甲本ヒロト結婚~弔辞の愛情伝説&名言に元恋人・野沢直子、嫁子供の愛の軌道!


’80後半から’90年代、甲本ヒロトさんというロックンロールの登場人物が伝説のバンド「ザ・ブルーハーツ」として私たちの目の前に立ちはだかっていました。そこから30年以上たった今、甲本ヒロトさんが私たちに届け続けてくれていた愛情がなお一層鮮やかに感じるのは私だけでしょうか?

今回はそんな甲本ヒロトさんの愛情を広げてくれてきた元恋人とのお話や、話題となった弔辞、名言などを通して、甲本ヒロトさんの愛情に触れる回としたいと思います。

 

 

「スポンサーリンク」
  1. ◆甲本ヒロトの別れた恋人への愛情が深い名曲「ラブレター」ファンへの想いもカッコいいyoutube画像・動画
  2. ◆甲本ヒロトに渾身の「ラブレター」を書かせた愛する女性にタレント・野沢直子がいた?その恋愛は?画像
    1. ◆甲本ヒロトと元恋人の野沢直子のその後の経過(時系列)
    2. ◆甲本ヒロトと元彼女の野沢直子の破局原因にDV?別れた理由に暴力があった?伝説の『夢で逢えたら』画像
    3. ◆甲本ヒロトは地雷を踏んだ?元カノ・野沢直子の破局原因にアーティスト同士のプライドと恋人同士の誤解とすれ違い 画像
    4. ◆25年以上の月日を経て、野沢直子が「しくじり先生」で当時を語る。見えた甲本ヒロトとの別れの理由と仲間たちへ対する深い愛情。
  3. ◆甲本ヒロトは1995年までに自死しようとしていた時期があった、自殺の希死念慮を止めたのはダウンタウンの松本人志の「笑い」という話
    1. ◆甲本ヒロトの自殺を食い止めた時の曲がある?「日曜日よりの使者」の使者はダウンタウンの松本人志?
  4. ◆甲本ヒロトが愛した女性はどんな人?恋人・元彼女だった人に女優・坂井真紀がいた?その恋愛は?
    1. ◆甲本ヒロトと元・恋人の坂井真紀のなれそめは?お揃いタトゥーをフライデー?画像。野沢直子とボブももっとすごかったw
  5. ◆ブルーハーツ・甲本ヒロトが結婚してしまった!?嫁・ゆみってどんな素敵な女性?西松屋でフライデー画像?
    1. ◆甲本ヒロトと真島昌利の「ザ・クロマニヨンズ」命名伝説!名前の由来にまたも野沢直子の影が!
    2. ◆甲本ヒロトとほぼ恋人の真島昌利の初恋が「ザ・クロマニヨンズ」の恋愛究極のラブソング「恋に落ちたら」になった
  6. ◆ブルーハーツ・甲本ヒロトの結婚・幸せに関する名言!子供の名前は?子供の頃は?画像
    1. ◆甲本ヒロトの恋愛と結婚・幸せ・生きざまに関する名言
  7. ◆甲本ヒロトが忌野清志郎(キヨシロー)に捧げた伝説の弔辞全文とyoutube、ツイッター画像

◆甲本ヒロトの別れた恋人への愛情が深い名曲「ラブレター」ファンへの想いもカッコいいyoutube画像・動画

 

出だしから個人的な話で恐縮ですが、私のわりと最近の事として、長く愛情関係にあった人と、今後の長い道のりを考えるとお別れした方がいいのではないかと思い、(長くなるので諸事情は端折りますがw)

数か月連絡も取らずにいたところ、私のところに甲本ヒロトさんの「ラブレター」という曲がお届けされました。

 

 

こちらは1989年12月「ラブレター」を熱唱した時の「ザ・ブルーハーツ」時代の甲本ヒロトさんです。

 

 

 

 

めっちゃかっこいいよー!(泣)

 

 

 

 

名曲「ラブレター」それは反則だろ(泣)!

 

 

もちろん、甲本ヒロトさんから送られてきたわけではなく(笑)その相手が気を利かせて送ってくれたものでした。

 

私がずっと、若い時代の反省として抱いているものに甲本ヒロトさんのような情熱男性に愛される女性になぜならなかったのか?というものがあり(笑)

その種の叫びをそこまでお相手は永遠聴かされてきていたので、いったいどんな男性が理想だったのかを改めて彼なりに「この愛の反省」として(?)研究してくれたようでした。そう思うと、彼は彼でかなり情熱的な素敵な男性です。

 

 

 

 

その、甲本ヒロトさんが魂を削って書き上げた完全に愛情が容量オーバーな「ラブレター」の歌詞がこちら…

 

 

本当ならば今頃 僕のベッドには

あなたが あなたが あなたがいて欲しい

今度生まれた時には約束しよう

誰にも邪魔させない 二人のことを

 

読んでもらえるだろうか

手紙を書こう あなたに あなたに 

あなたにラブレター

新しいステレオを注文したよ

僕のところへ遊びにおいで

あー あー ラブレター

百分の一でも

あー あー ラブレター

信じて欲しい

他の誰にも言えない

本当のこと

あなたよ あなたよ 幸せになれ

あなたよ あなたよ 幸せになれ

 

 

あなたよ あなたよ 幸せになれ。

 

 

 

 

…結果、「私は」まだそのお相手のお側に置いてもらうことにしました(笑)。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

意思よわっ!(笑)

 

 

なぜ、こんな恥ずかしいだけの出来事をわざわざ書くかというと、この「ラブレター」という曲がおそらくは甲本ヒロトさんがとても愛してやまなかった大事な女性との失恋ソングだということがその歌詞から推測され、

 

 

そして、その後もきっと甲本ヒロトさんの部屋へその女性が「新しいステレオ(※歌詞参照)」を見に来ることもなかったのではないかと思われるからです。

 

 

でも、でも…この曲があったおかげで、続くことになった関係が現代に地味にあったんだよ…ということで。やっぱりどうでもいい話でしたが(笑)きっとそういうことがあったと知ったら、甲本ヒロトさんなら少しくらいは嬉しいんじゃないかと思ったので…。

 

 

画像:youtube動画より

 

1989年にリリースされたこの名曲「ラブレター」は作詞も作曲も甲本ヒロトさんです。私にとって甲本ヒロトさんは自分の感性に大事な時代に活躍していたカリスマ・ロッカー「ザ・ブルーハーツ」の一員であり、メッセンジャーであり、仮に近くにいたとしたら理由を考えることなく動物的な直感で本能的に愛してしまうと思うだろうと思われる男性です。

 

 

こちらが中でも特に素敵な「ラブレター」のyoutube動画です。

甲本ヒロトさんが歌う直前までファンに語りかける言葉のひとつひとつにも、その人柄と愛情の大きさがにじみます。

 

 

世界へ愛の大きさをしらしめる 甲本ヒロトの生きざま。

 

ブルーハーツ / ラブレター (1988.12.31)

 

 

でも、1990年代当時の私自身はあまり有名人の熱烈なファンをやることが体質的に心地よくなかったのか?それとも叶わぬ恋にぞっこんになるもとなるのもますます幸薄感が増すと思ったからか?

