大竹しのぶの若い頃の元旦那・服部晴治は略奪結婚後に癌で死別。再婚した元夫さんまは今離婚後も息子と交流
1977年の第1回日本アカデミー賞優秀助演女優賞初受賞から2016年の第40回日本アカデミー賞での 優秀主演女優賞まで数えきれないほどの女優としての功績を残し、2011年には秋の褒章において、紫綬褒章を受章するなど、日本を代表する女優として活躍を続けている大竹しのぶさんですが、若い頃には2度の結婚をされています。
今回は大竹しのぶさんの1度目の結婚である服部晴治さんとのお話にスポットを当てて情報を調べてみました。2番目の明石家さんまさんとのコントラストが面白い展開となりました。
◆女優・大竹しのぶには可愛い若い頃に、元夫・明石家さんまより前の結婚と元旦那・服部晴治がいた 画像
女優・大竹しのぶさんの元旦那さんというと真っ先に思い浮かぶのはお笑い界の大御所、明石家さんまさんですが、実は大竹しのぶさんは明石家さんまさんのさらに前に元夫の服部晴治さんという男性とご結婚されていました。
画像:https://actor-entertainer.com/ootakeshinobu-nodahideki/
とにかく可愛らしい
大竹しのぶ
服部晴治さんは
こんな人。
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この写真だけを見ると若い頃の大竹しのぶさんと服部晴治さんという男性はどこにでもいそうな爽やかな若いカップルに見えるのですが、色々な人間とその感情が絡み合った末の結婚となりました。
◆女優・大竹しのぶの若い頃の元旦那さん服部晴治はモテモテバツ2の敏腕プロデューサー?プロフィールと簡単wiki 写真
服部晴治さんはTBS局のやり手プロデューサーだったようです。現在でも大竹しのぶさんがTBSの番組をひいきにしている印象があるのはこのためなのかもしれません。
画像:https://エンタメ芸能最新ニュース.com
でも、
結婚生活はというと
実質5年間程度。
生年:1939年生まれ(推定)
職業:TBSプロデューサー、ディレクター
代表作品:『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』『ムー一族』
1980年 TBSドラマ『恋人たち』演出に携わる
1982年 女優・大竹しのぶと結婚
1983年 長男息子の二千翔(にちか)くん誕生
1984年 末期の胃がんが告知
1987年 死去(享年48歳)
画像:twitter
かなり
モテる人だったらしい。
服部さんは東芝日曜劇場を手がける売れっ子テレビマンでしたが、私生活ではバツ2のモテ男。
引用元:Asagei
「かなりモテる人」と「魔性の女」が出会ってしまいました。
◆大竹しのぶの元夫・服部晴治には前妻が2人いてバツ2の上、子供も3人いた
バツ2。
画像:https://anabre.net/archives/post-13016.html
調べてみると、大竹しのぶさんの元旦那の服部晴治さんの最初の妻はミッションスクールで英語の教師、二番目の妻は宝石デザイナーだったようで、それぞれにお子さんがおり、最初の妻との間にはお子さんが二人、二番目の妻との間にも子供が一人いたようです。既に3人のパパだった服部晴治さん・・・。
■夏井いつきさんと元夫との結婚離婚と苦労の若い頃のお話はこちら↓

◆大竹しのぶは高校生時代の若い頃から芸能界デビューしていた!幼少期に父親と離別した過去 画像
一方大竹しのぶさんは両親と5人兄弟という7人の大家族の中で育ったようです。若い頃の大竹しのぶさんはそのうち4人目の3女でした。東京都品川区西大井に生まれますが、父が東京電力で働いていたものの、結核にかかり、大竹しのぶさんがわずか小学校1年生の時に一家は埼玉県入間市に移ります。
父親が結核にかかり
病弱に。
画像:https://trendnews.tokyo/?p=15734
16歳で芸能界デビュー。
幼少期の大竹しのぶさんは小学校2年生の時には舞台女優になりたいと作文に書いていたと言われています。運動神経も良く学習もでき、はつらつとした女の子だったようです。
大竹しのぶさんが高校1年生というかなり若い頃に北公次さんの『ボクは女学生』の一般公募に応募し、芸能界デビューを果たします。さらに高校3年生の時にはNHK朝ドラ『水色の時』のヒロインとして出演し、全国に名前を轟かせました。
父性が恋しい気持ち
はここから?
