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プレバト俳句添削★夏井いつきの本名は?生立ち~元夫・子供との激動の半生と俳人デビューまで

●ありのまま/ナチュラル 属

今回は日本の俳人、俳句指導家として近年ご活躍の、キラキラ女性俳人の夏井いつきさんについてのレポート第1弾。激動の人生を経て、これまでの人生で大事に蒔き続けてきた俳句の種を大きく花咲かせた夏井いつき先生。全身からにじみ出る豊かさ、そこから生まれる美しい言葉の数々。「人生は夕方から楽しくなる。」と話す彼女の生き方からも、キラキラのカケラをいただきましょう!

夏井いつきさんってどんな人?本名は?組長ってホント!?

 

夏井いつきさん

 

いつも毒舌でユーモアたっぷりに大物タレントの俳句をメッタ刺しに査定している夏井いつき先生しあわせな笑顔がとっても素敵な彼女ですが、この笑顔からは想像もできないような多難の人生を送られていたようです。

 

今、人生ツライそこのあなた!

必見ですよ(笑)!

 

大人気『プレバト!!』へのレギュラー出演

大人気『プレバト!!』へのレギュラー出演

 

◆プロフィール(牡牛座・強靭な翼をもつペガサス)

 

◆名前:夏井いつき(なつい いつき)

◆本名:加根伊月(かね いつき)※旧姓 家藤(いえふじ)

◆生年月日:1957年5月13日

◆出身地:愛媛県南宇和郡内海村(現在の愛南町)

◆血液型:O

◆最終学歴:京都女子大学文学部国文科卒業

◆活動期間:1988年~(夏井いつきさん31歳~)

◆主な受賞歴:1994年に第8回俳壇賞(俳句界での新人登竜門)、2000年には「第五回中新田俳句大賞」、2005年NHK四国ふれあい文化賞、2017年度 第44回放送文化基金賞、2018年には放送文化基金賞・個人部門を受賞。

◆職業:俳人、エッセイリスト、帝塚山学院大学リベラル・アーツ学部客員教授

 

◆星座:牡牛座(上記データより管理人が算出w)

◆動物占い:「22. 強靭な翼を持つペガサス 」(上記データより管理人が算出w)

 

 

そもそも「ペガサス」の基本生態として、気分屋天真爛漫な気質、自分を隠さず自由に生きていくことを望むめんどくさがりという要素があります。そこにプラスして、夏井いつき先生「強靭な翼をもつペガサス(女性)」には

 

女性:猪突猛進型

近寄り難いようでいて、大変ユニークで人を惹きつけるオーラを持っています。話術も優れており、人々を楽しませることが得意。何かを生み出すことに生きがいを感じているクリエイタータイプで、人々に受け入れられなくても新しいものを作り出すことに生きがいを感じています。

 

大物タレントの駄作にカンカンの夏井先生

大物タレントの駄作にカンカンの夏井先生

 

 

管理人kira2
管理人kira2

夏井せんせー、ぴったりかんかん(笑)

 

 

ということで、夏井いつき先生のこれからのお話の基礎情報にしていただければと思います。管理人も夏井先生のことはとってもだいすき★なので、今回、新たな一面を知ることが楽しみです。豊かな女性のエッセンスが凝縮された夏井先生からもたくさんヒントをいただきたいと思います!

 

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◆夏井先生は組長なの!?「夏井いつき」はペンネーム?

