水森亜土(あどちゃん)年齢・本名は?子供や旦那さんいる?昔の写真画像

◆人物

透明なアクリルボードに歌いながら両手で絵を描く独特のスタイルと、愛くるしいキャラクターで世代を問わず人気を得ているイラストレーターの水森亜土さん。イラストの他にも女優・歌手・画家など感性をどんどん広げて、いつも子どもたちだけでなく、大人をも楽しい世界へ導いてきてくれます。

今回は亜土ちゃんの不思議の国の世界と、かわいいイラストや亜土ちゃんの写真画像を交えながら、亜土ちゃんのプロフィール、若い頃の苦悩、キャラクターの基盤になった出来事について追ていきたいと思います。

◆水森亜土(亜土ちゃん)の現在の年齢って?本名はあるの?画像

 

それでは最初に今回の主役の水森亜土さんのかんたんプロフィールから。

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)のかんたんプロフィール!今現在の年齢は?

 

水森亜土さんのお父さんは建築家、お母さんとおじいさんは画家だったそうです。お母さんは日本画家だったようですね。

 

 

モノづくり一家だったのですね!水森亜土さんは1939年生まれなので、2019年にはなんと80歳になります!

 

芸名:水森亜土(みずもり あど)

愛称:亜土ちゃん(あどちゃん)、あどタン
本名:里吉 文江(旧姓 水森
生年月日:1939年12月23日
出身:東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身
職業:イラストレーター、歌手、女優、画家、作家
ジャンル:イラスト、絵画、ジャズ、ブルース、舞台、文学
事務所:劇団未来劇場 亜土工房

 

まず、水森亜土さんの名前のことから。本名の「里吉(さときち)」はご結婚後の姓で、「水森」は亜土ちゃんの旧姓なのだそうです。また、生まれは日本橋ですが、結婚を機に武蔵野市に移り住むことになったそうです。40年ほど前とのことでしたから、30代でご結婚されたのかもしれませんね。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)は若い頃、頭がよくてお嬢様!?<年齢1桁~18歳頃>

 

そして、上記には書かれていませんが、水森亜土さんは桜蔭中学校・高等学校を経てハワイのモロカイハイスクールに遊学されています。これにはびっくりしましたが、まず、(おそらく小学校の時に受験してだと思うのですが)中高一貫の女子校に行かれていた、という事実とその学校が桜蔭中学校ということ!

 

水森亜土さんはナント桜蔭出身!(驚)

 

 

この学校は中学受験の世界では都内近郊では最難関の女子校(トップと言ってもよい)として有名ですから、水森亜土さんは幼少期からとても学力が高かったことが推測されます。

 

ちなみに下は現在の桜蔭中学校の受験案内です。

 

<偏差値>

桜蔭中学の偏差値は71です。
四谷大塚では70、首都圏模試センターでは72と発表しています。

<難易度 >
偏差値も出題される問題も非常に高いので難易度は当然高いです。

<校風 >
女子校の東京大学合格者数は日本一です。
女子校日本一の進学校でありながら、「礼と学び」の心を養い、時代に適応した「道徳の指導」を実践する理想的な中学です。

 

管理人kira2
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めちゃめちゃ頭いい人なのかも!(驚)

 

加えて、水森亜土さんが19歳くらいの時(1958年位)にハワイの学校(ハワイのモロカイハイスクール)へ1年間行ったという内容ですから「ニクソンショック(1971年)」以前、つまりはそれって、1ドルが360円固定時代生家が日本橋にあることに加え、かなり裕福な生家だったのだなということ分かります。

 

亜土ちゃん作「生家からのみた日本橋の風景」

亜土ちゃん作「生家からのみた日本橋の風景」

 

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◆水森亜土(亜土ちゃん)は可愛い「イラスト着せかえ」を昔若い頃から友達にあげていた<年齢1桁~12歳頃>

 

水森亜土さんが『サワコの部屋』に出演された際のお話によると、幼少期はおてんばでよくこの絵にある川に飛び込んで遊んだり、日本橋の三越のライオンに跨って遊んだりしていたとのことでした(笑)。

 

あまりに水森亜土さんがおてんばが過ぎるので、大人に「あの(日本橋三越)ライオンは手を入れると悪い子だと閉まるんだよ。」といい聞かされていて怖かったというかわいらしいエピソードを公開していました。

 

 

また土地柄なのか、水森亜土さんが子供のころ両親が日本橋の橋の周りの人を集めてソシアルダンスをしていたということで、お父さんの脚につかまって踊るのが大好きだったということでした。

 

子供のころから
ソシアルダンス!感度高っ!