 

あんまりたくさん甲本ヒロトさんの曲を聴いて見たりはしてきませんでした。もちろんその他色々な諸事情もここまで全く知りませんでした。そっと、たまに人生の中で現れては、私に力をくれる人、それが甲本ヒロトさんでした。

 

 

 

 

何の運命なのか今回、この「ラブレター」という曲を、自分自身の個人的な愛の思い出の切なさと重ねて体感する状況に恵まれ(笑)改めて、甲本ヒロトさんについて調べてみようという気持ちになりました。

 

 

新宿と思われる風景でも名曲「ラブレター」は単なるその辺にいるバンドマンが歌っているがごとく歌われていました。新宿という街に対する、甲本ヒロトさんなりの礼儀だったのでしょう。そんな姿すら、尊いのであります。

 

 

画像:youtube動画より

 

またこれもどうでもいい話ですが、このブログでは基本的に女性有名人を取り挙げることに(勝手に)しています。男性である甲本ヒロトさんが登場するのは想定していなかったことでもあります。だいぶ例外的なことです。

 

愛すべき男性甲本ヒロトの「愛」たるものを、もっか愛の迷子である女性たち、愛を既知の女性にも今回お届けできればと思い書いていきました。

愛がいっぱいあって、悪いことってないと思うし…。

 

 

「スポンサーリンク」

◆甲本ヒロトに渾身の「ラブレター」を書かせた愛する女性にタレント・野沢直子がいた?その恋愛は?画像

 

甲本ヒロトさんが愛した女性のひとりにお笑いタレントの野沢直子さんがいたと言われています。また、あの名曲「ラブレター」はなんと野沢直子さんとの恋愛の終焉に際し書かれた曲だと言われているのだそうです。知らなかった!

 

 

 

 

人生の一瞬でも甲本ヒロトさんの瞳にうつり、深く愛し愛され、一緒に思い出をつくった時間と、さらにはラブソングまでが残されているなんて、本当に羨ましい!としか言いようがありません(笑)。

 

 

野沢直子さんというと、今でこそ、若い人たちには「たまに出稼ぎ帰国するよく分からない昔のタレントのお笑い芸人」だと思われていますが、その昔、伝説のお笑い番組『夢で逢えたら』198810月から1991年3月の自主降板まで出演されており、

 

 

甲本ヒロトさんと野沢直子さん 

甲本ヒロトさんと野沢直子さん

 

 

その後、大御所お笑い芸人となるダウン・タウンウッチャン・ナンチャン清水ミチコさんと共にその時代のアンニュイな笑いと心地よさを築き上げていったその種のゾーンではナイフのようにエッジが利いたカリスマ女性でした。

 

 

思い出すだけで豊かな時代!

 

 

『夢で逢えたら』伝説の出演メンバー

『夢で逢えたら』伝説の出演メンバー

 

 

この番組はこれまた同じく一流芸人として後世に生き残ったとんねるず『ねるとん紅鯨団』のあとの放送枠ということもあり、深夜番組にもかかわらずだいぶ注目度の高い番組でした。フジテレビのクオリティーとしては全盛期とも言えました。(全国ネット化してからの視聴率の記録として最高平均視聴率20.4%を記録している深夜番組としては超異例の番組)

 

 

『夢で逢えたら』の番組のオープニングはこれまたサザンオールスターズと奥田民生さん率いるユニコーンリンドバーグでした。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

まさに色々な意味で伝説の番組だった!

 

 

今思うと、ダウンタウンはそのまま大御所街道を歩みつつ、浜ちゃんに子供ができた辺りでちょっとしたマイルドな予感が漂う中、相棒の松本人志さんがそうはさせん!とばかり最近まで独身を貫いて大事な「エッジ」を頑なに守り、

 

 

ウッチャンナンチャンの二人はウッチャンピン活動のおかまキャラ犬で人気を集めたあたりで、相方ナンチャンが何故か健全すぎるスポーツキャスターをやって堅実な方向に進み始め(どちらが先かは分かりません)、その不調和を露わにしていました。

 

 

 

 

何者にも縛られることのない元々ピンの清水ミチコさんですら、若い頃に色々なものまねで最も気ままにトラブルもなく大人な印象で進んでいたように見えたものの、いつの間にやらものまねブームも去り、姿が見えなくなってしまいました。(個々の人生の詳細を知らないので、一定の距離感のある一般人にはこんな風に映っていました。)

 

 

残された仲間たちも、別々の険しい道を進んでいった様子。

 

 

伝説の『夢で逢えたら』

伝説の『夢で逢えたら』

 

 

そう思うと、

何となくですが、「夢で逢えたら」のあの時空間自体、全員が同じ方向を見ながら一緒に同じ場所に「居て」全員「青春だった」と思われる最高に輝かしき貴重な「夢の時間」だったのだろうと推測されます。

 

野沢直子さんの渡米はそういう意味で、「好きな人とも仲間とも永遠にずっと一緒にはいられないんだ」という人生の運命の切なさを、若い彼らが芸能界で初めて経験したことではなかったか、と思います。

 

 

浜田さんが「意気消沈ゴリラ」と言われた小川菜摘さんとのお話はこちら↓

浜田雅功の嫁小川菜摘の浮気対応と息子がカッコいい!ゴリラ相手画像
芸能界のおしどり夫婦、浜田雅功さんと妻の小川菜摘さんのアツイキスシーン及び、ついうっかり浜田さんが浮気をした際の小川菜摘さんの「神対応!!」として歴史に名を刻んだ妻としてのかっこいい姿を調べました。息子さん2人のかっこいい姿にも注目です。

 

 

◆甲本ヒロトと元恋人の野沢直子のその後の経過(時系列)

 

甲本ヒロトさんが「ラブレター」をリリースしたのが1989年ですからそれ以前に野沢直子さんとの愛情が終了していることが伺え、この年の年末のラストソング「ラブレター」を選んで熱唱していることから、甲本ヒロトさんにとって1989年の最も大きな事象が野沢直子さんとの破局だったのかなと思われます。

 

 

 

 

そこからの野沢直子さんも何かに取り憑かれたように人生をギアチェンをしてしまい、奇行が続くことになります。ざっとお二人の歴史を…。

 

 

