中川翔子(しょこたん)父親・中川勝彦は白血病を発症した元芸能人

◆美容

独自のマニアックな世界観でデビュー初期から世間と視聴者を圧倒してきた中川翔子さんですが、アニメオタクと言われることも何のその!かかってらっしゃい!というような雰囲気に映った半面、実は10代の頃はとても暗く、いじめられてきた経験もあったようです。

 

それでもアニメを愛し続け、なんと言われようと大事にしてきたのには中川翔子さんと元芸能人の父親の間にあった父と娘の複雑な愛情関係と、父親の白血病での死、娘から見た父親像、父をなぞる切ない心の旅があったようです。影と光を共存させ輝き続ける中川翔子さんの魅力に迫りました。

◆中川翔子(しょこたん)の父親も芸能人の中川勝彦だった!?娘と同じ歌手?親子写真アルバム画像

 

独特な世界観で視聴者を魅了し、マニアックなファン層を築いていくことで長く不動の人気を持っているマルチタレントの中川翔子さんですが、いつも心の清らかな印象がよく伝わる方だったので箱入り娘の印象が勝手にあったのですが、予想に反して、中川翔子さんは幼少期に悲しい経験をされている方でした。

 

 

大好きなお父さんを中川翔子さんはたった9歳の時に失っています。その大好きだったお父さんは中川勝彦氏といって、芸能界で中川翔子さんと同じくマルチタレントとして活躍されている方でした。

 

 

こんなイケイケのお父さんをお持ちの中川翔子さんだったのでした!その父親・中川勝彦氏がまた、めちゃめちゃ男前なのです!何となく中川翔子さんはファザコンっぽい印象は常々感じていましたが、これだけ男前なパパだったらそりゃそうなりますよね、というところです。

 

 

 

もう、ジャニーズもビックリのイケメンです!!

 

 

どや!

この、どや顔すらイケメンであります!!

 

 

かっこえー。

 

中川翔子さんの父親の中川勝彦氏は1962年7月20日に東京は文京区の生まれで、慶應義塾大学を中退しているロックミュージシャン兼歌手で俳優でした。1980年から1994年まで活動をされていたそうです。中川翔子さんの父親の中川勝彦氏はヴィジュアル系アーティストの先駆けだったようです。

 

80年代前半の日本の歌謡界では珍しいヴィジュアル系アーティスト、日本版グラムロックアーティストとして、本田恭章と人気を二分した。美しいルックスとは裏腹に、気さくで腰が低く茶目っ気のある人柄で関係者に親しまれた。

 

中川勝彦氏は人柄も良かったということで、おおよそモテ男街道だったのでしょう。

 

 

キムタクか、
小栗旬か!?的な
マスクです。

 

きっと現代に生まれてもビジュアル系で活躍したことでしょう…。

 

デビュー当時はムーンライダーズのメンバーが全面的にサポートし、楽曲提供や演奏で参加。その後、Charとユニット「MAJI-MAGIC」を結成するなど、アーティスト色を濃くしていく。本人による作詞・作曲も数多い。

ヴォーカリストとしては妖しさと力強さを兼ね備えており、伸びのある歌声で評価が高かった。

 

ところがこれまたロックミュージシャンだった!!

 

中川翔子さんとCharさんは、1994年3月に、「たぶん最初で最後」と言って、中川勝彦氏の楽曲を一緒に歌っています。

 

 

娘・中川翔子(しょこたん)とCharが亡き父親・中川勝彦の楽曲を歌手として歌った!疑似親子共演!画像

 

中川翔子さんは1994年、当時のニューアルバム『9lives』に入れるボーナストラックとして、父・中川勝彦氏の楽曲「ラスト・ウィッシュ-同じ色のクリスマス」のカバーを収録しました。レコーディングには、同曲を中川勝彦氏と共同作曲したギタリストのCharさんが参加し、当時の話も熱く語っていたようです。

 

中川翔子さんがCharさんと共演!!

