世界からは「前衛の女王」と呼ばれ、2016年には「世界でもっとも影響力のある100人」にも選ばれている女性アーティスト、草間彌生さん。彼女の作品は昨今若い年代の女性からもかわいい!などと大人気になっており、ここ10年だけでも日本の芸術家としては大変周知される稀有な存在となりました。
今回は草間彌生さんの結婚観、子供である息子との関係、愛した唯一無二の恋人のお話と、彼が注いだ愛情が草間彌生さんの作品に与えたものは何だったのか?について調べました。
◆草間彌生の結婚観について
草間彌生さんは普段、とても周囲に気を使われる方だということがよく言われています。
ですから幼少期からの持病である草間彌生さん自身の病気のことや、もろもろお相手のことを考えてのこともあったのかもしれませんが、どうやら結婚については最初から後ろ向きだったようです。
かつてこんな言葉を草間彌生さんは言っています。
草間彌生:結婚すると、自分の芸術ができなくなる
ずっと草間彌生さんにとって自分自身の「生」は芸術によって支えられてきた以上、その活動を停止することは「死」を意味することであり、
「生」を与えてくれた芸術に対して出来る限りのことをしなければならないという使命感もそこにはあったのかもしれません。
草間彌生さんは自身の作品制作活動についてこのように語っています。
芸術をしながら大きな宇宙を経験してみると、自分は何も知らない存在だと思う。
死ぬまで芸術を続け、死後数百年が過ぎても有効なメッセージを残したい。そのために全力を尽くしたい。
未来の多くの人々、世界の人々が戦争やテロの恐怖なく自分の愛、生きた人生を続けることを望む。私の芸術が皆さんに伝える答えはこれです。
―草間彌生
草間彌生さんの目指している作品は死後数百年が過ぎても有効なメッセージだということが分かりました。
有効なメッセージを残したい。
世界の人々が自分の愛、生きた人生を続けることを望む。
「有効なメッセージ」のために、絵画、彫刻、パフォーマンス、インスタレーション、映画、文章といった、様々に形をかえたコミュニケーション手段を駆使して草間彌生さんはその「有効性」を広げようとしていたのかもしれません。つまり、どの形においてもメッセージは一緒だということです。
また、「自分の愛、生きた人生」という一言に、この世界の人々への大きな彼女からの愛情を感じます。生物としての生命の維持ではなく、感情と意思、感動を伴った「生」という意味なのだと思い、ちょっと目頭が熱くなりました(笑)。
生きているということ。
そうして、有効なメッセージを残すべく芸術に没頭した草間彌生さんは
結婚という方法についてはとることがありませんでした。
つまり、
結婚はしませんでした。
しかし驚いたことに、草間彌生さんにはお子さんについては実は現在いらっしゃいますし、愛する恋人もいたようです。

芸術と結婚して、作品が子供達でもありますね。
◆草間彌生の子供は息子で養子?名前は?画像も!
草間彌生さんは、情報によると1977年頃から現在に至るまで東京にある精神病院で生活されているそうです。
日中は草間彌生さんはその精神病院の向かいにあるスペースを利用し、主に絵を描くなど制作活動で過ごし、極力見知らぬ人とは会うことがないように暮らされているようです。絵や制作に没頭している間は全く症状が出ないということです。
草間彌生:作品作りは最高の医者だわ
絵の制作は草間彌生さん1人で描かれていますが、制作に必要なその他の作業や準備等は草間彌生さんのスタジオスタッフが8名ほどおり、草間彌生さんの作品作りをサポートされているそうです。
もう2019年には90歳になる方なので、制作を続けていること自体ですごいのですが…。草間彌生さんにとっては呼吸みたいなものなのかもしれません。
そして、そのスタジオスタッフの中に、草間彌生さんの息子さんがいらっしゃいます。長年ディレクターとして一緒に居て制作を支えている、<削除>さんという方です。
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◆草間彌生の唯一無二の恋人!ジョセフ・コーネルもアーティスト!画像
結婚は今までしなかった草間彌生さんでしたが、どうやらとても特別なパートナーはいらっしゃったようです。親友であり、恋人だったようです。名前をジョセフ・コーネルさんといいました。彼自身も著名なアーティストだったということです。
下の写真は1970年にニューヨークで撮影された、草間彌生さんとジョセフ・コーネルさん二人の仲睦まじい一枚です。
とってもしあわせそう!
草間彌生さんが
こんな風に笑っている写真は
他にあまり見たことがありません。
1957年。まだ海外旅行のできる人は限られており、まして女性が一人でアメリカに住むなど、よほどの決心が必要だった。翌年、ニューヨークで制作活動を開始。
寝食も忘れて絵を描き続け、ついに倒れて病院に担ぎ込まれたこともあったという。明日のパンも買えないほどの苦しい生活だったが、絵を描くことを決してやめなかった草間彌生は、ついにその歴史的な作品《無限の網》で、一躍、アートシーンに躍り出る。
現代美術の中心、ニューヨークで、画面を覆い尽くすモノクロームの網目絵画は、それまで誰も見たことのない、オリジナリティあふれる芸術として高く評価された。
ニューヨークで評価を受けた草間彌生。
日本で精神疾患を患っていた草間彌生さんが、一人でニューヨークに移住し、言語も異なる土地で制作活動をしていくというエネルギーがまず凄いことですね。

