戸川京子のマンション死因は?葬儀での姉の姿に涙。旦那や息子は?

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今回は2002年に他界された戸川京子さんの死因とされる病気の件や亡くなった時の姉・戸川純さんの言葉、葬儀での様子、現在も続くファンからの暖かい想いについて調べました。

 

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◆戸川純の妹・戸川京子は若い頃から家族でもタイプの異なる姉妹!仲良し写真画像

 

戸川京子さんは小さい頃から東京は新宿区に育ち、姉妹で劇団ひまわりの児童部門から所属していたようです。戸川京子さんに関しては子役としてかなり幅広く活躍もされていたようです。

 

戸川京子さん

戸川京子さん

 

戸川京子さんのお姉さんの戸川純さんも同劇団に所属して、小学校5年生の時には大舞台に出演していたようですが、姉・戸川純さんが芝居に夢中になり学校を休みがちになることを家族が懸念したことで姉・戸川純さんに関しては劇団を辞めていたようです。

 

姉の戸川純さんはその後どちらかというと芸能界の表舞台ではないインディーズの音楽業界でその独特の個性と世界観を発揮し活躍の場を広げて行っていた印象でした。

 

 

一方、戸川京子さんに関しては子役時代の活躍を見ると8歳頃から継続して映画やテレビドラマの出演があることから姉の戸川純さんとは異なり、劇団には所属し続けていたのかもしれません。

 

名前:戸川 京子(とがわ きょうこ)

生年月日:1964年8月13日

没年月日:2002年7月18日(享年37歳)

出身地:東京都新宿区

活動期間:1969年~2002年

職業:女優、タレント、ミュージシャン、モデル

出典元:Wikipedia

 

戸川京子さんはポップな芸能界の表舞台で活躍していた女優さんとして知られていました。姉妹で同じ世界の違う側面で別々の個性を発揮していたお二人でした。

 

姉の戸川純さんのライブにも妹の戸川京子さんはたびたび足を運ばれていたようです。

 

 

岡崎京子さんのお話はこちら↓

漫画家・岡崎京子事故後の現在!元夫は離婚再婚?旦那画像とpinkのユミちゃん
1980年から1990年代、岡崎京子さんという漫画家はその時代を代表する作家として女性カルチャーの中で最前線にいました。その頂点で交通事故に遭い、作家生命を絶たれました。今回は岡崎京子さんの事故のこと、その後の経過と元夫について、岡崎京子さんの最高作品と言える『pink』の紹介をしたいと思います。漫画家・岡崎京子さんの回復をこころより祈りつつ。

 

岡崎京子さんは『好き好き大好き』という戸川純さんの曲と同タイトルの本も出版されています。(元々はRD.レインの書籍のタイトルです)サブカルなところでの交流があったのかもしれません。

 

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◆若い頃の戸川京子の1972年出演テレビドラマ『ウルトラマンA』第31話ミオ 役画像

 

戸川京子さんの初期の出演テレビドラマに1972年の『ウルトラマンA』があります。 第31話「セブンからエースの手に」の放送分でミオ役として出演しています。

 

 

画像:twitter

1972年というと、戸川京子さんはまだ8歳の年齢ですから、小学校2年生頃でしょうか?ここから戸川京子さんに関してはほとんど途切れることなく、映画やテレビドラマに出演し続けてきていました。それだけ人気があり、息の長い女優さんだったことは確かだと思います。

 

◆若い頃の戸川京子の1989年出演映画『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』画像

 

1979年(当時15歳)には戸川京子さんは男はつらいよシリーズの大23作目に当たる『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』に出演されていました。

 

その回のマドンナ役は桃井かおりさんであり、その桃井かおりさん演じる入江ひとみの婚約者である布施明さん演じる小柳邦男、その妹役が戸川京子さんでした。

 

画像:twitter

 

戸川京子さんはその後1982年(当時18歳)にも男はつらいよシリーズ第29作目にあたる『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』にも出演されています。その時のマドンナ役はいしだあゆみさんでした。

 

10代で2度も歴史に残る「男はつらいよシリーズ」の映画に大物有名人と共に出演を果たしていた戸川京子さんでした。

 

 

戸川京子さんも戸川純さんも大変オシャレな女性でした。

 

◆戸川京子の若い頃の1988年アルバム『涙』の歌詞がファンに人気「砂丘」「19+5」「動物園の鰐」画像

 

