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与謝野晶子と与謝野鉄幹はバナナ事件deみだれ髪?歌集の意味・現代語訳


明治、大正、昭和と流れていく激動の時代を「女」として感じ、その感性を作品として届けた与謝野晶子さん。彼女が時代を超えて現代まで届けてくれたラブレターと歌は美しい言葉であふれ、私たちに感じることで生きていく姿勢とこの国の美しさに触れられる幸福を教えてくれます。もう、歌がとにかく格別にキラキラしてる!

与謝野鉄幹氏との愛が載っている歌集にはリアルでも激しかった?エピソードがあります。その代表的な話がバナナ事件、ということで今回はバナナ事件とみだれ髪について追っていきます。

 

 

◆与謝野晶子の本名は?みだれ髪の作者は源氏物語が好きだった?

 

明治11年(1878年)12月7日与謝野晶子さんは大阪の老舗の和菓子屋さんの三女として生まれました。

 

 

 

 

与謝野晶子さんの「与謝野」は結婚後の姓で「晶子」はペンネームです。

旧姓の本名は鳳(ほう)志よう(しよう)さんというのだそうです。

昭和17年(1942年)5月29日与謝野晶子さんが亡くなった日です。

 

与謝野晶子さんの実家は商人だった為、与謝野晶子さんも10歳の頃から放課後に家業を手伝っていたようです。学校に行き、漢学塾や琴、三味線なども稽古していたようなので、その時代の「三女」としてはいい暮らしなのかな?とも思いますが、家業は当時は苦しかったようです。

 

 

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家業を手伝いながら和歌を詠み、その作品を投稿していくような生活をしていたようです。店番の後に『源氏物語』等を読んでいた為か、与謝野晶子さんの感性の中には若さの中にある衝動的な感覚についてさえも、そこに立ち向かって作品にすることでの肯定感をもはや獲得していたようです。

 

 

実に感度の高い思春期(笑)

 

 

ともかく家業を手伝いながら、小説を読みまくる生活をします(笑)樋口一葉、尾崎紅葉の小説、紫式部の「源氏物語」をこよなく愛していたそうです。

 

 

ここで与謝野晶子さんが築いた感性が後に『みだれ髪』を生み出すきっかけにもなったのではないかと思います。

 

 

 

 

当時の女性が世から一方的に求められていた「あるべき姿」は慎ましやかに人形のように生きることだったでしょうから、女としての感性をあらわに作品にした与謝野晶子さんの生きざまはセンセーショナルでビビットで革新的な感覚だったとも言えます。

 

 

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もう、完全に文学史の中の女性なので、同じ昭和という時代に居た人というのが私の中では何だか不思議な感覚さえ覚えます。

 

 

◆与謝野晶子と与謝野鉄幹(与謝野寛)の関係はバナナ関係の前に不倫関係?

 

 

明治33年(1900年)与謝野晶子さんと与謝野鉄幹(与謝野寛)は運命の出会いを果たします。大阪で開かれた歌界でのことでした。そして、二人は惹かれあうようになります。

 

 

 

 

同じころ、与謝野鉄幹は機関誌『明星』を創刊し、浪漫主義文学として短歌を積極的に発表します。与謝野晶子さんも『明星』へ短歌を寄せ、文壇デビューします。

 

どうにもならない想いを寄せ、与謝野鉄幹与謝野晶子さんの二人は今でいう、不倫関係となります。もちろんその関係の悪評どいう代償も払っていくことになります。

 

 

↑与謝野晶子と与謝野鉄幹が利用したと言われている宿

 

明治34年に与謝野晶子さんは「与謝野」姓を名乗ります。出会いからたった一年でそれですから、どれだけの熱量だったかが伺えます。

 

 

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同じ言葉を通して感性が行き来するという事は、日本語同士と言えどもなかなか実現することでもないので、若い与謝野晶子さんにとってはとても刺激、感度が大きかったのではないかと想像します。

 

 

 与謝野鉄幹の号で広く知られる歌人与謝野寛は、父礼厳の事業の失敗のため、少年時代は親元を離れての流浪の日々を過ごした。彼は大阪の安養寺の養子になり、そこで仏典・漢籍を学んだが、十五歳の時にその養家を飛び出し、兄の和田大円を頼って岡山市国富の安住院で一年余りを過ごした。

