◆1908年(年齢29歳)『明星』廃刊。与謝野晶子と与謝野鉄幹(与謝野寛)夫妻とバナナ事件の衝撃。 画像
「君死にたまふことなかれ」が発表された翌年、『明星』は廃刊になります。夫・与謝野鉄幹(与謝野寛)さんが大学教授になるまでの時代というのは文壇の人にはありがちですが収入がとにかく不安定だった為、与謝野晶子さんもせっせと仕事をされていたようです。
与謝野晶子さんもおしんみたいな人です。
◆旦那・与謝野鉄幹は稼ぎがないのに与謝野晶子との子供が次々誕生。
与謝野鉄幹と与謝野晶子さんは
ともかくお盛んだったようで(笑)
画像:https://www.ndl.go.jp/exhibit70/data/97.html
与謝野晶子が
育てたお子さんは
ナント総勢11人
(正確には13人を妊娠し、12人を無事出産)
(与謝野晶子は)新聞七紙への寄稿に加えて、他にも小説や論文などを書いていたといいますから、これに子供たちの世話が加わるとなれば、過労死しなかったのが不思議なほどです。
収入が限られている中で、これだけの子供たちをほぼ女手一つで生み育てていった与謝野晶子さんが、与謝野鉄幹さんに対し、本当に常にラブラブな感情だったのか??ということがちょっと個人的には疑問だったりもします。
◆与謝野鉄幹と与謝野晶子夫妻の夫婦生活エピソードとして残る「バナナ事件」と性科学者小倉誠三郎との関係
与謝野鉄幹、と与謝野晶子ご夫妻のラブラブな熱い夜の夫婦関係(だったとされている)お話にはこんな奇抜なエピソードも残っています。性学者の小倉三郎氏と与謝野鉄幹さんとの対談です。
ある学者から
「これまでに、何か特異な性体験などなさいましたか?」と問われた与謝野鉄幹は、得意満面で、
「バナナを妻の膣に挿入して、翌日取り出して食べましたよ」と話した。妻とはもちろん、与謝野晶子のことである。
ところが、それを聞いた学者は、呆れた顔でこう言った。
「鉄幹先生、その程度のことだったら、誰でもやっておりますよ」与謝野鉄幹を戒めた学者こそ、稀代の性研究者として有名な小倉清三郎であった。
ちなみに小倉誠三郎とはこんな人でした。
◆与謝野晶子と与謝野鉄幹夫妻の「バナナ事件」を聞いた学者小倉清三郎は「自慰行為有害説」を否定した性学者!? 画像
この与謝野鉄幹と「バナナ事件」についての談義をし、
と、この時代において平然と言うことができた人小倉清三郎さんとはどんな人なのか?というと
大正時代に活躍した日本を代表する性科学者であり、社会運動家だということです。性の研究のため「相対会」を設立し、雑誌『相対』を出版した。「自慰」という言葉を作り、その有害説を否定した人だそうです。
29歳のとき「相対会」を設立し、1913年,『相対会第一組合小倉清三郎研究報告』を発行。『相対』という名の機関誌を発行し、購読者から性体験談を集めた。会費は年3円で会員には機関誌が毎月送られた。会員には文化人も多く、坪内逍遥、芥川竜之介、大杉栄、金子光晴、平塚雷鳥、伊藤野枝などがいた。
1922年には「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案し、使用を提唱した。阿部定の研究もしている。1941年に脳溢血で急死。58歳没。
清三郎が亡きあとは、妻の小倉ミチヨ(1894年 – 1967年)が雑誌の発行を続けた。
赤裸々な性体験が綴られていることから、官憲から弾圧を受けたが、1944年まで刊行した。戦後になってから『相対会研究報告』全三十四巻にまとめられ、復刻出版された。
「相対」とは
人と人との世界という意味のことば
こうしてみるとなかなか精神の解放に向けた活動として有益なことをされている小倉清三郎さんなのでした(笑)相対会に入会したいと会いに来た与謝野鉄幹さんからも資料になる夫婦の話をたくさん聞きたかったのでしょう。
ところが!