 

幼少期の夏井先生

 

なまえの話

先ほど、プロフィールで少し出てきましたが、夏井いつき先生現在の本名は、結婚後の姓で加根伊月(かね いつき)さんとおっしゃいます。生家の姓が「家藤」ということで、生まれた時のお名前は家藤伊月(いえふじ いつき)さんだったということになります。

 

それで、では「夏井」姓はどこから?という話ですが、実は夏井先生は一度離婚されており、「夏井」姓は、離婚した元夫のものなのだそうです。

 

夏井先生は結婚後の31歳の時に俳人としての活動スタートされているので、その時にはすでに以前の旦那さんと結婚されてましたので、元旦那さんの姓を引き継ぎつつ、俳人としては下の名前を平仮名にして「夏井いつき」になったということですね。前の旦那様と離婚されてからもこちらの名前は大事にされています。

 

夏井先生と阿川佐和子さん

 

呼び名の話

夏井先生の呼び名には面白いものがありました(笑)。普段テレビでの呼ばれ方は視聴者からすると「夏井先生」がしっくりくるのですが、夏井先生としては、いつもは

 

「組長」と呼ばれている。

 

のだそうです(笑)。テレビの放送でこんなお話がありました。

 

■—阿川佐和子 いつも何て呼ばれるんですか、普通?

夏井 だいたいは「いつきさん」か「組長」

阿川 組長⁉

夏井 ええ、私、俳句集団『いつき組』ていうのの組長をしているんで。

 

ちょっと珍しい呼び名なのと、ちょっぴりエラそうなのが人気番組での夏井先生の辛口トークとよく合って(笑)親しまれそうです(笑)。

 

ヘルメットをかぶる組長

ヘルメットをかぶる組長

 

◆俳句集団「いつき組」とは?

 

俳句集団「いつき組」はよく誤解されるらしいとのことなのですが、俳句結社ではないとのことです。かなり強調されて記載がありました。これをわざわざ主張するほど夏井先生は大事に考えているということだと思ったので、少し調べてみると・・・

 

「俳句結社」とは

ある文学理念を提唱する主宰者の元で主に俳句雑誌を出すことを目的として集まった作家集団が俳句結社である。正岡子規が、総合文芸雑誌『ホトトギス』や新聞の俳壇で活躍していたこともあり、『ホトトギス』が同人制を実施したのは1924年のことである。『ホトトギス』は多くの俳人を育てたが、それらの俳人はやがて離脱してそれぞれの結社を組織し、互いに競い合うようになった。

 

何となく「俳句結社」と言ってしまうと若干、排他的なニュアンスが込められていますね。ふーん。ということで、もう直接、俳句集団「いつき組」もしらべちゃえ!とググったところ…。

 

管理人kira2
管理人kira2

びんご!(笑)

 

ありましたありました。

 

俳句集団いつき組とは

俳句集団「いつき組」は組織ではありません。

「俳句って楽しい!」と思う人は勝手に名乗って下さい。

「いつき組」組員を名乗るついでに、「俳句の種蒔き」を手伝って下さい。

それが組員と名乗って下さる人たちへの、組長を名乗る夏井いつきからのたった一つのお願いです。

 

「俳句が楽しい!」の種を蒔く集団ということですね。さらに、夏井組長から俳句集団「いつき組」の詳しい説明がありました。夏井先生の俳句に対する思いと、これまでの生き方が凝縮されている内容にしばしじーんとしてしまった管理人でした。そちらを少し長いですがご紹介します。

 

「いつき組」は広場である。

 

例えば「結社」は「家」だ。(中略)それに対して『いつき組』は「広場」だ。
広場だからいろんな人が出入りする。ふらりと現れ、ふらりといなくなり(中略)

 

「広場」には、そもそも「家」のような序列もなければ、積み上げていくべき地位もない。野ざらしだから、俳句の世界で生きていくとすれば、なかなかにキビシイ状況下に置かれているともいえる。が面白い作品を見せてくれる人には、広場中の歓声と拍手が集まる。無条件で賞賛される。

 

それが快感なものだから、皆、この野ざらしの「広場」で、己の力を磨きあったりする。それもまた楽し、というヤツだ。「広場」であろうが、「家」であろうが、表現者である以上、その評価は17音の作品が全てだ。たった17音、そこが潔くていい。

 

それ以外の余計なモノが、作品評価を捻じ曲げたり、過大評価される原因になったりってのは……どうも性に合わない。「広場」に住んでいようが、「家」を持っていようが、作品の評価には一切関係はない。佳い作品を作る、それが全てだ。

