◆西川史子の離婚発表の直筆報告文。元夫・福本亜細亜との間に慰謝料はなし、その後の破綻した結婚生活へ後悔・疲弊の日々
2014年1月11日、西川史子さんの直筆での離婚報告が所属事務所から発表されました。41歳という年齢でした。
こんなに旦那さんのことを大切に想っていたのに、どうして離婚になってしまったのかなという所が不思議な感じすらします。夫婦関係のアンバランスから始まった負の連鎖は、最後には西川史子さん自身の心の奥深くに感染してしまった印象を持ちます。
浮気でもないのに
出て行きたいということ
私には、彼が一緒にいたいと思える空間、お互いが安心できる空間をつくることが出来ませんでした。お互いに頑張ったと思うけれど、離婚した方がお互いのためにいいと思い、決意しました。
西川史子さんは、離婚や元夫からではなく、自分を責め立ててくる自分自身の心の奥底に刺し殺されてしまった様子でした。
◆西川史子の離婚直後は「可哀そうな人」だと思われないように2億円以上の高級マンションと160万円の値札の付いた犬・ティーカッププードルを購入して幸せを装う日々
西川史子さんが離婚したばかりの直後にはまだその現実をきちんと実感できていなかった時間に居た為か、まだ様々な感情とタレントとして冷静でしっかりして居ようという気持ちが交錯したような時間に暫くいたようです。
画像:twitter
離婚直後に考えていたことは「可哀そうな人」と思われたくないということ。
そこで、西川史子さんは急いで35年ローンを組んで離婚後の1人暮らし用の家として、総額2億数千万円のマンションを購入したのだそうです。
西川史子の豪邸www –http://t.co/HfafeYqaU1 pic.twitter.com/yNu6XtxcWg
— CARAMELBUZZ(キャラバズ) (@netalia_news) July 18, 2014
マンション購入に続き、さらに、広尾の商店街を歩いていた時には160万円という高い値札が付いたティーカッププードルという犬を購入したりすることで、一生懸命「幸せな人」を装おうとしていたと語っています。
画像:http://chichan323.xsrv.jp/
実際は160万円を
120万円に交渉成立。
ティーカッププードルのココちゃん。
しかし、その新しいパートナーだったココちゃんも西川史子さんの哀しみがあまりにも深すぎた為か、1年後に原因不明の病気で死んでしまいます。西川史子さんは旦那さんに続き、ココちゃんという伴侶も失ってしまいました。
◆西川史子の結婚生活・家庭を失った哀しみと元旦那に対する後悔が襲い続ける。添い遂げたかった
暫くすると、色々な感情があった西川史子さんの感情の殆どが「哀しみ」に染まってゆく状況となってしまいました。
画像『ザ・テレビジョン』2014年4月2日
福本亜細亜さんとの離婚についても、以前までの元気な西川史子さんであれば、強い口調で自分なりの主張を突き通すような話をしていたと思いますが、徐々にかつての高飛車キャラはどこかへ消えてしまい、哀しみと脆さと弱さだけがどんどん広がって、西川史子さんの内側で暴れ続けていました。
出演した『行列の出来る法律相談所』では、こちらも離婚翌日の収録となり、冒頭から涙目で出演されています。
番組では沖縄で結婚式の定番ソングとして親しまれている『大丈夫』というヒットソングに哀しみスイッチを押されてしまい、ここでも西川史子さんは大号泣をしてしまいます。
添い遂げたかった…
もうちょっとかわいい奥さんになりたかった…いろいろんなことが襲ってまいりました。引用元:デイリー
おそらく離婚という納得して選んだはずの道が、時間と共に西川史子さんにとって人生初の大きな挫折になったようです。
挫折を
経験したことが無い
勝ち組の人生
画像:https://matome.naver.jp
元々寂しがり屋で強がりなところがある西川史子さんでしたが、こればかりは本当に辛そうでした。私自身も自分に離婚経験があったため、一緒に画面見ながらボロボロもらい泣きしてしまいました。
