「和製シルヴィ・ヴァルタン」として’60のキューティカルチャーに彩りを添えた奥村チヨさんが2018年の年内で芸能活動を引退するということを発表されました。「どうぞぶってね。」とおねだりする姿は当時の男性の心を鷲掴みにし、戦略的なあざとさで魅了しました(笑)。こうした技術(?)も愛されて生き残るには大事なスキルなのかもしれません。そんなキラキラした奥村チヨさんからも色々なヒントをいただいていきましょう!(第1弾)
◆奥村チヨ 芸能界引退理由は!?
高校在学中のCMソングデビューからご活躍されていた奥村チヨさんが2018年1月6日、2018年内いっぱいで芸能活動から引退することを発表しました。
◆引退について所属事務所からのコメント
所属事務所が引退についてのFAXを送信しています。
事務所によると引退理由は「歌手として引き際が肝心と彼女独自の美学に基づいての決断になります。」としていた。
事務所の発表の引退理由は「引き際が肝心とする彼女の美学を尊重」というニュアンスですね。「引き際」として理想の形が奥村さんには確固とした理想があるようですね。
◆奥村チヨからファンへの感謝のお手紙
奥村チヨさん自身も「ファンの皆様へ」と題したコメントをサイトで発表しています。
私、奥村チヨは1月24日発売のアルバムに新曲“サイレントムーン”を入れ今年いっぱいで歌手活動を卒業する事を決心致しました。
今迄ファンの皆様そしてスタッフの皆様にささえられいつも元気を頂き本当に楽しくお仕事をさせて頂き大変幸福でした。
「大変幸福でした」という感謝の言葉がとても心に残ります。最後の曲が新曲の「サイレントムーン」という名前のものだということです。
また、デビュー以来多くのヒット曲にも恵まれさらに私が40才代の時には“恋の奴隷”の歌と共に私のファッションもとても若い方々に気にいって頂き最高にハッピーでした。
最高にハッピーでした。
歌だけでなく彼女の存在が発信となって、時代のひとつの色となって存在感を残せたことに対してハッピーだったと振り返っています。キューティー世代として人気でしたね。
私は人生はいつも引き際が大事だと思い、本当は2014年に母が亡くなった時にもう完全にやめようと思っていたのですが、ついつい私の好きな作品とめぐり会ってここ迄来てしまいました。
彼女自身の言葉の中から、引退理由のひとつが出てきました。お母さんが亡くなった時に最初に「やめよう」と思っていたということですね。
しかし、「そのようなやめ方ではいけない、自分の好きな感動できる歌に出会ったら、その時にやめよう」そんな風に考えていたとのことでした。
私自身の事よりも、今迄応援して下さったファンの皆様の事を思えば大変心が痛みますが、長年に渡り今迄熱いエールを送り続けて下さり、心から御礼と感謝を申し上げます。
今まで支えて下さったファンの方々に対して感謝と引退することで今後奥村チヨさんの活動がなくなることへの配慮をされています。
そして最後に私は感動できる歌にめぐり会いました。“サイレントムーン”この歌で卒業したいと思います。長い間本当にありがとうございました。
芸能活動最後の作品として「サイレントムーン」を大変ご自身が気に入っているというお話をされていますね。
「芸能活動をやめる為の納得できる曲」に出会えたということなのでしょう。
これが最初の第一報でした。
その後、引退情報が流れてからいくつかの番組に出られたようですが、「ごごナマ」の放送内では改めてこのようなお話をされています。
現在は主婦としてマイペースに生活を送りながら引退に備えています。
主婦としても、マイペースな生活も大事にされていることが分かりますね。デビューしてからとても忙しい時代が続き、睡眠時間2時間というときもあったといいます。
総合的にみると、これまでの芸能界での活躍を振り返り、自分自身の芸能界での人生に満足し、充足できたということ、それを支えてくれたファンの方々への感謝。
あとは自分自身の年齢を考えた時におそらくですが、自分と共に歳を重ねてきたファンの方々ももうかなり高齢だということで、お互いにゆっくり余生と向き合って過ごした方がいいのではないか、というそうした判断から決心されたのかなと思います。

