おすすめ記事

若い頃NOKKO(ノッコ)結婚と再婚旦那の娘子供を高齢出産画像

おすすめ記事

NOKKO(ノッコ)若い頃に元旦那・木暮武彦と結婚・離婚し、現在夫との子供(娘)を高齢出産していた!

 

今回は1980年代の日本の音楽シーンを彩ったロックバンド「レベッカ」の女性ボーカリストであるNOKKO(ノッコ)さんについて調べてみました。

NOKKOさんがロックバンドに夢中になった経緯や「レベッカ」結成のきっかけ、離婚してしまった元旦那のシャケこと木暮武彦さんとの関係や再婚相手である現在の夫・保土田剛さんとの子供さんについて、「レベッカ」再結成の理由についても調べてみました。

おすすめ記事

◆NOKKO(ノッコ)パワーと歌唱力「和製マドンナ」80’s歌姫!レベッカ(rebecca)のボーカリストライブ画像

 

圧倒的にパワフルでエネルギーに満ち溢れたスーパーバンド「レベッカ」とボーカルのNOKKO(ノッコ)さんは’80年代の日本の音楽シーンを彩ったグループのひとつでした。

 

 

これぞ
熱唱と絶叫!

 

女性ボーカルのロックバンドがまだ少なかったこの時代に、カッコイイお姉さんが熱烈に歌い上げて絶叫するバンドとして、少女たちにとってたちまち憧れの的になったことを記憶しています。

 

 

そんなNOKKOさんは現在では高齢出産で娘さんをご出産され、伝説のバンド「レベッカ」を再結成し活躍されているそうです。今回はそこに至るまで生い立ちから時系列でNOKKOさんの半生を追っていきたいと思います。

 

■長い記事となってしまったのでNOKKOさんの再婚、高齢出産へジャンプしたい方はこちら

 

◆レベッカ・NOKKO(ノッコ)デビュー前の若い頃 生い立ちは?両親・兄弟・本名・出身学校・幼少期は歌手ではなくバレリーナが夢だった画像

 

レベッカのNOKKOさんは1963年11月4日に埼玉県浦和市(現さいたま市さくら区)で生まれています。一般的にはバブル世代のゾーンの方です。

 

 

日本が最も
元気だった時代。

 

ちなみに、同時代女性ロックバンドとして同じように大人気となった『プリンセスプリンセス』「レベッカ」の前年にデビューを飾っています。

 


画像:https://ameblo.jp/prius4649/entry-12319617324.html

 

経済がよくなると
女性が鮮やかに咲く。

 

おすすめ記事

 

◆NOKKO本名の由来は祖母!家族構成に2歳年上の兄、両親も音楽活動をやっていた!

 

NOKKOさんの本名は山田信子(生家旧姓)さんという名前で、NOKKOさんの生まれ月が11月(November)であることが由来となって祖母により命名されたというお話があります。

 


画像:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html

 

NOKKOさんのお婆ちゃんは、おそらくは大正生まれ、もしかすると明治の生まれであるわけで、それを考えるとだいぶ博識のあるファンキーなお婆ちゃんという印象がします。

 

 

■ロックバンド・ブルーハーツ甲本ヒロトさんが結婚前の若い頃の恋愛のお話はこちら↓

『おしん』あらすじネタバレ内容!最終回の感動のラストシーンは?
今回は日本の最高視聴率ドラマ『おしん』の感動ストーリー全297話の各章別のあらすじ最終回のネタバレ情報を中心にお届けします。『おしん』の苦難の中でも強い意志と共に、子供たちと清らかさを守り抜く、最高にキラキラした女性としての生きざまが現代の私たちにも勇気とエールを送ってくれます。

 

また、NOKKOさんのご両親がこれまた特別な影響を娘に与えてきていたと思わせるエピソードとして、元々は青森県出身で、県内の三沢市にある三沢基地(航空自衛隊三沢基地・在日米軍三沢基地)で働いていました。

 

三沢市はここです↓


画像:三沢市

 

NOKKOさんのご両親は三沢基地(航空自衛隊三沢基地・在日米軍三沢基地)で 音楽演奏をして働くミュージシャンとして活動していたのです。

 

所属したバンドや「ラッカークラブ」、「サービスクラブ」、「将校クラブ」なのか クラブの階級等のいずれも定かとなってはいない

引用元:https://ameblo.jp/yukisen306/entry-10807113903.html

 


画像:文春オンライン

 

このエピソードは、戦争体験者である高木ブーさんの若い頃の経歴ともとても似ています。高木ブーさんもザ・ドリフターズに加入する前にはミュージシャンとして在日アメリカ軍に所属する人々が集うバーなどでバンド活動で音楽を提供していたそうです。

 