輝かしいデビューと活躍の裏で、家族が入間市に移ってからは父親の入退院が続き、とても貧しい生活をされていたようです。父親も入退院を繰り返し、闘病生活が続いた結果、大竹しのぶさんが20歳の時に他界されていたそうです。
◆大竹しのぶと元旦那さん服部晴治の馴れ初め、出会いは昔の出演TBSドラマ『恋人たち』
1980年に放送されたTBSドラマ『恋人たち』では根津甚八さん演じる笹本道太郎の相手役として、大竹しのぶさんが土方典子役を演じます。
画像:https://netabuzz.com/entertainment/seizi/
この配役もその後の実際の出来事の伏線のように思える印象で、根津甚八さん演じる笹本道太郎には、大竹しのぶさん演じる土方典子とのロマンスの前に、彼女の姉・土方典子(演 田中裕子さん)が恋人として存在していました。
画像:https://blogs.yahoo.co.jp/lenosalah/3091575.html
三角関係~
キタ――(゚∀゚)――
大竹しのぶさんの姉役として出演し、負けないくらいの妖艶さを持つ女優・田中裕子さんもこの時代はまだ『おしん』として全国から注目される女優さんになる前の若い頃ですから貴重な時代の大女優たちの共演と言えます。そのドラマの演出をされていたのが、のちに大竹しのぶさんとご結婚される服部晴治さんということになります。
■大竹しのぶさんと共演した田中裕子さんも若い頃に略奪結婚をされています↓

◆大竹しのぶのかわいい若い頃の元旦那・服部晴治との入籍は婚約者・中村晃子からの大胆な略奪結婚と言われた 画像
ところが、当時の服部晴治さんには事実婚とも婚約者ともいえる女性の存在があったようです。その方も芸能人で女優で歌手の中村晃子さんだったというのですから、テレビ局の仕事に携わる方としては多少「???」な部分も否定できなくはないです。
画像:https://career-find.jp/archives/215233
婚約者と言われた
中村晃子の存在。
若い頃の服部晴治さんと女優の中村晃子さんは既に結婚を見据えての同棲状態であり、「婚約もしていた」と言われる状態だったようです。この時点でも当時の服部晴治さんは「バツ2」だったという事ですから、なかなかです。
しかし、
大竹しのぶに出会ってしまった。
ドラマに端役で出演していた大竹は緑山スタジオで人目をはばからず服部さんにすり寄り甘えていた。
一部の先輩女優からは、“女”を使って枕営業で役を得る大竹とは共演NGと厳しく非難する声もあったが、意に介さなかった。あの舌足らずな口調で、好きな相手には目を見つめて質問攻撃をするんです。どんな男でも落ちますよ」(TBS関係者)
引用元:Asagei
ここは余談ですが大竹しのぶさんの母方の祖母八重さんは小山内薫氏の自伝書である『背徳者』の絹子のモデルだったと言われています。絹子という女性は周囲の男性をみるみる虜にする女性として描かれており、、小山内薫氏もその一人だったようです。
画像:http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1330.html?sp
「魔性の女」には
おばあちゃんの血もあるのかもしれません・・・。
◆大竹しのぶの若い頃の元旦那・服部晴治に元婚約者・中村晃子の存在!? 尾行で発覚した泥棒猫の略奪愛
前述の通り、大竹しのぶさんと出会った頃の服部晴治さんには女優で歌手の中村晃子さんという女性の存在がありました。中村晃子さんは1948年生まれということで、1957年生まれの大竹しのぶさんよりも9歳も年上の女性です。
画像:pinterest
若い頃の大竹しのぶさんと服部晴治さんの出会いのきっかけとなった1980年のTBSドラマ『恋人たち』に放送された当時、大竹しのぶさんは23歳になる年齢、一方中村晃子さんは32歳になる年齢ということになります。当時の時代を考えると、32歳で結婚話が破綻するというのは年頃の女性にとって怒りで震えるような大きなショックになったのも頷けます。
「泥棒猫!」
