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瀬戸内寂聴の秘書が辞めた!?瀬尾まなほと恋愛?不倫本と名言は?画像あり

●知的/高尚 属

誰よりも透明感のあるチャーミングな笑顔の「尼僧」として知られる瀬戸内寂聴さん。かつては夫の教え子などとの不倫も経験し女性の愛と性と闘ってきた(?)過去を持ち、それを積極的に作品として残していきました。そんな寂聴さんももう四捨五入したら100歳!!66歳年下の秘書と共に可愛らしくキラキラした日々を送っています。目指せ!キラキラの3桁へ!

 

 

瀬戸内寂聴の名物秘書が辞めたってホント!?

 

 

◆瀬戸内寂聴の66歳歳の差名物秘書・瀬尾まなほって何者!?

 

今、寂聴さんの活動を最も近くで支える女性が居るのだそうです。66歳もの歳の差があるのに寂聴さんといつも「タメ口」っで言いたいことを言い合うという間柄の瀬尾まなほさん。

 

瀬尾まなほと寂聴との出会いのきっかけ

 

2010年、彼女が大学時代に友人の紹介で瀬戸内寂聴さんのマネージメント秘書の募集があると紹介されたといいます。

 

 

瀬尾まなほ(以下、まなほ):はい。友人から、身の回りのお世話やマネージメントをする秘書の募集があると紹介されました。先生に初めてお会いして、面接してもらった日、その場で採用されました。

 

管理人kira2
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即決だったのですね(笑)!寂聴さん決断はや!

 

瀬戸内寂聴(以下、寂聴):(まなほを)かわいい人だなと。でも、やっぱりちょっと変わってると思いました。「私の本を読んだことある?」って聞いたら「ない」って。私のこと知らなかったのね、全く(笑)。

でも、大体うちで働きたいって人は、みんな私のことを知った上で来るでしょ?それが全く知らないからね、面白かったですよ。文学少女じゃないって感じで。

 

自分を崇拝している人よりも、近くにいる人は楽に暮らせる人の方がいいというのを寂聴さんは分かっていたのでしょうね。

 

 

管理人kira2
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寂聴さんが嬉しそう!

 

瀬尾まなほは意思疎通がうまくいかないときにお手紙を書く

 

まなほさんは寂聴さんに思いがうまく伝わらないときにはいつもお手紙を書くのだそうです。

 

 

寂聴まなほの文章は新鮮でね。かえって私がびっくりしたんですよ。「今の子はこういうふうに書くんだな」と思って。私はずいぶんと刺激を受けましたよ。すごく真っ直ぐな文章で。

表裏がなくってね。言いたいことが相手にちゃんと伝わる。それは一種の文才ですよね。それはすぐに認めました。

 

それをそのまま小説に引用したところ、皆あの文章がいいねと言ってくれたといいますから、きっと素敵な文章なのでしょうね。

 

寂聴:文章が素直なんです。良く見せようとか、「ここでちょっと装飾を入れよう」とか、そういうのが全くない。実に素直なんです。それがやっぱり魅力でしたね。

 

そういった真っすぐでひたむきな気持ちというのは人の心にすーっと浸透するものですね。

瀬尾まなほは寂聴さんにパンティまで見せる

 

随分体を張ったお仕えの仕方だと思ったのですが(笑)、そこにはまなほさんの寂聴さんに対するたっぷりとした愛情がありました。

 

 

「まなほがきてから、もう朝からずっと笑いっぱなしですよ。」

 

寂聴まなほは朝、私がまだベッドの中で寝ている時、部屋の戸を開けて「おはよう」って起こしにきてくれます。それでバッと、肩をつかむんですよね。で、私を起こしたあと、パッと自分のスカートをまくるの。

「あ!」って言ったら、「今日のパンティかわいいでしょ?ほら!」って、花柄の可愛い下着をみせてきた。でもって、「先生のパンツはおへそまである。そんなの、今どき誰も履かないですよ。今度可愛いの買ってあげますね!」なんて言って。

 

まなほ:昔のことですよ…今は自粛してます(笑)。

 

――なんでそんなことを…(笑)。

まなほ先生って、何をやってもすごく楽しそうに笑ってくれるんです。そうすると、もっと笑ってくれるんじゃないか、もっと喜んでくれるんじゃないかと思って…。その一つだったんですよね。

 

何だか素敵な関係ですよね。66歳も歳の差があるようには思えません。女子学生同士みたいなキャピキャピ下空気ですね(笑)。

 

瀬尾まなほさんが瀬戸内寂聴さんの秘書をやめた!?

