篠原ともえさんといえば、1990年代末の若い頃に一大シノラーファッションブームを全国に巻き起こしたことで注目され、若者の間で大人気となりました。当時はちょっと変わった奇抜な女の子として有名でした。
芸能界でも引っ張りだこで大忙しだった篠原ともえさんが突如表舞台から消え、実質芸能界引退状態となった原因に「台湾事件」というものがあり、直後には記者会見も行われました。
今回は篠原ともえさんの芸能界全盛期の若い頃とその後に巻き込まれた「台湾事件」の内容として情報として出てきた内容をピックアップし、真相を追います。
◆1993年(年齢14歳)篠原ともえは、若い頃中学3年生でソニー歌手オーディション合格。同年、都立八王子工業高等学校の応用デザイン科合格画像
1990年代末頃に強い色彩の小物をガチャガチャと組み合わせた独特のファッションが「シノラーファッション」という1つのスタイルとして若者に影響を与えたことで「時の人」だった篠原ともえさん。
画像:pinterest.jp
篠原ともえさんのデビューのきっかけは、1993年中学3年生の夏休みの時に「ソニー歌手オーディション」で見事合格したことでした。同年、高校受験で都立八王子工業高校の応用デザイン科(現在の名称は東京都立八王子桑志高等学校)に合格しています。
◆1995年春(年齢15歳)若い頃の篠原ともえは高校入学と共に芸能界デビュー
1995年に高校へ進学した篠原ともえさんは入学から間もない春にデビューを果たします。所属事務所がソニーミュージックだったこともあってか、最初からソニーの新作ラジカセ「Dr.CHANGER」のCMの音楽に篠原ともえさんが抜擢されます。
CM 『SONY Dr.CHANGER ZSX-7000』music 篠原ともえ+石野卓球 (1995) pic.twitter.com/nvgJc5ugg0
— とっけつ (@yoc_tkz) May 4, 2019
懐かしい、篠原ともえさんの元気な声が聴けます。SONYも当時はまだまだ若者にとっては憧れの日本を代表する音楽家電ブランドでした。
なつかしの
日本最強時代w
◆1996年春(年齢16歳)デビュー翌年には篠原ともえはレギュラー番組『LOVE LOVE あいしてる』で人懐っこさとハイテンション大暴れキャラクターで大人気に
1996年10月に放送開始をした音楽バラエティ番組『LOVE LOVE あいしてる』ではKinKi Kidsや吉田拓郎さん、ゲストの大物ミュージシャンと共演し、篠原ともえさんの素朴で純粋で元気なキャラクターが大人気となりました。
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利益先行でセクシーなバブルファッションが女性に浸透していた中で、篠原ともえさんのセクシーとはかけ離れた、駆け引きナシの純粋な姿が若い同性の女性たちにも支持されていたように思います。
画像:Tokyo Fashion.com
街中に
シノラーファッションが感染w
今思うと、とても日本が元気で明るい時代だったなと懐かしく思います。
この日本が輝いていた時代に活躍していた若い頃の篠原ともえさんでしたが、衣装や身に付ける小道具(?)は人気が出てもいつも自作していることが多く、自分の作り出したものが「ファッションブーム」を起こしたことで、「つくること」の楽しさ、ファッションへの興味をこの時代に深めていったようです。
画像:https://www.buzzfeed.com
私もほぼ同年代で美術大学へ行った経緯があるため、この時代にひとつ上のバブル世代の女性たちが「ハイブランド」嗜好だった反射の時代ではないですが、「ブランドは私自身だ」というような、自らの価値を問いただすような動きというのが若者に広がりつつあった時代だった気がします。
それだけ、日本がまだ余白やムダを許容する余裕があった時代だったとも言えます。
余白がないと
新しい豊かさって
生まれてこない気がする。
■バブル時代にキャラクター全盛期を迎えていた若い頃の西川史子さんはこちら
◆1998年(年齢18歳)文化女子大学短期大学部服飾学科へ再入学し、裁縫技術を学ぶ
各所での活躍で大忙しだった高校時代の若い頃の篠原ともえさんは、高校が推薦する戸板女子短期大学の被服科へそのまま進学しましたが、より専門的な裁縫技術を学ぶために翌年、改めて自力で一般受験をすることで文化女子大学短期大学部服飾学科へ進学しなおしています。
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この時には既に篠原ともえさんの「やりたいことリスト」に服飾系の分野で「つくること」というのが明確にあったことが伺えます。
タレントで卒業生の篠原ともえさんの特別授業を受けました。
明日26日(木)から日本ホビーショーでコラボします!
