今回は戸田奈津子さんの周辺事情と、年収や結婚、夫はいるのか?トム・クルーズとの関係について調べてみました。
◆映画字幕翻訳家・戸田奈津子の現在の年齢は?事務所はどこに?
日本で最も有名な映画字幕翻訳家の戸田奈津子さん。日本で女性が活躍することがまだ難しかった時代に、他の世界と変わらずに男社会だった字幕翻訳の社会の中で、自力で自分の席を築き上げました。
それは何より戸田奈津子さん自身が小さい頃から映画が好きで、字幕翻訳が自分にあっているという直感があったからだといいます。そして諦めることができなかったから、と。早速そんな戸田奈津子さんについて見ていきましょう。
◆戸田奈津子さんの基本プロフィール!事務所は?
そんな活力あふれる戸田奈津子さんのプロフィールを見ていきましょう。
出身:東京都
最終学歴:津田塾大学学芸学部英文学科卒業。
職業:映画字幕翻訳家・通訳。「映画翻訳家協会」元会長。第1回淀川長治賞受賞。「字幕の女王」とも呼ばれている。
1936年生まれというところで、2020年にはなんと84歳!
戸田奈津子さんはもうかなりご高齢です。大学卒業から現在でちょうど60年という期間ですから未だに現役でのご活躍ということで、その長さに頭が上がりませんね。
子供の頃は物語が大好きで本の虫だったという戸田奈津子さん。どのような幼少期だったのか見てみましょう。
昭和20年3月10日の東京大空襲後、四国で1年間の疎開生活を送り、終戦後、東京に戻ってきました。
母が映画好きということもあり、小学校5年のころから映画館でよく洋画をみるようになったんです。
あのひどい戦争を体験し、娯楽が何もない中で日本国民全員が映画ファンだったのよ。今じゃ考えられないでしょ。映画館は満員電車のよう。
新宿の映画館の周りは闇市で、新聞紙に包まれたピーナツをご飯代わりに買ってもらって映画を見ながら食べるの。ほんの一握りのピーナツでした。。

新宿の最寄で生きてきた私には考えられないような話です。
ほんの一握りの
ピーナツをごはん代わりに観る映画。
当時の日本人は、
文化に飢えていた。
最大の楽しみである映画。
終戦後、洋画がアメリカやヨーロッパ諸国から一気に日本に渡ってきたんです。文化に飢えていた当時の日本人にとって、映画の世界は衝撃的なものでした。TVはまだ未知のメディア。娯楽がほとんどなかったため、映画を観に行くということが当時の日本人にとって最大の楽しみでした。
戸田奈津子さんは1936年生まれということで、1945年の終戦時にはたった9歳だったわけです。とても大変な幼少期と、戦後から現代までの日本の復興と発展を生きてみてきた女性なのですね。
母に連れられて映画館へ
母に連れられて映画館で洋画を見るようになりました。『キューリー夫人』や『チャップリン』、『第七のヴェール』……。それらの映画たちは、それまで本以外では触れる機会のなかった海外の世界を、私の目の前にリアルに映し出してくれました。
もともと物語の世界が好きだったということもあって、すぐに映画の世界に夢中になりました。
こことは違う、
海外の広い世界を映し出してくれた映画。
すべてを失ったような終戦後の現実から、今度は外の国の物語や新しい文化が入り、それが日本人の新しい時代の幕開け、未来への希望、活力にになっただろうことが想像できます。
■戦後の日本の姿を知っているデヴィ夫人の若い頃はこちら↓


