落合博満の嫁・落合信子若い頃ホステス~結婚後の高齢出産と恐妻名言伝説

◆結婚・夫婦

今回は3回の三冠王に輝いた元プロ野球選手・落合博満さんの鬼嫁として名高い、落合信子夫人の若い頃からのお話とご夫妻の結婚『悪妻だから夫は伸びる』というタイトル通りの名言や伝説を踏まえ、落合信子夫人の旦那の能力を引き出す方法と高齢出産での第一子出産についてをまとめています。

◆元プロ野球選手・チーム監督・落合博満の良嫁!落合信子夫人の若い頃のスナック経営ホステス時代からのド迫力伝説がスゴイ! 画像

 

元プロ野球選手の落合博満さんというと、現役選手時代の若い頃にはプロ野球史上唯一の3度の三冠王を達成し、その後の野球監督時代にもすべての年でAクラス入り、4度のリーグ優勝、そして日本シリーズ優勝も達成するなど名監督として偉業を達成した過去を持つ方です。

 

その鬼嫁・落合信子夫人!

 


画像:http://2chart.fc2web.com/nobuko.html

 

落合博満さんのその数々の若い頃の偉業の裏に、妻・落合信子夫人の存在があったという事も有名なお話です。

 

野球とは無縁の
元・ホステス

 

そんな落合信子夫人がどのように若い頃から旦那・落合博満さんの能力を引き出していったのか?という事を今回は見ていきたいと思います。

 

 

◆1962年(年齢19歳)東京へ上京。落合信子の若い頃の基本プロフィール、長野県出身、出身校飯田女子高等学校の教育指針、血液型は?今何歳?

 

落合博満さんの妻・落合信子夫人は1944年生まれ長野県出身です。2020年で76歳となります。

 


画像:twitter

 

文句なしのケモノ系!

 

●名前:落合信子
●出身地:長野県飯田市
●生年月日:1944年9月18日
●血液型:A型
●最終学歴:飯田女子高等学校

 

落合信子夫人の血液型はA型ということで、夫の落合博満さんのO型を支える比較的いい相性と言われる血液型同士です。

 


画像:飯田女子高校

 

落合信子夫人は1962年に長野県の飯田女子高等学校を卒業後に若い頃に上京されています。飯田女子高校の教育方針はこちら。

 

うつくしく生きる

~「私の人生って素晴らしい」と心から思え、明るく生き生きと生きる人に
参考:飯田女子高等学校

 

おそらく、落合信子夫人も若い頃の女学生時代に女性だけの空間で学び、そうした女性として生きることの意味について向き合ってこられた時代があったものと思われます。

 

 

◆落合信子のもう一つの経歴プロフィールは「旦那の年収を100倍に引き上げた悪妻」伝説!

 

1980年代の「悪妻ブーム」先駆け、原点となる妻のひとりと称される落合信子夫人のもう一つの経歴プロフィールとしては「旦那の年収を100倍に引き上げた悪妻」というものがありました。

 


画像:twitter

 

100倍よ??

時給800円が80000円になるって事よ??

 

なぜ落合信子さんが旦那の年収を100倍にした!と語られるのか?またその一方でなぜ若い頃には「悪妻」と称されてきたのか?について探っていきたいと思います。

 

若い頃から旦那・石原慎太郎さんの人生と家族を支えた良妻・石原典子さんの夫婦の結婚生活のお話はこちら

 

 

◆1979年(年齢35歳)上京後の落合信子の若い頃の職業は貴金属の販売員からのスナックを経営する凄腕ホステス 

 

落合博満さんと落合信子夫人が出会ったのはお二人ともまだとても若い頃である1979年(昭和54年)。それは、落合博満さんの著書『なんと言われようとオレ流さ』の中で語られています。

 


画像:Amazon

 

オレ流の基盤も
若い頃から落合信子流に支えられていたようだ。

 

カミさんと知り合ったのは、ロッテに入団したばかりの昭和五十四年のことだ。
引用元:落合博満『なんと言われようとオレ流さ』

 

それ以前の落合信子夫人は上京した若い頃、1962年から17年間という短くない歳月を女ひとりで身を立てて、東京砂漠と歌われる地で生きていらっしゃいます。(内山田洋とクール・ファイブの『東京沙漠』は1976年発売のシングル)