・・・と中村晃子さんは若い頃の大竹しのぶさんに怒りをあらわに叫んだと言われていますが、昭和のマスコミの話なので、事実かどうかは不明です。けれども一般的に女性はこういう場面で男性に対してよりも相手の女性へ憎しみを抱きやすいという傾向はどの時代でもある気がします。
画像:https://エンタメ芸能最新ニュース.com
この場面で
責められるべきは
男の人だよね(;’∀’)
また、中村晃子さんに関しては20代には最初のヌードも発表し、セクシーな女性として世の中では認知されていた女性だったようですし、丁度1980年にはTBSドラマ『離婚ともだち』の挿入歌として中村晃子さんが歌った『恋の綱わたり』が当たり、4位を記録、30万枚を超える久々のヒットとなった忙しい年でもありました。
芸能人としても女性としても誇りがあったでしょうから、9歳年下の若手女優に婚約者を持っていかれるとなれば、プライドもズタズタにされたことだろうと思います。
正直、
外観だけで言えば
中村晃子さんの方が圧倒的に美形。
画像:https://actor-entertainer.com
話によると、
中村晃子さんが尾行して分かったらしい(;’∀’)(;’∀’)

そんなことを女性にさせてはなりません。
中村晃子さんは服部晴治さんと当時同棲していたので、その頃の生活の様子がどうもおかしいと感づいたようです。そして、仕事終わりの服部晴治さんを尾行した際、服部晴治さんの車に乗ってきた大竹しのぶさんと服部晴治さんが信号待ちの間にキスしているのを目撃してしまったと言われています。
その後、中村晃子さんは服部晴治さんとの同棲だけでなく関係も解消したことで、若い頃の大竹しのぶさんは結果的に「略奪愛」「略奪結婚」となる形となってしまったようです。
画像:https://bokuwatageinou.com/ootakesinobu-wakaikoro/
いや…それでは確かに大竹しのぶさんを擁護しすぎかもしれません。大竹しのぶさんは服部晴治さんと中村晃子さんの関係については知っていたのです。
「服部さん、中村さんとは結婚するんですか?」ストレートに訊く自分に驚いた。彼は困ったような表情を浮かべている。
「うーん、わからないなぁ。だって・・・、彼女と結婚したら、しのぶちゃんとこんなふうに会えないでしょ」
引用元:大竹しのぶ 著『私一人』
共犯という感じでしょうかね(;’∀’)
大竹しのぶさんの若い頃の「略奪愛」「泥棒猫」「魔性の女」のレッテルはこの話から来たものだったようです。正直、個人的な感想から言うと、女性にこのような汚名を背負わせてしまう男性、女性から恨みを買って別れる男性というのはいかがなものかと思ってしまいます。
おおよそ大竹しのぶさんが最後の女で終わっている服部晴治さんのお話ですが、調べていくと大竹しのぶさんと結婚後も仕事柄、銀座のクラブへ飲みに行く機会が多く、ホステスの中にも彼女が何人もいたという情報もありました。いくら調べても「その時代のプロデューサーだったんだな」という印象しかありません。
どこが良かったんだろう・・・。
◆大竹しのぶに昔、服部晴治を略奪結婚された元婚約者の中村晃子のその後・・・
1982年に服部晴治さんは年齢17歳差で若い頃の大竹しのぶさんとご結婚。
中村晃子さんはそれから5年後の1987年には高橋揆一郎の短編小説『雨ごもり』を元に新井晴彦氏が脚色、上垣保朗氏が監督を務めた日活ロマンポルノの映画『待ち濡れた女』で大胆な濡れ場を演じています。
画像:https://career-find.jp/archives/215233
接近する台風に備え、山間の一軒家に一人で暮らすつやは買い物に出かけた。その途中、彼女は河原に車を止めた一組のカップルを目撃する。買い物から戻ると、玄関の前で別居している夫の長吉が待ち構えており、つやに復縁を迫った。
(引用:Yahoo!ジャパン映画)
時期的に、破局のダメージからそろそろ本当に立ち直らなければならないと意を決して立ち向かった作品という印象が残ります。「待つ女」というひとつのイメージを中村晃子さんもまた背負わされていました。中村晃子さんがその後、ほかの男性とご結婚されることはありませんでした。