 

亜土ちゃんの「今も時めく一曲」

亜土ちゃんの「今も時めく一曲」

 

今も水森亜土さんがワルツとタンゴが大好きなのはこうした、モダンで豊かな幼少期があったからのようです。小さい頃は都電の運転手さんになりたかったそうです。

 

左利きを母親に矯正された事がストレスとなり吃音になった。

 

水森亜土さんのお母さんは画家だったらしいのですが、大変厳しかったようです。でも、そのおかげで今は両手で絵を描けるようになったのかもしれませんね。

 

 

小学生の時は暗くて
人気者ではなかった。

 

水森亜土さんに吃音があったためかは分かりませんが、小学校の頃は暗くておとなしい子だった亜土ちゃん本人が語っています。その為、クラスではあまり人気がなかったらしいのです。

 

管理人kira2
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意外なエピソードですね。

お母さんに教えてもらった方法を参考に、水森亜土さんは自分のイラストで手作りの「着せ替え人形」を作り、それをお友達にもつくってあげたことで、「その時は人気が出ましたね。」とお話されていました。こんなかわいいイラストの着せ替えを貰ったら、そらみんな喜びますよね~(笑)。

 

 

クラスでの人気の
きっかけになった
亜土ちゃんのイラスト

 

管理人kira2
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かわいいなー

 

そうした経験があって水森亜土さん、はますますイラストを描くことが好きになったのかもしれませんね。人を喜ばせるのが大好きな亜土ちゃんですから、その頃からみんなのために心を込めて描いていたことでしょう。

 

そして、よく知らなかった新しい子ともすぐに仲良くなれる魔法コミュニケーションのツールとして、亜土ちゃんのイラストは存在していたのです。

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)は若い頃、コンプレックスの塊だった!?その転機となった出来事はハワイ遊学!?<年齢19歳頃>

 

水森亜土さんには1歳違いの妹さんがいるようです。その妹さんが大変優秀で、とてもコンプレックスだったとか。それに加え、近所の目を気にしたりと若い頃には亜土ちゃんにだって色々と気持ち的に葛藤や不自由さがあったようです。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)は、若い頃、近所からの見られ方を気にする子だった<年齢1桁~18歳頃>

 

その頃、水森亜土さんは吃音を治したきっかけにもなったと言われている「ジャズ」ですが(本人談)、ご両親に連れられて遅い時間まで小さい頃から触れ合っていたようです。その結果、帰宅が夜遅くなることも多かったようで、どことなく我が家に対する近所の目が厳しかったとのことでした。

 

 

管理人kira2
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小さい頃にそんな視点があるなんて感受性が強かったのですね

 

日本橋の近所で行われる盆踊りでは、いつも櫓(やぐら)の上に乗ることができる女性を水森亜土さんは羨望の眼差しで見つめていたということでした。

 

 

私は櫓に乗れる
女の子ではない。

 

水森亜土:当時、盆踊りの櫓の上に乗れる女性は、評判がいい子美人か、地域の人気者だけでしたね。

 

我が家の姉妹はは不良だと思われている…美人でも人気者でもない…と小さいながらに感じて、水森亜土さんは私たち姉妹は櫓には縁がないと思って暮らしていたようです。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)が若い頃、実の妹に抱いたコンプレックス<年齢12歳~18歳頃>

 

姉妹お二人が小学生(水森亜土さん小学校6年生、妹さん5年生)の時に『油絵全国児童コンクール』というものに二人で応募したらしいのですが、妹さんは銀賞、亜土ちゃんは画家の母に手を加えられたにもかかわらず、予選で落っこちてしまったとのことでした。

 

 

