職業作曲家・菅野よう子とは?神業経歴。曲は「作品」ではなく「道具」


今回は天才カリスマ作曲家として名高い、女性作曲家の菅野よう子さんとは?についてのレポート。数えきれないほどのCM曲、アニメ・ドラマ・映画のOPテーマ等を提供している彼女の鮮やかな楽曲の数々は彼女のビビットで豊かな生き方を象徴しています。彼女の生き方からも、キラキラのカケラをいただきましょう!

 

今回は菅野よう子さんの経歴をざっくり追いつつ、そこに共通して見えてきた菅野よう子さんの曲に対する職業作曲家という考え方について追ってみました。

 

 

「スポンサーリンク」
  1. ◆まずは天才作曲家 菅野よう子(菅野洋子)とは?プロフィール経歴から見てみる
    1. ◆天才作曲家・菅野よう子とは?基本プロフィール!
    2. ◆天才作曲家・菅野よう子の幼少期は「音楽」が「致し方ない言語」だった
    3. ◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その① 音楽家・芥川也寸志「相手が欲しいものがわかる」との葛藤
    4. ◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その② カトリック系幼稚園の讃美歌「プリミティブな感覚」
    5. ◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その③ 文学
  2. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴① 1985年 ゲーム音楽着手し、ゲーム音楽の常識を覆してしまう
    1. ◆菅野よう子の経歴珍伝説① ゲームソフト会社KOEIを大企業に成長させたのは菅野よう子!?
    2. ◆菅野よう子の経歴珍伝説② 実質2音でゲーム音楽作成していた(笑)!?
    3. ◆菅野よう子の経歴珍伝説③:希少個人名義アルバム「Song to Fly」はあくまで「ゲーム音楽のサントラ」
  3. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴② 1991年 広告音楽着手
    1. ◆菅野よう子の「CMソング」業界での活躍経歴~おすすめベストアルバム三部作発売『CMようこ』『CMようこ2』
  4. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴③ 1994年 アニメソング音楽着手名曲「Tank!」
    1. ◆菅野よう子のファンが認めるアニメソングの大人気曲「Tank!(タンク)」について
  5. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴④ 1995年 歌手曲提供、プロデュースに着手 今井美樹・小泉今日子・坂本真綾など
    1. ◆職業作曲家・菅野よう子は今井美樹と布袋寅泰の気持ちも輝かせちゃったぽい件
  6. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴⑤ 1996年 映画音楽に着手
    1. ◆2004年公開『下妻物語』菅野よう子が音楽担当し、大ヒット100館上映達成の華々しい経歴
    2. ◆2006年公開『ハチミツとクローバー』菅野よう子が音楽担当し観客をキュンとさせた経歴
    3. ◆2015年公開『海街diary』菅野よう子が音楽担当し日本アカデミー賞4冠達成よいう快挙の経歴
  7. ◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴⑥ 2011年 NHKの仕事が増加
    1. ◆2012年 職業作曲家・菅野よう子の日本中をひとつにした「花は咲く」の経歴
    2. ◆2013年 職業作曲家・菅野よう子がNHK朝ドラ『ごちそうさん』の曲を担当経歴
      1. ◆菅野よう子が出演者(杏&東出昌大)の気持ちを(また)盛り上げてしまった経歴
    3. ◆職業作曲家・菅野よう子NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』のOP曲「天虎(あまとら)」
      1. ◆職業作曲家・菅野よう子がつくったNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」政次ロス回復のためのCD発売経歴
  8. ◆職業作曲家・菅野よう子が映画芸術科学アカデミーの新会員に?経歴

◆まずは天才作曲家 菅野よう子(菅野洋子)とは?プロフィール経歴から見てみる

 

早速、天才作曲家と言われる菅野よう子さんのプロフィールやご活躍の経歴からざっと(笑)、ご紹介していきたいと思います。とってもチャーミングでかわいらしく、ユニークな人柄のようです。

 

 

作曲家 菅野よう子さん

作曲家 菅野よう子さん

 

 

そして、どうやら菅野よう子さんは小さい頃から音楽の才能に恵まれ、かなり若いころからご活躍されていたようです。

 

 

◆天才作曲家・菅野よう子とは?基本プロフィール!

 

菅野よう子さんのかんたんプロフィールがこちら。菅野よう子さんは1963年生まれなので、2019年には56歳

 

 

名前:菅野よう子(かんの ようこ)

◆本名:菅野洋子(かんの ようこ)

◆生年月日:1963年3月18日

◆出身地:宮城県仙台市

◆血液型:O型

◆最終学歴:早稲田大学中退

◆音楽制作会社GRAND FUNK、音楽レーベルFlyingDog

◆職業:作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサーほか

注)即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子とは同姓同名であるうえ宮城県出身、早稲田大学出身という経歴も似ているが別人である。

 

 

菅野よう子さんは50歳半ばにはとても見えないとてもチャーミングなお顔立ちをされています。いつも素敵な作品をつくるため外から色々な刺激を受けて、様々な分野の方と垣根を越えたパワーの交換をすることで、若々しい「魅力的な顔」をつくるのかもしれません。

 

 

管理人kira2
管理人kira2
 

何となくですが、NHK用とその他で感じが違います(笑)

 

 

シーンごとに菅野よう子さんはセルフプロデュースされているのかもしれませんね。(音楽を作るときはそれに合った過去の年齢の自分等を呼び出すのだそうですw

 

 

菅野さんキメてる♪

 

 

菅野よう子さんの経歴を見ていくと、様々な世界に活躍されて年々その幅を広げていっています。開こうと思って行ったというよりは何かを夢中になってやっているうちに縁のある話が人づてにやってくるようなそんなイメージです。

 

 

喜ばせる仕事が道を開いていく。

 

 

次に菅野よう子さんの現在のご活躍に至るまでの経歴を時系列に見ていきましょう。

 

 

◆天才作曲家・菅野よう子の幼少期は「音楽」が「致し方ない言語」だった

 

菅野よう子の祖父が音楽家だった!

 

 

菅野よう子さん

 

 

どうやら菅野よう子さんのおじいさんが音楽に才能があり、その方と菅野よう子さんはどこか魂的につながりが深かったようです。

 

 

1963年– 宮城県仙台市で生まれる。父は日本文学の研究家、母は元看護婦、兄弟は5歳上の兄がいる。

家庭内で方言が禁止されたため宮城出身だが菅野よう子になまりはない。

菅野家で音楽に関わりがあるのは菅野よう子を除くと祖父のみ。どこかの学校の校長まで勤めた祖父が、校歌を作っていたという。菅野よう子は祖父の霊が命日にスタジオのカーテンの裏に「いる」のを目撃したことがある。

 

 

おじいちゃんと魂のご近所さんてやつですね。

 

 

 

 

音楽という言語。

 

幼少期から音楽の分野で既にキラっとする才能を発揮されていたようですね。あとでインタビューでのお話をご紹介しますが、菅野よう子さんは特に幼少期には言葉で気持ちを伝えるよりも音楽で伝える方がしっくりくるし簡単だった、というようなエピソードがあります。

 

 

 

 

幼少期の菅野よう子にとって、音楽は言語であり道具だった。

 

 

■—曲作りはいつごろから?