現在の感覚ではバンドで音楽活動というととても生計を立てるのが厳しそうな印象がありますが、高木ブーさんのお話ではその時代に関しては音楽で一生食べていけると思えるほど安定した収入を得られる仕事だったそうです。

 

 その後、NOKKOさんのご両親は結婚をきっかけに埼玉県へ移住しています。

 

 

埼玉県浦和市(現さいたま市桜)へ移住したNOKKOさんのご両親は山田電器商会という電器店を創業しています。1964年の第18回夏季オリンピックとして東京オリンピックの開催が予定されていたこの時期は、高度経済成長の社会でもあり、とても家業は繁盛していたようです。

 

1961年にNOKKOさんの兄である貢司さんが誕生し、2年後にNOKKOさんが誕生。家族構成としてはは両親と兄とNOKKOさんの4人家族でした。

 

 

◆1970年(年齢6歳)NOKKO 幼稚園の担任の先生のバレエ教室へ4歳から通い、小学校時代、中学校時代、高校時代まで若い頃10年以上習っていた!ジャズダンス・ピアノも。身長がきっかけで辞めた?

 

ご両親が音楽についてとても感性がある人であったこともあってか、NOKKOさんの幼少期にはレコード付きで毎月送られてくる東京こどもクラブ』という歌や物語の絵本雑誌?が傍にあったようです。

 

 

私の生まれた時代はもう少し後になりますが、私も同じような歌や童謡がレコードが付いている絵本である『すくすくレコードブック』で育ったため、この時代までの育児としては音楽と一緒に育つことは特別なものではなく、ごくごく一般的なものだったのかもしれません。

 


画像:https://middle-edge.jp/articles/1kfQZ

 

子供用の雑誌のおまけにも、ペラペラのレコードが付いてきていた時代w

なつかしい…。

 

■音楽とお絵かきで豊かな幼少期を与えてくれた若い頃の水森亜土さんのお話はこちら↓

水森亜土(あどちゃん)年齢・本名は?子供や旦那さんいる?昔の写真画像
水森亜土さんの若い頃からの不思議の国の世界と、かわいいイラストや亜土ちゃんの写真画像を交えながら、亜土ちゃんのプロフィールから、キャラクターの基盤になった出来事について追っていきたいと思います♪元気いっぱいの亜土ちゃんにも葛藤の若い頃があった!

 

当時、NOKKOさんはというと、幼稚園時代の先生が目黒区で「バレエ教室」を開設したことが縁で、4歳の時からクラシックバレエを習っています。その後、ジャズダンスピアノの習い事も始めています。

 

夢はバレリーナになること。

 


画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html

 

ところが…。

 

バレリーナを目指していたが、体型の変化経済的な理由により断念。
引用元:Wikipedia

 

埼玉県立浦和北高等学校の在学中の頃にNOKKOさんはクラシックバレエを辞めているようです。理由のひとつ目として体格の変化を挙げていますが、NOKKOさんの身長が152.6cmとかなり小柄であったことが一つの要因であることは間違いなさそうです。

 

バレリーナには
160㎝の身長が必要。

 

バレエ団体によって規定は異なりますが、一般的にプロのバレリーナになるには女性は160㎝以上が必要とされていることが多いです。
引用元:https://ballet-mart.com

 


画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html

 

経済面の問題も浮上。

 

また、同時期に両親の経営する電気店が高度経済成長の時代を過ぎ、商売として経営が難しい局面に差し掛かってきたことも要因としてあったようです。

 

バレリーナになるには、「留学」ということを念頭に入れなければならないところで、身体の問題経済的な問題が立ちふさがり、NOKKOさんはバレリーナを諦めるという事へ至っています。

 

おすすめ記事

 

◆レベッカNOKKOの高校生時代に兄の影響でアマチュアバンドのキーボード担当。若い頃は軽音楽部でサックスも。ガールズバンド「DOLL」でボーカルへ

 

バレリーナという幼少期からの夢を諦めたNOKKOさんの落胆は激しく、バレリーナになる事だけを目指して実行してきたことも辞め、失意のドン底に居たようです。

 


画像:https://a-genzai.com/rebecca-nokko/

 

その様子を近くで見ていた2歳年上の兄・貢司さんは自分が所属するバンドのキーボードとして妹・NOKKOさんを誘います。高校時代も軽音楽部でサックスを担当するなど、バンド活動に熱中していた時代であったことが伺えます。

その時の話をギタリストの森永淳哉さんが語ってくれていました。

 

1年に山田貢司が入ってきたんですよ、浦和南高校に。実家の山田電機はウチから30秒くらいだったからね。
で、あいつもバンドが好きで、俺が卒業したと同時にバンドやろうぜということになった。実は妹がピアノ弾いてるんだけど、一緒にやりたいっていうんだけどって。それが山田信子(NOKKO。まだ高校1年ぐらいなの、山田信子が(笑)当時からNOKKOって呼ばれていたね。
引用元:barks.jp

