笑いと独特の視点で世界を描くユニークな漫画で人気の西原理恵子さんですが、幼少期からの「女の子」としての自身の人生はとても困難を極めたものだったようです。
今回は彼女のとても波瀾万丈な人生と、元夫・鴨志田穣さん、娘さん、息子さんという二人の子供たちという西原理恵子さんが築いた家族について、西原理恵子さんが不仲の娘さんへ贈る『女の子』が自立して生きていくことの大切さについてのテーマを取り上げました。
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西原理恵子さんは高知県高知市で生まれの日本の漫画家として活躍されている波乱万丈な人生を送る女性です。お名前は特にペンネームは使用されていないようなので「西原理恵子」さんが本名かと思われます。1964年生まれの西原理恵子さんは2019年には55歳となります。
武蔵野美術大学出身の個性的な感性をお持ちの女性です。
名前:西原理恵子(さいばら りえこ)
生年月日:1964年11月1日
出身:高知県高知市
職業:漫画家
活動期間:1988年-
ジャンル:ギャグ漫画、家庭漫画、ギャンブル漫画
最終学歴:武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科卒業
引用元:Wikipedia
1964年と言うとアジア初のオリンピックである東京オリンピックが開催された年となります。そんな日本中が沸いた喜びと活気に満ちた年に生まれた女性でした。
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しかし、幼少期からの西原理恵子さんの人生はとても過酷な状況であり、日本国内の明るい色彩とは別の色をしていたようです。
実父がアルコール依存症で
一度も会うこともなく他界。
西原理恵子さんの実父は重度のアルコール依存で入退院を繰り返す生活をしていたそうです。そうした状況で西原理恵子さんの母親は妊娠中に実家へ戻り、実父はたった1度も会わないまま西原理恵子さんが3歳の時に他界したそうです。その後、西原理恵子さんが7歳の時に母親は別の男性と再婚します。
母親の再婚相手の
継父はギャンブル依存で自死
継父となった男性は西原理恵子さんをとても可愛がってくれたそうですが、その男性もギャンブル気質の事業家であり、美大を目指していた西原理恵子さんの美大受験前日にギャンブルで膨大な借金をつくって首を吊って自殺してしまったそうです。
画像:不登校新聞
最後の継父のギャンブルの為に、西原理恵子さんの母親がこれだけはと守ってきた娘である自分の学費の為の貯金も奪われそうになり、それを母親が必至で自分の為に守ろうとしていた光景を西原理恵子さんは大人になっても胸に抱えて生きてきたようです。
この「負の連鎖」を断ち切るため、西原さんの母は西原さんに現金100万円を手渡し、「東京へ行きなさい」と告げた。
引用元:http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/category_1/5
画像:https://saisin-news.com/2017/06/05/takasukatuya-saibararieko/
だいぶ表情も
現在より硬く冷ややかなのが印象的です。
私も最初の父親をアルコール依存症で、二番目の父親はギャンブル中毒で亡くしました。二番目の父親は、私の貯金まで全部持っていきました。
引用元:不登校新聞
西原理恵子さんの二番目の父親は「最後の勝負をする」と言って、西原理恵子さんの貯めていた僅か12万円のお金すら取り上げて持って行ったそうです。
■元気印のキンタロー。さんも実母を亡くされています↓