菅野よう子 覚えている範囲では2歳半とか3歳のころにはつくっていました。

言葉で言えないことを音にしてたと思うんです。致し方ないコミュニケーション手段と言った方がいいのかも。

だから例えばコマーシャルでスポンサーさんが「商品をこう見せたいんだ」とか理論的なことをおっしゃる。その概念は分かるんですけど、言葉よりも音楽にしちゃう方が自分にとっては楽なんです。通訳みたいな感じがしますね。(『CMようこ』インタビュー Vol.1より)

 

 

菅野よう子さんについて語る上でのキーワードが出てきましたね。「致し方ないコミュニケーション手段」であり、「通訳みたいな感じ」菅野よう子さんにとっては、言葉よりももっと気持ちを表現できる道具が「音楽」だったんですね。この時から、菅野よう子さんにとって音楽は「作品」ではなく、「道具」

 

 

音だと誰とでも話せる

 

 

最大のコミュニケーションツールが音楽だったわけですね。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

それに、人とつながることって あったかくてしあわせ。

 

 

幼少期の菅野よう子さんが手に入れた「音楽という言葉」は母国語が違っても、思想や理屈が違っても、そんなのを超えて相手と心がつながる強力なツールでした。

 

 

◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その① 音楽家・芥川也寸志「相手が欲しいものがわかる」との葛藤

 

2歳半とか3歳のころには作曲らしきことをやっていたという菅野よう子さんですが、その後、4歳からピアノを習っていたとのこと。ピアノの先生とのエピソードについては現在にも通じるものを貰ったという意味でこんなお話も残されていました。

 

 

 

 

音色を先に「想像」させる習慣

 

 

菅野よう子が六歳(一説には四歳)でつくった「朝」という曲もピアノで鐘の音をあらわそうとしたものだった。

 

菅野よう子はこどものころのピアノの先生が「このフレーズは、どんな音で弾きたい?」音色を想像させるひとだったため、(その時は)頭のなかではピアノではない好きな音を鳴らしていた。

 

その為、今も頭の中で音色も含めてメロディーが浮かんできて、後はそれを書き留めるだけ。それでほぼ完成しているとのこと。

 

 

今につながる感覚をたった4歳や6歳の子供の菅野よう子さんが獲得していたことが分かります。また、同じ方なのかは不明ですが、菅野よう子さんに大きな影響を与えた先生に芥川也寸志さんという音楽家がいたようですね。

 

 

4歳の時発表会で、自作の「あさ」という曲を弾いたが、その時芥川也寸志さんが来ており、「CからFのコードに移る時、間に+5を入れてごらん」と言われて、音の世界が広がったことに衝撃を受けたことを、今でもハッキリ覚えている。

 

 

菅野よう子さんの作曲スタイルがほぼ4~6歳位で形になっていたことを表すエピソードになります。菅野よう子さんは絶対音感がある人なので小さいころからそうした音に関する(人から見ると)不思議な体験が多い幼少期だったのかもしれません。

 

 

ピアノと菅野よう子さん

ピアノと菅野よう子さん

 

 

そして、菅野よう子さんが大人になっても忘れられない芥川也寸志氏からの言葉があります。

 

 

1967年 – 近所のピアノ教室に通い始める。中学生クラスに入るが、コンクールの審査員として来ていた芥川也寸志氏(文豪・芥川龍之介の三男)から「もっと子供らしい曲を作りなさい」と言われる。

 

 

もっと子供らしい曲を作りなさい。

 

 

この言葉のどこに子供の菅野よう子さんにとって大人になるまで忘れられないほどの衝撃性があったのか?何を意味するのか?を長く私なりに考えていたのですが…

 

 

 

今のところの私の想像では「(子供なのに)相手のほしいものが何かわかり、それを(自分がつくりたいものよりも優先して)提供している」ことに対して芥川也寸志氏には見抜かれていたという気持ちだったのかな?と。

 

そして、大人になって菅野よう子さんはその特異性を自身の特徴として大事にしていくことになります。多くの作曲家が「芸術」だとか「アーティスト」として作品を残そうとする中、菅野よう子さんは自身について「職業作曲家」と自称します。

 

 

お茶目な菅野よう子さん

 

 

菅野よう子さんはいつ望まれるかもわからない、現時点で望まれているかすらわからない自己満足の作品を多く残すよりも、相手が欲しいものをとことん追求して提供するほうがいい、相手がいる仕事、喜ばれる方がいいから。そうしてプロの商業作曲家という分野で誇りを持っているのだと思います。

 

 

 

◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その② カトリック系幼稚園の讃美歌「プリミティブな感覚」

 

その後、菅野よう子さんはその名の通り、「コンクール荒らし」と呼ばれるほど天才少女ピアニストとして受賞を重ねていきます。相手が欲しいものが何か?分かっているような子だったというようなニュアンスのことを菅野よう子さんはのちにおっしゃっています。

 

 

菅野よう子 「コンクール荒らし」のように言われていたのは小学校2年生以降のことで、一番古い音楽の原体験を振り返ると、讃美歌との出会いがあったんですよ。

たまたま幼稚園がカトリック系だったので。しかも先生があまりオルガンを弾けなかったから、私が代わりに伴奏してあげていて(笑)。

 

 

ここでは、菅野よう子さんが先生の代わりにオルガンを弾いていた、という事よりも、「幼稚園がカトリック系で讃美歌を歌っていた」ということが菅野よう子さんにとって大きな軸となっています。

 

 

 

 

なぜかというと、その「讃美歌」を子供の心と耳で聴き、注がれていた神聖な光と空気が菅野よう子さんの世界観を未だに支えている「プリミティブな感覚」の一つであるからです。

 

 

幼少期には親が厳しくTVも夜七時のニュース以外は見せない、また自分用のラジオもレコードプレーヤーもないような環境だったため、家でポピュラー音楽に触れる機会はあまりなかった。

1974年 –ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート全国大会で川上賞を受賞

 

 

幼少期の菅野よう子さんにとって、「音楽」とは神様からの言語である「讃美歌」だったわけです。

 

 

◆菅野よう子の天才作曲家としての才能を開花させたもの:その③ 文学

 

ところが一転、大学入学前後、菅野よう子さんは音楽ではなく文学の世界に気持ちを持っていかれることになります。音楽のための勉強をするという行為にうんざりしたのかもしれません(笑)

 

 

音楽のための勉強は、ホンのわずかに和声学を教えられたことがあるが、嫌でしょうがなかったので見向きもしなかった。

今にして思えば、四声のストリングスをきれいな声部の動きで書かれたものを見た時など、あのころちゃんとやっておけばよかったと思うことはある。

 

 

努力は嫌いw

 

文学へ向かうというのは一見ギャップがあるかもしれませんが、常に体感からの想像力イメージのダウンロードを使ってお仕事をされている菅野よう子さんにとって、それが魅力的な世界に感じたのはとてもよくわかる気がします。

 

 

文字にするか、音にするかの違いだけで世界観を何かの形として生み出すための工程には近いものがあるのかなという感じはします。

 

 

■—–菅野よう子さんの青春時代は当然、音楽活動どっぷり?