戸田奈津子さんは日本の再生を生きて見てきた人なんですね。
映画に初めて触れたのは終戦の翌年。母に連れられ新宿の映画館で洋画を観た小学生の戸田奈津子さんは、衝撃を受けました。
娯楽の少ない精神的な「飢え」と、食べる物のない現実的な「飢え」、ふたつの「飢え」を抱えていた少女にとって、自分たちに無いものをふんだんに見せてくれる洋画は、まるで夢の世界だったのです。
終戦直後の「飢え」
の記憶から、
少女は夢の世界のとりこになった
子供の頃のそうしたときめきをずっと抱いてここまでお仕事されてきた戸田奈津子さんです。幼少期の戸田奈津子さんが飢えを抱えても「希望」によって勇気づけられ、力を分けてもらった経験から、自分がそんな「希望」を未来ある若い人たちに与えられる懸け橋になりたいという気持ちもあったのかもしれません。
◆戸田奈津子さんの事務所が注目されているのは若い頃に理由が?
戸田奈津子さんの事務所に関してですが、具体的な内容は全く出てきませんでした。
まず、戸田奈津子についてのwikipediaのページを確認したところ、事務所に関する記載はありませんでした。
次に、戸田奈津子と事務所の関係を各メディアの記事から調べましたが、これもやはり関連のある物が見つかりませんでした。
この、戸田奈津子さんの「事務所」が注目されている理由としては、若かりし頃の戸田奈津子さんのお話にあると思われます。実は戸田奈津子さんが映画字幕翻訳家になるにあたって、自身が見た映画にクレジットされていた字幕翻訳家の清水俊二氏の住所を調べ、「私を弟子にしてください」と手紙を書いたというものがあります。
戸田奈津子さんの映画字幕翻訳家になるまでの道について、詳しくはこちら
そのため、同じように戸田奈津子さんに対しての問い合わせが多く続いたからかも?しれません。しかし、映画字幕翻訳家として実際に食べていけるのは現在に至っても国内に10人前後だけだという大変厳しい道のようです。
戸田奈津子さんほどになってしまうと、事務所を公開すると色々と不測の事態や依頼が殺到して大変なのかもしれないですね。それだけ、映画配給会社とのかなり密接なやり取りでのお仕事ということで、まだまだ閉ざされた世界なのかもしれませんね。

その、言ってみれば現在に至っても閉ざされている世界に、自分の力で食い込んでいって、自分の力で地位を確立した戸田奈津子さんがますますスゴイと思えてきます。
◆気になる戸田奈津子さんの映画字幕翻訳家、通訳、講演会の年収は?
これだけ長年大活躍されている戸田奈津子さんですから、映画字幕翻訳家としての年収も相当なものだろうという想像を抱くのですが、映画字幕翻訳家としてのお仕事は、一般人には分からないところで、なかなか厳しいものがあるようです。
戸田奈津子さんの映画字幕翻訳の仕事は「地獄の黙示録」以来、1週間で1本の映画を仕上げていくというペースで現在まで続いているという。手がけた作品数は、およそ1500本以上にものぼるのだそうです。
とある情報では、字幕翻訳のギャラは1本あたり約40万円だということです。

コレ思ったより、単価低いんですね。
週に1本として月4~5本。ということは月に160万~200万円(平均すると180万円)となり、180万円×12ヶ月で、字幕翻訳だけの年収で言うと約2,160万円ほどという概算が出てきます。
加えて、戸田奈津子さんの場合はハリウッドスターの通訳の仕事があったり、自身の講演会があったりなど別の収入もありますから、もう少しあるのかな?と想像できます。
現在は戸田奈津子さんは目の病気を患われており、だいぶお仕事のペースを緩めに行っているようですから、年収もペースによってまちまちかと思われます。
■明治~昭和を生きた自立女性!『おしん』のストーリーはこちら↓