その後、大検に合格した西原理恵子さんは美大受験専門の予備校である立川美術学院へ通い、1年後に念願の武蔵野美術大学でデザインを学びます。

私も立美ではかつて絵画モデルのバイトをしていました。
画像:武蔵野美術大学
■同じ武蔵野美術大学出身の辛酸なめこさんはこちら↓

まだ若い10代のうちに西原理恵子さんにとって周りの「大人」がいかに不安定な頼れない存在かという事をいやという程経験し、人生の序盤からダメな大人たちに人生を振り回される運命を辿ったようです。
自分の人生を東京で立てる!
それが何よりもの目標だったようです。西原理恵子さんは目標として月30万円を稼ぐことを掲げていたようです。10代でそれだけの切迫した気持ちを抱えて学生生活をするというのは生い立ちを考えると不憫にも思えますが、その後の生き方を考えると、とても大きなことだと感じます。
画像:https://saisin-news.com/2017/06/05/takasukatuya-saibararieko/
人の稼いだ金で
夢を築こうとする多くの東京の学生たち
大半の美術大学の学生は親に学費を依存し、田舎から出てくれば家賃や生活費も依存し、親の与えたお金で買った絵の具をじゃぶじゃぶ使い、売る先も考えることなく絵を描くわけで、経済観念が養われることはなかなかないように思います。(もちろん親の反対を押し切って入学してくる苦学生もいます)
西原理恵子さんにはそうした生ぬるい愛情に恵まれないことで、かえって経済とお金を先に考える力を若い頃に備えることができたようです。
親に問題があると、
子どもは人よりちょっと
早く大人にならなくちゃならない。
親に問題があると、子どもは人よりちょっと早く大人にならなくゃいけない。でも、同じような境遇の人は世界中に山ほどいます。
引用元:不登校新聞
西原理恵子さんが人生で苦戦したことは、だいたい作品になります。
全身全霊で
人生をお金にして生きていく。
画像:amazon
浪人時代に通われた美術予備校である立川美術学院もそうですが、美術大学の学費は大変高額であり、画材代なども含めると学生生活をするだけでもとてもお金がかかります。西原理恵子さんが意を決して上京し、自分の目標とする生き方を切り開くにはまずは経済的な覚悟をしなければならなかったはずでした。
東京に来て最初に気づいた事は私がこの日のために用意したお気に入りのクツや洋服ぜんぶが ものすごくかっこ悪かった事だ。
引用元:『上京ものがたり』
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
初めて目にした夢いっぱいの大都会東京が、ただそこに自然と溶け込むだけでも、ただ息をし続けるだけでも、とてつもなくお金がかかり、厳しく、自分からはるかに遠い街であることに絶望した上京当初の西原理恵子さんだったのでした。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)の若い頃、学生時代の仕事・アルバイト経歴がスゴイ!無職のダメンズを養う生活 写真画像
ともかく東京という街は息するだけでも寂しいし、お金がかかる。
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
西原理恵子さんの最初のアルバイト先は居酒屋兼スナックホステスだったようです。100円時給が高かったので居酒屋で働いてみたらホステス兼務だったという事で、ご本人に認識があるかどうかは分かりませんが当時もホステスという職がが少なくとも2倍以上は時給が望めたはず…という意味で
普通に考えて、
ちょっとした情報詐欺に遭っています(笑)
そして、純粋無垢のまま体一つで上京した少女には、厳しい東京砂漠においてまだまだ耐性がなく、不安でいっぱいの若い少女は「寂しさ」という別の苦しみを紛らすのに意味不明な男性に安らぎを感じてしまいます。
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
うれしくて楽しかったので相手の悪い所は、みないようにできた。
仕事をしてないとか。引用元:『上京ものがたり』
後になって、西原理恵子さん自身も、無職の男を家に住まわせていた時代について、何でそんな馬鹿なことをしていたんだろうかと振り返っています。
私が思うに、この国で言えることは
「安心」「安定」「安全」は高くつくという事です。
そして、無知であることはもれなく「カモ」
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
自分だけ生きていくだけでも過酷なのに、ダメンズの為にどんどん過酷な働き方を強いられる、純粋無垢な西原理恵子の学生時代。
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
それからも、どんなに一生懸命働いてもダメンズとの生活で月末にはお金がなく、西原理恵子さんは飲食店での食器洗い、チラシ配り、スーパーでのゴム靴売り、交通調査、と働ける仕事なら何でもやり続けたそうです。
冬休みに時給重視で働いた先は時給1400円の新宿歌舞伎町のミニスカパブでのホステスの仕事だったとのこと。
画像:『上京ものがたり』amazon中見え
私の資産は
あり余る若さと体力、
時間しかない。
だから、
1円でも高く私の時間を買って欲しい。
私自身も大学生時代に考えていたことは偶然ですが西原理恵子さんと同じような事でした。しかし、大きく違ったことは私は元々東京人であり、自分自身が大学へ通わせてもらえること、自宅でタダで凍えずに布団の中で毎日寝られることは当然だと思っていたことです。
そして何より、そんなぶら下がりの自立ない生活に身を置きながら、将来に対して夢もないという…目的地がないから前進もないという生活に居たことでした。
ただ、幸い、というべきか??親が汗水たらして働いたお金で絵の具を買いゴミを永遠制作するような活動には絶望感と疑問を持ってはいました。
画像:http://www.moviecollection.jp/news/detail.amp.html?p=587
一方の西原理恵子さんには日々の生活を立て続けなければならない定期支出とダメンズという負債がありましたが、熱意をもって進むべき目標がありました。この年齢になって思う事は「夢」なんているリアリティーのない、フリフリの言葉にはしたくないですが、
目的地を掲げるって
大事だな(笑)ということ。
■壇蜜さんも若い頃にお金を稼ぐため、資格や仕事に苦戦された時代がありました↓

◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)の仕事運は昔から抜群!武蔵野美術大学学生時代に著作本『ちくろ幼稚園』で漫画家デビュー!きっかけは成人誌のイラストカットだった!写真画像
西原理恵子さんは身近にあったあらゆるジャンルのアルバイトをしながらも、一方で成人雑誌のイラストカット(エロイラスト)の仕事もしていたそうです。NHK『最後の講義』でもお話されていましたが、この成人誌でのイラストの仕事は西原理恵子さんにとって、誇らしき大きな希望を与えてくれた仕事だったようです。
画像:NHK
最終的に、この成人誌のイラストの仕事だけでも月に30万円を超える収入となり、引っ越しを機に働かないダメンズと別れられるきっかけともなったようです。
NHK『最後の講義』の会場のお嬢様のような女学生たちにとっては、おそらく「成人誌」など全く縁もないアングラな世界であり、そこに対して嫌悪感や違和感にも似た空気感が一瞬沸いていましたが、ここまで時間と体力と若さの切り売りでしか稼げなかった自分が、自分の作品でお金が稼げるという事、自分の足で立つということがどれほど崇高な事かと考えた時に、私にはその当時の西原理恵子さんの幸福感はとてもよく分かる気がしました。
そして、この成人誌
イラストカットが漫画家デビューの道を開く。
画像:amazon
1988年『ちくろ幼稚園』でデビュー。
西原理恵子さんが手がけていた成人誌のイラストカットを見た小学館の編集者、八巻和弘氏は独特の可愛らしいイラストカットから子供を扱ったジャンルに使ったら…というイメージが沸いたようで、直々に依頼の声をかけることになったという話です。そして、西原理恵子さんはデビュー作にもなる漫画作品の出版にこぎつけます。
男運は悪いけど、
仕事運は抜群によかった西原理恵子
1988年、西原理恵子さん24歳の時に漫画家としてデビュー、1989年に大学を卒業されているので、学生のうちにデビューされたことになります。西原理恵子さんのデビュー作はヤングサンデーに掲載された『ちくろ幼稚園』という作品です。
ここまではいいのですが、しかしその後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つことになった展開で数年間パチンコや高レートの麻雀に熱中してしまうという廃人な日々が続いたようです。
不安や弱い心を追い払うかのような強い刺激と高揚感に心を奪われ、大金をつぎ込むようになっていく。それは恐れていたギャンブル依存症の入口だった。
引用元:http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/category_1/5
雑誌の連載は人気が出たものの西原理恵子さん自身もそうして仕事で活躍する一方でギャンブルにかなりの金額を持っていかれる…という、
自分の貧乏に
自分が嫌気がさしてしまった涙も経験。
画像:『パチンコにはちょっとひとこといわせてもらいたい』amazon中見え
稼いでるのか何なのか分からない生活を10年以上したようです。話によると10年間で5000万円以上の負けだったという話があるほど…
いつの間にか、
西原理恵子さんも
ギャンブル依存症となっていたのでした。