菅野よう子 全く。少なくとも13歳から20歳は全然つくってないですね。興味は文学への方が強くて、新聞社に入りたいと思っていました。

■—それで、早稲田の文学部なんですね。

菅野よう子 そうです。三島由紀夫や大江健三郎にあこがれて、三島の文章を全部ノートに書き写していたりしました。

 

 

文学少女だった!!

 

 

三島由紀夫氏

 

 

わ~お(笑)

しかし、どう考えても振り切りすぎだろw

 

 

でも、考えようによっては、通常一般人が言葉としての「言語」を使って他者と交信する、気持ちを伝えてくることに対して菅野よう子さんの中で「いったいこの人は何を欲しているのか??」をより多角的にキャッチするための力となったのかも?しれません。

 

菅野よう子さんの父親が日本文学の研究家だったということも影響しているのかもしれませんね。

 

 

 

 

早稲田に入ったのに、1週間しか行かなかったw

 

 

1982年- 早稲田大学入学。すぐに軽音楽サークルでアマチュアバンド活動「てつ100%」を始め、大学には1週間しか行っていない。家庭が厳しかったため、映画館に行ったのも大学生になってから。

 

 

楽しそうな音楽はやると(笑)

 

 

それが菅野よう子さんの道を開くことになります。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴① 1985年 ゲーム音楽着手し、ゲーム音楽の常識を覆してしまう

 

13歳から20歳まで全く音楽を作っていなかった菅野よう子さんが、運命のように音楽の世界へ引き戻される事柄が大学に進学してから続きます。サークル活動のような形でスタートしたバンド活動がきっかけでした。

 

 

菅野よう子さん

 

 

大学に入学し、まだ初々しい時代に結成した「てつ100%」というバンドも菅野よう子さんだけでなく、どうやらそうそうたるメンバーだったようです。才能というものは点で発生するのではなく、群生するものということばを改めて思い出します。。

 

 

KOEIのゲーム音楽を制作し、職業作曲家デビュー

 

 

菅野よう子 当時、私が(バンドサークルで)「便利屋」をやっているという話が人づてで伝わって、でしょうね。光栄はまだ小さい会社だったし、『信長の野望』がヒット・シリーズになるなんて思っていませんでした。最初は、とにかく「早く曲が書ける人」という感じで、私のところに話が来たのだと思うんです。

 

 

1985年 (菅野よう子さん 22歳)には最初の仕事であるゲーム「三國志」の音楽を制作していたことになります。

 

 

PC-8801mkIISR 三国志 soundtrack

 

最初の商業音楽のお仕事が歴史に残る超大人気ゲーム!!! ヒットの理由のひとつは菅野よう子さんのドラマチックな音楽であったに違いありません。

 

 

◆菅野よう子の経歴珍伝説① ゲームソフト会社KOEIを大企業に成長させたのは菅野よう子!?

 

KOEIというと、私からすると気づいたときにはゲームソフトメーカーとして貫禄のある会社で、CGも音楽もものすごい発展を遂げた大人気ソフト「三國志」「信長の野望」、その他にもいろいろ凝ったRPGがある大手のイメージです。

 

菅野よう子さんは歴史に残るゲームの音楽をたくさんつくっていました!

 

 

  • 信長の野望シリーズ
    • 信長の野望 全国版 1985年 (菅野よう子が音楽プロデュース)この作品から初めてBGMが追加されて、菅野よう子による美しいBGMは当時話題になった。
    • 信長の野望 戦国群雄伝 1988年 (音楽は菅野よう子氏と山本光男氏の共作)
    • 信長の野望 武将風雲録 1990年 (菅野よう子が音楽プロデュース)特に「狼煙」は名OPとして名高い
    • 信長の野望 覇王伝 1992年 (菅野よう子が音楽プロデュース)こちらのBGMは評価が高い
    • 信長の野望 天翔記 1994年 (菅野よう子が音楽を手がけた最後の信長の野望)
    • 信長の野望 創造 (主題歌) 2013年 菅野よう子の『OVERTURE ~信長の野望~』をモチーフに平原綾香氏が歌う『Shine-未来へかざす火のように』
  • 大航海時代シリーズ
    • 大航海時代 1990年(菅野よう子が音楽プロデュース)
    • 大航海時代 1993年(菅野よう子が音楽プロデュース)どこか哀愁漂い人気が高い。
    • 大航海時代外伝  1997年 (OP「七つの海へ」その他は)大航海時代Ⅱのアレンジ中心)
  • ナップルテール 2000年(菅野よう子が音楽プロデュース)メルヘン、懐古的 坂本真綾が歌
  • ラグナロクオンライン
  • アースウインズ 1997年(菅野よう子が音楽プロデュース)
  • 維新の嵐
  • 三國志 1985年 (当時大学生だった菅野よう子が音楽担当)
  • GuitarFreaksV5 & DrumManiaV5 2008年 (『創聖のアクエリオン』)

 

 

特にストーリー性の高いRPGゲームの世界でのBGM効果は、ストーリをよりドラマチックに、感動的なものとして成立させ、「信長の野望シリーズ」「大航海時代シリーズ」菅野よう子さんの音楽があってこそ、大ヒットに結び付いたと言えます。

 

 

信長の野望 30周年記念コンサート

 

ストーリーにマッチしたサウンド効果で、ゲームに夢中になった方も多いのではないかと思います。

 

 

ゲーム音楽の常識をひっくり返した!

ストーリーの世界観を輝かせることに成功。

 

 

 

 

菅野よう子さんはゲーム音楽の開拓者でもあるので、初期ならではの苦労もたくさんあったようです(笑)。

 

 

◆菅野よう子の経歴珍伝説② 実質2音でゲーム音楽作成していた(笑)!?

 

なんと、この時代、まだ音楽としてソフト制作上同時に使える音の数が限られており、菅野よう子さんは「たった2音」でゲーム音楽を作っていたという伝説を残しています。

 

 

菅野よう子さん

菅野よう子さん

 

 

管理人kira2
管理人kira2

え、どういう事??

 

 

菅野よう子 当時のゲーム音楽って3音しか同時に鳴らせなくて、1音はリズムに使っちゃうから実質2音だけなので、Bach(バッハ)っぽく対位法でやるくらいしかできないんですよ。そんな感覚でやっていましたね。

 

 

政略結婚の悲劇の音楽をつくってました(笑)。

2音で(笑)。

 

 

菅野よう子 あと各大名の姫の曲を作る時とか、「政略結婚で嫁いだというエピソードを聞くと、「まだ14歳なのにワケの分からないオヤジに嫁ぐなんて、なんて可哀そうなんだろう・・・」という悲しい曲をつけていたんです(一同笑)。

しかも2音でね。

本当はお姫様らしく可愛い曲にしなくちゃいけないのに、そんなことやったら絶対ダメですよね。何を考えていたんだか、自分でも謎ですけど。「お姫様」という記号化できるような音楽をつければ良いのに(笑)。

 

 

菅野よう子さんはそのストーリーの中にいったん自身を置いてみて、そこからの感情をダウンロードして音楽を制作する方法が多いようです(笑)

 

 

1985年 – PCゲーム『三國志』の音楽で職業作曲家デビュー。てつ100%のキーボードを担当し、第30回やまはポピュラーソングコンテストで優秀曲賞を受賞。

 