 

 

東京沙漠に
18年女ひとりは
過酷で長いw

 

落合信子夫人が貴金属販売員というスタートの後に、ホステススナックの経営者となっていることから、おそらく相手の性別を問わず、信頼され、相手の心を掴む営業としての能力がとても高かったことを想像させます。

 

また、それだけ女一人の独身時代からかなり自立した女性だった!という事を伺わせるエピソードでもあります。

 


画像:https://www.asahi.com/

 

落合信子は
落合博満に出会う前から
自分の身は自分で立てる自立女性

 

こうした若い頃からの背景が落合信子夫人に圧倒的な「強さ」というオーラをまず与えていたのではないか?と思われます。

おそらく落合博満さんの年俸100倍後落合信子夫人の指に輝いていた脱臼しそうなほどの巨大ジュエリーの趣味も上京後の職業柄だったと思われますw

 

 

若い頃の苦労は
脱臼系ジュエリーに!

 

愛され妻・シルビアさんの若い頃と旦那の高嶋政宏さんの結婚のお話はこちら

 

そして、1979年、ロッテに入団を目前にした落合博満さんと落合信子夫人はお互いの友達同士が知り合いという縁で若い頃のに出会い、最初の時期は「何となく知り合い」という距離感で過ごされたようです。

 


画像:66666.fc2web.com

 

落合博満さんは当時についてこう語っています。

 

年齢は、オレより三つぐらい上だろうとは思ったが、九つ上とはまったく想像もしていなかった。
引用元:落合博満『なんと言われようとオレ流さ』

 

出会ってすぐに交際に至ったという情報も多くありますが、実際はそれは誤報のようです。何故なら落合博満さんは当時「とある事情」を抱えていたからです。

 

 

◆1980年(年齢36歳)落合信子と出会った後の落合博満には若い頃一度ほかの女性と結婚して離婚歴があった?

 

落合博満さんには落合信子夫人という伴侶と一緒になる以前に、一度別の女性との結婚とその離婚があったようです。

 


画像:スポニチ

 

この件も前述の落合博満さんの著書『なんと言われようとオレ流さ』の中で語られています。

 

過去、オレが一回失敗していることもある(昭和五十五年のオフに、キャンプ地・鹿児島で知り合った女性と結婚したが、翌春離婚

引用元:https://baseball-yakyuu.blog.ss-blog.jp/otiaihiromitu-rikonn-nobuko

 

落合博満はバツイチだった。

 

ちょっとまって。昭和55年というと、1980年。落合信子夫人と最初に出会った「後」のこととなります。

 

この他にも色々と調べてみると、落合信子夫人という伴侶に出会うまでの落合博満さんの人生はちょっと色々と「難あり男」感を感じさせる経歴が多くありました。

 


画像:66666.fc2web.com

 

難あり感満載の若い頃。

 

●秋田工高では上下関係に嫌気がさし、野球部を離れ映画館通い。
●完全に退部ではなく大事な試合だけ監督に呼ばれ、4番を打つ(退部と復帰を7回繰り返す)。
●東洋大でも上下関係に嫌気がさし、ケガもあり半年で完全に退部
●大学の寮を抜け出してしばらくホームレスだった。
●推薦入学だったため、大学も退学
●秋田に戻り、フリーター生活。ボウリングのプロ選手を目指したがプロテストの日に自動車のスピード違反で罰金を払ってしまい、受験料が払えず断念
●東芝府中で臨時工として働き、2年目から4番になったが、プロスカウトに対し会社が拒絶
●1977年にようやく会社から許可が出たが、今度は指名が無し
●長嶋のファンで引退試合を会社を休んで見に行くほどだった。巨人から指名される予定となり大好きな長嶋の元で野球ができるとはしゃいでいた
●1978年、江川事件のため、巨人がドラフトをボイコットし、ロッテ入り。

 

運がいいのか、
悪いのかは分からないけど
「難」が多いのは確か(笑)

 

 

◆1980年以降 旦那・落合博満と妻・落合信子が結婚相手になるまでの若い頃の馴れ初めエピソードは?出会って3日で最初のプロポーズ?6歳年齢サバよみ

 