画像:https://miima.jp/3044
50歳を超えた頃に中村晃子さんが弟さんのご一家と千葉県習志野市の豪邸で暮らされているという情報があったのが救いです。
■略奪結婚が噂されている阿川佐和子さんの若い頃と熟年婚のお話はこちら↓

◆大竹しのぶが昔、出産した子供(長男息子)二千翔(にちか)の父親は元旦那・服部晴治 画像
さて、服部晴治さんと若い頃の大竹しのぶさんの間には結婚した翌年にあたる1983年に 長男息子の二千翔(にちか)くんが誕生しました。名前の由来は「21世紀にはばたいてほしい」という意味だったようです。
しかし、その誕生より先に大竹しのぶさんは重大な局面に出くわしています。
画像:Asagei
旦那・服部晴治が
末期がんであることが分かる。
余命宣告も。
医師から余命宣告を受けても、大竹は『それでも子供を産みたい』と長男を出産している。局看板ディレクターと結婚し、女優、妻、最後に母としての座を死守した大竹の執念は見上げたものと言うしかない(芸能デスク)
引用元:Asagei
たった4年間の
「家族」揃った生活
となりました。
画像:https://anabre.net/archives/post-13016.html
夫・服部晴治さんが亡くなるまでの数年間、大竹しのぶさんは献身的に夫の闘病生活を支えます。
◆大竹しのぶが昔、出産した子供(第二子長女・娘)IMARU(いまる)の父親は元旦那・明石家さんま。名前で家族をひとつに。画像
余談ですが、大竹しのぶさんの第二子長女の娘さんであるIMARUさんの父親は大竹しのぶさんが若い頃に再婚した二番目の旦那さんである明石家さんまさんとの間のお子さんです。
画像:https://oreno-trend.biz/2018/09/07/kosuteru-shiin-sanma-keireki/
多くの男性が「連れ子」との信頼関係をうまく作れずに連れ子の心に「痕」を残して終わってしまう中、明石家さんまさんは最初から血のつながった実子のIMARUさんよりもできるだけ大竹しのぶさんの連れ子である二千翔さんの気持ちを丁寧に大事にしてきたようです。
明石家さんまさんには3歳の時に実母を亡くし、さらに大切にしていた血のつながらない「弟」を若くして失くす経験を持っていました。明石家さんまさんご自身も継母に育てられた歴史を背負っています。
画像:https://newsmatomedia.com/sanma#i-3
兄と自分は
継母にどうしても
受け入れてもらえなかった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら、『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。二人でよう二段ベッドで泣きましたわ…。
引用元:https://newsmatomedia.com/sanma#i-3
そうした経験から、自分と大竹しのぶさんの間に生まれたIMARUさんが誕生した際、明石家さんまさんが考えていたのはIMARUさんの誕生によって家族をバラバラにするのではなく、また新しく家族を強固なものとするひとつのきっかけにしたいという気持ちがあったようです。
にちかくんを
みんなで囲む構図。
2 にちか(二千翔)
3 さんま
4 しのぶ
IMARUさんの名前は「い」から始まる言葉にしたいということが先に決まっており、「いちご」なども候補だったようですが、それは大竹しのぶさんの母親が反対し、「生きてるだけで丸もうけ」を由来した「いまる」さんという名前となったそうです。
ステキな名前。
二人の大物芸能人の子供という運命に生まれたIMARUさんが数奇で過酷な人生を歩むかもしれないという可能性を想像して、さんまさんは娘の人生をいつも傍で励ますためにこんな素敵なお守りのような名前を付けてくれたのかもしれません。
画像:https://www.netanetacatch.com/archives/3815
正直、私も自分の離婚後に再婚をしないと決めてきた大きな理由のひとつとして「これ以上、我が子に生きていく上で不必要な負担与えかねないこと」について、自分が自分の人生の選択肢として設けること自体が受け入れられないということからでした。