◆戸田奈津子になりたい!?英語関連職種に従事している方々の収入に関する声まとめ
ちなみに現在、通訳や翻訳の仕事は人材がたくさんいることもあり、結構収入は不安定で一概には言えませんがあまりよくないようですね。少し調べてみたところ、このような英語関係の職種に従事している方々の収入に関する内容がありましたので、ご参考まで。
●同時通訳もありの社内通訳でも時給は高くて2,500円くらい
●この数年、値切られることが増えました。(通訳の方)
●海外取引のある企業で通訳・翻訳をしていますが、波があるのでいつも通訳の仕事があるわけではありません。
●派遣契約者に限って言うとバイリンガル+IT知識で2000円~2800円でした。
●経済状況なのかは分かりませんが色んな職種で時給が下がってきています。私がする仕事も最近は1700円くらいで募集もあるようです。
●派遣通訳者”は基本的に企業の正社員の”英語屋さん”として時間単位でで雇われます。フルタイムの仕事でも時間で支払われるのがほとんど。
●東京都心の企業、同時通訳者時給1700~1800円”とでかも平気で募集広告が載っています。
なかなか、英語で食べていくのは厳しい状況が続いているようです。
■若い時代に女性の経済的自立に向かって色々な資格を取得した壇蜜さんのお話はこちら↓

●英語の会議で議事録とりながら英語ができないオジサマに内容をサマリーして伝える程度なら、いわゆるアドミさんやアシスタントさんで昨今TOEIC900レベルはザラにいますから、そちらを使うでしょう。
●彼女たちの実際の生活レベルを聞いて、大きな投資(数年分の学費)を回収できる稼ぎのある通訳者は決して多くないと確信をもっています。
●在米で同通歴20年になります。専門分野がある事、フリーランスである事、そ人脈が築けた事で、日本での平均の4倍以上の時給です。簡単な同通もいたしますが、さほど変わらぬ時給です。
●法律関係の時給は英語3000円、その他言語4000円でした。難しい案件だともう少し高めですが平均してもこんなものです。
●以前は派遣でも同通となると3000円以上もらえてたそうですが、今では2500円ならいい方だと思います。昔は一般事務でも1700円くらいの時給だったのが今では1400円くらいになってます。
●特許などは社外に流出すると困るトップ機密なので、英語で交渉できる人材は破格の給料で正社員で雇用されます。
●海外との取引のために通訳兼事務の社員さんがいますが、年収200万くらいです。
●通訳を始めたばかりの人などは時給2000~2500円で、派遣会社から信頼できる通訳になると時給は3500~5000円ぐらいになるようです。
以前、通訳の派遣をやっていた時は年収700万円台でした。その後、企業に正社員として働いていて、現在の1000万円台になっています。

なかなか好きでないと続けていくことが難しそうな待遇からが基本のようですね。
戸田奈津子さん自身も、翻訳や通訳と映画字幕の翻訳はかなり趣向が違うとおっしゃっています。シーンに時間の制限があること、そして、直訳から言葉を短くしつつ、物語のストーリー性や役の意図を保ちつつ、字幕を読んでいる意識を抱かせないほどの透明な存在でないとならない、というニュアンスのことをおっしゃっています。
そして何より、戸田奈津子さんがおっしゃっていることは英語よりもむしろ
日本語を知らないと無理!
と強く主張されていました(笑)また、もう一点
われわれの仕事はお金の話をみんなお聞きになるんだけど、みんなすごく妄想を抱いてらして、1本やるとすごい翻訳料が出ると思ってらっしゃる。でも、全然そうじゃないの。原則でね。
「映画配給会社から仕事を請けギャラはキャリアに関係なく一律」
そして現在の日本でもこれで食べて行けるのは10人程度。

