敗戦後、色々な意味で飢えていた日本に夢と希望を与えてくれた海外の映画。その「映画の世界が大好き」という少女のころからの気持ちだけで、あらゆる困難を乗り越え、好きなことを追いかけてきた戸田奈津子さん。
80歳を過ぎても映画字幕翻訳家として第一線で活躍されている戸田奈津子さんの姿は色々な困難を自分の力で乗り越えてきた自信と悔いのない人生からのもののようです。今回はそんな戸田奈津子さんの映画字幕翻訳家までの道のりと、なっち語による直訳との違い、異なる誤訳集問題について、「好きなことを形にするヒント」ついて調べていきたいと思います♪
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道①若い頃は映画が好きなだけで英会話の英語力はなかった!?
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道②若い頃学生時代は外国映画の虜・アルバイトで初の通訳
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道③師匠・清水俊二との出会い
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道④転機となった水野晴郎との出会いで通訳!?
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑤初仕事で字幕の英語訳に誤訳じゃないけど、ひどい大失敗!?
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑥コッポラ監督「地獄の黙示録」字幕兼通訳で躍進!
- ◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑦経験ゼロから夢をかなえた英語勉強法
- ◆戸田奈津子から「英語を使って仕事をしたい人たち」へのメッセージ
- ◆戸田奈津子の名言「夢や、やりたいことを見つけられない若者たちへ」
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道①若い頃は映画が好きなだけで英会話の英語力はなかった!?
戸田奈津子さんが映画の字幕翻訳家になるまでにはいくつかのタイミング、転機でチャンスが訪れたようなのですが、それは戸田奈津子さんが自ら積極的に欲しいものを取りに行く覚悟で活動されていたからにほかなりませんでした。
戸田奈津子さんの現在でもご活躍のエネルギッシュな翻訳活動、講演活動までの道のりを見てみましょう!
名古屋市中区のミニシネコン「伏見ミリオン座」が移転先で全面開業しました。それを記念して開かれた、おすぎさんと戸田奈津子さんの対談では、ハリウッド俳優の意外な素顔が語られました。 https://t.co/FXwBBtcolV
— 朝日新聞・名古屋報道センター (@asahi_tokai) April 23, 2019
■戸田奈津子さんと旦那さん、トム・クルーズの件はこちらです↓

元々は戸田奈津子さんは映画が好きだという事だけで、英語の勉強が特別好きだったわけではなかったようです。
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道②若い頃学生時代は外国映画の虜・アルバイトで初の通訳
最初は、親から与えられう僅かなお小遣いをやり繰りして、隙さえあれば映画館に通っていたことが長い道のりの始まりのようです。戸田奈津子さんが中学に入ると英語の授業が始まり、画面のスターが話している英語の台詞に興味を持つようになったといいます。
戸田奈津子さんは大学は津田塾大学の英文科に進みましたが、JR中央線を通学に使っており、沿線には映画館が多かったため、同級生にに「代返」を頼んで、よく映画を観に行ったといいます。大学の4年間はこうして勉強より映画の方にのめり込んだ時期で、
実は初めて英語を喋ったのも、大学ではなかったとのことです。
新作の映画なんて当時の学生にとっては高嶺の花でしたから、3本や4本立てで100円とか、50円で観られる名画座によく行きましたね。
戸田奈津子さんは大学のの掲示板で「バレエ学校の通訳」というアルバイトをみつけ、人生で初めて来日したニューヨーク・シティ・バレエ団の通訳をすることになったそうです。
ひどくたどたどしいものだったとは思いますが、英語を話すことへの恐怖心よりも、とにかく話してみたいという気持ちのほうが強かった。いまのように英会話学校が氾濫している時代と違って、ヒアリングやスピーキングが実地で体験できる機会なんてめったにないものでしたから。
そうした体験を踏んで、戸田奈津子さんはいつしか大好きな映画への憧れと英語への意欲を両方満足させられる職業として“字幕翻訳”という仕事につきたいと考えていたそうです。大学卒業時には英語を使う他の職業には全く興味がなく、心に浮かんだのはそれだけだったということでした。
でもどうしたら
字幕翻訳家になれるのか分からない…。
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道③師匠・清水俊二との出会い
色々と悩んだ末、戸田奈津子さんは、自分が見た映画にクレジットされている翻訳家・清水俊二氏の住所を調べ、「私を弟子にしてください」と手紙を書いたのだそうです。

自分に出来る方法で行動あるのみ!
