今回は菅野よう子さんの作曲した国民的合唱歌「花は咲く」について菅野よう子さんという作曲家を追いつつ、作詞担当の岩井俊二さんや参加メンバーと共に菅野よう子さんがどの様な想いをもってこの曲を作曲し、現在もアプローチを続けているかということに焦点を当てて調べてみました。「花は咲く」知られざる新しい魅力が伝わればうれしいです。
- ◆菅野よう子の名曲「花は咲くプロジェクト」とは?東日本大震災の義援金のためのチャリティーソング?
- ◆国民的名曲・合唱歌チャリティーソング「花は咲く」プロジェクトは菅野よう子の代表作品ではない!?歌詞は岩井俊二
- ◆認知度は抜群だけど…名曲「花は咲く」に抱く、菅野よう子ファンの違和感とは?初期歌詞画像
- ◆目的達成主義の職業音楽家・菅野よう子が目指した名曲「花は咲く」のゴールとは?
- ◆NHK東日本大震災復興支援名曲「花は咲くプロジェクト」参加メンバー!歌手名、女優・俳優名、アニメスターキャラクターは?
- ◆名曲「花は咲く」歌唱収録での菅野よう子とプロジェクトメンバーのエピソード
- ◆菅野よう子自身が名曲「花は咲く」作曲に際し寄せた想いとは?
- ◆2014年 菅野よう子プロデュース名曲「花は咲く」に新しいバージョン!?アニメーションの意味は?
- ◆2015年 菅野よう子名曲「花は咲く」歌詞変更を提案
- ◆菅野よう子の「花は咲く」は現在ではピアノやバイオリン演奏、合唱など日本中で歌われyoutube発信される大成功の1曲に
- ◆日本のお茶の間を合唱でひとつにした菅野よう子の名曲「花は咲く」チャリティーとしての義援金は?
◆菅野よう子の名曲「花は咲くプロジェクト」とは?東日本大震災の義援金のためのチャリティーソング?
「花は咲く」という曲はもはや現在では国全体で知られることになった有名な曲ですが、もともとは2011年3月11日に突如日本を襲った東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の被災地および被災者の復興を応援する義援金のために制作されたチャリティーソングです。
震災後、「NHK東日本大震災プロジェクト」という震災支援プロジェクトが立ち上がり、そのテーマソングとして名曲「花は咲く」は義援金の為に企画制作されました。現在は「花は咲くプロジェクト」名義となっています。
名曲「花は咲く」の売上金に対する作詞・作曲家への印税は、全額がNHK厚生文化事業団を通じて被災地の自治体に義援金として寄付されるという企画です。そのため、「花は咲く」が音源でカバーされたり、コンサートで歌われたり、テレビ・ラジオでオンエアされる度に義援金が増えてゆくという仕組みになっている画期的な取り組みです。
現在では「花は咲くプロジェクト」は国内だけにとどまらず、世界的な活動にまでつながっており、被災者を義援金による資金的にまた名曲によって精神的にという、物心両面で支えようという当初の理念が続いています。
◆国民的名曲・合唱歌チャリティーソング「花は咲く」プロジェクトは菅野よう子の代表作品ではない!?歌詞は岩井俊二
「花は咲く」は東日本大震災発生の翌年である2012年(菅野よう子さん 49歳)に発表されました。名曲「花は咲く」はNHK主導で行われた東日本大震災復興プロジェクト『明日へ』の復興応援歌としてつくられた国民的名曲です。この国の人たちから、たくさん愛され、歌われることになった「花は咲く」ですが、こちらの曲を作曲したのが本日の主役となる作曲家の菅野よう子さんです。

NHK「明日へ」東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」
2011年に「第62回紅白歌合戦」のテーマ曲を担当した作曲家菅野よう子さんでしたので、この頃からNHK番組での活動が活発になり、結果、これまで以上に幅広い層にその名前を認知されていくこととなります。
それまでも星の数ほど多くの名曲、CM曲などを世に送り出してきた作曲家菅野よう子さんでしたが、仕事の種類としてそれまで何か「別の主役」の魅力を引き立たせるための音楽制作を得意としていた為、音楽そのものが「主役級」というものは少なかったように思います。菅野よう子さん自身もそうした誰かを輝かせる仕事が好きであるし、得意としていたからのようです。
今回の輝かせる相手、主役は?と作曲家菅野よう子さんは最初に考えたと思うのです。
主役はだれか?
それを考えると「被災者」であり、それを支えようという「国民全体」でもあるし、この歌を通して繋がるという意味では「この曲自体」が主役でもある、と。そして、今度はその「被災者」の心象を鮮明にするとなると、被災者の心の痛みを残し広げてしまうことになりかねないからそれは違う、と。国民全体をスポットに充てると主役が多すぎて価値観も何もかもが混沌としてしまう…。
確かにかなり難しそう!
これまでの菅野よう子さんの明確に「主役」が存在した曲とは趣旨や方向性が違って、とても制作が難しい1曲であることがよくわかります。
この楽曲は、共に宮城県出身である岩井俊二が作詞、菅野よう子が作曲を担当。歌唱は大友康平、千昌夫、新沼謙治、かの香織、遊佐未森、畠山美由紀、AKB48の仲谷明香と岩田華怜といった歌手や、タレント、スポーツ選手など、被災地域の出身もしくはゆかりの深い有名人が務める。
また、東北の学校の合唱部などによるヴァージョンも制作。なおこの楽曲の作詞家および作曲家の著作権料などは、義援金としてNHK厚生文化事業団を通じて被災地に送られる。
プロジェクトの目的通り
義援金を集め
被災地に寄り添える
国民的チャリティーソングにしたい!

