若い頃NOKKO(ノッコ)結婚と再婚旦那の娘子供を高齢出産画像

◆子供・妊娠・出産・育児

◆1982年(年齢18歳)若い頃のNOKKOは出身校の埼玉県立浦和北高校卒業後、元旦那・ギタリストの木暮武彦(シャケ)に出会いレベッカの結成準備へ

 

埼玉県立浦和北高等学校を卒業する少し前である高校3年生の時期にNOKKOさんは兄バンドを事実上クビとなり、改めて自分がボーカルを務める「DOLL」という女性ロックバンドを結成します。

 

 

「DOLL」浦和秋ヶ瀬公園で開かれたコンサートに出場しており、それを別のバンド「STRAIGHT」として出演してたまたま見ていた後の夫となるギタリストの木暮武彦さんが見ていたことで運命が動きます。

 


画像:じゃらん

 

余談ですが、「DOLL」はこの日の出演でSONYからもスカウトされるという快挙を成し遂げています。(情報によるとスカウトされたのは「レベッカ」というものもあり)

 


画像:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=5

 

その後、木暮武彦さんがNOKKOさんを誘い、伝説のバンド。レベッカ結成に至ることとなりました。

 

ド素人のアマチュアコンサートでスカウトされ、SONYと契約し、デビューすることになった「レベッカ(REBECCA)」はギターの木暮武彦さん(シャケ)がリーダーとなり、1982年始動します。

 

 

しかし、同年である1982年7月、木暮武彦さんとNOKKOさんはデモテープを売り込もうとロサンゼルスへ渡り、2人の不在でバンドが活動停止となるという珍騒動が起きています。

 

(レベッカで)レコーディングするっていうのにアメリカ行っちゃったんだよ。メンバーはさ、山田貢司がベースで、ドラムはまた違う人だった。で、結局それはポシャっちゃって
引用元:https://www.barks.jp/news/?id=1000116305&page=2

 

けれども、あまりに無謀だったためか、木暮武彦さんとNOKKOさんのふたりは夢を叶えられず翌1983年に日本に帰国し、改めてレベッカとしての活動を再稼働させます。

 

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◆1984年4月(年齢20歳)バンド「レベッカ(REBECCA)」がリーダー木暮武彦(シャケ)の元デビュー!稀代の名曲『フレンズ』発表!NOKKO(ノッコ)の若い頃 画像

 

再稼働を国内で果たしたバンド「レベッカ」は、1983年のCBS・ソニーのFITZBEATレーベルのオーディションに合格を果たし、1984年4月21日、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビューをします。

 


画像:https://ameblo.jp/road-is-brhpght/entry-11900629055.html

 

けれども最初から順風満帆とはいかず、意外なことに最初はレコードも全く売れなかったようです。

 

 

おまけに周りに反抗し
暴れる木暮武彦。

 

1985年1月にリーダーである木暮武彦さんとドラムスの小沼達也さんが脱退し、キーボードの土橋安騎夫さんがリーダーとなったことでNOKKOさんにも転機が訪れます。

 


画像:https://renote.jp/articles/10487

 

まさに
NOKKOを生かす戦略へ。

 

土橋がサウンドプロデュースを担い、それまでのロック路線からシンセポップ路線にシフト。シンディ・ローパーマドンナなど同時代の海外女性シンガーのスタイルを取り入れつつ、NOKKOの溌溂とした歌声やダンス、ティーンエイジャーの少女心理を織り込んだ歌詞を前面に押し出した。
引用元:Wikipedia

 

 

ここから、「レベッカ」は飛躍的な進化を遂げ、氷室京介さん、布袋寅泰さん率いる「BOØWY」と共に第二次バンドブームの先駆け的存在へと成長していきます。

 

 

◆1985年10月(年齢21歳)若い頃のNOKKO レベッカ4枚目シングルリリース曲『フレンズ』の大ヒット!バンドとして日本初のミリオンセラーも!和製マドンナファッションも注目

 

1985年1月にリーダーである木暮武彦さんが抜けた後、同年10月に「レベッカ」は大ヒット曲である「フレンズ」を4枚目シングルとしてリリースし、これが着火剤となって「レベッカ」とそのボーカルのNOKKOさんは一躍大人気となり、時代を引っ張る存在感となります。

 


画像:http://rebeccalove.seesaa.net/article/432418227.html

 

この大ヒットソング『フレンズ』は当時のドラマ『ハーフポテトな俺たち』
エンディングテーマとして起用されていました。

 

 

ドラマで起用された曲がヒットソングとなる先駆けとも言えたのかもしれません。『フレンズ』シングルでの売り上げは30万枚程度だったそうですが、じわじわと人気や評判を集め、

『フレンズ』が収録されたアルバムとなる『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』はなんと130万枚を記録するベストセラーとなりました。勿論オリコン1位。