返事が来て戸田奈津子さんは事務所を訪ねましたが、結局その時に最後貰った言葉は「難しい世界だから、別の道を探しなさい」というものだったそうです。
当時、プロの字幕翻訳家は20人くらいで、食べていけるのはそのうちの10人くらい。しかも全部男性。そんなところに大学を出たばかりの女の子が入れるわけがなかった。
清水俊二氏からすると自分を頼ってきてくれた、志ある若い女性につらい人生を送らせるのも忍びなく、精一杯の誠意ある回答をしたつもりだったのだと思います。
結局、一旦は保険会社の秘書として働き始めた戸田奈津子さんでしたが、秘書として働きながらも翻訳家の夢を諦めないぞ!という強い意志をもって、清水先生への暑中見舞いや年賀状に「まだ字幕への夢は捨てていません」と一筆添えて送っていたといいます。
粘り強い交渉(笑)
これには清水先生もせっかく諦めさせたつもりだったのに、どうしたものかと心を使われたでしょうね(笑)。
同じ時期、戸田奈津子さんは時間や規則に縛られるのに耐えられず1年半で退職してしまったらしいです。そこからは在職中に見つけた翻訳のアルバイトを糧に、フリーになる選択をしたそうです。
(前文略)妥協するといつか後悔するだろうという予感がありました。それよりは、たとえ無に賭けるようなものでも、自分の選んだ道を進みたい。この世の中、飢え死にすることはないんだから、自分のやりたいことを貫こう。30歳を目前に控えた私の胸にあったのは、ただその決意だけでした。
字幕翻訳家を目指すべく!

嫌いなことは続きませんな(笑)
その頃から翻訳バイトを個人でこなしつつ、ときどき清水先生に仕事の話を伺うという歳月でした。
清水先生も根負けなさったのか、30代初めの頃に、日本ユナイト映画という会社を紹介して頂き、翻訳アルバイトをすることになりました。
アメリカ本社への手紙を翻訳したり、新作のストーリーを訳すような仕事です。でもとにかく、それが洋画界への最初の足がかりになったのです。
ここから、戸田奈津子さんの翻訳家への扉がパタパタと音を立てて開いていくことになります。
■泉ピン子さんの下積み時代はこちら↓

◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道④転機となった水野晴郎との出会いで通訳!?
戸田奈津子さんがそんな地道な活動を続けていたある日、転機となる出来事が起こりました。

水野晴郎氏
日本ユナイト映画の宣伝部長をしていた水野晴郎氏から、急遽来日が決定した海外映画プロデューサーの会見の通訳を依頼されたのです。
—■当時、英会話の経験はあったのですか?
戸田奈津子:いえ、まったく。晴天の霹靂ですよ。これまで一度も海外に行ったこともないし、英会話をする機会なんてなかったんですから。
でも、水野さんは「英語の翻訳ができるなら会話もできるでしょ?」の一点張り。
それに私自身、少しでも字幕の仕事につながるチャンスがあるのであれば、断るわけにはいかないと思ったんです。それで意を決して、思いもしなかった通訳の仕事に臨みました。
戸田奈津子さんにとってはチャンスでもあり、大きな不安を抱く依頼でもあったわけですね。仕事を広げていくチャンスをひとつでも取りこぼしたくないという、当時の戸田奈津子さんの一生懸命な心境が伝わります。
チャンスって、
いつも快適な形では現れないんですね。
求めよ、さらば与えられん!(笑)
会見当日は、緊張で汗びっしょり。そりゃあ大変でした。英語はひどいものでしたが、話す内容は映画に関係したものだったし、単語から文脈や背景などを読み取りながら、なんとか乗り切ることができました。
しかし自分としては、決して合格点をつけられる出来映えではありませんでした。これでクビだと思うほどに落ち込みましたね。
でもどういうわけかクビにならず、これを機に、通訳の依頼が舞い込むようになったのです。
あの戸田奈津子さんでも最初は英会話や翻訳に対して緊張されたんですね!そして、地道に活動を続けていくことで自らチャンスを作り出していったようなエピソードに勇気づけられます。
戸田奈津子さんを見ていると、求められたところに応える努力をしたことで、本当に欲しいものが後から出てくるものなのだなあ、としみじみ思ってしまいました。
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑤初仕事で字幕の英語訳に誤訳じゃないけど、ひどい大失敗!?