「花」というと、現在ではこの曲を連想する人が多いようです。
■ガーデニング好きな花を愛する有名人はこちら↓

◆名曲「花は咲く」は菅野よう子(作曲)と岩井俊二(歌詞)の共作!歌詞の意味は?
名曲「花は咲く」は被災地に近い地域の出身である岩井俊二氏、菅野よう子さんが協力して作詞作曲された曲でした。菅野よう子さんも岩井俊二氏も宮城県仙台市の出身です。
名曲「花は咲く」は震災後から長い間、とてもたくさん放送されていた曲だったのを私も記憶しております。
作詞の岩井俊二は「この歌は震災で亡くなった方の目線で作りました」と話していました。
岩井俊二さんも作詞について、色々と悩まれたようでした。

岩井俊二監督(『花は咲く』作詞担当)
その悩みは作詞の岩井俊二さんだけでなく、作曲の菅野よう子さんに関しても同じだったようです。天才作曲家として名高く、マルチタスクをこなすスーパー仕事人の菅野よう子さんをも悩ませる大きな宿題だったということで、この曲は作曲家菅野よう子さんにとっても今までになく「史上最も難解なお題」の1曲だったといえます。
そんな特別な1曲である名曲「花は咲く」が色々な意味で特別であり、ここでも菅野よう子さんが最終的にプロの作曲家として、仕事人として一つの大きな作品を残す事になるわけですが、ここまで菅野よう子さんの制作の意図を深く考えてみる前までの私、そして、多くの菅野よう子さんの曲を知る人々にとってもおそらく、これまでの作曲家菅野よう子さんの曲とはだいぶ色が異なる印象を受けたと思います。
どことなく菅野よう子作品としては「違和感」がある1曲。
◆認知度は抜群だけど…名曲「花は咲く」に抱く、菅野よう子ファンの違和感とは?初期歌詞画像
この違和感は一体何なんだろう。
第一印象で抱いた気持ちをそのまま表現してみると、この名曲「花が咲く」という曲は菅野よう子さんの個性が殆ど出ていない曲だな、、、ということ。そこまで深く菅野よう子さんという人の人生を知らなかったこともあったのかもしれません。作曲家菅野よう子さんが大事にしている価値観をそもそもわかっていなかったとも今は思います。しかし、初期に抱いた名曲「花が咲く」のイメージをあえてもう一度言葉にしてみたとすると、
「彫刻作品」ではなくて「モニュメント」
という印象でしょうか。
やっぱり、菅野よう子さんにはビビットで尖った音の「作品」を期待しちゃうよなあ、と『攻殻機動隊シリーズ』から入った、にわかファンの私としてはつい最近まで長い間思っていました。そういった作曲家菅野よう子さんの「芯」に近い部分がごっそり削がれている曲という印象を名曲「花が咲く」という曲には持つのです。

菅野さん(左)にノセられる阿部友里香選手(右)
ただ、今回、菅野よう子さんの記事を書くにあたり、しばらくモニュメント、モニュメント、、と唱えながら(笑)しっくりこない気持ちと向き合っていたところ、作曲家菅野よう子さんの「不思議な魅力の根幹」へ徐々に近づいて行くうち、別の考えが下りてきました。

「花は咲く」歌詞
名曲「花が咲く」という曲が菅野よう子さんの個性を削ぎ落された形態をしているのは作曲家菅野よう子さん自身の意図だと。
「花が咲く」はおそらく本人の中では、「作品」という位置づけではない。
◆目的達成主義の職業音楽家・菅野よう子が目指した名曲「花は咲く」のゴールとは?
それに気が付いたのは、菅野よう子さんという作曲家のこれまでの生き方について私自身が徐々に理解が深まっていったからでした。よく、菅野よう子さんは自身について「職業作曲家」と自称します。そもそも論で、作曲家菅野よう子さんはこれまでの自身を「アーティスト」と思ったことも「芸術作品」を作った覚えもおそらくなかったのだと思います。
菅野よう子さんがやってこられたことは、常に「主役」を輝かせるための道具を納品してきているイメージだったのです。ただ、これまではそこに、菅野よう子さん自身が幼少期から温めてきた感性が少し入ってくる…。代表的なものは作曲家菅野よう子さんが表現するところの「プリミティブな感性」というものです。(私の好物はどうもココのようですw)
ああそうか!
ようやく私にも、名曲「花が咲く」という曲の制作にあたって作曲家菅野よう子さんが目指したものの輪郭が見えてきました。
今回、名曲「花が咲く」という曲に与えられた使命、つまり「ゴール」は優先順位がどこからかは分かりませんが以下の要素だったと思います。
・チャリティーとしての役目(義援金集め)が達成できる曲であること
・その為に、被災地以外の国民感情にも添え、長く歌われ愛される曲であること
・年代を超えて愛されるために、メロディー的に覚えやすく難易度が高くない曲であること

