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水森亜土の年齢・本名は?子供や旦那さんはいる?昔の写真画像あり

●笑い/宇宙/未解明 属

透明なアクリルボードに歌いながら両手で絵を描く独特のスタイルと、愛くるしいキャラクターで世代を問わず人気を得ているイラストレーターの水森亜土さん。イラストの他にも女優・歌手・画家など感性をどんどん広げて、いつも子どもたちだけでなく、大人をも楽しい世界へ導いてきてくれます。

今回はその第1弾として亜土ちゃんの不思議の国の世界と、かわいいイラストや亜土ちゃんの写真画像を交えながら、亜土ちゃんのプロフィールから、キャラクターの基盤になった出来事について追っていきたいと思います♪たくさんのキラキラが詰まっていそうで楽しみですね♪

亜土ちゃんが活躍した昔のあれこれ(アラレちゃん・アッ子ちゃん・NHK番組など

 

NHK番組『たのしいきょうしつ』

NHK番組『たのしいきょうしつ』

 

その昔の昭和の子供番組には、実は水森亜土さんが至る所で活躍されていました。管理人なんかはそもそも自分が当時子ども視聴者だったんで、そんな事お構いなしに番組を楽しんでいたわけなのですが、それでも、「あ、楽しいな」「好きだな」っていうものの仕掛けとして、亜土ちゃんが関わっていたことがよくありました。

 

◆亜土ちゃんの歌った『アラレちゃんの主題歌』、『すきすきソング』

 

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌、エンディングは亜土ちゃんが歌っていました!

 

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌・EDソング

『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌・EDソング

 

 

それに気づくことになったのは大人になってからなのですけれども、たくさんのご活躍に随分、驚きましたし豊かで素敵な子供時代を私たちの世代に与えてくれた人として、今でもとても感謝しています。その時代に子供だった子というのは、親が高度経済成長中の社会で戦力として稼働してた世代なので、良くも悪くも子どもたち自身が自分で時間をどう過ごすかを委ねられてた時代だなと思うんですね。

 

『ひみつのアッコちゃん』のエンディング「すきすきソング」も亜土ちゃんが歌っていました!

『ひみつのアッコちゃん』エンディングの「すきすきソング」

『ひみつのアッコちゃん』エンディングの「すきすきソング」

 

その時代において、亜土ちゃんがいつも子供たちの側に居てくれたこと、亜土ちゃんが我々に与えてくれた「想像力」と「想像」の世界っていうのは、子供たちにとって「世界は楽しいものなんだ」という最初の印象をつけるの事に大きく貢献していたなと(実感として)思います

 

また、そうした世界に対する印象や思い出こそが、大人になるまでの間に起こる、数々の困難にさえ負けない力をくれたんだなと私個人的には思っています。

 

管理人kira2
管理人kira2

ありがとう!亜土ちゃん!(涙)

 

 

私の幼少期時代にはよくご本人も番組に出られていたので、子供ながらにお姿も認識していましたね。「なんか変わった絵のお姉さん」みたいなイメージでした(笑)。ではそのご活躍を少しご紹介いたしましょう。

 

男ケニヤの渡り鳥/何んにも何んにもしてないの(1967年)あいつが何さ/バラをかざろう(1968年2月)すきすきソング(1969年3月1日、岡田恭子の「ひみつのアッコちゃん」B面。『ひみつのアッコちゃん』エンディングテーマ)大騒ぎのタンゴ(1970年、ザ・ココナッツの「海底3万マイル」B面。『海底3万マイル』挿入歌)ぼくはハゼドン(1972年、和泉常寛の「ハゼドン音頭」B面。『ハゼドン』副主題歌)ミミちゃんとパンダ・コパンダ/ねんねんパンダ(1972年。『パンダコパンダ』主題歌山口さんちのツトム君/ハメハメハ大王(1976年6月20日。『みんなのうた』より)なぜ?/リップル・マリンを知ってるかい?(1976年。『星になったおじいさん』より。A面は益田喜頓と共演)愛しすぎてるサザエさん/サザエさんの出発進行(1979年5月10日。『まんが名作劇場 サザエさん』主題歌ワイワイワールド/アレアレアラレちゃん(1981年。『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌いちばん星み〜つけた(1983年。『Dr.スランプ アラレちゃん』エンディングテーマ)恋の呪文はアパニャー・ドン!(1983年。ウィス・ダーリアの「Apanya Dong」のカバー、新井武士による日本語詞。B面はカラオケ)すきすきソング(1989年4月21日、堀江美都子の「ひみつのアッコちゃん音頭」B面。『ひみつのアッコちゃん』(1988年版)エンディングテーマとしてセルフカバー)へそまがりんちょ(1991年12月5日。『楽しいムーミン一家』オープニングテーマ)ワイワイワールド(1993 ver.)(1993年3月1日。劇場版『Dr.スランプ アラレちゃん』主題歌