 

そこでバンド活動に目覚めたNOKKOさんは息を吹き返したように音楽の世界へ突き進んでいくことになります。またNOKKOさんは兄のバンドで特別な人と出会い、ヴォーカリストとしての道も開かれることとなりました。

 


画像:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=2

 

本人は、そこで「えんどうさん(※個人名のため省略)」という女性と知り合う。 この「えんどうさん」は、本人の声を聴いてキーボードからヴォーカリスト転身を薦めた人物である。 今では本人の大親友でもあるが、一番初めの歌の先生でもあった。
引用元:https://ameblo.jp/yukisen306/entry-10807113903.html

 

しかし、兄バンドでは
修学旅行に行ってる間に
なんとNOKKOはクビに。

 

この時、兄バンドに居た森永淳哉さんや兄を含め、他のメンバーもNOKKOさんがボーカリストとしての才能を持っていたことは誰一人知らなかったそうです。

 

 

◆1982年(年齢18歳)若い頃のNOKKOは出身校の埼玉県立浦和北高校卒業後、元旦那・ギタリストの木暮武彦(シャケ)に出会いレベッカの結成準備へ

 

埼玉県立浦和北高等学校を卒業する少し前である高校3年生の時期にNOKKOさんは兄バンドを事実上クビとなり、改めて自分がボーカルを務める「DOLL」という女性ロックバンドを結成します。

 

 

「DOLL」浦和秋ヶ瀬公園で開かれたコンサートに出場しており、それを別のバンド「STRAIGHT」として出演してたまたま見ていた後の夫となるギタリストの木暮武彦さんが見ていたことで運命が動きます。

 


画像:じゃらん

 

余談ですが、「DOLL」はこの日の出演でSONYからもスカウトされるという快挙を成し遂げています。(情報によるとスカウトされたのは「レベッカ」というものもあり)

 


画像:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=5

 

その後、木暮武彦さんがNOKKOさんを誘い、伝説のバンド。レベッカ結成に至ることとなりました。

 

ド素人のアマチュアコンサートでスカウトされ、SONYと契約し、デビューすることになった「レベッカ(REBECCA)」はギターの木暮武彦さん(シャケ)がリーダーとなり、1982年始動します。

 

 

しかし、同年である1982年7月、木暮武彦さんとNOKKOさんはデモテープを売り込もうとロサンゼルスへ渡り、2人の不在でバンドが活動停止となるという珍騒動が起きています。

 

(レベッカで)レコーディングするっていうのにアメリカ行っちゃったんだよ。メンバーはさ、山田貢司がベースで、ドラムはまた違う人だった。で、結局それはポシャっちゃって
引用元:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=2

 

けれども、あまりに無謀だったためか、木暮武彦さんとNOKKOさんのふたりは夢を叶えられず翌1983年に日本に帰国し、改めてレベッカとしての活動を再稼働させます。

 

■海外移住をした女優・相楽晴子さん夫婦のハワイ島オフグリッド結婚生活はこちら↓

相楽晴子は今現在旦那と娘と5Gハワイ島移住オフグリッド生活画像
相楽晴子さんは今現在娘さんを理由に夫とハワイ島でオフグリッドという自給自足生活を開始!旦那さんとは結婚後に海外移住し、子供のジョイさんも出産しています。夫婦が選んだ新しい暮らしとは5G??の真相など家族の幸福度の高い日々について調べました。

 

◆1984年4月(年齢20歳)バンド「レベッカ(REBECCA)」がリーダー木暮武彦(シャケ)の元デビュー!稀代の名曲『フレンズ』発表!NOKKO(ノッコ)の若い頃 画像

 

再稼働を国内で果たしたバンド「レベッカ」は、1983年のCBS・ソニーのFITZBEATレーベルのオーディションに合格を果たし、1984年4月21日、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビューをします。

 


画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html

 

けれども最初から順風満帆とはいかず、意外なことに最初はレコードも全く売れなかったようです。

 

 

おまけに周りに反抗し
暴れる木暮武彦。

 

1985年1月にリーダーである木暮武彦さんとドラムスの小沼達也さんが脱退し、キーボードの土橋安騎夫さんがリーダーとなったことでNOKKOさんにも転機が訪れます。

 


画像:https://renote.jp/articles/10487

 

まさに
NOKKOを生かす戦略へ。

 

土橋がサウンドプロデュースを担い、それまでのロック路線からシンセポップ路線にシフト。シンディ・ローパーマドンナなど同時代の海外女性シンガーのスタイルを取り入れつつ、NOKKOの溌溂とした歌声やダンス、ティーンエイジャーの少女心理を織り込んだ歌詞を前面に押し出した。
引用元:Wikipedia