むしろ、いつもよりもさらに「個性を出さない」必要があったということですね。
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◆菅野よう子が考えた名曲「花は咲くプロジェクト」目的を達成できる曲とは?
では、前述の目的を達成できる曲とはどんなものだろう??
その結論として出てきたものが名曲「花が咲く」という曲だったのだと思います。確かにいつものどこかしらに菅野よう子さんを感じさせるエッセンスが入ってくる曲に比べ、「モニュメント」的ではあるけれど、きっと作曲家菅野よう子さん自身も「それ」を認識していたし、むしろ「それ」こそが狙いだったんじゃないかなと。
多くの人と手をつなぐために、
作曲家の自己主張なんていらない。
出来るだけたくさんの人から愛されなければ目的を達成できない「この楽曲の使命」について菅野よう子さんは「職業作曲家」という誇りにかけて、自分が請け負ったその任務を徹底的に実現する事を目指したのだと思います。

かっこいいですね。
●逆に極限まで「個性」を削ぎ落とすことで「個性」が起こす偏りをなくす
●誰かを傷つける要素のない、極力安全で協調性のあるもの
ともかく たくさんの人から愛される曲。
少なくとも嫌われない曲。
「作品」というものと無縁できているはずの多くの人には、これがどれだけ大きな意味をもつ事か、なかなか想像しにくいことなのかもしれませんが、一般的な「アーティスト」作曲家であったとしたら、とてもできない仕事だと思います。世に残り、自分の作品として認識される以上、個性を削ぎ落として安全を目指すなどということは「作品」をつくる上では逆行する工程だからです。
しかし、それをなぜ作曲家菅野よう子さんにそれができたかというと、何度もしつこく言うようですが
菅野よう子さんにとって、曲は「目標達成の道具」であり、「作品」ではないからです。逆に言うと、菅野よう子さんにとって、「作品」であることよりも「目標を達成」することの方がはるかに尊いことだからだと思います。
■菅野よう子さんの作品と道具の概念はこちら↓

◆NHK東日本大震災復興支援名曲「花は咲くプロジェクト」参加メンバー!歌手名、女優・俳優名、アニメスターキャラクターは?
菅野よう子さんの作曲・編曲と岩井俊二さんの作詞によっが無事、名曲「花は咲く」という曲が完成すると、早速、NHK主導で東日本大震災復興支援活動として「花は咲くプロジェクト」が始動します。各界著名人が、花を手にリレー形式で名曲「花は咲く」を歌うミュージックビデオは大変話題になりました。
みんなで歌おう!というプロジェクト
菅野よう子さん、岩井俊二さんも被災地に近い宮城県仙台市の出身でしたが、初期のプロジェクト歌唱参加者たちも、岩手県・宮城県・福島県の出身者やその土地とゆかりのある有名歌手・タレント・スポーツ選手が選ばれ、名曲「花は咲く」を歌い、それが放映されました。
岩手県
- 盛岡市:仲谷明香(当時AKB48、出生地)・山川恵里佳
- 八幡平市:沢田知可子
- 陸前高田市:千昌夫・村上弘明
- 大船渡市:新沼謙治
宮城県
- 仙台市:荒川静香・イケメン’ズ・岩田華怜・サンドウィッチマン(伊達みきお・富澤たけし)・鈴木京香・森公美子・杜けあき・由規・遊佐未森
- 栗原市:狩野英孝・かの香織
- 大崎市:さとう宗幸
- 塩竈市:大友康平(出生地)
- 石巻市:涼風真世
- 気仙沼市:生島ヒロシ・熊谷育美・畠山美由紀・マギー審司
- 牡鹿郡女川町:中村雅俊
- その他:野村克也
福島県
- 福島市:梅沢富美男・加藤茶・佐藤B作
- 郡山市:西田敏行・本田武史
- 須賀川市:門倉有希
- いわき市:秋吉久美子
- 双葉郡浪江町:原田直之
以上は出身地の自治体ごとに掲載しており、2013年1月時点のもので表記しています。この他にも、現在では初期オリジナル版で歌唱に参加していなかった歌手も含め、名曲「花は咲く」のカバー版も多くリリースされています。作曲家菅野よう子さんもピアノバージョンを出されています。
名曲「花は咲く」は1曲の歌の歌詞を分割して1曲で歌う形式だったミュージックビデオの順番が話題になっていましたので追記しておきます。
◆菅野よう子の名曲「花は咲く」プロジェクト参加歌手・芸能人・著名人のメンバー順番リスト
花は咲くプロジェクトに参加された有名人・著名人・芸能人の方々は以下です。
②さとう宗幸:わたしは なつかしい あの街を 思い出す
③サンドウィッチマン:叶えたい 夢もあった
④イケメン’ズ:変わりたい 自分もいた
⑤村上弘明:今はただ なつかしい
⑥門倉有希:あの人を 思い出す
⑦涼風真世:誰かの歌が聞こえる
⑧佐藤B作:誰かを励ましてる
⑨荒川静香:誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
⑩千昌夫:花は 花は 花は咲く
⑪大友康平:いつか生まれる君に
⑫原田直之:花は 花は 花は咲く
⑬西田敏行:わたしは何を残しただろう
荒川静香さんは花は咲くの曲でのアイススケートの演技も披露しました。
鈴木京香さんは「歌わない」というスタイルで話題となりました。(後述)
⑮岩田華怜、仲谷明香(AKB48):夜空の 向こうの 朝の気配に
⑯沢田知可子:わたしは なつかしい
⑰杜けあき:あの日々を 思い出す
⑱秋吉久美子:傷ついて 傷つけて
⑲生島ヒロシ:報われず 泣いたりして
⑳畠山美由紀:今はただ 愛おしい あの人を 思い出す
㉑由規:誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
㉒山川恵里佳、狩野英孝:誰かの未来が見える
㉓熊谷育美:悲しみの向こう側に
㉔新沼謙治:花は 花は 花は咲く
㉕遊佐未森:いつか生まれる君に
㉖本田武史:花は 花は 花は咲く
㉗野村克也:わたしは何を残しただろう
㉙かの香織:いつか生まれる君に
㉚マギー審司、森公美子:花は 花は 花は咲く
㉛梅沢富美男:わたしは何を残しただろう
㉜全員:花は 花は 花は咲く
㉝全員:いつか生まれる君に
㉞全員:花は 花は 花は咲く
㉟全員:いつか恋する君のために
作詞を担当されたの岩井俊二さんは「この歌は震災で亡くなった方の目線で作りました」と話していらっしゃいましたが、読んでいくと被災された方の気持ち、残された家族の気持ち、その家族のもとへ未来やってくる家族を想う両者の気持ち、と様々な年代の様々な立場、角度からの気持ちを浸透している印象がありますね。
■恐妻良妻?キャラが立ってる奥さん有名人はこちら↓

