西川史子若い頃の高飛車女医キャラ全盛期とミス日本恋のから騒ぎ画像

―昔・若い頃・子供時代・親・兄弟

今回は、美人女医タレントの西川史子さんの若い頃の高飛車女医キャラクターとしての全盛期時代の画像や、ミス日本の入賞、『恋のから騒ぎ』出演と続いた年齢ごとの経歴と、その当時話題となった傲慢発言、幸せな婚約までの時間について追いました。

バッシングも多く浴びることとなった数々のゴーマン発言の背景に西川史子さんのサービス精神真面目さ純粋性があったように感じる回となりました。

◆女医タレント・西川史子の若い頃から傲慢・高飛車キャラの素養と土台となった少女時代

 

美人女医タレントの西川史子さんは幼少期からお金持ちの医者家系の「箱入りのお嬢様」として教育され、大学生までそのまま成長しました。

 

■幼少期からの西川史子さんの成長と両親からのスパルタ教育ことばについてはこちらです↓

西川史子の子供時代に父親の医者への家訓と母親の溺愛スパルタ教育
西川史子さんの子供時代にあった父親の「医者になるため」の家訓、母親からの奇抜な8か条の掟とスパルタ教育が学生時代の大きなプレッシャーとして存在していたことがよく分かる家族のお話を調べました。同じ「女の子」の親としての目線で考察します。

 

◆1996年(年齢25歳)西川史子が若い頃に「美人過ぎる毒舌ゴーマン女医タレント」として芸能界デビューしたきっかけはミスコン!「ミス日本」でフォトジェニック賞を受賞した経歴 画像

 

1996年、聖マリアンナ医科大学医学部6年生として在学中の若い頃、しかも国家試験2週間前という時期に、西川史子さんは「ミス日本」へ応募しています。当時の年齢は25歳!

 


画像:サンスポ

 

西川史子さんによると、ミス日本へ「医学部の女はブスだ」と言われるのが嫌だったからだそうで、そして見事グランプリに次ぐ特別賞3人のうちの1人として「ミス日本フォトジェニック賞」を受賞しています。

 

 

◆西川史子がフォトジェニック賞を受賞した、同年のミス日本のグランプリは誰だったの?

 

2014年8月放送のTBS番組『私の何がイケないの?』では美人女医タレントの西川史子さんが若い頃ミス日本に出場した同年に出場してミス日本グランプリを受賞した近澤美歩さんが出演していました。

 

ミス日本の同級生!

 


画像:https://ameblo.jp/trump-062127/entry-11924321697.html

 

わざわざ
呼んでくるなんて
テレビ局もかなり意地悪w

 

近澤美歩さんに対して、美人女医・負けず嫌いキャラクターとしての西川史子さんは出演当時、期待通りこのようにコメントしています。

 

近澤美歩さんがグランプリを取って悔しかった
引用元:2014年『私の何がイケないの』

 

一応、チョット
悔しかったらしいw

 


画像:https://aucfree.com/items/u277933635

 

余談ですが、近澤美歩さんもグランプリに選ばれた後に一度芸能界で活躍された時期もありましたけれども、2000年、27歳の時に芸能界を引退し、現在では栃木県の和風料亭「まごころの味・ゆたか」の店主で料理長を務める男性と結婚し、女将として働きながら4人のお子さんのお母さんになっているそうです。

 

 

◆ミス日本で小さな敗北はあったものの、西川史子の記憶としては「勝利」の歴史として刻まれた!アッシー君は10人いたらしい

 

ミス日本に出場し、念願のグランプリは取れなかったものの、「フォトジェニック賞」を受賞して見事入賞を果たした若い頃の西川史子さんにとって、それは「敗北」「挫折」の記憶ではなくこれだけ大きなミスコンで入賞を果たしたという事で、「勝利の記録」として刻まれたようです。

 


画像:エルペディア

 

グランプリこそ逃したとはいえ、美人女医タレント・西川史子さんが受賞した「フォトジェニック賞」も2000人が応募したミス日本のうち、グランプリに次ぐ特別賞

 

敗北感など
あるわけなしw

 

 

この時代の事を、西川史子さんは近年、遠い日の別人の記憶のようにKUDENのトークイベントで振り返っています。

 

やっぱり日本で一番きれいなんだなあ、と思っていた。
引用元:KUDEN西川史子トークイベント

 

それだけでなく、

 