1984年 野沢直子、吉本興業に入る

1987年 甲本ヒロト、ブルーハーツでメジャーデビュー「リンダリンダ」「人にやさしく」「キスしてほしい」で見事にロック界の存在感ある人物へ

1988年10月 野沢直子『夢で逢えたら』出演

        甲本ヒロト、「TRAIN-TRAIN」

 

<この辺りで甲本ヒロト野沢直子破局>

1989年年末 甲本ヒロト「ラブレター」熱唱

1990年 秋 この頃には完全に甲本ヒロト野沢直子破局とされた

 

1991年03月 野沢直子、日本での芸能活動を休止し、渡米。ニューヨークの公園で猿のモノマネ

 

1993年 後に同じバンド「チンパンジーズ」のギタリストとなった、2歳年上のボブ・オークライヤーと出会って、たった3日目に結婚。

 

1993年 野沢直子、第一子(長女・真珠オークライヤー)出産

1995年 甲本ヒロトブルーハーツ解散(1995年1月1日号には、「ブルーハーツ集団、解散」の告知)「↑THE HIGH-LOWS↓」結成

1997年 野沢直子、第二子出産(次女・珊瑚オークライヤー)出産

 

2001年 野沢直子、第三子出産(長男・海オークライヤー)出産

2006年 甲本ヒロト クロマニヨンズでの活動開始

 

 

野沢直子さん率いる「チンパンジーズ」の公演

野沢直子さん率いる「チンパンジーズ」の公演

 

 

甲本ヒロトさんと別れた後、「夢で逢えたら」のメンバーとも別れ、日本の芸能界を潔く去った野沢直子さんでしたが、どうやら何も食いブチもなく身ひとつで渡米し、最初はニューヨークの公園で猿のモノマネで注目され、「チンパンジーズ」で出会ったアメリカ人のギタリストのボブ・オークライヤーと出会って3日で結婚してしまうという衝動に出ます。

 

結婚相手のボブさんはギタリストとはいっても当時、まったく売れないミュージシャンだった為、野沢直子さんのヒモ男とメディアから呼ばれるほどの状況だったようです。

 

 

情熱以外、何もないパンクミュージシャンと野沢直子は電撃結婚。

ハート形のお揃いのモヒカンで愛を誓う。

それなりに日本で地位も名誉もお金もあったミュージシャン、甲本ヒロトが何を思ったか。

 

 

結婚式にハート型モヒカンをお揃いで披露した野沢直子と旦那・ボブ

結婚式にハート型モヒカンをお揃いで披露した野沢直子と旦那・ボブ

 

 

 

 

思うに、結構なパンチを食らったに違いない、「日本で名前が売れて成功していた」はずの甲本ヒロトさんです。ボブよりよっぽどたくさん持っていると世間からは思われていたはず。

 

 

しかし、

名前があったって、地位やお金があったからって、

好きな女ひとり守れない、しあわせにできないなんて

それ以上、男としての無力感なんてあるのか?

 

 

と。思ったかどうかは分かりません。また、これが理由かどうかは定かではありませんが、しかし、以降のとある場面で、甲本ヒロトさんは自身をその感受性で追い込み、希死念慮を抱くまでに至ったとされています。(後述)

 

 

◆甲本ヒロトと元彼女の野沢直子の破局原因にDV?別れた理由に暴力があった?伝説の『夢で逢えたら』画像

 

甲本ヒロトさんと野沢直子さんの破局理由には甲本ヒロトさんからのDV暴力があったのではないかと各紙はこぞって報道していたようです。破局前後の時間帯を再度見ていくと甲本ヒロトさんのブルーハーツがメジャーデビューし爆発的なヒットを飛ばすのが1987年

 

 

 

 

そして、翌年1988年には今度は野沢直子さんの方は伝説の人気番組「夢で逢えたら」のレギュラー出演が開始ということで、たまたまとはいえ、つくづく計画されたような悲恋だなと思うのは人生でも最も忙しい、そしてチャンスをつかむための時間帯に二人とも同時にいたと言えることです。

 

 

とにかく、とても忙しかったふたり。

 

 

そんな中でも、野沢直子さんは甲本ヒロトさんのことを「ジョニー」と親しんで呼び、外野から見ればかなりのラブラブっぷりで、バカップルだったとも言われています。

 

 

『夢で逢えたら』のゴールデンメンバーと野沢直子さん

『夢で逢えたら』のゴールデンメンバーと野沢直子さん

 

 

けれども、最初の破局理由として報道された内容としては、甲本ヒロトさんは酒癖がかなり悪く、アルコールが回ると普段とは態度が豹変するということが言われていました。

 

また高校時代は官僚に憧れ、かなり勉強に励んでいたとされる甲本ヒロトさんは、アルコールの影響だけでなく学生時代においても弟が喧しいと突如暴れることもあったと言われており、そのエピソードからは多くのクリエイターがそうであるように、精神的に持病のような衝動や葛藤を問題として抱えていたことが想像できます。

 

 

 

 

そんな中で、若かりし甲本ヒロトさんが、自分の大事に思う彼女・野沢直子さんに対しても手をあげていたこともあったのではないかという話です。(報道内容は断定系)皮肉なことには、そう考えると確かに納得がいくことも多かったりもします。

 

 

野沢直子が日本を去る前に言い残したこと。

 

 

野沢直子さんは日本での芸能界活動を休止して渡米する際の会見で甲本ヒロトさんとの関係についても質問されており、このように回答したそうです。

 

 

「もう友達以下の関係ですね。」

 

 

特別な時間を共に過ごし、その時間の自分を誰よりも近くで見てきてくれた相手であるはずの恋人が、これから出会う知らない人達よりも「もう会うことも、抱きしめあうこともない」という意味で絶望的に遠い所に行ってしまうのですから、若い頃の恋愛というのはとてつもなく残酷で虚しい話ですね。

 

 

 

 

ただ、ふたりがそれでも「いい別れ方」をしていたとすれば、大事な思い出と経験をくれた相手にこんな言葉を最後に遺すことは考えにくいわけで、そこには野沢直子さんの甲本ヒロトさんに対する絶望なのか、軽蔑なのか、嫌悪感なのか、ともかくその種の負の感情がその時にあったことは確かのように思います。

 

 

例えば、それが「暴力」なのであれば、とても納得がいく。と。第二に、甲本ヒロトさんは「ラブレター」の中で

 

 

百分の一でも ラブレター 信じて欲しい

 

 

と歌っています。甲本ヒロトさんには「何か」について、野沢直子さんに対し、「もう一度信じてもらいたいこと」があったということになります。

 

 

ここも「暴力はもう決して振るわない」などの話があったと考えると、かなり話がかみ合いすぎてしまうわけですが…。うーん。私の中では甲本ヒロトさんという人と女性に対する暴力というのはとてつもなく遠いイメージだったりします。

 

 

甲本ヒロトが女の人殴ったりするかな。

 

 

それは最初にご紹介したyoutubeを見てもらえばわかると思うのですが、甲本ヒロトさんという人はファンに「風邪ひくなよ。」とか、「(興奮して暴れて)怪我すんなよ。」とか、とにかく小さなやさしさや気遣いに満ちているのです。ちょっと興奮したからといって、こういう人が自分より明らかに弱い女性に暴力を振るったりするかな?と。

 

 

 

 

そう思っていた矢先にもう一つ、甲本ヒロトさんと野沢直子さんの破局の可能性として有力な話も転がっていました。

 

もう一つの理由とは?