とっても厳しい世界のようです!
◆戸田奈津子さんは結婚したの?旦那・子供はいるの?名言あり。
これだけご活躍の魅力的な戸田奈津子さんですが、ご結婚はされていたのでしょうか?
戸田奈津子さんご本人は過去に別のインタビューでこうおっしゃっていたそうです。
「結婚願望がなかった。したいことは字幕翻訳の仕事だけだったので。」
「結婚したいと思ったことは一度もない、独身最高!」
とおっしゃっていたそうです。それだけ戸田奈津子さんが映画の魅力に取りつかれ、映画字幕翻訳が恋人ということかもしれません(笑)。それを立証するようなインタビューもありました。
どんな好きな男と結婚したって30年も結婚したらいやになるでしょ(笑)。私は1年でも無理だと思う。
でも仕事に関しては何十年やってもラブラブ。だからとても幸せです。
仕事とは何十年もラブラブ
きっと、戸田奈津子さんは20年もの間、映画の字幕翻訳家になるまでのいばら道を、自力開拓して歩いてこられたわけですから、夢の途中で、やるべきことが常にあり、よくわからない男に時間や労力やお金をつぎ込む気持ちにはれなかったんでしょうね(笑)また、それが結構長い年月だった、と。
そして、仕事が獲得出来たら出来たで、そっちが楽しくて夢中だったのだと思います。しかし、昔の記事だとそれでも「女性」として、戸田奈津子さんでもこのような表現をしています。
この仕事のために、他のものをいろいろ犠牲にしてきました。
結婚もしなかったし、子どもも作らなかった。とにかく仕事一途でした。
結婚や子供を持たなかったことに対して、「犠牲」ととらえる時代もかつてはあったようです。
◆戸田奈津子の名言「You can not have everything.」と本にもなった「keep on dreaming」
でも、よくよく考えるとそれは自分で選んだことだし、選ぶほど優先度が高い望みでもなかった、そこを大事に思うようになった戸田奈津子さんのニュアンスは、時を経て、だいぶ変化しています。
You can not have everything.
もちろん捨てたものも多いわよ。でも、私の好きな言葉に
「You can not have everything.」(すべてを持つことはできない)
というのがある。欲張りすぎて全部ダメになることもあるのよ。
亡くなった母も結婚しなさいと言った時期はあったけど、最後は「あなたが結婚しなくてよかった」と言っていたわね。
友達が孫を預けられているのを見て大変だと思ったらしいの(笑)。
子供を産んでいたら、それなりにすばらしい体験だったと思うけど、私の時代、この仕事は子供を持ったら両立できなかったでしょう。善しあしじゃないけど…。
戸田奈津子さんはご結婚もせず、お子さんもいらっしゃらない人生でしたが、ご自身の人生で最もかなえたかった夢は叶えることができました。それによって、とても自分の人生に充足感を得ていて、80を過ぎるこの年齢に至ってもずっとしあわせな様子です。