 

 

かっこええ自慢のパパです。

 

 27日のニコニコ生放送『しょこたんのヲ』で中川翔子

「父の曲を歌うのは、たぶん最初で最後」と話し、

「当時の父は迷走している時期だと思っていたけど、Charさんのお話しを聞いたら、この曲をすごく楽しそうに歌っていたと知ってうれしかったと胸中を吐露。

 

お父さんがとても楽しそうに歌っていたという曲を、大人になった彼の娘である中川翔子さんがなぞるように歌うというのがなんとも想いが募って切ないものですね。

 

父親は娘にとって、いつもセンチメンタルな存在なのです。

 

 

Charさんも大事な友人が心残りに思っているであろう娘さんと一緒に大事な1曲を共有出来て、とても特別な時間となったことでしょう。悲しい記憶も豊かなつながりが癒してくれるいい時間ですね。

 

しょこたんにとっても、パパと歌っているように思えた事でしょう。

 

「Charさんは、納得がいくまで何度も何度もギターを弾き直してくれて、最後に父に渡すはずだった帽子を、代わりに私にくれましたとレコーディング秘話も語った。

 

なぜ、4月発売のアルバムにクリスマスソングなんだ(笑)!っていうところがとても中川翔子さんらしいなと思うのですが(笑)。

 

こちらの楽曲「ラスト・ウィッシュ-同じ色のクリスマス-」中川勝彦氏の曲の中でも名曲としてファンに愛されてきたもので、中川翔子さんが当時1歳だった、1986年11月に発表されたものだそうです。

 

 

愛するマミタス

 

中川翔子さんにとっても、自分が父親の人生の中で存在した時につくられたこの曲を、とても大事に想うのがよくわかるエピソードです。

 

管理人kira2
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色々な意味で切ないですね(涙)

 

◆中川翔子(しょこたん)の父親・中川勝彦の死因は白血病だった!娘からの移植を拒否?画像

 

中川翔子さんの父親である中川勝彦氏は1992年9月に急性骨髄性白血病を発症します。

 

 

急性骨髄性白血病とは?

 

急性骨髄性白血病(AML:Acute Myeloid Leukemia)は、このような血液をつくる過程の未熟な血液細胞である骨髄芽球に何らかの遺伝子異常が起こり、がん化した細胞(白血病細胞)が無制限に増殖することで発症します。

引用元:国立がん研究センターがん情報サービス

 

治療には複数の抗がん剤を組み合わせて行う化学療法造血幹細胞移植療法と言われる移植による方法があり、移植には家族や血族、骨髄バンクよりHLAの型が一致する人からしか移植することができないそうです。

 

一致する確率も兄弟・姉妹で1/4の確率ということで大変低い状況です。

 

 

また、一致したとしても、その後の体内攻撃(GVHD)が無くなるまでに2-3年もの歳月がかかり、副作用が大変強いと言われています。

 

中川翔子さんの父親・中川勝彦氏の場合は骨髄移植のために中川翔子さん以外の家族の骨髄の型を調べたところ、誰も一致せず、中川翔子さんの骨髄を検査することも提案されたようなのですが、中川勝彦氏本人が、

 

俺のために翔子の体に傷がつくのは耐えられない

 

と頑なに断ったのだそうです。その後もドナーとなる人は見つからず、中川翔子さんの父親・中川勝彦氏は発症から2年後の1994年9月32歳の若さで亡くなってしまったということです。

 

 

中川翔子さんは自身の記憶で、当時自分から「怖いからやりたくない」と断ったと記憶していたそうで、実際はお父さんが頑なに拒否していたことを知って感慨深かったようです。

 

2015年8月に放送されたテレビ番組に出演した際に、改めてこの事実を知った中川翔子さんは

 

父親が自分(翔子)のことを考えていてくれているとは思わなかったので。申し訳なかったです。本当にずっと。感謝して生きていかなきゃって思い直しました

と涙ながらに語りました。

 