 

 

◆甲本ヒロトは地雷を踏んだ?元カノ・野沢直子の破局原因にアーティスト同士のプライドと恋人同士の誤解とすれ違い 画像

 

もう一つ、私がこれはありそう!と思った甲本ヒロトさんと野沢直子さんの破局理由とされるお話が転がっていました。

 

 

 

 

そんなつもりじゃなかった。

 

 

野沢直子がわけのわからない曲をリリースし、甲本ヒロトからのダメ出しがあったらしい

 

 

野沢直子のわけの分からない曲wありそう!!

 

 

なぜなら、野沢直子さんが渡米してからやっていたことは公園での猿ものまねと、その後、旦那ボブと電撃的に行っていた「チンパンジー」での大暴れライブです。その時の姿がこちら。

 

 

 

 

「自由への渇望」と潜在的な自身の「本能の解放」のための工程儀式

 

 

今思うと、お嬢育ちで周りからあれこれ「決まり事」を与え続けられてきた野沢直子さんの内側が暴れ出した、そんな年代だったのかなと思ったりもします。

 

私は当時、渡米後の野沢直子さんにも心の中で注目しており、届いたわずかな情報がこれ、ということでかなりキョーレツでセンセーショナルなニュースでもあったので、とてもよく記憶しています。どちらかというとファン寄り目線の私としても、

 

 

やっべー、野沢直子とうとうコワレたっぽい!

と思っていましたよ(笑)

 

 

 

 

これに近い衝動的なモノが仮に渡米前の野沢直子さんの曲にあったとして、恋人でプロのミュージシャンであり世間で名前ができあがってもいた甲本ヒロトさんが「何か物申す」気持ちになるのも分かりますし、多分その頃の若い甲本ヒロトさんは意識していなかったかもしれませんが、その場面での言い回しって、実は凄くデリケートで技量的に難しかったと思うのです。

 

 

そこで、言い方の難しいアンタッチャブルなその件について、若かりし甲本ヒロトさんが踏み込んで地雷を踏んでしまったことで、野沢直子さんから思いもよらない失望を買うことになったのかなと。

 

 

野沢直子さんが甲本ヒロトは「私」を信じていない「私」を受け入れていない「愛していない」と考えたとしてもおかしくないなと思うのです。

 

 

甲本ヒロトだけには、たとえどんなに周りが愚かだと思おうとも、信じていて欲しかった。ぜったいに。

 

 

 

 

なにか、野沢直子さんがそんな感情的な喪失感と絶望感、拒絶感を持ったとしたら、あの会見での回答は「DV暴力疑惑以上に」しっくりくるな、と個人的には思ってしまいました。

 

 

忙しすぎたから。

 

 

甲本ヒロトさんが後に弔辞を述べることになる忌野清志郎さん率いるRCサクセションにもそんな曲がありました。

 

 

どうして野沢直子さんが当時、そうした思考回路になったのかというのも、この年月を経て徐々に分かってきます。どうやらその頃の野沢直子さんは自分の無力さを痛感し、精神的にかなり追い詰められていた時期にあったようです。外野からすると彼女だって稀有なエネルギーを確実に持っていた女性でした。

 

 

「あんなにエッジのきいたヴィヴィットな女性」だったにもかかわらず、彼女自身の中ではだいぶ自信を喪失して打ちのめされていたいた時期だったようなのです。

 

 

◆25年以上の月日を経て、野沢直子が「しくじり先生」で当時を語る。見えた甲本ヒロトとの別れの理由と仲間たちへ対する深い愛情。

 

そこでいろいろな意味で「いやな誤解」や「いやな想像」「いやな思考」に結びつき、取り憑かれた可能性が伺えます。私がそれを感じたのは野沢直子さんが後年出演した「しくじり先生」でのお話を知った後に抱いた印象です。

 

 

 

 

恒例の出稼ぎ帰国をしていた2017年、54歳の場面で、野沢直子さんは、この番組で渡米した理由をわざわざ詳しく語っていました。1991年3月、「冠番組なんかよりも世界を目指す」と、すべてのレギュラーから降板し、大きなことを言ってカッコよくニューヨークへ旅立った野沢直子さんでしたが、そこにあった心情は

 

 

「劣等感」「無力感」だったというのです。

 

 

野沢直子さんは芸能界を一時引退して渡米した理由を「自分の実力の無さを痛感したからだ」と改めて語ったようです。

 

 

『夢で逢えたら』をやっていたとき、ほかのみんながあまりに面白かったんで、『私だけダメじゃん』って思ったんですけど、そのうちほかの番組に行っても『ダメだ』って思うようになっちゃってと説明。

 

 

前述のように、野沢直子さんが共演ということで「夢で逢えたら」に出演していたメンバーは現在では大御所お笑い芸人として君臨しているダウンタウンウッチャンナンチャン清水ミチコさん。その中に身を置いて、挫折感や無力感を必要以上に感じるのは普通の事のように思います。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

特に忙しすぎて睡眠不足だったりすると、そうなりますね。

 

 

 

 

段違いの才能を見せつけられた

 

 

野沢直子は「収録が始まると胃が痛くなった」。と、事実上の海外“逃亡”を告白した。

 

 

今になって、こんな話をわざわざ野沢直子さんが話すこと自体、その後の人生時間をかけてあの頃の『夢で逢えたら』の仲間たちに対する感謝と深い懺悔の気持ち、愛情を感じますし、

 

同時に海外逃亡が決して甲本ヒロトのせいではなかったことを改めて伝えた機会として、それもまた別の、深い愛情だなと感じました。余生のどこかのタイミングで、野沢直子さんが生きている間にしておかなければならないことリストに入れていたのかな、とすら感じました。

 

 

みんなに伝えておきたかった

「ありがとう」と「ごめんね」

あの時間はどちらも、もう取り戻せないけれど。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

サムライですね。

 

 

 

 