 

 

長く色々なしがらみや権力と戦ってきた夏井先生のカッコイイ言葉が詰まっていました。

「名前があるもの」「売れるもの」が少なくとも優先されることが多いこの国の中で、また、その力に押し倒されてしまう人々が多い中で、こうして自分の生き方を信じて進んできた信念の強さと、そこでの数々の闘いに負けずに豊かさを残して生きてきた生き様こそが、夏井先生の体全体からにじみ出る何か表現できない「おおきなもの」なのかもしれませんね。

 

楽しいこともつらいことも、

すべてが俳句の種になる  

 

そして、夏井先生自身の人生の中で様々な困難に際しても、信念をもって生きさせてくれたのが、ほかでもない「俳句」だったということなのだと思います。

 

管理人kira2
管理人kira2

わたし、「いつき組」入っちゃおうかな。。。(ボソッ)

 

俳人夏井先生の思い入れのある松山市

 

 

夏井いつき先生は現在、愛媛県松山市に住んでいらっしゃるそうです。松山市といえば、松山城を中心とした旧城下町で、観光では道後温泉で有名ですけれども、もうひとつ、文学の街でも有名ですね。

 

俳人 正岡子規種田山頭火また文豪夏目漱石ゆかりの地で、俳句や小説『坊っちゃん』『坂の上の雲』などで知られる土地です。現在、夏井先生はこの地で「俳都松山宣言」として全国に俳句の楽しさを発信する活動に力を入れられています。

 

幼少期から中学校教員になるまで

 

 

夏井先生は1957年に愛媛県の最南端に位置する南宇和郡内海村(現在の愛南町)で生まれます。南宇和郡内海村というところはリアス式海岸の半農半漁の小さな村だそうです。

 

子供の頃、夏井さんの父親の仕事はいつも5時に終わっていたそうで夏井さんは父親と一緒に伝馬船に乗って、タイを釣ったり段々畑から飛び降りたりと遊ぶお転婆な女の子だったそうなんです(笑)当時、夏井いつきさんの実家のお風呂は五右衛門風呂だったそうで、炊き口のそばにいつも薪がどんと積んであり、夏井さんは薪割りなんかもしていたそうです。

 

環境だけでも俳句で大事な感性が育ちそうな環境がたくさん揃っていますね。

生家では、明治時代から特定郵便局を開設しており、夏井いつき先生伊月の名付け親である祖父は夏井先生の幼少期まで局長を務めていて、地元の名士だったそうです。

 

夏井先生の祖父 正さん

 

夏井先生のお話によると、夏井先生には少なくとも妹さんがいるとのことで、お父さんが買ってくれた『少年少女文学全集』のような毎月届くものを、その妹さんと奪い合っていたとのエピソードがあります。その位、小さい頃から本(ことば)が好きだったということでした。

 

妹の千津さん

妹の千津さん

しかしそっくりな姉妹ですね(笑)。

 

1980年(夏井先生23歳)で国語の教員に

 

若かりし頃の夏井先生

若かりし頃の夏井先生

 

愛媛県立宇和島東高等学校普通科を経て、京都女子大学文学部国文科を卒業後の1980年 (昭和55年)に、国語科教諭として松山市立余土中学校へ赴任。1982年に愛南町立御荘中学校へ転任した。

 

高校へは、生家からバスで片道2時間ほどかけて通っていたという話があります。学生時代はバレーボールの選手だったそうです。また、夏井先生いわく、国語以外何もできない子だったということ(笑)。数学は全くダメだったし、 英語に至っては横に読むのが体になじまなかったという話がありました(笑)。おもしろいですね。

 

横に読むのは体になじまなかった。

 

管理人kira2
管理人kira2

さすが俳人です。

 

国語は、(他教科と違って)作者の考えを推理するのが好きだったとのこと。いくつかの可能性があるけれども、この可能性がいちばん私なら楽しいな、という気持ちだったとのことで、これがおいおいブレイクするきっかけとなった番組での「俳句添削」の上で大きな役割を果たすことになります。

 

番組での分かりやすい解説が大人気!