 

スゴイ活躍ですね。当時、絵を描く亜土ちゃんという人物の存在と、人気子供番組の歌を歌っている人とは一致していなかったので、大人になって知って、とても驚きました。

 

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◆亜土ちゃんが声優『すくすくレコードブック』アリス役

 

私自身の中で個人的に最も驚いた亜土ちゃんの活躍は、幼少期にほぼ毎日聞いていた、子供用の読み聞かせ絵本『すくすくレコードブック』の中に『ふしぎのくにのアリス』の物語の声優をされていた事実です。

私自身、このブックシリーズ内にたくさんの物語がある中で、ダントツに一番大好きで何度も何度も聴いていたのがこの物語でした。両親が忙しかったので、この物語で情操教育されていたようなもんです(笑)、その主役である「アリス役」の声水森亜土さんだったのでした。

 

管理人kira2
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それを知ったのは25年以上後という(笑)

 

 

台本も素晴らしい本でしたし、挿絵はこれまた宇野亜喜良さんの絵その他にも今思えば豪華メンバー多数出演という、なんて贅沢な!という読み聞かせブックだったのですけれども、この物語が大好きだったのも、よく考えると亜土ちゃんの臨場感あふれる声が子どもの心を物語に引っ張って、楽しませてくれていたんだなあと思います。

 

 

何度も書きますけど、当時私はひとりっこで両親は子供どころではなく働いていましたし、周りにあまり子供もいませんでしたので、幼少期はずっと自分の世界で遊ぶしかなかったのです。でも、全然私の世界に影など落ちず、むしろ今考えてもキラキラしていたんですけれど、それは水森亜土さんのような豊かな大人たちが子供たちの世界に手を差し伸べてくれていたからといっても過言ではありません。

 

今の絵本の読み聞かせ本でも、これ以上のものはないだろうなと思える逸品です。それに昭和の時代の子供番組には、今考えると色んなところに亜土ちゃんが居てくれたんですね。

 

◆亜土ちゃん『たのしいきょうしつ』テレビ出演のきっかけ

 

さて、調べてみると、水森亜土さんの活躍にきっかけとなったのは、70年代にNHKのテレビ番組「たのしいきょうしつ」で、透明なアクリルボードに歌いながら両手で同時にイラストを描くパフォーマンスだったようです。

 

 

その前に亜土ちゃんは色々と活躍の場を探す活動をしており、ジャズのオーディション受けたり、なんやかんやしているうちにNHK番組のオーディションに行くことになったらしいです。

 

 

ただ、いざオーディションの現場に行ってみるとライバルである応募者たちは、声楽を専攻してきた人、音大の人など、いわゆる大勢の「セミプロ」に囲まれていたということです。これにはだ、だめだ、こりゃ、とてもじゃないけど、まともに戦ったら彼らにかなうわけがない。何かアピールしないと!と思い、現場でハラハラしていた亜土ちゃん

 

自身の面接の場面になり、

「特技は何ですか?」と聞かれた際に

「絵です。両手で描けます!」

(当時は実は両手でやったことなかったけど、そう言ってみたとのこと)

 

と話し、ラッキーなことに実際にそれを面接官に見せるチャンスを貰えて(初めてにして、両手できるのがまた凄いですねW)それがきっかけで番組の出演、つまりは亜土ちゃんの絵を描くパフォーマンスが以後、世の中に浸透していくことになったということになります。

 

 

管理人kira2
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NHKナイス。

 

 