2年後の1993年、当時30歳の野沢直子さんは今の旦那・ボブさんに出会い、電撃結婚をしました。現在は解散してしまっている甲本ヒロトさんを筆頭に爆発的な人気を集めた「ザ・ブルーハーツ」は、そこからも活躍し、伝説のロックバンドと呼ばれるようになりました。

 

 

野沢直子の周りで「偉人」と「伝説」がいつも生まれていた。

 

 

野沢直子さんの行動からは、どんどん栄光の道を駆け上がっていく甲本ヒロトさんの背中へ「ドブネズミへの愛をお前、ホント絶対に忘れんなよ」的な「何か」を突き刺して渡米したのかなという印象を抱かせます。

 

その出来事があって(それだけが理由ではないとは思いますが)、甲本ヒロトさんは後に生命の危機に見舞われるほどの心の負傷を抱え、そこから再び立ち上り「残る伝説」となって現代まで生き続けることになったのかなと想像します。

 

 

余談ですが、別件でフジテレビの人気アナウンサーだった逸見政孝さんの魅力を最初に引き出し伸ばしたのも野沢直子さんだったという話があります。

 

 

司会を務めた逸見政孝は当時フジテレビアナウンサーからフリー司会者に転身したばかりで、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』での野沢直子の言動に振り回されたが、同番組のレギュラー解答者だった山城新伍

「真面目一本だった逸見政孝を、あそこまで面白いキャラクターに育てたのは、野沢直子の功績が大きい」と評価していた。

出典元:Wikipedia

 

 

また、2019年で結婚から26年も夫・ボブと3人の子どもたちとの「家族」を守ってきた野沢直子さんですが、「家族」に対して自身が一番大事にしてきた考えを別番組で私たちに教えてくれていました

 

 

 

 

それは

「一生懸命生きていることを認める。」

というもの。

 

 

甲本ヒロトさんの愛した女性・野沢直子さんは甲本ヒロトさんに愛たるものを教えた恋人だったんだなと。私は今回、とても思いました。

 

 

「もう友達以下の関係ですね。」

 

 

鮮やかな思い出と共に。

 

 

 

 

「TOO MUCH PAIN」

こちらの曲の作詞・作曲は「マーシー」こと真島昌利さんです。甲本ヒロトさんが後に活躍された↑THE HIGH-LOWS↓でもザ・クロマニヨンズでも運命を共にする相方が作った曲なわけですが、甲本ヒロトさんにとっても大事な一曲です。

 

 

 

 

その歌詞(一部抜粋)がこちら。

 

 

引用元:「TOO MUCH PAIN」歌詞より抜粋

 

 

「TOO MUCH PAIN」という曲は「ザ・ブルーハーツ」がアマチュア時代から演奏されていたバラードだったということで、真島昌利さんの作詞作曲なので野沢直子さんとのことが書かれているわけでもありません。ちゃんとリリースされたのは1992年のようです。

でも、甲本ヒロトさんの中ではとても大事な一曲のようです。

 

 

 

画像:yahoo知恵袋

 

 

以前は真島昌利さんのギターのみの演奏で甲本ヒロトさんが歌っていたという事でしたが、1987年頃までは普通に演奏されていたこの曲は、それ以降「特別な日」以外には演奏されなくなったのだそうです。

 

 

兄弟みたいな甲本ヒロトさんと真島昌利さん

兄弟みたいな甲本ヒロトさんと真島昌利さん

 

 

なんとなくですが、甲本ヒロトさんにとって野沢直子さんとの苦く痛くて愛おしい思い出をよみがえらせる一曲ではないかと思います。

 

 

若さが理由の悲恋

その後悔を撫でるような恋愛歌

 

 

 

 

管理人kira2
管理人kira2

そうして見ると、挫折とか傷ついた思い出がたくさんある方が人ってカッコいいですね。自分の人生では勘弁してほしいといつも思いますけどw

 

 

「スポンサーリンク」

◆甲本ヒロトは1995年までに自死しようとしていた時期があった、自殺の希死念慮を止めたのはダウンタウンの松本人志の「笑い」という話

 

1995年の年始には甲本ヒロトさんの伝説のバンド「ザ・ブルーハーツ」の解散が発表され、同1995年には「↑THE HIGH-LOWS↓(THE HIGH-LOWS)」が結成されます。

 

 

松本人志さんが描いたハイロウズの3rdアルバム「ロブスター」のイラスト

松本人志さんが描いたハイロウズの3rdアルバム「ロブスター」のイラスト

 

 

そして、1995年までの期間に甲本ヒロトさんが自殺をしようと考えていたこと、それを救ったのがダウンタウンの松本人志さんのとある番組、テレビを通してイチ視聴者甲本ヒロトの元に届けられた「笑い」だったという話はこれまたひとつの伝説となっています。

 

 

 

 

この話は、実際に甲本ヒロトさんが話した経緯は見つからず、この伝説はおかしいのではないか?という仮説を立てていた方のブログでは・・・

 

 

甲本ヒロト→一切の発言無し

中村一義→自伝で自殺を思いとどまったことを語る

松本人志→ミュージシャンの自殺を止めた話を2002年に自身のラジオ番組で語る

 

 

ということで、中村一義さんの話と混同されてできた伝説であって、事実ではないのではないか?とも言われています。

 

ただ、1995年というと野沢直子さんが日本を去った1991年から、1993年の野沢直子さんのボブとの電撃婚、第一子の真珠ちゃんが誕生し、ブルーハーツの解散までの事象があり、甲本ヒロトさんとして不安定な出来事が多かったのは確かだと言えそうです。

 

 

松本人志さんがハイロウズ「千年メダル」の為に描いたイラスト

松本人志さんがハイロウズ「千年メダル」の為に描いたイラスト

 

 

特に1993年の野沢直子さんの電撃婚と第一子誕生については、もしかすると甲本ヒロトさんの心のどこかで「ラブレターが届き、新しいステレオを突然見に来るかもしれない野沢直子を待っていたかもしれず、別離が未来に対しても決定的に確定してしまったものなのだと受け入れざるを得ない出来事だっただろうという意味で、その後悔と失望は大きかったように思います。

 

 

◆甲本ヒロトの自殺を食い止めた時の曲がある?「日曜日よりの使者」の使者はダウンタウンの松本人志?