 

 

ここから、「レベッカ」は飛躍的な進化を遂げ、氷室京介さん、布袋寅泰さん率いる「BOØWY」と共に第二次バンドブームの先駆け的存在へと成長していきます。

 

おすすめ記事

 

◆1985年10月(年齢21歳)若い頃のNOKKO レベッカ4枚目シングルリリース曲『フレンズ』の大ヒット!バンドとして日本初のミリオンセラーも!和製マドンナファッションも注目

 

1985年1月にリーダーである木暮武彦さんが抜けた後、同年10月に「レベッカ」は大ヒット曲である「フレンズ」を4枚目シングルとしてリリースし、これが着火剤となって「レベッカ」とそのボーカルのNOKKOさんは一躍大人気となり、時代を引っ張る存在感となります。

 


画像:http://rebeccalove.seesaa.net/article/432418227.html

 

この大ヒットソング『フレンズ』は当時のドラマ『ハーフポテトな俺たち』
エンディングテーマとして起用されていました。

 

 

ドラマで起用された曲がヒットソングとなる先駆けとも言えたのかもしれません。『フレンズ』シングルでの売り上げは30万枚程度だったそうですが、じわじわと人気や評判を集め、

『フレンズ』が収録されたアルバムとなる『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』はなんと130万枚を記録するベストセラーとなりました。勿論オリコン1位。

 

 

ミリオンセラーを達成した
日本のロックバンドは

レベッカのアルバムが初。

 

 

何よりもバンドグループ「レベッカ」の顔であるボーカルのNOKKOさんの、どこにでもいるような小柄な体の少女のような姿と、それに反して全身から発する熱烈なメッセージ性ある歌詞、ハイトーンボイスとエネルギッシュなパフォーマンスが人々の心を揺さぶっていました。

 

 

一方のNOKKOさんはというと、突然世界が変わるほどの注目を浴びるようなところへ駆け上がってしまったためか、ご本人はその時代についてこんな風に語っています。

 

ロックをやれているのか、右往左往しながら歌っていました。

 

 

暫くすると、キーボードの土橋安騎夫さんの目論んだイメージ戦略を反映してか、ファッションにもトレンドマークのようになった大きなリボンなど、独特のスタイルを見せるようになり「和製マドンナ」と呼ばれた時期があったようです。

 

 

◆1989年(年齢25歳)伊丹十三作品映画『スウィートホーム』高校生役でNOKKO若い頃に女優デビュー

 

1989年には音楽活動だけでなく、NOKKOさんは伊丹十三作品の映画である『スウィートホーム』で女学生役で女優デビューしています。

 


画像:twitter

 

きっかけとなったのはかまやつひろしさんで、六本木のイタリア料理店『キャンティ』で食事した際に、伊丹十三さん・宮本信子さんご夫妻に紹介されたことだそうです。

 

 

その場でNOKKOさんは伊丹十三さんから「顔、よく見せて」と言われ、その後に「映画やらない?」と誘われたようです。

 

日本でどのくらいの時期に「オーラがある」という表現が常用となったのかは分かりませんが、この頃にはまだそういった表現は世間には浸透していない時代だったと思います。

 

 

それから3日後には映画『スウィートホーム』出演のオファーが伊丹十三さんから正式にNOKKOさんの元へ届くこととなります。

 

伊丹十三さんという人が人間の顔立ちやそれを超える程の影響を及ぼす「人間性が形成する独特のオーラ」「エネルギー」のようなものを嗅ぎ分けて、映画を作って来られてきたという事がよく分かるエピソードです。

 

 

余談ですが伊丹十三さんが奥さんの顔立ちやオーラといった超個性である魅力を最大限に引き出した1987年公開映画『マルサの女』も大ヒットしていました。

 

その嗅覚に即決を下させる個性とオーラが当時のNOKKOさんにはあったと言ってもよいでしょう。その後もドラマ『いとしの未来ちゃん』『三姉妹探偵団』『家族のうた』などに出演されています。

 

加賀まりこさんの若い頃がカッコよくてカワイイ!

加賀まりこ若い頃~40代の目がかわいい!若い時のメイク写真画像
今回は加賀まりこさんの若い頃の魅力、特に「意思のある目」について調べつつ、様々な文化人との出会いや国内のファッションリーダーとしてのおしゃれな服装、メイク、ヘアスタイルなどを出演した映画と共に紹介していきたいと思います。60年代70年代のとってもかわいらしい加賀まりこさんの写真もたくさん集めました!