1980年代になると戸川京子さんは音楽ジャンルでも活躍を始めます。そのころまでには姉の戸川純さんの音楽活動が注目をされていたので、戸川純さんの妹として、その影響もあったのかもしれません。

 

 

アルバム『涙』の戸川京子さん

アルバム『涙』の戸川京子さん

画像:picbon.com

 

『涙』というアルバムの3曲目には動物園の鰐という曲があり、音楽関係者に人気だったようです。

 

やっぱり彼女を一言で言うなら、『動物園の鰐』に尽きるでしょう。だいたいそれしか聴いてなかったし…。それが入ってる分 『涙』 はお勧め。

引用元:All About

 

また、『涙』というアルバムの5曲目には「砂丘」という曲は戸川京子さんの熱烈なファンから人気の1曲だったようです。

 

そして、『涙』というアルバムの7曲目ですが、当時はB面の最初の曲に「19+5」は入っていました。(シングルでも「19+5」は発売されています。)

 

大人になんかなってあげない

少年の貴方を待つ19の夏

 何が大切か知ってたつぶらな瞳

stay gold

引用元:「19+5」歌詞

 

戸川京子さんご本人の作詞であるこの曲は19歳の頃の純粋な心と少し大人になってからそこを振り返った時のちょっぴり切ない気持ちが描かれていました。

 

ちなみにこのアルバムが発売された1988年、戸川京子さんは24才であり、ちょうど「19+5」に当たる年齢でした。

 

管理人kira2
管理人kira2

女の子の19歳はとても特別な時間帯ですね。

 

そんなわけで、『涙』というアルバムはその後の戸川京子さんの儚い運命があったからか、ファンからも大変心に残る作品となって残っているようです。他にも「マリモの気持ち」「ワンルームの鍵」といった楽曲に関しても、今でもとてもファンから大事に愛されている曲のようです。

 

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◆戸川京子の出演テレビドラマ1997年『ガラスの仮面』水城冴子 役画像

 

世間が「ノストラダムスの大予言」で震えていた1997年、戸川京子さんは33歳になっていました。今となってはあの予言は一体何だったんだ、という印象ですが(笑)

 

画像:exciteニュース

 

バブル崩壊もあり、どことなく、そして少しづつ日本の内側に世紀末のちょっとした不安感や悲壮感、虚無感のようなものが漂い始めている時代でもありました。

 

その悲壮感を埋めるように、その年公開された『タイタニック』の名場面でのポーズを必死でするような時代でもありました。

 

画像:『タイタニック』予告編

 

同じ年に戸川京子さんが出演されたテレビドラマの『ガラスの仮面』主演の北島マヤ役に安達祐実さんという絶妙な配役が注目を浴びたドラマで後に続編もつくられたほど人気だったようです。

 

エネルギッシュなテレビドラマとして世間が大注目!

 

 

戸川京子さんは水城冴子役を演じました。水城冴子というと主役北島マヤの恋のお相手となる真澄の秘書であり、一時は芸能界デビューを果たした北島マヤのマネージャーも兼任する役どころということで、かなり大事な役を任されることになります。

 

 

野際陽子さんもすごい!

 

 

戸川京子さんの演技に注目していた方も大勢いたようです。

 

 

なお、余談ですが、『ノストラダムスの大予言』の著者である五島勉氏は、90歳を目前にした2019年、テレビ取材に応じ、著作についてのコメントを発表されたようです。

 

世界の滅亡を唱えた人の現在の意見は?

 

「ノストラダムスの大予言」の著者・五島勉氏(89)が7日、フジテレビ系「Mr.・サンデー」(日曜、後9・00)の取材に応じ、「予言」がはずれたことについて「子供たちに謝りたい」などと語った。

(中略)

「子供たちには謝りたい。子供が読むとは思っていなかった。真面目な子供たちは考えてご飯も食べられなくなったり。悩んだり。それは謝りたいと思う」と述べた。

出典元:デイリースポーツ

 

同じ条件の同じ時代に生きても、たくさんのエネルギーを与えられる『ガラスの仮面』のようなドラマがあり、もう一方では恐怖心を抱かせるだけの「ノストラダムスの大予言」があり…と

 

これまで以上に個人個人が自分の目のピントをどこに合わせるのかによって、自分に及ぼす影響がかなり変わってくる時代になっていったのが印象的です。

 

画像:picbon.com

 

芸能界の第一線で活躍し、発信をしていく立場の戸川京子さんはその潮目において、きっと多くの負荷があっただろうなと想像します。

 

◆戸川京子は2019年現在マンションで亡くなっている?

