再来!かわいいファッションメイクとカラー

 

ともかく、どう考えても可愛いわけですが(笑)、特に’60sのキューティー系ファッションは今後も時代を超えて繰り返し流行するのかな?と思います。1995年前後からも一旦ぶり返してレトロなファッションがはやっていましたが、何となくまたきっとちょっとアレンジが加わりつつ、流行るんだろうなあ、という感じですね。

 

ともかく1960年に加賀まりこさんは17歳でデビューというわけですから、まさにブーム絶世期に新星のごとく現れ、顔立ちの艶やかさやセンスの良さからすぐに女性たちのファッションリーダーになったのでしょう。

 

 

◆’60sファッション考察

 

当時、キューティ世代のカリスマはイギリスの女優でモデルのツイッギーでした。1949年生まれということなので、加賀さんよりは少しお姉さん的存在ですね。

 

 

年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルでミニ(スカート)の女王」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの過熱ぶりであった。

 

ちなみに、私の祖父が彼女の大ファンだったということでした(笑)

 

 

カラフルで個性的なデザイン、自由度が高いファッションが流行しました。

 

 

当時、国内ではビートルズも流行っており、ジャケットを見ると1967年のオリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』「マジカル・ミステリー・ツアー」の頃のジャケットはとてもサイケデリックです。

 

「マジカル・ミステリー・ツアー」

「マジカル・ミステリー・ツアー」

 

こうしてみると(生きていなかったので分からないですが)’60sのカルチャーはファッションだけでなく、すべてが魂の開放に向かった、素敵な時代に見えますね、

 

管理人kira2
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この時代を生きたかったなあ~

 

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加賀さんも、この時代の影響をたくさん受けたファッションを当時されていますね。

 

 

単にお洋服だけでなく、ヘアスタイルやメイクもこの時代の影響を感じます。

 

 

カラフルな服と目元のアイメイクがポイントのようですね。

 

◆日本の’60sのファッションリーダーに

 

加賀さんの時代のお写真はあまりカラーが多くないのでとても残念なところなのですが、おそらくとてもカラフルで華やかな色彩だったのかな?と思います。

 

 

デビュー当時の加賀さんですね。流行に関して元々敏感な女性だったので、時代によってファッションも色々と変わっていったようですね。

 

 

「小悪魔」の元祖というべき加賀さんの若い頃ですが、今このままいてもモテモテでしょうね。

 

ブリジット・バルドー

ブリジット・バルドー

 

確かにブリジット・バルドーと尖り方の方向性が一致しています(笑)

 

 

当時の女性ファッション誌も加賀まりこさんを積極的に採用していたようです。

 

 

クールな印象の服も素敵に着こなします。

 

 

60sならではの黒電話話し中のポーズもしっかりやってます(笑)

 

 

可愛いのにクールなイメージも。

 

 

女スパイ風に見えるのは私だけでしょうか(笑)?そもそも、女スパイというポジションが似合いますね(笑)

 

 

でもやっぱりキュートなのも全然似合ってしまうのです。

 

◆髪型ヘアメイクも色々アレンジ

 

60’sのヘアスタイルの特徴として、前髪を厚く残し、トップにボリュームを持たせたものがとても多いのですが、その他にも色々挑戦している加賀まりこさんです。

 

 

加賀さんが子どもの頃は映画で見た、オードリー・ヘプバーンの髪型にする為に、1人で美容院に行くような多感で早熟な少女時代だったとか。

 

 

ここに向かってたのか(笑)!

