今回は、薬師丸ひろ子さんと玉置浩二さんが結婚に至るまでの薬師丸ひろ子さんの若い頃の経歴と、結婚生活、離婚理由となったことや子供について調べてみました。
また、近年元夫婦だった薬師丸ひろ子さんと玉置浩二さんの間に起こったジワっとする雪解けの話も、最後にお届けします。
◆2020年NHK朝ドラ『エール』に女優・薬師丸ひろ子ヒロイン母親役で出演!旦那役に若い頃『セーラー服と機関銃』でも共演した俳優・光石研!夫婦役 画像
2020年春のNHK朝ドラ『エール』では薬師丸ひろ子さんがヒロイン(演:二階堂ふみさん)の母親役で出演することになりました。
画像:http://jyoseiartist.blog.jp/archives/20360213.html
2019年10月の出演者発表の舞台では薬師丸ひろ子さんは朝ドラ『エール』の出演にあたり、このような意気込みを語っています。
思い切り笑える日もあれば、あふれる思いに涙が止まらない朝もある。台本から人物たちが飛び出してくるような物語にとてもワクワクしています。独創性があり、芯が強い娘たちを育てた母はどんな女性だったのか。明るくにぎやかな家族の毎日を、チームワークを大事に演じていきたいと思います。
引用元:日刊スポーツ
これまでの薬師丸ひろ子さんの女性としての人生の感情がたくさん込められた、素晴らしい演技が期待されます。
きっと不穏な現代への
「エール」になる。
窪田正孝主演「エール」に薬師丸ひろ子、光石研、松井玲奈、 森七菜らが出演https://t.co/wsfZCkoFPP
#窪田正孝 #二階堂ふみ #薬師丸ひろ子 #光石研 #松井玲奈 #森七菜 #古川雄大 #平田満 pic.twitter.com/OBIqveIiyL
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) October 9, 2019
薬師丸ひろ子さんの演じるのはヒロイン役の家庭の母親という役柄ですが、父親役、つまり薬師丸ひろ子さんが演じる役の旦那さん役は光石研さんが演じられます。
画像:NHK
薬師丸ひろ子さんと光石研さんはご縁があり、薬師丸ひろ子さんの代表的な主演作品とも言える1981年の映画『セーラー服と機関銃』で共演をされています。光石研さんは当時高校生トリオ・周平の役を演じていらっしゃいました。
あれから39年!
画像:twitter
なかなか感慨深い夫婦共演となりそうです。ちなみに光石研さんは1981年の映画『セーラー服と機関銃』の2年後には歴代最高視聴率を未だに維持しているNHK朝ドラ『おしん』にも出演されています。
画像:twitter
隠れヒットメーカー
なのかもしれない(笑)
■薬師丸ひろ子さんとご縁のある光石研さんの出世作品・NHK朝ドラ『おしん』のキャストはこちら
◆1978年(年齢14歳)映画女優デビュー!薬師丸ひろ子が元旦那・玉置浩二に出会うまでの若い頃の経歴とプロフィール!本名・身長・出身校は?愛車はベンツ
中学1年生という若さで薬師丸ひろ子さんはオーディションで選ばれ、1978年、14歳の時に角川映画第3弾『野性の証明』で映画女優デビューを果たします。俳優・高倉健さんとの共演でした。2020年はデビューから42年!となります。
画像:https://芸能人の若い頃.com
デビュー当時にあたる中学時代、真っ黒に日焼けしていた薬師丸ひろ子さんのあだ名はフライパンだったそうです。共働きの両親の元生まれた薬師丸ひろ子さんは厳格な祖母の元、厳しくしつけされて育ったようです。また小学生時代から活発で、足も速く、クラス委員などをする子でした。
●本名:薬師丸博子
●生年月日:1964年6月9日
●出生地:東京都渋谷区
●出身地:東京都港区北青山
●血液型:A型
●星座:ふたご座
●身長:155㎝
●職業:女優・歌手
●趣味:旅行・スキー
●特技:ピアノ・車の運転、車庫入れ
●愛車がベンツ
オーディションでは薬師丸ひろ子さんの写真を偶然撮った人が本人に内緒で長井頼子役選考オーディションに応募しており、8歳という設定の役柄に対し既に13歳に達していた薬師丸ひろ子さんでしたが、薬師丸ひろ子さんが非常に印象的な「目」をしていたことから、審査員の角川春樹氏が強く推したことで合格したというエピソードがあります。
画像:『装いの街』
元々、薬師丸ひろ子さんは東京都港区北青山の出身という事で印象に反して、かなり「都会っ子」であったようです。また、それが影響しているのかバブル世代という時代が影響しているのかは分かりませんが愛車は長年ベンツだそうです。このあたりが調べてみると今までの印象とちょっと違う、意外な一面という印象がしました。
画像:http://1060i.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-44f2.html
■薬師丸ひろ子さんの愛車はメルセデスベンツ↓


ちなみに玉置浩二さんの愛車もベンツでした。
◆1981年(年齢17歳)都立八潮高校時代に名セリフを残した『セーラー服と機関銃』で薬師丸ひろ子は主演・主題歌で昔歌手デビューも果たす。玉川大学文学部英米文化科出身で卒業
薬師丸ひろ子さんの出身校も、もちろん東京のかなり都心部に集中しています。
画像:https://matome.naver.jp
垢抜けない印象が
都心部育ちを想像させないw
薬師丸ひろ子さん自身も、自分について出身地の環境とのギャップを感じていたようで、「都会の田舎育ち」と言っています。
●港区立青山中学校
●都立八潮高校
●玉川大学文学部英米文化科卒
でも港区育ち!