ワークショップを行いますので、ぜひお越しください!#文化学園大学短期大学部 #篠原ともえ #日本ホビーショー2018 pic.twitter.com/KmJtOuUCM9— 文化学園大学 短期大学部 (@bunka_tandai) April 25, 2018
現在では講師として
母校でワークショップも
◆2001年3月(年齢21歳)全盛期の篠原ともえを実質「芸能界引退」状況へ転向させた?若い頃の台湾での悲しい事件の事実とは?画像
2001年の3月、まだまだシノラーブーム真っ最中だった若い頃の篠原ともえさん時に、その事件は起こります。この時期は前述の文化女子大学短期大学部服飾学科の卒業を目前に控えた時期でもありました。

シノラーブームにノリノリだった篠原ともえさん
人気絶頂だった篠原ともえさんは仕事で台湾を訪れました。目的としては台湾限定CD発売に合わせたキャンペーンプロモーションでした。
台湾では「へんてこりん女教祖」という異名で人気だったらしいw
3月5日の深夜から明け方に後々まで謎に包まれることとなった篠原ともえさんの台湾事件は起きます。第一報となったのは3月6日付の台湾の新聞でした。
台湾のホテルで
篠原ともえが大暴れ??
篠原ともえさんが『泥酔してホテルで大暴れ』『深夜でホテルで大騒ぎ』『常軌を逸した行動』『裸同然の姿でホテルを飛び出し』というあまりにショッキングな内容が地元台湾の新聞の見出しに並んだ。
このような衝撃的な見出しや内容で、日本へもすぐにその情報は渡り騒然となりました。
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一体どういうことでしょうか??確かに奇抜なキャラクターとして日本で人気を得てはいましたが、当時も見えない所で真面目でコツコツした性格であることじんわりとが分かる篠原ともえさんが、ここまで周りに迷惑をかけるだけの挙動不審な行動をとるというのは考えにくいです。
まずは時系列での「事実」を追っていきます。
◆前日3月4日の仕事は人気クイズ番組への出演/篠原ともえの台湾事件の事実関係
事件が起きた前日の篠原ともえさんの仕事は「台湾の人気クイズ番組」への出演でした。サービス精神と気配りがとてもある篠原ともえさんはこの台湾のテレビ番組出演中で、通訳が入ってはいたものの言葉の問題により自分の想いがうまく伝えられないという焦りがあったようです。
画像:http://blogimg.goo.ne.jp
その時の気持ちを、後にこのような内容で発表しています。
オモシロいことを言わなくちゃと思っている内に悲しくなってしまった。こういうのを情緒不安定というんですね。
日本でのテレビ出演で、自分がどのようなことを視聴者に期待されているのか、それに応えていかなければならないというとても真面目な仕事への向かい方をしていた篠原ともえさんは、日本とは勝手が異なる「台湾視聴者」の気持ちを自分が掴むことが出来なかった、「期待に応えることが出来なかった」という想いで落胆していたことが分かります。
◆当日3月4日の深夜~翌3月5日未明に滞在ホテル「晶華大酒店」10階で事件は起こった/篠原ともえの台湾事件の事実関係
テレビ局から滞在する高級ホテル「晶華大酒店」(リージェント台北)へ戻ってからも、篠原ともえさんは台湾のクイズ番組出演で酷く落胆していました。
画像:https://www.regenthotels.com
それを日本人のスタッフが慰めていた様子について、騒動までを目撃した台湾側のスタッフと新聞記者が確認しています(日刊ゲンダイ情報)。併せて、下記事実も両者が確認しています。
ここについての事実関係(後述)は台湾で報道された内容と篠原ともえさんの供述内容が異なっています。
また、世界を相手とする高級ホテル「晶華大酒店」(リージェント台北)だっただけに、ホテル側は追加取材に対しても頑なにノーコメントを通し、個人のプライバシーを守るさすがの対応をしています。
台湾ホテルの防犯カメラに泥酔して叫びながら暴れる姿があったという話も後に台湾メディアによって語られたようですが、これだけの姿勢を貫くホテル側が防犯カメラの映像を外に出すとは思えない気がします。
◆警察と消防が出動/篠原ともえの台湾事件の事実関係
滞在中のホテル「晶華大酒店」の10階で、篠原ともえさんが起こした騒ぎによって、他の宿泊客から苦情が入る状態となり、現地の警察と消防が出動したという話になっています。
画像:pinterest.jp
しかし、後にいくら調べても、警察が出動したという裏付けとなる証拠は出てこなかったようです。
この騒ぎの際の篠原ともえさんの様子や出来事が後に台湾の新聞やテレビで報道されたことが日本でも大騒ぎとなったきっかけとなっています。
◆翌3月5日早朝に台北市の救急病院へ入院/篠原ともえの台湾事件の事実関係
