萬田久子と夫・佐々木力「人生はオセロ」な波乱の事実婚と女・子供

◆結婚・離婚・夫婦・旦那・家族

今回は女優の萬田久子さんが内縁の妻として事実婚を貫いた佐々木力さんという旦那さんとのお話、前妻との関係や子供、愛人、遺産相続についてまとめました。

◆女優・萬田久子の最愛の人「リッキー」こと事実婚旦那の佐々木力氏が享年60歳で2011年に死去。死因はスキルス性胃がん

 

萬田久子さんの事実婚の夫だった佐々木力さんは、2011年8月にすでに他界されています。死因はスキルス性胃がんで、病気が発見された時には「余命3ヶ月」という状況でした。享年60歳でした。

 

 

佐々木力さんの入院中も萬田久子さんが献身的に佐々木力さんを支えていたことが伝えられており、のちに萬田久子さんが2018年にラジオ出演された時には、旦那の佐々木力さんが

 

自分がこの世を去るのは想定外だ。

 

と言って亡くなったという、最期までユーモアのある人物だったことを象徴するようなお話もされていました。

 

 

◆萬田久子の事実婚の夫はどんな人だったの?アパレルブランドメーカー元社長で「人たらし」の佐々木力氏とは?

 

萬田久子さんの事実婚の夫・佐々木力さんが注目されていたのは、佐々木力さんがアパレルメーカーの元社長であり、

(リンク・セオリー・ジャパンの創業者、ファーストリテイリンググループ上席執行役員も歴任し、海外事業を牽引したことで知られている)

敏腕経営者として、とても有名な人物だったからです。

 


画像:M&AtoZ

 

佐々木力さんはとてもユーモアあふれる男性だったことで知られており、萬田久子さんのお話によると、リッキーの死後、家から3000足の靴が出てきたことや、

 

萬田久子さんが出かけるときに服を選ぶと、その服装に合わせた自分の洋服をちゃんとクローゼットから選び、一緒に出掛けてくれると言った素敵なエピソードを持っている男性です。

 

また、各界の著名人との交流があって、それぞれから「物凄い人だった」という言葉が出る程の人物でもありました。古舘伊知郎さんは佐々木力さんのことを「人たらし」と表現しています。

 

 

葬儀ではファーストリテイリングの発展に向け共闘した、ユニクロの柳井正さんが「佐々木さん、僕は、あなたを愛していました」という弔辞を人目を憚ることなく、声を上げて泣きながら贈っています。

 

なかなか男性から男性へこんなエモッティ―な言葉が発せられることはないのではないかという言葉。

 

そして、日本という国家を大事に思っている男性である柳井正さんからこの言葉が出てきたということにも大きな意味がある気がします。

 


画像:『四国新聞社』2003年9月9日

 

サムライ同士のつながり。

 

とにかく、周りから大変愛された男性だったことが伺えます。その「愛され男性」から愛されてきた女性のひとりが萬田久子さんということになります。

 

 

◆萬田久子の旦那・佐々木力氏が亡くなった後はマスコミが大きく報道。「略奪愛」「事実婚」「子供」「相続」「愛人」「隠し子」

 

しかし、2011年8月に萬田久子さんの事実婚の夫が亡くなった後、佐々木力さんが大変有名な人物であったことから、様々なことが話題として注目されることになりました。

 

 

主に注目された話題というのは、以下のような内容についてでした。

 

萬田久子さんの事実婚が元妻子からの略奪婚だったという過去の蒸し返し

萬田久子さんと佐々木力さんの間の子供について

萬田久子さんとの事実婚の間の中で佐々木力さんに新しい別の愛人がいたこと

佐々木力さんと愛人の間に隠し子がいたこと

佐々木力さんの死後の相続について

 

たしかにオセロw

 

ここからはそれらの話題の真相と、萬田久子さんという女性が下した幾つかの決断に対する背景について考えていきたいと思います。

 

◆1984年(年齢26歳)女優・萬田久子と妻子持ち既婚者だった佐々木力氏との出会いと馴れ初め、不倫関係へ

 

萬田久子さんと夫の佐々木力さんの出会いと馴れ初めになった出来事は、1984年、萬田久子さんが26歳の時に起こりました。

 


画像:1984年『amu 4月号』

 

ファッションショー
に赴いた萬田久子

 

萬田久子さんは1984年、26歳の時に「ある人のファッションショー」に足を運ぶことになりました。仕事だったわけではなく、「行けたら行く」程度の予定だったと思われます。

 

というのは、当時ちょうど萬田久子さんの実の母親が大坂から東京に出てきており、このファッションショーが開催される当日は、本当は家へ帰る母親を見送りに行く予定が入っていたのです。ですから行くつもりのない予定だったのでした。

 

ところが、母が
「もう少し東京にいる」と言い出した。

 