中川翔子さんの気持ちの中で、自分が断ったからお父さんが死んでしまったのかもしれないという気持ちがもしかするとあったのかもしれませんね。

 

 

1994年の9月に亡くなる7か月前の2月、中川勝彦氏は 10周年記念ライブを行っていました。一度は退院して、活動を再開もしていたのです。ところが、1994年の8月には白血病の再発が伝えられました。

 

 

そして、再発の時にはあっという間に、白血病に侵され中川勝彦氏は32歳の若さで亡くなられたということです。

 

享年32才。
あまりにも早過ぎる死に、親交のあったB’z、Charなど音楽関係者、タレントなど数多くの著名人からお悔やみが寄せられた。しょこたんは当時9才。
幼い娘を残してこの世を去らねばならない無念は察して余りある。

 

1994年、中川翔子さんはまだたった9歳の時ということでした。

 

子供がまだ小さいから死にたくない

 

中川勝彦氏が周囲にも話していたということから、ご本人も無念の死だったということが分かります。

 

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1119100897315790848?s=20

 

ここからは中川翔子さんの父親・中川勝彦氏が一体どんな人だったのか、中川翔子さんは父親をどのように見つめ、ここまで来たのか、そんなエピソードを追っていきたいと思います。

 

 

◆中川翔子(しょこたん)の父親・中川勝彦の曲でデビューアルバム『してみたい』画像と娘の極秘出産の話

 

中川翔子さんの父親・中川勝彦氏のデビューアルバムがこちら『してみたい』だそうです。

 

 

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お~艶っぽーい♡

 

デビューアルバムである本作は、作詞陣に銀色夏生や微笑杏里こと女優・藤真利子を、作曲陣にムーンライダースの白井良明やかしぶち哲郎、NOBODYなど豪華なスタッフをそろえ制作。

ニューウェイヴ~ニューロマンティクスの流れを汲んだポップな音楽性とシャープなヴィジュアルがあいまって、日本の音楽シーンに新たなムーヴメントの火をともした記念碑的作品!

 

中川翔子の誕生は極秘だった!

 

中川翔子さんの父親・中川勝彦氏はビジュアル系のミュージシャンの先駆けということで、女性との交際やその後その女性が妊娠し中川翔子さんを出産したことなどはイメージダウンになる恐れがあったため、信頼できる関係者や友人以外には、本人も事務所も公にしなかったということです。

 

写真:中川桂子公式ブログ

 

極秘で誕生した娘を大事に育ててきた父と母。

 

中川翔子さんの母親の中川桂子さんもとても素敵な方です。

 

 

実際には中川翔子さんがマルチタレントとして活躍し始めてしばらくして公表をし、初めて中川翔子さんと中川勝彦氏の親子関係が明るみになったということでした。

 

◆中川翔子(しょこたん)の父親・中川勝彦『転校生』で男前がさらに人気に!画像 娘にとっては怪獣オタクお父さん

 

1982年に制作されてた東宝映画『転校生』では主演女優・小林聡美さん演じる 一美の長兄・斉藤良行 役で中川勝彦氏も出演されていました。

 

 

『転校生』の主演の小林聡美さんがこちら。若いですねww

 

 

ビジュアル系の父親の本性は、怪獣オタクの変なお父さんだった(笑)

 

この映画の制作の3年後である、1985年に中川翔子さんが誕生するわけですが、世間ではがっつり「ビジュアル系美男子」としての地位を築いていく中川勝彦氏でしたが、中川翔子さんのお話によると、家では「怪獣オタクの変なお父さん」だったのだそうです(笑)。

 

 

中川翔子(しょこたん)のアニメオタクっぷりは父親似!イケメン中川勝彦の娘の教育方針。

 