 

どうやらこれは色々な情報が混じっての誤報のようです。2010年にまなほさんが寂聴さんの秘書になってから3年目の2013年に他の秘書さんが一斉に辞めてしまい、その後お一人で奮闘されているようです。他の秘書が辞められたことと、まなほさんの出版した本がベストセラーになったために秘書をやめたのだという誤報に発展したようです。

 

瀬尾まなほさんは秘書辞めていません!

 

瀬戸内寂聴さんにとってまなほさんの存在は…

 

執筆中に死ぬのが理想で
「出来たら死に目にそばに居てもらいたい」
「私が死ぬときには、まなほにそばにいてほしいわね。やさしいからね」

 

 

瀬戸内寂聴さんは、瀬尾まなほさんがよっぽど好きなようで、彼女ををNPO法人の理事にしたり、自身の私生活の方をテーマにした本の出版を彼女に後押ししたりとしているといいます。

子供や孫のようでもあり、親友でもある大好きな瀬尾まなほさんが自分の亡くなったあとに困らないように、自立して生きてけるように、少なくとも金銭面くらいはなにか彼女が働けばモノになるようなことを残してあげたい、今出来ることをしてあげたいという想いの表れなのかな?と思います。

 

おおよそ終活ですね。

 

そんな話があるもので、二人の関係を何も知らない人からすると、瀬尾まなほさんに対して「遺産目当て、胡散臭い」となるのだと思いますが寂聴さんからすると、積極的にそこまでしてやってもいいと思えるほどに可愛い存在として瀬尾まなほさんという人が存在していているように思います。むしろ自分と逢ってからのまなほさんが本人の意志とは言え、結婚もせず、若い時間を自分に日々ささげてくれていることを思うと、その位をしてやらないと、ご自身が罪深いし後悔するとお考えなのかなと思いました。

 

 

瀬尾まなほ

瀬戸内寂聴秘書。1988年2月22日生まれ、兵庫県出身。京都外国語大学英米語学専攻。大学卒業と同時に寂庵に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフ4名が退職し、66歳年の離れた瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。困難を抱えた若い女性や少女たちを支援する「若草プロジェクト」理事も務める

 

 

よく知りませんが素敵なプロジェクトもお持ちのようですね。

 

管理人kira2
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ちなみに瀬尾さんのストレス発散はテキーラだそうです(笑)

◆2013年瀬戸内寂聴の秘書軍団総辞職

 

秘書が辞めた!という話の核はこちらなのかなと思います。2010年に瀬尾まなほさんが寂聴さんの秘書として寂庵に入って3年目の2013年、これまで寂聴さんを支えていた当時の秘書やスタッフたちがまなほさんを除いて全員退職したのだそうです。

 

 

2013年 寂庵のスタッフが一斉退職

 

寂聴氏は、あるとき5~6人いたスタッフのうち、もっとも古いスタッフに改まって話をされることがあったと、当時を振り返る。

「私のことを『歳をとったと思う』って」

「(私が)働くのは、従業員を養わなきゃいけないからお金がいる」

「だから『これ以上働かせるのは辛い』って言うんですよ」

と、当時91歳の寂聴氏の健康面を気遣ったスタッフからの言葉を明かした。

さらに、寂聴氏は「『そのためには、私たちが辞めます』って、涙を流して言ってくれたの」

「感動しましてね」と自身の負担を減らすために、スタッフが一斉に退職することに胸を打たれたという。

 

それ以降の瀬尾さんとの新しい寂庵での暮らしぶりは全く別のものになったと語っています。

 

この話はこのままじゃなさそうだよなー

 

とは私も思うのですが、

 

 

 

でもですね、その結論が寂聴さんにとってベストだったんだと思うんですね。上の話を聞いてるだけで、難しくて老けこみそうです。

 

つまんないから、キラキラしてる方がいいよなー!