 

その後、与謝野鉄幹寛)は近代短歌への道に目覚め、明治33(1900)年4月には機関誌『明星』を創刊し、浪漫主義文学を積極的に地方に働きかけていった。彼はこの岡山にも第六支部を置き、何度か来岡している。

また、同年与謝野鉄幹(寛)は与謝野晶子(鳳晶子)と出会う。彼女がと熱烈な恋に陥り、与謝野姓を名乗るのは、明治34年のことである。

 

 

だって、好きになっちゃったんだもの。

 

 

 

 

与謝野晶子さんは与謝野鉄幹(与謝野寛)の側に居たい気持ちを抑えられず、東京へと引っ越します。勘当覚悟での一大決心でした。

 

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◆与謝野晶子の『みだれ髪』はセンセーショナルな歌集だった!その意味とは?

 

そうして与謝野鉄幹(与謝野寛)のもとへ飛んで行った与謝野晶子さんですが、同年処女歌集である『みだれ髪』を発表します。

 

 

1901年(明治34年)8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表。表紙装丁デザインは藤島武二

女性の恋愛感情を素直に詠んだ斬新な作風は当時賛否両論を巻き起こした。

1973年(昭和48年)に、孫の与謝野馨(後の第74代内閣官房長官)によって主婦の友社から復刊されている。

 

 

『みだれ髪』の歌の殆どは、与謝野晶子さんの与謝野鉄幹に対する強い恋慕の感情で詠まれています。

「明星」の編集を行っていた与謝野鉄幹与謝野晶子さんの才能を認め、投稿を勧めていたといいます。与謝野晶子さん与謝野鉄幹の作品に強く引かれる物を感じていました。

 

 

1900年(明治33年)8月、関西に来た与謝野鉄幹与謝野晶子さんと出会い、ふたりは意気投合します。既に結婚しお子さんまでいた与謝野鉄幹でしたが、与謝野晶子さんの為、妻と離婚します。

 

 

管理人kira2
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後世から言えることは、与謝野鉄幹与謝野晶子さんに恨まれなくてよかったなということです。もし恨まれていたら、「バナナ事件」の内容がだいぶ変わってしまったことでしょう!

 

 

◆与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』は表紙から素敵な作品(画像)

 

与謝野晶子さんが生み出した『みだれ』は受験でも文学史として出てくるテッパンの項目なので名前だけは一般の方でもよく知られています。でも、その1901年当初の表紙はこちら。

 

 

 

 

表紙を担当したのは藤島武二氏です。

アールヌーヴォーなデザインでとても表紙から洒落ています。きっと与謝野晶子さんとしては女性にも手を取ってもらいたかったのでしょうね。

 

 

「この書の体裁は悉く藤島武二の衣装に成れり表紙みだれ髪の輪郭は恋愛のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」の文を第3頁に載せている。

 

 

与謝野晶子さんがこの歌集を心を込めて、ひとつひとつ決めたのがよくわかる文章ですね。

 

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結局、女から一層に批判されちゃうんですが…。

与謝野晶子さんの女性に対する愛が分からんかのう・・・。

 

 

元々既に別の女性と結婚し、お子さんまでいた与謝野鉄幹を、与謝野晶子さんがその家庭から略奪し、一緒になったということはすでに噂になっており、現代よりさらに「家」の意識が強い時代であったこともあり、当然非難中傷が2人に降りかかっていました。

 

 

「文壇照魔鏡」なる匿名のゴシップ記事が出まわり裁判沙汰となる。

 

 

与謝野晶子さんは周囲の冷淡な目を振り払って歌集を作り上げていました。与謝野鉄幹を愛し、想う女性の心を描いた歌を作り、ついには与謝野晶子さんが住んでいた堺の家を飛び出して、与謝野鉄幹のもとへ行ってしまいます。

 

与謝野鉄幹もそんな与謝野晶子さんの想いを受けとめ、歌集『みだれ髪』としてまとめあげたのであった。そう、こちらの歌集を編集したのは与謝野鉄幹なのです。

 

 

つまり、与謝野鉄幹・与謝野晶子の愛の共同作業で作った歌集が『みだれ髪』

 

 

幾つかの歌からでも判るように、あまりにもストレートな恋愛表現は慎ましやかな女性を善しとする当時の道徳観から見て到底受け入れられないものであった。

 

 

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つつましやかな女性を善しとする道徳観!!