とにかく、自身も周りも波瀾万丈すぎる西原理恵子さんです。
◆漫画家・西原理恵子(高須りえこ)は過去にアルコール依存症のダメンズ元旦那・鴨志田穣と結婚し、DVで原稿まで破かれていた。夫の生い立ち・なれそめは?報道ステーションにも?写真画像
そして、1996年32歳の時に西原理恵子さんの最初の結婚相手となるジャーナリスト鴨志田穣(かもしだゆたか)氏にタイで出会います。
その後、当時戦場カメラマンであった鴨志田穣さんは西原理恵子さんをアジアの紛争地帯へと連れ出し、想像を絶するどん底の貧困生活にあえぎながら、「笑って」強く生き抜く人々の姿見せてくれることになりました。
クメール・ルージュの捕虜となり新聞に載り、この事件で初めてフリーライターとして世間に名前が出る。
引用元:Wikipedia
西原理恵子さんのギャンブル依存症を克服させてくれたのは他でもない鴨志田穣さんでした。そして、お互い心に火が付き結婚します。
1996年9月には西原理恵子さんと勝谷誠彦さんのアマゾン川取材企画に鴨志田穣さんはCSテレビのビデオカメラマンとして同行していました。そして過酷なジャングルロケを共に敢行し、帰りの飛行機の中で西原理恵子さんにプロポーズしたのだそうです。そして、9年ぶりに日本に帰国し、西原理恵子さんと結婚したそうです。
1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行して知り合ったフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚する。
しかし、鴨志田穣氏もまた、精神的にも経済的にも不安定な体質の男性だったようです。
画像:twitter
やっぱり引き続き、
純粋性があって
優しいだけの男に人生を揺さぶられる西原理恵子。

でも、いい顔してますね。
鴨志田穣さんは西原理恵子さんに出会う前から戦場カメラマンとして世界中の紛争地帯での取材活動を行っていました。そして、結婚後、西原理恵子さんの『ぼくんち』(1995年-1998年)が生まれた後、夫の鴨志田穣さんが戦場での過酷な映像のフラッシュバックでアルコール依存症となってしまったのでした。
画像:amazon
2000年には西原理恵子さん、鴨志田穣さんの共著でアジアの旅行体験記「アジアパー伝」を発表して鴨志田穣さんも作家デビューを果たしています。
■西原理恵子さん含め猫好き有名人についてはこちら↓

◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)は元旦那・鴨志田穣の病気であるアルコール依存症と壮絶な戦いを経験し離婚。夫妻と子供たちの格闘の記録も作品『毎日かあさん』で本になった 写真画像
鴨志田穣さんは世界中の紛争地帯を取材し続け、目の前で人々が死に行く様、自身にも向けられる銃口、幼い子供たちが必死に銃を持つ姿など、数えきれない壮絶な現実を目の当たりにし、極限のストレスから重度のアルコール依存症となってしまったそうです。
画像:https://moebranche.com/takasu_saibara_kankei/
皮肉なことに
実母と同じように
夫がアルコール依存症の男となってしまう。
「アルコール依存症」というものが「病気」であり、素人が無知で関わってしまうと本人も症状が悪化し苦しみ続け、家族もボロボロになってしまうという事を経験として腑に落とすまでに、とても長く苦しい時代を過ごした西原理恵子さんでした。
画像:不登校新聞
夫からの最大のメッセージである「どん底でこそ笑おう」という精神で、西原理恵子さんなりの美学として苦しく過酷な現状をあえて「笑い」として描く方法をとってきた西原理恵子さんでしたが、それすら夫である鴨志田穣さんを追いつめることになっていたそうです。
2003年 映画『ぼくんち』が公開
一番有効だと言われているのが、同じ傷、同じ経験を持った人たちや家族と話し合うことです。そこには同じ病気から切り抜けた人がいます。サバイバーと言われている人たちですね。そういう、うまくいった経験を聞くのが一番いい。(中略)だから、家族は後方支援だけ。どんなに愛していても、いったん関係を切らなくてはいけないんです。それが特効薬です。でも、ほとんどが間に合わなくて死ぬから(笑)。それもしょうがない。引用元:不登校新聞
そして数々の修羅場を経て
2003年に離婚。
子供たちを守る手段だったそうです。
■磯野貴理子さんの離婚はこちら↓