◆菅野よう子の名曲「花は咲く」プロジェクト参加アニメスターのメンバー順番リスト
名曲「花は咲く」は、なんと「アニメスターVer」というのがのちに出来ます。誰が考えたのか分かりませんが、ホントに面白いアイディアですね(笑)。せっかくなので、名曲「花は咲く」(アニメスターVer)に登場するアニメスターもご紹介します。
①ジャングル大帝
②ちびまる子ちゃん
③ONE PIECE
④うる星やつら
⑤赤毛のアン
⑥宇宙戦艦ヤマト
⑦新世紀エヴァンゲリオン
⑧鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST
⑨NARUTO -ナルト- 疾風伝
⑩けいおん!
⑪機動戦士ガンダム
⑫名探偵コナン
⑬ドラえもん
⑭ふしぎの海のナディア
⑮ルパン三世 カリオストロの城
⑯009 RE:CYBORG(サイボーグ009)
⑰科学忍者隊ガッチャマン
⑱クレヨンしんちゃん
⑲あしたのジョー2
⑳巨人の星
㉑ふたりはプリキュア
㉒AKIRA
㉓魔法の天使クリィミーマミ
㉔劇場版 マクロスF 恋離飛翼 ~サヨナラノツバサ~
㉕ドラゴンボールZ
㉖GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0
㉗サスケ
㉘妖怪ウォッチ
㉙忍たま乱太郎
㉚進撃の巨人
㉛タイムボカンシリーズ ヤッターマン
㉜ラブライブ!
㉝フランダースの犬
㉞火の鳥
㉟鉄腕アトム
㊱未来少年コナン
㊲劇場版 ポケットモンスター ピカチュウとポケモンおんがくたい
いくつか、作曲家菅野よう子さんが音楽を担当されているアニメも入っていますね。菅野よう子さんが音楽を担当されたアニメは以下です。
マクロスプラス(1994年)/マクロスプラス MOVIE EDITION(1995年)/MEMORIES – 『彼女の想いで』(1995年)/天空のエスカフローネ(1996年、溝口肇との共作)/音響生命体ノイズマン(1997年)/カウボーイビバップ(1998年)/ブレンパワード(1998年)/∀ガンダム(1999年)/劇場版エスカフローネ(2000年)/地球少女アルジュナ(2001年)/カウボーイビバップ 天国の扉(2001年)/劇場版∀ガンダム(2002年)/WOLF’S RAIN(2003年)/攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(2003年)/攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG(2004年)/創聖のアクエリオン(2005年、保刈久明との共作)/攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society(2006年)/DARKER THAN BLACK -黒の契約者-(2007年)/創星のアクエリオン(2007年、保刈久明との共作)/Genius Party – 『BABY BLUE』(2007年)/劇場版アクエリオン(2007年、保刈久明との共作)/マクロスF(2008年)/リング・オブ・ガンダム(2009年)/劇場版マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜(2009年)/劇場版マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜(2011年)/アクエリオンEVOL(2012年、大塚彩子との共作)/坂道のアポロン(2012年)/残響のテロル(2014年)ほか
■菅野よう子さんのアニメソングについてはこちらをどうぞ↓