そして、戸田奈津子さんが大学を卒業して、ほぼ10年が経とうとしていた頃、初めて待ちに待った映画の字幕翻訳の仕事を依頼されます。
肝心の字幕のほうは、別の会社からフランソワ・トリュフォーの『野生の少年』の翻訳を依頼されました。これが私の初めての字幕翻訳の仕事になります。
当然のことながら、意気込んで仕事に臨み、原稿も推敲に推敲を重ねました。でも映画の完全版を初めて試写室で観たときに、愕然としました。
下手だったのです。
夢の映画字幕翻訳家としての仕事をスタートさせた戸田奈津子さんでしたが、ここがスタートラインで、ここから新たな課題と戦う日々が始まったのですね。
字幕はシーンごとに与えられた時間が決まっているため、その時間制限の中に物語の意味や意図が伝わるようにセリフを端的に構成するセンスがいるのだと戸田奈津子さんは言います。
通訳や翻訳と
字幕翻訳は根本的に性質が異なる
字幕はただ英文を日本語にするだけではない。画面に違和感なく調和する日本語訳が必要で、この感覚はやってみないと分からないのです。
この時点で字幕翻訳の仕事はまだまだ少なく、それだけで食べていくことはできませんでした。7年もの間、字幕の仕事は年に2〜3本ほど。食べていけず、相変わらず通訳や、映画以外の翻訳のアルバイトの仕事を続けていました。
本格的に活動に加速がかかったのは、それから約10年後の『地獄の黙示録』のときでした。
自分の選んだ道で生活を立てていく大変さが分かるエピソードですね。戸田奈津子さんは大学卒業が22歳、仕事を貰うまでに10年ですから32歳、それだけで食べて行けるようになるまでさらに10年ですから42歳。
明日は何とかなるかもしれない、それにすがって毎日を乗り越えていました。(中略)ときどき新しい就職とか結婚とかを勧められるのですが、右か左かを突きつけられると、やはりこっち(字幕翻訳の道)しかないのです。
戸田奈津子さんの人生は好きでなければとても続けていくことはできないような年月です。
■和田アキ子さんの若い頃と結婚、旦那さんのお話はこちら↓

◆戸田奈津子の映画字幕翻訳にはひどい誤訳が多い!?話題の誤訳集から
戸田奈津子さんもサイボーグではないので、色々と勘違いや間違いもあるようですが、基本的には前述の直訳と映画字幕は「本質が異なる」ことから起こっている現象に対して騒がれている事のようです。
戸田奈津子さんが目的としているのは、英語が分からない人たちに対しても、映画を見ている臨場感を削がずに映画の内容がきちんと伝わるということを心掛けての字幕翻訳という趣旨であり、もともと英語が完璧に分かる人たちに対しては私の字幕なんか見ないで楽しんでください、というスタンスです。
◆戸田奈津子映画誤訳といわれるパタン①もともと誤訳の字幕翻訳『13デイズ』『ザ・リング』等
戸田奈津子さんの字幕翻訳にも、いくつかの本当の誤訳もあるようです(笑)。
ケビンコスナーの『13デイズ』
×2ヶ月 ○2週間 『13デイズ』
1962年のいわゆる“キューバ危機”を描いた作品。そもそもタイトルが「13日間」なのに…。
この内容を見ると、本当に勘違いからの誤訳に思えます。
×66回の流産 ○(65年と)66年の流産 『ザ・リング』
パンフレットにまで66回と載っているが、どう頑張っても不可能だと思われる。
実際に戸田奈津子さんの誤訳なのか、字幕翻訳のタイプミスなのかもわかりませんが、明らかに誤訳デアはあります。
◆戸田奈津子映画誤訳といわれるパタン②まどろっこしいものを「なっち語」という意訳転換で字幕翻訳
英語字幕翻訳の世界では、映画を再生スピードでしっかり臨場感を持って楽しむには、その場面の尺(時間の長さ)と、鑑賞者の黙読スピード(文字数や、漢字の量など)の調整が大変重要になると戸田奈津子さんは常日頃から語っています。
そのため、まどろっこしい表現やあまりに専門的過ぎて黙読が理解に追いつかないものは出来るだけ排除し、戸田奈津子さんが理解した容易な形に返還されていることもしばしばあります。
誤訳の他にもう一つの悪癖が存在する。それが「なっち語」だ。彼女は述語が分からないときや正確な訳がしづらい時に、自分のセンスで以って語尾を変な風に変えたり、単語を入れ替えてしまう。
戸田奈津子さんがなるべく簡単にそのシーンを理解してもらうため、という目的で、自身の字幕センスを字幕翻訳に入れ込んでしまう点において、特にその映画や監督に思い入れのある民は戸田奈津子さんが作者や監督の意図に介入し映画のストーリーに関与してくるように思えてしまうため、不満があるようです。
しかし、戸田奈津子さんが目指しているのは多くの人に映画を臨場感と共に楽しんでもらう、ということを優先しており、なかなかこの問題も難しい所だと思います。