1986年 – てつ100%のメンバーとしてCBSソニーからメジャーデビュー。1989年まで活動し、菅野よう子は作編曲も担当。

 

 

三國志の同年、バンドサークルだったはずの「てつ100%」がメジャーデビュー

 

菅野よう子さんが暫く離れていた音楽に戻ったと思ったら、すぐに職業音楽家としてもスタートし、バンド活動もメジャーデビューという…ちょっと普通では考えられないような展開です。でも、これはまだまだ菅野よう子さんのこれからの凄まじい活躍を見ると「寝起き」の状態であることが分かります。

 

 

◆菅野よう子の経歴珍伝説③:希少個人名義アルバム「Song to Fly」はあくまで「ゲーム音楽のサントラ」

 

後述のCMソングのアルバムでも同じようなテーマが出てくるのですが、菅野よう子んは1997年に発表されたアースウインズ』というゲームの音楽プロデュースをされており、菅野よう子さんの個人名義のアルバムという貴重な存在です。

 

 

「Song to Fly」

「Song to Fly」1998年

 

 

しかし、こちらの音楽を収録された「Song to Fly」という初のオリジナルコンセプトアルバムについて菅野よう子さんのこんな情報がありました。

 

 

アースウインズのBGMは菅野よう子氏初のオリジナル・コンセプトアルバム「Song to Fly」に収録されている。 ゲーム中の楽曲全5曲と他のオリジナル曲全6曲の計11曲が収録。

「Song to Fly」は名盤としても知られているので聞いたことがある人は多いだろう。しかし、菅野よう子氏はこのアルバムをオリジナルアルバムではなく、あくまで「ゲーム音楽のサントラ」として見ているようである。

 

 

菅野よう子さんにとっては、自分の本質的な自身の「作品集」ではなくて、発注されて納品した音楽っていうところでしょうか?真意のところは不明ですが、結果的に自身のオリジナルアルバムとしては貴重な1枚になったようなのですけれども、あんまり「自分の作品」というくくりには興味がないのかな?(管理人の主観)そんな菅野よう子さんです(笑)

 

 

 

 

どうもこの辺りが菅野よう子さんの「軸」であるようです。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴② 1991年 広告音楽着手

 

たまたま縁があって始まったゲーム音楽制作の次には、菅野よう子さんは広告音楽、つまり、CM曲の制作を仕事として開始しています。

 

 

1991年- 音楽制作会社GRAND FUNKの金橋豊彦代表に誘われ、広告音楽の仕事を始める。

 

 

これがきっかけで、菅野よう子さんは1000本以上のCMを世に送り出すことになります。

これがきっかけで、CMソングのCDまで出すことになるわけですが、菅野よう子さんのCDアルバムに関する情報としてこんなものがありました。

 

 

『CMようこ』ジャケット

 

 

黄金の器用貧乏

 

 

クラシック、アイドルポップ、民族音楽にテクノまで駆使し《黄金の器用貧乏》とも表現される。音楽の方法もさることながら起用される場所がアニメ、ゲーム、映画、CM、誰かのボーカル曲と幅広い。器用を起用。個人名義のアルバムが極端に少ないことも特徴のひとつだろうか。

 

 

菅野よう子さんがつくった曲数は数えきれないほどもあるのに、個人名義のアルバムが極端に少ないとは何だか意外ですね。色々な方とのコラボでの制作や作品サントラ関連、プロジェクト提供曲、アーティストのプロデュース活動が多いからということもありますが、そもそも論で、菅野よう子さんにとって音楽はどうやら「作品」という認識が薄いようです。

 

 

音楽は目的達成のための「道具」

 

 

この辺りについては菅野よう子さんの「花は咲く」という曲へのアプローチを考察した記事に詳しく書きましたのでよろしければどうぞ↓

 

名曲「花は咲く」作曲家菅野よう子・歌詞岩井俊二、参加メンバーの想いとは?
今回は菅野よう子さんの作曲した国民的合唱歌「花は咲く」について菅野よう子さんという作曲家を追いつつ、菅野よう子さんがどの様な想いをもってこの曲を作曲し、現在もアプローチを続けているかということに焦点を当てて調べてみました。「花は咲く」知られざる新しい魅力が伝わればうれしいです。

 

 

 

 

菅野よう子さんは自分自身の道具(音楽)を使って、「相手を輝かせる」というお仕事が多いように思います。誰かと一緒の方が楽しい!という菅野よう子さんらしい現象です(笑)。

 

 

1996年 – JR東日本(CM)でJAMの主催する広告音楽大競技会金賞受賞

1997年-資生堂リフトコンシャス&フェースラインエフェクター(CM)

 

 

星の数ほど多くの音楽を作っていながら、菅野よう子さんの個人名義のアルバムが実に少ないというのがビックリではありますが、その貴重なアルバムである「CMソングのCD」もとても面白い企画で人気だったようです。

 

 

◆菅野よう子の「CMソング」業界での活躍経歴~おすすめベストアルバム三部作発売『CMようこ』『CMようこ2』

 

「CMようこ」というCMの曲を集めたCDアルバムシリーズを菅野よう子さんは発売します。菅野よう子さん曰く、「カラダに悪そうなもの三部作」とのこと(笑)。

 

『CMようこ』

 

「CMようこ 」Original recording remastered

 

 

ここまで1,000本以上のCMソングを手掛けてきた菅野よう子さんが、その中でもおそらくは印象深いCMを取り上げたのでしょうが、結果、「カラダに悪そうなもの三部作」というのが面白いですね。

 

 

インタビューでは菅野よう子さんはこんな印象的な言葉も残しています。

 

 

菅野よう子:広告の良いところを出せた楽曲を集めようと。私にとってコマーシャル音楽って、見捨てられ聴き捨てられ、どんどん古くなっていく前提。その時だけのインスタントな味わいを追求するもの。

CDにしちゃうと、インスタントなその気持ちとは裏腹に、何回も聴かれることに耐えなくてはいけない。「インパクトが強いだけでうるさくなっちゃうかな?」などと思ってあんまり出したくなかったんですよ。だけどたまたまバイオリズムが合ったところもあって(笑)、消費されていくものの軽さ、可愛さとか、そういうものを表現できればいいなって思いますね。

 

 

見捨てられ聴き捨てられ、古くなっていく前提でつくり続ける。

それに一喜一憂してたら、もたないでしょ、っていう

 

 

管理人kira2
管理人kira2

つよいw

 

 

それでは菅野よう子さんの呑気で柔らかな印象からは到底想像もできない、度肝を抜くご活躍の数々を簡単に列挙していきます。

 

 

500本以上の楽曲を手がけており、現在でも多くの作品が放映されている。菅野よう子本人は1000本以上とも語っている。

 

コスモ石油、日本石油、東京電力、東京メトロ、シャープ、マイクロソフト、カシオ、パイオニア、日立製作所、富士通、富士ゼロックス、富士フイルム、キヤノン、インテル、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、富士重工、ヤマハ発動機、ダイムラー・クライスラー、日本IBM、アサヒビール、キリンビール、キリンビバレッジ、サッポロビール、サントリー、コカコーラ、資生堂、ポーラ化粧品、カネボウ、コーセー、みずほ銀行、UFJ銀行、森永製菓、明治製菓、グリコ、J-PHONE、ボーダフォン、NTT DoCoMo、KDDI、ほっともっと、ミヤギテレビ、JR東海ほか

 

 

テレビCM広告なので当たり前なのかもしれませんが、菅野よう子さんの手がけたものは日本を代表する大企業ばかり名を連ねています。こうして見てみると圧巻ですね。聴けば音に聞き覚えのあるCM曲がたくさんあります。

 

 

『CMようこ2』

 

「CMようこ2」2009年4月

 

 

CM業界の音楽の常識を変えてしまった!