中川勝彦氏は怪獣映画や漫画が大変好きで、中川翔子さんが幼少期には「楳図かずお作品やゲゲゲの鬼太郎を読まないとちゃんとした大人になれないぞ」と言い聞かせて育て、親子で本屋へ出向き、漫画全集などを大量購入していたのだそうです。

 

 

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中野のまんだらけの店舗でそんなやり取りがあったのかと思うと感慨深いものがありますw

 

中川翔子さんはそうして、父親と一緒に漫画を楽しんで、いちいち感想を述べ合っていたという事なので、中川翔子さんが強烈な漫画や特撮ファンになったのは完全に初動での父親の教育の影響と言えますw

 

余談ですが、中川翔子さんの生家のある中野駅には漫画の聖地「中野ブロードウェイ」があり、そのマンションにはかつて、アイドル時代の沢田研二さんが住んでいました。中野がつくったプリンセスでもある中川翔子さんです。

 

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◆中川翔子(しょこたん)の父親・中川勝彦は男前すぎて、くらもちふさこの漫画にもイケメンキャラクターで登場!画像

 

当時ビジュアル系で売り込んでいた中川翔子さんの父・中川勝彦氏がまさかマンガオタクであることはきっと、機密情報だったと思うのですが、あまりにも中川勝彦氏がイケメン過ぎたためか、少女コミックの「王子様キャラ」として採用されていました。

 

 

くらもちふさこさんは既に少女漫画家として有名だったそうなのですが、若い頃に中川勝彦氏とも親交があり、かつ、くらもちふさこさん自身がビジュアル系ロックシンガー中川勝彦氏の熱狂的なファンだったようです。

 

 

その漫画というのが『ハリウッドゲーム』というもので、中川勝彦氏がモデルとなっているという役柄はその名も「中川君」という高校生でプロのミュージシャンを目指して頑張っている青年です。

 

 

これがホントに似てるwww

 

 

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ちょっとこの写真がジョンレノンに似てますねw

 

 

また、中川翔子さんの母親の中川桂子さんもtwitterやブログでこんな風に語っていることから、『七月のぼくは優しい』いう作品でもモデルになっているようですね。

 

 

きっと、中川翔子さんだけでなくお母さんも、中川勝彦氏の面影を追うためにこの漫画も大事にされているのでしょうね。

 

 

自然葬、樹木葬、散骨された有名人はこちら↓

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はい、ジョンです。

 

 

◆中川翔子(しょこたん)の父親・中川勝彦には女性スキャンダルがあった!?このことで娘に影がさす画像

 

中川翔子さんの父・中川勝彦氏はとにかく大変カッコイイ男性だったため、中川翔子さんが生まれた後もどうやら大変モテたようなのです。そもそも、中川翔子さんが誕生した時の父・中川勝彦氏の年齢も22歳だったといいますから、成人しているとはいえ、まだ一般的には成熟していない年齢であり、遊んでいるほうが普通なのかもしれません。

 

 

あまり家に帰らない父親だった。

 

中川翔子さんの父・中川勝彦氏が妻子を抱えて仕事を頑張らなくては、と考えていたこともあるのでしょうが、結婚して子供ができた後もあまり、家には帰ってこないお父さんだったようです。

 

 

この世を去って17年後のスキャンダル発覚。

 

そして、1994年に中川翔子さんの父・中川勝彦氏他界した後の、2011年2月頃に中川勝彦氏と女性との赤裸々な不倫現場の写真がとあるサイトにアップされることで、そのスキャンダルは発覚します。スキャンダル画像は計24枚もあったということです。(現在は削除されているということ)

 

死後17年。何故亡くなった後に??というミステリーです。

中川翔子さんもその時は9歳の少女ではなく、もう26歳の立派な大人の女性。しかし、大変そのスキャンダルには相当ショックだったということです。

 

 

出版社がスキャンダルをリーク??

