NOKKO(ノッコ)若い頃に元旦那・木暮武彦と結婚・離婚し、現在夫との子供(娘)を高齢出産していた!
今回は1980年代の日本の音楽シーンを彩ったロックバンド「レベッカ」の女性ボーカリストであるNOKKO(ノッコ)さんについて調べてみました。
NOKKOさんがロックバンドに夢中になった経緯や「レベッカ」結成のきっかけ、離婚してしまった元旦那のシャケこと木暮武彦さんとの関係や再婚相手である現在の夫・保土田剛さんとの子供さんについて、「レベッカ」再結成の理由についても調べてみました。
◆NOKKO(ノッコ)パワーと歌唱力「和製マドンナ」80’s歌姫!レベッカ(rebecca)のボーカリストライブ画像
圧倒的にパワフルでエネルギーに満ち溢れたスーパーバンド「レベッカ」とボーカルのNOKKO(ノッコ)さんは’80年代の日本の音楽シーンを彩ったグループのひとつでした。
これぞ
熱唱と絶叫!
女性ボーカルのロックバンドがまだ少なかったこの時代に、カッコイイお姉さんが熱烈に歌い上げて絶叫するバンドとして、少女たちにとってたちまち憧れの的になったことを記憶しています。
そんなNOKKOさんは現在では高齢出産で娘さんをご出産され、伝説のバンド「レベッカ」を再結成し活躍されているそうです。今回はそこに至るまで生い立ちから時系列でNOKKOさんの半生を追っていきたいと思います。
■長い記事となってしまったのでNOKKOさんの再婚、高齢出産へジャンプしたい方はこちら
◆レベッカ・NOKKO(ノッコ)デビュー前の若い頃 生い立ちは?両親・兄弟・本名・出身学校・幼少期は歌手ではなくバレリーナが夢だった画像
レベッカのNOKKOさんは1963年11月4日に埼玉県浦和市(現さいたま市さくら区)で生まれています。一般的にはバブル世代のゾーンの方です。
日本が最も
元気だった時代。
ちなみに、同時代女性ロックバンドとして同じように大人気となった『プリンセスプリンセス』は「レベッカ」の前年にデビューを飾っています。
画像:https://ameblo.jp/prius4649/entry-12319617324.html
経済がよくなると
女性が鮮やかに咲く。
◆NOKKO本名の由来は祖母!家族構成に2歳年上の兄、両親も音楽活動をやっていた!
NOKKOさんの本名は山田信子(生家旧姓)さんという名前で、NOKKOさんの生まれ月が11月(November)であることが由来となって祖母により命名されたというお話があります。
画像:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html
NOKKOさんのお婆ちゃんは、おそらくは大正生まれ、もしかすると明治の生まれであるわけで、それを考えるとだいぶ博識のあるファンキーなお婆ちゃんという印象がします。
■ロックバンド・ブルーハーツの甲本ヒロトさんが結婚前の若い頃の恋愛のお話はこちら↓

また、NOKKOさんのご両親がこれまた特別な影響を娘に与えてきていたと思わせるエピソードとして、元々は青森県出身で、県内の三沢市にある三沢基地(航空自衛隊三沢基地・在日米軍三沢基地)で働いていました。
三沢市はここです↓
画像:三沢市
NOKKOさんのご両親は三沢基地(航空自衛隊三沢基地・在日米軍三沢基地)で 音楽演奏をして働くミュージシャンとして活動していたのです。
所属したバンドや「ラッカークラブ」、「サービスクラブ」、「将校クラブ」なのか クラブの階級等のいずれも定かとなってはいない
引用元:https://ameblo.jp/yukisen306/entry-10807113903.html
画像:文春オンライン
このエピソードは、戦争体験者である高木ブーさんの若い頃の経歴ともとても似ています。高木ブーさんもザ・ドリフターズに加入する前にはミュージシャンとして在日アメリカ軍に所属する人々が集うバーなどでバンド活動で音楽を提供していたそうです。
現在の感覚ではバンドで音楽活動というととても生計を立てるのが厳しそうな印象がありますが、高木ブーさんのお話ではその時代に関しては音楽で一生食べていけると思えるほど安定した収入を得られる仕事だったそうです。
その後、NOKKOさんのご両親は結婚をきっかけに埼玉県へ移住しています。
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— CYCLE (@cyclestyle_net) April 19, 2017
埼玉県浦和市(現さいたま市桜)へ移住したNOKKOさんのご両親は山田電器商会という電器店を創業しています。1964年の第18回夏季オリンピックとして東京オリンピックの開催が予定されていたこの時期は、高度経済成長の社会でもあり、とても家業は繁盛していたようです。
1961年にNOKKOさんの兄である貢司さんが誕生し、2年後にNOKKOさんが誕生。家族構成としてはは両親と兄とNOKKOさんの4人家族でした。
◆1970年(年齢6歳)NOKKO 幼稚園の担任の先生のバレエ教室へ4歳から通い、小学校時代、中学校時代、高校時代まで若い頃10年以上習っていた!ジャズダンス・ピアノも。身長がきっかけで辞めた?