 

◆1991年2月(年齢29歳)NOKKO ブレイクから大規模ライブイベントを成功の末の活動休止、レベッカバンド解散

 

その後、ヒットシングルを飛ばし、順調にスターバンドとしての活動を継続し、アルバムも順調に売れるバンドとなった「レベッカ」でした。

 

 

1988年には6枚目のオリジナルアルバム『Poison』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞
引用元:Wikipedia

 


画像:ナタリー

 

大型イベントも各地で開催し、大成功へ導きます。

けれどもこの超多忙な生活がバンド内の創作に影響を及ぼすこととなり、1990年1月は、『BLOND SAURUSの逆襲』のコンサートツアーで日本武道館公演を最後に活動を休止することに至っています。

 

伝説となっている「BLOND SAURUS TOUR」も、実際はNOKKOさんの盲腸発症により延期されており、復帰直後から暴れまわってダンスをしながらの大熱唱だったそうです。

 


画像:https://natalie.mu/music/pp/rebecca/page/2

 

「盲腸治ってよかったぜー!」

とシャウト(笑)

 

結論から先に言うと、それから約1年の活動休止の後、「レベッカ」は翌1991年2月14日に解散しています。

 


画像:ナタリー

 

これは私の推測ですが、NOKKOさんのバンド活動が不安定な状況になった原因として私生活の不安定さがあったのではないかと感じます。大人気バンドだった「レベッカ」が活動を休止することとなった1990年、NOKKOさんは私生活で結婚をしています。

 

おすすめ記事

 

◆1990年(年齢26歳)レベッカ・NOKKOが若い頃の最初の旦那木暮武彦(shake)と結婚し、3年後の1993年に夫妻は離婚。子どもは?ロサンゼルス結婚式画像

 

NOKKOさんが結婚相手に選んだのは、なんと「レベッカ」の初代リーダーだった木暮武彦(shake)さんでした。

 

 

木暮武彦さんは「レベッカ」を脱退したあと、「RED WARRIORS」を結成し、2人は一度は縁が切れていたはずでした。しかし、1990年お二人はロサンゼルスで結婚式を挙げます。

 


画像:twitter

 

ちょっと、大衆目線でホント申し訳ないのですが「レベッカ」の結成直後、レコーディングが迫る中、何の策もなく勢いだけで無謀にアメリカへ二人で飛んで行った時、2人はおそらくすでに恋仲だったと考えるのが自然だと思うのですが、その後に若さの性を抑えられず暴れて「レベッカ」を脱退した木暮武彦さん。

 

レベッカ脱退の頃のシャケは
ノイローゼで破滅に向かっていたらしい。

 


画像:https://renote.jp/articles/10487

 

その頃にはNOKKOさんとも別れてしまい、脱退直後に「レベッカ」がお化けバンドとなって活躍していた時期は、悔しさから音信不通。

 

それなのに、グループが活動休止になるや否や元サヤで結婚という事で、なぜそういう男性を選んだのか?という事について正直、理解に苦しみます。

 

 

こんな幸薄そうな男性の
どこに惚れたのか
わからんちんw

 

NOKKOさんにとっては木暮武彦さんという男性は人生を振り回す台風のような人であったはずです。でも、忘れられない人でもあったという事でもあるのかもしれません。

 


画像:https://ameblo.jp/keithrichard/entry-12307831090.html

 

でもNOKKO
嬉しそうな写真。

 

けれども当然、人なんてそうそう変わるものでもないという事なのでしょう。結婚から2年後にあたる1993年にはNOKKOさんと木暮武彦さんは離婚をし、2人の結婚生活はわずか3年で終止符を打っています。

 

 

この結婚生活の間に「レベッカ」というバンドも解散となり、NOKKOさんは疲弊した私生活からすべてを失った形となりました。木暮武彦さんの若い頃のデストロイヤーっぷりが目に浮かぶ歴史となっています。お二人にお子さんは居ませんでした。

 

 

結婚というものは、アツすぎると大燃焼して全てを燃やし尽くしてしまうのかもしれません・・・。

 

磯野貴理子さんの結婚離婚のお話はこちら↓

磯野貴理子2度目旦那・高橋東吾との結婚離婚理由・夫婦は愛の学び舎
磯野貴理子さんの元旦那である東野東吾さん正司宏行さんとの結婚、離婚騒動から浮かび出る人生観、夫婦観などを各事象ごとに追ってみました。モヤッとする子供に関する別れの理由についても主観で掘っていきます。

 

◆90年代半ばに若い頃のNOKKOはアメリカ移住し、野沢直子と同じ英会話学校、同じダンス教室へ通ったらしい

 

箸休めのようなお話になりますが、「レベッカ」解散後90年代半ばに渡米したNOKKOさんは、ニューヨークでなんと同じ英会話教室へ通う野沢直子さんに遭遇したようです。

 

え、この頃??(笑)

 


画像:野沢直子公式ブログ

 