 

「日曜日よりの使者」は1995年に発売された「THE HIGH-LOWS」ファーストアルバムに収録された楽曲で、『ダウンタウンのごっつええ感じ』のエンディングテーマとしてオンエアされていたということです。 作詞・作曲は甲本ヒロトさんです。

 

 

 

 

甲本ヒロトさんが自殺を実行に移そうとしたのが語られている話では「日曜日の夜11時だった」ということで、太陽が沈み切って、精神的に内面へ向かいやすい時間帯と言えます。しかしもうこの世には未練もないし生きていられる気力もないと思っていた甲本ヒロトさんに奇跡のような使者がやってくることになります。

 

甲本ヒロトさんは何故かその場面でテレビをつけっぱなしにしており、そこで見たテレビのやり取りにに大爆笑をしたのだとか。それが松本人志さんだったというのが全般の語られている話です。

 

 

甲本ヒロトさんが大爆笑したのは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」のトークコーナーの松本人志さんと浜田雅功さんの軽快なトークで大爆笑!甲本ヒロトさんは松本人志さんで大笑いそして「何だ!俺まだ笑えるじゃん」と自殺を思いとどまったそうです。

そして甲本ヒロトさんが生み出した楽曲が「日曜日よりの使者」と言われています!つまり日曜日よりの使者とは松本人志さんという事です、、

 

 

その件があって、甲本ヒロトさんと松本人志さんに普通以上の親密さが育まれてきた、と思えば、納得いくことも多いので、私としてはこの伝説は本当にあったことなのではないかなと思ったりします。

甲本ヒロトさんが一定の時期まで苦手なテレビに出演していたのも「まっちゃんに会えるから」ということが理由だったと言われています。

 

 

 

 

甲本ヒロトさんは松本人志さんの結婚式にも参加しており、吉本興業以外で呼ばれたかなり限られた親密な関係の人物枠なのだそうです。(宮迫さんがサプライズで呼んだようです)

 

 

 

 

結婚式では松本人志さんの曲である「日曜日よりの使者」甲本ヒロトさんは披露したとも言われているので、この曲が松本人志さんへ捧げる曲として成立していることも含めて考えた時に、やはり、伝説はリアルなのかなと思えます。もしかすると、結婚式でこの曲のエピソードが語られたということも考えられますね。

 

 

 

 

ただ、ここでも、甲本ヒロトさんが、命を助けてもらったからと言ってすぐさま松本人志さんへ報告しに行けるかというと、それも普通なら売れっ子ミュージシャンと言えども難しいと思うので、そこまでの段階にもともと親交があったと考えるのが普通です。

 

 

松本人志さんがハイロウズ「真夜中レーザーガン」の為に描いたイラスト

松本人志さんがハイロウズ「真夜中レーザーガン」の為に描いたイラスト

 

 

そしてそれを考えたときに、浮かぶのは『夢で逢えたら』時代に元恋人の野沢直子さんを介して二人が出会ったのではないかと思うのが自然になってきます。

 

 

崖から落としたのも野沢直子、命を救ったのも野沢直子、と考えるのが妥当かと(笑)

 

 

 

 

このまま、どこか遠く、連れてってくれないか。

 

 

流れ星が たどり着いたのは
悲しみが沈む 西の空
そして 東から昇ってくるものを
迎えに行くんだろ 日曜日よりの使者

引用元「日曜日よりの使者」歌詞

 

 

私からしたら、甲本ヒロトさんだって、使者なのであります。それぞれの使者が、別の使者を救っていけば、この世界は愛に満ちる日がくるのでしょうか。

 

 

「スポンサーリンク」

◆甲本ヒロトが愛した女性はどんな人?恋人・元彼女だった人に女優・坂井真紀がいた?その恋愛は?

 

次に甲本ヒロトさんが特別な関係にあった女性として、もう一人、女優の坂井真紀さんがいると言われています。野沢直子さんとの破局、松本人志さんに命を救ってもらう出来事があり(?)、

 

 

 

 

その後の1998年同じく「THE HIGH-LOWS」時代(1995-2005年)の1998年に出会ったのが坂井真紀さんと言われています。

 

その頃の甲本ヒロトさんの曲はというと…

 

 

 

 

「不死身のエレキマン」(作詞・作曲:甲本ヒロト

自分が自分の世界の主人公になりたかった 

子供の頃から憧れてたものに なれなかったんなら

大人のフリすんな 第一希望しか見えないぜ

不死身のエレキマン

引用元:「不死身のエレキマン」歌詞

 

 

甲本ヒロトさんの歌詞の中にまだ、大人になりきれていない自分との葛藤のようなものを感じさせます。そして、「不死身」という生命力に対する渇望と憧れ、意欲が見えます。

 

 

◆甲本ヒロトと元・恋人の坂井真紀のなれそめは?お揃いタトゥーをフライデー?画像。野沢直子とボブももっとすごかったw

 

元々の馴れ初めとしては甲本ヒロトさんが坂井真紀さんに自身の楽曲を提供したことだったと言われています。当時の甲本ヒロトさんは既に「ザ・ブルーハーツ」ではなく、「↑HIGH LOWS↓」そして坂井真紀さんとは出会いのあと、交際に発展したと言われています。

 

当時坂井真紀さんは28歳、甲本ヒロトさんは35歳だったということで、色々な意味でお年頃ではありました。

 

 

 

 

坂井真紀さんも独特にスパイシーで尖ってたよね。

 

 

坂井真紀さんに楽曲提供をしたのは以下の曲ですが、ビーナス」のジャケットなんかは本当に甲本ヒロトさんの雰囲気そっくりで、すごくかわいい彼女感でいっぱい。この楽曲提供をお願いしたのは坂井真紀さん直々に電話して依頼したということが華原朋美さんとの対談で分かっています。

 

 

4曲目の「ビーナス」っていうのも書いてもらったんですけど。そう、自ら電話をして。

そう、「書いて下さい」って。もう「とにかく書いて下さい」って。

引用元:「TK MUSIC CLAMP」坂井真紀と華原朋美の「シャボン玉」発売の際の対談

 

 

  • 1997年「ビーナス」作詞・作曲:甲本ヒロト(1997年)
  • 1998年「シャボン玉」作詞・作曲:甲本ヒロト(1998年)

 

 

 

 

みるからに「甲本ヒロトの女」という感じ!かわいい!