日付が変わって、3月5日の早朝に篠原ともえさんは日本人スタッフによって台北市の救急病院へ運び込まれています。日本帰国後に医師からの診断書を本人が掲げていることから、病院へ行ったということは事実として裏付けの証拠がある事となります。
この事実から、台湾での予定の仕事を出来ないと判断した篠原ともえさんサイドは、台北での仕事を8本キャンセルしたと言われています。病院では早朝に来院後、一昼夜を過ごす短期間の入院となりました。
◆3月6日付の現地新聞紙面で前日の騒ぎが発覚/篠原ともえの台湾事件の事実関係
前日3月5日の予定されていた篠原ともえさんのイベントや仕事がすべてキャンセルになったことからか、3月6日付の台湾新聞や地方メディアでは滞在中のホテル「晶華大酒店」での深夜の騒動が大きく見出しとして取り上げられることとなりました。
画像:pinterest.jp
台湾メディアが報道した内容としては繰り返しになりますが、
●常軌を逸した行動
●裸同然でホテルを抜け出した
とりあえず、
かなりの異常事態。
関係者の話では、「ホテルの廊下の火災報知機を鳴らしたり、非常階段の扉を叩いたりしていた」「お酒を飲んだことで感情が爆発したんだと思います」との事。
台湾ホテルの防犯カメラに泥酔して叫びながら暴れる姿があった、「酒に酔ったような状態」であり、「バカヤロー!」と大声で叫ぶなど篠原ともえさんの後の証言と異なる大暴れを想像する内容を報道したとされています。
◆3月6日に日本へ帰国し、羽田空港でマスク姿で緊急記者会見、「急性ストレス反応」の医師診断書/篠原ともえの台湾事件の事実関係
思わぬところから大きな事件として報道された『台湾事件』は、篠原ともえさんが大人気だった母国日本の各誌、メディアもすぐに情報をキャッチし、大騒ぎとなりました。私もこの時のテレビの報道は特別な違和感を持って実際記憶しています。

台湾事件についての会見時の篠原ともえさん
篠原ともえさんの台湾からの帰国に合わせて報道内容の是正と釈明の為、羽田空港で緊急の記者会見が取り行われました。
台湾事件の真相は??
実際に本人である篠原ともえさんから語られた内容をまとめると以下のものでした。
画像:https://geinou-scandal999.com
台湾の現地での過密スケジュールに対して、篠原ともえさんがストレスや体調不良を日本側スタッフに訴えていたことは確かだったようで、このように緊急記者会見では語られています。
「酔っ払ってなんかいませ~ん。みんなウソですぅ~」
「廊下で“早く日本に帰りた~い”と何度もいっただけ」
引用元:『zakzak』
また、台湾の人やマスコミの印象についてはこれだけのトラブルに巻き込まれていながらも篠原ともえさんはこのように気丈に答えています。
「みんないい人ですう」
引用元:『日刊ゲンダイ』3月5日
台湾で自分がこんなに人気だなんて感動して泣きそうになった
引用元:『日刊ゲンダイ』3月5日
なかなかの違和感ww
なんとも抽象的で腑に落ちない会見だったようです。その会見では篠原ともえさんの起こした事件の真相がはっきり分からなかったこと、これまでの元気印のかわいいキャラクターイメージが覆ってしまったこともあったことで、帰国後はスポンサー離れが進み、メディアへの露出も減ってしまったそうです。
◆マスクでの記者会見登場の理由
さらに、緊急記者会見の異様さと違和感を強くしたのは篠原ともえさんの「マスク」着用でした。
画像:http://newspo24.com
常にここまでファッションリーダーとして「シノラー愛好者」を牽引してきた存在であった篠原ともえさんが、緊急会見に際し、とてもお洒落とは思えない様子、顎のあたりにマスクを半分付ける形で登場したことです。
これにも理由があったようで、篠原ともえさん本人からはマスク着用について当日と後のインタビューにおいてその理由が語られています。
●変装用(会見当日)
●差し歯が取れちゃっただけ(後のインタビュー)
●ノドが弱くて普段から着用(後のインタビュー)
『日刊ゲンダイ』内容要約
マスク着用に関する質問の回答に徐々に変化が出ていることに違和感を感じつつ、しかし、ここにおそらく何かしらの重要な真相があったことをうかがわせる内容となっています。
一体何が??
画像:pinterest.jp
いずれにしても篠原ともえさんにとってショックな事件の後に記者会見までしなくてはなず、とても大きな心労だったでしょうね。
この違和感は篠原ともえさんの緊急会見をみた大半の人が感じた印象だったようで、会見後にも様々な憶測情報が飛ぶ要因ともなりました。
■篠原ともえさんは後にホクロ加筆と上下の歯を歯科矯正をされて強運に!

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