エピソードとして面白かったのが、その時代、ポスカ(水性マジックペン)がまだない頃だったため、絵の具を溶いて空のマヨネーズの容器に自分で入れ、フェルトをふた部分に詰めて番組収録に持参し、使っていた、ということ。自分で画材も工夫して準備して使っていたんですね!精一杯のパフォーマンスができるよう、いつも一生懸命お仕事されていたことが分かります。

 

NHK番組『たのしいきょうしつ』打合せ風景

NHK番組『たのしいきょうしつ』打合せ風景

 

当時は(管理人はしがない子どもでしたしw)全くそういった視点で見なかったので気づかなかったのですが、亜土ちゃん、こうしてみると実はとっても美人ですよね!

 

亜土ちゃんの現在の年齢って?本名あるの?

 

それでは遅くなりましたが亜土ちゃんのプロフィールから

◆亜土ちゃんのプロフィール

 

亜土ちゃんのお父さんは建築家、お母さんとおじいさんは画家だったそうです。お母さんは日本画家だったようですね。

 

 

芸名:水森亜土(みずもり あど)

愛称:亜土ちゃん(あどちゃん)、あどタン

本名:里吉 文江

生年月日:1939年12月23日(2018年現在 78歳)

出身:東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身

 

職業:イラストレーター、歌手、女優、画家、作家

ジャンル:イラスト、絵画、ジャズ、ブルース、舞台、文学

事務所:劇団未来劇場 亜土工房

 

まず、名前のことから。本名の「里吉(さときち)」はご結婚後の姓で、「水森」は亜土ちゃんの旧姓なのだそうです。また、生まれは日本橋ですが、結婚を機に武蔵野市に移り住むことになったそうです。40年ほど前とのことでしたから、30代でご結婚されたのかもしれませんね。

 

◆亜土ちゃんは小さい頃、頭がよくてお嬢様!?

 

そして、上記には書かれていませんが、桜蔭中学校・高等学校を経てハワイのモロカイハイスクールに遊学されています。これにはびっくりしましたが、まず、(おそらく小学校の時に受験してだと思うのですが)中高一貫の女子校に行かれていた、という事実とその学校が桜蔭中学校ということ!

 

 

この学校は中学受験の世界では都内近郊では最難関の女子校として有名ですから、幼少期からとても学力が高かったことが推測されます。

 

ちなみに下は現在の桜蔭中学校の受験案内です。

<偏差値>

桜蔭中学の偏差値は71です。
四谷大塚では70、首都圏模試センターでは72と発表しています。

 

<難易度 >
偏差値も出題される問題も非常に高いので難易度は当然高いです。

 

<校風 >

女子校の東京大学合格者数は日本一です。
女子校日本一の進学校でありながら、「礼と学び」の心を養い、時代に適応した「道徳の指導」を実践する理想的な中学です。

 

管理人kira2
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めちゃめちゃ頭いい人なのかも!(驚)

 

加えて、亜土ちゃんが19歳くらいの時(1958年位)にハワイの学校(ハワイのモロカイハイスクール)へ1年間行ったという内容ですから「ニクソンショック(1971年8月15日)」以前、つまりはそれって、1ドルが360円固定時代なんですよね。生家が日本橋にあることに加え、かなり裕福な生家だったのだなということ分かります。

 

亜土ちゃん作「生家からのみた日本橋の風景」

亜土ちゃん作「生家からのみた日本橋の風景」

 

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◆亜土ちゃんは可愛い「イラスト着せかえ」を昔から友達にあげていた

 

亜土ちゃんが『サワコの部屋』に出演された際のお話によると、幼少期はおてんばでよくこの絵にある川に飛び込んで遊んだり、日本橋の三越のライオンに跨って遊んだりしていたとのことでした(笑)。

 

あまりにおてんばが過ぎるので、大人に「あの(日本橋三越)ライオンは手を入れると悪い子だと閉まるんだよ。」といい聞かされていて怖かったというかわいらしいエピソードを公開していました。

 

 

また土地柄なのか、子供のころ両親が日本橋の橋の周りの人を集めてソシアルダンスをしていたということで、お父さんの脚につかまって踊るのが大好きだったということでした。

 