「~を?」「~なので?」「~と?」「~で?」などの、原語では疑問文でない文章への疑問符の付加。あまりにも頻出するため、わからない文章をぼかすためとか、疑問文+応答文で訳の尺を調整しているという考察が成されている。
戸田奈津子さんのこの問題についても上記と同様の現象だと思われます。日本語自体が色々と省略できる言語であるため、そこを利用しての翻訳だと思われます。
「~せにゃ」「~かもだ」「~かもけど」「コトだ」などの独特の古臭い、または不自然な語尾の付与。
私自身は古い人間なのか??あまり違和感はわかないのですが、確かに言われてみれば、上記の言葉はすでに一般的な会話としては出てこない言葉かもしれませんね。
■ハリウッドデビュー『ツインピークス』出演の裕木奈江さんのお話はこちら↓

◆戸田奈津子映画誤訳といわれるパタン③かなりマニアックすぎて手に負えなかった?翻訳『ロード・オブ・ザ・リング』等
戸田奈津子さんの翻訳字幕問題について、『フルメタル・ジャケット』 では、スタンリー・キューブリックが激怒し、原田眞人が担当することになったというお話があったり、『オペラ座の怪人』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などでの字幕翻訳において批判があったようです。
特に戸田奈津子さんの翻訳字幕問題について大ごとになったのは大ヒット映画の『ロード・オブ・ザ・リング』でした。
世界的に有名な指輪物語の映画版『ロード・オブ・ザ・リング』においても、せっかく原作者が「翻訳の手引き」を残すほど細やかな配慮がなされているのに、戸田奈津子は全くそれを読まずに翻訳したため、正確な訳がなされている瀬田氏翻訳版の小説文、まともな訳者がついた日本語吹替版とも違う訳が展開され、原作既読者のみならず初見の観客でさえも理解に苦しむ珍文章を頻発してしまっている。
そしてついに『ロード・オブ・ザ・リング』では、第一作の字幕を見て落胆・憤慨した一部有志が、第二作以降での戸田奈津子の降板と誤訳の修正を求める署名活動をネット上で行い、配給の日本ヘラルドとピーター・ジャクソン監督に送付する事態にまで発展した。監督側からのリアクションやヘラルド側の不可解な対応など紆余曲折があったものの、結局、戸田奈津子は全三作の劇場版およびDVD版の字幕翻訳家として居座り続けたのである(もっともDVD版ではかなりの誤訳・珍訳が手直しされている)。
結局のところ、『ロード・オブ・ザ・リング 』においては、 日本で公開された際に戸田奈津子さんが字幕を担当し続けたようですが、熱烈なファンから誤訳が多いとして抗議が殺到し、その活動が大規模に発展、それがピーター・ジャクソン監督にまで届いたことで、戸田奈津子さんが交代させられるという騒ぎが起きたそうです。
熱烈なファンからすると「翻訳の手引き」を残している制作側の意図をきちんと理解した上で翻訳してほしいという事なのだと思いますが、そこまでの時間や労力を割けない事情も戸田奈津子さん側にはあったのかもしれませんし、その時間や労力を割いてもらうだけの「報酬」が制作側に保証されていたのかどうか?というところが焦点ではないかな?と個人的には思います。
何しろ、字幕翻訳というものは吹き替えと違って、大変単価が安く、一律の価格に等しいようです。とある情報では、字幕翻訳のギャラは1本あたり約40万円だということです。
これだけマニアックな映画に対して、本質的な理解を伴ったうえでの翻訳となると、ボランティアでやっているわけではない戸田奈津子さんからすると、他の映画1本にかける時間や労力との兼ね合いで不公平があってはならないという考えもあったのではないかとも思うのですが…。
また、現代の日本でこれだけ多くの外国の映画が親しまれる基盤をつくった一人として戸田奈津子さんが存在すると私なんかはとても思ってしまいます。
土日も仕事な アナタへのエールを? pic.twitter.com/mLJlkXdAhG
— 戸 田 奈 津 子 ボ ッ ツ (@natsukotodabot) April 19, 2019
学習環境がこれほど整っていなかった時代に他に先駆けて我々にそうした海外映画の楽しさを届けてくれたことが、現代の若者の英語に対する学習の文化や環境をつくったと思うと、第一線で活躍してこられた(しかも女性の!)戸田奈津子さんには私は拍手しかありません。
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑥コッポラ監督「地獄の黙示録」字幕兼通訳で躍進!