妹はいつもうまくいくけど
姉の私はいつもダメ。
という想い

 

また、2つ目のコンプレックス原因となったのは美術大学の受験でのこと。妹は美大に2つも受かったのにもかかわらず、私は全部落っこちてしまった事。それがとてもショックだったようです。

 

お母さんが画家で厳しい人だったということなので、水森亜土さんがそのお母さんに認められたい気持ちって大きかったでしょうから、妹さんだけが合格したことはお姉さんとしては、とてもショックな出来事だったのでしょうね。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)若い頃に行った1年半のハワイ遊学が人生の岐路となった<年齢19歳頃>

 

美大受験に失敗した水森亜土さんは、ハワイのモロカイハイスクールへ1年間留学することになります。亜土ちゃんは「遊学」と表現しています。)

 

 

ハワイで、
人生観が180度変わってしまうことに!

 

水森亜土:まわりにあるのは、赤土パイナップルヒルズヤシの木

そこで野良犬と泳いだり・・・。そうしているうちに、「人と比較するのはやめよう」ということを強く思って、

近所の人からの評判がなんだ、

私には太陽があるじゃないか、

ヤシの木も! これだ!

と人生観がすっかり変わってしまったの。

 

近所の人からの
評判がなんだ、
私には太陽があるじゃないか
ヤシの木も!

 

日本にいた時の自分(水森亜土さん)は、周りから取り残されていた気分だったけれども、ハワイの自然に触れて全く変わってしまいました、と水森亜土さんはおっしゃっていました。80歳になるという年齢になっても、とても瑞々しくその風景を思い出す亜土ちゃんでした。

 

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人生のうちの
たった1年の経験なのにもかかわらず、
この経験がどれだけ彼女の人生にとって救いになったか。

 

 

そうして、水森亜土さんはハワイで英語とジャズに触れることになったようです。でも、本当の意味でジャズが面白くなってきたのは、40歳を過ぎてからだそうです。現在はジャズシンガーもされている亜土ちゃんです。

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)の若い頃からの衣装は子供服?昔の写真画像あり

 

水森亜土さんのトレンドマークでもある衣装と帽子もの話もトーク番組で出てきました。

 

 

水森亜土さんのトレンドマークのオールオーバーの衣装に帽子の姿ですが、テレビ番組でのお話にこんなくだりがありました。

 

阿川佐和子:「その衣装はいつ頃からなんですか?」

水森亜土:「衣装は約80年位前からコレっす。」(「サワコの朝」より)

 

80年モノ(笑)!

 

管理人kira2
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水森亜土さんがおおよそ80歳ですから、生まれた頃からという意味のようですw

 

ちょっと照れ臭いことを言われた時にはこのポーズ(笑)

ちょっと照れ臭いことを言われた時にはこのポーズ(笑)

 

■水森亜土さんが共演した阿川佐和子さんの旦那さんのお話はこちら↓

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別の番組では水森亜土さんはファッション評論家の「ピーコ」さんが一緒に出演されていたのですが、二人は長い付き合いの友人同士のようで、ピーコさんいわく、「まだ、とってもきれいな頃の亜土から知ってる」なんて表現されていました。また、ファッションについてもこのように語っています。

 

ピーコ:まあ、これは衣装だから仕方ないけど、着替える前の格好の方がセンスがいいわ。

 

と言って、私服姿を褒めていました。水森亜土さんのセンスがいいのは何となく想像できますね。

 

 

アナウンサーの方も水森亜土さんのスニーカーがとてもオシャレだった!と褒めていました。

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)が活躍した昔の若い頃のあれこれ(アラレちゃん・アッ子ちゃん・NHK番組など)

 

その昔の昭和の子供番組には、実は水森亜土さんが至る所で活躍されていました。

 

NHK番組『たのしいきょうしつ』

NHK番組『たのしいきょうしつ』

 

私なんかはそもそも自分が当時子ども視聴者だったんで、そんな事お構いなしに番組を楽しんでいたわけなのですが、それでも、「あ、楽しいな」「好きだな」っていうものの仕掛けとして、水森亜土さんが関わっていたことがよくありました。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)が若い頃歌った『アラレちゃんの主題歌』、『すきすきソング』

 

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌、エンディングは水森亜土さんが歌っていました!