 

戸川京子さんは2002年に亡くなられて早くも2019年現在で17年目となります。

 

『星くず兄弟の伝説』での戸川京子さん1985年

『星くず兄弟の伝説』での戸川京子さん1985年

画像:「星くず兄弟の伝説」予告編

 

戸川京子さんというと既にかなり名前が知られていた女優さんだっただけに、37歳という若さでこの世を去ったことについて、ファンだけでなく芸能界で係わりがあった有名芸能人の方々もその死を惜しみました。

 

◆戸川純の妹・戸川京子の死因は鬱によるもの?原因は心筋梗塞の病気と重度の喘息だと言われている

 

戸川京子さんが亡くなられたのは2002年7月18日で、戸川京子さんの都内の自宅マンションにおいて首を吊っているところを事務所スタッフが発見したという事でした。

 

当日、戸川京子さんには鹿児島でのテレビの旅番組のロケが予定として組まれており、早朝に空港で待ち合わせとなっていたようです。

 

伝説のカルト映画『星くず兄弟の伝説』での戸川京子さん1985年

伝説のカルト映画『星くず兄弟の伝説』での戸川京子さん1985年

画像:ライブドアニュース

 

待ち合わせにも連絡にも応答しない戸川京子さんを不審に思い、スタッフが駆け付けたところ、世田谷区のワンルームマンション内でパジャマ姿で家具にひもをかけてなくなっている戸川京子さんを発見したそうです。

 

まだその世田谷のマンションは戸川京子さんがぜんそく治療で通う予定だった病院の近くであり、引っ越してまだ3週間ほどという新居だったそうです。新しく購入したベッドが死後に届いたということから、この死が自死であるならば、かなり衝動的な出来事として発生したことが分かります。

 

とても衝撃的な報道に順風満帆に活躍する女優だった戸川京子さんがどうして亡くなったのか、一体何があったのかと騒然となりました。

 

2002年 (平成14)戸川京子(俳優)が逝去。

出典元:ライブドアニュース

※規約順守の為、一部文言を変えています。

 

後の戸川京子さんの父親の話によると、戸川京子さんは30を過ぎてから重度の喘息にかかり、1日4回の薬のうち、1回でも飲まないと発作が起きるかなり重篤な症状と言われており、亡くなる前年の年末に当たる2001年12月には心筋梗塞も発症していたという事でした。

 

それら症状の悪化による精神的な負担により、鬱症状が併発していたという話があります。晩年は親しい友人からの連絡すら出ない状況があったようです。

 

画像:twitter

 

確かに、もともと重度の高い喘息の症状に加え、成人ぜんそくの発作が起こりやすい時期として亡くなった7月は該当するようです。

 

ぜん息患者さんの症状は、1日の間に変動が認められます。午前2時から4時ごろは、1日のうちで気道がいちばん不安定な状態になるため、ぜん息発作が起こりやすい時間帯といえます。

同じことが1年単位でもみられ、季節的変動と呼ばれています。5月から7月と、10月から11月に、発作の回数・程度ともに多くなり、秋の方が若干発作が多くなる傾向があります。

引用元:独立行政法人環境再生保全機構

 

戸川京子さんはその前後で舞台稽古中にセキが止まらなくなることがあり、稽古が中断して迷惑がかかると話していたことや周囲に咳が苦しいと話すこともあったと言われています。

 

また、日本人の死亡原因の第2位を占める心臓病として心筋梗塞もとても大きな病気です。

 

心筋梗塞は冠動脈が詰まり、血液の流れが途絶える病気です。

引用元:急性心筋梗塞.com

 

当時の戸川京子さんの喘息の発作がかなりひどかったことが、希死念慮の衝動を実行に移させてしまったということは確かにあるのかもしれません。

 

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◆戸川純の妹・戸川京子のマンションに逝去の最期の遺書があった?葬儀は行われたの?