 

 

ちょっとそもそも、背負ってる空気が違うかな?(笑)

 

 

それ以外にもいろいろなヘアスタイルに挑戦していきます。きっとその「変化」の刺激が好きなんだろうな~と思いますね。保守的な女性じゃありませんのでね(笑)

↓↓↓

こんな感じこんな感じ

 

 

 

 

一時ドーリーな感じのファッションも好きになったようです。

 

 

くるくるのパーマがお嬢様チックでかわいいですね。本人もお気に入りのよう。

↓↓↓

こんなのも実際に流行ってました。

 

 

ボヘミアンっぽいテイストだけはどうも加賀さんはいまいちなんですよね。

 

 

疲れた人みたいになってしまう

 

 

やっぱりアップが可愛いわね♡ってことで。

 

 

白黒なのに不思議ととっても艶やかです。

 

◆眉毛の位置・太さの歴史考察

 

’60sファッションって、メイクが結構重要で、その中でも眉毛のデザインでだいぶ印象が変わってきます。こちらはまだ「使用前」って感じであどけない顔を残す加賀さんです。

 

 

管理人kira2
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これも十分かわいいけどね~

 

で、だぶん’70に入ると流行の最先端なんで、エスカレートしちゃいますw

 

 

ちょっと行きすぎちゃったかな(笑)

 

 

このくらいになると、もう宇野亜喜良さんのイラストみたいになってきます。

 

 

ち、ちかい(笑)

 

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◆目のアイメイク関連考察

 

何しろ加賀さんの一番のチャームポイントは何回も出していますが「意思のある目」ってことで、そこには背景に本人の気質だとか思想も関与するのだと思うのですが、一応メイクアップの目線からも見ていきたいと思います。

 

 

原点はココ。「意思のある目」ですね。

 

 

元々目のパーツが大きいので、きっと化粧をしなくてもそれなりに華やかだとは思うのですが、当時はこうしたバッチリのアイラインを引いて、つけまつげをつけるのがセオリーだったようです。この写真だとしたのまつげもつけてるみたいに見えますね。

余談ですが、私の母はアイラインのことを「めばり」と言ってました。

 

 

管理人kira2
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「めばりなんかいれるんじゃない!」ってよく叱られましたね(笑)

 

 

横から見ると、アイラインはちょっとだけ上に跳ねています。跳ねることで、ネコみたいな目になるのが「意思」感を助長してるのかもしれませんね。基本的には目に重心を置くのが60’sっぽいです。

 

 

したまつげはつけないほうが加賀さんは可愛いですね。

 

 

このくらいバサバサする本数になるとやはりつけまつげ必須で、マスカラでは難しいですね。マスカラは塗りすぎるとだまができたり、毛同士が固まってサラサラにするのはかなり困難です。

 

管理人kira2
管理人kira2

私の娘は小さい頃、私のまつげを見て、

「ママ。まつげカブトムシの手みたいになってるよ。」

と言ってました(笑)言葉にセンスがありますね。

 

 

それにはきっと文化人加賀さんも喜んでくれるでしょう(笑)

か、か、カブトムシの手!?

 

若い頃の出演映画と女優に目覚めたきっかけ

 

加賀さんは若い頃に歯に衣着せぬ物言いのため、いくつかのトラブルや間違った印象を女性雑誌などに植え付けられ、ちょっと芸能活動を休止した時期があります。20歳の時と言いますから、デビューから3年目のことですね。

 

 

20歳の時、次々に舞い込んでくる仕事と女性週刊誌がイメージだけで書く記事に嫌気がさし、人生をリセットする目的で半年先のスケジュールまでキャンセルして、単身パリに渡る

それまでに稼いだ金で豪遊のかたわら、イヴ・サン=ローラン、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンらと交友する。

 

この時に出会っている文化人の数々も凄い頃になっていますね。やはり、フランスは当時の加賀さんにとっても憧れの地だったのでしょうか?

 

半年が経ち、金が底をつき帰国を考えていた矢先に国際電話で演出家・浅利慶太から「舞台に出るかい?」と舞台出演の打診をされる。帰国後、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。

連日大入りの大盛況で日生劇場始まって以来の大成功となる。この舞台で初めて、女優としての喜びを知り、以降女優業に本腰を入れる。

 

 

劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演した際の加賀まりこさんがこちら。

 

 

『オンディーヌ』関連の記事でこんなお話が書かれていました。

 

 

どなたかは分かりませんが、一緒に共演された方の言葉のようです。途中から何言ってるのかよく分からないのと、基本的にツマラナイ文章なのですが、最後の一文

 