 

 

華原朋美さんとの対談の際に坂井真紀さんは甲本ヒロトさんの印象について、続けてこのように語っています。

 

 

あのね、なんかね、すごい子供のような、神様のような。すごい素敵な人。あ、天使かもしれない。(中略)

CD出せてすごい幸せで。すごいずっとなんか、学生の頃からファンだったヒロトさんに書いてもらって、CD出せてって。(中略)

ちょっとヒロトさん、ちょっと今LOVEって感じなので。

引用元:「TK MUSIC CLAMP」坂井真紀と華原朋美の「シャボン玉」発売の際の対談

 

 

もうスキスキ全開のメロメロリンです(笑)

 

 

 

 

坂井真紀さんと甲本ヒロトさんと言えば、お揃いのタトゥーをしていたということがエピソードとして残っています。お揃いのタトゥーを若い頃に衝動で入れてしまうということはたまに見かけることですが、お相手と別れた地、大人になった時にどうなのかなと一般人は思うわけですが…

 

 

野沢直子&ボブのタトゥーはもっとヤバかったww

 

 

まず、こちらが野沢直子さんらしい血まみれキティーちゃん。アメリカでもキティーちゃんは大人気という話題があったので、そういう事なのかもしれませんね。

 

 

 

 

次が、野沢直子さんの旦那・ボブに対する愛の証のタトゥーをご紹介。

 

 

 

 

野沢直子さんの左肩にはなぜか大量のバナナのタトゥーと旦那さんのお名前「ボブ」がカタカナで彫られた衝撃のタトゥーがありました(笑)。

こちらのタトゥーのバナナは結婚10年目まで毎年結婚記念日の祝いとして1本ずつ増やしていく儀式をしていたらしいのですが、11年目にバナナのタトゥーの評判があまりよくないのと面倒なのでやめたのだということです。

 

もともと、ボブさんとの出会いも野沢直子さんが猿の格好をしていた時だったということが野沢直子さんの中では「たいせつなこと」なのかもしれません。

 

 

 

 

ちょ、ちょ、やりすぎです(笑)

 

最近では野沢直子さんの旦那さんであるボブさんの腕のタトゥーがかなり素敵だということが分かりました水野純子さんのイラストが彫られているようです。

 

 

 

 

そして、坂井真紀さんへ戻ると、2009年10月に写真家である鈴木心さんと入籍発表し、2010年5月1日に湯島天神で挙式、2011年には第一子(長女)が誕生しているようです。

 

 

鈴木心さんの写真

鈴木心さんの写真

 

 

坂井真紀さんもクリエーター気質というか、そういった人が好みだったようですね。1998年からいつの時点でお別れになったのかは分かりませんが、坂井真紀さんも10年後には幸せなご家庭を築いていました。

 

 

「スポンサーリンク」

◆ブルーハーツ・甲本ヒロトが結婚してしまった!?嫁・ゆみってどんな素敵な女性?西松屋でフライデー画像?

 

甲本ヒロトさんは現在「ゆみ」さんという一般人の女性とご結婚されていると言われています。高校時代の同級生という情報があります。甲本ヒロトさんと同じということであれば、岡山県立岡山操山高等学校ですから、岡山出身の方なのでしょうか。

 

 

 

 

 

2005年頃に結婚されたのではないか?と言われていますが、ファンの間では3月3日が結婚記念日だということはよく知られているようです。2005年の段階で甲本ヒロトさんは42歳。元同級生であるゆみさんもおそらく当時42歳というところで、お子さんができてもおかしくはない年齢ではあります。

 

 

 

 

西松屋で甲本ヒロトさんと奥さんが目撃されたフライデー情報があるという話もありましたが、現状のところ、具体的なものはなかったようです。ひとつ言えることは坂井真紀さんの時とは甲本ヒロトさんの心境は違ったようだと感じる事。

 

 

 

 

坂井真紀さんの時は坂井真紀さんはもう結婚する準備はできていたようですが、甲本ヒロトさんの中ではそれがまだ坂井真紀さんとは別問題でしっくり来ていなかった感を感じるのは私だけでしょうか。

 

 

 

 

実直で男としての責任みたいなものをもってる甲本ヒロトさんなのでした。結婚はコンディションとタイミングと言われる所以を感じます。そしておそらく「ゆみ」さんとの出会いによって、甲本ヒロトさんは結婚に関してしっくり腑に落とすことができたものがあり、着地できたものがあったのでしょう。

 

 

◆甲本ヒロトと真島昌利の「ザ・クロマニヨンズ」命名伝説!名前の由来にまたも野沢直子の影が!

 

その頃の心境に変化があったためか、2006年7月には「ザ・クロマニヨンズ」を結成しています。「クロマニヨン」というと、後期旧石器時代のヨーロッパ、北アフリカに分布した人類ということで、農耕はまだ知らない狩猟採集生活の昔の人類ということになりますから、イメージ的には「サル」に近いものを持ちます。

 

 

精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。

出典元:Wikipedia

 

 

サルと言えば…。

 

一周回って野沢直子さんの「チンパンジーズ」に近い所に来てしまったと思うのは私だけでしょうか(笑)。もしかしたら、甲本ヒロトさんなりの分からないように投げた愛情かもしれませんね。

 

 

 

 

野沢直子とボブに負けないような愛な夫婦になるぜ!

かもしれません(笑)。

 

 

2006年4月5日、アルバムのレコーディングが終了した甲本真島は、ローリング・ストーンズのナゴヤドーム公演を見に行った後、名古屋のホテルでこのバンドの名前を決めようと話し合っていた。

その際、甲本が「クロマニヨンズ」というバンド名を提案すると、真島が「おぉう!」と唸ってポケットから紙を取り出し、そこには偶然にも『クロマニヨン』と書かれていたそうで、この偶然によりバンド名が決定したと語っている。

引用元:Wikipedia

 

 

一応伝説としても甲本ヒロトさんがバンド名を提案し、真島さんと奇跡の一致を果たしたと言われています。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

また伝説が…

 

 

 

 

それとも、長年倒・チンパンジーズ!」甲本ヒロトさんとマーシーの間のテーマだったのかもしれません(笑)!?(チンパンジーより若干進化しているのが気になるw)

 

 

◆甲本ヒロトとほぼ恋人の真島昌利の初恋が「ザ・クロマニヨンズ」の恋愛究極のラブソング「恋に落ちたら」になった

 

CSテレ朝の人気企画で「カルチャースクール」というものがあるそうで、その番組内でお笑い芸人スピードワゴンの小沢一敬さんが「初恋」というテーマでザ・クロマニヨンズ「恋に落ちたら」という1曲を紹介したそうです。(第34回 2010年4月15日初回放送分)

 

 

 

 

あま~い恋心に詳しい小沢さん(笑)

 

 

初めての恋の気持ちを歌った曲なんですけど、この歌はですね、ある言葉だけで全編その歌が綴られてるんですよ。

たとえば普通の歌なら、どこどこで出会ってどういう恋をしてどうなったっていうのが含まれてるじゃないですか。
この歌にはある単語しか出てこない

その単語だけで2分半歌が続いて、だけど、このタイトルを聞いてこの曲を聴くと「ああ、初恋ってこうだったな」って思うんですよ。

出典元:てれびのスキマ

 

 

ザ・クロマニヨンズのマーシーこと真島昌利さんも甲本ヒロトさんと同じくらいに純粋性が高い恋愛を経験されたようです(笑)。ちなみにこの1単語がどんな言葉かと共演者に問いかけ連想させる流れがあり、レギュラー共演者の一人である勝俣州和さんが「死んじゃう」と回答したところ小沢一敬さんはこんな風に回答しています。

 

 

小沢「『死んじゃう』と書くとするならヒロトさんです」

 

 

ロマン組同志はなにか繋がるものがあるようです。真島昌利さんの一言はというと、「あのね」だったのでした。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

みなさんの初恋は一言で表すとしたらどんな言葉になるでしょうか?