病魔に侵された鴨志田穣さんは精神不安定で働くこともできず、暴言・器物損壊・家庭内暴力等で精神病棟への入退院を繰り返し、それでも苦しみ続け、西原理恵子さんが手放してやるまで回復する道を見いだせなかったようです。
その間、家族である西原理恵子さんも過酷な生活を強いられていたようです。原稿もしばしば破られ、鴨志田穣さんが寝ている間に仕事をしていたそうです。
2002年『毎日かあさん』連載開始
でも、なぜか仕事だけはずっとあったという。
離婚当時も月に40-50本の連載を抱えていたという状況でした。それだけの仕事量を鴨志田穣さんの睡眠中にこなし、子育て、夫の対応も生活でこなしていたというのですから、少し考えただけでも想像を絶する生活です。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)は元旦那・鴨志田穣と壮絶な戦いの末離婚したにもかかわらず復縁!?勧めたのがナント現在の事実婚彼氏・高須克弥だった!元夫の死因は末期がん?写真画像
2003年に離婚してから約3年後の2006年になると壮絶な修羅場の末離婚した元夫・鴨志田穣さんが西原理恵子さんとの復縁を求めてきたそうです。
画像:http://kokichi.cocolog-nifty.com/diary/2018/09/index.html
離婚後、これまで以上に自暴自棄となった鴨志田穣さんはしばらくアルコール依存が深刻化していく生活だったそうです。転機となったのは戦場カメラマンをしていた頃に師事していた橋田信介さんの死を知った時だったようです。
そこからの鴨志田穣さんは病気を克服し家族のもとへ戻りたい一心で、治療施設に入院しました。鴨志田穣さんの闘病に対するこれ前以上の決意を感じ始めていた西原理恵子さんも離婚後、別居の身でありながら元夫のアルコール依存症からの回復をサポートしていたそうです。
画像:AERAdot.
それでも復縁についてはさすがの西原理恵子さんも少し躊躇していたようです。
アルコールを
やめるなんてできるわけない。
しばらくして元夫の鴨志田穣さんから連絡があり、アルコール依存症を克服したという事を告げられたそうです。
その時に、元夫の鴨志田穣さんとの復縁を後押ししたのが、他でもない西原理恵子さんの現在の交際相手である高須クリニック院長・高須克弥さんだったそうです。
画像:西原理恵子公式ブログ
高須克也さんの仲介もあって、西原理恵子さんは鴨志田穣さんと同居を再開し、その生活は出会った当初の鴨志田穣さんと子供達のいる、最高に幸せで穏やかな生活だったと後に西原理恵子さんは語っています。しかし、そんな穏やかな時間も長くは続かず、
鴨志田穣さんが
末期がんに侵されていることが発覚。
最後の闘病生活を過ごしたそうです。同居をしてからの鴨志田穣さんは1滴のお酒も飲まなかったそうです。
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◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)とアルコール依存症という病気の元夫・鴨志田穣が亡くなるまでの家族の物語は映画化されていた!元旦那の死因は?写真画像
鴨志田穣さんと西原理恵子さん、2人の子供たちが全員揃う家族として残された時間は僅かでした。実際はたった半年という時間だったそうです。
画像:amazon
どんなに辛くても
最期まで笑って過ごそう
それが、元夫婦の間の約束であり、最後の半年間は家族水いらずで笑顔があふれる毎日を送ることが出来たそうです。アルコール依存症克服の次にあった最後の二人の約束も守られたのでした。
何物にも代えがたい宝物は
ささやかな毎日の中にあった。
西原理恵子さんにとって、自分が心に描いていた「優しいお父さんがいて、お母さんがいて、かわいい子どもがいて、毎日みんなでご飯を食べる」という小さい頃にも経験したことがなかった風景がそこにはあり、初めて訪れたすごく幸せな時間だったそうです。
『毎日かあさん』(毎日新聞紙上の連載)2006年8月掲載分にて復縁を匂わせ、婚姻届を出さない事実婚の形で同居を再開したが、その時点で鴨志田は末期の腎臓癌であり、半年後の2007年3月20日に死去。葬儀では西原理恵子は元妻として喪主を務めた。
西原理恵子さんは元夫・鴨志田穣さんとの結婚生活で精神不安定で働かない、アルコール依存症で、DVの旦那を持つ妻の立場を経験し、一度は元夫を見限り(手放し)、離婚します。
画像:http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/category_1/5
しかし、何故か離婚後も元夫である鴨志田穣氏のアルコール依存克服に協力し、ガンが発見されてからも元夫が42歳で亡くなるまで闘病生活に寄り添います。最後には元妻として喪主まで果たし、愛したひとりの男性を見送りました。何とも言えない苦悩続きの時代を終えます。
鴨志田穣さんと西原理恵子さん、子どもたちにとっての「家族」の最後の記憶は2007年3月に鴨志田穣さんが亡くなるまでの半年間であり、たくさんの幸せな思い出と笑顔に満ちた記憶でした。
西原理恵子さんがこんな健気な女性だということはあまり世間では知られていないかもしれません。
一つの大きな人生の仕事を終えた西原理恵子さん。
一般にも向けた「お別れの会」には1250人の参列があり、2007年には報道ステーションでの特集も組まれたようです。遺灰は本人の遺言に則って西原理恵子さんが子供とともに世界各国の海に流したのだそうです。(一部は鴨志田家引取り)最後に西原理恵子さんが遺骨にかけた言葉は
成仏しなくてもいいから、一緒に家に帰ろう。
だったそうです。
鴨志田穣氏の原作の『酔いがさめた、うちに帰ろう』は映画化され、2010年12月に公開されました。日本映画批評家大賞において、監督賞&主演女優賞をW受賞する快挙でした。
鴨志田穣さんはいつも
自分の事より
絶望の淵にいる人たちの心に
寄り添う人間だったようです。
■大竹しのぶさんも最初の旦那さんを病気で亡くされています↓