番組での分かりやすい解説が大人気!

 

夏井先生最初の結婚・子どもは何人?娘さんは?息子さんは?

 

1982年 夏井先生は中学校の教員だった25歳の時に、教員仲間の男性と結婚します。教師の仕事も愛着を持っていたので、仕事と家庭を両立させながら働いていました。そして結婚後、1男1女、2人のお子さんを授かります。娘さんが第一子でお名前をふみさんといいます。第二子の息子さんが正人さん。お二人とも2013年にご結婚されています。

 

夏井先生とお子さん

夏井先生とお子さん

 

 

管理人kira2
管理人kira2

余談ですが、中学校の教員時代にも、バレーボールで地元の教員チームに参加していた夏井先生。教え子やバレーボール仲間から「原田知世に似ている」と言われたというのですが・・・いかがでしょうか(笑)??

 

現在、夏井先生ふたりのお子さんのうち、1986年に生まれた家藤正人さん(長男)は夏井先生と共に「いつき組」を支える俳人として活躍されています。

 

長男の家藤正人さん

長男の家藤正人さん

 

仕事と家庭、ふたりのお子さんの育児と奮闘されていた夏井先生でしたが、教員時代から、唯一の趣味として独学で俳句を嗜んでいたということでした。俳句を好きになったきっかけは「歳時記」(季語についての本)との出会いだったといいます。

 

季語は日本語の宝だ

私たちは季語の森に生きている

 

そう思いながら暮らし始めてからは、夏井先生の毎日が今までよりも輝いたものに見え、いつも豊かな素材に囲まれているように映ったのだと思います。

 

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教員時代の心に残る俳句エピソード

 

夏井先生教員時代のエピソードとして、今の俳人生活につながるようなお話がひとつありました。

中学校の教員時代に懇親会の係に抜擢された夏井先生。各先生方が座る宴会の席順を決めるにあたって、単に一般的な数字のくじを引いてもらう方式では味気ないと感じて、俳句で席を決めてもらうことにしたといいます。

 

 

どういうことかというと、「俳句くじ」にして各人に入口で引いてもらい、同じ俳句の書いてある席に座ってもらう形式。ただし、箸の横に置かれたその俳句は裏返しになっており、各先生方は自分の引いた俳句を探しながら、席に着く。見つかるまで夏井先生の俳句を楽しんだといいます。

 

わたしの句をよまないと座れないぜ。

 

※(注)上記は管理人の想像です。

 

 

とてもユニークなアイデアですね(笑)。それら句の内容も日ごろの校内での出来事や身近なテーマだった事もあって、とても好評だったそうです。

 

俺んとこ、めっちゃ色っぽいのきたわあ。

 

と教頭先生は特に喜んでいらっしゃったとか(笑)。

 

夏井先生に立ちはだかった困難と俳人デビュー

 

教員としてとても充実した生活をしながら、ご家庭をしっかり守ってきていた夏井先生でしたが、1987年、30歳の頃に転機となる出来事がやってきます。

 

舅が他界。

 

舅の他界後に生活状況は一変します。舅と暮らしていた姑に介護が必要な状況が発生。老人性鬱を発症してしまいました。ここで教員を辞めて俳句一本で生きていくことを決意します。

 

また、それだけでなく、別のところで一人暮らしをしていた実母も脳腫瘍で手術したことがきっかけで、なんと後遺症を発症してしまいます。

 

夏井先生の実母 亀代さん

夏井先生の実母 亀代さん

 

その為、松山市内にあった当時の夫の実家に移り住んで、面倒を見ることになったのでした。教員夫と二人の子供に姑、実母の総勢6名でひとつ屋根の下で同居する形。。

 

やむなく教員を退職。

 

しかし、それが俳人 夏井いつき誕生につながるのですから、人生に起こること、その事実の価値っていうものは、少し経ってから、「引いて見ないと分からない」ものですね。

 

 