CMストーリー、商品・広告主企業を輝かせることに成功。

 

 

三木鶏郎広告音楽賞を受賞!

1998年 -Crystal Kay(歌手) に提供した「Eternal Memories」(サントリービタミンウォーターCMソング)にて三木鶏郎広告音楽賞(CM音楽賞の最高峰)を受賞。他にもJAM金賞、JAM広告音楽 競技会最優秀 賞、ACC優秀賞などを受賞

 

 

かつて少女時代に「コンクール荒らし」と言われていた天才少女の菅野よう子さんがそのまま大人になった印象ですね(笑)

 

 

 

 

数々の受賞歴ももちろんありました。菅野よう子さんが大事にされている意識として、「自分の表現活動」ではなく、いつも「依頼相手が望むもの、それ以上のもの、目的を達成するもの」を届ける気持ちが優先してあったからこそ、こうした大きな功績がたくさん付いてきたのかなと思います。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴③ 1994年 アニメソング音楽着手名曲「Tank!」

 

まだまだ行きます(笑)1994年には海外でも根強いファン層を作ることになる、アニメ音楽業界へ菅野よう子さんは手を広げていきます。CM音楽での経験と、もともと菅野よう子さんの持つ「相手が欲しいものが分かる」性質が合わさり、「主役を引き立たせ、輝かせる音楽」がその需要と存在感をますます増していきます。

 

 

 

 

アニメ音楽業界でもアニメソングの価値観に革命を起こしてしまう

ストーリーの世界観、キャラクターの感情を引き立たせ輝かせることに成功

 

 

1994年 – OVA『マクロスプラス』(アニメ)の音楽を制作。

1998年-『カウボーイビーバップ』放送開始 OPテーマ『Tank!』提供。

1999年 – 『COWBOY BEBOP オリジナルサウンドトラック』が日本ゴールドディスク大賞アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。

2003年 – 『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』にて東京アニメアワード音楽賞を受賞

2013年までに計5回受賞。

 

 

菅野よう子さんがアニメ界の音楽の流れを変えた!としばしば話題に出る「マクロスプラス」

 

 

マクロスプラス

 

 

1999年開催の第13回日本ゴールドディスク大賞アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤー に選ばれた「カウボーイビバップ」のサントラ、東京アニメアワード アニメーション・オブ・ザ・イヤー音楽賞(5回も受賞!)の<攻殻機動隊シリーズ>、<アクエリオンシリーズ>、「マクロスF」などそれぞれ凄すぎてどれが代表作かも選べない状態になってきました(笑)

 

 

◆菅野よう子のファンが認めるアニメソングの大人気曲「Tank!(タンク)」について

 

「Tank!」1998年に初めて放送されたテレビアニメシリーズ全26話構成の『カウボーイビバップ』のオープニングテーマ曲です。

 

「超時空七夕ソニック」チケット代は7,777円(税込)とのこと

「超時空七夕ソニック」チケット代は7,777円(税込)

 

菅野よう子さんの手掛けたアニメソングの中でも特に認知度が高い曲になっていますが、『カウボーイビバップ』のその他の曲も大変質が高く、アニメソングとしては斬新な新しいチャレンジもあったようです。

 

 

菅野よう子さんのアニメソングについて詳しくはこちらをご覧ください↓

菅野よう子アニメソング~マクロスF・攻殻機動隊・カウボーイビバップ・∀ガンダム
今回は天才作曲家・菅野よう子さんが音楽担当をした人気アニメ・マクロスやガンダム、攻殻機動隊、カウボーイビバップなどの名曲アニメソングにフォーカスしてまとめてご紹介します。アニメソングは菅野よう子さんのプリミティブな感性がいっぱい詰まっています!

 

 

私自身はアニメ「攻殻機動隊」のOPテーマ曲をきっかけに菅野よう子さんのお名前と存在をはじめて知ったので、つい最近まで菅野よう子さん攻殻機動隊の素子少佐 みたいなイメージに勝手になっていました(笑)しかし、知れば知るほど、まったく印象は違いました(笑)!

 

 

攻殻機動隊 素子少佐

攻殻機動隊 素子少佐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菅野よう子さんは超人的な仕事をされる方ではありますが、(素子少佐のように義体化もしてないですし)とても「人間味あふれる」生身の人間です(笑)。人懐っこく、かなりご本人アニメ声なのもあって(笑)、素子少佐よりもだいぶ柔らかい印象ですw

ただ…あまり露出してこない内面性の部分ではやっぱり似ているところもある気もしています(主観)

 

 

 

 

そういうわけで、

菅野よう子さんが主題歌や挿入歌を手掛けたアニメは明らかに「音楽成功」により、大ヒットを記録していくことになりました。

 

 

 

 

日本のアニメ業界の底上げをした功績として、彼女の登場以来、海外での「日本のアニメに対する注目」が大変高まることになります。アニメだけでなく、菅野よう子の音楽についても海外で熱狂的なファンが多いらしいです。

こうして、アニメの世界でも菅野よう子さんの音楽なしでは成立しない感動をたくさん生み出しました。「音の魔術師」菅野よう子の世界へと引き込まれたファンも多いのではないかと思います。

 

菅野よう子さんのアニメソングについて詳しくはこちらをご覧ください↓

菅野よう子アニメソング~マクロスF・攻殻機動隊・カウボーイビバップ・∀ガンダム
今回は天才作曲家・菅野よう子さんが音楽担当をした人気アニメ・マクロスやガンダム、攻殻機動隊、カウボーイビバップなどの名曲アニメソングにフォーカスしてまとめてご紹介します。アニメソングは菅野よう子さんのプリミティブな感性がいっぱい詰まっています!