画像:http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/category_1/5
西原理恵子さんは「アルコール依存症」がやっぱり「病気」だったのだと本当の意味で理解したのは夫が病気を克服した後だったと後に語り、家族として後悔していたことを述べています。
彼は私をはじめ 周りのすべての人に「怠け者」と言われ続け、たった一人で10年近くこの病気と闘わなければいけませんでした。今度こそ家に帰るんだ、今度こそ家に帰るんだ、歯を食いしばる彼に、「怠け者の嘘つきだ」と私は言い続けました。
でも、彼はたった一人でこの病気と闘い続け、立派に帰ってきました。
ー西原理恵子
画像:twitter
そして、亡くなる間際に鴨志田穣さんが言った言葉に
子供を傷つけずにすんだ。人として死ねる事がうれしい。
引用元:『毎日かあさん 出戻り編4』
というものがあったそうです。
その後、鴨志田穣さんは亡くなり、西原理恵子さんは3ヶ月の仕事の休止期間を経て、親友であるゲッツ板谷原作の映画『ワルボロ』のイラストの仕事が入ったことによって仕事を全般再開したといいます。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)と元旦那・鴨志田穣の間には実の子供たちである娘と息子(長男)がいた。何人?イラスト写真画像
2017年6月26日で西原理恵子さんの大人気の連載漫画だった『毎日かあさん』は723回で連載を終了します。西原理恵子さんと鴨志田穣さんと子供たちの毎日を描いた人気連載漫画でした。
画像:『毎日かあさん』amazon中見え
連載終了の理由は
卒母バンザイ。
『毎日かあさん』は、2002年から週1回ペースで連載されていました。2人の子どもをもつ母親として、西原理恵子さんが家庭内のエピソードをギャグを織り込みながら、漫画で描かれております。
終了しようとした理由は、下の娘が16歳になって、「あっ、お母さん終わった」って思ったからとのことでした。
もうひとつの大きな理由としては…
画像:『毎日かあさん』amazon中見え
こんな人が増えたからだという事も、西原理恵子さんにとっては大きな理由だったようです。
どうせ出すなら
少しでも多く売れた方がいい。
大学生時代に100円でも高く時間を買って欲しいと思っていた西原理恵子さんのマインドは稼ぎまくっている今も健在のようです。

三つ子の魂100までw
もう一つの理由としては子供たちが成長し、西原理恵子さんの人生の外側へ行ったことを母親として認めなければならないという思いもあったのではないかな?と思います。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)と鴨志田穣の子供(第一子・長男)息子の名前、出身学校、高校は明星学園で大学は獨協大学?上智?ICU?写真画像
西原理恵子さんと元夫の鴨志田穣さんの間には2人のお子さんが居て、第一子は男の子です。こちらは『毎日かあさん』での紹介文です。作品の中での息子さんの名前は「ブンジ」くん/「ガンジくん」となっています。
しかし、この名前は本名ではなく、「文治」は原作で飼っている猫の名前であり、父が生前次男か初孫につけようとしていた名前だったと言われています。連載開始当時は4歳でした。
また、『とりあたま事変』(西原理恵子・佐藤優)によると、鴨志田穣さんがマハト・マガンジーから長男の名前を付けたため、「西原ガンちゃん(ガンジ)」と言われています。
画像:twitter
西原理恵子さんが離婚を決断したのも、アルコール依存症だった鴨志田穣さんの暴力行為がエスカレートしていき、このままではこの暴力が必ず子供に向かう日が来るという危機感から下したことのようでした。離婚した2003年時の長男の年齢は2歳だったそうです。
画像:https://saisin-news.com/2017/06/05/takasukatuya-saibararieko/
そうすると、逆算して息子さんは2000年か2001年頃の生まれとなりますから、2019年現在は推定で18歳、19歳というところでしょうか。しかし、後述の妹さんとの関連性を考えると、ちょっと計算が合わなくなり、21歳前後なのでは??とも思われます。
2003年の離婚から半年後、西原理恵子さんの息子さんはこんなことを呟いたようです。
お父さん、何してるかなあ?お父さん元気にしているかなあ。
西原理恵子さんはこの言葉によって、どんなダメな男でも、子どもたちにとってはかけがえのない無二の父親だと知ったようです。私自身も子連れで離婚を経験しているので、この気持ちはとてもよく分かるような気がします。
画像:amazon『毎日かあさん10』なか見
そして、その後は鴨志田穣さんがアルコールを飲んでいない時間を見計らって、子どもたちを会いに行かせたという事でした。そうした家族との交流が、鴨志田穣さんがアルコール依存症を克服するための大きな力にもなったようです。
画像:amazon『毎日かあさん14』なか見
西原理恵子さんの息子さんは学生時代から優秀なお子さんだったようで(?)16歳で渡米しカルフォルニアの高校へ留学されているようです。そして、2017年に大学へ進学とあります。西原理恵子さんによると、いつもへらへらしている息子さんだそうです(笑)。
画像:amazon『毎日かあさん14』なか見
■浜田雅功さんの息子・ハマ・オカモトさんのお話はこちら↓