ここでも、夫の小倉清三郎さんと同等あるいは彼以上に妻である小倉ミチヨさんという人が相当頑張って活動されており、ワイセツと求道のはざまで闘っておられたようです。
たぶん彼の功績は
妻がつくった功績(笑)
『相対』がわいせつ文書出版法違反に問われ、検挙され、自宅に警察が押し入って書類を押収された時も対応しているのは小倉ミチヨさんでしたし、
その件で法廷で闘うために大審院へ行ったのも小倉ミチヨさん、その上相手にされなかったため、強硬手段をとって窓を割り公文書を破って暴れたために精神異常者として警察の独房に収容されたのも小倉ミチヨさんでした。
本当に最前線で
ワイセツと求道で闘う
をやってきた
妻・小倉ミチヨさん。
しかも、何の因果か、小倉ミチヨさんが独房に入れられた際に隣に入ってきたのが愛人殺しの阿部定だったというのですからスゴイ運命です。この小倉ミチヨさんて方も何かもっています(笑)。
殆ど頑張ったのは妻!
なエピソード
何となく与謝野鉄幹さんと小倉清三郎さんの会話に似たもの男性である印象を抱いてしまったのは私だけでしょうか・・・。
女性だけが
現実を回していくのに必死(;’∀’)
そして、1907年(明治40年)に刑法において「堕胎罪」が制定されていたことによるものと思われます。
人工妊娠中絶や不妊手術が法令化されたのは1948年(昭和23年)に公布された「優生保護法」(現在の「母体保護法」の前身)であり、経済的理由による中絶の選択肢が開かれたのは1949年(昭和24年)の法改正以降となっています。
こうした背景があったため、出来てしまった子供は育てるか、外へやるかしかないというのが明治時代の日本には、現実だったようです。ドラマ『おしん』の主役も貧しい生家を支えるために子供時代に奉公へ出されています。
◆与謝野鉄幹を支える与謝野晶子に酷似している小倉清三郎の妻・小倉ミチヨ
阿部定さんを観察し、『構成途中にある独房の阿部定隣室観察十日間』の記録を残したのも、言うまでもありませんがは小倉清三郎さんではなく、妻の小倉ミチヨさんだったのでした。
一方で、小倉ミチヨさんも闘えども生活が貧困の連続であり、、そのために子供まで失う生活の中、それでも論文を書き続けるだけの夫・小倉清三郎に腹立ち、心は傷つき、1939年からは夫とは別居していたようです。
夫問題が多発するこの時代。
1941年には夫・小倉清三郎さんが妻・小倉ミチヨさんの家に立ち寄った際に脳梗塞で死亡する、という状況(汗)。以後妻小倉ミチコさんが『相対』を引き継ぎ1944年まで続けたそうです。戦後にはそれも復刻の活動をしていたということです。
なぜか漂う残念感。
小倉清三郎さんという人はどこか与謝野鉄幹さんとかなり似ているものがあり、同じく苦労する妻がいる構図です。
◆与謝野晶子は代表作『みだれ髪』も後世の女性への激励の意味で出版したのではないか?(仮説)同性への名言 画像
与謝野晶子さんという人は
やっぱり立派な女性だなと思うのです。
大正5年(与謝野晶子38歳)の時には平塚らいてう女史との間で「母性保護論争」が勃発し、大正8年に至るまで完全に衝突していきます。
平塚らいてう女史はこんな人↓
とてもきれいな女性です。
争いの焦点としては、「国家が母親に対してとるべき姿勢」に関する問題。これは、今まさに日本でも引き続き問題となり続けてきている話でもありました。
たぶん男性からすると当時から興味もなく愉快ではない論争だったと思いますが。
意外と女性の敵は
いつも女性になってくる
平塚らいてうの立場はこうです。
育児は社会にとっても重要な仕事であるので、国家による母性の経済的保護は当然である。
他方、与謝野晶子の立場はこうです。
国家に頼らず女性が自分の力で経済的に独立する事が大切である。
平和な時代であれば両者の意見は共に理解出来ますが、いざ戦時体制国家に移行した場合、国家による経済的保護を受けた状態では、子供を戦争にとられる親として、反戦を訴えるなど、国家体制に反対する事は出来る立場ではなくなることを考えると、与謝野晶子のとらんとした立場の意味合いが理解出来ます。
これだけだと
ちょっとニュアンスが違ってくるので再度。
平塚らいてうが「妊娠・出産に対して国家は女性を保護すべきだ」と主張したのに対して与謝野晶子さんが主張した言葉はこうです。
婦人は如何なる場合にも依頼主義を採ってはならないと思います。
―与謝野晶子
まさにおしん!(笑)
最終的に国家と言えど、頼りになるのか分からないものへ期待をして重心を置いては、子供たちを守り切ることは出来ない。
子供を守り抜くのに最も大事なのは、母親自身が自分の足で立つことなのだ、それを女性は絶対に忘れてはならない。
そういうメッセージだったのです。
与謝野晶子さんは女性の自立を促しています。
やっぱり、
女性としてある種の失望感があった印象。
ここまでの話を追っていくと、与謝野晶子さんが生きづらい時代に生まれてきた女性たちに向けて、また、その思想をおそらく引きずっていくことを強いられる後世の女性たちに向けても
女性の感性の解放と、そのうえでしあわせに女性が時代を生きていける為の、「自立を促す思想」の発信をたくさんされていることが分かります。
『みだれ髪』も
不自由な女性に対する
精神の解放運動だったのではないか
そんな風に思えてなりません。そう考えると今この時代に生きている女性達は皆、時代を超えて、与謝野晶子さんからの愛情を受け取れることができるということなのだと思います。
女性は
『みだれ髪』を通して
与謝野晶子さんの愛を今も受け取れる!
壮大な愛とロマンです。
◆与謝野晶子と与謝野鉄幹夫妻の『みだれ髪』は美空ひばりの名曲やNHKドラマ小説にもなった。
まさに時代を超えた女性同士のコラボに感動!というところなのですが、美空ひばりさんが「みだれ髪」を歌い上げます。1987年の12月にシングルとして発売されました。美空ひばりさんにとって、闘病後の再起にかける新曲でした。
『みだれ髪』作詞:星野哲郎、作曲:船村徹、編曲:南郷達也
この曲の舞台となったのは福島県いわき市平薄磯地区に建つ塩屋埼灯台ということなのですが、実は与謝野鉄幹さん、与謝野晶子さんご夫妻も灯台には縁があります。
福島県いわき市平薄磯地区に建つ塩屋埼灯台を舞台にした楽曲であり、塩屋埼にはひばりの記念石碑が建っている。
1987年夏、特発性大腿骨頭壊死症を理由に長期入院を余儀なくされていたひばりが退院して、病からの復帰第一作としてレコーディングした楽曲である。このレコーディングはオーケストラ含め、伴奏は一発録りで行われた。
ひばり自身は「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」というくだりがお気に入りだったという。
当初星野が書いた「祈る女の性かなし」は、消そうとされたものの、ひばりが星野に「今の私は『祈る』という言葉を大事にしたい」と申し出た事により、そのまま2番の歌詞に採用された。
与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻の歌碑
1930年に与謝野鉄幹さん・与謝野晶子さん夫妻が訪れたのは地蔵埼というところの灯台でした。夫妻が残した歌が今も灯台施設前の石碑に記されています。
◆与謝野晶子と与謝野鉄幹夫妻の『みだれ髪』は小説やNHKドラマにもなった!?画像
1967年『みだれ髪』は小説のタイトルとなって出版されていたようです。著者は和田芳恵さんという方です。この本の内容詳細は不明ですが、どうやら与謝野晶子さんの人生についての小説のようです。
また、NHKのドラマにも『みだれ髪』は登場しました。与謝野晶子さんの人生をドラマにしたものです。
◆与謝野晶子が『みだれ髪』を「若い頃の駄作ばかりの歌集」と酷評。後世に送る愛~有名な短歌代表作品をみてみよう!
与謝野晶子さんがその生涯で詠んだ短歌は5万首に及ぶという話です。
『みだれ髪』は
若い頃の駄作ばかりの歌集。
代表作として名高い『みだれ髪』でしたが、与謝野晶子さん自身の後年の評価としては「若い頃の駄作ばかりの歌集」に過ぎず、昭和13年に自撰の歌集『与謝野晶子歌集』には僅か14首しか採用しなかったという事です。
嘘の時代の作を今日も人からとやかくと云はれがちなのは迷惑至極である
引用元:産経新聞
あとがきにも与謝野晶子さんはこのように書かれているようです。
多くの苦難に満ちた結婚生活を経て、若かりし頃の与謝野鉄幹さんへの衝動的な「愛」に対する評価が変わっていったということなのかもしれません。
愛というものの概念は
年齢と共に変わっていく。
まさに、恋は盲目であり、恋から醒めた与謝野晶子さんも後年は存在したようです。しかし、ご本人の評価とは裏腹に、鮮やかな歌は現代でも大変人気があります。
◆与謝野晶子の代表作歌集『みだれ髪』人気の代表短歌「その子二十」「なにとなく」現代語の意味と解釈
与謝野晶子さんの代表的な歌集『みだれ髪』の中でも特に人気の高い二首をまずご紹介します。
現代語の意味解説>何となくあなたが待ってるような気がして、花の咲き乱れる野原にやって来てたら月の美しい上弦の月の夕暮れでしたよ。
現代語の意味解説>その女は今、まさに二十歳。髪をとかせば櫛に流れるようにゆらぐ黒髪のその誇りに満ちた青春の何と美しいことよ。
その子二十~の方の歌は特にたくさんの歌の中でも愛された一首のようです。
歌の中に鮮やかな女性の若々しさと生命力、青春といった真っすぐな美しさを堂々と歌い上げ、後から詠むとその女性にとって人生でたった一瞬の時代である、刹那的な美しさへの懐かしみさえ感じる歌になっています。
◆与謝野晶子の代表作歌集『みだれ髪』人気の代表短歌「桜」と『恋衣』の「銀杏」現代語の意味と解釈
教科書にも採用されている二首ですが、大人になってから詠むとますますこの歌の新しい美しさに気づくような素晴らしい表現です。
現代語の意味解説>清水寺(きよみずでら)に行こうと祇園を通り過ぎる、この桜咲く月夜。今夜すれ違う人は、みな、なんて美しいのでしょう。
与謝野晶子さんはとても桜を愛して謳った歌人でもあります。与謝野晶子さんの最後の歌集は『白桜集』という名前が付けられています。また、与謝野家の家紋も桜を象ったものだということです。
2019年1月、この桜は与謝野晶子さんの終焉の地、東京の杉並にも植えられています。
画像:朝日新聞
現代語の意味解説>金色の鳥のような形の銀杏の葉が夕日をうけ、きらきらと輝いて舞い降りるように岡の上に散ってゆきます。
与謝野晶子さんの歌には「色彩」と「情景」がはっきりと鮮やかに映像化されて、言葉が映画のようなドラマチックなシーンを再現します。
たくさんあるので紹介しきれませんが、特に私がきれいな歌だなあと思うものを最後に主観でご紹介します。日本語の言葉に生まれて本当によかった!
こんなに美しい。
綺麗な言葉に出会うと「血がキレイになる」と言っていた俳句の夏井いつきさんの気持ちがとてもよくわかります。
大空の 月の中より君来しや ひるも光りぬ 夜も光りぬ
今夜は素敵な夜になりそうです。
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