そこから有名なフランシス・F・コッポラ監督のガイド兼通訳という仕事を得た、戸田奈津子さん。「地獄の黙示録」の完成と公開の時期になり、映画の字幕を戸田奈津子さんにという話がきたそうです。コッポラ監督からの推薦でした。
映画の撮影中、日本をたびたび訪問していたコッポラ監督をショッピングや食事へ案内するという役目をしていたのが戸田奈津子さんでした。監督の計らいで初めての海外であるアメリカのご自宅へ招かれたり、フィリピンでの撮影を見学させてもらったりもしたとのこと。
そこに対してコッポラ監督は戸田奈津子さんにチャンスをくれたのでした。いくらでも上にキャリアを積んだ翻訳家が既に日本にはいたのにもかかわらず、大きな作品を自分に任せてくれたと、戸田奈津子さんは今でもとても大きな感謝をもって語っていました。
彼女は撮影現場でずっと
私の話を聞いていたから、
字幕をやらせてみてはどうか。
戸田奈津子さんは監督の鶴の一声だったと言っています。映画は公開と同時に大ヒットし、社会現象になるほどの話題になったそうです。この大作を手がけたことで、戸田奈津子さんはこの作品でやっと洋画業界で字幕翻訳家として認められるようになりました。字幕翻訳家をめざしてから20年が経っていたということです。

戸田奈津子さんの人間としての豊かさが引き込んだ運でもありますね。
◆戸田奈津子が字幕翻訳を担当した映画は?ざっくりまとめ
戸田奈津子さんが字幕翻訳を担当した映画は1970年代から現在に至るまで年間50本(週に1本のペース)も担当しているという話からすると、概算でも約2,500本は担当されていることになります。ご本人戸田奈津子さんは1,500本以上という表現をされています。その中でも代表的なものをご紹介します。
地獄の黙示録
タイタニック(1997年)
スター・ウォーズ(新3部作)
ターミネーター2(1991年)
E.T.※吹き替え翻訳も担当ゴーストバスターズ
トッツィー
バック・トゥ・ザ・フューチャー
インディ・ジョーンズ
ダンス・ウィズ・ウルブズシンドラーのリスト
フォレスト・ガンプ
アルマゲドン
シカゴ
パイレーツ・オブ・カリビアンホーム・アローン(1990年)
シザーハンズ(1990年)
ブリジット・ジョーンズの日記(2001年)
ハリー・ポッターと賢者の石(2001年) ~ ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005年)
エアフォース・ワン(1997年)セブン・イヤーズ・イン・チベット(1996年)
評決のとき(1996年)
ベイブ(1995年)
アポロ13(1995年)
マディソン郡の橋(1995年)今そこにある危機(1994年)
スピード(1994年)
ジャングル・ブック(1994年)
ジュラシック・パーク(1993年)
ショート・サーキット(1986年)ショート・サーキット2 がんばれ!ジョニー5(1988年)
ビッグ・フィッシュ(2004年)
M:i:III(2006年)
ワールド・トレード・センター(2006年)
ダイ・ハード4.0(2007年)ボーン・アルティメイタム(2007年)
ナイト ミュージアム(2007年)
007 オクトパシー(1983年)~007 スペクター(2012年) ※007シリーズの翻訳としては、最多11作目
グレムリン※吹き替え翻訳も担当
アバター(2009年)ラブリーボーン(2010年)
バトルシップ(2012年)
キャプテン・フィリップス(2013年)
ジュラシック・ワールド(2015年)
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション(2015年)インデペンデンス・デイ: リサージェンス(2016年)
ジェイソン・ボーン(2016年)
インフェルノ(2016年)
ジャック・リーチャー NEVER GO BACK(2016年)
ザ・マミー/呪われた砂漠の王女(2017年)ジュラシック・ワールド/炎の王国(2018年)
ミッション:インポッシブル/フォールアウト(2018年)
大ヒットした映画をたくさん字幕翻訳されている、戸田奈津子さんです。
◆戸田奈津子の映画字幕翻訳家への道⑦経験ゼロから夢をかなえた英語勉強法
という戸田奈津子さん。なぜ海外経験ゼロ、英会話の経験ゼロで通訳の仕事ができるようになったのか?そのあたりを詳しく調べていきたいと思います。
◆戸田奈津子の学生時代の英語の勉強方法は?英語の勉強は好きではなかった?