 

 

『みだれ髪』は次の6章からなる、ということで、全部でナント399首!!(今電卓叩きましたw)

 

 

第1章「臙脂紫」98首

第2章「蓮の花船」76首

第3章「白百合」36首

第4章「はたち妻」87首

第5章「舞姫」22首

第6章「春思」80首

 

 

ものすごくたくさんの歌が発表されたのですね。

 

 

与謝野晶子が詠んだ詠んだ斬新な官能的作風が一世を風靡することになりました。

奔放な空想力と激しい情熱、真に短歌近代化の端緒となり、明治浪漫主義に新段階を画すものとなった、その源泉が本書である。

 

 

現代では表紙はこんな風にアレンジされています。

 

 

 

 

『みだれ髪』与謝野晶子さんの代表的な作品のひとつであり、とても情熱的でアツイ気持ちのこもったロマンな歌集なのですが、

 

 

与謝野晶子さんは文学史上、同時に「君死にたまふことなかれ」の人として多くの人に記憶されてしまっていることから、後者の方が中身も濃く教えられてしまうので、与謝野晶子さん=反戦の詩人のようなイメージになっている方が多いようです。

 

 

言い方があっているかどうかわからないですが、清廉潔白な人というか。

 

『みだれ髪』はその印象を覆してしまう程のセンセーショナルな歌集です。

 

 

管理人kira2
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学校の文学史で名前と作家だけ覚えてただけでは知ることがない話ですね

 

 

ある意味、『みだれ髪』を知ってもそれこそ与謝野晶子さんは清廉潔白なんです。むしろ、より一層というほど。でも、一般的なそのイメージとはもしかすると異なるかもしれません。

 

 

◆与謝野晶子の代表作品『みだれ髪』歌集の原文と現代語訳を一部紹介

 

『みだれ髪』の与謝野晶子の作品を知らなければ、与謝野晶子は見えてこない。

 

ということで。

 

 

 

 

ここに圧倒的な感性で、その時代の常識・道徳観に宣戦布告をした与謝野晶子さんの歌があります。

 

 

「やは肌の あつき血汐(ちしお)に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」

―与謝野晶子

(現代語訳)理性で止めようのない、貴方を欲している私の体。その体を前に、これからの文学や短歌のありようを真剣に語る貴方。貴方は、私の体を抱きしめなくても、寂しくないのですか

 

 

完全に与謝野鉄幹(与謝野)に向けた歌なのが分かります。彼もちょっと困ったでしょうね(笑)あっぱれという感じです。

 

 

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きゃん♡官能的w

 

 

「乳ぶさおさへ 神秘のとばり そとけりぬ ここなる花の 紅ぞ濃き」

―与謝野晶子

(現代語訳)胸に手を当て、隠された神秘な場所を開けてみると私のはなびらのように紅潮しています。

 

 

現代でもこれを公にするとなると結構なハードルがあるように思うのですが、だいぶ生々しい恋歌を詠んだ与謝野晶子さんでした。

 

 

 

 

当然の反応として、世間からはそれなりの批判を浴びます。

 

すさまじい批判。

 

 

世間の批判はすさまじいもので、今の感覚で言えばR18的な扱いも受けましたが、

本人は「思うところを正直に詠まなければ歌ではない」と思っていたので堂々としていました。

文壇にも、少数派ではありましたが、味方してくれる人もいましたしね。

 

 

思うところを正直に詠まなければ歌ではない

 

 

管理人kira2
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何となく、ここに源氏物語を好きだった影響があるな、と私は思いました。

 

 

ただ、こうした外野の人たち、言ってみれば与謝野晶子さんが理解してもらうことを期待していない人たちから理解されないことはもともと想定内だったと思いますが、愛がうまくいかないときは堪えますね。

 

 

与謝野晶子さんと与謝野鉄幹のひいきの部屋

 

 

 

「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願い」

―与謝野晶子

(俵 万智さんの口語訳から )
<恋に恋する若者のくちびるに 毒ある蜜を塗ってやりたい>
乙女チックに恋に恋する若い女の子に、人を愛するってそんなに甘いもんじゃないんだよと、経験豊富な姐さんが言ってる感じですかね。

 

 

管理人kira2
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姐さんちょっとバット振り切りすぎw

 

 

◆与謝野晶子の夫・与謝野鉄幹はバナナ事件を起こすだけに、かなりの「女たらし」だった!?