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴④ 1995年 歌手曲提供、プロデュースに着手 今井美樹・小泉今日子・坂本真綾など

 

初期にはアーティストに対する仕事としてはコンサートやライブの「演奏者」としてか、または曲の編曲担当が中心だった菅野よう子さんでした。

 

 

SMAP「さかさまの空」2012年

SMAP「さかさまの空」2012年

 

 

菅野よう子さんと旧SMAPについてはこちらをどうぞ↓

雨あがりのステップの菅野よう子と元スマップ・新しい地図の関係は?
今回は「新しい地図」の再出発曲である「雨あがりのステップ」の作曲を手掛けた、天才作曲家の菅野よう子さんと作詞を担当した麻生哲朗氏と、「新しい地図」旧SMAPの長い関係についてに迫ります。熱い友情とイケメンがここに…。

 

 

 

1995年 – 今井美樹アルバム『Love Of My Life』およびコンサートの音楽プロデュース

1996年 – 小泉今日子アルバム『オトコのコ オンナのコ』にてうち8曲作曲、2曲作詞、全曲編曲

1996年坂本真綾のプロデュース開始

2004年 -~2013年まではSMAPの曲をいくつも作曲・編曲 2012にはシングル「さかさまの空」が、NHK朝の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』の主題歌となる

2007年 – AKINO(歌手)に提供した「創聖のアクエリオン」(2005年)がCMソングとしてヒット。

2009年May’nのアルバム『メイン☆ストリート』内の「May’n☆Space」作曲。2017年にはマクロスシリーズ35周年の新曲「ゴ~~ジャス」を作編曲

2012年中島愛さんのアルバム『Be With You』の「金色〜君を好きになってよかった」を作曲し、2018年には「ランカと Brand New Peach」を作編曲

2012年

 

 

しかし、1996年 菅野よう子さんの歴史を語る上では外すことができない人物、坂本真綾さんへの楽曲プロデュースがスタートします。(1996年 – 2003年)

 

 

坂本真綾を輝かせ、アニソン女王にまでする。

 

 

坂本真綾

 

 

菅野よう子さんと坂本真綾さんのお話はこちらをどうぞ↓

涙腺崩壊★天才菅野よう子と坂本真綾の決別の真相・関係は?岩里祐穂対談
今回は菅野よう子さんがプロデュースしたゴールデンコンビと名高い愛弟子の坂本真綾さんとの関係や決別騒動とその後にフォーカスしてご紹介します。

 

 

◆職業作曲家・菅野よう子は今井美樹と布袋寅泰の気持ちも輝かせちゃったぽい件

 

このアルバムの制作、ツアーには のちに今井美樹さんがご結婚される布袋寅泰氏も参加しています。

 

今井美樹『LOVE OF MY LIFE』ツアーパンフレット

今井美樹『LOVE OF MY LIFE』ツアーパンフレット

 

 

1999年菅野よう子さん36歳)に今井美樹さんはBOØWYのギタリストだった布袋寅泰氏とご結婚されています。布袋寅泰さんは菅野よう子さんと共に今井美樹さんの上記アルバムプロデュースに関わっています。

 

今井美樹さんと布袋寅泰さんがご結婚される以前の1985年から1997年の期間、布袋寅泰氏はシンガーソングライターの山下久美子さんと婚姻期間がありました。つまり、『Love of My Life』制作時は布袋寅泰氏はまだ前妻との婚姻期間だったわけですね。

 

 

ふたりの気持ちまで

10倍に輝かせちゃったぜ疑惑wwww

 

 

今井美樹さんと布袋氏

 

 

きっと、録音中もほのぼの

 

「いいわね~♪」

 

なんて眺めておられたのではないかなと(笑)。

菅野よう子さん、あれだけの多くの音楽関係者とのコラボ、ネットワークを持っているんですが、(のちに今井美樹さんと布袋寅泰さんを叩きまくった)山下久美子さんとのお仕事って、私が調べた限りでは1つも出てこなかったんですよね。

 

 

 

 

これもうまく言葉にはできないですけれど、自分に関わった人たちのことはいつも信じているし、ずっと応援してるよ!ってことに私には思えたんですけど、どうなんでしょうかね。菅野よう子さんが色々な方とたくさんお仕事ができるのにはそんな何ていうかこうした人との縁や心のつながりのひとつひとつを大事にしたところなのかなと思いました。

 

そして、ターゲットを決めたら

徹底的に相手を輝かせること!

 

菅野よう子さんすごい。。。そら、みんな一緒に仕事したくなるわ。。。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴⑤ 1996年 映画音楽に着手

 

1996年には菅野よう子さんは実写映画の音楽担当までチャレンジしています。その後、各分野で引っ張りだことなった菅野よう子さんでしたので、映画音楽の分野で大きな注目を浴びることになったのはもう少し後になります。

 

1996年 – 『僕は勉強ができない』(山本泰彦監督作)より実写映画の音楽を手がける。

 

菅野よう子さんが音楽を担当した実写映画はこちらです。

 

<その他映画音楽>

ぼくは勉強ができない(1996年)/夏時間の大人たち(1997年)/Beautiful Sunday(1998年)/tokyo.sora(2002年)/水の女(2002年)/下妻物語(2004年/)阿修羅城の瞳(2005年)/好きだ、(2006年)/ハチミツとクローバー(2006年)/優雅な世界(2007年)/シュアリー・サムデイ(2010年)/ペタル ダンス(2013年)/海街diary(2015年)

 

 

『シュアリー・サムデイ』の監督をされた小栗旬さんと菅野よう子さんの話題はこちらです↓

菅野よう子アニメソング~マクロスF・攻殻機動隊・カウボーイビバップ・∀ガンダム
今回は天才作曲家・菅野よう子さんが音楽担当をした人気アニメ・マクロスやガンダム、攻殻機動隊、カウボーイビバップなどの名曲アニメソングにフォーカスしてまとめてご紹介します。アニメソングは菅野よう子さんのプリミティブな感性がいっぱい詰まっています!

 

 

◆2004年公開『下妻物語』菅野よう子が音楽担当し、大ヒット100館上映達成の華々しい経歴

 

一般層にまで大きな注目がでたのはやはり2004年菅野よう子さん41歳)公開の映画『下妻物語』からではないでしょうか?こちらの映画も菅野よう子さんが音楽を担当しています。

『下妻物語』は当時、土屋アンナさんと深田恭子さんのw出演で話題となった映画です。

 

 

「下妻物語」2004年

 

 

菅野よう子の音楽が物語を輝かせた

 

当初40館規模での公開予定のところ、口コミで評判が広がり、156館での公開に拡大されたということですから、多くの人の共感を得た映画のひとつと言えるでしょう。土屋アンナさんと深田恭子さんの演技やファッション、ストーリーも話題でしたが、それを輝かせた菅野よう子さんの音楽も、今聴いてもとても味わいのある素晴らしいものばかりです。

 

 

2006年にはカンヌ国際映画祭と平行して行われたカンヌJr.フェスティバル(青少年向け映画のコンペ)にて邦画初となるグランプリを獲得フランスで邦画としては過去最大となる約100館での上映が決定した。

なお、主役の2人は多くの映画賞を受賞した。この映画ではロリータ・ファッションで来館した者には、特別割引になる特典があり、話題になった。

 

 

『下妻物語』は「自由かつ快闊なコミカルタッチ」の映画です。ですが、(深田恭子扮する)桃子の「人は一人ぼっちで生きていくものであり、友達は必要ない」という気持ちが(土屋アンナ扮する)イチゴと出会うことで、徐々に変化を生み出してくる…という経緯があります。

 

 

ロリータ姿の深田恭子

 

 

若い時代の葛藤と艶やかで、生き生きとした、でもはかない、むき出しの感受性があり、これまた菅野よう子さんの得意とする主人公の「感性」をより鮮明に観る側に届ける仕事なのでした。もうホントに菅野よう子さんはいわば心の射撃担当ですね(笑)。

 

管理人kira2
管理人kira2

キュンをお届けします。

 

 

◆2006年公開『ハチミツとクローバー』菅野よう子が音楽担当し観客をキュンとさせた経歴

 