意外な情報としては、戸田奈津子さんも特に英語の授業が好きだったわけではないようなのです。
生きた英語は、全て映画から学んだ
学校の勉強は基本的に退屈でしょう?
映画が好きだったから、「映画で耳にする英語を知りたい」というのが最大のモチベーションでした。つまり “映画あっての英語” だったのです。
学校の英語は基本的で固く、くだけた日常会話とか、流行語・若者言葉は教科書では学べません。そういうものは全部映画から学びました。
戸田奈津子さんにとって学校で学ぶ英語は基本的な考え方は分かるかもしれないけれど、「生きている英語ではない」「生きていない英語はそれだけでは使えない道具」ということなのかもしれませんね。
当時はビデオやDVDは存在しませんから、映画館で見るのが唯一のチャンス。今みたいに、劇場で観て面白かったから TSUTAYA でDVDをレンタルする、なんてできないですからね(笑)
若い皆さんは笑うかもしれませんが、当時は「今日のこの機会を逃したら、もう一生観ることはできない」。そういう切ない意気込みで観ていたのです。
ここにもあるのが、
ある種の「飢え」ですね。渇望。
私の英語学習は「二本立て」と言うのが正しいのかもしれません。学校が教えてくれるフォーマルな英語と、映画から学ぶ生きた英語。両面で詰め込んだ英語の知識が、結果的には役に立ったんでしょうね。
映画を好きではなかったら、英語を勉強なかったかもしれないという戸田奈津子さんは言います。
英語はあくまで映画の世界に近づくための「手段」であって、それ自体が「目的」ではなかったですから。
戸田奈津子さんにとっては映画の世界の中に入っていって、登場人物それぞれの気持ちで物語を体感する為の手段に過ぎない英語は本質的な部分ではそこまで重要度が高いものではなかったようですね。
習得のための具体的な方法としては「書くこと!」
書いて書いて書く事をずっとやってきたという戸田奈津子さん。
財布をなくしても失うのはお金だけ。でも手帳にはこれまでの私のすべてが詰まっている。一生肌身離さないと決めています。
戸田奈津子さんの大切な歴史が刻まれた手帳、見てみたいですね。
◆戸田奈津子から「英語を使って仕事をしたい人たち」へのメッセージ
現在は英語を使った仕事をしたいと考えている人が多い時代だと思いますが、彼らに向けて、戸田奈津子さんはこう伝えています。
あえてやる理由もないんだったら、英語なんてやらなくてもいいと思う
そうハッキリと言う戸田奈津子さん。もう少し具体的に記載している情報がありました。
何が目的であなたは今英語を勉強しているのか、そこを明確にしたほうがいいと思います。
英語学習は必要な人にとっては必要だけど、そういう人生を考えていないのなら、しゃかりきに英語をやる必要はないというのが私の考え方です。あくまで英語は道具(ツール)で、最終ゴールではありませんからね。
その道具(ツール)を使って何をするかが肝心で、英語が上手くなることは目的じゃないと思うんですよ。何であってもやりたいことや目的意識があるなら、それにフォーカスしてやるべきだと思います。
戸田奈津子さんは道具と目的を見間違ってはいけないことをとても強調されていますね。例えば、料理人にとってきれいに包丁を研ぐことが目的ではないでしょう?ということだと思います。それも大事だけれど、そこで終わってしまっては道具のままということですね。
◆戸田奈津子の名言「夢や、やりたいことを見つけられない若者たちへ」
やりたいことを見つけられないという若者が多いことに戸田奈津子さんは腹を立てつつ(笑)どうすればその芽を見つけられるのかアドバイスしていました。
「やりたいこと」の種は、小さい頃好きだったものの中にある。
まだ幼い、保育園や幼稚園の子どもたちは自由に思い思いのやりたいこと、絵を描いたり、おままごとをしたり、鉄棒をしたり、踊ったり、歌ったりと「好きなことがない」なんて言って遊ばないなんてことはないのに、小学校中学校に入ると突然「右へならえ」の教育を施されて自分が一体何が好きだったか分からなくなってしまう、と嘆く戸田奈津子さん。