28歳の時に渡米したんですね。
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この頃、若きアーティスト仲間にはアンディ・ウォーホルやクレス・オルデンバーグといった、ポップアートのスターとなる顔ぶれもあったが、草間彌生を最も理解し、親しくしていたのがドナルド・ジャッド(1928〜94)だ。
美術評論も書いていたジャッドは『アート・ニュース』誌に草間彌生の個展への的確な批評を寄稿する。二人は同じビルの中にスタジオを構えて、生活も制作も支え合う。
のちにドナルド・ジャッドはミニマルアートの最先端をいくアーティストとして有名になっていくが、彼のクリエイティビティを刺激したのは草間彌生だった、という美術史の意外な一面が、そこにはある。
とてもニューヨークが活動的な歴史にいる中で草間彌生さんも刺激を受け、発信もし、キラキラ生きていました。
お互いに神経質な二人でしたが…
草間彌生さんを愛した芸術家の中でも特別な存在としてジョゼフ・コーネル氏(1903〜72)がいました。既に名前のある芸術家だった彼ですが、自宅に引きこもり、大変神経質なことでも有名だったジョゼフ・コーネルでしたが、草間彌生さんにひと目会ったとたん夢中になったといいます。

何かが通電する瞬間てありますよね。
草間彌生さんとジョゼフ・コーネル氏の二人は結婚こそしていませんが、周りからは夫婦だと誤解されるほど一緒に過ごし、互いに愛情を注ぎ、影響を受け与えていたようです。
私のことを
とても愛してくれた。
コーネルさんは毎日、手紙を書いてよこしました。私のことをとても愛してくれた。あの頃、咲いた愛の花は、もう花びらを落として、私はそれを捨て去ってしまいました。
今、考えると、私の芸術とは、人間を愛すること、世界を愛すること、芸術を愛すること、すべてのものに対する愛の結晶と、死への道程の間に、あったのです
―草間彌生
とても愛おしい人への大事なきもちがじんじん伝わってきますね。彼から注がれた愛情が、草間彌生さんを満たしたことで、草間彌生さんの作品も「儀式」から人に愛情を注ぐ力を持った作品へと変わっていったのかなと思います。
全く別の話になりますが、1969年に結婚したジョン・レノンとオノ・ヨーコも結婚し、ニューヨークに移って数々のパフォーマンスを二人で行っていましたので、草間彌生さんがニューヨークにいた同時期に同じ街の中にこの二つの愛情があったんだなと思いました。

何か、そう考えると、ホントに特別な時代ですね。
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1972年に草間彌生さんにとって人生最愛の人であったジョセフ・コーネルさんは心臓疾患で突然死をしています。草間彌生さん自身が心身のバランスを崩していた時期とも丁度重なってしまい、ショックが深く体調を崩してしまいます。

ううっ(涙)
翌年、結局、草間彌生さんは日本へ帰国することになりました。これで16年間の渡米生活が終わりました。帰国後の草間彌生さんは精神病院に長期間入院するほど衰弱し、長い間制作活動もできないほどだったそうです。

愛する人を失って、とてもつらかったのでしょうね。
帰国後は、ニューヨークでの活動をスキャンダラスに報道されたことでバッシングに遭い、体調も崩し、つらい日々が続いた。そんな中で詩や小説の執筆を始める。
ようやく彼の死から6年後、小説を発表したことで草間彌生さんは賞を受賞し、そこからさらに5年後に「第10回野生時代新人文学賞」を受賞するという形で徐々に彼女は世界へと戻ってきます。
こうして精神的に回復に向かっていきますが、その後は誰かとの交際も特にお話はないので、調べたところでは草間彌生さんに結婚歴はなさそうです。
◆草間彌生の心に残る名言
最後に、草間彌生さんの名言はたくさんありましたが、私が一番じんとした名言をご紹介して終わりにしたいと思います。
↑ジョセフ・コーネル氏が草間彌生に贈った草間彌生のポートレイト。1965年製作。
人生は素晴らしい。自分の芸術の力を信じて何十年も闘ってきました。
自分の生命の在りどころを芸術の求道に置いて、人間の素晴らしさや生きていくことへの深い憧れが、ようやく出てきたの。
自分の生きてきた道程と、天国へ上る階段の道筋に、たくさんの愛情が含まれていると感じて、安らかな心で自分の死を迎えたいと希望しています。
今まで生きてきてよかった。
―草間彌生
長年心を患い、この世界では生きづらそうな印象すらあった草間彌生さんから、それでもこんな言葉が聞けるとは…。と私もなんだかとても感動してしまいました。たくさんの愛情がいつもいつも含まれていると感じながら、私もこの先、生きていきたいなと思う本日のお話となりました。

草間彌生さんありがとう♡
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