 

それを寂聴さんは選んだ、というただそれだけのことかなと思います。

 

 

「このアイスすごくない?寂聴さん♡」

 

瀬戸内寂聴さんはいつも講演で「笑うことが大切である」という事を説いているそうです。

 

瀬尾まなほは推測通り、どうやらいじめられていたようだ

 

少し関係がありそうなエピソードにこんなものがありました。寂聴さんがいじめられている子供を持つシングルマザーの相談に乗ったときの話です。

 

 

寂聴は「それはいじめね?」と推測した上で、

「今の子供は、いじめられてるなんて親には言いません! 自尊心があるのね」といい、

 

65歳年下の話題の美人秘書・瀬尾さんも「いじめられてるって言わなかった」と紹介。

 

瀬尾さんは「親にはいじめられている人だとは思われたくないので、やっぱり一生懸命隠すんですよね」と打ち明け、

「親も分かりにくくワザとこちらもしてるんですよ、隠すから。だけど何か違うんですよ、おとなしくなったり部屋に閉じこもったり。その時に『どうしたの?』ってしつこく聞いてほしかった。何度も何度も聞いてほしかった」と、当時の複雑な心境を振り返った。

 

やっぱ知ってたのかwww

 

 

なるほどなあと。
そりゃ、何十年も寂聴さんに仕えた側からすると、瀬野さんの存在は見過ごせないでしょうし、これまで培ってきたやり方を壊されてしまう状況と、それなのに何も知らずにどんどん彼女へ惹かれていく寂聴さんの様子に、耐えられないものがあったのでしょう。ともかく面白くない。
何となくわかったのは
寂聴さんの瀬野さんに対する感情は恋なのかもしれないですね。
小さな最後の恋。

寂聴「(瀬尾さんは)その経験があるから、私を今いじめてるの」

と、冗談めかして親密さをアピールした。

また、寂聴は、執筆活動で96歳にして徹夜し、深夜に自らFAXで原稿を送っているそう。瀬尾さんは「徹夜しなぎゃいけないくらいギリギリまで書かないので…」と、秘書として困っていることを訴えていた。

 

管理人kira2
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魂見すぎてると、

だんだん年齢とか性別とか関係なくなってきますね(笑)

 

 

 

今誰より一緒に居て欲しいし、近くで笑っていたいし、構ってほしい相手が瀬尾さんのようです。寂聴さん乙女チックで若返って、かわいらしいですね。しあわせな時間です。

 

瀬戸内寂聴と昔の男性との間に娘の子供がいる?

 

寂聴さんはもう久しく尼さんなので、結婚とか出産とあまり縁がなさそうですが、出家される前は普通の女性としての人生を歩んで・・・いや、歩もうとされていたようです。

 

 

おおお!イケイケの寂聴さんですね(笑)

◆瀬戸内寂聴さんの結婚と出産

 

瀬戸内寂聴さんは彼女が東京女子大学在学中、1943年の21歳の時にお見合いで最初の結婚をされたそうです。お相手は中国古代音楽史を研究する学者さんだったそうです。結婚後はすぐ北京へ。結婚の翌年、女の子の赤ちゃんを出産したのだそうです。

瀬戸内寂聴さんは何となく、「女の子」と縁がある人のようですね。

 

 

1944年に出生なので、現在その娘さんも74歳(2018年現在)です。

お名前は公表されていません。

 

若い頃の過ちは娘さんと離れた事と語っている瀬戸内寂聴さんですが、後にこの娘さんとは和解し関係も修復しているという事です。

 

 

わが子と離れ離れにならなくてはならない状況があったようですね。母親としては理由はどうであれ、とてもつらいことだったと思います。

 

◆瀬戸内寂聴は若い頃にクズ不倫していた!?

 

結婚・出産後、寂聴さんの人生は一転してしまいます。学者だった夫の教え子と恋仲になってしまい、娘さんが3歳の時に夫と娘を捨てて家を出て行かなければならない状況に追い込まれます。寂聴さん25歳の時でした。

 

 

戦争が終わり、北京から日本へ帰国した瀬戸内寂聴さん一家でした。寂聴さんの地元、徳島で家族3人で暮らしていたそうです。そこでなんと、寂聴さんは夫の教え子と恋に落ちてしまいます。

 

瀬戸内寂聴さんは夫の教え子である青年と不倫関係になり、罪悪感からか自ら夫に不倫していることを告白するも、夫は当たり前のように激怒したそうです。

 

そら、怒られるわw

 