 

まあそれもそのはず、ともかく、与謝野鉄幹という男は大変な女たらしで絶倫男だったようなのです…。

 

 

 

 

【与謝野鉄幹の女たらし前科】

 

その①

徳山女学校で国語教師を4年間勤める間に女子生徒(浅田信子)と男女関係になり妊娠させ退職。このとき生まれた女児はまもなく死亡。なぜか教師の鉄幹が17歳で、信子は20歳なので分からなくもない(笑)

 

その②

別の女子生徒(林滝野)と同棲し、一子、萃(あつむ)が出生。

その他複数

 

その他 彼女以外にも、弟子や生徒やら複数の女性との関係を続けていたという話。

 

そもそも、与謝野晶子さんとの不倫で与謝野鉄幹は妻子も捨ててます。

 

 

おーまいが。与謝野鉄幹クズ疑惑w

 

 

幸い、与謝野晶子さんは小さい時から『源氏物語』を読んでいたので男性なんて所詮そんなもんだと知っていたので大丈夫だった!?ということでしょうか??(笑)

 

 

管理人kira2
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かなり与謝野鉄幹は不穏ですが、源氏に比べればこのくらい…。

 

 

余談になりますが、俵万智さんが現代に合わせて詠いなおしている一冊が結構まあ面白いんです。もともとの与謝野晶子さんの作品を同意義で詠みなおす作業で出版できるって、なんか、商売上手ですけどね(笑)

 

 

 

 

管理人kira2
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俵万智さんは高校時代の現国の先生の知人だったため、一度お会いしたことがあります、爽やかな女性でした。

 

 

 

ここまで読むと与謝野晶子さんが愛におぼれただけの情欲家のように思えてしまうかもしれないので追記しておくと、明治32年(1899年)の高等女学校令の発布から女性も高等教育を受ける権利が認められたことによって積極的に女性の社会的成長を提示することをしていたようです。

 

 

 

今まではともかく、

これからは女子も男子とやりあっていけるだけの教養を身につけなくてはならない

 

 

与謝野晶子さんって、女性のことを結構、想っている人です。

 

 

管理人kira2
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男を当てにしてたら女なんか生きていけないもんで、女性が教養を身につけることを強く提唱していました。

 

 

◆与謝野晶子と与謝野鉄幹(与謝野寛)とバナナ事件の衝撃。

 

「君死にたまふことなかれ」が発表された翌年、『明星』は廃刊になります。
夫・与謝野鉄幹(与謝野寛)が大学教授になるまでの時代というのは文壇の人にはありがちですが収入がとにかく不安定だった為、与謝野晶子さんもせっせと仕事をされていたようです。

 

 

 

 

管理人kira2
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与謝野晶子さんもおしんみたいな人だなあ。

 

 

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与謝野晶子は)新聞七紙への寄稿に加えて、他にも小説や論文などを書いていたといいますから、これに子供たちの世話が加わるとなれば、過労死しなかったのが不思議なほどです。

 

 

与謝野鉄幹と与謝野晶子さんはともかくラブラブでお盛んだったようで(笑)

与謝野鉄幹その前に働けよw)

 

 

 

 

与謝野鉄幹と与謝野晶子ふたりのお子さんはナント総勢11人

(正確には13人を出産。)

 

 

与謝野晶子さんの別のお話はこちら↓

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与謝野鉄幹、と与謝野晶子ご夫妻ののラブラブの熱い夜の夫婦関係にはこんな奇抜なエピソードも残っています。

 

 

ある学者から
「これまでに、何か特異な性体験などなさいましたか?」

と問われた与謝野鉄幹は、得意満面で、
「バナナを妻の膣に挿入して、翌日取り出して食べましたよ」

と話した。妻とはもちろん、与謝野晶子のことである。

ところが、それを聞いた学者は、呆れた顔でこう言った。
「鉄幹先生、その程度のことだったら、誰でもやっておりますよ」

与謝野鉄幹を戒めた学者こそ、稀代の性研究者として有名な小倉清三郎であった。

 

 

管理人kira2
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ふう。男って生き物はなんていつの時代もことごとくこうなんでしょうね。

 

 

ちなみに小倉誠三郎とはこんな人でした。

 

◆与謝野晶子と与謝野鉄幹夫妻の「バナナ事件」を聞いた学者小倉清三郎は「自慰行為有害説」を否定した性学者!?