落合博満さんと落合信子夫人の若い頃の馴れ初めとしてよく語られるのは、喫茶店で男女3対3の合コンのようなものがあり、その後、出会って3日で落合博満さんが落合信子さんに初回プロポーズをしますが断られてしまうというもの。

 


画像:http://baseballlog.blog.jp/archives/4799188.html

 

合コンの際のちょっと微笑ましい(?)エピソードも残っています。

会って最初の頃、落合信子さんがみんなの前で落合博満さんに「落合君、ケーキでも食べない?」と勧めたところ、

「オラァ、いらない」(おそらく秋田弁)で会話を断絶するような回答で、女心だけでなくや置かれている状況周りの空気を一切読もうとしない、無神経男丸出しの様子だったようですw

 

野球バカで
無神経男だったw

 


画像:http://nanj-short.net/article/461307173.html

 

でも、そんな逆に言えば、素直で表裏のない正直なだけの不器用な人間性に対し、ホステスとして多くの男性を見てきた落合信子さんは興味をひかれたようです。

 

 当時からオレ流全開で、ちょっと偏屈というか生意気というか…。9歳年上の信子夫人はハッキリと<落合君にホレたというのではなく、一言でいえば、箸にも棒にもかからない男に興味を持ったということなのです。>と記しています。

 

なんか分かる気がするw

 

口だけがやたらうまくて、優しいようで手慣れている男性というのは、数という経験だけのことなので、都会に出れば、どこにでもたくさん出没します。しかし、本当に女性の心に引っかかるのは、そうした器用さよりも、実は猜疑心を抱かせることがないような正直さや不器用さ、イタイ程の真っすぐさなのかもしれません。

 


画像:66666.fc2web.com

 

真っすぐなだけがとりえ

 

さて、この若い頃の合コンというのが1979年の最初の出会いの場面のことであるとすると、落合博満さんの前婚の事を考えた時に3日でプロポーズという事が少しおかしなことになります。

 

もしかすると、プロポーズを断られた後に他の女性と一度結婚したという事も可能性としてはあったのかも?しれませんが定かではありません。

 

◆落合博満は若い頃に妻にプロポーズを断られていた!理由は「苦労しそうだから」の意味。デートがパチンコ屋?そして多額の歯の治療代を現金で貸す肝っ玉伝説 と名言

 

落合博満さんは前述のように若い頃、落合信子夫人に合計3回プロポーズをしていたようで、そのうち初回はピシャリと断られた訳ですが、なんと2度目も無残に断られています。

 


画像:デイリー新潮

 

その頃、お二人のデートは、お洒落なカフェでもデートスポットでもなく、主にパチンコ屋で(笑)、落合信子さんの若い頃のパチンコの腕はプロ級、自分の身の回り品はパチンコで採っていたそうなので、落合信子さんとしては落合博満さんに時間をとられてパチンコできないのは損失だったのだと思われますw

また、年齢に関しても落合信子さんから6歳もサバ読まれていたようです。

 

そらフラれるわw

 

落合信子夫人が落合博満さんからのプロポーズを2度も断った理由としてはこのようなことが語られています。

 

結婚したら苦労しそうだから

 

落合博満さんはプロポーズを断られ号泣したとも言われています。なぜなら、2度目は最初の「三冠王」に輝いた後だったからのようです。

 

たしかに無念ww

 

先に、この「苦労しそう」についてですが、よく見るとこの言葉には主語がありません。

 

若い頃の落合博満さんには落合信子さん自身が自分と結婚したら苦労するという考えである」と認識したでしょうが、落合信子夫人の心境はそうとも言えなかったのではないかと思います。

 

実際は9歳も年上の落合信子夫人は、自身の苦労というよりも、落合博満さんに対して40歳を目前にした自分を嫁にすること、そしてスナック経営を辞める気のない自分を伴侶にすることは選手として苦労するだろうという目線があったように思います。

 

もちろん、落合博満さんの若い頃の稼ぎの少なさや頼りなさもあったのかも?しれません(笑)

 

個性派男優・古田新太さんが結婚したカッコいい良嫁の西端弥生さんの意外な若い頃についてはこちら

 

◆「三冠王になりたかったら歯を治せ」と現金数百万円を渡す /落合信子若い頃の名言伝説

 

これはまだご結婚する前の若い頃のエピソードだと思うのですが、

 

落合博満さんがまだロッテ時代でかつ一軍半くらいの時期の話として、落合信子夫人のスナックに常連客として通っていた頃の伝説が一つ残っています。

 

 

落合信子夫人はその時、こんな名言を残しています。

 

才能のあるあんたが何故、年俸360万円なの? 私よりも稼ぎが少ないじゃない!