 

一部では2011年に復刻版として出版された中川翔子さんと父・中川勝彦氏の父娘コラボ絵本&朗読CD(後述)の再販に合わせて出版筋がリークしたのでは?とも言われていますが、ちょっとあまりにも過激でそれが販促につながるのか?と言うとかなり疑問が多いため、未だにミステリーのようです。

 

ショックを受けすぎて、中川翔子さんが9歳の誕生日に父親の中川勝彦さんから貰い、ずっと大切にしていた誕生日カードを、衝動的に捨ててしまったそうです。

しかし、母親が誕生カードを拾い、今は大切に保管しているそうです。

 

中川翔子さんの9歳の誕生日と言うと、1994年の5月5日で、父親である中川勝彦氏が亡くなる約4か月前に貰ったとても大事な誕生日カードです。生前に病床で書いたと言われる父親の形見の誕生日カードでした。お母さんが拾ってくれたということで良かったですね。

 

 

父のことはずっと嫌いだった。

 

そうした経緯もあって、若い頃からつい最近までの中川翔子さんは父親に対する感情をなかなかうまく消化できずに大人になったようです。以前は一貫して父親・中川勝彦氏のことを「ずっと嫌いだった」と発言をしており、

 

 

2005年において中川翔子さんは

父親を思い出して泣くことはない。

ほとんど父は家にいなかったから。

祖父が私にとって父親変わりで、

祖父のことを『パパ』、『パピィ』と呼んでいたから

 

 

2006年においては

ゲームをしている時に母親から、

父が死んだと聞かされてふ〜んと思った。

 

 

2010年はというと

父を思い出すと涙が出るから考えないようにしている。

病院に呼ばれて私の手を握った瞬間に父は亡くなった

 

そして、2011年にスキャンダルが発覚。

ここまでの経緯を考えると、小さな少女から思春期、その後の大人になりかけの年齢まで、中川翔子さんの現実にあったのは母と娘で悲しみを乗り越え歩んできた時間であり、

 

その母親の苦労を知っている中川翔子さんからすると、架空の人物にすら思えてくる父・中川勝彦氏が今なお自分たちを思い悩ませ、影を落とすことに耐えられなかったのかもしれません。

 

 

実際、中川翔子さんは自身の10代について「暗黒期」と称しており、中学時代にはオタクといじめられ、学校に行くのも怖くなって殆ど登校せず、いなくなりたいと思っていたといいます。

 

父さえ居てくれたら。

 

きっと本当は心の奥底でそんな風に思ったことも、1度や2度ではなかったのかもしれません。

 

 

その後、2015年8月に放送されたテレビ番組に出演した際に、前述のとおり改めて骨髄移植の際に中川翔子さんの体に傷をつけることは耐えられないと語った父のことを知ります。

 

父親が自分(翔子)のことを考えていてくれているとは思わなかったので。申し訳なかったです。本当にずっと。感謝して生きていかなきゃって思い直しました。

 

亡くなった父は娘のことなど想ってはいなかったに違いないという想いと、反対に父親を大好きだった自分の想いとを抱えて、混乱をし続けたまま成長した中川翔子さんだったようです。

 

 

父が娘を愛していた痕跡を探すために中川翔子さんはずっと生きてきて、父・中川勝彦氏の感情をなぞりたい一心でいじめられ続けてもアニメと共に生き、芸能活動も続け、父と交流があった人とも積極的にかかわってきたはずなので、2015年のテレビ放送での経験中川翔子さんにとってとても大きな出来事だったようでした。

 

そこからの中川翔子さんは一転して父親・中川勝彦さんの心に寄り添って生きていくことを始めます。

 

 

◆中川翔子(しょこたん)感涙!南野陽子が父親・中川勝彦との共演写真を娘の為に持参!ブログ公開

 

中川翔子さんが司会を務めるNHKラジオ番組『アニソン・アカデミー』に2017年5月、女優の南野陽子さんが出演された際、南野陽子さんは中川翔子さんの父親である中川勝彦氏と共演した際の貴重なスナップ写真をわざわざ持参してくれたというお話がありました。

 

 

中川翔子さんは南野陽子さんの登場だけでかなりのハイテンションぷりを披露。

 

アニソンアカデミーに南野陽子さま降臨!!永遠にキラキラ輝く伝説の存在であり優しく熱い♡にますます尊敬です。今日はアニソンの選曲にもシビレました!お肌つやピカ!スゴイ!

