今回は、黒柳徹子さんが子供時代にその感性の土台を培って貰ったトモエ学園の校長先生だった恩師・小林宗作先生が、戦後、国立音楽大学付属高校で今度は美輪明宏さんにとっても自信をつけさせた恩師になっていた!というビックリするようなお話について調べてみました。
また、小林宗作先生が日本に初めて持ち帰ってきたヨーロッパの「リトミック」という幼児教育指導法はいったいどんなものだったのか?リトミックを積極的に取り入れたトモエ学園という小学校の目指していた理念とは何だったのか?についても調べてみました。お二人画像を待ち受けにすると運気があがるとか??
◆黒柳徹子の未来を支える言葉を残した恩師・小林宗作先生と私財を使ってつくった理想の小学校トモエ学園
黒柳徹子さんの名著『窓際のトットちゃん』で尋常小学校を1年生で退学になったトットちゃんに対し、トモエ学園で素晴らしい教育を施してくれたことで有名な校長先生・小林宗作先生をご存知でしょうか。
画像:https://ameblo.jp/cattleya-makitty/
「君は本当はいい子なんだよ」
という小林宗作先生が黒柳徹子さんへ注いでくれた愛情は、少女時代の黒柳徹子さんの中で大きな自信として根付き、その後の長い活躍の人生をずっと支えていくものとなりました。
「トモエ学園の小林宗作先生との出会いがなければ、今の自分はいなかった」
少女時代の黒柳徹子さんがトモエ学園へ通ったのは東京大空襲のある1944年までとなりました。そして、小林宗作先生が私財で作り上げたトモエ学園もまた、東京大空襲のアメリカ軍が落とした焼夷弾によって焼かれ、無くなってしまいます。
画像:『世界一受けたい授業』
校舎が焼ける炎を眺めながら、小林宗作先生が当時大学生だった息子の巴(ともえ)さんに対し
「おい、今度はどんな学校、作ろうか?」
と語ったというお話が『窓際のトットちゃん』最終話にも出てきます。
画像:2018年5月撮影
戦後になって、私財で作ったトモエ学園を失った小林宗作先生は、焼跡の地で1948年に「さくら幼稚園」を設立し、初代園長に就任しています。
同時期に国立音大の保育科(現:幼児教育科)の創設に協力し、国立音大でリトミックを教えたり、小学校の創設も手伝ったようでしたけれども、
結局のところトモエ学園のような自分の理想の小学校を再建するという夢は果たせないまま、1963年に69歳で亡くなっています。
トモエ学園は、1937年に自由ヶ丘小学校を引き継ぐ形で引き取り、新たにトモエ学園として出発し、1944年に焼失してしまったため、たった7年間しか存在しなかった学校です。その中で、黒柳徹子さんは1940年から1944年消失するまでの約4年間をトモエ学園で暮らしました。
■黒柳徹子さんがトモエ学園へ通っていた子供時代はこちら↓

◆恩師・小林宗作先生は理想の小学校を失った戦後、国立音楽高等学校のリトミック指導で、黒柳徹子につづき、なんと15歳の美輪明宏に出会っていた!
終戦を迎え、復興の時代へ入った日本で、トモエ学園という理想の小学校を失った小林宗作先生は前述のように国立音大、国立音楽大学附属高等学校で「リトミック」を教えていました。
日本のリトミックの第一人者!
リトミックは小林宗作先生が1920年代、1930年代と二度ヨーロッパに留学した際に学んだもので、ダルクローズさんという人が考案した特別のリズム教育でした。日本でのリトミックの第一人者は小林宗作先生です。
小林宗作先生の戦後は?