野沢は、NOKKOに言ったそうである。「何してんのー」と。
引用元:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html

 

野沢直子は
1993年に結婚。

 


画像:野沢直子公式ブログ

 

この話には続きがあって、さらに2人はNOKKOさんの通っていたダンススクールまで一緒に通うこととなり、物凄い伝説を残す野沢直子さんをNOKKOさんは目撃しています。

 

野沢はダンス経験はないようである。そんな野沢は、ダンス講師に自由にダンスを踊るように言われて、なんとコサックダンスを踊ったそうである。

さすが芸人である。その度胸恐るべし。そのダンスは、講師には大受けだったそうである。エークセレント!と言ったようだ。

これには、NOKKOもまいったようだ。野沢には敵わないとテレビで言っていた。

引用元:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html

 

やっぱり雲の上の人、野沢直子さんですw

 

 

◆1994年3月(年齢30歳)若い頃のNOKKOは「のっこ」名義でソロ活動へ『人魚』の大ヒットとNHK朝ドラ『ふたりっ子』テーマ曲『Natural』、1995年の阪神淡路大震災支援のための2日間限定の再結成ライブ

 

「レベッカ」解散後はソロシンガーとして「のっこ」を名乗り、活動を開始していたNOKKOさんでしたが、またしても木暮武彦さんと離婚して離れた直後にヒットソングに恵まれます(笑)。

 

名曲「人魚」

 

 

シャケさんといた時間
のような歌詞です。

 

見つめ合う時は 高波のように
そばに居るだけで 自分を忘れた
その激しさ その声 その胸が
消えてしまった
引用元『人魚』歌詞抜粋

 

『人魚』のリリース翌年にあたる1995年にはNOKKOさんは阪神淡路大震災の復興支援の目的として2日間限定の「レベッカ」再結成ライブをチャリティーで行っています。

 

その後もソロ活動を続け、NOKKOさん個人のシングルも『ライブがはねたら』やNHK朝ドラのテーマソングとなった『Natural』などの楽曲を発表し、当時の人気音楽テレビへの出演やCM出演も果たしています。

 

「のっこ」の曲は、久光製薬、資生堂、カルピス、サンスター、日産ら、大手のCMソングとしても使われた。
引用元:https://a-genzai.com/rebecca-nokko/

 

ところが、2000年に個人としてのソロ活動は休止しています。

 

◆2001年(年齢37歳)レベッカ・NOKKOが若い頃から10年の付き合いだった音楽プロデューサーGOH HOTODA(保土田剛)と二度目の結婚!高齢出産で子供(娘)も誕生!今現在自宅は熱海 画像

 

ソロ活動を休止した2000年にNOKKOさんは仕事で10年来の付き合いがあった音楽プロデューサーのGOH HOTODAさんと「NOKKO & GO」を結成しています。(設立は2003年)

 


画像:https://plaza.rakuten.co.jp/cubicsquares/diary/200808270000/

 

GOH HOTODAさんはマドンナの『VOGUE』のエンジニアリングも務めているという世界的に有名な大物サウンドエンジニアだそうです。

 

2001年にはNOKKOさんとGOH HOTODAさんは結婚されています。(情報によっては2002年に入籍というお話もあります)

 

おすすめ記事

 

◆2006年8月(年齢42歳)NOKKOが旦那のGOH HOTODA(保土田剛)との間の夫妻第一子女児・娘の夏乃を初産で高齢出産!立ち合いで自然分娩!

 

お二人の結婚から数年後にあたる2006年8月1日、NOKKOさんと旦那のGOH HOTODAさんの間には待望の第一子女児・夏乃さんが誕生しています。結婚後のご自宅は静岡県の熱海に家族で住まわれているようです。

 


画像:https://plaza.rakuten.co.jp/cubicsquares/diary/200808270000/

 

42歳で初産という高齢出産。

 

NOKKOさんの公式サイトの記録によると、出産前は高齢出産であったことから様々な書類にサインをさせられ恐怖心がわくような状況だったようですが、実際の出産は作務衣を着た旦那さん立会いの『たのしいお産』となったそうです。

 


画像:NOKKO公式サイト

 

また、産後夜泣きする娘さんにNOKKOさんが子守歌を歌うと、安心するのかぐっすり眠ることに気づいたという素敵なお話もあります。

NOKKOさんの子守歌で育つなんて、とっても贅沢な娘さんです(笑)

 

■高齢出産の水野美紀さんのお話はこちら↓

水野美紀と旦那・唐橋充が結婚!高齢出産の子供と夫若い頃~今現在
水野美紀さんは今現在ご結婚され、旦那さんとの間の子供を高齢出産されました。若い頃の経歴も輝かしいものでしたが、年齢を重ね子育てを経てからの女優としての暴れっぷり、化けっぷりがスゴイ!と注目されています。

 

◆2013年(年齢50歳)母・NOKKOが旦那・保土田剛とアルバム『もうすぐクリスマス』を発表。娘・夏乃もコーラスで参加。今現在何歳?