あー、私って何でもうまくいくんだなあ。
思えば何でも叶ってしまうんだなあ、と思ってしまっていた。
引用元:KUDEN西川史子トークイベント

 

ミス日本入賞後は
高飛車・ゴーマン街道を
ひた走ることに。

 

進むべき方向へ、生まれながらにして道がパタパタと開けていくような感覚だったのかもしれません。

 


画像:エルペディア

 

大きな失敗も挫折もなく
お金もあって
何も不自由なく生きていた時代

 

若い頃の西川史子さんはすでに男性からモテモテ状態であり、母親からも「男には股をかけなさい」と言われていたことから、多くの男性に股をかけて交際もしていた時代だったと言われています。若い頃には「アッシー君」と呼ばれた車を持つ送り迎えをしてくれる男性が10人ほどいたそうです。

 

さすがバブル世代(笑)

 


画像:http://trendnewswalker.seesaa.net/

 

この時代に西川史子さんが大きな挫折を経験しなかったことが、のちの大転倒からの再起にとてつもない悲劇を生むことになったと思われるわけですが、

 

私も自分自身の若い頃の時代を振り返っても、こういった輝かしい無知で無敵の全盛期時代というものがあってこそ、後に「ほんとうの幸せ」「ほんとうの豊かさ」についての思慮が一層深まるのかもしれないなあとも思ったりもします。

 

2019年ミスジャパンとなった土屋太鳳さんのお姉さんの土屋炎伽さんのお話はこちら

 

◆1996年(年齢25歳)ミス日本受賞同年に、大人気バラエティ番組『恋のから騒ぎ』第3期生として出演!さんまさんからも可愛がられる、高飛車・傲慢・女医キャラクターが若い頃に完成へ

 

ミス日本に入賞した1996年、フォトジェニック賞入賞をきっかけに、美人女医の西川史子さんは同年から約1年間、日本テレビ系深夜の人気番組だった『恋のから騒ぎ』第3期生として出演を果たしています。同年なので、出演時の年齢も25歳となります。

 


画像:『恋のから騒ぎ』

 

最強の星回りの
年齢25歳!

 

こうして考えると、1996年というのは西川史子さんの若い頃にとって人生の転機となる3つの出来事が同時に起こった最強の1年だったと言えます。

 

●ミス日本入賞
●医師国家試験に合格
●『恋のから騒ぎ』第3期生として出演決定

 

たしかに
最強の星回り!

 


画像:『恋のから騒ぎ』

 

これは、自分が「何をやってもうまくいく」という気持ちになるのも分かる気がします。

 

 

◆高飛車でゴーマンな女医キャラクターの元々の発端は西川史子の若い頃からの「素直さ」と「知性」と「サービス精神」

 

元々、前述のように1996年の強運の星回りから若い頃の西川史子さんが自分の人生を「強気目線」で感じていたことで、元々傲慢・高飛車キャラクターへ繋がる素質というのは土台としてありました。

 


画像:『恋のから騒ぎ』

 

若い頃から
肩書も「整形外科医」

 

さらに美人女医・西川史子さんが大人気バラエティ番組『恋のから騒ぎ』出演に際し、そのままの素直な本音の気持ち周りからの見られ方を気にすることなく、喋ったことで

 

大御所芸人の明石家さんまさんからも番組スタッフ側から面白がられ、一定のポジションを獲得することとなります。

 


画像:『恋のから騒ぎ』

 

明石家さんまさんと元妻・大竹しのぶさんのお話はこちら

 

歯に衣着せぬ
素直な本音トークを展開。
誰よりも高飛車(笑)!

 

スタート段階ではただただ、素直に思ったことをそのまま喋っただけだったのでしょうが、西川史子さんの持ち前の頭の良さ、周りの空気をとっさに読んで理解する知性と、それに応えていこうとする「サービス精神」から、そのキャラクターはかなり若い頃の段階で確立することになります。

 


画像:http://file.nishikawaayako.blog.shinobi.jp/489a7bf0.JPG

 

期待されている
ゴーマンキャラクターという
役割に徹していく姿

 

その目線は成功を果たし、『恋のから騒ぎ』での西川史子さんは美人な容姿と、歯に衣着せない毒舌トークで人気を集め、傲慢、高飛車なキャラクターを持ち味として、一躍番組にとっていいスパイスを加える人気のキャラクターとして認識されました。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/9534

 

美人女医タレント枠の確立。

 

時には男性から300万円の高級腕時計をプレゼントされることもあったという武勇伝も語っています。さすがです。

 

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