(※連れ子再婚され方を非難する意味ではなく、初婚よりはるかに難しい再婚をうまくいかせることについて自分はそのスキルに自信が持てなかったという事です。)
画像:https://kyun2-girls.com/archives/1471
こういう背景を知ると、
さんまさんのユーモアが
いかに尊いかを感じます。
大竹しのぶさんは前夫・服部晴治さんを亡くして割と早い段階で明石家さんまさんと再婚しており、「うっかり婚」感も、もしかしたらご本人には未だにあるのかもしれませんが、
大竹しのぶさんにとって自身の人生の色まで変えてしまいかねない子供たちという宝物を一緒に同じように大事にしてくれた明石家さんまさんは、本当に大竹しのぶさんの事を愛していたし、大事にしようと思っていたんだなと、私はちょっと泣きそうになりました(笑)
画像:https://mens-modern.jp/34782
超かっこいい。
明石家さんまさん。
■広末涼子さんが再婚したカッコイイ元旦那さんのお話はこちら↓

◆女優・大竹しのぶが若い頃の元旦那・服部晴治との死別。死因となった病気は胃がん。余命宣告や異変もあった
そういうわけで、様々な人間を巻き込んで結婚した夫・服部晴治さんは結婚後1年には胃がんがあることが分かり、大竹しのぶさんはその事実を抱えて出産し、乳児を抱えながらその闘病生活を支え、女優としても活動してきていたようです。
画像:https://エンタメ芸能最新ニュース.com
ともかく波乱万丈。
夫の余命宣告も受けていた。
あと・・・・・、彼はどのくらい生きられるんですか」私は、医師の白衣をつかんで問い詰めた。涙がさらに流れ落ちる。
「だいたい一年くらいです」
医師が重い口を開いた瞬間、全身の力が抜けていくのを自覚した。結婚して一年余りの私たちに、こんな現実が待ち受けていようとは。
引用元:大竹しのぶ著『私一人』
大竹しのぶさんが妻として余命宣告を受けたことは夫である服部晴治さんには伝えていなかったようです。
そして、結婚から5年後、長男・二千翔(にちか)くんが生まれてから4年後にあたる1987年、大竹しのぶさんの夫・服部晴治さんは帰らぬ人となりました。
■椎名林檎さんの長男もお父さんを亡くされています。

◆大竹しのぶは元旦那・服部晴治の口臭から異変を感知したらしい
死因は「癌性腹膜炎」というものだったそうです。「胃がん」から発生していたものでした。元々大竹しのぶさんが旦那である服部晴治さんの異変に気付いたのは就寝中の口臭だったと言います。そこから検査をしたところ胃がんが見つかったと言われています。
癌性腹膜炎とは?
胃、大腸、膵(すい)臓、肝臓、卵巣などのがんが進行すると、腹腔(ふくくう)内にがん細胞が散らばり、腹膜に砂粒状の腫瘤(がん)が無数に生じ、腹水がたまります。これががん性腹膜炎です。腹がはって、痛くなり、食事がとれなくなり、無理に食事をしてもすぐに吐いてしまい、全身が衰弱していきます。
引用元:時事メディカル
就寝中の口臭で病状が分かることがあるようです。
●糖尿病→体臭や口臭が甘酸っぱいニオイ
●慢性肝炎→かび臭いニオイ
愛した人を見送る役目。
87年、緑山スタジオで行われた服部氏の葬儀で、憔悴した大竹が幼い長男・二千翔(にちか)君の手を引く姿が見る者の涙を誘った。
引用元:https://brandnew-s.com/2018/11/21/ootakesinobu-ht/
大竹しのぶさんが人生最初に見送った大好きな男性は実の父親だったのではないかと思いますが、その後、最初の旦那さんである服部晴治さんを見送ります。
愛する人が多い大竹しのぶさんの人生の宿命として「見送る役目」というのがありそうです。そう思うと、愛すること、愛されることというのはとても大きな財産を得ると共に、最後には大きな痛みを納めなければなりません。
画像:朝日新聞
大竹しのぶさんの「しのぶ」という名前は代々キリスト教の家系であることから聖書に由来しているようで、一説によるとマタイ伝24章の「終わりまで耐えしのぶ人は救われる」からとられているというお話です。