西原理恵子さんの息子さんがどこの大学に通っているかについては、早稲田大学、上智大学、獨協大学と名前が連なる中、例の佳子さまのICU入学の話題が上がった際に
留学中の息子がICUに行きたいと言っているんだけど。
引用元:https://芸能人の裏ニュース.com/nishihara-rieko-son/
という話が出たことによるもののようです。海外への興味は実の父親である鴨志田穣さんが戦場カメラマンとしてみた外国や外国から見た日本を見てみたいという息子ならではの想いもあるのかもしれません。また、西原理恵子さんも小さい子供たちを連れて、海外の色々な風景を一緒に見ることを大事にしてきたようです。
画像:https://芸能人の裏ニュース.com/nishihara-rieko-son/
中学高校は近所だったからという事で中学受験を経て明星学園に通っていたという話です。最終巻の『毎日かあさん14』ではもうすっかり大人サイズの「ブンジくん」となっていました。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)と鴨志田穣の子供(第二子・長女)娘の名前、出身学校、大学は?演劇を専攻し、現在は劇団の舞台女優で母親とは不仲!?ツイッター写真画像
西原理恵子さんの二人目のお子さんは女の子でした。名前は『毎日かあさん』では「ぴよ美」/「フミ」となっています。西原理恵子さんと鴨志田穣さんが離婚した2003年時の年齢はたった4か月。『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』のなかでは「ひよ」さんという名前で登場します。
ですから、2002年、2003年頃の生まれという事で、2019年は16歳、17歳前後という事になりますが、2017年の『毎日かあさん』連載終了に際し、西原理恵子さん自身のコメントとして
下の娘が16歳になって、「あっ、お母さん終わった」って思ったから
というものがあったので、第二子長女のお子さんは連載が終わった2017年に16歳ということですから、2001年前後に誕生したお子さんということになります。そうなると、2019年にはおよそ19歳。
画像:amazon『毎日かあさん カニ母編』なか見
可愛らしい女の子として描かれた幼少期。
現在では情報によると西原理恵子さんの娘さんは演劇の舞台女優として活動をはじめたのだそうで、
ナマイキで口が立つ(笑)。
ということです(笑)『毎日かあさん12』あたりになると、娘さんと西原理恵子さんの関係性が変化していくことが描かれているようです。
【Google Play ブックス】『毎日かあさん12 母娘つんつか編(毎日新聞出版)』(西原理恵子) https://t.co/aKRgs8n3lm 連載14年目にして大波乱。反抗期がこじれた? ついに「母娘」戦争、勃発!? 待望の第12巻! #GooglePlay
— PHP電子 (@PHPeb) July 28, 2019
そうした、女の子が大人になる過程での精神的成長を頼もしくも、ちょっぴりセンチメンタルにも感じつつ、母親として見守る西原理恵子さんです。
子供は元気で存在していれば、親としては「それで良し」とするところがさすがカッコいい母ちゃんという感じがします。子供は神様からのお預かりものであって、自分の所有物ではないという気持ちが心の中にあるのだなと感じます。
そして、西原理恵さんの第二子長女もどうやら長男息子と同じ明星学園高校へ通っていた可能性が高いようです。というのは自宅が吉祥寺にあり、その学校は最寄りの井之頭公園のすぐ向こう側だったらしいのですが、
「子供たちが両方、井之頭公園を嫌いになった」というコメントがあるためです。
西原理恵子の娘さんが舞台に出てたって聞いたから少し調べたら、マームとジプシーって団体で今日マチ子の「cocoon」をやったんだってね。cocoonが舞台になってるの知ってたら絶対見に行ったのになぁ。舞台ってもっと宣伝されるといいのに。 pic.twitter.com/JmRvNMQGMo
— 鍋さん (@amashokuamama) April 17, 2017
2017年4月には「マームとジプシー」という団体の舞台に西原理恵子さんの娘さんは出演されていたようです。大学については西原理恵子さんの長女の娘さんは演劇の舞台女優を目指したところから、目標がはっきりしたため進学していないのではないか?という推定が及びます。
画像:amazon『毎日かあさん14』なか見
娘さんの成長とともに変化したお互いの関係性もあり、ご本人も西原理恵子さんの名前でなく自分の力で演劇の世界で活躍したいという気持ちが大きいことから、どうも西原さんへはあまり私生活を作品に描かないで欲しいという話があったようです。
『女の子が生きて行くときに、覚えていてほしいこと』の中には、西原理恵子さんと娘さんのそうしたやり取りでの激突もあって、『毎日かあさん』が終了したというのも理由としてあるのかもしれません。
子供には
自分とは別のしあわせがある。
画像:https://twitter.com/edamame_midori/status/666407734372241408?s=20
娘の態度に頭キたら、私もこれを思い出そう・・・。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)の『毎日かあさん』は元夫の鴨志田穣が他界した後3ヶ月連載を休止したことがあった。父親の死に子供たちが最初にしたこと 写真画像
そうして連載が終了した『毎日かあさん』でしたが、以前にも一度、連載が急死した時期がありました。元夫・鴨志田穣氏を癌で亡くした後、西原理恵子さんは3か月間『毎日かあさん』等の連載を活動を休止していたということです。
ここまでどんな苦境が続いていた時も仕事でだけはずっと走り続けてきた、西原理恵子さんにとって元夫の死がどれほど大きいものだったかを想像させる出来事でもあります。
元夫の死までの半年が
あまりにも儚く幸せだったことで
その喪失感はハンパなかったようです。
20年間、ウソ話ばかりを作ってきたのに、私はこの日のために自分の子供にするウソを用意していない。
動かなくなった彼の前でいつまでも泣き止まない私に、子供達が最初にしてくれたことは
私を笑わすことだった。
神さま、私に子供をありがとう。
引用元:『毎日かあさん 出戻り編4』
■武内由紀子さんと旦那さんの特別養子縁組で迎えたお子さんのお話はこちら↓