 

もう、何を喋ってるのか分からない位のハイテンション炸裂!

 

 

それにはやはり、南野陽子さんと言う人が中川翔子さんの愛する父親・中川勝彦さんと一緒の時代を生きた人ということで、中川翔子さんにとってはそれだけで自分の知り得ぬ父親の姿を実際に見てきたとてつもなく神々しい存在なのだと思います。

 

 
なんと 南野陽子さま 31年前 テレビドラマ 時をかける少女 で、父 中川勝彦と共演したことを覚えていてその時の貴重なスナップ写真を探して持ってきてくださいました その心に感動しました、粋な‼️
 

 

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南野陽子さん優しいですね~♡

 

 

テレビドラマの『時をかける少女』では南野陽子さんは主演女優でした。しかし、このテレビドラマは単発でシリーズものではなかったので、撮影の期間もさほど長くなく、確かにこのように中川勝彦氏との写真が残っていたのはとても貴重なことかもしれません。

 

南野陽子さんの婚約指輪のお話はこちら↓

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南野陽子さんと中川勝彦氏が一緒に映っている写真について、中川翔子さん

 

 
とってあるということ自体がすごいことであり、
もういろんな感情がぐるぐる‼️
泣けてきます。
お優しい、、ありがとうございます、父、半目だ‼️
 大切にします‼️
 
 
中川翔子さん、かなり嬉しかったようですね!
 

 

そして、南野陽子さんを介して親子二代でご縁があったことに対しても感謝をしている中川翔子さんでした。

 

 
親子二代でご縁に恵まれてなんて幸せな今日だったんだろう、わたしのプレミアムサタデーでした。
青いブリンクもやっぱり最高でした。
南野陽子さまの歌うアニソンを聞ける未来がきたら最高だなぁ
 
 
南野陽子さんも絶頂期の頃ですね!
 
 
天国から中川翔子さんのお父様は、まだまだ娘を心配して、ちょこちょこ会いに来てくれているようですね。

 

 

◆中川翔子(しょこたん)は亡き父親・中川勝彦とACジャパン骨髄バンクCM親子共演で娘としてドナー登録の呼びかけ

 

さらに、2018年になると中川翔子さんは父・中川勝彦さんの命を奪った白血病の最後の砦となる骨髄バンクのドナー登録についてACジャパンのCMに出演します。

 

 

中川翔子さんは父親・中川勝彦さんの亡くなった年齢を超えたということです。それだけでも感慨深いものがあると思いますし、その年になって、中川勝彦さんが抱いていたに違いない感情と対面できたようです。

 

 

また、このCMで中川翔子さんは、愛してやまない父親・中川勝彦さんとのCM共演も果たします。

 


画像:中川翔子公式twitter

 

一緒にこのCMで中川翔子さんとお父さんが共演できたことはきっと、お互いに誇らしかったことでしょう。

 

 

中川翔子さんと父親の思いがつまったCMでした。

 

画像:中川翔子公式twitter

 

父・中川勝彦さんがこの世を去ってから、24年後の娘と父の共演でした。

 

 

最近では白血病を公表して話題となった池江瑠花子さんの話題に際しても、中川翔子さんは骨髄バンクの登録の呼びかけを行っています。

 

◆中川翔子(しょこたん)はしばらく結婚しないで実家?ほん怖エピソードの天国の父親から娘へ直メール!?