今では海外スター達の日本のお母さん(笑)!
また、戸田奈津子さんは現在の目的が分からない若者たちに対してこんなことも伝えています。
keep on dreaming!
それはかつて焼け野原だった東京で、何もない世界の飢えと戦う小さな少女に過ぎなかった戸田奈津子さんが、映画から「夢」と「希望」を託され、実際に大きな夢を実現し、実らせた経緯があってのことのように思います。
このお話は現在は戸田奈津子さんのエッセイ集として出版もされています。
苦しかったのは
間違いないけれど
夢をかなえた喜びにはかなわない。
そんな気持ちやエネルギーが伝わってくる、戸田奈津子さんの言葉です。
◆戸田奈津子死亡説?目の病気!?80歳でも引退の意思はなし!
かなりご高齢なのでに戸田奈津子さんこのような噂が立つのも分かりますが…。
戸田奈津子さんは78歳のときに、テレビ番組の収録中「加齢黄斑変性」という目の病気を患い、左目の視力を失っていたことを告白しました。
60歳の頃から戸田奈津子さんの左目には加齢黄斑変性の症状が出始め、それ以来、右目だけで仕事をしてきたということです。
「最初、『えっ? 変だな』と思ったのは、グラフ用紙や障子の桟(さん)が曲がって見える。それで気づいた」といい、診断の結果は「加齢黄斑変性」だったという。
戸田奈津子さんが70歳の頃には症状がさらに悪化してしまい、、字幕の仕事にも支障が出てきたなと自覚し、それからはあまり仕事は詰めていないそうです。
目の症状が悪化。
字が読めないのはとっても不便。それに距離感もないでしょう…よく階段も落ちるし、人の顔は見えないですし」と、その苦悩を明かした。
「両目が見えなくなったら大変だと思うけど、本当にラッキーに右目は生きているのよ。それだけで、十分。私は」
今は戸田奈津子さんは週に1本やっていた仕事も月に1本とセーブしており「現在は右目で時間をかけて読む」のだそうです。取材中には「字が読めなかったら生きている甲斐がない」と弱音を漏らすも一幕もあったそうなのですが、
最後は「80年近く生きててやってきた仕事。楽しい仕事だし、私が好きで選んだ仕事だから、何も悔いはございません」と戸田奈津子さんは前向きに仕事継続していく気持ちでいらっしゃったそうです。
昔ほど「馬力はない」と弱音を吐きつつも、その年だけでも12本ほどの作品を手がけていたというのですから戸田奈津子さんは本当に好きじゃないととても出来ない域の仕事への向かい方だなあと思います。
私もう80歳になるのよ。20世紀にいい映画を年間40本ペースで翻訳してきて、もう十分働きました。
字幕で新しい志を燃やすというより、これからは少しゆとりが欲しいですね。今までがあまりにも忙しかったから。自分の時間を作って、時間に縛られない暮らしができたら、と思っています。
生きて右目が見える限り、映画を愛する戸田奈津子さんに引退の文字はなさそうです。
◆戸田奈津子とトム・クルーズの関係とは?お誕生日に毎年お祝いが贈られる??
トムにとっては
日本の「お母さん」
戸田奈津子さん。
ハリウッドの大大スターで、日本でも長年にわたり大変な人気を誇るトム・クルーズ。戸田奈津子さんとトムクルーズの親交は’92年に初来日してから、もう2019年現在で27年にもなるということです。
27年間も知り合い!!
2018年夏はトム・クルーズは23回目の来日を果たし、戸田奈津子さんという右腕を連れて、最新作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のプロモーションを行いました。
最初から好印象で、全く人が変わらない。昔からファンを大切にする優等生で、笑顔で周りに気を使える本当にいい人。女性に対しては非常にレディファーストで、その気遣いようは大変よ(笑)。
今回の会見でも、私が舞台から降りるのを待ってて、手を取ってくれたんです。そんな人ほかにいませんよ。
とにかくベタ褒め(笑)
大好きなんですね。
ハリウッドスターの中でも来日頻度が高いからこそ、親しくなっていくと戸田奈津子さんはおっしゃっていますが、むしろ戸田奈津子さんのような日本に来ても安心できる「お母さん」がいるからこそ、トムクルーズも日本を大切に思って来日してくれるのかな、と私は思います。
トムクルーズの方も毎年、戸田奈津子さんの誕生日になると忘れずに蘭の花を戸田奈津子さんに贈ってくださるというほど、戸田奈津子さんのことを特別大事に思っているようです。
通常、来日時の通訳は配給会社が決めるのだが、「トムクルーズが来たら、戸田奈津子氏」というのは暗黙の了解。何より、トムクルーズ自身が彼女を希望しており、戸田奈津子氏の誕生日や「お歳暮」の時期にトムクルーズがプレゼントを贈るなど、プライベートでも親友と言っていい関係だ。