そんな戸田奈津子さんが面白いお話をしていました。
あなたの才能は、
親が心配するようなところにあるかもしれない
『マスク』という映画で大ヒットしたジム・キャリーという俳優がいます。彼は表情筋が優れていて、驚くほどいろいろな表情ができる俳優さんです。
「どうしてそんなことができるの?」と尋ねたら、「子どもの頃から外で遊ばないで、時間があったら鏡の前で百面相を作っていた」って言うんですよ。
親御さんが心配して、散々「やめろ」と教育してもやり続けたそう。そのうちに親御さんも諦めて、放っておいたんですって。そのまま表情づくりに情熱を燃やし、結局は彼はハリウッドのトップスターになったのですよ。
■水森亜土さんの引っ込み思案の幼少期のお話はこちら↓

とても勇気づけられるメッセージだと思ったので、ご紹介しました。戸田奈津子さんはつらい時に頑張れたのも、可能性が低くてもしがみついていられた事についても戸田奈津子さんがそれだけ映画を小さい頃から好きだったから!とすべての理由が自分の中のそうしたエネルギーのおかげだと言っています。
「もっと別な生き方があったんじゃないか」と、後悔の気持ちを抱いたことは1度もありません。なぜなら、「好きなことをやる」ことが、私の求めるいちばんの幸せだったからです
自分の意思で選んだことなら、人間は後悔をすることはないということですね。

なりたいものになる!というのは困難なことが多いようですが好きを形にするには?のエッセンスが詰まったお話が多かったですね♪
コメント
コメント失礼します。
僕も翻訳業界に片足のつま先くらいを突っ込んでる人間なのですが、
これを生業にする人間からすると、戸田先生の事は批判できないと思っております。
もしも、翻訳のせいで作品のストーリー展開や解釈が全く違うものとなるものばかりでしたら、
それは仕事が出来ていないという事なので、批判は甘んじて受けて止めるべきだと思います。
が、知る限りでは、先生が翻訳をされた作品でそんなものは無いので、
僕が言うのはおこがましい話ですが、プロとしての仕事を出来ている結果ではないかと。
戸田先生に対する批判記事やまとめを幾つも読みましたが、
作品に対するファンの「思い入れ」が、
批判を生んでいるというように僕は解釈しています。
ネット上には洋楽の歌詞を翻訳している野良翻訳家の皆様が多数おり、
その翻訳によく目を通しているのですが。
彼らは、ミュージシャンや曲に思い入れがあるのか、
偏見、思い込み、想像、推測が盛り込まれすぎて、
“仕事”として考えた時に 使い物にならない翻訳の方が大多数です。
作品に対して特別な思い入れを持たず、
客観的な翻訳をする戸田先生のような翻訳者は
一字一句まで丁寧に読み込むマニアックなファンとは相性が悪いのは当然ですよね。
文・単語単位で見れば、先生の翻訳には 確かに誤訳とか珍訳はあるんですが、
総数から考えると誤差と言って良いレベルなので、
戸田先生の仕事量(週に映画1本、10,000語ペース)をこなそうとすると、
誰がやっても同じような結果は起こり得るかと。
また、誤訳と珍訳ばかりに目を向けて、
名訳に目を向けないのもナンセンスですし。
ただ、先生は第一線中の第一線で活躍をし続けるプロなので
「時間がなかった」
「制約があるから」
「じゃあアナタがやってみろ」
みたいな言い訳をするのは正直よろしくは無いですけど。笑
そんな感じで、僕の意見は締めます。
長文失礼しました。
……ちなみに、80歳を過ぎてまで仕事をし続けているせいで、
力のある若手に仕事が回らないので、
「早く引退してゆっくり休め、ババア」と僕は思ってます。