夫は瀬戸内寂聴さんと自分の教え子が会うことができなくなるように東京へ引っ越す事を決断します。そこまでの猶予があったにもかかわらず、

瀬戸内寂聴さんは不倫相手の青年へ益々思いを募らせ、夫と当時3歳だった娘を捨てて京都へと渡ってしまったといいます。そのことを知った寂聴さんの父親は激怒して寂聴さんとは縁を切ったそうです。

 

管理人kira2
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まあ、縁切られますよね。

 

 

まさに若さ故の残虐性というか、世界を敵にした情愛です(汗)

若さとはサガと煩悩との闘い。

 

娘を連れていけなかったのは主に経済的な理由だったということでしたが、それでも長い間そのことは悔いていたようです。

 

当時の自分が経済的に自立していれば子供と一緒にいられたが、自分にはその力がなく置いていくしかなかったと後に語っています。

そのため彼女は現在も、男性と対等な立場になりたいのであれば、経済的に自立しなければならないと世の女性達に向けてメッセージを送り続けています。

 

駆け落ち後の悲劇

 

 

夫と、まだ母親を必要としているはずの3歳の小さな娘を捨てて、親とも縁を切って、単なる不倫相手である青年の所に行ってしまった瀬戸内寂聴さんはその後はどうなったのか?

 

そうして寂聴さんは青年と再開し交際をスタートさせました。

しかし今度は妻子持ちの男性と不倫関係となり一時期は三角関係になっていたそうです。

 

管理人kira2
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はい?

 

この話にはトドメのような悲劇の終焉があります。

 

その後、瀬戸内寂聴さんと青年の恋は終わりを告げ、青年は事業に失敗して自殺。

 

まさに事実は小説より奇なり。

 

瀬戸内寂聴さんは後にこんな風に語っています。

 

 

本当のね、恋の醍醐味は不倫ですよ。

 

なかなか、なかなかな発言です。

 

◆瀬戸内寂聴の出家

 

その後、寂聴さんは51歳で出家したようです。寂聴さんのここまでの話を見ていくと、自身の存在がとても罪深いと考えるのも分かる気がします。自分の人生に関わった人たちを皆傷つけ、彼らの人生を破壊してきてしまった、そんな思いだったのかもしれません。

 

 

1973年になってやっと瀬戸内寂聴さんを受け入れてくれる場所が見つかります。その後中尊寺天台宗で出家し、今現在の名前寂聴となったのだそうです。

 

1973年に今春聴(今東光)大僧正を師僧として中尊寺にて天台宗で得度、法名を寂聴とする(戸籍上の氏名は、1987年に天台寺住職となった際に瀬戸内寂聴に改名)。

翌年、比叡山で60日間の行を経て、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に居す。尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法(天台寺説法)として、法話を行っていた。

ただし通常の出家のような禁忌生活ではなく、出家後も男性と付き合い、化粧をし、酒を飲み、高級霜降り肉もたくさん食べていると自ら認めている。

 

寂聴さんは)当時、小説家だけではなく修道女を志していたんですが、

既婚者で娘もありながら他の男性と関係をもったという行状により教会側から修道女になることを拒否されてました。その後、出家を志して多くの寺院に頭を下げるもここでも拒否をされてしまうのです。

 

元々は修道女になりたかったのですね。それにしても、悔い改めることを拒絶されるって、何なんですかね(笑)

 

 

管理人kira2
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もし修道女になっていたらゴスペルを歌っていたことでしょう!

 

◆瀬戸内寂聴と愛娘のその後

 

瀬戸内寂聴さんと娘さんの関係ですが、長年絶縁状態が続いていたということです。そりゃそうですよね。

 

 

娘さんはまだ小さかったので、当時は憎しみなどは抱かずに、「なぜ?」が続いていたことでしょう。周りの家族の怒りや憎しみに対して、理由が知りたいという時間を大人になるまで過ごされたことでしょう。

 

ただ、二人の関係は寂聴さんが出家し、後年になってから和解し交流が戻ったそうで、現在は娘さんにはお孫さんもいるそうです。二人が和解するに至るまでは一筋縄にはいかず、かなり苦労して和解されたと言われています。

 

きっと他の家族の立場からしたら、瀬戸内寂聴さんの行為は、到底許せるものではないという気持ちであったはずですし、そこで知らされてきた情報の上で、寂聴さんを憎むこともあったかもしれません。

 

 

それでも、一緒にこうして笑いあえるようになって、寂聴さんは自身の若い頃の罪を許された気持ちにもなれ、少しだけ救われたでしょうね。

 

瀬戸内寂聴のくず不倫恋愛の過去が小説と映画化?