夏井:「教師の仕事はすごく楽しくて、本当に辞めたくなかったので、自分を納得させるために、教師を辞める別の理由が欲しかったんですね。

そこで、俳人になるアテもなければツテもないけれど、校長先生に『教師を辞めて俳人になります』と宣言してしまったんです。

校長先生はハイジンと聞いて“廃人”と思ったそうですが(笑)。無謀といえば無謀ですが、宣言してしまった以上、それが実現しなかったら恥ずかしいので、なんとかしてがんばる。思えば、その繰り返しかもしれないですね、私の人生は」。

 

俳人 黒田杏子先生との出会い

 

大学卒業から8年間の教員時代に趣味の延長で始めた俳句でしたが、、俳人 黒田杏子 (くろだ ももこ)先生の俳句本を立ち読みしたことをきっかけに本格的にのめりこむことになります。

 

俳人 黒田杏子さん

俳人 黒田杏子さん

 

本格的にのめり込んだのは、「勝手に弟子になる!」と入れ込んだ、俳人・黒田杏子さんの影響だ。黒田さんが俳句雑誌で選評コーナーの連載を開始すると、鬼気迫る勢いで投稿し続けた。

 

夏井:「投句用紙に七句書いて送るんだけど、その裏が通信欄というか、好きなように書いていい用紙だったの。だから、前回の自分の句で、落選したり、掲載時に一文字変わっていたりした句に関して勝手にレポートを書いて。

 

このときの“独学”が基礎体力につながったと思うんです。10年ぐらいたって、黒田先生と初めて会ったとき、『あなたの筆跡は嫌になるほど見た(笑)』と覚えてくれていました。」

 

素敵な師匠に出会えたことで、夏井先生「俳句」の虜になったわけですね。補足としては、中学校教員を辞められた翌年である1988年には、夏井先生は既に頭角を現し、国民文化祭教育長賞を受賞しています。

 

夏井先生の目の前には

大変な現実と、喜ばしい現実とが同時にあったわけです。

 

1988年 (夏井先生31歳)に 俳人に転身。

黒田先生といる夏井先生

黒田先生といる夏井先生

 

「季語の現場人(常に季語の現場に立ち俳句をつくる)」をモットーとする俳人の黒田杏子さんに師事しながら、結婚後に移り住んだ松山市で本格的に俳人としての道を歩み始めることになります。

楽しいこともつらいことも、すべて俳句の種になる。

 

ここから先に続く困難の人生をも、夏井先生が自分の脚で乗り越えられたのは、この黒田先生俳句との出会いが大きかったのかもしれません。

 

夢の俳人に転身後も、続いた困難と離婚までの経緯

 

教員時代の夏井先生

教員時代の夏井先生

 

そうして教員を辞め、俳人として新しいスタートを切った夏井先生でしたが、困難は続きます。総勢6人での同居生活は大変過酷な状況を引き起こし、とにかく姑と実母がうまくいかない事が家族全体に大きな影響を及ぼします。

 

自宅に私が帰宅すると号泣してひっくり返って泣いている実母の前で、仁王立ちしているがいるんです。

 

その状況に好転する兆しは一向に見えず、それどころか次第に繊細だった夏井先生長女は不登校となり、当時のも鬱状態になっていったということですから、家族全体がこの生活でどんどん疲弊していった毎日だったのだと思います。

 

ご自身の苦労をあまり語られない夏井先生ですが、この生活で夏井先自身もさぞや大変だったことでしょう。

 

 

二重生活を開始。

 

それでも夏井先生は、家族全体のバランスをどうにか保とうと、必死で頑張ります。

 

これではまずいということで、仕事兼用で借りたアパートに実母を住まわせ、仕事をしながら食材をもって家庭と実母の住むアパートとを行き来する生活を始めることになりました。

 

どのくらい頑張ったかというと、30歳で教員を辞めてさらに13年間!干支が1周してもなお頑張っていたことになりますから、相当な苦労です。

 