もともと芸能界入りを望んでいなかったとされる薬師丸ひろ子さんは、出身地の青山という土地柄、周辺でスターを見かけることが多く、さらに友人の父親がアイドルのディレクターであったり、芸能界で仕事をしている人々が多く周りに居たことで、とても自分には向いていないと感じていたそうです。
鶴見慎吾さんが薬師丸ひろ子さんの幼稚園小学校時代から幼馴染だったようです。幼馴染であるにもかかわらず、1980年の映画『翔んだカップル』で恋人役となり、キスシーンまであったという事ですから、年頃の女性としてはかなり複雑だったのではないかと感じます。
画像:https://grapee.jp/738749
こちらも立派な役者さんに。
若い時代に薬師丸ひろ子さんがテレビドラマに出演しなかったこちについても、テレビ出演をすると不特定多数に認知され、注目されてしまうという事に耐えられなかったからだそうで、映画出演だけであれば、劇場に足を運んだ人にしか自分が知られることはないからと考えていたことが理由だったようです。
学生時代は合唱部に所属していたという話がありますが、高校時代は『探偵物語』の大ヒットでそれどころではなかったと思われますので中学生時代という事かもしれません。
画像:https://ameblo.jp/irusutyuu/entry-11235510950.html
「カ・イ・カ・ン」
薬師丸ひろ子さんの名前をたちどころに有名にした1981年の主演映画『セーラー服と機関銃』では映画と同じくらいに有名となった伝説の名ゼリフ「カ・イ・カ・ン」を残しています。こちらのセリフは薬師丸ひろ子さんのアドリブで出来た台詞だったと長く言われていました。しかし、薬師丸ひろ子さんは台本であると断言もしています。
画像:https://ameblo.jp/irusutyuu/entry-11235510950.html
補足情報ですが、映画初主演作は前年にあたる1980年の『翔んだカップル』でした。この作品の相米慎二監督による次の作品が『セーラー服と機関銃』となります。
主題歌も大ヒット!