ご両親が音楽についてとても感性がある人であったこともあってか、NOKKOさんの幼少期にはレコード付きで毎月送られてくる『東京こどもクラブ』という歌や物語の絵本雑誌?が傍にあったようです。
私の生まれた時代はもう少し後になりますが、私も同じような歌や童謡がレコードが付いている絵本である『すくすくレコードブック』で育ったため、この時代までの育児としては音楽と一緒に育つことは特別なものではなく、ごくごく一般的なものだったのかもしれません。
画像:https://middle-edge.jp/articles/1kfQZ
子供用の雑誌のおまけにも、ペラペラのレコードが付いてきていた時代w
なつかしい…。
■音楽とお絵かきで豊かな幼少期を与えてくれた若い頃の水森亜土さんのお話はこちら
当時、NOKKOさんはというと、幼稚園時代の先生が目黒区で「バレエ教室」を開設したことが縁で、4歳の時からクラシックバレエを習っています。その後、ジャズダンスやピアノの習い事も始めています。
夢はバレリーナになること。
画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html
ところが…。
バレリーナを目指していたが、体型の変化や経済的な理由により断念。
引用元:Wikipedia
埼玉県立浦和北高等学校の在学中の頃にNOKKOさんはクラシックバレエを辞めているようです。理由のひとつ目として体格の変化を挙げていますが、NOKKOさんの身長が152.6cmとかなり小柄であったことが一つの要因であることは間違いなさそうです。
バレリーナには
160㎝の身長が必要。
バレエ団体によって規定は異なりますが、一般的にプロのバレリーナになるには女性は160㎝以上が必要とされていることが多いです。
引用元:https://ballet-mart.com
画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html
経済面の問題も浮上。
また、同時期に両親の経営する電気店が高度経済成長の時代を過ぎ、商売として経営が難しい局面に差し掛かってきたことも要因としてあったようです。
バレリーナになるには、「留学」ということを念頭に入れなければならないところで、身体の問題や経済的な問題が立ちふさがり、NOKKOさんはバレリーナを諦めるという事へ至っています。
◆レベッカNOKKOの高校生時代に兄の影響でアマチュアバンドのキーボード担当。若い頃は軽音楽部でサックスも。ガールズバンド「DOLL」でボーカルへ
バレリーナという幼少期からの夢を諦めたNOKKOさんの落胆は激しく、バレリーナになる事だけを目指して実行してきたことも辞め、失意のドン底に居たようです。
画像:https://a-genzai.com/rebecca-nokko/
その様子を近くで見ていた2歳年上の兄・貢司さんは自分が所属するバンドのキーボードとして妹・NOKKOさんを誘います。高校時代も軽音楽部でサックスを担当するなど、バンド活動に熱中していた時代であったことが伺えます。
その時の話をギタリストの森永淳哉さんが語ってくれていました。
1年に山田貢司が入ってきたんですよ、浦和南高校に。実家の山田電機はウチから30秒くらいだったからね。
で、あいつもバンドが好きで、俺が卒業したと同時にバンドやろうぜということになった。実は妹がピアノ弾いてるんだけど、一緒にやりたいっていうんだけどって。それが山田信子(NOKKO)。まだ高校1年ぐらいなの、山田信子が(笑)当時からNOKKOって呼ばれていたね。
引用元:barks.jp
そこでバンド活動に目覚めたNOKKOさんは息を吹き返したように音楽の世界へ突き進んでいくことになります。また、NOKKOさんは兄のバンドで特別な人と出会い、ヴォーカリストとしての道も開かれることとなりました。
画像:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=2
本人は、そこで「えんどうさん(※個人名のため省略)」という女性と知り合う。 この「えんどうさん」は、本人の声を聴いてキーボードからヴォーカリスト転身を薦めた人物である。 今では本人の大親友でもあるが、一番初めの歌の先生でもあった。
引用元:https://ameblo.jp/yukisen306/entry-10807113903.html
しかし、兄バンドでは
修学旅行に行ってる間に
なんとNOKKOはクビに。
この時、兄バンドに居た森永淳哉さんや兄を含め、他のメンバーもNOKKOさんがボーカリストとしての才能を持っていたことは誰一人知らなかったそうです。
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