 

NOKKOさんと旦那さんの保土田剛さんは不思議なことに長女の夏乃さんが誕生する3年も前の2003年「宇宙のコウモリウタ」や2004年NHK「みんなのうた」フルサト発表、DVD付きのフルサト絵本出版など、児童音楽に関する活動もされていました。

 


画像:https://芸能人の子供まとめ.net/nokko-kodomo/

 

NOKKOさんの幼少期にあった、絵本と同様が一緒になった子供雑誌東京こどもクラブ』をなぞるような印象がします。娘さんが誕生する前から子供を迎える準備をされていた印象がします。

 


画像:NOKKO STORE

 

さらに娘さんの誕生後、2013年に発表されたアルバム『もうすぐクリスマス』では、当時7歳になった娘の夏乃ちゃんがジョンレノンのカバー曲である『HAPPY CRISTMAS』の中でコーラスで参加したそうです。

 


画像:https://芸能人の子供まとめ.net/nokko-kodomo/

 

2006年に誕生したNOKKOさんのさんは2020年に14歳になる年齢となっています。

 

坂本龍一さんと矢野顕子さんの娘である坂本美雨さんや、宇多田照實さんと藤圭子さんの娘である宇多田ヒカルさんなど、ご両親が音楽関係の娘さんは音楽に行くことも多いので、これからどんな活躍をされるのかとても楽しみな女の子ですね。

 


画像:熱海ネット新聞

 

また、2014年には地元の熱海中学校の校歌『光る海』をご夫婦で作曲されています。(作詞は歌人の佐佐木幸綱さん)

 

 

◆NOKKOの離婚した元旦那・木暮武彦にも今現在では二人の子供の父親に。息子と離婚した嫁との娘が2020年NHK朝ドラヒロイン女優の杉咲花!

 

ちなみに、NOKKOさんの破天荒な元旦那のシャケこと木暮武彦さんも再再婚され、現在では2人の子供の父親となっています。

驚きの事実としては木暮武彦さんのNOKKOさんの後の再婚相手との間の娘(実子)が、今大注目の女優である杉咲花さんであることです。

 


画像:http://meziroosi-tayori.blog.jp/archives/4189648.html

 

木暮武彦さんの娘・杉咲花さんは2020年後期の朝ドラ『おちょやん』のヒロインに決定しています。

 

しかし、現在は木暮武彦さんはさらに離婚と再再婚され、そのお嫁さんとの間に現在男児が1人います。

 

NOKKOさんの元夫・シャケさんの娘・杉咲花さんのお話について詳しくはこちら↓

杉咲花の家族両親!父親・木暮武彦(シャケ)母親・チエ・カジウラ親友・兄弟は?
今回は2019年にNHK大河出演が決まった大活躍の杉咲花さんの親族であるご両親、は父親も母親もとても有名なあの人でした!兄弟について、また杉咲花さんがとっても仲良しの親友についてまとめました♪令和時代の到来とともに杉咲花さんのような次世代を担う女優さんが活躍し始めています。

 

◆2015年4月(年齢51歳)伝説のバンド「レベッカ」が20年ぶりに再結成!第66回NHK紅白歌合戦初出場!

 

そして、2015年長い時間NOKKOさんが距離を置いていた「レベッカ」が再始動することになります。

 


画像:https://www.huffingtonpost.jp

 

再結成に際し、「レベッカ」名義でこのようなコメントが発表されています。

 

ずっとひとりぼっちだと思っていた。

いつも宿題を抱えていて、いつも締切に追われていた。

REBECCAの活動を中途半端に終えてしまったという気持ちがあった。

REBECCAはずっと、触れてはいけないパンドラの箱だったけど時が経ち、

心に余裕ができてきて、このパンドラの箱を開く勇気が湧いてきた。

そして勇気を出して開けてみたら、

パンドラの箱の中でREBECCAは、熟していた。

もう、ひとりじゃないと気付いた。

夢がしぼみ、情報が氾濫している今の時代にREBECCA見直してみたい。

当時の曲を、今の自分たちで再現して、もう一度やってみたい。

REBECCA

引用元:https://www.huffingtonpost.jp

 

NOKKOさんは「レベッカ」の解散後、ソロ活動も終え、少しずつ音楽活動から心が離れていっていたようでした。

 


画像:Instagram

 

そんな中、「レベッカ」再結成の大きなきっかけとなったのは2011年に起きた東日本大震災という出来事だったようです。NOKKOさんが被災者の人々を想う中で思いだしていたのは「レベッカ」のバラード曲である『Maybe Tomorrow』の歌詞だったそうです。