 

 

ミリオンセラーを達成した
日本のロックバンドは

レベッカのアルバムが初。

 

 

何よりもバンドグループ「レベッカ」の顔であるボーカルのNOKKOさんの、どこにでもいるような小柄な体の少女のような姿と、それに反して全身から発する熱烈なメッセージ性ある歌詞、ハイトーンボイスとエネルギッシュなパフォーマンスが人々の心を揺さぶっていました。

 

 

一方のNOKKOさんはというと、突然世界が変わるほどの注目を浴びるようなところへ駆け上がってしまったためか、ご本人はその時代についてこんな風に語っています。

 

ロックをやれているのか、右往左往しながら歌っていました。

 

 

暫くすると、キーボードの土橋安騎夫さんの目論んだイメージ戦略を反映してか、ファッションにもトレンドマークのようになった大きなリボンなど、独特のスタイルを見せるようになり「和製マドンナ」と呼ばれた時期があったようです。

 

 

◆1989年(年齢25歳)伊丹十三作品映画『スウィートホーム』高校生役でNOKKO若い頃に女優デビュー

 

1989年には音楽活動だけでなく、NOKKOさんは伊丹十三作品の映画である『スウィートホーム』で女学生役で女優デビューしています。

 


画像:twitter

 

きっかけとなったのはかまやつひろしさんで、六本木のイタリア料理店『キャンティ』で食事した際に、伊丹十三さん・宮本信子さんご夫妻に紹介されたことだそうです。

 

 

その場でNOKKOさんは伊丹十三さんから「顔、よく見せて」と言われ、その後に「映画やらない?」と誘われたようです。

 

日本でどのくらいの時期に「オーラがある」という表現が常用となったのかは分かりませんが、この頃にはまだそういった表現は世間には浸透していない時代だったと思います。

 

 

それから3日後には映画『スウィートホーム』出演のオファーが伊丹十三さんから正式にNOKKOさんの元へ届くこととなります。

 

伊丹十三さんという人が人間の顔立ちやそれを超える程の影響を及ぼす「人間性が形成する独特のオーラ」「エネルギー」のようなものを嗅ぎ分けて、映画を作って来られてきたという事がよく分かるエピソードです。

 

 

余談ですが伊丹十三さんが奥さんの顔立ちやオーラといった超個性である魅力を最大限に引き出した1987年公開映画『マルサの女』も大ヒットしていました。

 

その嗅覚に即決を下させる個性とオーラが当時のNOKKOさんにはあったと言ってもよいでしょう。その後もドラマ『いとしの未来ちゃん』『三姉妹探偵団』『家族のうた』などに出演されています。

 

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◆1991年2月(年齢29歳)NOKKO ブレイクから大規模ライブイベントを成功の末の活動休止、レベッカバンド解散

 

その後、ヒットシングルを飛ばし、順調にスターバンドとしての活動を継続し、アルバムも順調に売れるバンドとなった「レベッカ」でした。

 

 

1988年には6枚目のオリジナルアルバム『Poison』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞
引用元:Wikipedia

 


画像:ナタリー

 

大型イベントも各地で開催し、大成功へ導きます。

けれどもこの超多忙な生活がバンド内の創作に影響を及ぼすこととなり、1990年1月は、『BLOND SAURUSの逆襲』のコンサートツアーで日本武道館公演を最後に活動を休止することに至っています。

 

伝説となっている「BLOND SAURUS TOUR」も、実際はNOKKOさんの盲腸発症により延期されており、復帰直後から暴れまわってダンスをしながらの大熱唱だったそうです。

 


画像:https://natalie.mu/music/pp/rebecca/page/2

 

「盲腸治ってよかったぜー!」

とシャウト(笑)

 

結論から先に言うと、それから約1年の活動休止の後、「レベッカ」は翌1991年2月14日に解散しています。

 


画像:ナタリー

 

これは私の推測ですが、NOKKOさんのバンド活動が不安定な状況になった原因として私生活の不安定さがあったのではないかと感じます。大人気バンドだった「レベッカ」が活動を休止することとなった1990年、NOKKOさんは私生活で結婚をしています。

 

 

◆1990年(年齢26歳)レベッカ・NOKKOが若い頃の最初の旦那木暮武彦(shake)と結婚し、3年後の1993年に夫妻は離婚。子どもは?ロサンゼルス結婚式画像

 

NOKKOさんが結婚相手に選んだのは、なんと「レベッカ」の初代リーダーだった木暮武彦(shake)さんでした。

 

 

木暮武彦さんは「レベッカ」を脱退したあと、「RED WARRIORS」を結成し、2人は一度は縁が切れていたはずでした。しかし、1990年お二人はロサンゼルスで結婚式を挙げます。

 


画像:twitter

 