私は∀ガンダムの曲が好きですね。
◆名曲「花は咲く」歌唱収録での菅野よう子とプロジェクトメンバーのエピソード
きっと普通の「アーティスト」作曲家が自身の方向性と異なる曲をやろうとしたら、心の中で「つまらないな」って思うのところを、菅野よう子という女性はそれすら思いっきり楽しむ。

今回も熱血指導の菅野よう子さん
NHKのウェブサイトではまだ熱血指導の一部が映像で見られました。作曲家菅野よう子さんがどんな風に選手の皆さんのやる気を出させるのかというのが少し覗けます。
もはやこれは、菅野よう子の天性の魔法(笑)。
「花は咲く」の楽曲は色々なアスリートや著名人、有名人が歌って参加するPV作成プロジェクトでもあったのわけですが、彼らに音楽指導をしたのは写真の通り作曲家菅野よう子さん。写真を見ても、かなりイケイケで楽しんでおられる様子です(笑)楽しそーうwww

菅野さん(左)にノセられる佐藤圭一選手
もうほんっっとに、プロだな、と。
菅野よう子さんがご自身の仕事について「職業作曲家」と自称する以外に「通訳」だとか「道具」「言語」「プロデュース作業」という表現をよくします。
今回は天才職業作曲家の菅野よう子さんでも当初は、色々といつもとは勝手が違う制作工程に悩まれていたようでしたが…
始まってしまえば、コッチのもん(笑)
そんな中で、作曲家菅野よう子さんと参加者の間にいくつかのエピソードがありました。
◆菅野よう子と名曲「花は咲くプロジェクト」メンバー:羽生結弦
前述のリレー唱歌ではない別の形で「花は咲くプロジェクト」に参加された羽生結弦さんのパフォーマンスも大変素敵なものでした。さすがは氷上の表現者、というところでしたが、今回は氷上ではないところでの羽生結弦さんのパフォーマンスも観ることができ、とても貴重な企画にもなりました。

参加する 羽生結弦さん
そして、羽生結弦さん自身も東日本大震災の被災者の一人でした。地震発生時、羽生結弦さんは仙台市のアイスリンク仙台において先輩スケーターと共に貸切状態で練習中だったのだそうです。羽生結弦さんは四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難したということを後に語っています。
羽生結弦さん本人やご家族、コーチ、リンクメイトは無事だったそうですが、アイスリンク仙台は被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごしたということで、そこで自身が体験したもの、見たもの、感じたことがすべて「花は咲くプロジェクト」の中でも投影されていたのだと思います。
羽生結弦さんは「花は咲くプロジェクト」参加についてこのように語っています。
本当に自分がスケートで培ってきた、または考えてきた表現というものを出そうと思って頑張った。
震災発生後しばらくの羽生結弦さんの気持ちは、震災で多くの死者・行方不明者が発生している現実を目の当たりにし、大勢の避難者が避難所生活を強いられている時に「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたと言います。
しかし、震災を経て、すぐにメッセージを送ってくれたジョニー・ウィアーらや、ファンからの手紙、練習場所を失ってしまったいちスケーターとしての羽生結弦さんの現状を伝えるメディアなど、それに対して練習場所の提供を申し出てくれる方々など、様々な支えにより生きていることを痛感し改めて決心したのだそうです。
目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう。
自分にできることは何か?
そうした被災者の一人としての思いや、金メダリストとして常に自身の表現に磨きをかけてきた羽生結弦さんのパフォーマンスは話題を呼び、その後もいくつもの企画を実現しました。
2014年6月より、羽生結弦が実際に被災したアイスリンク仙台で滑る「花は咲く〜羽生結弦Ver.〜」が放送され、ピアノと歌唱は羽生結弦と親交のある指田郁也が担当している。
また2014年7月より、前述の演技の合間に静止写真を挟み込んだ「花は咲く〜羽生結弦フォトメモリアルVer.〜」も放送された。「花は咲く〜羽生結弦Ver.〜」は、NHKのテレビ国際放送「NHKワールドTV」が開催する「NHK Viewers’ Choice Award 2014」のスポーツ&テクノロジー部門において1位に選出された。
さらに2014年の「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」(なみはやドーム)のエキシビションにおいて羽生結弦が披露した演技に、別角度から撮影した映像などを加え、再編集を行い再発信した「羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」」が2014年12月より放送された。
羽生選手が居てくれることで「花は咲くプロジェクト」への関心もずっと続いていますね。
◆菅野よう子と名曲「花は咲くプロジェクト」メンバー:パラリンピック・アルペンスキーの村岡選手と本堂選手の話
名曲「花は咲く」プロジェクト実行に際し、作曲家菅野よう子さんがプロジェクト参加者に同じ「花は咲く」という曲を歌ってもらうという同一の条件を提示しても、それに対して返ってくる「答え」は千差万別だったようです。