 

戸川京子さんの死は無念の言葉が強調され、芸能界でセンセーショナルな事件として報道をされてしまうことになりました。

 

画像:twitter/https://twitter.com/zero_spectre/status/1151607759114080256?s=20

 

言葉に極度に反応した報道各社は、それならば発見当時に戸川京子さんの遺書はあったのかどうかということをいち早く情報として入手する動きに出ます。

 

◆戸川京子の死を姉の戸川純に最初に伝えたのはマンションに突撃してきたマスコミのインタビューだった。画像

 

なんと、当時のマスコミ報道関係者は事件直後に戸川京子さんの姉・戸川純さんのご自宅を早々に訪ねていました…。現代であれば考えられないような無神経な行動なのですが、当時は許されていたようです。

 

2002年当時の報道姉の戸川純さんがコメント

2002年当時の報道姉の戸川純さんがコメント

画像:テレビ報道youtube動画

 

その報道関係者の口から妹・戸川京子さんの死を初めて知らされることになった姉の戸川純さんは、驚きを隠せず、一度家族に連絡しますと自宅に入り、身内に連絡をとった後、再度、報道関係者に丁寧に対応をします。

 

画像:テレビ報道youtube動画

 

そこで姉の戸川純さんから語られたことは、戸川京子さんの自宅マンションに遺書などは何もなく、動機や理由などは全く分からなかったという事でした。

 

画像:テレビ報道youtube動画

 

また、当時の戸川純さんは妹の戸川京子さんにはしばらく会っておらず、最近の戸川京子さんの抱えている状況を知らなかったとゆっくり語り、その上で、

 

「それでもあの子の事だから、どんな状況でも前向きに…いつもそうだったから…。」

 

とまだ、現実とは思えないような状況を前に丁寧に話される姿がありました。このような状況でここまでの対応ができる事にもすこし驚かされます。

 

 

妹が死んだ動機さえ分からないなんてなあ…

(当時の戸川純さんの言葉)

 

しかし、一番近くでよく知っていたはず、大切に思っていたはずの妹・戸川京子さんについて、実際は何も自分は知らなかったのだという思いに戸川純さんはなっていたようでした。

 

遺書の話に戻ると…

その後しばらくして、戸川京子さんの遺品整理を行っていた父親が遺書ではありませんが「死ぬのは嫌じゃない。楽になれるというイメージがある」と書かれた手紙を発見し、もろもろの体の不調のために周りに迷惑をかける状況から脱したかったのではないかと現在では言われています。

 

◆過去に未遂をしていた姉・戸川純が語る妹・戸川京子への想い

 

姉の戸川純さんは妹・戸川京子さんがこの世を去った大きな衝撃と、何もできなかったという無念さで言葉も浮かばない様子でした。

 

画像:テレビ報道youtube動画

 

その後、報道関係者が「これからご実家の方へ行かれますか。」と尋ねると、戸川純さんはこんな言葉を続けていました。

 

 

もちろんですけど…その前に…そう、すぐ行動なんか・・・そんなすぐにパッパカパッパカ行動なんてできないですよ…。京子が寝ている側に行きたいよ…会いたいよ、顏みたいよ、って。

でも、んな急いで実家に行ったら、認めることになっちゃうじゃないですか。死んだって…。

音声文字引用:テレビ報道youtube動画

 

戸川京子さんの死を認めたくないという気持ちを、自分の中で自問自答する戸川純さん。

 

画像:テレビ報道youtube動画

 

戸川京子さんの姉の戸川純さん自身、戸川京子さんが亡くなる7年前の1995年に人間関係のトラブルを色々と抱え込んでおり、当時所属していた事務所とも金銭トラブルが発生、そこでの精神的な不安感や他人に対する不信感などが重なり、自宅マンションで首をカミソリで切るという未遂を起こしていました。

 

その他にも戸川純さんに関しては睡眠薬や、手首を切る、車に飛び込む、団地の5階から飛び降りる等希死念慮の大きさで言えばずっと戸川純さんの方が大きかったはずでした。(と少なくとも本人も周りも思っていた)

 

私みたいに「死にたい」としょっちゅう子供のころから言って、そういう奴ほど長生きするんだって、自分で思っていたけど逆に京子みたいなのが早死にするだなんて一回も思ったことがなくて…。

今の心境として、まだ悲しいとか何故とか、(そういったことではなくて)ただぼんやりとあのニコーっとして「お姉ちゃん!」って言うのが、見られないというのが信じられないという…。

だからまだ、実感はわかないんですよ。たぶん、認めたくないんでしょうね…。

音声文字引用:テレビ報道youtube動画

 

「死」がいつも身近にあって、その希死念慮と共に様々な思いと考えを抱きながら生きてきた経緯がある姉の戸川純さんにとって、いつも元気で明るい妹・戸川京子さんの死は特別な思いをもたらすものだったようです。