亜土ちゃんの「今も時めく一曲」

亜土ちゃんの「今も時めく一曲」

 

今もワルツとタンゴが大好きなのはこうした、モダンで豊かな幼少期があったからのようです。小さい頃は都電の運転手さんになりたかったそうです。

 

左利きを母親に矯正された事がストレスとなり吃音になった。

 

お母さんは画家だったらしいのですが、厳しかったようです。でも、そのおかげで今は両手で絵を描けるようになったのかもしれませんね。

 

 

吃音があったためかは分かりませんが、小学校の頃は暗くておとなしい子だった亜土ちゃん本人が語っています。その為、クラスではあまり人気がなかったらしいのです。

 

管理人kira2
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意外なエピソードですね。

お母さんに教えてもらった方法を参考に、自分のイラストで手作りの「着せ替え人形」を作り、それを友達にもつくってあげたことで、「その時は人気が出ましたね。」とお話されていました。こんなかわいいイラストの着せ替えを貰ったら、そらみんな喜びますよね~(笑)。

 

 

管理人kira2
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かわいいなー

 

そうした経験があって、亜土ちゃんはますますイラストを描くことが好きになったのかもしれませんね。人を喜ばせるのが大好きな亜土ちゃんですから、その頃からみんなのために心を込めて描いていたことでしょう。

 

亜土ちゃんの転機となった出来事

 

亜土ちゃんには1歳違いの妹さんがいるようです。その妹さんが大変優秀で、とてもコンプレックスだったとか。それに加え、近所の目を気にしたりと若い頃には亜土ちゃんにだって色々と気持ち的に葛藤や不自由さがあったようです。

 

◆亜土ちゃんは、近所からの見られ方を気にする子だった

 

 

その頃、亜土ちゃんは吃音を治したきっかけにもなった「ジャズ」ですが、推測だとご両親に連れられて遅い時間まで小さい頃から触れ合っていたようです。その結果、帰宅が夜遅くなることも多かったようで、どことなく我が家に対する近所の目が厳しかったとのことでした。

 

管理人kira2
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小さい頃にそんな視点があるなんて感受性が強かったのですね

日本橋の近所で行われる盆踊りでは、いつも櫓(やぐら)の上に乗ることができる女性を羨望の眼差しで見つめていたということでした。

 

 

水森:当時、盆踊りの櫓の上に乗れる女性は、

評判がいい子美人か、地域の人気者だけでしたね。

 

我が家の姉妹はは不良だと思われている・・・と小さいながらに感じて、私たちは櫓には縁がないと思って暮らしていたようです。

 

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◆亜土ちゃんが実の妹に抱いたコンプレックス

 

姉妹お二人が小学生(亜土ちゃん小学校6年生、妹さん5年生)の時に『油絵全国児童コンクール』というものに二人で応募したらしいのですが、妹さんは銀賞、亜土ちゃんは画家の母に手を加えられ、予選で落っこちてしまったとのことでした。

 

 

また、2つ目のコンプレックス原因となったのは美術大学の受験でのこと。妹は美大に2つも受かったのにもかかわらず、私は全部落っこちてしまった事

 

お母さんが画家で厳しい人だったということなので、そのお母さんに認められたい気持ちって大きかったでしょうから、妹さんだけが合格したことはお姉さんとしてとてもショックな出来事だったのでしょうね。

 

◆亜土ちゃん1年半のハワイ遊学

 

美大受験に失敗した亜土ちゃんは、ハワイのモロカイハイスクールへ1年間留学することになります。亜土ちゃんは「遊学」と表現しています。)

 

ここで

人生観を180度変えてもらったとのこと

 

 

水森:まわりにあるのは、赤土パイナップルヒルズヤシの木

そこで野良犬と泳いだり・・・。そうしているうちに、

「人と比較するのはやめよう」ということを強く思って、

近所の人からの評判がなんだ、

私には太陽があるじゃないか、

ヤシの木も! これだ!