パラリンピック 村岡桃佳選手
菅野よう子さんが名曲「花は咲く」プロジェクト参加者と歌の録音作業に参加されている間で特に印象に残ったシーンがあったそうです。
パラリンピック・アルペンスキーの村岡選手と本堂選手の会話が印象に残っています。おふたりは友人同士なのですが、本堂選手の歌の撮影を、村岡選手がご覧になっていたんです。シリアスに歌う本堂選手のファーストカットを見て、村岡選手がこう言ったんです。
「笑ったらいいのに」って。
そしたら本堂選手も「そうだね」と笑顔で歌い始めて…。でも「笑ってもいいのかなぁ?」とも話していて。
もう是非!是非笑ってください!と。
(唄ってくださる方たちみんな)自分が今感じている気持ちをそのまま出してもらえることが、私が願っていることです。
菅野よう子さんは名曲「花は咲く」プロジェクト参加者の気持ちの表現を残すことを願っている。
プロジェクト参加者みんなの「作品」にはする気満々!!

パラリンピック 本堂杏実選手
さらに、作曲家菅野よう子さんはインタビューに対してこう続けています。
大災害とかつらいことがあると、おもんぱかって笑っちゃいけないのかなっていう風に感じたり、大きい声で歌ったら失礼じゃないかなって感じる方が多いと思うんですけど、そういうのを忘れる時があってもいいなというのが、私が作った時の気持ちです。
なので
深刻にならずに、
真剣に。それが復興につながっていくといいなと思います。
深刻にならずに、真剣に。

『花は咲く』録音作業時の菅野さん
「花は咲く」というみんなで作った名曲が長く愛されて長い支援につながり、被災地の復興につながることを望んでいる作曲家菅野よう子さんなのでした。
◆菅野よう子と名曲「花は咲くプロジェクト」メンバー:鈴木京香はなぜ歌わなかったのか?
みんなで歌ってつなげる名曲「花は咲く」プロジェクト参加者の中で、唯一「歌わない」という形で注目されたのが女優の鈴木京香さんでした。

歌わず祈るパフォーマンスで話題を呼んだ鈴木京香さん
ここにも、鈴木京香さんの強烈な個性と気持ちを投影するパフォーマンスがあります。作曲家菅野よう子さんが望んでいた参加者の「作品」にする意図もしっかり実現していることになります。
鈴木京香さん自身がなぜ名曲「花は咲く」を歌わなかったのかについて語られている情報は見つけられなかったのですが、この圧倒的な存在感を現したパフォーマンスにより、かえって鈴木京香さんの「歌わないパフォーマンス」は見る人の印象に残り、話題性を長く残すことになりました。
同じ名曲「花は咲く」プロジェクト参加者である西田敏行さんと森公美子さんは鈴木京香さんのパフォーマンスについて、このように話しています。
ビデオには女優の鈴木京香も出演しており、歌うことなく、黙とうをするように目を閉じる。この演出について西田敏行は
「友人からメールで『いまNHKでやっている曲いいな~』と言われまして。『鈴木京香さんは何で歌わないんだ』とも聞かれたけど、あの人は花を持っていてくれればいいんだよと、答えました」と切り出す。すると森公美子も
「それはわたしもよく聞かれますね。鈴木京香さんはいるだけでいい、花なんです」と彼らなりの解釈を明かした。
語り継がれるには、物語に謎があった方がいい。
「鈴木京香さんがなぜ歌わないのか問題」に答えが示されなかったことは、とても大きな功績を残すことになりました。色々な人の間で様々な考えが着地せず浮遊したまま「残った」のです。
「忘れられないこと」は長い支援の実現に対する、ひとつの課題。
それを元々鈴木京香さんが意図的に考えていたとは思えないわけですが、結果的にはそうした効果を残すことに成功しています。「なぜ鈴木京香さんが歌わないのか問題」は多くの人にとって謎として残り、インターネット上でもその疑問が多くの人たちの間で共有されています。
このパフォーマンス自体が、一歩間違えば非難されることも考えられ、とてもリスキーなものであることは鈴木京香さんも覚悟の上だったと思います。どなたかもおっしゃっていましたが、「日頃謙虚で美しい鈴木京香さんがやるところに深い意味がある。」 という言葉につきます。
忘れないという気持ち
鈴木京香さんが伝えたかったことも「私はあなたたちのことを決して忘れません、だから、あなたたちは私の中でこれからも生き続けますよ。」という祈りだったのかな、と私は想像しています。
■パンプス強制に異議あり!#kutooムーブメントはこちら↓