◆大竹しのぶの元夫・服部晴治が亡くなる1週間前に準備した誕生日プレゼントは舞台『ピアフ』でつけられてるペンダント?画像
服部晴治さんが亡くなるちょうど1週間前が大竹しのぶさんの30歳のお誕生日だったそうです。
画像:https://www.pasonica.com/大竹しのぶ/
病床にありながら
誕生日プレゼントを用意してくれたことに感動。
服部さんは酸素マスクを付けながらも「引き出しを開けて」と病室で大竹に告げた。
そこにあったのは大竹の30歳の誕生日を祝福するプレゼントのペンダントだった。服部さんは「自分で買いに行けなくて。めいっ子に頼んだんだけど」と言ったという。大竹は「心電図も付けて、酸素マスクも付けている状態で誕生日のその日に『引き出しを開けて』って用意してくれている。優しさと愛を最後まで見せてくれた」と、しみじみと述べた。
引用元:デイリー
舞台
「ピアフ」&「愛の讃歌」
画像:ステージナタリー
大竹しのぶさんが舞台「ピアフ」に出演されているときにつけるペンダントがあります。
画像:Oricon
大竹しのぶさんが舞台「ピアフ」に出演されるときに思いを寄せるのはいつも服部晴治さんのようなので、しばしば身につけられているこのペンダントがその贈り物なのではないかと勝手に私は思っています(笑)。
マルセルの飛行機事故で愛が引き裂かれるなど、波乱万丈な人生を送ったピアフに対して大竹は「私も経験があったので…」と、夫であった服部晴治さんとの死別を振り返り
「(ピアフから)力をもらえる。人を愛するとかは生きる力になるんだなと、歌っていて思う」と、歌に注ぐエネルギーに感銘を受けていた。引用元:oricon
服部晴治さんという男性は女性にモテるだけあって、とても女性が感動するミットに向かってきちんとボールを投げることができる人だったのだなという印象を受けます。
■白血病で父親を亡くされた中川翔子さんのお話はこちら↓

◆大竹しのぶの元旦那・服部晴治が昔、明石家さんまに託した妻子
服部晴治さんが亡くなる前にしていたことがもう一つありました。それは若い頃の大竹しのぶさんがドラマ「男女7人夏物語」で共演し、家族ぐるみでも親しくなった明石家さんまさんへ手紙を託していたということです。服部晴治さんと明石家さんまさんもテニス友達だったようです。
画像:ミドルエッジ
「亡くなる2カ月くらい前」に、さんまに「自分の体調があまり良くないので、僕が遊べない分、しのぶのことをどうぞよろしくお願いします」といった趣旨の手紙を送っていたという。
引用元:デイリー
男と男の約束も
そこにはあったのかもしれません。
画像:デイリー
服部晴治さんに託されたことを胸に、明石家さんまさんは人気絶頂期にもかかわらず服部晴治さんの死後、眠れない夜を過ごす大竹しのぶさんからの電話を自宅で毎晩のように待っていたようです。
服部さんの死後、大竹とさんまは映画「いこかもどろか」で共演。さんまは大竹が夜、眠れない時は「いつも必ず電話の相手をしてくれていました。(午前)2時でも3時でも4時でも」といい、「優しい人」と交際に発展していった。
もっとも、さんまは「2時でも3時でも4時でも自分の出演番組を見てますから」(司会の東野幸治)といい、大竹は「今から思えば、どうってことなかった。だまされましたね」と笑っていた。
引用元:デイリー
■電話が馴れ初めの唐沢寿明さんと山口智子さんはこちら↓


どうも大竹しのぶさんはさんまさんに対しては評価は高くないようです(笑)
◆夫・服部晴治の子供で大竹しのぶの息子・二千翔の大学、職業は?今現在写真
若い頃に大竹しのぶさんが出産した長男・二千翔さんは2歳で父親を亡くした後、かなりの秀才に成長し、勉強が好きな男の子だったそうです。3歳で継父となる明石家さんまさんと出会い、ご夫婦の離婚の際には「さんまさんの方へ行く」と言い張っていたと言われています。
画像:https://エンタメ芸能最新ニュース.com
連れ子が血のつながらない
継父のさんまさんへ付いていきたいという快挙。
画像:ミドルエッジ
スゴイなw