ちょっと、大衆目線でホント申し訳ないのですが「レベッカ」の結成直後、レコーディングが迫る中、何の策もなく勢いだけで無謀にアメリカへ二人で飛んで行った時、2人はおそらくすでに恋仲だったと考えるのが自然だと思うのですが、その後に若さの性を抑えられず暴れて「レベッカ」を脱退した木暮武彦さん。

 

レベッカ脱退の頃のシャケは
ノイローゼで破滅に向かっていたらしい。

 


画像:https://renote.jp/articles/10487

 

その頃にはNOKKOさんとも別れてしまい、脱退直後に「レベッカ」がお化けバンドとなって活躍していた時期は、悔しさから音信不通。

 

それなのに、グループが活動休止になるや否や元サヤで結婚という事で、なぜそういう男性を選んだのか?という事について正直、理解に苦しみます。

 

 

こんな幸薄そうな男性の
どこに惚れたのか
わからんちんw

 

NOKKOさんにとっては木暮武彦さんという男性は人生を振り回す台風のような人であったはずです。でも、忘れられない人でもあったという事でもあるのかもしれません。

 


画像:https://ameblo.jp/keithrichard/entry-12307831090.html

 

でもNOKKO
嬉しそうな写真。

 

けれども当然、人なんてそうそう変わるものでもないという事なのでしょう。結婚から2年後にあたる1993年にはNOKKOさんと木暮武彦さんは離婚をし、2人の結婚生活はわずか3年で終止符を打っています。

 

 

この結婚生活の間に「レベッカ」というバンドも解散となり、NOKKOさんは疲弊した私生活からすべてを失った形となりました。木暮武彦さんの若い頃のデストロイヤーっぷりが目に浮かぶ歴史となっています。お二人にお子さんは居ませんでした。

 

 

結婚というものは、アツすぎると大燃焼して全てを燃やし尽くしてしまうのかもしれません・・・。

 

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◆90年代半ばに若い頃のNOKKOはアメリカ移住し、野沢直子と同じ英会話学校、同じダンス教室へ通ったらしい

 

箸休めのようなお話になりますが、「レベッカ」解散後90年代半ばに渡米したNOKKOさんは、ニューヨークでなんと同じ英会話教室へ通う野沢直子さんに遭遇したようです。

 

え、この頃??(笑)

 


画像:野沢直子公式ブログ

 

野沢は、NOKKOに言ったそうである。「何してんのー」と。
引用元:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html

 

野沢直子は
1993年に結婚。

 


画像:野沢直子公式ブログ

 

この話には続きがあって、さらに2人はNOKKOさんの通っていたダンススクールまで一緒に通うこととなり、物凄い伝説を残す野沢直子さんをNOKKOさんは目撃しています。

 

野沢はダンス経験はないようである。そんな野沢は、ダンス講師に自由にダンスを踊るように言われて、なんとコサックダンスを踊ったそうである。

さすが芸人である。その度胸恐るべし。そのダンスは、講師には大受けだったそうである。エークセレント!と言ったようだ。

これには、NOKKOもまいったようだ。野沢には敵わないとテレビで言っていた。

引用元:https://cragycloud.com/blog-entry-289.html

 

やっぱり雲の上の人、野沢直子さんですw

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◆1994年3月(年齢30歳)若い頃のNOKKOは「のっこ」名義でソロ活動へ『人魚』の大ヒットとNHK朝ドラ『ふたりっ子』テーマ曲『Natural』、1995年の阪神淡路大震災支援のための2日間限定の再結成ライブ

 

「レベッカ」解散後はソロシンガーとして「のっこ」を名乗り、活動を開始していたNOKKOさんでしたが、またしても木暮武彦さんと離婚して離れた直後にヒットソングに恵まれます(笑)。

 

名曲「人魚」

 

 

シャケさんといた時間
のような歌詞です。

 

見つめ合う時は 高波のように
そばに居るだけで 自分を忘れた
その激しさ その声 その胸が
消えてしまった
引用元『人魚』歌詞抜粋

 

『人魚』のリリース翌年にあたる1995年にはNOKKOさんは阪神淡路大震災の復興支援の目的として2日間限定の「レベッカ」再結成ライブをチャリティーで行っています。

 

その後もソロ活動を続け、NOKKOさん個人のシングルも『ライブがはねたら』やNHK朝ドラのテーマソングとなった『Natural』などの楽曲を発表し、当時の人気音楽テレビへの出演やCM出演も果たしています。

 

「のっこ」の曲は、久光製薬、資生堂、カルピス、サンスター、日産ら、大手のCMソングとしても使われた。
引用元:https://a-genzai.com/rebecca-nokko/

 

ところが、2000年に個人としてのソロ活動は休止しています。

 

⇒次ページ【NOKKOさん再婚と高齢出産へ】

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