私は、何故か分かりませんが、このシーンを見るたびに、100回見てもまだ毎回初めてのようにボロボロ泣いてしまいます。子供たちの気持ちも母親の気持ちも、妻の気持ちも分かる気がするからでしょうか。
そして、私は西原理恵子さんのように闘い続けたわけでもないのに、自分自身のフリルに負けて離婚したクチなのですが、
神さまはおそらくそれを知りながら、娘を私に託してくれたこと、娘が私の元にきて私の人生に意味と役割とその喜びを与えてくれたことを振り返ると、ほんとうに西原理恵子さんが思う事と全く同じことを神さまに思います。
だから私は、
性悪説なんて
絶対に絶対に信じない。
子供の親への愛情は
親以上に健気なんだって知ってるから。
画像:NHK
2人のこどもは、泣き崩れる西原さんを必死に笑わせようとしたという。それは鴨志田さんと西原さんの遺伝子が確かに受け継がれている証拠だった。
引用元:http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/category_1/5
これだけの愛情を注いで必至で育ててきたお子さんたちが、今現在次々に自立していく後姿を見て、西原理恵子さんは誇らしくもあり、チョッピリ寂しい気持ちもしているのかなあと想像します。
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◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)は「女の子」に対する思い入れと言いたいことがある。映画『女の子ものがたり』とおすすめ書籍本『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』ツイッター写真画像
色々と著作を見ていると感じる事としては、西原理恵子さんは自身が壮絶な人生を送ってこられただけに、特にこの国では男性の人生に引っ張られがちな「女の子」の人生に対する思い入れがとても大きいように思います。
西原理恵子さんは『女の子ものがたり』というタイトルの映画もつくられていますし、
『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』というセンチメンタルなタイトルの本も西原理恵子さんは出版されています。
不仲が噂される娘さんへ
伝えたいことを書いた本
西原理恵子さんのこの本は私自身も女性で女の子の母親でもある事もあり、なおかつ西原理恵子さんと同じようにまた別の「楽ではない」、「女の子」の人生を歩んでいる為か(笑)、西原理恵子さんが「女の子」達へ特別なメッセージを送ることにとても大きな愛情を感じてしまいます。
「小さな女の子の、自分を守る鎧の一つになれたら…」西原理恵子の人気エッセイがマンガ化 | TRILL【トリル】 https://t.co/5wWcJ4xphX
— 西原理恵子 (@riezo0608) April 9, 2019
それだけ女の子という生き物は
ただ生き抜くことも
過酷だということかもしれません。
西原理恵子さんが子供たちを大事に育てた事、母親として女としてキツイ場面も全力で戦い子供たちを守ってきた事によって、子供たちにも愛情やお母さんを尊敬する思いは備わっているようです。
のちに高須クリニックの高須克弥院長との関係を報道された時にも、子供たちはおおよそ理解してくれていたようです。
西原理恵子と高須克弥が共に朝帰りする様子を『フライデー』に掲載された際は「息子たち公認」と書かれたが、
息子曰く「んなもん誰も認めてねーよ」とのこと。ただし「何としてでも漫画家になるんだという不屈の精神は尊敬している」とのことで、家族仲は悪くない。

子供たちがたくましくすくすく育っていく様子が分かりますね。
西原理恵子『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』
https://t.co/iC6ZCD9aeY #漫画 #小学館キッズ— 西原理恵子 (@riezo0608) April 3, 2019
西原理恵子さんが娘さんに直接伝えたいのは山々だったと思いますが、直接話をして伝えるには、まだ思春期後半という難しい年代であり、時期的に、精神的に、量の問題もあって納得できる形として実現しなかったことで(?)こうした書籍化が実現した可能性があります。
女の子の時間はどんどこその間も進んでいくといった切迫感もあり、こんな形になったのかもしれません。
でも、そうした諸事情
のおかげで
我々も享受することができることに(笑)。
とてつもなく素敵な書籍が発売。元々は西原理恵子さんが娘さんに伝えたいと思ったことを書き下ろしたものということです。わたしも自分の娘には伝えておきたいと思いました。
自立なくして
女の子に幸せなし。
いつも、主に言動の「品質」の問題でなかなか支持層が割れる西原理恵子さんの作品ではありますが、この著作は日本女性に大きな影響を与える名著作となったようです。
人生で一番良かったのが、20歳頃に男の人にご飯をおごってもらったりプレゼントをもらったことだなんて、悲しすぎるでしょ? あと60年、生きなきゃいけないのに。
引用元:ムビコレ
ごもっとも。
画像:twitter
自分が読んだ後に娘や大事な家族、友人へ贈る読者も多いようです。
◆漫画家・西原理恵子(西原りえこ)のNHK『情熱大陸』『最後の講義』の女の子に対するメッセージが作品以上に熱かった!写真画像
おそらくは前述の『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』の出版とのコラボのような企画形態かと思われますが、西原理恵子さんは2018年夏にNHKの人気番組『最後の講義』に出演されました。
画像:NHK
場所は上品なお嬢様学校
東京女子大学。
漫画家・西原理恵子が『最後の講義』に出演決定。『最後の講義』はアメリカの有名大学で行われている『最後の講義』をNHKが番組化したもの。今回のテーマは「女の子が生きていく時に覚えておいて欲しいこと」。BS1で8月25日(土)深夜に放送されます https://t.co/rL5PetUpcg
— amass (@amass_jp) August 18, 2018
女子大学での講義という事もあり、西原理恵子さんは終始、まだ純粋でまだ世界に夢を描いている真っすぐな女性たち、いわゆる「社会毒に対する耐性が著しく弱い層」に向けて話をしていた印象でした。
つまり
最も戦闘能力がなく
最もダメージの大きい
「再起不能の危険がある」層
講義を行う大学選びも含め、西原理恵子さんはそれをわざわざ選んで講義をされていたのではないか?と感じます。
私自身の人生を振り返っても、大学時代というのは世界を広げたいという貪欲な行動力があり、将来を見据えた野心もあり、物欲も最もある時期に入る上に、体つきは成熟して大人と変わらないものとなって、精神だけはぐらぐらと不安定で子供のようにピュアなまま、という、
まるで
サバンナをぶらぶらするコジカ!
のような状況でした。(サバンナにコジカが居るのかどうかは知りませんw)
NHKという放送局を考えてなのか、できるだけ多くの女性に聞いてもらえるようになのか??西原理恵子さんは普段は人生であまりかかわることもない潔癖な彼女たちにも配慮し、彼女たちがアレルギーを起こしそうな下品な言葉については極限まで封印されていたように感じました。