 

この与謝野鉄幹「バナナ事件」についての談義をし、

「鉄幹先生、その程度のことだったら、誰でもやっておりますよ」

と、この時代背景において言うことができた人小倉清三郎とはどんな人なのか?というと

 

 

 

 

大正時代に活躍した日本を代表する性科学者であり、社会運動家だということです。性の研究のため「相対会」を設立し、雑誌『相対』を出版した。「自慰」という言葉を作り、その有害説を否定した人だそうです。

 

 

29歳のとき「相対会」を設立し、1913年,『相対会第一組合小倉清三郎研究報告』を発行。『相対』という名の機関誌を発行し、購読者から性体験談を集めた。会費は年3円で会員には機関誌が毎月送られた。会員には文化人も多く、坪内逍遥、芥川竜之介、大杉栄、金子光晴、平塚雷鳥、伊藤野枝などがいた

1922年には「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案し、使用を提唱した阿部定の研究もしている。1941年に脳溢血で急死。58歳没。

清三郎が亡きあとは、妻の小倉ミチヨ(1894年 – 1967年)が雑誌の発行を続けた。

赤裸々な性体験が綴られていることから、官憲から弾圧を受けたが、1944年まで刊行した。戦後になってから『相対会研究報告』全三十四巻にまとめられ、復刻出版された。

 

 

「相対」とは人と人との世界という意味のことば

 

 

こうしてみるとなかなか精神の解放に向けた活動として有益なことをされている小倉清三郎さんなのでした(笑)与謝野鉄幹からもそうした資料になる話をたくさん聞きたかったのでしょうね。

 

 

しかし!ところがどっこい!

 

 

ここでも、夫の小倉清三郎と同等あるいは彼以上に妻である小倉ミチヨさんという人が相当頑張って活動されており、ワイセツと求道のはざまで闘っておられたようです。

 

 

たぶん彼の功績は、妻がつくった功績(笑)

 

 

 

 

『相対』がわいせつ文書出版法違反に問われ、検挙され、自宅に警察が押し入って書類を押収された時も対応しているのは小倉ミチヨさんでしたし

 

その件で法廷で闘うために大審院へ行ったのも小倉ミチヨさん、その上相手にされなかったため、強硬手段をとって窓を割り公文書を破って暴れたために精神異常者として警察の独房に収容されたのも小倉ミチヨさんでした。

 

本当に最前線で

ワイセツと求道で闘う、をやってきた妻・小倉ミチヨさん。

 

 

管理人kira2
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しかも、何の因果か、小倉ミチヨさんが独房に入れられた際に隣に入ってきたのが愛人殺しの阿部定だったというからスゴイ。この小倉ミチヨさんて方は何かもってるもってる(笑)。

 

 

殆ど頑張ったの妻やんけ!なエピソード

 

 

阿部定さんを観察し、『構成途中にある独房の阿部定隣室観察十日間』の記録を残したのも、言うまでもありませんがは小倉清三郎ではなく、妻の小倉ミチヨさんだったのでした。

 

 

一方で、闘えども生活が貧困の連続であり、、そのために子供まで失う生活の中、それでも論文を書き続けるだけの夫小倉清三郎に腹立ち、心は傷つき、1939年からは小倉ミチヨさんは夫とは別居していたようです。

 

 

夫をほぼ見限ったわけですねw

 

 

1941年に夫小倉清三郎が妻小倉ミチヨの家に立ち寄った際に脳梗塞で死亡する、という状況(汗)。以後妻小倉ミチコさんが『相対』を引き継ぎ1944年まで続けたそうです。戦後にはそれも復刻の活動をしていたということです。

