今回は、西川史子さんの結婚相手の福本亜細亜さんとの結婚の馴れ初めや、たくさんの男性の中から旦那さんに選んだ理由、そして西川史子さんにとって人生最初で最大の挫折となった離婚について、その原因や理由を、離婚経験者の「妻の立場」であった私の視点で考察してみました。
西川史子さんが13年間出演されたレギュラー番組『サンデー・ジャポン」卒業に至るまでの再起の死闘についても追っていきます。
◆西川史子の結婚相手となった、元旦那さんの福本亜細亜って誰?年齢差や馴れ初めは?画像
美人女医・タレントとして大変な人気を獲得していた西川史子さんは2009年7月、とうとう独身に見切りをつけ、10年来の友人だったという3歳年下の元葛飾区議会議員(2001年-2005年在職)で、かつ文化放送のコメンテーター(大竹まこと 少年ラジオ内のコーナー)も務めていたという経歴もある、活力あふれる男性・福本亜細亜さんと婚約を発表します。
画像:東スポ
やっぱり
お坊ちゃまだったw
福本亜細亜さんを調べてみると、少年時代から野球選手として活躍し、全日本大学野球選手権大会では準優勝。大学卒業後にはプロゴルファーを目指して渡米するなど、西川史子さんの幼少期を彷彿とさせるような、同じようにお金持ちの家のお坊ちゃま育ちだったという事が分かります。
■西川史子さんの子供時代のスパルタ教育と医者家系のお金持ちの箱入り娘状況はこちら。
帰国後には桑田真澄投手の運転手をしていたという時代や、平沢勝栄氏の秘書を務めた後に葛飾区議会議員になった経緯があり、その後、自民党公認で参議院議員選挙にも出馬していましたが残念ながら落選し、その後、事務所を家宅捜索されたことが起因してなのか?政界への道は諦めたようです。
また政治家を目指していた時代に取ったドメインを手放した後に別の業者によってスパムサイトとして悪用されてしまったという事故も、西川史子さんとの婚約時代に発覚しています。
なんとなく選択してる道が、野心家臭w
堪え性はあまりないようだw
福本亜細亜さんの父親の経営する特別養護老人ホームの近隣で、葬祭場を経営するという文句なしのお金持ちだったと言えそうです。婚約発表時は「福祉関係会社役員」と報道され、西川史子さんの所属事務所であるホリプロから発表が行われています。
◆西川史子の結婚相手・福本亜細亜は年収4000万円あったのか??婚約指輪が凄かった!画像
西川史子さんは、ゴーマン美人女医キャラとしての全盛期には「結婚相手に求めるものは年収4000万円以上」と言って、お金に関する毒舌トークを繰り広げており、同タイトルの著作本まで出版されていました。
画像:eltha
そんなことから、結婚相手に選んだ福本亜細亜さんはその年収に達したのか??という事が話題となりましたが、このように話していたことから、当初はそこまで稼ぎがある人ではないのかと思われていました。
お金じゃないですね。愛ですね。ホントつまらない女になってしまった。
引用元:eltha
ところがどっこい、この日していた婚約指輪はナント500万円もする指輪だったのでした!情報では元旦那・福本亜細亜さんの当時の年収は1000万円ほどだったというものもありましたが、年収1000万円で、500万円もする婚約指輪を購入するのかな?という所でもう少しあったのではないか?という違和感を覚えます。
◆西川史子が、福本亜細亜を結婚相手として旦那に選んだ性格面での理由や価値基準、馴れ初めは?