 

中川翔子さんは2019年現在、まだ独身を貫いています。ご本人は貫くつもりはないのかもしれませんが、現実は未だに独身です。2019年には34歳になる!ということで、お父さんのイケメン遺伝子を残すためにもそろそろ危機感を感じてくる頃なのではないかとは思うのですが…

 

 

あまりにカッコイイ父親を持った娘というものはどうも結婚が遅れたり、破綻したりしやすい傾向にあるような気がします(主観)。

 

 

実際、父親よりも自分を愛し、かつカッコイイ存在を他人男性から見つけるというのはなかなか難しいものがあります。

 

それに、父と娘の間には妙な神秘があるわけで。

 

今後も、強烈なファザコン体質である中川翔子さんがロマンスに恵まれ、しかもゴールインし、円満いうのはちょっと難しそうだな…というのが私の個人的な見解です。。

 

 

父と娘の間の神秘と言えば、中川翔子さんには父親との間にとても不思議な怪奇現象があったことが話題になっています。

 

天国のパパからメールが来たって??

 

それ以前に中川翔子さんの周辺に起こった怪奇現象は一つではなかったようです。

 

中川翔子さんが9歳のとき、父、中川勝彦さんは亡くなってから、身の回りで不思議な現象が起こるようになります。

  1. 父が大切にしていた、懐中時計が父の亡くなった時刻で止まる。
  2. 誰もいないのに2階から足音が聞こえる。
  3. 締め切った部屋で中川翔子さんの髪の毛がなびく、
  4. 就寝中、突然金縛りにあい、しばらくすると机の上のパソコンの電源が勝手に入ったのが見え、キーボードを叩く音が聞こえた

いろいろな怖い現象が起こりました。

 

極めつけの怪奇現象がこちら。

 

 

中川翔子さんのメーラーを開くと、1件のメールが入っていた、とのこと。

 

そのメールには、件名に「katsuhiko」と、宛先のところに「nakagawa_katsuhiko」と父の名前が入っており、作成されて日付は7月20日で、それは父、中川勝彦さんの誕生日でした。

 

これだけを見ると、宛先が父親名ということで、中川翔子さんのメーラー上でメールが作成されたことになります。

 

悪霊の仕業だって??

 

一部では占い師によって「悪霊の仕業」だと言われているようですが、私はこの考えには少し違和感がありました。

 

というのは、私の友人にも父親と家族の壮絶な困難により学生時代、複数の「小人」を日常的に現実世界で目撃し続けたという稀有な女性がいたからです。

 

それこそ人気になった『こびとづかん』が出版されるずっと前の話です。私は彼女ととても気が合ったので、大学時代はずっと交流がありました。

 

 

彼女のそうした怪奇現象?は大学卒業前後まで続き、そのような「奇」のある世界と、現実世界の間をずっと彼女は行き来していました。そして、本人の体感としてはどちらもリアル。

 

私は彼女のそれが虚言とも思わなかったので、その話をずっと聞いていましたが、そうしたことは「本当か」「虚構か」といった雑な線引きでは存在しておらず、そうした怪奇に思える現象も含めて、夢の中、空想も含めてすべてが個にとって「本当」なのだというのが私の感想でした。

 

「父親はユニークな人で、人を驚かすのが好きだった」

 

と、中川翔子さんがいつかその件で発言されていたことがあったようなので、その本人の体感こそが事実ということではないのかな?と思います。

 

少し近い世界に居る美大出身の辛酸なめこさんの記事はこちら↓

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何匹居るかすら確認できないほどの

点呼不能な数の猫と暮らしている(笑)!

 

 

また、これは別の角度になりますが、あれほど猫を愛して溺愛したくさん飼ってもいる中川翔子さんのところで、悪霊が住み着く感じがしないな、と言うところです。そもそも居心地悪そうじゃないですか(笑)

 

マミタス(笑)!!