 

画像:twitter

 

戸川京子さんが亡くなられた後、姉の戸川純さんは1年以上芸能界の活動を休止し、その後しばらくして再開、現在も活動を続けています。2007年以降に、ラジオ番組のパーソナルティを開始できるほどになり、その後は、長編小説なの執筆も手掛けてきているようです。

 

戸川京子さんの葬儀に関する詳細は情報として詳しいものがありませんでしたが、葬儀のあとの戸川純さんが涙も涸れ果てた様子で戸川京子さんの遺影をもち、崩れ落ちそうな状態で現れたそうです。

また、戸川京子さんの葬儀での言葉としてこのようなものが残っています。

 

姉の戸川純は、葬儀で「あの子はとてもしっかり者だったし(中略)疲れちゃったのかな。ああやっぱりなと思いました。あたしがいっぱい迷惑かけたからかな」と語った…。

引用元:ライブドアニュース

 

戸川純さんには悔いが多くあるような言葉で、とても心が痛みます。1995年に戸川純さんが未遂を起こした時に献身的に支えてくれたのは戸川京子さんだったと言われています。

 

それだけ、幼少期から共有した思い出もあり、姉妹としてつながりも深かったのでしょうから、悲しみもそれだけ大きなものになるのだと思います。

 

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◆戸川京子と交流のあった川上麻衣子が語ったこと

 

もう一つ、私が調べていくうちに少し気になった内容がありました。戸川京子さんはまだ独身時代の若い頃、川上麻衣子さん、可愛かずみさん、尾崎豊さんらと親密な交流があったようなのです。川上麻衣子さん以外は全員、若くして自死しています。

 

尾崎豊さん 1992年4月(享年26歳)

可愛かずみさん 1997年5月(享年32歳)

戸川京子さん 2002年7月(享年37歳)

 

 川上麻衣子可愛かずみが隣り合わせた学芸大学のマンションには、可愛と同い年の戸川京子も住んでいた。川上もすぐに仲よくなり、戸川から紹介された尾崎豊とも遊び仲間となった。
 気がつけば尾崎も可愛も、そして戸川も若くして世を去っている。いずれも、「不安定な精神状態」が非業の死への道筋となった。

出典元:ライブドアニュース

 

また、交流があったかどうかは不明ですが、戸川京子さんと可愛かずみさんの堀越学園時代の同級生だった「84年組」と言われている方々の若い年齢での他界が多くあります。

 

岡田有希子さん 1986年4月(享年20歳)

菊地陽子さん 1999年(病死 享年32歳)

本田美奈子さん 2005年(病死 享年38歳)

松本友里さん 2010年11月(享年42歳)

 

同じ時代を生きた芸能人の面々にかなり自死が多いということが分かります。

ここで、さらに可愛かずみさんが亡くなった時に川上麻衣子さんが受けていたインタビューでの内容に気になる情報がありました。

 

かずみちゃんは私には隠していたけど、当時の芸能界は、強い安定剤が手に入るルートがあったんですよ。それを手放せなくなっていたんでしょうね」

(中略)

やがて可愛は、96年12月、97年1月、亡くなった日である97年5月9日の午前中と、計3度の自殺未遂を図った。いずれも手首を切ってのことである。

(中略)

「長らく安定剤を飲んでいて、一時は止めていたけど、また強い薬を飲むようになってから記憶が飛んでいた。薬が切れて正気に戻ると、飲んでいた時の行動を思い出せないんです」

出典元:ライブドアニュース

 

ここで出てくる「強い安定剤」というものが何かは分かりませんが、そうした薬に依存しなければならないほど精神的に追い詰められる状況が日常的にあり、その「強い安定剤」に対する依存によって、起きていても記憶が残らないほどの状況に陥ることが分かります。

 

可愛かずみさんの死に関しても川上麻衣子さんは過去に可愛かずみさんが手首を切る自殺未遂を図った際に知らせを受けて病院へ向かっており、薬を飲んでいた時の記憶がないまま意識もうろうとして(理性の働かない)無意識で行っていたように思えるという内容の事を語っています。

 

であるとすれば、この手に入るルートのあった「強い安定剤」が友好関係のある若者の間で「よく効く」と言われていたとすると、それが多くの若者を蝕み、自死へ導いた原因になっていた可能性も考えられるのかもしれません。