その後、大竹しのぶさんの長男・二千翔さんが高校受験の時には、慶應義塾大学、慶應義塾志木、早稲田大学高等学院、立教新座、青山学院高等部と次々に難関校へ合格し、結局大学は慶応義塾大学へ進まれたようです。
秀才に育った背景には大竹しのぶさんが明石家さんまさんと離婚後に交際していた野田秀樹さんの影響があったと言われています。野田秀樹さんは中退はしていますが、若い頃に東京大学法学部へ通っていました。
画像:http://i-article01.com/2016/06/13/大竹しのぶの息子の驚きの職業とは野田秀樹との/
大人になった大竹しのぶさんの長男・二千翔さんは、以前はIMARUさんも担当していたようですが、その後大竹しのぶさん専属のマネージャーをされていたようです。芸能情報総合サイト「narrow(ナロー)」を運営していると言われています。
#大竹しのぶ さんによるコラム「大竹しのぶ まあいいか」。今回は長男の二千翔さんと元夫の #さんま さんと3人で食事をした話です。血のつながっていない2人の関係や #さんま さんの幼少期、今だからこそ話せたこと……。読み終えたあとに心がほっこりとするコラムです。 https://t.co/CyYy91lry3 pic.twitter.com/8Gg07K1e5p
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) February 2, 2019
大竹しのぶさんによると、長男・二千翔さんの性格は「のんびりしていて、経済の本ばかり読み、すごいケチ」だそうです(笑)。これは、長男・二千翔さんがしっかりお仕事されているという誉め言葉なのかも?しれませんが、一方で女性に対してお金を使うのは「無駄」という話をすることからも来ているようです。
それを今も父親として
息子に説教する
明石家さんまさん。
素敵すぎる。
◆大竹しのぶの昔の二人の元夫。死別した「服部晴治」と離婚した「明石家さんま」の人間性を表す表現の対比が面白い
若い頃の大竹しのぶさんが結婚した二人の過去の旦那さんが一体どんな人か分かりやすく比較した、「洗い物」に関する表現があります。
画像:https://entame-splash.com/1561.html
まず大竹しのぶさんの最初の旦那さんである服部晴治さんはというとこんな風に言う人だったようです。
手が荒れるから(洗い物は)しなくていい。
引用元:https://trendnoki.com/29035.html
それに対して、大竹しのぶさんは「優しさと愛を最後まで見せてくれた人」と表現しています。
大竹しのぶ、亡き元夫・服部晴治さんへの思い激白「優しさと愛を最後まで見せてくれた人でした」 https://t.co/FRZ8QV2Zg9 #芸能ニュース #スポーツ新聞 pic.twitter.com/ZSN6a90tIe
— スポーツ報知 (@SportsHochi) October 20, 2017
一方、大竹しのぶさんの二番目の旦那さんである明石家さんまさんはというとこんな風に言う人。
自分のため、子供のために荒れた手を愛しく思う。
引用元:https://trendnoki.com/29035.html
服部晴治さんは大竹しのぶさんに女優として、女としての「感性」を刺激してくれる人、明石家さんまさんは大竹しのぶさんを自分が全力で幸せにしようと思っていた人です。
さんま×大竹しのぶ「明石家紅白!」でデュエット、乃木坂は写真集の自信カット紹介 https://t.co/8yguy5ysk1 pic.twitter.com/XW5o7xx7Ab
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) December 10, 2017
好みは人それぞれだと思いますが、道に迷った若い年頃の女性の皆様におかれましては、これらの言葉を吟味して、今後の出会いの参考にしていただければと思います。
■磯野貴理子さんの元旦那さん2人との結婚離婚はこちら↓

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