2006年菅野よう子さん43歳)に公開された映画『ハチミツとクローバー』菅野よう子さんが音楽担当をされました。主題歌は「魔法のコトバ」歌 – スピッツ、エンディングテーマ「アオゾラペダル」歌 – 嵐 / 作詞・作曲 – スガシカオということなんで、

菅野よう子さんはどちらかというとシーン全体の音楽ということで裏方仕事です。でも、菅野よう子さんはそういう仕事だいすき(だと思うw)。

 

 

「ハチミツとクローバー」2006年公開

「ハチミツとクローバー」2006年公開

 

 

キャッチコピーは、「恋をした。それだけのことなのに、世界はまぶしい」でした(笑)。美術大学を舞台にした「超絶キュンキュン青春映画」であります。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

キュンは高級嗜好品です。

 

 

なんですかね、若年期の感受性むき出しの人間たちがぞろぞろ出てきますからね(笑)。こういう「感性」に響く要素を見る側に届けるのは菅野よう子さんの最も得とする仕事だと思います。キュンのお届け係ですね。

 

 

↓この方がキュン支配人の菅野よう子さん。

 

菅野さん お仕事風景

菅野さん お仕事風景

 

 

 

◆2015年公開『海街diary』菅野よう子が音楽担当し日本アカデミー賞4冠達成よいう快挙の経歴

 

2015年大ヒット映画『海街diary』撮影時、音楽を探していた是枝監督に「菅野よう子さんの音楽はどうですか?」と勧めたのは長澤まさみさんだったというお話があります。『ハチミツとクローバー』を観て菅野よう子さんの音楽をとても気に入ったというところからのお話だったそうです。

 

 

菅野よう子は長澤まさみにキュンをお届け済みだった。

 

 

『海街diary』4姉妹と是枝監督

 

 

菅野よう子、映画と4姉妹を輝かせまくり

日本アカデミー賞 最多の4冠達成!

 

 

『第39回日本アカデミー賞』では最優秀作品賞に映画『海街diary』(是枝裕和監督)が輝いた。同作品は最優秀監督賞など4つの最優秀賞と、12の優秀賞を受賞した。 

 

 

スゴイですね!!

 

 

 

 

菅野よう子さんと是枝裕和監督『海街diary』インタビューなどを見ると、お二人が大変精神的な部分で理解や寄り添いが深かった印象がありました。そうした作品を見ただけでは決して知ることのない色々な下地があって、いい作品はいいものになっていくのでしょうね。

 

 

◆最優秀 作品賞
『海街diary』(配給:東宝/ギャガ)
◆最優秀 監督賞
是枝裕和/『海街diary』

◆最優秀撮影賞
瀧本幹也/『海街diary』
◆最優秀照明賞
藤井稔恭/『海街diary』

◆新人俳優賞
広瀬すず/『海街diary』

 

 

ほぼ、総なめ。

 

 

 

 

是枝裕和監督菅野よう子さんの『海街diary』撮影終了後のインタビューにこんな会話があります。

 

 

是枝裕和 不思議ですよね。巧く行った映画は、観て取材に来た方が、質問ではなく、自分の人生の話をして帰るっていうことがあるんです(笑)。それって、映画がちゃんと届いているということなんだろうなと思います。それは僕のテクニックとかじゃない。きっと菅野よう子さんとの関係性然り、いろんなことが巧くいった時に、そうなるんでしょうね。

――これまでの是枝監督作品の流れをくみながらも、また、新境地の作品だなと感じました。

是枝裕和 音楽もいつもの3倍は流れていますしね(笑)。

菅野よう子 うれしいです(笑)。

是枝裕和 説明できないけれど、作った僕もこの映画は大好きだし、ずっと観ていたいなって(笑)。自分がどうこうではなくて、この4人をずっと観ていたいなと思いながら撮っていたし、完成したものを観ても思います。それは幸せなことですよね。

 

 

『海街diary』のストーリーだけでなく、とても豊かな撮影現場だったようです。

私も実際見たのですがとても菅野よう子さんの音楽が効いている映画だったと思います。

菅野よう子さんのフィルターを通すことで、一層作品と音楽が相互に魅力的な色彩を放つような活動となったように思います。映画の持つ独特な風景と菅野よう子さんの世界観がとてもマッチして、見る人の心に、シーンのもつ色彩をより鮮やかに跡として残しています。

 

菅野よう子さんの元旦那さんも楽曲の演奏に参加されています。菅野よう子さんの元旦那さんについてはこちらをどうぞ。↓

菅野よう子の元旦那・溝口肇は世界の車窓から??離婚理由と愛の告白!?
今回は天才作曲家と名高い菅野よう子さんの元旦那・溝口肇さんについてと、菅野よう子さん、溝口肇さんとの馴れ初めや離婚後も続く愛のお話について調べてみました。現在でも菅野よう子さんと元旦那さんの溝口肇さんは一緒に音楽でかかわりがあります。このお二人の愛の対話は音楽を通しているまでも続いているようです。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子の仕事経歴⑥ 2011年 NHKの仕事が増加

 

2011年は東日本大震災が起こった年でしたが、その年末には菅野よう子さんがNHK「第62回紅白歌合戦」のオープニングテーマ曲を担当しました。

 

 

 

 

その時点で既に東日本大震災のチャリティーソングである、「花は咲く」の制作に携わっていたことが縁だったのではないかと思います。

 

 

2011年ーNHK「第62回紅白歌合戦」のオープニングテーマ曲を担当。

2012年 – NHK東日本大震災プロジェクトテーマソング「花は咲く」を作曲。

2013年 – NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』の音楽を担当。

2017年 – NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の音楽を担当。

 

 

「花は咲く」の楽曲は、被災地に近い宮城県出身である岩井俊二さんが作詞を担当し、同じく宮城県出身の菅野よう子さんが作曲を担当しました。

 

 

◆2012年 職業作曲家・菅野よう子の日本中をひとつにした「花は咲く」の経歴

 

こちらの楽曲の制作については、多くの作品をこれまでつくってきた菅野よう子さんにとっても大変苦労された1曲だったようです。色々とドラマもあったようなので、別記事にまとめました。よろしければこちらをどうぞ↓

 

名曲「花は咲く」作曲家菅野よう子・歌詞岩井俊二、参加メンバーの想いとは?
今回は菅野よう子さんの作曲した国民的合唱歌「花は咲く」について菅野よう子さんという作曲家を追いつつ、菅野よう子さんがどの様な想いをもってこの曲を作曲し、現在もアプローチを続けているかということに焦点を当てて調べてみました。「花は咲く」知られざる新しい魅力が伝わればうれしいです。

 

 

◆2013年 職業作曲家・菅野よう子がNHK朝ドラ『ごちそうさん』の曲を担当経歴

 

2012年菅野よう子さん 49歳)の「花は咲く」プロジェクトの始動以降は、NHKでの企画モノに多く着手され、これまでの限定的かつマニアックなゾーンの活動よりももっと一般に近い「お茶の間」的ゾーンの方々にも菅野よう子さんはその名が知られるようになります。

 

 

 

 

2013年 朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」菅野よう子さんのお名前を日本中に轟かせ、定着させるきっかけのひとつとなった記念すべきテレビドラマです。