真央ちゃんのソチ以来の号泣もらい泣きでしたね…。
本当に、
女道はいつも険しい。
私も離婚から本当の意味での「哀しみ」という感情を感じるまでには、意外と長い年月がかかったような気がしています。もちろん子供がいたこともありましたけれども、別のたくさんの種類の感情が押し寄せてくる時、「哀しみ」以外の刺激の強い尖った感情が先行して大きく出る気がします。
いうなれば、ガソリンのような揮発性の油と、揮発性ではないサラダ油のようなものでしょうか。最初に揮発性に当たる「怒り」や「憎しみ」や「狂気」のような激しい感情が津波のように押し寄せて心を飲み込んでいくのですけれども、
間もなくそういった激しい感情は時と共に空の彼方へ蒸発していき、最後には殆ど「あった」という事実の記憶以外の殆どをいずれ忘れていってしまいます。
けれども、その後に訪れるのは寄せては返す波のように何度も何度も襲ってくる「いい思い出」と取り返すことの出来ない、その続きの時間、それらを永遠に失ったという「哀しみ」とそれを避けることの出来なかった無力な自分のこれまでの生き方への「後悔」です。
西川史子さんがテレビ番組『ノンストップ』出演時には中島みゆきさんの名曲『糸』の「縦の糸はあなた、横の糸は私」のフレーズで突然大号泣となり、スタジオが騒然とするという出来事もありました。
画像:https://aikru.com
私はつがいにさえなれなかった。
すべては
自分が可愛いなと
守って貰える女性に
なれなかったから。
これは、多くの離婚した女性が一度はきっと、自分に対して思うことなのではないかなあと思いました。女性の「3歩後ろ問題」は女性が社会進出していく時代において、とても大きな日本の課題である気がします。
「自分は可愛らしい妻になれなかった」と自分自身を語る西川史子さんでしたけれども、離婚後も元旦那さんである福本亜細亜さんのお話をされる時、今でも「主人」と語る西川史子さんが、私はやっぱり、なんだか素敵だなと感じました。
◆離婚後~レギュラー番組『サンデー・ジャポン』13年で卒業!新生・西川史子がこれから目指していく道
めざましく変わっていく時代の価値観と、昔ながらの日本の美徳の価値観の狭間で生きてきた、その中でも飛び切り真面目で優秀な女性である西川史子さんの、この大転倒からの再起への死闘は、それでも多くの女性を勇気づけるものになると感じます。
離婚後の西川史子さんの言葉の中には、色々な見えない「痛み」を背負って生きている人がいるという気持ちがとても強いものとなりました。
実際にその立場になってみると、夫婦なんて価値観も性格も一致などそもそもしていないし、すれ違いなんて最初からだった、それでも傷つけあってお互い頑張ろうとしたけれど無理だった時に、そう言わないと相手の居ることだから言えない事ってあるんだなと初めて思いましたね。
(離婚後のサンジャポ出演時の発言要約)
今、自分がこうして本当に苦しいと思うことを経験したり、体調を崩すことがあって、ようやく、病気の人の気持ちに寄り添える人間になれた気がしています。
(KUDENトークイベント要約)
画像:西川史子公式Instagram
こうした経験から、西川史子さんは医師としての仕事に対して、改めて今の自分だからこそできる事があるという想いを大きく膨らませているようです。
2020年3月には13年間、挙式当日も離婚翌日も出演し続けてきたレギュラー番組である『サンデー・ジャポン』を卒業し、医師としての活動に力を入れていくことを報告しています。
人生はじめての挫折から、何年間も血を吐くような想いで再起に向けて闘い続けたことで、
西川史子さんは自分に与えられた「新しい役割」を自分の目で見つけることができたようです。新しい道への門出に、西川史子さんがとても爽やかで嬉しそうな表情を浮かべていたのがとても印象的でした。
それでも私は
私の人生を愛していく。
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