 

もともと寂聴さんは尼僧としての人生を目指す前に、小説家を目指していました。現在ではさんと小説家と両方の姿を実現されています。文学女子だったのですね。

 

 

管理人kira2
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余談ですが、だからこそ秘書の瀬尾まなほさんを採用する際に

文学女子でないこと」がよかった、といったのかもしれませんねw

 

◆小説家 瀬戸内寂聴(田村俊子 瀬戸内晴美)の活躍

 

 

 

瀬戸内寂聴さんには小説家という顔と尼憎さんという顔があったのです。

 

新人時代を経て、1956年処女作「痛い靴」を発表します。また同年に「女子大生・曲愛玲」という作品で新潮同人雑誌賞を受賞するくらい才能を発揮していきました。

しかし、その受賞作品その受賞第1作『花芯』での内容がポルノ小説だということで当時批判されてしまい批判家によりレッテルを貼られてしまいます。

そのことにより、依頼なども減ってしまい本を出版する事もできずに雑誌や週刊誌(『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等)などで作品を発表する日々を送ることになりました。

 

1956年ということは34歳の時に処女作ということですから、出家前の小説家デビューということですね。小説家としての人生は今年で62年ということになります!

 

【デビュー作】

『痛い靴』(1956年)

 

【代表作】

『花芯』(1958年)
『夏の終り』(1963年)
『花に問え』(1992年)
『場所』(2001年)

 

【受賞歴】

新潮同人雑誌賞(1956年)
田村俊子賞(1961年)
女流文学賞(1963年)
谷崎潤一郎賞(1992年)
芸術選奨(1996年)
野間文芸賞(2001年)
文化勲章(2006年)
泉鏡花文学賞(2011年)
朝日賞(2018年)

 

1959年からは同人誌『無名誌』に「田村俊子」の連載を開始し、連載物の小説を開始しつつ、並行して『東京新聞』に初の長編小説『女の海』を連載することになります。

 

 

この時期の不倫(三角関係)の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。

 

「夏の終わり」なんとこの作品は、自身の不倫体験を描いた小説でした。

 

 

夏の終わりっていう季節はいつもいつも切ないですね。

 

瀬戸内寂聴さんが40歳のときに書いて、女流文学賞を受賞した作品。

瀬戸内寂聴さんはこの作品が自身の作品の中で一番好きなんだそうです。この作品を書いてから、これを越す小説を書こうとしていますが、50年たった今でも、実現していないそうです。

 

この作品に登場する年上の男の実在のモデルが居るのだそうで、それは作家の小田仁二郎氏といわれており、年下の男のモデルは、寂聴さんが家庭を捨てて駆け落ちしたかの男性のことだと言われています。

 

管理人kira2
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小説にしちゃうんだ・・・。

 

ちなみに映画の出演者は、主演の女性役の満島ひかりさん、妻子を持つ作家役の小林薫さん、年下の恋人役の綾野剛さん、豪華な面々で作り描かれた映画になっているようですね。

 

映画化もされて人気だったようです。人の修羅場は蜜の味とでも言いますか。

 

管理人kira2
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ここまで書いてアレだけど、こんな映画は見たくないかも(笑)

 

寂聴さんは小説を書くことに対してこんな風に表現しています。

 

 

小説を書くことは私にとって快楽なのです。この快楽を手放したくないという欲望が、私にはある。煩悩は捨てなくてはなりませんが、私はいい小説を書きたいという煩悩だけは、今も捨て去ることができません。

 

 

煩悩だった!

 

瀬戸内寂聴の過去の集大成・人生と恋愛といのちの名言本

 

色々と本は発売されているようですが、このふたつは人気みたいですね。

 

◆瀬戸内寂聴の最後の?小説本『いのち』

 

瀬戸内寂聴さんが95歳で書き上げた、長編小説だそうです。寂聴さんの長編は3年前の「死に支度」以来となっています。「体力的に、この本が最後の長編小説になるかもしれない」と話しているそうです。

 

 

寂聴さんと親交のあった女性作家2人との思い出を中心に、自らの老いに向き合いながら命を見つめた小説なのだそうです。やはり最後は「女性」が主役の小説なんですね。

 

◆瀬戸内寂聴95歳のことば集『生きてこそ』

 