とても感度に刺激のあるお話を頂きまして有難うございます。私が今回、戸川奈津子さんの情報収集をしてみて感じたことは、やはり現在のような効率的かつ体系的に語学が学べるような基盤がない時代にそれを自ら体を張って獲得していき、さらに、外国で人気の映画や当時の日本人にとっての心の豊かさ、活力に寄与するような文化をもたらしてくれたという、その活動自体が尊いなと。当時の国民にどれだけのエネルギーを与えたのだろうと想像してしまいます。また、ご意見にも熱烈なファンについての記載がありましが、特別なファンは特別なファンのもっと深い世界観を(映画を見た)「その後」広げていく工程を楽しんで行かれればよく、多くの作品について特別なファンに限らない、広い方々へ「等しい温度感」「楽しめる程度マニアックすぎない形」で届けることを戸田奈津子さんはむしろ、あえて意識されているのかもしれないなとも思いました。仕事と結婚してしまったような方なので、天が二人を別つ時が引退の時となるのかなと想像しますw ありがとうございました。
ご返信有難うございます。
コメントをした者です。
補足というかで再度コメント失礼します。
kira2さんが仰る通り、
「等しい温度感」というのは、戸田先生は意識されていると思います。
僕は師匠に「私見と私情を勝手にいれて翻訳をするな」と教えられました。
というのも、翻訳者は、あくまで言語の“仲介者”であって“発信者”ではないというのが前提だからです。
例えば、外タレのインタビューで、
インタビュアーの質問を訳さずに 通訳が自分の質問をしたり、
タレントの解答を訳さず、通訳が自分の意見を言っちゃダメみたいな感じ。
私見が入ると、製作者の意図との乖離が起きてしまう可能性が高くなり、
私情が入ると、「好きな人は知っているが、それ以外の方は知らない」みたいな構図が起きるので、
仲介者の枠を超えてしまいますもんね。
勉強の為に、僕の好きな曲や映画の翻訳を今でもさせられているのですが、
翻訳にそれらが入りすぎていて、何度も怒られました。
まぁ、戸田先生に関しては「自分は日本語版の脚本を書いている」みたいな事も仰ってますし、
抽象的なセリフに対して、「これ先生自身の気持ちでしょw」と思うような翻訳の時もありますし、
何しろ、本人から直接聞いたわけではないので、僕も推測ではありますが。笑
コメントを再度頂きまして有難うございます。字幕を含めた翻訳や通訳を生業とするときに、お話にある「私見と私情を勝手にいれて翻訳をするな」という部分が最終的に最も難関な問題なのかなと想像し、とても大変な職業だなと改めて感じることが出来ました。私のような人間では到底できない職業です。
翻訳者や通訳の方々も人間ですから、人生を体験してこられた歴史やそこで培った考えがある時に、例えばスターの通訳をする立場を任されたとして、これをそのまま通訳してしまうと日本では誤解を生む可能性があるのではないか、という内容や、あるいは字幕の限られた文字スペースと時間枠の中で端的に近いイメージを観客に与えることを目指した場合、「誤解を受けにくいいい言い回しの近い言葉」であるとか「自分の人生で得たぴったりと思われる言葉」に転換してしまうということは正直避けられないのではないか、と思いました。そして、その件で最も責められているのが「これ先生自身の気持ちでしょw」的な「翻訳に迷いがない(勇気があるとも言うのかもしれないw)」戸田奈津子さんになってくる・・・という状況なのかなと感じます(笑)
ただ、こうしたクレームが大きくなってくると、字幕翻訳に関してもそのうち「熱烈なファン」のおかげで、1本の映画で複数の翻訳者のものから観客が選べて、平均動員数などで字幕翻訳の業界に報酬革命が起きる可能性も…?なんて素人は考えてしまいました。そうなると一般から人気のある求められている字幕翻訳家が先輩の席が空かなくても活躍できる土壌となりそうですが…きっとそんな簡単な問題ではないですよね。10年後どうなるのかがとても楽しみな世界ですね。