 

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌・EDソング

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌・EDソング

 

それに気づくことになったのは大人になってからなのですけれども、たくさんのご活躍に随分、驚きましたし、豊かで素敵な子供時代を私たちの世代に与えてくれた人として、水森亜土さんのご活躍や工夫には今でもとても感謝しています。

 

その時代に子供だった子というのは、親が高度経済成長中の社会で戦力として稼働してた世代なので、良くも悪くも子どもたち自身が自分で時間をどう過ごすかを委ねられてた時代だなと思うんですね。

 

■水森亜土さんがテーマソングを歌ったアラレちゃんの声優さんのお話はこちら↓

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『ひみつのアッコちゃん』のエンディング「すきすきソング」水森亜土さんが歌っていました!

 

『ひみつのアッコちゃん』エンディングの「すきすきソング」

『ひみつのアッコちゃん』エンディングの「すきすきソング」

 

その時代において、水森亜土さんがいつも子供たちの側に居てくれたこと、亜土ちゃんが我々に与えてくれた「想像力」と「想像」の世界っていうのは、子供たちにとって「世界は素敵なものなんだ」という最初の印象をつけるの事に大きく貢献していたなと(実感として)思います。

 

この世界は
素敵なものなんだ。

 

また、そうした水森亜土さんが与えてくれた世界に対する印象や思い出こそが、大人になるまでの間に起こる、数々の困難にさえ負けない力をくれたんだなと私個人的には思っています。

 

管理人kira2
管理人kira2

ありがとう!亜土ちゃん!(涙)

 

 

私の幼少期時代にはよくご本人の水森亜土さんも番組に出られていたので、子供ながらにお姿も認識していましたね。「なんか変わった絵のお姉さん」みたいなイメージでした(笑)。ではそのご活躍を少しご紹介いたしましょう。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)が若い頃歌った昔のアニメの名曲一覧<年齢28歳~最近まで>

 

水森亜土さんは「すきすきソング」アラレちゃんの歌以外にも子供たちが大好きな番組の曲を歌っていました。

 

 

男ケニヤの渡り鳥/何んにも何んにもしてないの(1967年)あいつが何さ/バラをかざろう(1968年2月)すきすきソング(1969年3月1日、岡田恭子の「ひみつのアッコちゃん」B面。

 

『ひみつのアッコちゃん』エンディングテーマ)大騒ぎのタンゴ(1970年、ザ・ココナッツの「海底3万マイル」B面。『海底3万マイル』挿入歌)ぼくはハゼドン(1972年、和泉常寛の「ハゼドン音頭」B面。『ハゼドン』副主題歌)ミミちゃんとパンダ・コパンダ/ねんねんパンダ(1972年。『パンダコパンダ』主題歌山口さんちのツトム君/ハメハメハ大王(1976年6月20日。『みんなのうた』より)なぜ?/リップル・マリンを知ってるかい?(1976年。『星になったおじいさん』より。A面は益田喜頓と共演)愛しすぎてるサザエさん/サザエさんの出発進行(1979年5月10日。

 

『まんが名作劇場 サザエさん』主題歌ワイワイワールド/アレアレアラレちゃん(1981年。『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌いちばん星み〜つけた(1983年。『Dr.スランプ アラレちゃん』エンディングテーマ)恋の呪文はアパニャー・ドン!(1983年。ウィス・ダーリアの「Apanya Dong」のカバー、新井武士による日本語詞。B面はカラオケ)すきすきソング(1989年4月21日、堀江美都子の「ひみつのアッコちゃん音頭」B面。『ひみつのアッコちゃん』(1988年版)エンディングテーマとしてセルフカバー)

 

へそまがりんちょ(1991年12月5日。『楽しいムーミン一家』オープニングテーマ)ワイワイワールド(1993 ver.)(1993年3月1日。劇場版『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌

 

スゴイ活躍ですね。当時、子供目線では絵を描く亜土ちゃんという人物の存在と、人気子供番組の歌を歌っている水森亜土さんという人とは一致していなかったので、大人になって知って、とても驚きました。