 

 

完全に夫がダメで残念なパタン。

 

 

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何か小倉清三郎という人は与謝野鉄幹とかなり一致する夫像であり、同じく苦労する妻がいる構図です。

 

 

◆与謝野晶子は『みだれ髪』も後世の女性へ向けたの想いで出版したのではないか?(仮説)

 

与謝野晶子さんという人はやっぱり立派な女性だなと思うのです。

 

大正5年(与謝野晶子38)の時には平塚らいてう女史との間で「母性保護論争」が勃発し、大正8年に至るまで完全に衝突していきます。

平塚らいてう女史はこんな人↓

 

 

 

 

おお!これまた意外ときれいな女性で。

 

争いの焦点としては、「国家が母親に対してとるべき姿勢」に関する問題

 

たぶん男性からすると当時からあっそ。という論争だったと思いますが。

 

女の敵は意外と結構いつも女(笑)!

 

 

平塚らいてうの立場はこうです。
育児は社会にとっても重要な仕事であるので、国家による母性の経済的保護は当然である。

 

他方、与謝野晶子の立場はこうです。
国家に頼らず女性が自分の力で経済的に独立する事が大切である。

 

平和な時代であれば両者の意見は共に理解出来ますが、いざ戦時体制国家に移行した場合、国家による経済的保護を受けた状態では、子供を戦争にとられる親として、反戦を訴えるなど、国家体制に反対する事は出来る立場ではなくなることを考えると、与謝野晶子のとらんとした立場の意味合いが理解出来ます。

 

 

これだけだとちょっとニュアンスが違ってくるので再度。

 

平塚らいてう「妊娠・出産に対して国家は女性を保護すべきだ」と主張したのに対して与謝野晶子さんが主張した言葉はこうです。

 

婦人は如何なる場合にも依頼主義を採ってはならないと思います。

―与謝野晶子

 

 

まさにおしん!(笑)

 

 

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ニュアンスが違うのわかりますかね?

 

 

『おしん』の感動のお話はこちらです↓

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また戦後初の婦人少年局長を務めていた山川菊栄夫婦別姓を主張していた際にも

 

 

山川菊栄氏がマルクス主義を奉持していられるかぎり、

その言葉は真に目ざめた婦人に対してはなんらの権威なき、

嗤(わら)うべき、唾棄すべき振る舞いである」

 

 

とめちゃめちゃ厳しく批判しています。

 

管理人kira2
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バット振りまくり(笑)

 

 

マルクス主義が男と女を対立させ、家庭をバラバラにするものだということを与謝野晶子さんは見抜いていたのではないか、と言われています。

 

 

 

 

戦後の日本教育の影響であまり知られていないようですが、皇室についても与謝野晶子さんは述べています。与謝野晶子さんは皇室を敬愛していました。

 

 

私の常に感謝していること・・・皇室の統制の下に生活していることの幸福である。

 

 

と語っています。

 

 

ここまでの話を追っていくと、与謝野晶子さんが生きづらい時代に生まれてきた女性たちに向けて、また、その思想をおそらく引きずっていくことを強いられる後世の女性たちに向けても女性の感性の解放と、そのうえでしあわせに女性が時代を生きていける為の思想の発信をたくさんされていることが分かります。

 

 

『みだれ髪』も不自由な女性に対する精神の解放運動だったのではないか??

 

 

そんな風に思えてなりません。そう考えると今この時代に生きている女性達は皆、時代を超えて、与謝野晶子さんからの愛情を受け取れることができるということなのですね。

 

 

女性は『みだれ髪』を通して与謝野晶子さんの愛を今も受け取れる!

 

 

管理人kira2
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すごーい!!!壮大な愛とロマン♡

 

◆与謝野晶子の『みだれ髪』は美空ひばりの歌う歌詞になった!詩が知りたい!