西原さんなりにですが(笑)
そうした潔癖な彼女たちは一途であり、
最も搾取される可能性が高く、
再起不能の転落をする危険性がとても高い層だと
西原理恵子さんが痛感してきたからかもしれません。
画像:twitter
この最後の講義は、
とくに若くて幸せになりたいと思う女性
または、そのお母さん
は見ておいた方がいいかもしれません。
NHKへの再放送のリクエストはこちらから↓↓
ご視聴ありがとうございます!再放送リクエストはこちらから受け付けております。https://t.co/xVv4Wa4lAr
#西原理恵子 #最後の講義#上白石萌歌— テレビ番組「最後の講義」by西原理恵子 (@lastlecture0811) August 25, 2018
もう少しだけ「女の人生」の先に身を置いている、かつてサバンナのコジカだった私としては、これでもかという程、女性の自立とお金にこだわって発信している西原理恵子さんの宝物が、
実は現実世界でのサバイバルには全く戦力にならない「純粋性の高いもの」であることも感じます。
だからこそ、西原理恵子さんは一見、純粋性の高いだけのダメンズに血を吐くような痛みを伴っても心を奪われ続けてきたわけであり、最も大事なところの「純粋性」を守るために、戦力となる「自立」と「お金」にこだわってきたとも取れます。
実は
ほんとうの宝を守るための
戦闘力にすぎない。
しかし、それら戦力にも金にもならない「純粋なもの」を価値あるものとして持ち続ける為には、結局のところ、前述のサバイバル能力としての「自立」「お金」が必要であったという事なのかな?とも思います。
画像:twitter
傷つくこと、苦しむこと、泣くことは振り返れば自分自身を確実にたくましく育ててきた栄養素です。純粋性の高い思い出やその中で葛藤し続けたこと、闘い続けたことは年をとっても自分が一生懸命に生きたという人生の充実感、悔いなく生きたという一定の価値につながる気がします。
しかし、
その挫折から立ち上がれればの話。
転落して再起不能になっては意味がない。
立ち上がり続け、闘い続け、
心に純粋なものを持ち続けなければ意味がない。
西原理恵子さんも今回の著書をつくった理由をこんな風に語っています。
素晴らしい愛のあふれた家庭だけじゃなく、初動が遅れたらものすごい貧困に陥って、そしたらあなたが子どもに対して加害者になってしまうってことを知っておいてほしくて、『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』という本も書きました。
引用元:AERAdot.
子供を傷つけ、
守れない人生を歩む可能性があるということ。
だからこそ、女の子は宝物を守るために自分の足で立ち続けなければならないと。そうした幸福論を私たちに投げかけてくれた西原理恵子さんだったのでした。
最後に西原理恵子さんの亡くなった元夫・鴨志田穣さんからのラブレターをこの記事の最後に残します。鴨志田穣さんの死後発見された詩だという事です。
大切な人
いつまでも一緒
ぼくの大切な人鍵はもう一つでいいんだ
一緒に居るんだものぼくの大切な人
長い雨はもうあがったよ
ずーっと晴れていたらいいね
もういつでも手を繋いで
いつでもキスをして今度は僕が君を守る番
ぼくの大切な人
鴨志田穣さんにとって家族の元に帰り、一緒の家に暮らせることがどれほどの喜びであったかを感じる詩です。遠い遠い我が家へようやく帰ることができ、人生で最も愛する人たちの元に戻れた幸福感に満ちた詩です。
西原理恵子さんが鴨志田穣さんと過ごすことで失ったもの、傷ついたもの、それらは想像を絶する大きさだったでしょうが、その全てがこれからもきっと注がれつづける愛情で埋め尽くされるような実りを得ました。
それは、
転んでも立ち上がり続けたからこそ。
画像:高田修三の空想科学雑談
このラブレターと、アルコール依存症という病気を克服したこと、
覚せい剤の次に回復が難しいと言われている病気から「家族ともう一度暮らしたい」ただその一心で独りで病気と闘い、克服した元夫・鴨志田穣さんからのただひたすら純粋なだけの愛情
それを西原理恵子さんは今も大事に胸の宝箱にしまっています。それを宝物として守り続けることができたのは西原理恵子さんに守り続けられる戦闘能力があったからとも言えます。
君にあえて しあわせな人生だった。もう悔いはないよ。
西原理恵子さんは高須院長と付き合っている今現在でも、元旦那・鴨志田穣さんの事との思い出を度々漫画に描きくことがあり、「夫は鴨ちゃんだけ」という発言を続けているそうです。
若い「女の子」たちへ「一途」を強烈に注意喚起しておきながら、なんだかんだ、どんなに運命から飛び蹴りを食らっても一番一途なのは、西原理恵子さんに思えてなりません。

一途に生きるには戦闘能力が必要という事かもしれません。
■高須クリニック院長と西原恵理子さんのお話はこちら↓

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