 

菅野よう子さんのアニメソングはこちらです↓

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◆水森亜土(亜土ちゃん)が若い頃には声優も!昔は『すくすくレコードブック』不思議の国のアリスのアリス役

 

私自身の中で個人的に最も驚いた水森亜土さんの活躍は、幼少期にほぼ毎日聞いていた、子供用の読み聞かせ絵本『すくすくレコードブック』の中に『ふしぎのくにのアリス』の物語の声優をされていた事実です。

 

私自身、このブックシリーズ内にたくさんの物語がある中で、ダントツに一番大好きで何度も何度も聴いていたのがこの物語でした。両親が忙しかったので、この物語で情操教育されていたようなもんです(笑)、その主役である「アリス役」の声水森亜土さんだったのでした。

 

管理人kira2
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それを知ったのは25年以上後という(笑)

 

 

これ、最高の読み聴かせ本です。

 

台本も素晴らしい本でしたし、挿絵はこれまた宇野亜喜良さんの絵、その他にも今思えば豪華メンバー多数出演という、なんて贅沢な!という読み聞かせブックだったのですけれども、この物語が大好きだったのも、よく考えると水森亜土さんの臨場感あふれる声が子供の心を物語に引っ張って、楽しませてくれていたんだなあと思います。

 

 

繰り返しになってしまいますが、当時私はひとりっこで両親は子供どころではなく働いていましたし、周りにあまり子供もいませんでしたので、幼少期はずっと自分の世界で遊ぶしかなかったのです。

 

でも、全然私の世界に影など落ちず、むしろ今考えてもキラキラしていたんですけれど、それは水森亜土さんのような豊かな大人たちが子供たちの世界に手を差し伸べてくれていたからといっても過言ではありません。

 

今の絵本の読み聞かせ本でも、これ以上のものはないだろうなと思える逸品です。それに昭和の時代の子供番組には、今考えると色んなところに水森亜土さんが居てくれたんですね。

 

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)若い頃『たのしいきょうしつ』テレビ出演のきっかけ画像

 

さて、調べてみると、水森亜土さんの活躍にきっかけとなったのは、70年代にNHKのテレビ番組「たのしいきょうしつ」で、透明なアクリルボードに歌いながら両手で同時にイラストを描くパフォーマンスだったようです。

 

楽しそうに歌って
踊りながら絵を描くパフォーマンス

 

 

その前に亜土ちゃんは色々と活躍の場を探す活動をしており、ジャズのオーディション受けたり、なんやかんやしているうちにNHK番組のオーディションに行くことになったらしいです。

 

 

ただ、いざオーディションの現場に行ってみるとライバルである応募者たちは、声楽を専攻してきた人、音大の人など、いわゆる大勢の「セミプロ」に囲まれていたということです。これにはだ、だめだ、こりゃ、とてもじゃないけど、まともに戦ったら彼らにかなうわけがない。何かアピールしないと!と思い、現場でハラハラしていたという水森亜土さんです。

 

水森亜土さんは、自身の面接の場面になり、

「特技は何ですか?」と聞かれた際に

「絵です。両手で描けます!」

(当時は実は両手でやったことなかったけど、そう言ってみたとのこと)

 

と話し、ラッキーなことに実際にそれを面接官に見せるチャンスを貰えて(初めてにして、両手できるのがまた凄いですねW)水森亜土さんはそれがきっかけで番組の出演、つまりは亜土ちゃんの絵を描くパフォーマンスが以後、世の中に浸透していくことになったということになります。

 

管理人kira2
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NHKナイス。

 

ちょうちょを描くときは、
亜土ちゃんもちょうちょになって踊ります。

 

 

エピソードとして面白かったのが、その時代、ポスカ(水性マジックペン)がまだない頃だったため、絵の具を溶いて空のマヨネーズの容器に自分で入れ、フェルトをふた部分に詰めて番組収録に持参し、使っていた、ということ。自分で画材も工夫して準備して使っていたんですね!