ことに貴方には必要がないのです。

 

だけ、響くものがあったので引用させてもらいました。

 

人は偶然に身を委ね、偶然に守られながら己の一生を演じていきます。生きるとは演じることではないでしょうか?(中略)初演の『オンディーヌ』の貴女を見て先ず一番感動したのは、加賀まりこという一人の演じられた役が、けなげにオンディーヌを演じていたことでした。

 

貴女は「まりこ」と呼ばれる女優をうまく演じています。「まりこ」という嘘で酔わせてくれます。時々、僕はこう思うのです。貴女は自分に接する人間達が何を求めているのか鋭くかぎ分ける優れた嗅覚を持っているのではないだろうかと。不愛想で不機嫌な口ぶりさえ、相手が求めていると知れば、即座に演じ切る愛想笑いが人と僕とをつなぐ絆だと思い込みがちな僕には見事というほかはありません。(中略)

 

女優は宝石で安ければなりません。それも純度の高いダイヤモンドでなくては。あなたは等に気づいているでしょうが、真珠やざくろ石やサファイアでは困るのです。真珠の奥ゆかしさ、ざくろ石の素朴、サファイアの気取り等女優には必要ないのです。ことに貴女には必要がないのです。

 

ワガママで不機嫌で勝手な小娘だけど、でも憎めない。そんなところがよく伝わってきました。男性と女性っていうのは、本当に考えていることが全く違うんだな、と感じる文章でもあります(笑)。そうした勝手さ、ワガママさが、加賀まりこさんが年上男性に愛された理由なのかなとも思います。

演じてなんかいない、そのままをそのままぶつけるから信用され、愛されたんだと思いますがね。

 

 

◆加賀まりこを輝かせた日活映画『月曜日のユカ』

 

日活が配給した、フランス映画みたいな邦画。1964年制作の横浜が舞台となった映画です。ファッションも楽しめるし、女心の繊細な揺れも丁寧に演じられているとてもいい映画です。

 

 

横浜の外国人客が多い上流ナイトクラブ“サンフランシスコ”では、今日もユカと呼ばれる十八歳の女の子が人気を集めていた。さまざまな伝説を身のまわりに撒きちらす女、平気で男と寝るがキスだけはさせない

 

 

個人的にはきれいな女優さんが簡単にセクシーなシーンを強要されたような映画は可愛そうになってしまって基本好きじゃないのですが、この映画はそういう感じの映画ではないなと感じました。

 

「やっぱりわたしは悪い女でしょうか?」

 

 

何となく若い加賀さんの心の叫びにも似た感情が見えて、ドライで刹那的という相反する感情がひとりの女性の中で混在するあたりが、面白い映画でした。

 

 

ちなみに恋人役は若き日の中尾彬さん(笑)

 

 

「ティファニーで朝食を」も自由気ままに自分さえ楽しければよしとする美しい娼婦のホリー・ゴライトリーと彼女を取り巻く男たちを描いた小説・映画でしたね。

 

18歳のユカは初老のパトロンと同年代の恋人を持つ。そして、パトロンとのアイセイはいつも月曜日だった。

 

オードリーヘップバーンが好きだった加賀さんとしては、それをイメージしたかもしれませんね。

 

 

メイクはトリックアート!

顔だけならきっと

加賀まりこになれる(笑)!

 

ってことで、

次回は第2弾として加賀さんのキラキラした恋愛に迫っていきたいと思います♪

 

【写真画像】現在加賀まりこは何歳?趣味は?夫は?若い頃からの彼氏・結婚歴・子供の父親は?今の旦那さんは監督?
年齢を重ねるごとにその時代その時代の魅力を放ってきた女優加賀まりこさん。今でも女優としてキラキラ輝く彼女ですが、いつまでもキラキラ輝きを放ってきた理由に彼女をいつも輝かせてきた感受性、そこを刺激する恋愛がありました。 今回は第2弾とし...

 

管理人kira2
管理人kira2

是非見てね♡

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