◆菅野よう子自身が名曲「花は咲く」作曲に際し寄せた想いとは?
あれだけたくさんのCMを作っているのですから、よく考えるとごく自然で当たり前のことなのかもしれませんが、やはり菅野よう子さんは「職業作曲家」であり「目的達成音楽のプロ」なのだ!ということがここまで名曲「花は咲く」という曲の制作過程を通して、さらに強く印象に残りました。
みんなで目的地に辿り着きたい!
手を取りあって、あったかい気持ちで。
名曲「花は咲く」の作曲について作曲家菅野よう子さん自身はインタビューでこうお話しています。
■― 「花は咲く」の作曲は菅野よう子さんですが、当時、どのような気持ちで作られたのかお聞きしてもよいですか?
最初は私自身がどう感じていいのか、どう考えていいのかわからないっていうくらい混乱した気持ちだったので、とにかく「私は今も元気でやっています」というのを、この世にいなくなった人たちに伝えるというような気持ちで作っていました。
菅野よう子さんも気持ちの整理ができない段階で「花は咲く」の制作に入ったということのようです。しかし、作曲家菅野よう子さんの「作品」にするつもりはないということは当初から大前提であったようです。
菅野よう子が名曲「花は咲く」作曲において目指したこと。
作曲・編曲の菅野よう子は
「100年経って、なんのために、あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願っています」
と語っている。
「詠み人知らず」!!
こういった概念こそが作曲家菅野よう子さんの生き方を象徴している個性なのかなと。名曲「花は咲く」という曲が、これまでの曲とは全く違った角度からのアプローチで出来上がった曲であったことがこのインタビューからもうかがえます。
菅野よう子さんの「私は今も元気でやっています」というのを、この世にいなくなった人たちに伝えるというような気持ちで、ということを聞くとますます、プロモーションビデオ撮影時の村岡選手と本堂選手の話にあった、「笑ってもいいのかどうか?」のお話のくだりの意味がよくわかるエピソードですね。
大好きな人たちにはいつもその人らしく笑っていてほしい、それはきっとたとえ亡くなられた方でも天国から思っていることなのかなと思います。
◆2014年 菅野よう子プロデュース名曲「花は咲く」に新しいバージョン!?アニメーションの意味は?
2014年になると作曲家菅野よう子さんは改めて、「花は咲く」を長く愛してもらうためのアプローチを開始します。アニメーション監督を務める加藤道哉さんと女優の高畑充希さんと共に、新しい「花は咲く 東北に咲く」を完成させました。
新しいアニメーションは「花は咲く」にのせた現代のおとぎ話
アニメーション監督を務める加藤道哉さんはこのように語っています。
本作は「花は咲く」にのせた現代の御伽噺です。登場するのは悲しみの向こう側へ向かおうとする座敷わらしと、それをひたむきに応援するどーもくんとチャロ。なんとなくみんなどこか頼りないです。そんな彼らを花の電車が支えます。この花列車は、新しく芽生える草木の生命力の象徴として描きました。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュでもあります。
この作品を見て、ほんの少しでも気持ちが明るくなって頂けたらと切に願います。
そして何より未来を担う子どもたちに、この作品を楽しんでもらえたらうれしい限りです。
名曲「花は咲く」に親しんでもらう為の媒体を変えていくことで、より多くの年代や人々にも「花は咲く」が残るようにという取り組みで、加藤道哉さんとしては「子供たち」に重心を寄せているようですね。
歌を担当した女優の高畑充希さんはこう語っています。
アレンジが全く違うことで、
気負わずに、大らかな気持ちで歌える
「花は咲く」は歌ったことがありましたが、今回はアレンジが全く違うんです。歌詞もメロディーも聞く人によってさまざまなとらえ方のできる楽曲なので、「これを伝えなければ」と気負わずに、大らかな気持ちで歌うことができました。耳にしてくださった方が「何か」を感じ取ってくれたらうれしいです。
この、高畑充希さんが言っている「もっと気負わずに楽な気持ちで」ということが浸透することを作曲家菅野よう子さんは目指したのでしょうね。
新しくできた名曲「花は咲く」のお話のあらすじはこちら
とってもストーリーとポップなアニメーションで新しい名曲「花は咲く」も多くの人から親しまれそうですね。
作曲家菅野よう子さんのこの企画に対する想いはこうでした。
この曲、目的に対する「向き合い方」が変わってきたこと
震災から3年が経ち、この歌に対する向き合い方が変わってきたことを感じます。立ち上がる勇気、その背中を少しだけ押せるよう、全体を明るくアレンジしました。
一方、何も終わっていない、始まっていない、未だ取り残されたままのところもきちんと表現したいと監督と話し合いました。高畑さんの透明でしなやかな歌声を得て、もうちょっとがんばれそうな気が、私はしています。
菅野よう子さんは最初の「花は咲くプロジェクト」始動から時間を経て、「長く愛してもらえて残っていく」ためのアプローチを変えて増やしていく必要を感じ、大変なことはわかっていたけれど、再度チャレンジしたようです。
これだけやっているのに作曲家菅野よう子さんには永遠に著作権が入らないなんて、頭が上がりません。。
みんな自分ができることをやる。続ける。
忘れないことだって支援になる。
改めて、その姿勢を作曲家菅野よう子さんから教えてもらった気がしています。
そして、名曲「花は咲く」を名曲にしたのは参加したプロジェクトメンバー皆の気持ち、これからも歌いつづけるこの国の人たちだということです。
【花は咲く】音の魔術師・菅野よう子☆降臨 | 番組 | あしたブログ | 明日へ つなげよう – NHK https://t.co/E54EqKVOOH
— Kanno & Maaya News (@id0331) June 22, 2018
こちらでムービーがNHKのウェブサイトから見られます(外部リンク)