 

 

私の大学時代の友人であり、小人とこの世界で同居していた彼女も、現在はすっかり2人のお子さんに恵まれ、立派なお母さんとしていわゆる「現実世界」を生きています。

 

彼女によると、昔のような不思議な体験はある時から一切なくなったと大人になってから話していました。同時期に彼女の中での「父親像」も幸福な消化の仕方を遂げています。

 

中川翔子さんの猫好き過ぎる話はこちら↓

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ですから、年齢的にそうした世界を行き来できる時期というのが限られているのかもしれませんし、自身の精神的な混乱が産む、生き延びるための「リアルな別の世界」ともいえるのかもしれません。

 

 

1993年中川翔子(しょこたん)と父親のコラボ親子絵本が出版された理由は?

 

1993年に刊行された中川翔子さんの父・中川勝彦氏の絵本「未知の記憶」はこんな素敵な絵本です。1993年と言うと、中川勝彦氏が亡くなる1年前であり、病床で完成させたと言われているように、体調不良が続き、良いのか悪いのかそんな理由から中川翔子さんと一緒に過ごす時間も多かった時期ではないでしょうか。

 

父娘で一緒につくった絵本。

 

 

そこで、中川勝彦氏が、娘と一緒に手掛けた絵本をこうしてわざわざ形に残し、出版を実現させたことは、父親である自分が、もしこの世からいなくなったらという時のことを想定して、「最後に娘に残せるもの」を必死で考えた結果なのだろうと考えてしまいます。

 

最後に娘に残せるもの。

 

 
広大なアフリカ。ダチョウのニポが初めて大海に行き着き、世界のありかたを知るまでの感動的な旅―中川勝彦氏が病床で完成させた本書は、当時幼かった中川翔子さんも制作を手伝い、父娘の、最初で最後のコラボレーションとなった貴重な一冊。この地球に生きるすべての人々に贈りたい、素晴らしい生命への讃歌です。

Amazonより引用

この絵本は2011年、中川勝彦自身が朗読するCD付きで復刻され、復刊ドットコム年間販売ランキング1位を獲得した。

 

この絵本を残していったことは中川勝彦氏の中川翔子さんに対する愛情以外の何物でもないと思います。自分の代わりに、娘の側にいて、見守ってくれるもの。娘へ贈った永遠のラブレターと言っても過言ではないでしょう。

 

 

娘よ、たくましく生きろ。

 

亡くなった今でも、何度でも、そうして絵本を読み聞かせてくれるお父さんです。この絵本は2011年に復刻再販され、その時には中川勝彦氏の朗読CDも一緒になっていました。中川勝彦氏は小さな中川翔子さんに出来上がったこの絵本を読んで聞かせていたのでした。

 

 

中川翔子さんは以前は自身の性格について、

 

人見知り、対人恐怖、頭髪の薄さ、マザコン、異性とのコンプレックス、早口、猫背…など闇の部分が多い

 

と酷評していましたが、お父さんから今も注がれる愛情で、ここからすくすく育って、中川勝彦氏の娘・中川翔子として誇らしく生きていかれる事でしょう。

 

 

お父さんの愛情を感じる為に中川翔子さんはこれまでの人生を使ってこられたので、しばらくはその愛情の確かさにまだ溺れているのも豊かな事なのかもしれないなと、私個人的には思ったりします。

 

 

父をなぞって娘は生きる。

 

管理人kira2
管理人kira2

私もファザコンです(笑)

 

画像:中川翔子公式twitter

 

中川翔子さんの病的な猫好き独身女優の件はこちらです↓

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猫好きの独身女優、女性芸能人・有名人で、すでにネコとの共存生活が軌道に乗ってしまっている方々を中心に調べてみました。動物との純愛は人間との愛情を超えるかもしれない!?

 

同じく猫好きの石田ゆり子さんのお話はこちらです↓

石田ゆり子の愛猫徹底まとめ!ハニオのネコ歌でこちらもメロメロ!動画像
石田ゆり子さんの愛猫でネコ歌を歌うハニオの可愛い動画や、その他にも愛犬やたくさんの家族のペットたちについてメロメロの生活を追いました。

 

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