◆現在の年齢は?顔シワシワってホント?写真画像あり
現在、奥村チヨさんの年齢はというと、1947年生まれですので2018年現在で71歳となります。
一部で顔がシワシワなんて書かれていますけれども、71歳ですよ????むしろ、不自然なくらいシワないんですけど・・・。

◆若い頃の可愛い顔写真・旦那さん(浜圭介)画像
それでは奥村チヨさんの若い頃を見ていきたいと思います。
◆キューティー世代の象徴的存在!「和製シルヴィ・ヴァルタン」
若い頃の奥村チヨさんの写真を探していきましょう。「和製シルヴィ・ヴァルタン」として’60のキューティカルチャーに彩りを添えた奥村チヨさん。キューティー世代の特集では必ずと言っていいほど名前が登場します。それほど若い人たちに影響力があったということですね。
そもそもシルヴィ・ヴァルタンてだれ??という方もいらっしゃると思いますのでご紹介すると、フランスの歌手でハスキー・ヴォイスと容姿やファッションで一躍若者のアイドルとなった、キューティカルチャー代表格の女性です。

シルヴィー・ヴァルタン

かわいいでしょ~??
奥村チヨさんも舞台は日本になりますが同じように歌だけでなく、ファッション、メイク、「存在自体」が若い世代に大きな影響を与えました。ご本人もそのことについてファンへの「お手紙」で語っていましたね。再度見てみましょう。
奥村 また、デビュー以来多くのヒット曲にも恵まれ、さらに私が40才代の時には“恋の奴隷”の歌と共に私のファッションもとても若い方々に気にいって頂き最高にハッピーでした。
ご本人もそうしてまるっと存在を認めてもらえた実感があったことが最高にハッピーだったということなのでしょう。とても幸せなことですよね。奥村さん自身も真剣に向かっていたからこそ、しあわせの感度が高かったのかな?と思います。

◆「ごめんねジロー」でデビュー! 若い時は「東芝3人娘」
一番右側が奥村チヨさんです。小悪魔な笑顔に独特の色気とカッコよさを感じますね!
奥村チヨは高校卒業後の1965年に東芝から「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビュー。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、コケティッシュな魅力と甘えた歌い方でたちまち人気を集めます。
人気絶頂3人娘です。黛ジュン・小川知子と共に『東芝3人娘』と呼ばれ、当時の東芝が誇る人気歌手3人となりました。世間でも人気を博していきました。
1965年 「ごめんネ・・・ジロー」
デビュー作になります。デビュー作だけに爽やかな笑顔。こちらのB面の「私を愛して」はな何を隠そうシルヴィ・ヴァルタンのカバーナンバー。
1967年 「北国の青い空」
ハイカラなイメージが高度経済成長期のモダンな雰囲気を醸し出しています。
◆代表曲「恋の奴隷」奥村チヨを苦しめた「恋の三部作」
「恋の奴隷」がミリオンセラーを記録
名実ともにトップスターの座へ
これが奥村チヨの代名詞となります。過激な歌詞からも男性にとことん尽くす従順なイメージを刷り込みされてしまい、熱烈な男性からのストーカー被害を受けることになります。栄光の陰にあった苦しみの時代を生むことになったということでした。
1969年ー1970年「恋の奴隷」「恋狂い」「恋泥棒」
悪い時は どうぞぶってね
タイトルもタイトルですが、今だったら放送どころか販売禁止になりそうな歌ですね(笑)奥村チヨさんの、代表曲「恋の奴隷」が男性に従属的な歌詞であったため、奥村自身は歌うことをためらっていたといいます。その時のことを奥村さんは自叙伝の中でこのように話しています。
だって、歌詞の内容が実際の私とは正反対だったし、男の人に媚びるような女性は私としてはとても苦手だったんです。
恋の奴隷=奥村チヨという間違ったイメージが付きまとうのがたまらなくイヤでした。
あなた好みの あなた好みの
女になりたい
世の男性はすっかり、官能美を極めた奥村チヨの虜となってしまい、ファンによるストーカー騒ぎまで勃発する事態になっていったということです。
いけないことだと 言われていたの
こうして新たに独特の官能的な魅力も加わっていきます。ただ、これは商品戦略として事務所に与えられた偽りのものだったのですね。とにかく歌詞の破壊力がスゴイですね。でも歌っている姿はとってもキューティです!(笑)かわいいなあ~。
初めてNHK紅白歌合戦出場も果たします。NHKでは内部規則により「恋の奴隷」の歌唱が禁じられていました。その為、紅白では「恋泥棒」を歌いました。
NHKでは歌唱が禁じられるほどの内容だったのですね。「恋の三部作」は大ヒットと裏腹に奥村チヨを精神的に追い込むことになりました。
◆「終着駅」で浜圭介(夫)と結婚!子供はいるの?
自身のイメージを脱却し、歌手引退も辞さない強い希望で実現に至った曲「終着駅」も40万枚の大ヒット 。作曲した浜圭介も、作曲家として息を吹き返しました。
1971年 「終着駅」
これが、ご縁で 二人は1974年に結婚されます。
夫から、君は芸術品だから、ただそこにいてくれるだけでいい、といわれています。
インタビューで奥村チヨさんはこう語っていました。とても愛されているようですね。