再び逢うまでの遠い約束
引用元:『セーラー服と機関銃』歌詞
とにかくひたすら
刹那的w
この『セーラー服と機関銃』の出演が薬師丸ひろ子さんにとってはとても重圧にもなったようで、出演後に休業宣言もされています。この時代、都立八潮高校の先輩として、関根勤さんもいたようです。関根勤さんは中学2年生の時にはもうモノマネに目覚めクラスメイトに喜ばれていたようなので、おそらく八潮高校時代にも同じ校内で薬師丸ひろ子さんとはまた別の輝いた世界をつくられていたのかもしれません。
画像:https://kodomo-ouen.com
実際は薬師丸ひろ子さんとしては芸能界自体を引退したいと考えていたようでしたが、結局当時所属していた角川春樹事務所によって、単発ドラマ『装いの街』(1979年)や資生堂のコマーシャル「色」、雑誌『バラエティ』での写真モデルの仕事を次々入れることで薬師丸ひろ子さんが芸能界から引退するという選択肢を事実上妨げられたと言われています。
◆1983年7月(年齢19歳)映画『探偵物語』で薬師丸ひろ子は松田優作と昔共演。主題歌も大ヒット!身長差と年齢差が注目のロマンスへ
1983年7月、薬師丸ひろ子さんは映画『探偵物語』に出演します。大学受験のためにアイドル絶頂期にして活動を一時休止していた薬師丸ひろ子さんの復帰作として注目され、松田優作さんとの共演作としても歴史に残った名作となっています。
画像:https://ameblo.jp/waltz-for-kenny/entry-11581651201.html
身長差28㎝
年齢差15歳差
のロマンスとして大注目されました。
画像:映画『探偵物語』
松田優作さんの身長は183㎝でした。
この映画の空港でのラストシーンが胸キュンな逸品で、一部ではまるでフランス映画のようだと言われています。
画像:『探偵物語』ニッポン放送ラジオハウス銀河中継
そして、薬師丸ひろ子さんが歌った主題歌「探偵物語」の作詞が松本隆さん、作曲は大瀧詠一さんという色々な意味でこちらも伝説の作品となっています。ソロでのデビューシングルからの2作連続首位は史上2人目という快挙を成し遂げました。
画像:読書メーター
ちなみに松田優作さん主演のこちらの『探偵物語』とは別モノです。
◆1984年12月(年齢20歳)映画『Wの悲劇』とユーミン作曲主題歌「Woman “Wの悲劇”より」の大ヒット、昔の薬師丸ひろ子は第27回ブルーリボン賞主演女優賞受賞の後、1985年角川春樹事務所から独立
薬師丸ひろ子さんが1984年20歳の時に主演で出演した映画『Wの悲劇』は薬師丸ひろ子さんがアイドル的なポジションから大人の女優へと成長した映画と言われています。
画像:https://ameblo.jp/irusutyuu/entry-11235510950.html
こちらもまた薬師丸ひろ子さんが歌う主題歌「Woman “Wの悲劇”より」がオリコンチャート月間1位を記録するヒット作となっています。(こちらは薬師丸ひろ子さんの憧れの人ユーミンが作曲担当)
第27回ブルーリボン賞
主演女優賞受賞!
ブルーリボン主演女優賞の表彰式で、「この映画で燃えつきたので、(女優を)やめようと思った。でも、この賞は私にガンバレという励ましの意味でいただけたと思います」とスピーチ
引用元:Wikipedia
ところが分からないもので、出演する映画は毎回軒並み大ヒットとなっていましたが、デビューから7年間、この仕事が終了する時点においても薬師丸ひろ子さん自身は内心ずっと芸能活動を辞めたいと思い続けていたそうです。
『Wの悲劇』が終わった頃には自信も情熱も失い、仕事中心の生活から自由になりたいという思いなどから精神的に追い詰められた状態に至っていました。
画像:vtv.hp2.jp
そこで、芸能活動を引退するつもりで1985年3月に所属していた角川春樹事務所を辞めることとなりますが、引退報道が過熱し、大勢の取材陣が自宅や父親の会社に押し寄せたことで個人事務所オフィス・メルを設立しています。
やめるはずが独立に。
画像:https://rubese.net/
そこから改めて、撮影現場では「飽きない、冷めない、慣れない」の三原則を自らに課して、女優として再出発するつもりで気持ちを立て直したという話がありました。
画像:『里見八犬伝』
1988年には5年間をかけて玉川大学も無事卒業されています。卒業に5年かかってしまった理由として映画『里見八犬伝』の撮影中に過労と盲腸が重なって入院したことを後に語っています。
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コメント
BSで薬師丸ひろ子さんのコンサートを堪能し、玉置浩二に触れてたので、気になってこのサイトにたどりつきました。読みがいあった〜!玉置さんの昔の画像も懐かしかった♥️
あたたかいコメントありがとうございます。これまで薬師丸ひろ子さんと玉置浩二さんのお話となると玉置浩二さんの離婚再婚ばかりが短絡的に報道され注目されてきましたが、ひとつひとつをきちんと見ていくと、薬師丸ひろ子さんがどうして玉置浩二さんという人に惹かれ、結婚したのか?というところも納得するような気持ちになりますね。
薬師丸ひろ子さんの記事は私も思い入れが特に強かったので、長すぎるだろ…と自分でツッコミを入れながらも最後まで熱意だけで作っていました。最高のご褒美を頂いた気持ちです。ありがとうございました。またご縁がありましたら、是非遊びにいらしてくださいね。