 

 

まさに時代を超えた女性同士のコラボに感動!というところなのですが、美空ひばりさんが「みだれ髪」を歌い上げます。1987年の12月にシングルとして発売されました。

 

 

 

 

みだれ髪

作詞:星野哲郎、作曲:船村徹、編曲:南郷達也

 

 

美空ひばりさんにとって、闘病後の再起にかける新曲でした。

 

 

 

 

美空ひばりさんが歌う「みだれ髪」の歌詞はこちら

 

 

1 髪のみだれに手をやれば
紅い蹴出が風に舞う
憎や恋しや塩屋の岬
投げて届かぬ想いの糸が
胸にからんで涙を絞る

2 すてたお方のしあわせを
祈るおんなの性かなし
辛や重たやわが恋ながら
沖の瀬を行く底曳き網の
船にのせたいこの片情け

3 春は二重に巻いた帯
三重に巻いても余る秋
暗や涯なや塩屋の岬
見えぬ心を照らしておくれ
ひとりぼっちにしないでおくれ

 

※紅い蹴出(裾よけ)=着物用の下着
※春は二重に巻いた帯=痩せた
※三重に巻いても余る秋=激痩せした
着物は帯で腹周りを調整します。
※塩屋の岬=塩屋岬

 

 

歌詞を見ると、女性らしい感性と恋慕の心が後世に歌となって引き継がれているのが分かる気がしますね。

 

 

 

 

この曲の舞台となったのは福島県いわき市平薄磯地区に建つ塩屋埼灯台ということなのですが、実は与謝野鉄幹与謝野晶子さん夫妻も灯台には縁があります。

 

 

福島県いわき市平薄磯地区に建つ塩屋埼灯台を舞台にした楽曲であり、塩屋埼にはひばりの記念石碑が建っている。

1987年夏、特発性大腿骨頭壊死症を理由に長期入院を余儀なくされていたひばりが退院して、病からの復帰第一作としてレコーディングした楽曲である。このレコーディングはオーケストラ含め、伴奏は一発録りで行われた。

ひばり自身は「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」というくだりがお気に入りだったという。

当初星野が書いた「祈る女の性かなし」は、消そうとされたものの、ひばりが星野に「今の私は『祈る』という言葉を大事にしたい」と申し出た事により、そのまま2番の歌詞に採用された。

 

 

与謝野鉄幹与謝野晶子夫妻の歌碑

 

 

 

 

1930年に与謝野鉄幹・与謝野晶子さん夫妻が訪れたのは地蔵埼というところの灯台でした。夫妻が残した歌が今も灯台施設前の石碑に記されています。

 

◆与謝野晶子の『みだれ髪』は小説やNHKドラマにもなった!?

 

1967年『みだれ髪』は小説のタイトルとなって出版されていたようです。著者は和田芳恵さんという方です。この本の内容詳細は不明ですが、どうやら与謝野晶子さんの人生についての小説のようです。

 

 

 

 

また、NHKのドラマにも『みだれ髪』は登場しました。与謝野晶子さんの人生をドラマにしたものです。

 

 

◆与謝野晶子が後世に送る愛♡有名な短歌代表作品をみてみよう!

 

与謝野晶子さんがその生涯で詠んだ短歌は5万首に及ぶという話です。

 

 

 

 

たくさんあるので紹介しきれませんが、特に私がきれいな歌だなあと思うものを主観でご紹介します。日本語の言葉に生まれて本当によかった!

 

 

こんなに美しい。

 

秋風に こすもすの立つ悲しけれ 危き中の よろこびに似て

 

傘さして 去にたる人を憎みけり その雪の傘 うつくしきため

 

君に似し 白と濃紅とかさなりて 牡丹ちりたる かなしきかたち

 

十九の われすでに菫(すみれ)を白く見し 水はやつれぬ はかなかるべき

 

薔薇の花 今や終の近づきて 限りも知らず 甘き香を吐く

 

匂ひする 春の空より落ちきたり 我を照すと 思ふ小鏡

 

清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき

 

 

綺麗な言葉に出会うと「血がキレイになる」と言っていた俳句の夏井いつきさんの気持ちがとてもよくわかります。

 

夏井いつきさんのお話はこちらです↓

夏井いつきの名前はペンネーム?本名が3つあった?呼び名は組長!?
今回は夏井いつき先生の「名前」についてと俳句集団「いつき組」について調べてみました。あなたもカッコイイ「いつき組」に入る!?

 

大空の 月の中より君来しや ひるも光りぬ 夜も光りぬ

 

 

管理人kira2
管理人kira2

今夜は素敵な夜になりそうです。

 

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