と人生観がすっかり変わってしまったの。

 

日本にいた時の自分は、周りから取り残されていた気分だったけれども、全く変わってしまいました、そう亜土ちゃんはおっしゃっていました。もうすぐ80歳になるという年齢になっても、とても瑞々しくその風景を思い出す亜土ちゃんでした。

人生のうちのたった1年の経験なのにもかかわらず、この経験がどれだけ彼女の人生にとって大きかったのかは容易に想像ができました。

 

 

そうして、ハワイで英語とジャズに触れることになったようです。でも、本当の意味でジャズが面白くなってきたのは、40歳を過ぎてからだそうです。現在はジャズシンガーもされている亜土ちゃんです。

 

亜土ちゃんの服は子供服?若い頃の写真画像あり

 

 

トレンドマークのオールオーバーの衣装に帽子の姿ですが、テレビ番組でのお話にこんなくだりがありました。

 

阿川:「その衣装はいつ頃からなんですか?」

水森:「衣装は約80年位前からコレっす。」(「サワコの朝」より)

 

ちょっと照れ臭いことを言われた時にはこのポーズ(笑)

ちょっと照れ臭いことを言われた時にはこのポーズ(笑)

 

別の番組ではファッション評論家の「ピーコ」さんが一緒に出演されていたのですが、二人は長い付き合いの友人同士のようで、ピーコさんいわく、「まだ、とってもきれいな頃の亜土から知ってる」なんて表現されていました。また、ファッションについても

 

ピーコ:まあ、これは衣装だから仕方ないけど、着替える前の格好の方がセンスがいいわ。

 

と言って、私服姿を褒めていました。亜土ちゃんのセンスがいいのは何となく想像できますね。

 

アナウンサーの方も亜土ちゃんのスニーカーがとてもオシャレだった!と褒めていました。

 

亜土ちゃんの旦那(夫)さんは?子供はいるの?

 

出会いとなったのはどうやらその「劇団未来劇場」のようです。

 

里吉しげみ氏と亜土ちゃん夫妻

里吉しげみ氏と亜土ちゃん夫妻

 

日本の劇作家、演出家、作家、作詞家であり、「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ氏という方が亜土ちゃんの旦那さんだそうです。

 

水森亜土さんは)イラストの仕事から「劇団未来劇場」に入団、個性的な演技で異彩を放つ看板女優にも成長していきました。

 

亜土ちゃんは看板女優だけでなく、ポスターやイラストも担当していたとのことです。下は未来劇場のアトリエ鬼子母神の時の写真

 

 

こちらの劇団にのちに作曲家の小林亜星さんも参加されており、そのことがきっかけで亜土ちゃんのお仕事も広がったようですね。写真はちょっと若い頃の亜星さんにしてみました(笑)

 

 

未来劇場のアトリエ鬼子母神での最終公演ポスター
アトリエ鬼子母神での公演は2003年9月が最後となり,未来劇場は中野・紅葉山公園下の新稽古場に移転した。

 

 

また、どうやら旦那さんの里吉しげみ氏はプレイボーイだったとの噂もありありました(笑)。新婚当時は里吉さんのご両親とお姉さんだと思われる方とも同居されていたようです。

 

ふつうだったら、

気持ちが塞がってしまうと思うんですが(笑)

 

これは管理人の想像になりますけれども、そんな風にプレイボーイな旦那さんだからこそ、亜土ちゃんはイラストにちょっぴりメルヘンチックな、片思いのような表情の女の子がたくさん出現したのかな?かわいらしくて瑞々しい、純粋な気持ちいっぱいの絵が描けたのかな?なんて思いました。

 

 

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そして、お子さんに関する情報については一切出てきませんでしたので、おそらくはいらっしゃらないのかな?と思います。

そういうこともあって、亜土ちゃんは子供たちとの触れ合いを通して、日本中の子供たちのお母さんみたいに子供たちの側で活躍されたのかなあ、と想像します。

 

 

今回は素敵な亜土ちゃんの生きてきた道を少し知ることができました。私の幼少期にも、すぐそばに亜土ちゃんはいつもいてくれました。いつも元気でたくさんの元気を分けてくれる亜土ちゃんにも々な困難や葛藤があったのですね。また、それを踏まえて自分なりの消化をし、ユーモアたっぷり、生き生きと自由に活動されている様子にとても心がポカポカしました。

 

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管理人kira2
管理人kira2

次回はまた亜土ちゃんのまた別の顔に迫っていきたいと思います♪

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