 

精一杯のパフォーマンスができるよう、
いつも一生懸命お仕事されていたことが分かります。

 

NHK番組『たのしいきょうしつ』打合せ風景

NHK番組『たのしいきょうしつ』打合せ風景

 

当時は(私自身、子どもでしたしw)全くそういった視点で見なかったので気づかなかったのですが、水森亜土さんはこうしてみると実はとっても美人ですよね!

 

◆水森亜土(亜土ちゃん)は若い頃に結婚してた!旦那(夫)さんは?子供はいるの?画像

 

水森亜土さんと旦那さんが出会いとなったのはどうやら「劇団未来劇場のようです。

 

里吉しげみ氏と亜土ちゃん夫妻

里吉しげみ氏と亜土ちゃん夫妻

 

日本の劇作家、演出家、作家、作詞家であり、「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ氏という方が水森亜土さんの旦那さんだそうです。

 

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◆「劇団未来劇場」の主催者・里吉しげみと看板女優の水森亜土が若い頃に結婚!

 

水森亜土さんは劇団の主催者である里吉しげみ氏と恋に落ちて結婚します。里吉しげみ氏の劇団である「劇団未来劇場」を盛り立てようと色々な工夫や活躍をして、異彩を放つ看板女優にまでなっていたそうです。(ホントの看板も亜土ちゃんが作成していますw)

 

水森亜土さんは)イラストの仕事から「劇団未来劇場」に入団、個性的な演技で異彩を放つ看板女優にも成長していきました。

 

亜土ちゃんは
何でも屋で看板女優だった!

 

水森亜土さんは看板女優だけでなく、ポスターやイラストも担当していたとのことです。下は未来劇場のアトリエ鬼子母神の時の写真

 

 

こちらの劇団には、のちに作曲家の小林亜星さんも参加されており、そのことがきっかけで水森亜土さんのお仕事も広がったようですね。写真はちょっと若い頃の小林亜星さんにしてみました(笑)

 

 

ロマンな人には
ロマンな人たちが集まる構図。

 

未来劇場のアトリエ鬼子母神での最終公演ポスター
アトリエ鬼子母神での公演は2003年9月が最後となり,未来劇場は中野・紅葉山公園下の新稽古場に移転した。

 

また、どうやら水森亜土さんの旦那さんの里吉しげみ氏はプレイボーイだったとの噂もありありました(笑)。新婚当時は里吉しげみさんのご両親とお姉さんだと思われる方とも同居されていたようです。

 

ロマンな人は
恋が多すぎ!(笑)

 

 

ふつうだったら、
気持ちが塞がってしまうと思うんですが(笑)

 

 

◆旦那さんへの片想いがイラストに!?水森亜土のかわいい「女の子」の絵が素敵♪

 

これは私の想像になりますけれども、そんな風にプレイボーイな旦那さんだからこそ、水森亜土さんはイラストにちょっぴりメルヘンチックな、「片思い」のような表情の女の子がたくさん出現したのかな?かわいらしくて瑞々しい、純粋な気持ちいっぱいの絵が描けたのかな?なんて思いました。

 

結婚したって
片想いはできる(笑)

 

 

そして、お子さんに関する情報については一切出てきませんでしたので、おそらく水森亜土さんご夫婦にはいらっしゃらないのかな?と思います。

 

そういうこともあって、水森亜土さんは子供たちとの触れ合いを通して、日本中の子供たちのお母さんみたいに子供たちの側で活躍されたのかなあ、と想像します。

 

子供を産むだけが
お母さんになる方法ではない。

 

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今回は素敵な水森亜土さんの生きてきた道を少し知ることができました。私の幼少期にも、すぐそばに亜土ちゃんはいつもいてくれました。いつも元気でたくさんの元気を分けてくれてきた水森亜土さんにも様々な困難や葛藤があったのだということが今回の新しい発見でした。

 

また、水森亜土さんはそれを踏まえて自分なりの消化をし、ユーモアたっぷり、生き生きと自由に活動されている様子にとても心がポカポカしました。

 

いくつになっても
心に小さな女の子を置いておこう。

 

管理人kira2
管理人kira2

次回はまた水森亜土さんのまた別の顔に迫っていきたいと思います♪

 

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