 

 

「スポンサーリンク」

◆ブルーハーツ・甲本ヒロトの結婚・幸せに関する名言!子供の名前は?子供の頃は?画像

 

甲本ヒロトさんの子供に関する情報は奥さん「ゆみ」さんの情報以上に何もなく、インタビュー等でも子どもがいるようなエピソードは一切ないようです。

 

 

 

 

しかし、甲本ヒロトさん自身の子供時代についてはいくつかの話が残されており、私が気になったのはこちらです。

 

 

子供の頃、桃太郎少年合唱団に所属していて賛美歌などを歌っていた

引用元:Wikipedia

 

 

子供の頃に讃美歌に触れた人が大人になって第一線で音楽をやっているというのがとても多いなと。まさかロックに!と神様もビックリだとは思いますが、甲本ヒロトさんもちょっとした神様になってしまいました。

 

 

讃美歌を小さいときに聴いていた菅野よう子さんのお話はこちら↓

職業作曲家・菅野よう子とは?神業経歴。曲は「作品」ではなく「道具」
今回は菅野よう子さんの幅広い経歴をざっくり追いつつ、そこに共通して見えてきた菅野よう子さんの作曲に対する考え方について追ってみました。

 

 

◆甲本ヒロトの恋愛と結婚・幸せ・生きざまに関する名言

 

ここで、甲本ヒロトさんのいくつかのことばを集めてみました。

 

世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ

 

悩むことは当たり前だし それこそがダイナミズムだと思うんだよ 
それを楽しめないともったいないよ がっかりする時は思いっきりがっかりしたり 
失望したり 切望したり 恋が叶ってもいいし 失恋してもいいし 
その瞬間をしっかり掴まえて 心臓が張り裂けるような
ダイナミズムを味わうってことが もっとも贅沢な生き方じゃん
引用元:BREATH 00.spring号 

 

ルール破ってもマナーは守れよ。

 

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

 

ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない。

 

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

 

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。 俺らが欲しいのは今だけです。

 

なんだか僕は地球というテーマパークに生まれたような気持ちがするよ
パスポートを持って
引用元:BREATH 00.spring号 

 

未来はお先真っ暗。お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中にすっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したって分かりっこない、素晴らしいものが隠れてるかもしんない。真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

 

幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。

 

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ
何があっても どこかにユーモアがないと 堅苦しくて そこの場所に居づらくなる
引用元:BREATH 01.9月号 

 

楽しいと思った瞬間がゴールなんだ 
楽しきゃいいじゃんと思ってる人間が 楽しいと思ったら もうその先はないんだ
引用元:SNOOZER 02.6月号 

 

はっきりさせなくてもいい、あやふやなまんまでいい僕たちはなんとなく幸せになるんだ

 

だってほかに信じられるものはないんだもん、自分の欲以外

 

生まれたからには、生きてやる。

 

 

甲本ヒロトさんの「名言」はとても人気があって、歌詞も書く人だけに本人は名言にする気はなくてもことばにパワーがあるのですが、私が個人的に好きだったのはこちらのエピソードだったりします。

 

 

 

 

これは南海キャンディーズの山里亮太さんが深夜のラジオ番組で甲本ヒロトさんに会った時のお話でした。

 

 

感激して礼を言うと、ヒロトから「こちらこそ、すてきな場所で歌わせてくれてありがとうね」と礼を返されたといい、

「しかもね、かっこいいのは、リハーサルとかもあってスタッフさんに

『何回も付き合ってくれてありがとうございます。すみません』みたいなの言って、曲が始まったりすんの。しびれたわ、本当に。泣いちゃってんの」と振り返った。

引用元:日刊スポーツ

 

 

甲本ヒロトさんの一番の名言は、その生きざまなような気がします。

 

 

「スポンサーリンク」

◆甲本ヒロトが忌野清志郎(キヨシロー)に捧げた伝説の弔辞全文とyoutube、ツイッター画像

 

忌野清志郎さんが亡くなって、あっという間に10年の月日が経ってしまいました。2009年に忌野清志郎さんが亡くなったたわけですが、今でも甲本ヒロトさんの忌野清志郎さんへの弔辞がとても愛情深く素晴らしかったということが伝説の様に語り継がれています。

 

 

 

 

甲本ヒロトさんはこれがキヨシローさんに逢う最後ということで、キヨシローさんとの出逢いを自分にもたらしてくれたロックンロールへの礼儀として、そしてロックンロールを愛する者の一人として、正装である革ジャンで葬儀に登場しました。

 

 

甲本ヒロト:キヨシロー。えー、清志郎、あなたとの思い出に、ろくなものはございません。突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。レコーディングの作業中には、トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、聞こえないふりをするのが必死でした。

でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし。清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。ステージの上の人だったんだな。

一番最近会ったのは、去年の11月。The Whoの来日公演で、武道館の。そのとき、あなたは客席の人でした。ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。たくさんの人が清志郎に憧れるように、あなたはロックンロールに憧れていました。僕もそうです。

そんな、いち観客どうしの共感を感じ、とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて。それは、業界のコネをフルに活かした戦利品、とでも言いましょうか、ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。

ちっともあなたは、観客席のひとりじゃなかった。僕があまりにもうらやましそうにしているので、2枚あった、そのうちのひとつを、僕にくれました。

(ポケットの中を探る)

こっちじゃねえや……これだ。ピート・タウンゼントが使ってたピックです。これはもう返さなくていいね。納めます。ありがとう。

一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。

うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。

で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。それはあなたが言ってください。どうもありがとう! ありがとう!

甲本ヒロト

引用元:youtube 

 

 

それで、ありがとうを言いに来たんです。

 

 

甲本ヒロトさんが、忌野清志郎さんへだけでなく、これまで忌野清志郎さんを生かして支えてきてくれた周りの方々への感謝も伝えるところに、どれだけ忌野清志郎さんを愛していたか分かりますね。ロックンロールにもロックンロールを支えてくれて来た人々にも感謝を伝えました。

 

 

 

 

忌野清志郎さんもまた、甲本ヒロトさんにとっては、愛を知らしめてくれた人のひとりなのでしょう。

 

 

 

 

そんな時はどうか愛の意味を知ってください。

 

 

 

 

私も愛をぐぐろう・・・。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

ステキな愛ある今日を!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました