田中裕子は若い頃おしんで夫・沢田研二を色気魅力で結婚!子供は?画像

◆結婚・離婚・夫婦・旦那・家族

日本のドラマで最高視聴率を記録しているNHK朝ドラの『おしん』の青年期のおしん役を演じ、一躍大女優の仲間入りをした田中裕子さんですが、若い頃の妖艶で魅力的な姿に現在でもたくさんのファンがいます。

今回は田中裕子さんの若い頃の演技者としての活躍の経緯と、夫となった沢田研二さんとの馴れ初めや、略奪婚の噂、夫婦円満な結婚生活、子供などについて調べました。

◆女優・田中裕子の若い頃がかわいい!ドラマ画像!現在の年齢・本名の由来は?マー姉ちゃんでNHK朝ドラデビュー写真画像

 

2019年はNHK朝ドラの伝説の名作『おしん』の通年再放送が実現し、改めて注目を浴びている田中裕子さんですが、現代目線で見てもとっても魅力的で妖艶なのに爽やかな印象を与えるという、特別なオーラのようなものを持っている女優さんです。

 

グリコチョコレート「アフロス」の田中裕子さん1983年カレンダー

グリコチョコレート「アフロス」の田中裕子さん1983年カレンダー

画像:pinterest.jp

 

なかなか実現しない
爽やかさと妖艶さの共存!

 

田中裕子さんは明治大学在学中である1978年に23歳にして文学座に入り、女優活動をスタートし、翌1979年には既にNHK朝ドラ『マー姉ちゃん』で主役の妹の役柄で出演しています。ですから、2019年現在では既に女優歴41年の大ベテランの女優さんです。

 

田中裕子さんは2019年で64歳になられています。

 

『マー姉ちゃんの時の田中裕子さん』

『マー姉ちゃんの時の田中裕子さん』

 

1981年(昭和56年)田中裕子さんが26歳の時には映画『ええじゃないか』及び『北斎漫画』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞新人俳優賞を受賞しているということで、女優としてはかなり早咲きであり、スタートから順風満帆だったと言えます。

 

少女時代の田中裕子さん

少女時代の田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

それだけ田中裕子さんには、女優さんの中でもひときわ「なにか特別なもの」を感じさせるオーラがあったことが分かります。

 

 

1986年には前年に「なんてったってアイドル」で大ブレークしていたはずの小泉今日子さん(当時20歳)ともホームドラマ『花嫁人形は眠らない』で共演していますが、写真を並べてみると、田中裕子さんの魅力がはるかに輝いて見えるのは私だけでしょうか…?この時は田中裕子さんは31歳ですが若々しいですし、色気もまだまだここからといった印象です。

 

『花嫁人形は眠らない』に出演する小泉今日子さんと田中裕子さん

『花嫁人形は眠らない』に出演する小泉今日子さんと田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

田中裕子さんは芯の強さがとても伝わってくる女優さんでありながら、その女性としての色気や笑顔、雰囲気に攻撃的な部分が全くなく、まるっと女性らしい柔らかい印象なのが魅力ですね。

 

 

デビューの初期には、田中裕子さん自身の女性としての魅力が特に強かったことや、時代としてまだまだ男性の完全主導の社会が背景としてあり、田中裕子さんもその男性たちの欲望に巻き込まれて初期のいくつかの作品において「商品」として利用されてしまったような時期もみうけられます。

 

私なんかは同じ女性なのでどうしても胸が痛むのですが、そうした刹那的ではかなさを併せ持つ雰囲気すら、田中裕子さんの魅力を増している要因でもあったりします。

 

デビュー弔辞から妖艶な雰囲気のあった田中裕子さん

デビュー弔辞から妖艶な雰囲気のあった田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

現在、田中裕子さんはご結婚されて本名が澤田裕子さんになっていますが、もともと田中裕子さんというお名前も本名のようです。ただ、読み方は「ひろこ」ということです。昭和天皇の諱である「裕仁(ひろひと)」から取ったものだということです。

 

 

◆女優・田中裕子が若い頃世界に名を馳せた「おしん」役が何しろかわいい!色気と魅力に迫る写真画像

 

『おしん』で日本中の心をわしづかみにした田中裕子さんは再放送の2019年においても歓声が上がるほどのかわいらしく美しい姿を魅せてくれています。

 

『おしん』を熱演した田中裕子さん

『おしん』を熱演した田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

シーンごとに色々な表情を私たちに見せてくれる田中裕子さんの演じるおしんは、厳しい時代においても、鮮やかに逞しく、美しく生きていく女性像を私たちにこれでもかという程、届けてくれます。

 

■おしん青年期役に田中裕子さんが選ばれた理由や、おしんキャスト俳優陣についてはこちらです↓

朝ドラ『おしん』キャストが役者揃い!川の名シーンの女優魂!画像
『おしん』の出演者である名役者さんと女優魂を見せつけるようなキャストの名シーンのご紹介、役者陣の役者魂と制作スタッフのプロ根性がありました!

 

女性は心持ち次第で、どんな過酷な状況においても「豊かに」暮らしていくことはできるかもしれないという意味で、現代の殺伐とした生活に置かれた人々の心にも何かアツい大切な気持ちや勇気を田中裕子さん演じるおしんの生きざまはもたらしてくれています。

 

 

『おしん』の台本を持つ田中裕子さん

『おしん』の台本を持つ田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

1983年放送の『おしん』によって、田中裕子さんは国内外で大変大きな評価を得ることになりました。そう考えると、田中裕子さんが1981年~1982年に女性として耐え忍んだ時代が、ここで咲くためにあったと言えなくはないわけで、田中裕子さん自身もおしんのような耐え忍ぶ時間を既に経験していたのだな…と感慨深いものがあります。

 

NHK朝ドラ『おしん』での表情豊かな田中裕子さん

NHK朝ドラ『おしん』での表情豊かな田中裕子さん

画像:NHKオンデマンド

 

おしんには実在モデルの明治女性が二人いた!?お話はこちら

 

◆女優・田中裕子の若い頃の『おしん』撮影秘話①最高視聴率を叩き出したのは小林綾子ではなかった

 

『おしん』は日本最高視聴率の伝説のドラマとして有名ですが、その最高視聴率の回の「おしん」役が田中裕子さんだったという事はあまり知られていません。

 

最高視聴率62.9%!

 


画像:NHKオンデマンド

 

最高視聴率が田中裕子さんの回であることが知られていない理由としては、『おしん』の少女時代を演じたあどけない天才子役・小林綾子さんの演技への注目や、貧しい農村で生まれ、そこで家族の為に耐え忍んで頑張る小さな少女の役柄への注目が大きかった事と、

 

放送終了後の海外への普及の際にもやはり小林綾子さん演じる36話までの幼い子供すら苦労して奉公するシーンへの関心や海外からの共感が強かった・・・と思われてきたためです。

 

 


画像:twitter

 

実際は田中裕子さんが演じる、11月の回でドラマ上では最愛の母親ふじが他界し、幼い頃から共に育った加賀屋のお嬢様である加代が夫に先立たれ、加賀屋も倒産し、自ら女郎へ転落するという回だったようです。

 

確かに目が離せない衝撃的な場面が続く回。

 


画像:NHKオンデマンド

 

田中裕子さん自身もNHK朝ドラ『おしん』の放送開始後、小林綾子さん演じる少女時代のストーリーが大変視聴者から好評であり、どんどん視聴率が上がっていく状況を受け、その後の青年期に「おしん」役を無事引き継ぐことができるか、慣れない撮影現場、台本のなか大変大きなプレッシャーを抱えていたようです。

 

ドラマ『おしん』あらすじとラストシーンはこちら

 

◆女優・田中裕子の若い頃の『おしん』撮影秘話②演技中に失神し、絶対安静1か月で撮影中断!『もうひとりのおしん』が放送される

 

田中裕子さんは舞台出身の女優であることからテレビドラマの撮影にはまだそこまで慣れておらず、その上、橋田寿賀子さんの作品の特徴である長台詞が大変重圧としてあったようです。

 

 

やっぱりここでも
一番の重圧は
橋田寿賀子の長台詞(笑)

 


画像:twitter

 

全297話のうち、小林綾子さんの担当の子供時代後の37話から225話までのストーリーを田中裕子さんが主演で演じたわけですから単純計算でも全話のうちの63%強を田中裕子さんがおしんを演じています。

 

おしん役の田中裕子さんと共に加賀屋のかよ役で共演した女優・東てる美さんは田中裕子さんの当時の格闘を最も近くで見つめた一人でした。

 


画像:twitter

 

休憩中に
ふたりでご飯を食べに行っても
会話なく、
二人とも黙々と台本を読んでいた

 

私たちは出ない回もありますが、裕子ちゃんは出ずっぱり。たまに撮影がない日も台詞を詰め込まないと絶対に覚えられないから、本当に休む間もなかったと思います。

それに、橋田先生の脚本は、“てにをは”一つ間違えると、台詞が出てこなくなる。他の脚本だと、台詞を少し間違えても、意味を変えることなく調整していくことができるんですけどね。橋田作品だとこの“言い戻し”が絶対できない。それだけ、一つの台詞の構成がしっかりしてるということなのでしょう。だからアドリブを入れる余地もありません。

引用元:gendai.ismedia.jp

 

 

田中裕子さんを心配する東てる美さん自身も、『おしん』の撮影日にはたった1日で2kgも痩せてしまうこともあったと語っています。また、当時の撮影はほぼ毎日、朝から晩まで撮影しっぱなしであり、あまりのセリフの重圧から役者同士が会話する余裕すらないという橋田寿賀子ドラマ独特の雰囲気が当時からあったようです。

 

そんな中、
田中裕子さんは過労で
撮影中に失神してしまいます。

 

その場面に遭遇したのはおしんの夫・竜三役で共演した並木史郎さんでした。

 


画像:NHKオンデマンド

 

おしん同様、
身を削りながら演じ続けた田中裕子

 

裕子さんは演技中に、僕の目の前で突然、気を失ったんです。パタリと倒れるまで演技をし続けた彼女の姿から悲壮な覚悟を感じました。
竜三の執事の源じい(源右衛門)役の今福將雄さんが咄嗟に抱きかかえたんですが、「夫であるお前の役目だろ」って感じで裕子さんを抱きかかえる役を僕に代わってくれた。

救急車がきて裕子さんはそのまま入院、撮影は1ヵ月休止になりました。

引用元:gendai.ismedia

 

おしん役の田中裕子さんが撮影中に倒れてしまい、、絶対安静を余儀なくされたことで、毎日放送するNHK朝ドラとしても対策が必要となり、急遽制作されたドキュメンタリー作品が『番外編・もうひとりのおしん』だったのだそうです。

 

 


画像:amazon

 

こちらは終戦記念日にあたる、8月15日からの週の6日間連続で放送されたもので、戦前から戦後の混乱期をおしんと同様に耐え生き抜いた女性たちのにスポットを当てて描いたものだったそうですが、田中裕子さんの当時の状況などは一切視聴者には知らされていなかったことから、ドラマの放送を楽しみにする視聴者からはクレームも多かったようです。

 

■余談ですが『おしん』はキルギス日本人誘拐人質事件(アルカイダ武装勢力の一部による)の無傷解放を実現に向かわせたアイテムのひとつでもあります。↓

中山恭子の若い頃ウズベキスタン大使時代の人質事件解放実現の人間力
中山恭子さんのウズベキスタン大使時代の活躍、キルギス日本人人質誘拐事件での活躍について、それらを実現させた中山恭子さんの人間力と芯からの強さ、美しさについて調べました。

 

◆女優・田中裕子の若い頃の『おしん』撮影秘話③主演としての名演技は舞台女優としての葛藤との狭間で生まれていたようだ(並木史郎談)

 

もう一つ、とても興味深いお話として、田中裕子さんの舞台女優としての顔を知っていたのも、おしんの夫役を務めた並木史郎さんでした。並木史郎さんは田中裕子さんと同じ文学座で俳優として所属されています。

 


画像:https://blog.goo.ne.jp

 

文学座俳優のプライドとして、
朝ドラという「俗」に触れてしまった
というショックが
我々には共通してあったように思う。

 

おしんフィーバーのなか、撮影現場に自民党の議員が視察に来たこともあるんですが、その際、裕子さんに言われました。「並樹くん、絶対歯を見せないようにしようね」って。すごい考えの持ち主だな、と思いました。

引用元:gendai.ismedia.jp

 

絶対に人気にあやかって自分たちの演技を権力や政治利用させたりしない!そんな純文学や芸術作品としての演技を尊いものとして守る意思が田中裕子さんたち舞台俳優陣にはあり、これは橋田寿賀子さんとも共通の認識だったようです。

 


画像:twitter

 

また、一方で田中裕子さんには『おしん』以前にもNHK朝ドラ『マー姉ちゃん』への出演もありましたし、2015年朝ドラの『まれ』に出演した時には演技にアドリブがたくさん入り現場が和んでいたという逸話もあります。

 

後述の『天城越え』の撮影の際には初監督だった三村晴彦さんと熱い演技論を交わしていた事もあり、本来は凝り固まった橋田寿賀子さんが台本で完全に設定した役柄よりも、もっと自由に演技をしたかったのではないかとも言われています。

 

田中裕子にとって
『おしん』は
演技に対する自身のこだわりを
限りなく封印する試みをした作品。

 


画像:NHKオンデマンド

 

夫役として、同じ文学座の俳優として田中裕子さんを見つめていた並木史郎さんには田中裕子さんの演技者としての当時の葛藤が間近でとても強く伝わっていたようです。

 

当然そうでしょう。僕の見立てでは、裕子さんは当時の現場の状況に半分も納得してなかっただろうと思う。それでも、不満を飲み込み、上手く笑顔や涙、困り顔など演技につなげていた。

引用元:gendai.ismedia

 

封印しても
人間的魅力はにじみ出るもの。

 


画像:NHKオンデマンド

 

それが本来の目的だったかどうかは分かりませんが、田中裕子さんが精一杯、決められた枠組みの中でおしんを演じたことで、視聴者はおしんの魅力の中に田中裕子さんの個性を強く感じ取っていたようでした。

 

木俣:身を削りながらも演じた田中さんのおしんは本当に魅力的でした。おしんはよく縫い物をしているのですが、作業しながらふっと何気なく頭を掻いたりする仕草に何とも言えない色気を感じます。質素な役のはずなのに、瞬間瞬間に色気が滲み出ているんですよね。

 

確かに。ゾクッとするような色っぽさがあるんですよ。ただ、計算して出してるわけではないと思います。裕子ちゃん本人は色気を隠そうとしてるんだけど、溢れ出てしまっている。

引用元:gendai.ismedia

 

色気は隠そうとしても
溢れ出るもの。

 


画像:twitter

 

こうした『おしん』共演者の俳優陣からのコメントを聞くと、田中裕子さんが周りからいかに愛されていたかが良く分かる気がします。一般的にお互いの「女」の部分を殺し合わなければ良好な関係が結べない女同士が多い日本の一般社会で、

 

同性同士の、しかも女優という立場にありながら、お互いの「色気」を褒め合えるというのも、意外と稀有な関係性なのではないかと感じます。東てる美さんとの関係がとても良好であり、なおかつ演技者として尊重し合える関係だったことを伺わせます。

 


画像:https://blog.goo.ne.jp/burnvd1205

 

そういう意味では、とても過酷で大変な撮影環境ではあったものの、田中裕子さんをはじめとした出演者にとってはお互いの演技に対する尊敬の念があり、豊かな現場でもあったようです。

 

 

◆NHK『おしん』放送終了後に女優・田中裕子が橋田寿賀子ドラマの主要キャストにならなかった理由考察写真

 

NHK朝ドラ『おしん』に出演した女優のうち主要な役柄の人々がその後も橋田寿賀子さんのドラマの常連キャストになっていったにも拘らず、田中裕子さんはそうならなかったことについて、

また、小林綾子さんや泉ピン子さんが世界中で『おしん名役者』として国賓待遇での歓迎をされるなど、海外との交流活動をされていた中で田中裕子さんの名前が出てこないことについて、私自身ちょっとした違和感を感じていました。

 

 

なぜ田中裕子は、
橋田寿賀子もおしんも背負わない
「その後」だったのか??

 

最初に思ったのは田中裕子さんが倒れ、1か月もの撮影中断をとなった状況について、橋田寿賀子さんがちょっとご立腹だったのではないか??などという事も想像しました。

というのは橋田寿賀子ドラマの常連キャストのトップともいうべき座に君臨した泉ピン子さんは、女優としてどんなに過酷な状況に置かれても穴をあけないという事を死守されていたからです。

 


画像:twitter

 

しかし、同じ文学座の並木史郎さん、東てる美さんのお話から、田中裕子さん自身の演技者としての意向や、所属していた文学座としての意向としても、田中裕子さんが「おしん」を背負って女優をしていくことは望まれていなかったのだという事を知ることになりました。

 


画像:TBS

 

えなり君泉ピン子さんの共演拒否問題はこちら

 

長年『おしん』は
全話再放送が許されていなかった。

 

実はね、『おしん』を通しで再放送するようになったのは、’03年以降のことです。’84年夏の再放送では『おしん』の幼年期だけ。裕子ちゃんが所属していた文学座の許可が下りなかったんです。裕子ちゃんではなく文学座の判断かと思いますが、役者として色がついてしまうのを嫌ったのかもしれません。

引用元:gendai.ismedia

 

また、どちらかと言うと、台本の段階で役柄の輪郭が明確である橋田寿賀子さんのドラマのような仕上がりよりも、田中裕子さんは演技者として、役柄の輪郭がもう少し抽象的で演技者にその形成がゆだねられている余白のある仕上がりの作品の方が自身の演技との相性が良いと思ったことも理由としてあったのかもしれません。

 


画像:週刊現代

 

おしんの母親役・泉ピン子さんの家族愛のお話はこちら

 

しかし、そうした制限が多い中であれだけの演技を田中裕子さんが実現できたのも、自分の人生において様々な苦難を体験していたからかもしれないと思ったりもします。

 

kira2
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余談ですが、この時代に「裕子」と名付けられた女の子は日本にたくさんいたようです(笑)

 

◆女優・田中裕子が若い頃の『おしん』以前の伝説の1作が松竹映画『天城越え』!色気満載の既に完成された演技!やっぱりかわいい写真画像

 

NHK朝ドラ『おしん』と同年である、1983年松竹公開の映画『天城越え』松本清張氏の短編小説『天城こえ』を映画化したものです。

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

田中裕子さんの代表作となった『おしん』よりも前に撮影された作品として、田中裕子さんの女優としての注目度が上がった後にも同じように名演技の作品として話題となっています。

 


画像:https://cahiersdemode.com

ストーリーとしては主人公の小野寺健造という当時14歳の少年が「天城山の土工殺し事件」を通してかかわった容疑者の大塚ハナ田中裕子 演)という一人の女性の美しさ、女性の本能的醜さ、官能的部分、聖女のような透明感と安らぎ、儚さ、残酷性、そうしたバラバラの点を追うことで輪郭をうっすらと浮き上がらせていく展開となっています。

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

女という生き物の本質を
見事に演じた田中裕子

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

茨木の貧しい農村に生まれたどこにでもいるような娘が、伊豆修善寺にある料亭に売られ、常連客の男たちをいかに顧客として繋ぎ止めるかというその日生きながらえる闘いを重ねてきた人生は、その後、田中裕子さんが演じることになる『おしん』でテーマとなる女の生き方にも共通するものがあります。

 

『おしん』での名演技も
下地に『天城越え』があったことで
リアリティーを増したのかもしれない。

 

◆女優・田中裕子の映画『天城越え』での本気の演技、沢田研二の心を奪った色気の本質、愛が見えた作品!画像

 

『おしん』の時の出演時とは対照的に、『天城越え』での出演時には演技・演出の面で田中裕子さんとこの作品が初監督だった三村晴彦さんは衝突を繰り返し関係性がぎこちなかったと言われています。

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

その時はクッション役の田島刑事を演じる渡瀬恒彦さんを交えながら、演技に対する演技者としての演技論、監督としての演出論などが繰り広げられていたというエピソードがあります。しかし、最後にこの関係を信頼でひっくり返したのは田中裕子さんでした。

 

ハナが刑事の尋問を受けるシーンの撮影で、失禁の場面を、田中が「仕掛けはいりません。自前でやります」と言い切ったのを見て三村が感動、以後、三村は田中を信頼するようになった

引用元:Wikipedia

 

嫁入り前の年頃の女性としても自分の人生の時間を過ごしている田中裕子さんが「自前」でやるという事がどういうことかを考えた時、田中裕子さんが自分の人生について、女優として成立しなければ意味がないと思う程の熱意をもって自身の人生や魂をすべて投入して演技されていたことを感じずにはいられません。

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

生まれながらに日々お金を得るために自身の体を売り続けてきた田中裕子さん演じる大塚ハナとそんな女性を愛しく想い恋い焦がれる少年のように無垢な野寺健造の対比が非常に切なくもあります。田中裕子さん演じる大塚ハナは自身が無垢な野寺健造と過ごすことで自分の内側にもまだなお存在していた純粋性に気づきます。

 

そんな純粋な気持ちを与えてくれた健造はハナにとってもかけがえのない人。

 


画像:https://cahiersdemode.com

 

壊してしまいたくない、自分にとっても宝物である健造という存在。それを守りたいからこその「さよなら」となったのではないかと感じます。役柄上、彼女自身は自分について汚れ切った穢い女だと考えていたかもしれませんが、ここにある愛情は稀有な透明感と田中裕子さん演じるハナの聖女のような清らかさを滲みだすものとなっています。

 

健造は終世、ハナから貰った
たった一つのマッチ箱を
大事に持ち続けて生きていきます。

 

kira2
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ここに田中裕子さんの女としての「愛し方」の根幹が見える気がします。

 

『おしん』は世界でも大人気ドラマ!アジアの外国人の評価も海外視聴率も凄かった

 

◆女優・田中裕子と夫・沢田研二の若い頃の馴れ初めと交際のきっかけは『男はつらいよ』寅さん共演?不倫・略奪愛だった?写真画像

 

田中裕子さんと沢田研二さんは現在も芸能界ではオシドリ夫婦として有名だそうですが、その出逢いの最初のきっかけとなったのは1982年4月に行われた再結成後の「ザ・タイガース」のコンサートに行ったときのことだそうです。

沢田研二さんともともと沢田研二さんのファンだった田中裕子さんが会う機会があったことだそうです。

 

若い頃の沢田研二さん

若い頃の沢田研二さん

 

ひょ~う(笑)
イケメン感漂ってるー。

 

その当時の沢田研二さんと言えば、「ジュリー」という名前がふさわしいカッコイイ外観(笑)これなら田中裕子さんがファンになるのも分かるかもしれません。

 


画像:twitter

 

そして、初対面の同年に田中裕子さん(当時27歳)と沢田研二さん(当時34歳)は1982年12月公開の映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で、共演を果され、お互い惹かれあってしまったと言われています。この映画の撮影後に交際が噂されるようになります。

 

『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』マドンナ田中裕子さんと沢田研二さん

『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』マドンナ田中裕子さんと沢田研二さん

 

ジュリーと
マドンナ田中裕子の愛が始まる。

 

1983年夏頃までには沢田研二さんが田中裕子さんのマンションに、足繁く通う姿が目撃されるようになったようで、週刊誌などが報道を重ねます。

 


画像:twitter

 

一般的な恋愛であればほほえましい光景でもあったわけですが、沢田研二さんには当時、正式な妻が別におり、よって田中裕子さんとのの恋愛は禁断の不倫愛として騒がれることになります。

 

ふたりの愛は
禁断の不倫愛だった。

 

『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』名場面の田中裕子さんと沢田研二さん

『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』名場面の田中裕子さんと沢田研二さん

 

そして、田中裕子さんの将来の旦那となる沢田研二さんの当時の妻も実はとても有名女性でした。

 

 

◆さらに若い頃、沢田研二は田中裕子と結婚する前に前妻・ピーナッツの伊藤エミと離婚していた!略奪愛だったの?写真

 

田中裕子さんの旦那となる沢田研二さんには当時奥さんがいた、ということで、それは歌謡界で一世を風靡した双子デュオの歌手である「ザ・ピーナッツ」伊藤エミさんでした。余談ですが、伊藤エミさんは双子の姉の方です(笑)。1941年生まれなので、沢田研二さんよりも7歳姉さん女房です。

 

沢田研二さんと伊藤エミさん

沢田研二さんと伊藤エミさん

画像:日刊スポーツ

 

姉さん女房。
「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミ

 

「ザ・ピーナッツ」と言うと、「南京豆売り」や「恋のバカンス」「月影のナポリ」などで双子ならではの奇跡のような声の調和でとても美しい歌を届けてくれていた素晴らしい歌手ですから、同じ歌謡界にいた沢田研二さんが一目を置くのも分かる気がします。

 

「ザ・ピーナッツ」のそっくりなお二人

「ザ・ピーナッツ」のそっくりなお二人

 

ティンタレラディルナ♪

 

kira2
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私は日本人のポップスで、もしかしたら一番好きかもしれないです(笑)

 

◆女優・田中裕子の将来の旦那となる若い頃の沢田研二(ジュリー)と元嫁の伊藤エミの結婚の馴れ初めは?結婚式画像 元妻は子供と孫もいる?瞳みのるに40年恨まれていたがマネージャーを介し和解?写真画像

 

田中裕子さんの旦那となる沢田研二さんと元妻の伊藤エミさんは1975年にご結婚されています。結婚と同時に伊藤エミさんは芸能界を引退されたという事で…その後双子デュオだったのに姉に引退された妹伊藤ユミさんがどうしたのか気になるところですがw

 

「マガジンハウス平凡」沢田研二と伊藤エミの結婚式画像

「マガジンハウス平凡」沢田研二と伊藤エミの結婚式画像

 

ともかく、当時は沢田研二さんと元妻の伊藤エミさんという大スター同士の結婚ということで大変注目され、騒がれたようです。

 

馴れ初めはこれまた不明(笑)

 

kira2
kira2

すみません。

 

結婚発表報告はなんと
比叡山延暦寺の
沢田研二さん
「比叡山ライブ」にて盛大に行われた!

 

比叡山延暦寺での結婚式 沢田研二&伊藤エミ

比叡山延暦寺での結婚式 沢田研二&伊藤エミ

 

田中裕子さんの旦那となる沢田研二さんと元妻の伊藤エミさんの結婚式についても比叡山延暦寺で行われたようです。

 

しかし、その後お二人は12年間の結婚生活ののち、1987年に離婚されます。そこには後述する田中裕子さんが絡んだ諸事情が出てくるわけですが、伊藤エミさんは最後まで沢田研二さんを愛していたようで、離婚届に判を押すことを決めた際も、 「愛する人の望むようにしてやるのが本当の愛情なんだ」といった気持ちだったと言われています。また、離婚後も「澤田姓」を生涯貫きました。

 

離婚したって、
遠くへ行ったって、
愛し続けることはできる。

 

そんな潔さすら感じられる元妻の伊藤エミさんは、また田中裕子さんとは別の意味でとても魅力的な女性だったのだろうと感じます。

 

田中裕子さんの旦那となる沢田研二さんと伊藤エミさんの間には結婚1年後に生まれた澤田一人さんという息子さんが1人いたようです。(離婚当時8歳)2019年には息子さんも40歳ということで沢田研二さんにはもうお孫さんもいる可能性がありますね。

 

沢田研二さんの息子澤田一人さん

沢田研二さんの息子澤田一人さん

 

息子さんの小学校の入学式にも足を運んでいた沢田研二さんです。

 

息子の入学式に付き添う沢田研二さん

息子の入学式に付き添う沢田研二さん

 

2012年6月には伊藤エミさんは71歳で亡くなられています。関係者の話では、数年前から腎臓がんを患い、療養中だったということです。

 

伊藤エミさんの訃報を伝える紙面

伊藤エミさんの訃報を伝える紙面

 

沢田研二(当時64)との間に生まれた一人息子の長男(当時33)や伊藤ユミさんら親族が看取ったそうです。そして、妹の伊藤ユミさんも 2016年5月に亡くなられています。離婚後は沢田研二さんからもらった東京・世田谷区内の自宅で妹で独身の伊藤ユミさんと長男と同居して暮らしてきたそうです。

 

伊藤エミさんの記事

伊藤エミさんの記事

 

私は男に惚れても
妥協しない。
一人になっても
やっていける自信があるから。

 

私もよく若い頃、交際していた男性に言われたものですが(爆)

 

「キミはひとりでもやっていけるよ。」

 

という話でフラれるパタンかもしれません。

 

この当時は「あなた好みのあなた好みの女に~なりたい~♪」の奥村チヨさんではありませんが、自分なしでは生きていけない女性の方が男性にとって魅力的に映る時代だったのは明らかなような気がします。少なくとも現代よりは。

 

奥村チヨさんの若い頃の大ヒットソングや旦那さんのお話はこちらです

 

皮肉な話ですが、伊藤エミさんの自立して愛し続ける愛情の形が田中裕子さん演じる「おしん」に近いなとw思ってしまいました。

 

1973年のインタビューで伊藤エミさんは恋愛について「私は男にほれても妥協しない。ひとりになっても、なんとかやっていける自信がありますから」と発言。その言葉通り、一人息子を女手一つで育て上げた。離婚後も沢田姓を名乗っており、関係者は「沢田研二への愛情がまだあったのかも知れないが、それよりも長男のことを考えての判断だったのでは」と語る。

 

伊藤エミが
結構おしんだった!(笑)

 

『ひとりで生きていける自信が出来たから結婚した』という壇蜜さんの歴代交際相手と結婚観はこちら

 

離婚騒動が起こっている時期の沢田研二さん

離婚騒動が起こっている時期の沢田研二さん

 

ちょっと違う話になりますが、沢田研二さんというと元タイガースという人気グループを組んでおり、その中の仲間の一人であった瞳みのるさんという方に解散後の身の振り方において行き違いがあり、40年間もの間恨まれていたようです。

 

かつてのマネージャーがわざわざ僕の学校まで謝罪をしにきた。彼は「もう一度やらないか」と語り、「友達だった君たちの仲をバラバラにしてしまったのは会社の責任であり、僕の責任でもある」と頭を下げた。

引用元:週刊現代コラム

 

現在では誤解が解け、和解しているようですが、この時期の沢田研二さんには対人面でトラブルが多かったことをうかがわせます。

 

 

◆若い頃の沢田研二と嫁・田中裕子の結婚は略奪愛だった?元妻・伊藤エミとの離婚の慰謝料が巨額の18億超!

 

田中裕子さんに出会って、急速に惹かれてしまった沢田研二さんは、不倫愛を通し続け、当時はマスコミやワイドショーの主役になっていたと言います。沢田研二さんが別居を開始して翌年に当たる1987年に離婚が成立します。

 

『紅白』のトリを嫌がっていたという沢田研二さん

『紅白』のトリを嫌がっていたという沢田研二さん

画像:ライブドアニュース

 

財産と妻子を置いて
田中裕子の元へ

 

急展開を見せたのは昭和61(1986)年。沢田研二妻と一人息子を置いて家を出たことがわかったのです。判を押した離婚届を置いてきたとも言われ、約1年後に離婚が成立。

沢田研二は、不動産を含めた総額18億円もの資産をすべて慰謝料として譲渡しての成立でした。

出典元:ライブドアニュース

 

18億1800万円の慰謝料!

 

奥さんのみならず、息子さんも置いて行ってしまうところが、田中裕子さんと一緒になりたい熱意がどれだけのエネルギーだったかを思わせますし、慰謝料18億円というのも、当時の歴代の芸能界の慰謝料としては最高額だったということです。

 

『悪魔のようなあいつ』の沢田研二さん

『悪魔のようなあいつ』の沢田研二さん

画像:ライブドアニュース

 

最近で言うと、ビートたけしさんの離婚に近い別れ方です。

 

お金よりも
大事な宝物がある。

 

田中裕子さんは、田中裕子さんで、

「必ず彼と一緒になる」

 

とマスコミを通じて宣言までし、交際を認めるような発言をしていたということですから、世間からの批判を顧みずに田中裕子さんと沢田研二さんが感情のまま突っ走っていたことがよく分かります。現代であれば、芸能界を追放されることも覚悟しなければならないような状況に思えます。

 

若かりし頃の田中裕子さんと沢田研二さん

若かりし頃の田中裕子さんと沢田研二さん

 

沢田研二さんが自宅の妻子を置いて家を出た時には、田中裕子さんへの思いが募り、離婚届を置いて家を出たということで、そのまま当時田中裕子さんが映画『二十四の瞳』の撮影をしていた小豆島を訪れたというエピソードもあります。

 

とにかく、
ふたりとも本気。
世界中を敵にする覚悟。

 

その後、社会的制裁のようなものはやはりあったようで、田中裕子さんの将来の旦那となる沢田研二さんはヒット曲にも恵まれず、ファンが離れ、ファンクラブも解散に追い込まれていたようです。沢田研二さんもスランプが続き、精神的に追い込まれた時期があったようです。

 

デビュー20周年での沢田研二さん

デビュー20周年での沢田研二さん

 

ファンクラブも
解散するほどの
末期的な現実がジュリーを襲う。

 

そうした苦悩の歳月を人生の伴侶となる田中裕子さんと共に耐え忍んだことで、20周年での沢田研二さんの言葉は依然と比べ物にならないくらい謙虚なものになっていました。

 

離婚直後に、沢田研二の育ての親である渡辺プロ創業者の渡辺晋社長が亡くなり、とても結婚というムードではなくなった。さらに、一連の不貞報道によってファン離れが進み、ヒット曲にも恵まれず、ファンクラブが解散するという事態にまで追い込まれてしまったんです。

出典元:ライブドアニュース

 

沢田研二さんの離婚が成立した後にも田中裕子さんと結婚の報告はなかなかなく、一時は二人が破局したのではないかとも言われていたと言います。

 

 

◆若い頃の田中裕子も沢田研二との結婚前に前の旦那がいた?指揮者の夫?写真画像

 

ちょっと箸休め的な話題となりますが(笑)田中裕子さんにも沢田研二さん以外に指揮者の夫がいたのか??という話があり、調べてみたところ、これに関しては予想外の意外な話が出てきました。

 

若い頃の初々しい田中裕子さん

若い頃の初々しい田中裕子さん

画像:pinterest.jp

 

タナカユウコ違い。

 

指揮者・田中祐子さん

指揮者・田中祐子さん

画像:田中祐子オフィシャルサイト

 

1978年生まれの活躍中の指揮者・田中祐子さんのお話だったようです!

女優の田中裕子さんは沢田研二さんとの結婚が初婚となり、現在もご夫婦です。

 

◆歌手・沢田研二の嫁さんになった女優・田中裕子の結婚式!若い頃の写真画像がかわいい!いつ?年齢は?二人に子供はいたの?写真

 

田中裕子さんは、1989年(平成元年)沢田研二さんと結婚されています。そこまで破局説まで噂されるお二人でしたが、田中裕子さんが34歳沢田研二さんが41歳の時にご夫婦になられました。田中裕子さんの父親の1周忌の喪が明けたのがきっかけだったようです。

 

沢田研二さんと田中裕子さんの披露宴のテレビ中継

沢田研二さんと田中裕子さんの披露宴のテレビ中継

 

あれだけバッシングしていたメディアも

中継では
「感激」「涙の披露宴」と報道。

 

しかし、その裏では着実に愛をはぐくんでおり、田中裕子の父親の葬儀では沢田研二家族席に座り、出棺の際も田中裕子を支える姿がありました。

そして2人は、一周忌の喪が明けるのを待って結婚を発表しました。挙式は平成元年の11月。出雲大社で一般の5組のカップルに混ざっての初穂料2万円の超地味婚でしたが、田中裕子の幸せそうな笑顔が印象的でしたね」

 

8年の交際を経て、ようやく結婚!

 

出雲大社での田中裕子さんと沢田研二さんの結婚式

出雲大社での田中裕子さんと沢田研二さんの結婚式

 

白無垢かなり似合いそう!

 

田中裕子さんと沢田研二さんの結婚式は出雲大社で厳かに行われたということです。ご夫妻にはお子さんはその後も居ませんでした。

 

◆女優・田中裕子と歌手・沢田研二が20年前の若い頃、1999年映画『大阪物語』夫婦役で共演画像。あらすじが…画像

 

1999年公開の映画『大阪物語』田中裕子さんと沢田研二さんはご夫婦で出演されました。霜月隆介役に沢田研二さん、霜月春美役に田中裕子さんという配役です。

 

『大阪物語』に田中裕子さんと沢田研二さん

『大阪物語』に田中裕子さんと沢田研二さん

 

夫婦役のストーリーが
なかなかしんどい内容で話題に。

 

この映画では沢田研二さん演じる浮気癖のある隆介田中裕子さん演じる妻の晴美を裏切って、妙子という20歳も年下の女性をはらませてしまうという物語でした。

 

今回ばかりは堪忍袋の緒が切れた晴美は漫才師としてのコンビは解消しないまま、夫婦関係は解消します。そして、春美に三行半を突きつけられた隆介はなんと妙子と再婚し、元の家から4軒先の家で暮らし始めるという奇妙な物語になっています。

 

映画内では
旦那役の沢田研二に
裏切られる方の妻の立場を演じた田中裕子。

 

若い頃に実際に体験した物語の対岸にいるような役を映画で務めた田中裕子さんでした。

 

⇒次ページ【若い頃の田中裕子さんとジュリー色気の夫婦競演!〇〇に似てる!】

コメント

  1. 土屋ますみ より:

    初めまして。最近こちらのサイトを知り、まだ少ししか読んでいませんがすっかりファンになりました。素晴らしい洞察力と読みやすい文章力に驚いております。楽しみに読ませていただきます。

  2. kira2kira2 より:

    あったかいメッセージを有難うございます。泣けます(笑)。小さな世界であっても来てくださった方々が何かしら豊かな方向に2分後を過ごせるようにと思って発信しているつもりではいますが、いかんせん発信がまだまだ稚拙であるため課題は大きいなと思っていたところです。どうぞ素敵な週末を。

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