また、黒柳徹子さんの恩師である小林宗作先生が戦後にリトミックを教えに行くことになった国立音楽大学附属高等学校には、今度は高校生の美輪明宏さんが居たのです。
黒柳徹子の次に
美輪明宏に出会ってしまう
因果がスゴイw
画像:http://ryuma681.blog47.fc2.com/
美輪明宏15歳。
彫刻のような美少年。
1945年8月9日、美輪明宏さんは10歳という年齢の時に長崎市での原爆投下とその惨状を目の当たりにしていました。
それから6年後にあたる、1951年春、15歳になった美輪明宏さんは国立音楽大学附属高等学校(現・国立音楽大学付属高等学校)へ進学するために上京していました。
画像:twitter
結局、美輪明宏さんは実家の稼業の倒産をきっかけとして15歳のうちに高校を中退しなければならなくなってしまうのですが、このわずかの高校生だった期間に黒柳徹子さんの恩師・小林宗作先生に出会っていたのです。
それは2011年3月の『徹子の部屋』に出演した美輪明宏さんと黒柳徹子さんの対談で明らかになりました。
◆2011年『徹子の部屋』に美輪明宏が登場!黒柳徹子の恩師・小林宗作先生の話に。年齢はどちらが年上なの?待ち受け画像用
国立音楽大学附属高等学校での「リトミック」の授業、そこで15歳の美輪明宏さんは確かに黒柳徹子さんの恩師である小林宗作先生に出会っていました。
2011年3月の『徹子の部屋』出演時に美輪明宏さんと黒柳徹子さんは共通の恩師・小林宗作先生について語っています。
画像:https://ameblo.jp/iwamashoji/entry-10964452028.html
お二人が揃うと・・・
まず、絵づらが魔界(笑)
※お二人の画像を待ち受けにすると運気があがるという都市伝説があります(笑)
その当時の美輪明宏さんは、高校の同級生から「ナヨナヨした動作」をからかわれてバカにされていました。高校生だった美輪明宏さんもまだ若い時代だったので、それに落ち込んで自信を無くしていたところ、
恩師・小林宗作先生は黒柳徹子さんに未来を支えていく大きな言葉を残したように、美輪明宏さんに対しても言葉を残していたのでした。
君は、すばらしい芸術家になれる。
引用元:『exsiteニュース』2011年3月29日
そうして、美輪明宏さんの背中を押してくれたというお話でした。
黒柳徹子と美輪明宏
神と疑われるふたりの
背中を押すってw
画像:twitter
黒柳徹子×美輪明宏とかww濃いわww
— The Little Prince (@00_000000_0000) March 28, 2011
え?千と千尋の神隠し?? RT @MSR02: 黒柳徹子と美輪明宏のツーショットって強烈だなあw
— 1KOさん@俺 (@flat0704) March 28, 2011
黒柳徹子と美輪明宏のツーショット…?
新たな世界が創造されそう— クロダ(叶) (@96111Yukiti) March 18, 2017
とりあえず、お二人が揃うとなかなかの反響。
※こちらは2015年出演時の画像です。
不老不死で行けるんじゃないかリスト
・黒柳徹子
・美輪明宏— なのま (@bananarag) April 22, 2019
嘘を言うな!黒柳徹子、美輪明宏、楠田えりこ等は軽く500年は生きてるらしいぞ!
— Hiromi (@smallbiowest) June 1, 2017
さて、2011年の3月の『徹子の部屋』で美輪明宏さんと黒柳徹子さんがどんなお話がされたかというと、このような内容でした。
美輪が「芸能界で小林先生の教え子に出会うのも珍しいのに、よりによって芸能界でも変な二人の恩師だったなんてねぇ。」(中略)
黒柳は「私の変さと比べたら、あなたの変さの方がスゴイわよ。だって私は歩いていて、石は投げられたことは無いわ。」
引用元:『徹子の部屋』
どっちが変バトルw
終戦後の美輪明宏さんはこのバケモノ、変態などと言われて石を投げられることがあったそうです。
やがて、高校1年生で家業の倒産をきっかけに高校を中退した美輪明宏さんは、恩師・小林宗作先生とも別れ、以降、進駐軍のキャンプ廻りをしながら、ジャズを歌唱して生きて行くことになりました。
のちに多くの文化人から、その美貌に注目され、絵画のモデルをやったり、美輪明宏さんが働いていたシャンソン喫茶「銀巴里」へ通い詰める人が現れたりしたそうです。
画像:『livedoor ニュース』2013年8月7日
お二人はどっちが年上??