西川史子さんは1999年の夏に福本亜細亜さんに出会いましたが、全盛期である2007年頃までには年間300試合(合コン)を決行し続け、都内の男性は2周目に入るという、「見尽くす」程の男性と出会ってきていました。おそらく福本亜細亜さんともどこかの合コンで出会われたという事かもしれません。
画像:http://newskoh.blog.jp/
しかし、出会った後も
合コンは引き続き決行。
結局、西川史子さんと福本亜細亜さんが実際に交際へ至ったのは2008年の7月でした。
出会いから丸9年w
西川史子さんのその物凄い数の合コンの中で、自分の人生の最期の伴侶として選んだのが、その300試合の試合結果を聞かされていたかもしれない、10年来の友人であった福本亜細亜さんだったという所がエピソードとしては視聴者をホッコリさせる「ちょっといい話」でもありました。
■西川史子さんのモテモテの全盛期、高飛車女医タレント時代のお話はこちら
結婚をしようという話が現実味を帯びてからも、西川史子さんの心の中では結婚に対する「迷い」や「焦り」もあり、マリッジブルーのような精神状況でイライラと福本亜細亜さんに当たることもあったようです。
画像:yaplog.jp
それでも西川史子さんが結婚相手として福本亜細亜さんに決めたのはこのようなことがポイントだったと当時のインタビューを見ると推測できます。
●危機だらけの中でも、結婚をやめるとは一度も言わなかった
また、10年来の友人だったという事で、
という所かと思います。この辺りは全盛期時代には女性の事を全く信用していなかったと語る、やや人間不信で臆病な一面が垣間見られる西川史子さんならではの価値基準である気がします。
画像:yaplog.jp
また、この当時の写真を見ても、西川史子さんの旦那さんとなった福本亜細亜さんは普段から
だったことが伺えます。
きっと、満足のいく婚約指輪を買ってくれて、7月7日の七夕というロマンチックな日に納得のいくプロポーズをし、両親が安心するような形で大安吉日の結納や、ホテルオークラでの結婚式を叶えてくれる相手、として福本亜細亜さん以上の安定感のある男性はいなかったという事なのかもしれません。
こうしてみていくと、西川史子さんにとってこれ以上の理想的なお相手はいなかったようにも見えてきます。少なくとも元旦那さんは結婚まではかなり頑張って、西川史子さんの「夢」を叶えようとしてくれていた男性であったことが感じられます。
◆2010年2月、西川史子と旦那の福本亜細亜がホテルオークラで結婚式!ウェディング姿が最高に綺麗!当日も『サンデー・ジャポン』出演のプロ根性 画像
2010年2月14日、西川史子さんは福本亜細亜さんという旦那さんと港区のホテルオークラで盛大な結婚式をしました。この日取りは「バレンタインデーでアツアツ」という事ではなく、旦那となった福本亜細亜さんの36歳のバースデーだったそうです。
画像:http://blog.livedoor.jp/
結婚披露宴では、約400名の芸能関係者が出席し、2人の門出を祝いました。また、最後の挨拶で西川史子さんは
この不景気の中、たくさんのご祝儀ありがとうございました。
引用元:http://blog.livedoor.jp/kmiu0711/
と、お決まりのキャラクターでのリップサービスも忘れず、とても「らしい」披露宴となったようです。
センチメンタルな時にも、いつも「笑い」を大事にしようという西川史子さんの気丈な心が伝わってきます。これは西川史子さんが離婚した後もそんな傾向が多くみられました。
◆結婚式当日も『サンデージャポン』出演、新婚旅行のタイ「サムイ島」も次週の放送に間に合うように4泊6日で帰国
結婚式の裏側で、挙式当日だというのに、西川史子さんはレギュラーを務める『サンデー・ジャポン』に生出演した後に式場入りするという考えられないようなハードスケジュールをこなしていました。
挙式当日も仕事をこなす!
画像:exciteニュース
38歳で見事な花嫁に。
「休みたくない」という事だったと言われていますが、本当に西川史子さんの仕事に対するプロ意識と根性は生半可なものではないなと感じます。
なお、放送では、西川史子さんが旦那さんの福本亜細亜さんと共に深夜、婚姻届けを提出しに行った後、号泣する場面が放送されたそうです。
この日が女性にとってどれだけ特別なものか、男性にはおそらく分からないでしょうが、生まれ育った生家の姓を手放して、とうとうお嫁に行くんだという事を実感する瞬間なのではないかと感じます。お嫁に出すために愛情を注いで育ててくれた両親とのかけがえのない日々が脳内を流れます。
ホント
強がっていても
純粋だよなあ・・・。
画像:https://aikru.com/
けれども、一方で挙式翌日にご夫婦で出かけられた新婚旅行先であるタイのサムイ島も次週の『サンジャポ』生放送に間に合うように4泊6日で帰国されています。
画像:サムイ島
それはそれ、これはこれ(笑)
なんてプロなんだw
仕事をこなした後にお疲れではなかったのか?と心配になるところですけれども、結婚式の日の西川史子さんは本当に美しくて、しあわせそうで、最高にきれいな花嫁さんでした。
画像:oricon
しあわせに疲れなし!(笑)
西川史子さん自身も、結婚式後には素晴らしいコメントを残しています。
最後に1つだけ持っていなかったもの。これで完璧ですね。美貌もお金も知性もあって、無敵な女になれたかな。
引用元:beauty.oricon.co.jp
後に、「翌日には、おいおい離婚するかもしれないと感じていた」とも語っていますけれども、プロ―ポーズ、婚約指輪、結納、結婚式とすべての工程を理想通りの形で完璧に成し遂げた西川史子さんだったのでした。
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