 

◆戸川京子は結婚相手の旦那は大山正篤で息子がいた?週末婚だった?画像

 

戸川京子さんは1993年1月に結婚し、亡くなる3年前の1999年に離婚されており、旦那さんがいらっしゃいました。ロックバンドZIGGYのドラマーとして知られていたミュージシャンの大山正篤さんという方です。

 

 

ロックバンドZIGGYというと、1989年の大ヒットドラマ「同・級・生」の主題歌としてヒットした「GLORIA」の人たちということで、その当時はみんなこぞって「GLORIA」のシングルを買っていたと記憶しています。

大山正篤さんは、そのブームの後も音楽業界でいろいろな形で活動を続けているそうです。

 

『星くず兄弟の伝説』で花嫁衣裳の戸川京子さん1985年

『星くず兄弟の伝説』で花嫁衣裳の戸川京子さん1985年

画像:「星くず兄弟の伝説」予告編

 

戸川京子さんと大山正篤さんの間には息子さんがいたのではないかという情報があるようですが、実際のところ具体的な情報は残っていないため、噂だったようです。

 

『星くず兄弟の伝説』でマドンナ役の戸川京子さん1985年

『星くず兄弟の伝説』でマドンナ役の戸川京子さん1985年

画像:「星くず兄弟の伝説」予告編

 

戸川京子さんに「週末婚」というワードが出てくるため調べてみたところ、1999年に出演されたテレビドラマ『週末婚』の話でした。こちらのドラマはとても精神的にがさがささせられる、内館牧子さん脚本の泥沼の物語であり、ちょっと演じる側も観ている側も誰も幸せになれなそうなストーリーで話題となっていました。

 

お互いの不幸を願う姉妹の異性関係が複雑に絡み合う愛憎劇を、今作が連続ドラマ単独初主演作になる永作博美と、松下由樹の初共演で描いた連続ドラマである。

出典元:Wikipedia

 

1999年というと、戸川京子さんが旦那さんである大山正篤さんと離婚が成立した年であり、プライベートでも余裕がない時にこれだけストレスフルな役柄をこなさなければならなかった状況に対して、とても大変な状況だっただろうなと想像してしまいます。

 

原 美里演 – 戸川京子 月子の同僚だが、ハドルコーディーネーターへの抜擢知って、嫉みの感情を露わにしてしまう。しかし、ハドルコーディネーターが、大した仕事ではないと判ると 再び友人として振る舞ったりする裏表の激しい性格。

出典元:Wikipedia

 

戸川京子さんの役柄もかなり性質的に厄介な役柄だったようです。

 

◆戸川京子の旦那・大山正篤は2019年現在、再婚している?

 

戸川京子さんの元旦那さんだった大山正篤さんが再婚しているかどうか調べてみましたが、特にそのような情報は見つかりませんでした。離婚してから3年の月日がたっていたとはいえ、縁があって結婚した女性が自死してしまうということは大きなショックだったことでしょう。

しかし、現在ではそうした困難も乗り越え、懸命に活動をされているようです。

 

◆戸川京子へのファンからの名言 ツイッター画像

 

最期から17年経っても変わらない気持ちでファンから愛されている戸川京子さんへの想いを集めました。

 

 

『星くず兄弟の伝説』はとても戸川京子さんの可愛い姿を残してくれた貴重な作品のようです。

 

画像:twitter

 

姉の戸川純さんだけでなく、戸川京子さんのファンの方も皆、寄り添いあってここまでの時間を過ごしてきたようです。

 

画像:twitter

画像:twitter

 

とてもきれいでいつもでしゃばることもなく、周りから親しまれていたことがよく分かる言葉がたくさん残っている戸川京子さんでした。

 

「星くず兄弟の伝説」のワンシーン戸川京子さん

「星くず兄弟の伝説」のワンシーン戸川京子さん

画像:ライブドアニュース

 

戸川京子さんとの想い出はまだまだ生きている。

 

戸川京子さん、いい唄を残してくれてありがとう。あなたの歌声を忘れません。ご冥福をお祈りします。

 

ご冥福をお祈りします。

 

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現代社会が抱えている少子高齢化と地方の過疎化による「墓の維持」問題で、今大注目されているのが自然葬と言われる散骨・樹木葬などの故人の葬り方です。私自身も以前から散骨を希望してきているため、今回はそうした方法で葬られた方々について調べました。
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