日本の芸能界の中でも、神の領域にいるような存在感で完全に年齢不詳の美輪明宏さんと黒柳徹子さんのお二人ですが、美輪明宏さんは1935年生まれ(2020年85歳)、黒柳徹子さんは1933年生まれ(2020年87歳)ということで、
黒柳徹子さんの方が2歳ほど年上なのでした。
■黒柳徹子さんの若い頃の恋のお話はこちら↓

◆黒柳徹子の恩師・小林宗作先生が理想の小学校で力を入れていた幼児リズム教育「リトミック」とは?
さて、話は黒柳徹子さんと美輪明宏さんの恩師・小林宗太郎先生が日本に初めて持って帰ってきた「リトミック」とトモエ学園をモデルとした幼児教育における教育理念についての話に行きたいと思います。
◆幼児教育として創作された「リトミック指導法」の理念とは?子供の心身の調和を促し、リズミカルな性格へ導く教育~経験談
小林宗作先生は、ヨーロッパへ2度留学した際に、パリでダルクローズさんから直々にその教育方針を学んでいました。1年間ダルクローズさんの学校へ通って「リトミック」を学んだそうです。
画像:Wikipedia
リトミックは
あらゆる芸術の基礎である。
どうしたら、音楽を耳ではなく「心で聞き、感じる」ということを子供に教えられるだろうか
引用元:『窓際のトットちゃん』
その答えとしてダルクローズさんが創作したリズム体操が「リトミック」でした。
画像:https://ameblo.jp/
その後、小林宗作先生はこれを日本の教育現場へはじめて持ち帰ります。小林宗作先生が理想の小学校として設立したトモエ学園もまた、リトミックによる教育を取り入れており、黒柳徹子さんも毎日、リトミックに触れて育っていきました。
はじめにリズムありき。
音楽、舞踊などの芸術よりも
一段と高い
偉大なる芸術なり
―小林宗作
偶然ですが、私が通っていた中学校にも、中学1年生の時にだけ「リトミック」という授業がありました。
私も実はやってた!
リトミック
その時にはもう、私も13歳という年齢でしたから、音楽を体で楽しむという純粋な気持ちよりも、正直「これはいったい・・・??」という冷静な目線での想いを持ちながら指示された「体操」をやっていたことを記憶しており、私の年齢では「手遅れ」感が否めませんでした。
けれども、「あの謎でしかなかった授業」が、まさか小林宗作先生に繋がっていたのかと思うと、今頃になってとても感慨深いものがあります。
子供時代にみんなで「リトミック」を楽しむという事ができたら、きっと子供たちにとっても無条件で幸せな時間になるだろうなという事は想像できます。
画像『窓際のトットちゃん』
また、こんな文章も『窓際のトットちゃん』には登場します。リトミックとは何ですか?という問いに黒柳徹子さんの恩師・小林宗作先生が答えた言葉は幼児教育の理念とも共通するものとして語られています。
リトミックは心に運転術を教える遊戯です。リトミックは、心と体にリズムを理解させる遊戯です。
リトミックを行うと、性格がリズミカルになります。
リズミカルな性格は美しく、強く、すなおに、自然の法則に従います。引用元『窓際のトットちゃん』
「性格がリズミカル」
という言葉は正に、
黒柳徹子さんを連想させます。
画像:黒柳徹子公式Instagram
トモエ=心身の調和
トモエ学園の名前となった「トモエ」という言葉も、子どもたちの心身両面の発達と調和をねがう校長先生の気持ちから名づけられたものでした。

巴の紋
心身の調和こそ
豊かな感性が咲く土台。
リトミックは心身の調和を助けるための教育であり、精神と肉体との調和を助けるものとして「リズム」があり、それがやがて子供たちの想像性や創造力を咲かせることに繋がる、というのが小林宗作先生が描いた理想的な幼児教育としてあったと考えられます。
私も、もっともっと小さい子供時代にその素地が欲しかった・・・という想いも若干ありますけれども、私の中にはそれでも「リズミカルな性質」というのはやっぱりちょっとだけ、あるような気も(?)しました。
リズミカルに美しく
鮮やかに
そして創造的に
自分のリズムを信じて刻め。
■黒柳徹子さんの家族の家系図が凄いお話はこちら↓

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