 

だけど明日はきっといいことあると信じてたいの
『Maybe Tomorrow』

 

この歌詞が、復興していこう、という気持ちとぴったり合った。明日へ前向きに乗り越えていこう、という思いを込めて、被災された方々に向けて歌いたい、と思いました
引用元:2015年4月『朝日新聞デジタル』

 

 

「レベッカ」再結成の時のコメントの内容ととても被ってくるところですが、NOKKOさん自身がずっと蓋をし続けることとなった若い頃の時代の記録、つまりは「レベッカ」としての歌や歌詞、空気感に触れることに対して、長年抱いていた「嫌悪感」「恐怖」といった類の負の感情が時間をかけて浄化していき、

 

新しい気持ちで改めて「いいものもあったはずだ」という肯定的な気持ちにさせてくれたきっかけとなったようです。このお話は時間をかけて元夫婦の感情が雪解けした薬師丸ひろ子さんと玉置浩二さんのお話にもとても類似したお話があります。

 

薬師丸ひろ子さんと元旦那の玉置浩二さんの結婚離婚と雪解けまでの物語はこちら↓

薬師丸ひろ子と旦那・玉置浩二結婚なれそめと夫妻の離婚理由子供は
薬師丸ひろ子さんが若い頃に玉置浩二さんの花嫁として結婚に至るまでの経歴や馴れ初めと、離婚理由や子供の有無、そして元妻・元旦那となったお二人の不思議な今現在の雪解けを迎えた愛情関係についてまとめました。

 

音楽が自分に戻ってきた。

 

 

音楽が、だんだん自分の手元に戻ってきたと感じて、歌えるようになって、声も太くなった。そうしたら、レベッカの曲にふたをしておくのがかわいそうに思えてきて、見直してみようと
引用元:2015年4月『朝日新聞デジタル』

 

「レベッカ」として活動をしていた20代のNOKKOさんが歌った作品には、当時ファンからも元旦那さんの木暮武彦さんとの時間を題材にしたのではないかと言われる作品が多くありました。

 


画像:https://ameblo.jp/redford-1956/entry-12390704671.html

 

もしそれが事実だったとすると、結局最後に破綻した元夫との愛情や思い出を「レベッカ」の曲として永遠歌い続けることがとてもとても困難であるというNOKKOさんの感情は分かる気がします。

 

以前はもう絶対に見ない、聴かないと思っていたけれど、ふたをパカッと開けたら、ホワーッとご飯が炊けてた、みたいな感じかしら
引用元:https://www.huffingtonpost.jp/

 

 

けれども時は経過し、元旦那である暮武彦さんとの苦い記憶も現在では新しい幸せの記憶が膨らんでいくたびに消化しきり、改めて客観的に「レベッカ」の歌として歌うことができるようになったという感覚であるように私には思えました。

 

おすすめ記事

 

◆2019年11月(年齢56歳)レベッカ・NOKKOが34年前の「伝説のライブ」を誕生日に発売&映画館で一夜限定上映!2020年今現在、日本に最も必要な熱波を飛ばす

 

2019年「レベッカ」NOKKOさんは34年前となった1985年12月の「伝説のライブ」のブルーレイ発売と共に、映画館での一夜限定上映をしました。

 

「このツアーはレベッカとしてバンドの若いエネルギーが一番ピークの時」

 

と、NOKKOさん自身も語っています。

 


画像:ニコニコニュース

 

■『REBECCA 『フレンズ』(1985.12.25渋谷公会堂)』ティザー映像
https://www.youtube.com/watch?v=WzNEwUIHVFA

 

「ツアー中にどんどん注目されるようになって、この夜は渋谷公会堂に人があふれていたのを想い出しますね。あとNOKKOがすごくしゃべってますね。MCが多いもん。」_土橋安騎夫(キーボード)
引用元:REBECCA

 


画像:REBECCA

 

当時の『フレンズ』を歌うNOKKOさんの姿を見ると、ここで命を燃やし尽くしてもいいという気持ちで歌い上げているのではないかと感じる程の何かを感じます。それはとても苦しいことだっただろうと想像します。

 

「レベッカ」の最初の解散以降、この国の若者はこうした情熱とは無縁の時代を長く送ってきた気がします。

 

2020年コロナ大流行で、今現在私たちは「自分の命を生きるということ」の意味をもう一度問い直しています。それはきっと「自分の命を何に燃やし尽くすか」ということではないのか。NOKKOさんの歌声は、そんなことを私たちの胸に投げかけてくれます。

おすすめ記事
おすすめ記事
おすすめ記事
キラキラしたいっ!

コメント

タイトルとURLをコピーしました