トム・クルーズが
来日したら
戸田奈津子!!
戸田奈津子さんとトムクルーズのお二人の信頼関係がとても強いことは別の方面からも多数聞かれます。
今回のトム・クルーズも、いつものように饒舌だったが、そこには戸田奈津子氏との「阿吽の呼吸」も関係している。
通常、記者会見の通訳は、当事者がある程度、話し終わってから、改めて日本語の訳が話されるのだが、トムクルーズと戸田奈津子氏の場合は、ほぼ同時通訳のように展開されていく。
だから日本語訳の間に休む時間もなく、トムクルーズは気持ちを切らさず、流れるように話し続けることができるのだ。これは長年の関係で築いたテンポだろう。
トムが機嫌よく話す方が、場が盛り上がるのも、これまた事実である。
戸田奈津子さんの通訳を信頼しているからこそ、トム・クルーズが自由に饒舌に話せる面もあるのではないかな?と思います。そこに不安があると繊細な表現の部分、つまり誤解を生じかねない細かい部分の感情を話すことができない可能性が出てきます。
トム・クルーズ、来日23回目「信じられません!」 日本ファンの熱気に感謝https://t.co/LL9ug0zMVN
#トム・クルーズ #映画 #ミッションインポッシブル #mijp @MImovie_jp
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) July 18, 2018
戸田奈津子さんがトム・クルーズから思っている事を自由に話せる状況を引き出せるのは、信頼関係や長年お互いに交流があって本質を知っているという背景があってこそですし、それが可能であるからこそ、トム・クルーズ本人も楽しんで話ができるのかな?と思います。
日本でトム・クルーズをいちばん身近で見てきたであろう戸田奈津子さんにトム・クルーズの魅力を尋ねるとこう回答されたそうです。
とにかく善良で、そして真摯に人を喜ばせる。それが自分の“ミッション”とわきまえて徹底してやっている人。この前のジャパンプレミアイベントでも、スターが汗かいたらみっともないからって水も飲まなかったのよ。
トム・クルーズは
真のスター!
大変な親日家であることが有名なトム・クルーズですが、日本が東日本大震災後、トム・クルーズは映画配給会社に「被災地を訪問したい」とオファーした事があるそうなのです。しかし、滞在わずか27時間という過密スケジュールだったため最初のオファーは叶わずに終わってしまったらしいのですが、
それでもトム・クルーズは諦めずに再度「被災地の方をプレミア試写に招待したい!」とオファーしたという話があります。
20名ほどの福島県の方がバスでプレミア試写へとやってきて、試写の後にトム・クルーズは皆さんと会い、一緒に写真を撮ったり、被災者の方が持参した写真を見て励ましたり……と元気づけようと必死だったとか。招待された方の中には泣いている人もいたそう。
そうしたトム・クルーズのトム・クルーズらしい温かい優しさや愛情を一番よく知っているからなのかどうかわかりませんが、戸田奈津子さんはトム・クルーズの出演作では、ヒューマンドラマである『レインマン』のような作品が好きなのだそうです。
現在、トム・クルーズは2019年夏アメリカで公開予定の『トップガン:マーヴェリック(原題)』の撮影中ということで、それならば2019年もまた、トム・クルーズとのツーショットが見られる??可能性があるということです。
かもですね。早く来てもらわないと。こっちはもうすぐ人生が終わりますから(笑)。
戸田奈津子さんは
2020年には84歳に!
2019年はナント83歳になる戸田奈津子さん。元気にまたトム・クルーズと再会できることを楽しみにしているようですね。戸田奈津子さんがいつまでもキラキラしていられる一つの要因に「トムの愛」が絶え間なく注がれていることもあるのかもしれないですね♪
トム・クルーズと、その横にいる戸田奈津子さんというのは、もはや「定番」の風景です。その情景がなくなるなんてそんな寂しいことはありませんので、今後も戸田奈津子さんの長いご活躍を期待したいと思います。
伏見ミリオン座新館グランドオープンしました!
映画字幕翻訳家 戸田奈津子さん映画評論家 おすぎさんの
トークが面白すぎます!#伏見ミリオン座#グランドオープン#セレモニー 司会#伏見ミリオン座 pic.twitter.com/WsmiO1JMFT— 松岡ひとみ(シネマパーソナリティ) (@m1103) April 19, 2019

いつまでも元気なお姿を見ていたいですね♡
■ハリウッドスター・チャンツィーのお話はこちら↓

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