こちらも寂聴さんが95歳で出版した人生に対する考えの集大成のようです。

 

 

第1章 智慧と幸福と自由と
第2章 老いの日々を爽快に生きる
第3章 死は平等に訪れる
第4章 嘆かわしいのは教育の荒廃
第5章 嫌な時代の空気にあらがう
第6章 読書せざるは一生の損
なかなか95歳まで自身の人生を見つめて文章を書ける人も多くないと思うので貴重な1冊ですね。

◆瀬戸内寂聴さんの名言

私が寂聴さんのことばで好きだったのはこれです。

 

 

人間は孤独な存在だからこそ、寂しい。孤独だから、話し合える友だちがほしい。孤独だから、一緒に暮らす家族がほしい。肌が寂しいから、誰かと一緒に寝たい。

でも、どんなに体を温め合ったところで、孤独であることに変わりはありません。だから、恋人に裏切られたって、キーキー泣きわめく必要はないのです。家族と離別することになったら、

「いままで、たまたま道連れでいてくれたんだ。ありがとう」と思えばいい。

 

道連れでいてくれてありがとう。

そんな風に別れを眺められるのって、清々しくてそんな自分が素敵だなとw

「気」がいいな、って思いました。

 

管理人kira2
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いつもいい「気」でいたいですね。

 

◆瀬戸内寂聴は過去に死亡!?

 

現在、96歳の瀬戸内寂聴さんですが、まだまだ元気で活躍しています。では誰が亡くなったのか?

 

 

たくさんの人が死んだそうです。

寂聴さん以外の。

 

同時代を生きた作家や著名人との奇縁を綴る『奇縁まんだら』(日本経済新聞に連載終了済)というエッセイを足掛け5年書き続けながらつくづくと思いましたが、

人間はみんな死にます。

川端康成さんも、三島由紀夫さんも、遠藤周作さんも、つい最近は北杜夫さんも、みんな死んでしまった。私のように90まで生きてごらんなさい。

親しい人間は全部死ぬんだということが、よくわかります。

 

長生きして、彼らを思い出すこと、天へ行った彼らとお話すること、それが瀬戸内寂聴さんへ神様が与えた償いの方法なのかもしれないな、とこの文章を見て私は思いました。

 

生きて見送ること、祈ること。

 

だからもう、私は死ぬことも怖くないし、病気も気にしません。

昔、60歳ぐらいの頃、ちょっと心臓の存在を感じるようになって、東京で三指に入るという心臓のお医者さんに診てもらったことがあります。

お医者さんが、「講演旅行なんてとんでもない。年寄りらしく庭で草むしりでもしていなさい」とおっしゃるので、

「どうせ心臓が悪くて死ぬのなら、もっと仕事をしてやれ」と思って、仕事を倍に増やしたことがありました。

そうしたら、私は死ななかったのに、そのお医者さんが亡くなってしまいました。

 

 

長生きの秘訣はワクワクキラキラ生きることのようですね。

 

管理人kira2
管理人kira2

私はそんなに長生きしたくないのに、

自称キラキラ収集家なので困りました。

 

寂聴さんはこんな考え(教え?)を持っています。

 

 

地方講演などでは主に「笑うこと」が大切であるということを説き、

座右の銘は「生きることは愛すること」だという。

「金を取る宗教は偽物」を自らの持論としている。

自身も行った不倫については肯定的である。

脳死による臓器移植に反対している。

 

 

だから、正論よりも笑うことの方が尊いという考えなのでしょうね。

 

お釈迦さまは、「この世は苦だ」とおっしゃいました。お釈迦さまは国が戦争するのも見てきたし、自分の国が滅ぼされるのも見た。人間の嫌なところをたくさん見て、自分が可愛がっていた弟子がどんどん死んで孤独も味わった。それでも、最後の遊行の旅に出られたときに、こんな言葉を残しておられます。

「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」(大パリニッバーナ経=大般涅槃経)

この世に対する全肯定、人間に対する全肯定です。

お釈迦さまがこうおっしゃったのだから、この世は美しく、人の命は甘美なのだと私は信じます。私たちはもっともっと楽観的に生きていい。私はそう思っているのです。

 

わたしもこれは信じていたい!

 

この世は美しく、人の命は甘美なのだ

 

 

 

管理人kira2
管理人kira2

寂聴さん、もうしばらく甘美を味わってご活躍くださいね♪

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