私も石膏像と暮らしています。
奥村チヨさんが夫を決める時、保護猫を飼って欲しいと連れて行ったら、浜圭介氏はその保護猫を飼う事に同意した。
彼女の親友、佐良直見さんいわく「彼は優しい人だという証し。」そして二人は結婚。その後50匹頭近い地域猫の避妊手術をしたそうです。感謝!
ご夫婦二人で一緒に何かをやっていけるということはとても幸せなことですね。
お二人の間には お子さんはいらっしゃらないとのことです。ですが、おしどり夫婦であるということはとても有名です。少なくとも猫ちゃんのお父さんとお母さんではありますね♪
結婚後、芸能活動を一時中止している時期もありましたが、1980年に「せめてさよならは・・・」をリリースして歌手活動を再開されました。
1980年に「せめてさよならは・・・」
ここからの活動はディナーショーなどのステージを中心に、マイペースな活動となりました。
1993年には、60年代ブームに乗って「恋の奴隷」が再ヒットしました。個性的なスタイルと、時代を先取りしたファッションにも注目が集まり、新しい若い世代のファンも数多く獲得しました。
1993年に流行したときには’60年代の流行時とは異なり、多くの女性ファンに羨望の眼差しで受け入れられたことから、長く苦しめられてきたこの歌への気持ちも大きく変化したのではないかと想像します。

◆引退にあたって、夫・浜圭介からの手紙
今回の引退に当たって、夫であり作曲家の浜圭介氏から感謝の手紙が届いたとのことでした。
「私も歌手・奥村チヨのファンの一人。¨終着駅¨が聴けなくなるのは寂しいがそれはあなたが決めたこと、お疲れさま」と素直に妻の引退を受け入れる心情を吐露していた。
芸能生活が終わるまでずっと、支えてくれた旦那さんは「終着駅」を楽しみにするファンのひとりだったのですね。おそらく、ご自身が作られた「終着駅」をここまで大切に歌い続けてきてくれてありがとう、という気持ちもあったことでしょう。素敵なお話ですね。
いかがでしたか?日本中の男性を虜にした奥村チヨさんの戦略的かつあざとい姿は事務所から押し付けられた偽りの姿であったことで、ご本人もとても苦しめられる時間が多かったことが分かりました。
ただ、全く同じ歌詞の1曲が30年余りの時を経て、今度は女性の心を鷲掴みにすることも経験をしました。曲は自分を苦しめた曲と何一つ変わらないのに、とてもしあわせに変わったもの、それは何だったと思いますか?

今回もたくさんの刺激的キラキラ成分をいただけた回となりました。次回は奥村チヨさんのお金がかからないスーパー美肌術とみうらじゅんさんとの関係などに迫ります。お楽しみに♪

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