 

 

「ごちそうさん」2013年

 

 

その他にも、菅野よう子さんは2001年からテレビドラマの音楽を作っていました!以下がそのドラマのタイトルです。一体、これだけ多くの仕事をどうやってこなしているのか、不思議になるマルチタスクっぷりですね。

 

 

世にも奇妙な物語 – 『ママ新発売』(2001年)/真夜中は別の顔(2002年)- 23時の音楽(kanno yoko feat.sakamoto maaya)/X’smap〜虎とライオンと五人の男〜(2004年/)父に奏でるメロディー(2006年)/蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ – 第1章「人生って嘘みたい」(2008年)/風に舞いあがるビニールシート(2009年)/ごちそうさん(2013年)/おんな城主 直虎(2017年)

 

 

菅野よう子さんとNHKのプロジェクトも徐々に増え、「この音楽とってもいいね!」から菅野よう子さんの人気はマニア→国民レベルまで高まります。

 

 

◆菅野よう子が出演者(杏&東出昌大)の気持ちを(また)盛り上げてしまった経歴

 

朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」2015年菅野よう子さん52歳)の元旦に夫婦役で共演されたさんと東出昌大さんがご結婚されたことでも注目された朝ドラでした。ドラマの視聴者の気持ちだけでなく、出演者のさんと東出昌大さんお二人の気持ちまで盛り立て、キラキラ輝かせてしまいました(笑)。おっと!きいたことあるぞ、これ(笑)知る限り2度目です(笑)。

 

菅野よう子の周りでは

キュンがばらまかれてる(笑)

 

 

杏さんと東出昌大さん結婚式

 

 

結婚式がとても感動的だったという話が当時大変話題でしたが、「ごちそうさん」の音楽担当をされていた菅野よう子さんがこの結婚式の演出にも一役買ったのでは!?と管理人は思ったのですが、残念ながら詳しい情報は見つかりませんでした。

 

 

こうして実写映画での活躍やテレビドラマでの活躍が広がっていったことで、菅野よう子さんの名前は一気に一般国民に周知されることとなりました。アニメゲームといったジャンルとはまた全く別の毛色をしたPOPなジャンルですが、菅野よう子さんは全く動じずに行けるところはどこへでも!業界の垣根を越えてどんどん進んでいきます。そのバイタリティーが羨ましいですね。

 

 

◆職業作曲家・菅野よう子NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』のOP曲「天虎(あまとら)」

 

2017年菅野よう子さん 54歳)放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」(森下佳子・作)のOPテーマ「天虎(あまとら)」は主演の柴咲コウさんほか豪華キャストが出演すること以外にも、ドラマのテーマソングを菅野よう子さんが担当することでも大変話題になりました。

 

 

「おんな城主 直虎」

 

 

この頃には既に前述の「花は咲く」や、NHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』の音楽担当などで一般家庭にもだいぶ菅野よう子さんの名が轟き、(本当はそのずっと前から楽曲はCMなどで流れていたのですが)我が家の高齢の両親にまでその名が浸透していた時には!(笑)

 

 

日本を代表する作曲家・菅野よう子!

 

 

 

 

ホント菅野よう子さんは実体としても、老若男女問わず愛される、国を代表する人気作曲家になったんだなあ、と実感しました。それまではきっと少なくとも私の両親の世代からすれば、菅野よう子さんのようなヒットの仕掛人でさえ、一般とは接点が見えてこない裏方の人だったはずでした。

 

この曲のフル・ヴァージョンは約14分にもわたる大作であり、大河ドラマの楽曲はそこからの抜粋編集のものだということです。

 

 

◆職業作曲家・菅野よう子がつくったNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」政次ロス回復のためのCD発売経歴

 

また、菅野よう子さんが「おんな城主 直虎」で役柄上亡くなった“政次ロス”消化の為の特別CDまでつくったことでも話題となりました。

 

『おんな城主直虎~鶴のうた』2017年

『おんな城主直虎~鶴のうた』2017年

 

 

全国的に“政次ロス”が大発生していたため、ヒットすることに(笑)

 

 

 

 

実は、菅野よう子さんも“政次ロス”症候群だったとか。

 

 

菅野よう子さん、完全に“政次ロス”消化するまでやり切りましたね。ここまでしないと駄目だったんですね(笑)。

 

アルバムは高橋一生演じる政次自身の朗読による辞世の句と幼少から親しんだ禅語「百尺竿頭進一歩」菅野よう子の音楽で構成された全14曲入りで、政次が生を全うするまでが描かれる。

初回仕様のみ全24ページのフォトブック「政次 命」が封入されるほか、能面をイメージしたデザインのスリーヴからCDを取り出すと政次の素顔が出てくるという趣向の三方背透明スリーヴ・ケースも付属する。

 

 

フォトブック「政次 命」とかw

 

 

かなり菅野よう子さんの気合の入ったCDだったようです。

 

 

「スポンサーリンク」

◆職業作曲家・菅野よう子が映画芸術科学アカデミーの新会員に?経歴

 

2018年6月記事『Variety』誌

菅野よう子さんが映画芸術科学アカデミーの新会員候補の招待状を受けたとの情報がありました。

 

 

 

 

映画芸術科学アカデミーの会員とは、世界が認める映画業界人のプロフェッショナルによって構成されているのが会員だそうです。プロデューサー、監督、俳優、撮影監督など映画製作に関係する人が約6,000人程所属しているとのこと。
なおアカデミー賞の投票権があるのとは別の意味のようです。

 

 

日本人会員で投票権を持っているのは、現在俳優の渡辺謙、衣装デザイナーのワダエミの2名です。ちなみに宮崎駿監督は推薦を受けたそうですが『創作に専念したい』と辞退したとのお話があります。

 

 

ワダエミさんさんも日本の誇るべき素敵な女性のおひとりですね。笑顔や雰囲気もさすがの豊かさです。

 

 

ワダエミさん

 

 

何だかとっても名誉な感じ。

 

 

アカデミー賞を主催している映画芸術科学アカデミーが、新会員候補928人に招待状を送付し、公式HPで名前を発表した。

日本からは、俳優部門に金城武、『沈黙 -サイレンス-』イッセー尾形、短編映画&アニメ部門に『君の名は。』『星を追う子ども』の新海誠監督、『この世界の片隅に』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督、『未来のミライ』『バケモノの子』の細田守監督、『OH LUCY!』『もう一回』の平柳敦子監督、脚本家部門に「東京ヴァンパイアホテル」『ひそひそ星』の園子温監督、メイクアップアーティスト&ヘアスタイリスト部門に『沈黙 -サイレンス-』『SAYURI』の渡辺典子、音楽部門に『海街diary』『マクロスプラス』の菅野よう子、デザイナー部門に『海街diary』『誰も知らない』三ツ松けいこらが選ばれた。

 

 

菅野よう子さんの音楽が改めて世界的価値観において、大きく認められたということです。

これからも大活躍していただけそうで楽しみですね。私も菅野よう子さんがばら撒いてくれるキュンをこれからもたくさん受け取って、その高級な味わいをかみしめつつ、楽しみたいと思います。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

ざっくりでしたが、今回は菅野よう子さんの全体像を追ってみました。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました