『私の志集』 新宿駅西口に立ち続ける都市伝説女性・日疋冬子さんとは?

◆社会

新宿西口にたったひとりで何十年もの間姿も変わらずに『私の志集』を売り続ける黒髪の女性。彼女はいったい誰で、何の目的でこれだけの長い年月を新宿という街で立ちつづけているのでしょうか?

新宿の都市伝説女性である日疋冬子さんがひたむきに立ち続け、見つめ続ける世界の先には「何が」あるのでしょうか?彼女の詩集にかかれている風景とは?

◆新宿西口に立ち続け『私の志集』300円を売る女性との出会い

「新宿の伝説の人物」というと何人か思いつく方がいますが、彼らを想うと新宿という街が「渋谷」とも「銀座」とも「恵比寿」とも「池袋」とも違う個性を持っていることがはっきりとわかります。

年齢や貧富の差も性別の違いも関係なく文化的な人々、声に対し等しく開かれているの街であることがいえると思います。人間の声に本来属性などないと生命力あふれた土地のエネルギーを帯びているのが新宿。

 

だから、
私は新宿が一番好きな街。
新宿は生きざまを求める街。

 

 

今回取り上げる新宿の伝説の人物の一人、私の志集』を売る彼女との出会いはおそらく30年以上前だと思うのですが、明確に彼女の存在感に気づいたのは私の場合は25年前頃だと思います。まだ私がこの世界のことも社会のことも、新宿という街さえもよく分かっていない頃でした。

 

彼女はもう
今と殆ど変わらない成人女性でした。

 

 

夜になるとおもむろに新宿西口に現れ、

『私の志集』300円 と書いたボードを首からぶら下げて、

虚空を見つめ、真夏も真冬も、雪の日も微動だにせず立っている女性。

 

この女性のただならぬ存在感というものには私もすぐに気づき、以来、再会(?)を重ねるたびに、その直前まではすっかり彼女のことなど忘れてしまっているのにも関わらず、再会するや否や、彼女のことしか頭になくなってしまう、そんな日々でした。

 

 

それからというもの、視界に入ってからすれ違うまでのほんの10秒とかその位を、彼女の存在している沈黙の世界へと心を寄せて、過ごすようになりました。

 

多くの人はその存在を知りながら素通りする。皆が気にしながら見ないふりをする。

そこにある異物感そのものが芸術表現だとも言える。

 

私は(おそらく大半の他人も)歩行を決して止めないし、話しかけることもないのに、行き交う人の一部の心をとてつもない求心力で引っ張る女性。それが彼女、日疋冬子(推定)さんです。(※以下彼女については日疋冬子(ひびき とうこ)さんとして記載します。)

 

 

◆新宿西口に立ち続ける『私の志集』の看板を首から下げた街頭詩人を名乗る女性の基本情報wiki(記憶情報含む)

日疋冬子さんについて、様々な人たちの情報から、おおよその輪郭を追ってみたいと思います。

 

 

今では新宿の象徴となっている都庁やCocoonビルが建つよりも前からずっと、この街と人々を変わらずに見つめてきた『私の志集』を売る一人の女性はどんな人なのでしょうか?

 

 

◆『私の志集』を売る街頭詩人女性・日疋冬子さんの新宿出現ポイント経過

最初に日疋冬子さんの存在を私が認識した30年以上前頃(おそらく1980年代半ば)からのしばらくは、私の記憶が確かならば、彼女は気候、天候に合わせ、いくつかの出現ポイントを持っていました。

おぼろげな記憶で覚えているのが、とある雨の降る日、日疋冬子さんは新宿西口の地下ロータリーの柱の前にいたのです。

 

 

今日は雨だから屋根があるところにいるのかな?

 

そんな風に私自身思った事を記憶しているので、場所はともかく、新宿西口の地下ロータリー周辺の通路のどこかだったと思います。

そして、その後の再会時には、次に再会できた時には確か、屋根がないスポットだったのです。

 

ああやっぱり。今日は晴れているから屋根はいらないんだな。

 

そう思ったのも記憶に残っています。その当時から、現在立っておられる、新宿西口を出て職安通りに向かう方向の小田急百貨店本館とハルクを結ぶ「歩道橋下」(ながw)も、当時から頻繁に立っている場所ではありました。

 

 

他の方の情報でもこんなものがありました。

 

路上に立ち始めて30年。最初の2年は渋谷その後、新宿に場所を移し、新宿駅周辺で数箇所今の場所は4箇所なのだとか。そして、その今の場所に立ち始めて16年。時の長さに、くらくらしました。2013.2.22

 

日疋冬子さんが渋谷にいたというのは初耳でしたね。

 

●東口アルタ口、新宿駅構内などにもいたとか。日曜日以外にはだいたい居るらしい。

●俺が見たのは十七、八年前頃。 DISCOゼノン(w)で踊った帰りに何度か。 東口アルタ前の階段下。 2006/04/1319:53

 

 

やはり、以前は新宿周辺で別の場所にも居たようです。

 

●昨日は,JR東口改札の近くにいた!!02/02/19 20:00  

●そこがもともとの彼女の古巣だったのですが…。うーん西口、東口、曜日で 交代とかしてるのでしょうか?

●まだ彼女は新宿にいたんですね。 私が最初に見たのは十年以上前です。 当時は東口の有料トイレの前に立っていました。2006/04/13 14:16:39 

 

最初は新宿では東口メインだったようですね。

 

10年以上前に見たことがあるな。

今は西口に居るのか。 あの頃は、まだ東口の階段降りた所に立っていたな。

 

 

現在、日疋冬子さんの出現する場所としては情報と私自身の目撃の事実としては少なくともここ数年は以下ののポイントにいるようです。

 

ここ数年はおそらくここにいる。

 

夜遅く、小田急デパート本館とハルクとの連絡歩道橋近くの太い柱を背中に、小柄な女性が背筋を伸ばし虚ろな視線で、ボードを首からさげて立っています。暗いので年齢は分かりません。

 

屋根があるとはいえ、冬場は風も吹きこみ、大変寒いスポットです。

 

 

ここでの日疋冬子さんの立ち方と、以前の立っていたポイントとを総合して考えた時に、「新宿駅」の乗降者をターゲットにしている事が1点、もう一つはその中でも、現在の立ち方からいって、「新宿駅」へ降りてきた人ではなく、「新宿駅」から乗る人(帰る人)を明らかにターゲットにしています。

 

つまり、

新宿を日中動かしている人に向けている。

 

 

◆『私の志集』を売る街頭詩人女性・日疋冬子さんの「変わらないという価値」

日疋冬子さんの基本姿勢にこれだけ長期間ブレがないことを考えると、スタート時からターゲットに対してもそうだった可能性が高いのですが、その目的は不明です。

 

日疋冬子さんが立っているすぐそばには昭和の純喫茶の老舗として名高い「ピース」もあります。

 

「変わらない」という価値

「無駄な媚びは売らない」という不動のスタイル

「個の志と思慮の文化あってこそのコミュニケーション」

 

というものを我々に提供している意味で、日疋冬子さんと純喫茶「ピース」は何となくですが近い印象を我々に与えます。

 

余談ですが、純喫茶「ピース」も当時と変わらぬ様子(全面喫煙・何時間何してようが自由)で現在まで存在していますが、日本一の嫌煙家である小池百合子女史のお膝元の新宿区、そして都庁のある新宿西口は純喫茶にとって、今後、壊滅的な打撃を受けると思われるため、「ピース」もその存続が危ぶまれています。

 

存続のためには

彼らの最大の価値である「変わらないこと」の停止を強いられる社会の局面に。

 

 

今、一番存続が危ぶまれているのは、こうしたお金にならないところの相違や豊かさを軸に価値を生み出している「最も純粋な文化」だなと感じます。

 

従って、日疋冬子さんも現在、この局面にいるのではないかと、ここ数年の私の考えはいつもそこに繋がってしまいます。

 

 

日疋冬子さんの出現場所・ターゲットまとめ>

日疋冬子さんの近年の出現スポット小田急デパート本館とハルクを結ぶ連絡歩道橋下 近くの太い柱付近  ※駅側を背にしているため、駅から歩くと見つけにくいです。
日疋冬子さんが目的としている人は「新宿」を日中動かしている人々(推定)

 

 

◆『私の志集』を売る街頭詩人女性・日疋冬子さんの新宿西口への出現時刻とそのスタイル

『私の志集』を売る日疋冬子さんはいつも素朴な格好でショルダーバックを足元に置き看板を首から下げて立っています。

 

私が日疋冬子さんにお会いしたときはほとんどがフレアロングスカートでした。

 

冬場になると学生が着るような地味目のコートを着て、日疋冬子さんはいつもと同じように不動で遠くの世界と交信でもしているかのように一点を見つめ、立っています。冬場にはスカートではないこともあるようです。

 

外見は白のブラウスに黒のロングスカート。黒髪ショートボブ?といったいでたち。

 

日疋冬子さんは服装に関する趣味傾向もほぼ30年間変わることがなく、髪型についても黒髪のボブというところはブレることなく一定しています。印象としては、日疋冬子さんは制服のような配色好んで着ている傾向だったような気がします。暖色系(赤・ピンク・オレンジ)などの色物を着ているところは見たことがありません。

 

 

日疋冬子さんの出現時刻については必ず「夜」です。日が暮れてから。それは日疋冬子さんが昼間にどこか別の場所で会社員として働いているからかもしれませんし、何をして暮らしているのかは謎に包まれています。

 

 

日疋冬子さんの活動時刻に関しては色々な方の情報にもありましたがおおよそ、この時間帯のようです、。私が実際お会いしたのもここ20年はこの時間帯のように思います。

 

●夜の9時頃から12時頃まで立っています。 2008年06月26日 

●だいたい午後9時から12時くらいのあいだ。 金曜、土曜がねらい目かとおもわれます。

●いつ来てるのか聞いてみました。 「平均すると、月曜日はいないことの方が多いです。 あとは、だいたいいます。」 とのことでした。

●20時だとまだやっていないときもあります。 基本23時~終電くらいまではいると思うので 遅めの方がいいかと思います。

 

日疋冬子さんが終電まで活動して電車で帰宅するスタイルが想像できます。複数の方の日疋冬子さん情報で、「日曜は活動していない」というものがあります。月曜日についても、活動がない日の方が多いという話を直接聞いた方がいました。

 

日疋冬子さんは一般的な会社に勤務できる服装ではありますが、毎日首から下げるプレートと『私の志集』と釣銭をもって出勤しているとは考えにくいのと、もはやあまりにも日疋冬子さんのその存在が東京の西側の都心部では有名なので、なかなか他で勤務することも想像できないなというのが私の印象です。

 

 

そもそも一般的な仕事をするイメージが全く浮かばない。

 

彼女自身は、23:50、小田急方面に向けて去っていきます。 「志」に出ていた住所は、〇〇駅(小田急線沿線)でした。

 

必ず同じ会社の人の中にこの活動を続ける彼女の存在を認識する人がいると思うからです。それとも、それが分からないほどに、人は無関心でいられるのでしょうか?それとも、彼女にはそんなことはどうでもいいことなのでしょうか?

 

日疋冬子さんの服装・活動曜日・時間まとめ>

日疋冬子さんの服装質素で地味な配色一定の印象。髪型も30年ほど黒髪で顎までのボブ
日疋冬子さんの活動曜日日曜以外(月曜日は来ないことも多い)
日疋冬子さんの活動時間午後8:30前後-深夜12:00近くまで

 

 

◆『私の志集』を売る女性が首から下げているボードと詩集の値上げの時期300円から400円へ

他の方の投稿を見てはっと思い出したのですが、そうそう!昔は現在とは違う書き方をされたボードを日疋冬子さんは首から下げていました。

 

「私の志集買ってください。 300円」

 

●先日、打ち合わせのため新宿に出たら、西口駅前に「私の志集買って下さい」と書いた紙を持って立っているお姉さまが居た。彼女は何度も見たことがある。不思議に思うのは、「なんのために」買ってほしいのかだ。

●「私の志集 買ってください」と首からプラカードを提げたあの女性が立っていた。

2009-11-18

 

そうでした!そうでした!以前のプレートには「買ってください。」という日疋冬子さんの意志が表示されていました。それは少なくとも2009年までは存続していたようです。

 

 

現在では『私の志集』400円のみ書かれたプレートを首から下げています。

私が2017年春夏頃に見かけた時には、『私の志集』400円に価格変更されていました。以前は300円でした。

 

ただプラカードが、「私の志集四〇〇円」になっていて、100円値上げしていた。

2016/6/3

 

『私の志集』の値上げ400円へ。

 

400円になって、プレートも新しくなっていたということでした。

 

●少なくとも2016年には『私の志集』は価格変更により400円へ値上げしている。

 

◆新宿西口に立ち続ける街頭詩人『私の志集』日疋冬子さんはいつから居るのか?何歳なのか?

日疋冬子さんがいつから新宿で『私の志集』を売るために立つようになったのか?そこにはいつも各人の彼女との出会いの歴史が「いつ」始まったかと、語り手と新宿との接点、どんな風に「彼女を認識し、意識すること」が始まったかという3つのポイントで話が進みます。

 

いったい、いつから??

 

それはそれで、彼女を通してこの「新宿」という街や、語り手本人の歴史の振り返りとなる会話に必然的につながる為、なぜかいつも豊かな時間です。(そんなにたくさん彼女のことは話したことはないですが)

ただ、いつから立っているのか?ということについて、語り手自身の認識以前から彼女、日疋冬子さんは存在していたわけで、最初に認識したという情報の中で最も古いものを探す必要がありました。

 

また、日疋冬子さんの存在を都市伝説化しているひとつの要因として、

 

最初に見かけた頃から時が止まっているかのように外観が変わらないということが挙げられています。

 

いったい、今何歳なのだろう?

 

探してみると、いくつかの古い情報がありました。

 

●驚くべきは昭和41(1966)年の時点でそうやって活動してたこと。いまからえ~と…38年前?!…年齢とあわないな。違う人なのかなぁ。20年くらい前からっていう情報あり。

●知合いの話では、「1980年頃には既にいた!」と聞いています。 かなり可愛かったらしい。 ま~あの容姿で20台の頃ならかなり可愛いと思う。

 

1966年の時点日疋冬子さんは活動していたという情報が1点目。1966年を38年前と言っているので、こちらの投稿は2004年の情報ということが分かります。

 

 

後半はその20年前位から日疋冬子さんを確認していたという伝聞という伝聞なので1980年代半ば、というところでこの情報は私の記憶と合致しています。1980年頃にはいたという話も現実味を帯びます。

 

◆新宿で「シシュウ」を売る女性は日疋冬子の先代街頭詩人・星野マリがいた!?当時は「志集」ではなく、「私の詩集」だった!?

ここで驚くべき新事実が出てきます。日疋冬子さんより前の先代の街頭詩人の女性がどうやらいたようなのです。

 

冬子さんより前に昭和30年代から数十年間「私の志集」と書いた手作り看板を持って新宿東口の地下道に立っていたのは星野マリ」という詩人。「小川博ショー」や「3時のあなた」等テレビにも出演経験あり。

 

1代目と言われる星野マリさんは詩集を出していました。

 

本の表紙の写真を見ても「詩集」です。

 

『新宿地下道の詩―星野マリ詩集 』(1969年)

 

え!!

 

まさかの新事実として、新宿で『私の志集』を持って立っていた街頭詩人の女性は、二人いたという事実。

 

 
2005/04/23 5:32 PM 昭和41年説、正しいんじゃないかな~。
30年くらい前にもときどき見かけたから。
最近、再び見つけて、当時とまったく同じ雰囲気の人が売ってたので、目を疑ったのだけど、昔見たのは亡くなった前の奥さんだったのかも。
 
 
女性がセーラー服で『私の志集』を売っていた時期があるという証言もわずかですが複数ありました。
 
 
25年前セーラー服で本を売ってました。 2006/01/22 18:56:29
 
 
2006年の25年前となると、1981年となり、日疋冬子さんの活動開始時期と重なります。
日疋冬子さんが1982年(推定)の20歳の時から活動開始ということで、20歳以降にも制服を着ていたのか?前妻(?)の星野マリさんなのか?というところになるわけですが…。
 
年齢を考慮すると、日疋冬子さんがセーラー服を着ていた可能性が高いのかもしれないなと思いました。
 
 
 
また、前妻の名前は日疋礼子とする資料もあり、別人なのか同一人物なのかすら、この内容については不明です。
 
 
とにかく、全く同じ雰囲気の女性が『私の志集(詩集)』1966年頃から売り続けているということで、その活動としては2019年でトータル53年間にも及ぶということが推定されます。
 

この女性は日疋冬子さんという方で46歳ということですが、暗い夜ですので30歳台にしかみえません。20歳からこの街頭詩人をしているそうで、もう26年間もこの生活を続けているそうです。2008年06月26日 

 

この情報では、おおよその冬子さんの年齢と、活動の開始時期が分かる内容となっています。活動開始時期が1982年で、当時20歳ということは日疋冬子さんは1962年生まれということになります。

 

この情報が『私の志集』第39号「宿命は風の中に」の中からの内容であり、この方は32号から欠かさずに『私の志集』を購入されている方のようだったので、中では信頼できる情報ではあります。

 

 

2019年には57歳になるという衝撃の情報です。

 

また、日疋冬子さんという方はただの詩人ではなく、「街頭詩人」ということが分かりました。

 

 
 2015/04/01 8:54 PM
28年間立ち続けてると言ってましたよ。
志集と言ってるように何か自分の信じれる信念みたいなものを見つけたからこんなことをやってるそうです。
 
2015年の28年前となると1987年。こちらも1980年代半ばの情報に近い時期です。また、本人の日疋冬子さんからの聴取である為、本人とのやり取りが2015年4月1日であるとすれば、これが決定打になりますが…。
 
 

◆新宿西口の『私の志集』を売る女性・冬子さんの旦那は36歳年上の男性で夫妻街頭詩人だった。

 
都市伝説と言われるだけに、日疋冬子さんには次々に不可解な事実が浮かび上がってきます。
 
 
01/12/28 13:01 
何が彼女をそうさせる? ぼくが買った「志集」は、なんと73歳の夫37歳の妻による作品だった。
 
 
夫と36歳違い!!
 
 
こちらは北尾トロ 氏のHPからの抜粋です。2001年当時37歳である日疋冬子さんの情報が記載されています。これで計算すると日疋冬子さんは1964年生まれとなりますが、冬生まれなので「志集」に記載されていた年齢よりも1歳増えている可能性があることを考えると1963年生まれ、いずれにしてもこの辺りの出生のようです。
 
 
 
<活動期間・出生年・年齢まとめ>
 
日疋冬子さんの活動開始時期1982年頃 当時20歳 セーラー服で販売していた可能性あり
日疋冬子さんは1962年の冬生まれと推定2019年に57歳になると推定される。
●『私の詩集』の女性売り子として夫の前妻「星野マリ又は日疋礼子」に続き2代目。1代目は昭和30年代(1955年以降)から数十年活動していた。
●『私の詩集』日疋冬子さんと36歳年上の夫による共同制作によるもの

 

 

◆新宿西口の都市伝説女性・冬子さんの『私の志集』は買いたい人は居るがなかなか「買えない」詩集。

 
新宿駅を使う人々、またはかつて使っていた人々にとって、日疋冬子さんは生きた都市伝説にもなるくらいなので存在自体「どうやら自作の詩を売っている人」ということについてはかなり認知されているものと思います。考えてみると、それだけでも凄いことなのです。
 
 
そのくらいの圧倒的な存在感
 
 
皆、実際は日疋冬子さんの放つ「何か」に対して注目をしているということだと思います。ですが、私の経験で言うと、彼女が誰かに話しかけられたり、『私の志集』が実際に目の前で買われている場面というものには一度も出くわしたことがありません
 
 
買われている場面をなかなか見かけることがない。
 
 
 
ただただ、遠くを見つめプラカードを首から下げて立っている。
 
 

◆新宿西口ですれ違っても日疋冬子さんの『私の志集』を買いたいのになかなか買えない理由とは?

 
調べてみると、考えていた以上に日疋冬子さんの『私の志集』を買ってみたい!と思っている人は思いのほか多いようでした。そして、買うことができない理由には何となく同じようなものがありました。
 
 
 
●清楚な美人に見えましたよ、そんな歳変わらないなんて。ようし、今晩居たら買ってみようかな…でも、雰囲気あり過ぎて怖いですがw 2009/10/20 10:21
 
声かけづらいけど、次は買いますよ!2004/09/19 3:27
 
なかなか買う勇気がわかないなぁ~w いつもすれ違ってはいるんだけどね。
2004/09/16 10:39
 
●通り道なので、しょっちゅう見かけるけど、買っている人を見たことはない。

話しかけたいが、なんか怖い。

 
 
その、他に類を見ない圧倒的な存在感と雑踏の中の大きな沈黙、静寂に対し、ある種の共通の恐怖感を抱いている人が多いようです。
 
 
 
 
日疋冬子さんの独特の雰囲気が怖くて買えない。とは?
 
 
日疋冬子さんは話しかけてこちらが危害を加えられそうな気配ではないし、力も弱そうだし、いつも深夜までたった一人の女性です。むしろ彼女の身の方が数段危険にさらされています。仮に何かの勧誘をされたところで女性であってもきっと逃げ切れるし、断り切れる相手。それに「志集」を無理やり買わされたとしても300円、400円の話。
 
 

次こそ買うよー、冬子さーん。

 

次こそ!!

でも、通り過ぎて心を寄せた人は皆「次こそは!」「いつかは!」と考えているようです。

 

初回で買える人がほぼいない『私の志集』。

 

●暗かったせいか初見で20代に見えたのぉ~.暗かったせいか幸うすそだのぉ~~
 2004/10/12 12:03

 

●この前の月曜冬子さんを見た。新宿西口。でも怖くて買えなかった 俺の彼女が言うには冬子さんは美人との事。 詩を読んでみたい、が怖い。

 

●内容気になるけど、読んで、内容が頭に浮かんできて、共感できるような詩ならぜひ。………きになる…

 

●実は気になってちょっと張りこんでいたことがあるのですが、23時前後の1時間の間に、3人くらいの人に話かけられていました。 けっこう酔っ払いの人が話かけてるみたい。

 

●昨日もいたけど声かけられなかった・・ 人が多すぎて恥ずかしいYO。

 

●でもまた通りすぎてしまった。う~ん、買ってみたいとは思っていても相手は「私の志集」。どこかに警戒心が 働く。ここはいったん様子を見よう。

 
 
次こそ!次こそ絶対に!と思うのに、いざ、日疋冬子さんを目の前にするとなかなか「買えない」のです。それは、300円、400円という価格に見合わず損をしたらどうしよう、というお金の問題ではなく、もっと違う意味で「買えない」人が多いようです。
 
 
 
 
日疋冬子さんに人間らしい姿があると皆なぜかホッとしている。
 
 
 
 
冬子さんがアンドロイドのような雰囲気だからかもしれません
 
 
 
『私の志集』を買えなかった後悔を抱えて生きている人も…。
 
 
出会えなくなった後、買ってみればよかったな~と後悔した記憶が強く残ってる。
今は、新宿に遊びに行くことも少なくなった俺だが、 今度、もし、会えたら絶対買うのだ。今の俺ならば買えると思う。 それまでは続けて下さい。2006/04/13 19:53
 
私の知人は15年間も気にしているのに未だに買えないでいます(笑)。
買えるようになるには??いったい何が必要なのでしょうか??
 
 

◆新宿西口の伝説の街頭詩人・日疋冬子さんの『私の志集』を買うには心を変える勇気と信念がいる

私が思うに一般の人が日疋冬子さんの『私の志集』を買うには、いくつかの必要なものがあります。これが揃わないと手に入れることができない『私の志集』

 

大前提で現金400円(現在)

その他に必要になるのが私が思うに、以下。

 

①絶対に今日は(次回会ったら)日疋冬子さんから『私の志集』を買うんだ!という揺るがない強い意思

②(①が持続している間に)日疋冬子さんとタイミングよく逢える運

日疋冬子さんの『私の志集』買わない理由、買えない理由をつぶす作業(あらゆる可能性を想像し、NOを打ち消す作業)

日疋冬子さんに「ください」と声を掛けられる勇気と行動力(他人の目、評価を気にしない心)

 

 

「意思」「運」「想像力」「言い訳を潰し、自身が変わる力」「勇気と行動力」「他人の目や評価を無視する力」

 

以下が日疋冬子さんの『私の志集』を購入することができた人たち、またはそれを見かけた人たちの声です。多くの人は、『私の志集』を買うときに何かしら金銭の授受以外に日疋冬子さんに対して、それ以上のアクションを起こしています。

 

『私の志集』を買うという工程自体がもはや商品の一部(人によっては大半)のように思えます。

 

●一旦は通り過ぎましたが、引き返し、一部、買いました。彼女の雰囲気に私は惹かれました、ただそれだけです。

 

●30分ほどたったところで、酔っぱらいオヤジがやっと一冊買った。ひとりポツンと立っている彼女に同情して購 入したようだ。オヤジは「がんばれよ」と手を振ると、スーツのポケットに「志集」を突っ込んで千鳥足で去って いった。

 

●たまに現れる客(たいてい酔っている)が 「志集」を買うたびにうれしくなってしまったほどだ。この日は12時ジャストまでかかって、1万人を越す通行人のなかから7人が買っていった。1冊300円だから2100円 の売上。案外売れたという気もする。

 

●手持ちのバックナンバー4冊を買い、なぜ立つのか尋ねてみた。

 

●彼女は少し内気そうな方なので、とっつきにくい雰囲気がありますが、一度話すととても素敵な方だと分かります。

 
 
私が想像するに、酔っぱらいのオジサンも、ずっと長年『私の志集』を買いたいと思っていたのではないかと思います。
 
 
 
 
『私の志集』購入という口実を通して、新宿で30年以上「詩を売る為に立ち続ける」日疋冬子さんという女性の世界観を知りたいと考える人も多いようです。
 
 

とても、かわいらしかった。表面的なものより、何か中から照らしだすようなものを感じたよ。

●今日、ようやく志集を手に入れました。 近くで見ても冬子さんはきれいな人だったよ。 やっぱ歳より全然若く見える。

 

また、日疋冬子さんには「年齢不詳の美人」で長年にわたり「全く印象が変わらない」「時間が止まったように年を取っていない」という感想が多くあります。この、30年間変わらない印象というものが都市伝説化のひとつの要因かと思われます。

 

 

 

たまに、日疋冬子さんについて「内気そう」と表現する方もいますが、それは装いや外観から外交的でない様に見えるというだけであって意思は誰よりも強く、その意志を貫く頑固さのある方だと思います。

また、日疋冬子さんが社会性や協調性に欠けているのか?というと、「志集」をつくり出し、頒布している以上はおそらくは「表現者」であり、表現とは「見てくれる人の存在に依存するコミュニケーション」のひとつだと私は思っています。つまり、印象とは逆走するかもしれませんが行為としては

 

日疋冬子さんは「コミュニケーション」を謀っている。

 

そう考えていくと

 

私たちはそもそも社会性や協調性があり「社会適合」しているのか?

「社会適合」している私は本当に「私」なのか?

本当の「私」はどこで生きているのか?

 

という思考へと繋がり、

むしろ、あの頑なな日疋冬子さんの姿こそあるべき姿のようにも思えてくるのです。

 

 

ちなみにこんな変わったやり取りを日疋冬子さんとされたお話も情報としてありました。

 

私も何度か見かけて…気になって声をかけてみましたよ。 昨夜午後11:50頃です。
「どんな志集なんですか?」
「(看板を指差して)こころざし、とある通り、志のこもったシシュウです」
「見せてもらえませんか?」
「見ていただいて買っていただく、というのはお断りしています。 わたしがここに立っているのを見て、何かを感じ取ってくれる方にのみお売りしています。」 2005/04/29

 

中身を見て気に入ったら買う、ということは『私の志集』においては出来ないということです。また、販売制限にはこんなものもありました。

 

いきなりバックナンバーを買おうとしても売ってくれなかった

まずは最新号を買って読んでからだと。 流石に志のある志集売りの姉ちゃんだと呆れたけど買いました。 そんな秋の夜でした。

 

新刊→バックナンバーの順。今の日疋冬子さんを知ってから過去を開示するというところでしょうか?今が一番いい、又は今がすべてという表れなのかもしれませんね。

 

 

日疋冬子さんの『私の志集』を買うために必要なもの、ほかまとめ>
 
日疋冬子さんの『私の志集』購入に必要なのは現金400円「意思」「運」「想像力」「言い訳を潰し、変わる力」「周囲の目や評価を気にしない」「勇気と行動力」
日疋冬子さんは30年余り「変わらない」が、私たちは変わらなければ『私の志集』を手に入れることはできない。
 
泥酔して日疋冬子さんの『私の志集』を購入することは可能。
日疋冬子さんの『私の志集』は1日に7冊ほど売れている様子。
日疋冬子さんは異常な童顔で、年齢不詳、年を取らない美人と評判
日疋冬子さんの『私の志集』は中身を見て買うかどうか決めることはできない。
日疋冬子さんの『私の志集』は新刊を買わないとバックナンバーを先には買えない
 
 
 

◆新宿西口の都市伝説女性・日疋冬子さんの『私の志集』の新作が出るスパンは?

 
新作が出るタイミングおおよそ半年毎というものと、1年毎という話があります。
 
 
 
「志集」自体は藁半紙に手書きのガリ版刷りのもので、約一年に一回のペースで発刊されているようです。
 
●もうそろそろ新刊の出るころじゃないか? 以前、冬子さんに直接聞いた話では、 「年に1度の更新です」ということだったし。04/04/06 21:43 
 
●だだい20ページ前後のガリ版で刷ったような詩集で、おおむね半年ごとに新刊を発行しています。2008年06月26日 
 
 
2009年以降は明らかに1年に1.2冊の更新があるようです。
 
 

◆新宿西口の都市伝説の女性・日疋冬子さんの『私の志集』気になる詩集の作品内容は?

日疋冬子さんの『私の志集』には毎号、最初のにこのような記載があるようです。

 
 
詩は 志で あらねばならない
 
詩は志である必要があるという日疋冬子さんのポリシー、信念があるようです。
街頭女詩人の1代目である星野マリさんは自身の作品には前述のとおり「詩集」という言葉を使っていました。
 
ですから、これは冬子さんの代になって「変わったこと」のひとつと言えるでしょう。「変わらないこと」が大半の冬子さんのスタイルである中で、あえて自分の意志で「変えたこと」ですから、よほどの強い意志です。
 
 
詩は志であらねばならない。
 
 
 
そのことから言って活動形態や基本指針は引き継ぎつつも、日疋冬子さんの作品が「志集」であることは日疋冬子さんの夫と、彼女自身の新しいステージとしての意味合いがあった可能性があります。
 
 
●例によって「無断転載、引用禁止」ときつく書かれてるので ここには書けない 買ってみるべし。
 
「志集」には「志」の転載を禁じる旨明記されてますので、一編 の「志」もここには書けないんです。 
 
 
興味深いこととしては、日疋冬子さんから直接「志集」を譲り受けた人々はかなりの割合でこの約束をきちんと果たしています。色々な情報が錯綜する現代ですが、彼女に関する情報に関しては、一般的な情報よりも誠実さという意味での濃度が高い印象を受けます。
 
 
れは日疋冬子さんが直接その「志集」を思いを込めて手渡ししている成果にほかなりません。
 
 
 
 
遅くなりましたが、私の話もしておきましょう。私は1995年に1度だけ彼女から「志集」を購入しています。当時私は新宿で絵を描いていました。2017年、会社員であった私は再度購入を考えましたが、何度もすれ違ったものの、何故か購入することができませんでした。
 
 
2019年にお会いしたら初回で購入する予定です。初回に買った「志集」に関しては後でその時に抱いた感想を書きたいと思います。
 
 
ここからは日疋冬子さんから詩集を譲ってもらった人々の「志集」の内容に対する感想です。
 
 
●去年、志集買いました。冬に買ったんですけど、原爆とか、夏っぽい詩と、あとは恋の詩が意外と多かったのが記憶に残っています。
 
●内容はちょっと長めが10遍くらい。 マジメで丁寧な志集だったよ。
 
●もっと過激なのかと思って心配してたけど、 全然過激じゃなくてよかった
 
●ある号には西口で志集を売る中で体験したことを題材にしたものや、震災に際して作られた詩が並んでいる。
 
志」についてはいろんなジャンルがあり、個人的に好きなもの もあります。 あらためて言うまでもなく、詩をどう感じるかはその人次第です。 なので、一度買ってみてご自身で判断してみるのが良いと思います。 
 
●帰りの電車で読んでみると、、、 怖っ。 死がテーマな感じの志集で、彼女の姿を思い出しつつ読んで正直怖いだけだった。 でも彼女のオーラは間違いなくアーティストだね。これからも人々を惹き付けていってほしい。
 
 
 
上記の内容にもありますが、1冊の「志集」の中には、いくつかの作品が入っています。そして、最初からなのか、いつの段階からなのかは分かりませんが、日疋冬子さんも作品を掲載し始めているようです。原爆に関する作品についてはおそらく日疋冬子さんの夫の作品である可能性が高いですが、もしかするとその影響を受けた日疋冬子さんの作品かもしれません。
 
 
 
 
『私の志集』にはこうして2人の作者によって、いろんなジャンルがあり、テーマが恋~死と様々であるようです。
 
 
一ヶ月ほど前に志集を買った。当時の最新号で第31号だった。
 
会社で話したら、なんと同僚が第30号を持っていた。 先日再び、「志をください!」といったら、 冬子さんは俺を覚えていたのか、 第30号を差し出した。 「それは友達が持ってる」 と言ったら、冬子さん目を丸くして かばんからゴソゴソ出してくれたのは、 第3号だった。前妻の死因を示唆する内容だった。 また買ってしまいそうな気がする。
 

 

最初の頃には日疋冬子さんの夫の前妻が亡くなったことをテーマとした作品があったようです。作品のテーマは日疋冬子さんやその夫の身の上に起こったことからの経験、感情からできているようです。

 

 
最新号「最後の化け物」を買いました。 まず手に持ってみて、中をパラパラっと見て、なんていうかすごく大事な ものの様に思えた。 感想は考えさせられる誌、気づかされる誌だと思った。
(私は) 読んでみて「志」にしてるのがわかった気が少しだけした。 情景が浮かんできた。作者の志が伝わってくる気がした。 最新号の中では「群集」が一番好き。他の志集もほしい。
 
 
 
「最後の化け物」『私の志集』第32号です。「群集」は人気があるようなのですが、「群衆」ではなく、「群集」である理由を日疋冬子さんに実際に聞いてみたいですね。
 
 
 
 
夜の新宿であの人から買う行為、そのものがポエム
 
 
 
●私はちょっと緊張しててお金を渡す時、 「消費税は?」とか意味不明な事を聞いしまった。 「えっ?」って聞き返されたので、きっと「このDQNは何?」と思われた事だろう…
 
●その詩はを売りながら書いた物だろうね、時々メモ出して書いてるもんね。 感想としては意外と普通な志だと思つた。
 
●使ってる鉛筆がまじ短いんだよね
 
●今日、久々に志集を買った。 前には気付かなかったけど、 筆跡から2人で書いてるように思える。 どっちが冬子さんのなのだろうか。
 
●詩の内容そのものよりも、 夜の新宿であの人から買う行為そのものがポエムかと思われ
 
●旦那の「詩は志であらねばならない」という志との葛藤新宿の街頭で手売りをする事の葛藤日々のニュースや出来事で思ったこと、などなどが詩から垣間見える。
 
 
 
意外と普通な志という感想に関しては私が抱いた第一印象とはかけ離れているため、少し気になりました。そんなに作品に幅があるのかと…。
 
 
 
 
また、二人の共作であることを私は最初に「志集」を譲ってもらった時には知らなかったため、認識せずにすべて日疋冬子さんの作品だと思って読みました。特別に筆跡が違ったり、違和感があったり、記載されている名前なども書く作品にはなかったのではないか?と記憶しているのですが…注意深く見ると筆跡の違いが分かるようですね。
 
 
 
●今日詩集買った! 「志集第32号」でした。まぁ才能と教養のない人が一生懸命書いた詩かな? テーマも陳腐で掘り下げは激浅だけど、思ってたより 狂ってはいませんでしたね、マトモでもないですけど・・
 
つーか内容よりもやっぱりあの行動と人生そのものは タシカに見事な「詩」であることは認めてもいいのじゃないだろうか? たしかに彼女は41には見えないけど「詩集」には そう書いてあった。03/05/28 05:36
 
志集がほしいなら、自分で新宿まで赴け。
あの新宿の雑踏のなかで、彼女と対面しながら買うことに意義があるのだ。 そんなことくらい過去ログ読めばわかるだろう。 詩を解せないのは君のほうじゃないのか?

 

志、彼女は武士だった。ぼくは、彼女の美しさに見とれるだけで ふれようともしなかった。彼女は自治会でも、奮闘したらしい。 

やっぱり、武士なんだ。俺は武を捨て、学を捨て、最後には プライドさえ捨てた。俺とはずいぶん違う。やはりもののふの心は 遺伝するのか。

 

●文字は活字ではなく、冬子さんが書いたと思われる字で、女性らしい綺麗な文字だった。
内容については重い作品という印象

 
 
日疋冬子さんの存在を知っているけれども買えないまま地方へ赴任した人や遠くへ越した人はよく、『私の志集』のひとつを(WEB上で)紹介してほしいとか、代わりに買って郵送してもらえないものか、というような話をしています。それに対してあった上記の回答が素晴らしかったので、再度引用します。
 
 
 
 
「志集」がほしいなら、自分で新宿まで赴け。
あの新宿の雑踏のなかで、彼女と対面しながら買うことに意義があるのだ。
 
 
 
ただ「詩」そのものより冬子さんの存在そのものに圧倒 されてしまいます。なんといっても新宿の雑踏の中、思い詰めたような 表情で前をむき数時間たちっぱなしになっているのですから。常人では絶対 まねできません。
 
●彼女の志集は、今やバックナンバーとなったものも含めて、ほぼ全てが揃ってしまった。 志集はみんな藁半紙にガリ版刷りだった。
彼女の「志集」の中で、最も好きなのは、「群集に流れる」という詩だ。
出来れば転載したいのだが、志集の中にこれらの行為を禁ずる旨書かれているため、
彼女の意向を尊重したい。
簡単に内容を紹介すると…群集の行き交う街頭に立っていると、我知らず涙が溢れてくる。けれども、その涙は地面に落ちることなく、静かに群集に流れていく…という感じの詩だ。
 
「静かに群集に流れる」という表現に、 私は群集のひとりとして、彼女の涙を吸って生きる植物のような感覚を持った。 彼女に生かされているような錯覚に囚われたのだ。しかし、それは本当に錯覚なのか?
 
● 最新号買った。 娘がいるらしいね・・・
2005/07/29 23:02:51
 
 
 
日疋冬子さんの作品の感想としては譲ってもらったナンバーによっても、だいぶ作風の印象が違うようですし、感想もばらばらのようです。
 
購入者の皆が口をそろえて言うのは日疋冬子さんとの直接のやり取りこそが今回の取引上、最も価値のあることであり、それがあっての作品であるという認識であることです。
 
 
彼女自身の存在感を超える作品はあり得ないということ。
 
 
 
 
実際ここで、私が唯一購入した1995年当時の感想の続きを加えると、第何号を譲っていただいたのかは分かりませんが、「黄金の火の鳥」のようなイメージがたくさん並ぶ、一般人の日常とは接点があまりない作品でした。正直、少しだけ落胆した覚えがあります。
 
 
 
 
私自身、どうしてあの時に日疋冬子さんから『私の志集』を購入しようと思ったのかは分かりませんが、やはり他の多くの人と同様、彼女の存在感をこのまま無視して生きていくことが困難だった為、とでも言いましょうか。
 
 
ですから、私は彼女の世界と共感することで、通信をしたかったのだと思います。それができなかった事への落胆が大きかった。そんな感じだったと思います。しかし、かなり感情的に当時の私と近い思いをしてさらに私の先を行く人がいました。
 

10年ほど前に1度だけ買ったことがある。その頃の僕はミュージシャンを目指しながら歌舞伎町のマンガ喫茶で働くフリーター だった。

その時に買った志集の中身は現代文明批判だった。王様は裸だと声高に叫ぶ子供のように無垢な心が逆に痛々しかった。今回買ったものは少し趣が変わっているように感じる。頭で考えたことではなく、心と体で感じたことがベースになっているように思う。

 

変わったのは詩なのか、それとも10年を経てサラリーマンになった僕なのか。

 
 
変わったのは詩なのか、それとも10年を経てサラリーマンになった僕なのか。
 
 
それを体験しに、私も2019年は冬子さんに会いに行きもう一度、彼女の世界との接触を試してみたいと思っています。

 

 

◆新宿西口に立ち続ける伝説の女性『私の志集』冬子さんの街頭詩人の目的とは?

共通の連想として、日疋冬子さんを認識する人々の中でおそらく考えているであろうことをまずは列挙していきたいと思います。

 

 

まず最初に皆が思うことは冬子さんの活動がお金目的だとは到底思えないということ。

 

◆①新宿西口の冬子さんに対する共通の推測: 街頭詩人としての活動はおそらく生活資金の為ではないだろう。

仮に1日に10人の人が「志集」を購入してくれたとして、4,000円。その時間別の方法で働いたほうがよほど収入にはなるはずだろうという話があります。物理的にこれだけで暮らしていくのは困難と思われる為このような話が挙がるのだと思います。

 

志集の売上だけで生計を立てているのだろうか。ダンナの年金や、冬子さんはパートでもしない限り、非常に慎ましい生活を余儀なくされるだけだろう。

●昨日冬子さんみました。 待ち合わせで立ってた20分くらいで4人も買っていった。 売れている!04/02/22 23:07

 

売れているのか?売れていないのか?すらよく分からない。

 

→(疑問1)ではどのように生活を立てているのか?夫も街頭詩人であったため、年金が潤沢にあるとも思えない。

過去に日疋冬子さんについて鶴見済さんという方が取材した記事や北尾トロさんという方の記事があったようなのですが、その取材の為の聞き取り(いずれかは明確には不明)がこちら

「でも、あまり売れないんじゃないですか」
「これが仕事ですから」

「え、でもこれだけでは……」
「これが私の仕事なんです」

 そういうと、彼女は口を閉ざした。こういうのは、いつも聞かれることなのだろう。わかってくれる人だけに伝わればいいという態度だ。

「疲れませんか。虚しいなとか、もうやめてしまおうかとか思わないですか」  いくら作品のため、夫の意志を継ぐためといっても、17年は長い。長すぎる。
「いいえ。信念をもってやっていますから」

 

信念でやっている仕事である以上、その継続を揺るがすような疑問や考えは不要だということのようです。自分に与えられた仕事をやめる、変えるという考え自体がない、ということのようです。

 

信念でやっているにしても、それを長年続けていることには驚くばかりだ。普通は詩を売るため何らかのアクションを起こしたりするはずだ。どうみても、この志集が売れに売れているようには見えない。北尾さんが見たときは一日で売れたのが7冊だったという。

 

仮に平均7冊、稼働日にきちんと売れていたとして、現在だと20日稼働で56,000円になる計算になります。年収として672,000円です。

 

それでも志のために立っている。売れる売れない、儲かる儲からないなどといった次元の話はこのご夫婦の範疇ではないのだろうと、勝手な推断をするしかない。

 

<①について分かったことまとめ>

日疋冬子さんにとって、生活を立てる為の収入源『私の志集』であるかどうかは不明。
●新宿西口に立ち続け、街頭詩人として『私の志集』を売ることは日疋冬子さんが信念をもってやっている「仕事」である
日疋冬子さんにとって、『私の志集』がお金目的とは考えにくい。
 

 

次に冬子さんを知っている人たちの共通の疑問点です。

 

◆②新宿西口の冬子さんの心境は?:新宿駅の近隣で行ってきた事には、より多くの人に「作品を読んでほしい」という気持ちがあるはずである。

→(疑問2)なぜ詩をインターネット上に掲載頒布、書籍化という方法をとらないのか?拡散効率が上がるとしてもそれを選択しない意味とは?

 

なぜ立ちっぱなしで肉体的にもキツイ方法をとるのか。目的は何だ。金か、売名か。う~ん、どちらとも思えない。謎だ。他の目的があるのかもしれない。

 

日疋冬子さんはテレビ出演やインタビュー等をことごとく断っているという話があります。また、かつてドキュメンタリーをつくられた際は無断で作られてしまったという回答をしているという情報があります。

 

●この作品、実は本人の了解なく隠し撮りしているのです。監督自身も何度も「撮影(取材)していいですか?」と聞くと、「20年間このスタイルでやってきたので、そういうことは一切お断りします」と返答したのです。しかし、女の詩の中に出てくる「自分にとって、路上に立ち続けることが花であり、花になって見続けたい」という意味合いのことばから、監督は「あえて」隠し撮りという手法をつかって彼女を撮影していきます。

 

●『私の志集 三〇〇円』というドキュメンタリー映画にもなっています。この映画のことを聞いたら、勝手に盗撮されて作られてしまったと言ってました。感情を押し殺したような方ですが、「今最新号は何号ですか?」と聞くと笑顔でこたえてくれます。

 

最新号について問うと笑顔で応えてくれることから、日疋冬子さんは『私の志集』へ興味を持ってもらえることについては感情的に「快」があるということが分かります。

その後も何度か見掛けていくうちに、その志集を読んでみたいという気持ちに駆られていったのだが、直接声を掛けるのはやや躊躇してしまうオーラを発している。

買って欲しくて愛嬌を振り撒いたり、宣伝チラシを配ってるのでもない、ただ立っているだけ。孤独ながらもどことなく清楚感もある、しかし彼女の目線は真っ直ぐ先の1点を見つめ微動だにしない。その姿には逆にこちらが一歩後退りしてしまうような、硬い意思を放っているようである。

 

「直接声を掛けるのはやや躊躇してしまうオーラを発している」ことや「買って欲しくて愛嬌を振り撒いたり、宣伝チラシを配ってるのでもない」こと、前述の「バックナンバーからは購入できない」等の話から、部数をただ売るだけということには興味がないようです。

日疋冬子さんの中で、神社参拝の為の「礼儀」のようなものが『私の志集』にはあるのかもしれません。『私の志集』を譲る「相手」が明確に定義づけられているということも言えるかもしれません。

 

日疋冬子さんが大都会の街の残酷さや群衆の無関心、冷たい視線など意にも介さず雑踏と対峙しているのは、その明確に分かっている「相手」へ「志集」を譲っていくうえで、あるいは最も効率の良い方法なのかもしれません。

 

→(疑問3)なぜずっと手書きなのか?よほどたくさんの部数を発行できるはずなのにしない理由とは?

 

「志集」は印刷された紙をハサミと定規で切り取り、ホチキスで止めただけのもの。
詩に何の興味も抱かない人にとっては、ただの紙切れなのだろう。
しかし自分はまた次の号も読んでみたい、そういう気分にもなった次第である。

 

『私の志集』の全てが手作り、手書きというところも純粋な魂が宿っているような異様な生々しさがあるわけですが、前述のとおり、日疋冬子さんにとって、難関を超えてたどり着いた選ばれし「買手」にはそうした純正のものを届ける必要があるという認識なのかもしれないですし、逆に、純正なものを譲る行為であるからこその難関でもあるのかもしれません。

 

 

→(疑問4)「詩人」としての立ち位置を確固たるものにする方がより多くの人から読まれるのではないか?つまりは詩人としてのキャリア形成をしていくことをしない理由はなにか?

 

メディアとの接点を拒絶していることに対しては日疋冬子さんの基本姿勢であるとともに、『私の志集』の中でも「現代文明批判」のような形で登場しているといいます。

 

私も購入したのは[No.32 最後の化け物] [No.33 死なない] ですが
いずれも現代社会を批判的に詠んだものが多い気がします。

 

日疋冬子さんにとって、他人が勝手に決めた「詩人としてのキャリア」に意味はないという判断もあるように思います。他人のそうした我欲、煩悩の力が及ばない所ではじめて作品の純度は保たれるという意味かもしれません。

 

 

 

<②について分かった事まとめ>

日疋冬子さんには『私の志集』数多く頒布する意思はない
日疋冬子さんには『私の志集』譲る「相手」を選んでいる?(仮説)
日疋冬子さんにとって、街頭に立って『私の志集』を売ることは最も効率の良い方法である。(仮説)
日疋冬子さんの『私の志集』が未だに手作りなのは部数をさばくことへの欲求がないこと、作品の純正、純度を担保するためと考えられる。(推測)
日疋冬子さんは外界から詩人として定義づけられること(キャリア形成)に意味を感じていない『私の志集』の中の作品を外界の汚れから守り、純度、純正を保つことに最大限フォーカスしていると思われる。(推測)
 

 

そして、皆が抱く最大の疑問がこちら。

 

 

◆③新宿西口の街頭詩人冬子さんへの疑問:いつまで立ち続けるのだろうか?

調べていくと、そもそも、望んだとしても立ち続けることが困難になりつつあるようです。

 

日疋冬子さんは1980年代からただ立って『私の志集』を売ってきただけで、他人への攻撃的な要素や危険、勧誘は全くなかったわけです。販売についても買手が「買いたい」と意思表示して初めて売るわけで、積極的に声をかけていたわけでもなく、以前は「買ってください。」の文字が首からかけたプレートに書かれていただけです。(今はそれも消えました)

 

基本的にはただ、立っているだけなので危害を加えるような危険は外から見てもなかったはずです。しかし、時代は移り変わって、「権利関係」や「責任問題」のような意識が高まる風潮にあったためか、日疋冬子さんがただ立つことさえも許さない社会へと変化していきました。

 

 

「彼女に変わることを強要するきまり」ができるずっと前から日疋冬子さんはそこに立っていたわけで、何だかおかしい気もするのですが、この社会は多数決なので、社会の中で圧倒的なマイノリティである日疋冬子さんは必然的にこの社会に何度も追い詰められてきたようです。

 

以前、日疋冬子さんには新宿駅周辺でもいくつかの出現スポットがあったはずが現状おそらく1か所に限定されてしまったことにも背景があったようです。これは出現スポットが無くなっていった経緯を裏付ける情報です。

 

簡素な服にスラリとした長身を包み、すっくと立つオカッパ頭のその姿が、若かった私には、チューリップの花の様に見えて眩しかった。 だから、私は仕事帰りに、いつも一輪だけチューリップを買ってプレゼントしていたのだ。

 

そうして、彼女の志集は、今やバックナンバーとなったものも含めて、ほぼ全てが揃ってしまった。数年間の間、彼女は駅構内に立ち続け、私は読者として花を贈りつづけた。 会話はほとんどなく、それ以上の関係はありえなかった。

 

沖縄に赴任して程なく、私は出張に便乗し、久しぶりに彼女に会いに行った。 すると、いつもと様子が違う。鉄道公安官と何やら口論のまっ最中だった。 結局、彼女はいつもの場所から公安室に連れて行かれてしまった…。

 

私は、気が気ではなく、彼女の消えた公安室の扉の前にじっと立っていた。 どのくらい時間がたったろう…2時間は過ぎようという頃、彼女は現れた。 私が「冬子さん!」と声をかけると、目を丸くして驚いて、私を見つめた。

 

私は、公安に連行される現場に偶然遭遇し、心配で今まで待っていたことを告げる。 すると、彼女の方から「お茶を飲みませんか?」と提案があった。 そして…ふたりは新宿の深夜の喫茶店でお茶を飲みながら、初めて話らしい話をしたのだ。

 

「最近、物売りの取締りが強化されて…警告されていたのです…ずっと、抵抗してきましたが、今日誓約書にサインをさせられてしまいました。あの場所には、もう立てません。愛着のある場所だったので、とても寂しいです…」

 

ああ、彼女はなんて切ない目をしているんだろう! 「こんなことがあったので、ついお誘いしてしまいました。 ご迷惑ではなかったですか?…でも、少し落ち着きました。」
彼女は少し微笑んで…。憬れの彼女と深夜の地下喫茶にいる不思議。 ついさっき、私の見た光景は、聖地に立つ彼女の最後の姿だった。

 

立ち続ける事すら許されない社会になりつつある。

 

これと同じことが、おそらく日疋冬子さんにはいくつもあったのだと推測できます。その度に闘っても行き場を追われ、現在の場所が最後に残った場所だったということなのでしょう。駅構内のように温かくもないですから、心理的な問題だけでなく、肉体的にもより一層厳しい境遇になっていったということだと思います。

 

もうひとつ、気になることがあります。それは、日疋冬子さんの活動の原点となった彼女の夫が既にかなり高齢だということです。2019年日疋冬子さんが57歳になるというのも衝撃的ですが、36歳年上の夫はご存命であれば、93歳ということになります。男性としてはかなりの高齢です。

 

第60号『私の志集』まではご夫婦の連名で出されていることが確認できています。

 

買ったのは、最新の第41号。発行日は2009年6月14日、とある。

最後に、こうやって詩を売る事が出来るのもこの先もうそれほど長くは無いかもしれない、と読み取れる文が書いてあった。

旦那さんの年のせいかもわからんね。あの志集が気になっている人は、早めに買ってみる事をオススメする。

 

2017年までは私自身も日疋冬子さんが新宿西口に立たれているのを確認しています。また、2019年に確認でき次第、追記したいと思っています。

 

こちらも皆の共通の疑問としてあるのではないかと思います。

 

◆④新宿西口の街頭詩人・冬子さんの目的とは?:1年中街に立って「志集」を売り続ける目的は何か?

ところが一部には冬子さんの「目的」を知っている人物もいるようなのです。とても気になる文章がありました。

 

しかし、それでも私には彼女の目的が完全に飲み込めた。 彼女の夫がある情報にアクセスしているのだということも。

崇高な動機でもって行為しながら、その方法において失敗しているように感じた。 しかしそれを20年以上立ち続けているという事実の強さが十分に補っているようにも思う。

[No.32 最後の化け物] [No.33 死なない] の二冊を購入 04/06/16 01:56

 

私には未だこの方のように、はっきりとした日疋冬子さんの目的は私には見えていません。

 

 

金銭的なよく事情はわかりませんが、ああやってを売っている以上 彼女は多くの読者を望んでいるのではないか、と思います。 そういう意味でおおくの方が路上で彼女のポエムを買うというのは 冬子さんにとって精神的な幸せなのではないでしょうか。01/12/23 01:00 

 

日疋冬子さんにとって、新宿の路上で直接『私の志集』を売り渡していくという行為自体に最も大きな意味があるようです。これは目的に隣接しているものと言ってもいいのではないでしょうか。

 

直接、日疋冬子さんから、24年ぶりに『私の志集』を手渡されるとき、私は一体何を感じるのでしょうか。また、その作品の中に、何を思うのでしょうか?

 

◆2019年最新>新宿西口『私の志集』冬子さん関連追記

ここからは2019年以降の話を追っていきたいと思います。

 

◆2019年4月 新宿西口に街頭詩人の冬子さんあり?北尾トロ氏の本を入手

コメントをいただき、志集 第六十一号『放たれた』が2019年4月12日に発行されたとの情報をいただきました。ありがとうございます。今年も日疋冬子さんは暖かな季節を迎えられたようでうれしい情報となりました。

 

 

私はこちらを入手しました。こちらの本に日疋冬子さんと北尾トロさんとの過去の関わり合いが書かれています。これを踏まえて、改めて新しい発見や感じる何かをつかめればいいなと思っています。

 

そして、5月。平日でしたが残念ながら冬子さんにお会いすることができませんでした。本当に、突然世界へやってきて、会いたいときには不思議と会えない方です。また夜に新宿に行くときには立ち寄ってみようと思います。

 

 

◆新宿西口『私の志集』街頭詩人・日疋冬子さんを彷彿とさせる彫刻 佐藤忠良作「冬の像」画像

全く背後関係につながりがあるエビデンスはないのですが、東京都内にある永福町駅の改札を出て左手にある「冬の像」という彫刻は、日疋冬子さんをモデルにしたのではないかと思う程、彼女の持っている寒さにも怯まない強い精神力と「冬」の存在感を持った彫刻です。
人の背丈と同じ大きさの彫刻であるため、なおさらそうした印象を与えます。
  
 
 
当たり前ですが、夏もこうしています(笑)
 
 

これは、永福町にお住まいだった彫刻家・佐藤忠良さんが制作した「冬の像」です。永福町駅の改良工事の完成にあわせて、区が購入し、常設展示をすることになったそうです。

佐藤さんが育った地である北海道の優佳良織(ゆうからおり)のマントを羽織った若い女性が、厳しい寒さに耐えながら、凛とした姿で立っているという像です。

 

日疋冬子さんにお会いした頃がある方であれば、きっとこの感じは分かっていただけるのかな?と思います。

 

 

彫刻家佐藤忠良さんの作品のひとつですが、佐藤忠良さんは東京都内だけでもたくさんの公共スペースにその彫刻が設置されています。

 

 

日疋冬子さんも街頭詩人ということで、公共スペースで存在していることから、「冬の像」が置かれている状況と日疋冬子さんとは色々な意味で一致します。

 

この像も日疋冬子さんと同じように、いつも同じ場所に居続け、行き交う人々の群集をうけとめる運命をなぞります。立ち止まる人も稀です。

 

日疋冬子さんと同じように「冬の像」にもそのひたむきさ、変わらずそこに存在するという強さに対して、人は心をうごかされます。

コメント

  1. adenocarci より:

    志集 第六十一号

    [ 放たれた ]

    2019.04.12 発刊されました。

  2. kira2kira2 より:

    コメントありがとうございます。暖かくなってきてなぜか私がホッとしています。

  3. Torusa より:

    今日いると思って来ていたのですが。。。
    残念です

  4. kira2kira2 より:

    冬子さんがいらっしゃる時にはつい次回へ見送ってしまい、会いに行こうとすると会えず買えないというのが『私の志集』の醍醐味のようです。

  5. 通りすがり より:

    日疋冬子さんの「私の志集」59号を、メルカリというところで1500円で転売している人がいます。
    禁止事項でしょうか?

  6. kira2kira2 より:

    『私の志集』の禁止事項として「志集」内の作品の転載、引用、作曲の禁止がかつて記載されていたようです。
    転売の記載の有無は分かりませんが、多くの文学書籍も企業によって転売がされている社会なので、
    そのモノ(活字が印字された1冊分の紙とホチキス)の処分について、譲った後にも作者の力が及ぶとは考えにくいのかなと想像します。
    (古物の販売に詳しくないのにあやふやな推測を書いてすみません)
    但し、それをコピーして100冊1500円で売るとなると、もはや中古の「紙とホチキス」の転売ではなく、「作品のコピー商品」の偽造販売なのかもしれません。

    また、今回の出品者が例えば人気アイドルで、その人が触っただけで価値が上がると思える人も世の中にはいるかもしれませんし、(笑)
    かなり近い意味で、私自身は何十年も同じ地に立ち続けてきた冬子さんの「波動」を感じながら、直接400円と交換してもらうことを許されるまでの一連の経験
    (声をかける前の葛藤や高揚感、交換してもらえた達成感、清らかな気に包まれるような余韻)に対して価値を感じているので、
    結局のところ、転売価格の妥当性も私にはちょっと分からないです。

    ただ、個人的にはその転売商品を郵送で受け取って感じられる「波動」は、冬子さんから直に受け取るものとは雲泥の差があると思いますので、
    『私の志集』を譲ってもらいたい人が、冬子さんから直に受け取れるといいなと思います。(ここもタイミングがあるので何とも(;´∀`))

  7. 通りすがり より:

    9月で販売活動終了との情報が入りました
    志を書くことはやめないでしょうけど街頭に立っての販売は37年でしたっけ、終わるようですね。
    推測でしか無いですが、ご家族の体調の問題・家庭の都合なのでしょうかね。
    悲しいお知らせですが

  8. kira2kira2 より:

    大変貴重な情報を頂き、感謝いたします。先ほどこちらのコメントに気が付き、正直、私自身、ここまで新宿にはとても縁があり、幼少期から青春時代、社会人になってからもいつもお姿を見ながら成長してきたので本当にショックを受けています。。。いつもここまでの自分になるまでの時間を共に生き、清らかな気持ちを分けて頂いてきたので、ひとつの豊かな時代の終わりを感じずにいられません。最後にお会いできればいいですが…。そのような最後の機会となる時を教えていただいて、本当にありがとうございます。お会いして、感謝をお伝えできればと思います。

  9. 通りすがり より:

    日疋冬子さんには会えましたか?
    2019年9月で活動終了と言うのは9月31日末日までという意味じゃないでしょうし、すでに活動終了しているかもしれませんね。

  10. kira2kira2 より:

    返信が遅くなってしまいました。申し訳ありません。
    実は何度か行って時間が少し早かったからかお会いできないことが続いたものの、1度「あの場所」にいらっしゃるときに行くことができたました。けれどもその時は、先客の方がおり長く話をされていてお疲れのようだった印象があったもので、間髪入れずにお尋ねするのも気が引けた為、やはり別の日に伺おうと出直したところ、お会いできたのがあの日が最後となってしまいました。また春頃に暖かくなったら何度かだめもとで行ってみようかなと思っています。でも、肉眼で「彼女が新宿の地に居る」という体験ができたので、情報いただいてとても感謝しています。いただかなければできないことでした。

  11. M より:

    youtubeにインタビュー動画がありましたので貼っておきます
    活動終了ということを今日知りましたが感慨深すぎて言葉が出ません・・・

  12. kira2kira2 より:

    コメントをありがとうございます。
    冬子さんは長年、新宿という街に立ち続けて、街や人々の放つ波動の潮目を誰よりも先に感じられたのかなとちょっと今回のコロナ大流行があったことで感じてしまいました。。でも、同じ女性をこれだけの年数の期間の中の別のシーンで特別な感情で眺めていらっしゃった方が大勢いたことは私にとってはとても豊かな事実でもありました。きっと皆さんそれぞれが何かにひたむきな方だからこそ、彼女の姿に何かしらの共鳴があり、特別な感情を抱かれたのだと思っています。大変な時代の局面ですが信じた道を大事に守って生きていける未来となるように私も祈りたいです。

ADSENSE_SCRIPT_CODE
タイトルとURLをコピーしました