そういう事情があって、萬田久子さんはこのファッションショーを訪ねることになりました。そこで、後の夫となる佐々木力さんに出会うことになります。

 


画像:1984年『家庭画報』4月号

 

ふたりの馴れ初めには、萬田久子さんの実の母親の偶然の「アシスト」があったということになります。

 

 

◆佐々木力氏は萬田久子の母親の心も掴む男性だった

 

そんなことが理由なのか?少し先の話になりますが事実婚の後、萬田久子さんの母親と佐々木力さんは同居していたこともあったようで、その時もとても仲が良かったそうです。

 

 

母は「今日は力さんが帰ってくるから」と口紅を塗るんです。
引用元:『Forbes』2018年7月4日

 

お母さんも
大ファンになっていた様子w

 

老若男女問わずに「愛される」。いろんな意味で安心感を人に与える人間性を持つ人物だったことが分かります。

 

愛され俳優・古田新太さんのについてはこちら

 

◆1985年(年齢27歳)萬田久子は出会いの翌年に佐々木力氏の会社のファッションショーへモデル出演!

 

1984年に電撃的な出会いをした萬田久子さんと佐々木力さんは、急速に惹かれ合うこととなり、翌年に萬田久子さんは佐々木力さんの会社のブランドのファッションショーモデルとして起用されています。

 


画像:1985年『MORE』11月号

 

この出来事が萬田久子さんと佐々木力さんの「馴れ初め」とする情報もあるようです。

 

この前後から急速に関係が発展していったのは確かなようですが、実際に出会ったのは前年でしたので、どこからスタートだったのかは本人たちのみぞ知るというところでしょう。

 

 

◆1978年(年齢20歳)萬田久子には若い頃にミスユニバース日本代表に選出される経歴があった。身長体重は?

 

余談ですが、萬田久子さんは単なるコネ佐々木力さんからファッションショーのモデルとして抜擢されていたわけではなく、元々抜群のプロポーションを持っていました。

 

 

また、無冠とはいえ、萬田久子さんは1978年にミスユニバース世界大会へ日本代表として選出もされている経歴もありました。20代でプロポーションも美貌も兼ね備えていたということになります。

 


画像:1978年 ミスユニバース日本代表に選出

 

公開されている萬田久子さんの身長167㎝。女性としてはかなりの高身長であり、モデルとして全く遜色ないことが分かります。

 

公開されている体重は47㎏となっていますが、こちらは1981年のものです。スリーサイズはB83、W59、H87でした。

 

体重に関して萬田久子さんはご自身の口からも語られており、若い頃はかなり細かったようでしたが、近年、運動や筋肉強化に励んだことから、現在はぱっと見は変わらなくても筋肉によってかなり体重が増加しているというお話をされています。

 

ミス日本経験者・西川史子さんの若い頃の全盛期はこちら

 

萬田久子さんは自身のInstagramで、同年齢にあたる成人式でのお写真も公開されています。

 


画像:萬田久子公式Instagram

 

かなりの美女!

 

余談ですが、ミスユニバースの審査員には、デヴィ夫人が居たそうです(笑)

 

デヴィ夫人の人生逆転の若い頃はこちら↓

デヴィ夫人若い頃はハーフ顔美人で入れ歯の仕事?噂の理由と真相画像
デヴィ夫人の若い頃は画像でもハーフ顔の美人。選ばれし美女にしか与えられない仕事、コパカパーナという高級クラブホステスとなり、スカルノ大統領と結婚しました。その時代にあった総入れ歯の噂の理由や真相、根本七保子さんの経歴を追いました。

 

◆出逢った当時、佐々木力氏には本妻と子供が3人いたため萬田久子とは不倫関係。略奪婚なの?

 

しかし26歳になった萬田久子さんが佐々木力さんと出会った当時、佐々木力さんは元妻との婚姻を形式上継続しており、本妻との間には、1男2女という3人の子供もいました。

 

 

交際が始まったころには、佐々木力さんと家族とは別居中であった、という話もありますけれども、まだきちんと離婚の手続きを踏んでいなかったことから、萬田久子さんとの関係は「不倫」という関係

 

一部情報によると、萬田久子さんとの関係がスタートした以降にも本妻が妊娠していたという話もあり、やはり「略奪」と言われても仕方のない材料が揃っていたとも言えます。

 

将来が有望な
妻子ある男性との不倫。

 

1985年の年末には、萬田久子さんと佐々木力さんは年末年始をハワイで過ごし、マスコミからは「不倫ハネムーン」と言われ、佐々木力さんは香港で会社を興したタイミングで、事業的にもイケイケの状況でした。

 

 

しかも、その不安定な関係は、1994年に佐々木力さんが本妻との離婚を成立させるまで約10年間続くことになりました。

 

⇒次ページ【萬田久子が不倫相手の子供を出産!未婚の母へ】

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