結構ジーンとしてしまいます
◆2015年 菅野よう子名曲「花は咲く」歌詞変更を提案
東日本大震災が発生した2011年から4年が経った頃、作曲家菅野よう子さんは作詞家の岩井俊二さんに相談をし、承諾を得て復興支援ソング「花は咲く」の歌詞の1か所について変更を提案します。
変更部分は以下の場所だそうです。
亡くなった人の視点で語っていた「わたしは何を残しただろう」の3度の繰り返しのうち最後の1回だけをこれからを生きる者の視点で「わたしは何を残すだろう」に。
東北地方向けにMay.Jさんが歌う「花は咲く」新バージョンから放送されたということです。
「花は咲く」の歌詞のいったいどの部分が変わったのでしょうか?
4年経ってようやく言える歌詞。
NHK仙台放送局によると、詞を変えることを考えたのは、作曲者で仙台出身の菅野よう子さん。
「4年が経ち、自分もやっと一歩立ち上がってみようという気分になった。そこで初めて曲の最後で、何を残すだろう、と言えた」
「東北の人が一歩前へ進む勇気に、寄り添えたらと思う」と語っている。作詞者の岩井俊二さんにも相談し、賛成してもらったという。
この歌詞変更の提案については、普通に考えると作詞家が一生懸命作って出してきたものに口を出すことになりますから、作曲家菅野よう子さんのこれまでの性格上はちょっと考えにくいことだな、と私個人的には思ったのですが、この変更によっての効果がいくつもあったから、という事なのだと思います。
そのひとつにはもちろん「歌詞の意味として」という説明された意図としてのことも理由の一つでしょうが、作曲家菅野よう子さんの狙いとしては歌詞変更によって「花は咲くプロジェクト」に対する新しい話題性と注目が得られることもあったと思いますし、「忘れないこと」を改めて共有出来る事、また、この名曲「花は咲く」に語り継がれるエピソードになるということもあったのかなと思います。
創意工夫を重ねて、ゴールがいまだ見えないプロジェクトの目的達成へエネルギーを注ぐ菅野よう子さんなのでした。
■愛弟子だった坂本真綾さんとのお話はこちらです↓

余談ですが、同じようにMay.Jさんの曲も作曲家菅野よう子さんはプロデュースしています。
◆菅野よう子の「花は咲く」は現在ではピアノやバイオリン演奏、合唱など日本中で歌われyoutube発信される大成功の1曲に
ラン・ラン氏もボーナストラックに「花は咲く」を入れてくれています!
ラン・ラン「ピアノ・ブック」世界中のピアノを愛する人すべてに捧げる『音楽する喜び』、オール・タイム・ベスト・ピアノ小品集!好評発売中!
デラックス・エディションCD2枚組には、日本盤のみ「花は咲く」ボーナス
トラック付!売れてます!#ランラン#ピアノブック pic.twitter.com/bkyeqOfxVe— CDショップ 五番街 (@shop_gobangai) April 21, 2019
20歳のバイオリン演奏も!
『花は咲く』の演奏動画が2万回再生を超えました!沢山の高評価もありがとうございます。
Oboe:吉川直貴、Violin:渡邊達徳、Piano:長田翔一(全員20歳の時の演奏です)
https://t.co/xlGui21FJu— Ob&Vn duo Oblivion (@duo_oblivion) September 15, 2017
演奏だけでなく、合唱も国内外でたくさん歌われています!
8年ぶりにワシントンDCの合唱団で歌ってきました。私にとっては震災の原点をめぐる旅、でした。ちょっぴり苦手だった歌「花は咲く」と出会い直した話。先日の「群青」に続き、「歌うことは忘れないこと」第二弾コラムです/あした元気になあれ:花は咲く=小国綾子-毎日新聞 https://t.co/TTaoeX6dIW
— おぐにあやこ (@ayaoguni) April 17, 2019
菅野よう子さんの目論み通り、たくさんの人に歌われる、愛される1曲として歩んでいます。
■フジコヘミングさんの慈愛のお話はこちら↓

◆日本のお茶の間を合唱でひとつにした菅野よう子の名曲「花は咲く」チャリティーとしての義援金は?
そうして、日本中の心をひとつにした名曲「花は咲く」という楽曲は、2014年の第8回大正琴音楽大賞を受賞しています。
2015年3月には、さらにコンピレーションアルバム『ハナハサク』が発売され、2015年までの定時番組放送で使用されたシングルがほぼ収録されているということです。
チャリティーソングとして義援金も着々と集まり、被災者の元へ行っているようです。
平成26年2月末時点で約1億1000万円!
■浅田真央さんとお母さんのお話はこちら↓

◆菅野よう子名曲「花は咲く」カバー、演奏、楽譜、カラオケなどで著作権料分がすべて義援金として寄付される
義援金のしくみとしては「花は咲く」の著作権料が全額寄付として被災地に送られるということなので、この歌を国中で歌って長くみんなで愛することが結果として被災地への長い支援につながるということです。

みんなでこれからも長く歌おう♪
■作曲家菅野よう子さんと元旦那さんのお話はこちら↓

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