 

確かにごもっとも。

 


画像:66666.fc2web.com

 

その後、落合博満さんに対して、「アンタはプロ野球選手として一体何がしたいの?」と問い詰め、「三冠王になりたい。」と答えた落合博満さんに対し、

 

「じゃ、あんた歯治しなさい」と若い頃の落合信子さんは現金数百万円を手渡して落合博満さんに歯の治療・矯正をさせたという伝説があります。

 

 

情けない男に
現金を投資する肝っ玉

 

このエピソードを考えると、男性として、結婚相手としてまだ合格ラインに達していない落合博満さんでしたが、落合信子夫人は落合博満さんの人間性に対してはこの時点でかなり信用していたという事が言えそうです。

 

当時の落合信子夫人には当時、落合博満さんよりも年上で稼ぎのよい恋人がおり、落合博満さんのことはのように思っていたそうです。

 

旦那さんの夢に出資結婚、離婚した嫁・磯野貴理子さんのお話はこちら

 

 

◆1982年(年齢38歳)落合信子と結婚前に、落合博満が28歳の若さでロッテ時代に史上最年少の三冠王獲得!しかし2度目のプロポーズも断られる伝説画像

 

一方、狙いが定まると、俄然カッコよさが出てくるのが男性という生き物。1982年には落合博満さんは28歳という若さで最初の三冠王を達成します。

 

 

顔の変化も劇的w

 

若い頃の序盤は、こんな眠そうな男(失礼w)だったのに、鋭敏な目をしたカッコイイ戦士になっています。すごい!

歯を治しただけで三冠王ってとれるのww??

 

がしかし。

 


画像:66666.fc2web.com

 

2回目のプロポーズで
三冠王とっても玉砕。

 

ひゅるるるる~

 

その後82年に三冠王をとって告白するが、年収が信子より低いとバカにされる
引用元:https://take.baseball-matome.tokyo/

 

歯も直して三冠王取れたのに、それでもダメだった。この年の落合博満さんは三冠王だけではなく、2年連続のベストナイン(セカンド)、最優秀選手にも選出されていました。

 

でも
三冠王だから何なの?
的バッサリ感。

 

ところが、若い頃の落合博満さんは2度プロポーズに断られてもまだ諦めず、落合信子夫人のスナックへ通い続けたと思われます。

 

それだけでなく落合博満さんは落合信子夫人の実家に押しかけてきたり、落合信子夫人に彼氏がいると知っていて自宅に押し掛けてきたりしていたという情報もありました。

 


画像:twitter

 

若さって、無謀でパワフルw

 

夫人が結婚前のエピソードを「彼氏がいたのに私の家に泊まりこみに来た」と語り、それに対して監督は「だって美人だったんだもん」と返していました。
引用元:知恵袋

 

だって、
美人だったんだもん(笑)

 

もんもんもん

 

落合信子夫人の父親は「巨人の選手でなきゃダメだ」と若い頃に言っていたという情報もありました。しかし、これに関しては38歳にもなる娘が独身でぶらぶらしているところへ言う言葉ではない気がするので、信ぴょう性は薄い気がします。

 


画像:pinterest.jp

 

とにかく
何が何でも

絶対にあきらめない!

 

翌、契約更改では当時「ミスターロッテ」と呼ばれた有藤通世選手を上回る額で判を押し、文字通りのチームの顔となっています。

 

よし、年俸あがったw

 

若い頃にホステスだったデヴィ夫人の結婚大逆転人生はこちら

 

⇒次ページ【落合博満選手の3回目のプロポーズ!見事な修正力で落合信子を伴侶に】

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