夏井:当時は本当に貧乏で、家賃が払えず、出ていかなくてはいけない夢を何度も見ました。

 

女性として花盛りの30代を家族を支えることに費やした夏井先生でした。

 

1997年には今でも夏井先生の中心的活動である俳句集団「いつき組」を結成するとともに、「組長」へ就任。全国の小中学高校生を対象としたカリキュラムの一環として、「句会ライブ」という俳句教室を開催している。

 

笑顔がとても素敵な夏井先生

笑顔がとても素敵な夏井先生

 

俳句の活動が広がっていく一方で家庭内の状況は一向に好転する兆しが見えませんでした。

・・・・そんな生活にも、ようやく終りの時がやってきます。

家族全体が疲れ果てた生活の中で、当時の夫から

 

「家族から解放されたい」

 

そう言われたとのことでした。この一言で夏井先生は離婚を決意し、家を出て、子供2人と実母との4人生活をアパートで開始したのだそうです。すでに夏井先生教員を辞めてから13年の時が過ぎた、2000年、43歳の時の出来事でした。

 

この新しい門出が、結果的に夏井いつき先生の輝かしい人生のスタートとなります。何か、人生の上で根本的な流れを変えられた時というのは、いつもこうした

「壊す作業」「手放す作業」

があるんだなと改めて思います。

 

この頃の絶望感と、それでも希望を捨てずに生きて行こうと自分を奮わす俳句がここにあります。

 

「つながれぬ手は垂れ 末黒野の太陽」

つないでいたはずの手が離されたのでその手は垂れたまま、焼き払われた真っ黒な野原に唖然と立ち尽くすが、希望の太陽を眺め、垂れた手は太陽を目がけるという、別離の苦しみから希望を見つけようとする一句。

 

どんな時でも希望をまた抱ける強さが夏井先生にはたくさんあります。それも俳句のおかげなのかもしれませんね。

 

 

ずっと苦難の時代を、俳句一本で通してきた夏井先生ですが、それを支えてくれたのは山の土地松山の人たちとの出会い、そして俳句だったとよくあちこちで話されています。ですから、夏井先生松山の土地と人、そして俳句のために「恩返し」ということばを重ねながら、ご自身のその後を使っていきます。

 

夏井先生の代表作のうちの一句を詠んでみる

 

夏井いつき先生の代表作のうち、私がとても気に入ったものについて一句ご紹介したいと思います。とても味わい深い句でしたので、私なりの、この句に見えたものも少し添えてみました(笑)。

 

「遺失物係の窓のヒヤシンス」 出典『増殖する俳句歳時記』

 

電車の中に大事なものをうっかり忘れてしまって遺失物係の部屋へ足を運ばれたことのある方は多いと思います。扉を開くと、本来の業務とは別の業務なので、駅員さんもどことなく、ここは本来自分いるべき場所じゃないと言わんばかりにやる気がない様子

 

さらに、薄暗い部屋の中には持ち主が見つからず、所属を失ったモノがいくつも所狭しと並んでいるわけです。そんなどこにも何物にも居場所のない虚無感ばかりの部屋に、ただ一つだけ確かな存在感を持っているものがあったわけです。誰かが置いた窓辺のヒヤシンス

 

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ヒヤシンスというのはあまり知られていないかもしれませんが、たった小さな1本の花で、独特の神秘的な香りを強く放つ花でもあります。鮮やかな花の色と、その空間をすべて制してしまうほどの清い香り

そこに所在がある、存在する、存在することが認められているというのは何と生命力に溢れていることなのだろう。色の対比や嗅覚にも及ぶ映像が浮かび、また、夏井先生が自身や俳句を(羨望に近い意味で)ヒヤシンスに投影しているのかな、と。とてもコクのある一句だなと。そんな一句に聴こえました。

 

管理人kira2
管理人kira2

次回第2弾は、苦労を重ねて再スタートを切った夏井先生にやっと訪れた「実りの時間」についてお届けしたいと思います♪

 

 

人生は夕方から楽しくなる。

 

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