自然葬・海洋散骨・樹木葬の有名人芸能人、著名人!場所とその想いとは?

現代社会が抱えている少子高齢化と地方の過疎化による「墓の維持」問題で、今大注目されているのが「自然葬」と言われる散骨・樹木葬などの故人の葬り方です。私自身も以前から散骨を希望してきているため、今回はそうした方法で葬られた方々について調べました。

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  1. ◆自然葬祭(山林散骨)/歴史的人物【第53代 淳和天皇】は日本で最も高い場所に散骨された有名人!?
  2. ◆自然葬祭(山林散骨?)/著名人・小説家【三島由紀夫】の生前の希望は富士山麓だった!
  3. ◆自然葬祭(樹木葬)/有名芸能人女優・市原悦子・夫で演出家の塩見哲は寄り添いながら眠る
  4. ◆自然葬祭(ストロベリー・フィールズ散骨)/著名人・歌手【ジョン・レノン】は妻・オノヨーコによりセントラルパークへ
  5. ◆自然葬祭(湖散骨)/有名人・女優【ヴィヴィアン・リー】はミル湖で眠る
  6. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手 「ボヘミアン・ラプソティ」を遺したQUEENの【フレディー・マーキュリー】は生前最後に暮らしていたスイスのレマン湖畔へ眠る?
  7. ◆自然葬祭(河川散骨)/芸能人・俳優【天本英世】はスペインのグアダルキビール川源流へ
  8. ◆自然葬祭(河川散骨)/有名人・歌手【ジョージ・ハリスン】はインド・ガンジス川聖地アラハバードへ
  9. ◆自然葬祭(河川散骨を希望)/歴史的人物・浄土真宗 宗祖【親鸞】は弟子に散骨してもらえなかった!?
  10. ◆自然葬祭(河川・海洋散骨)/著名人・非暴力運動指導者・インド独立の父【マハトマ・ガンジー】はインドのガンジス河、ヤムナー河、南アフリカの海インド洋へ還った
  11. ◆自然葬祭(空中大地散骨?河川散骨?)/著名人・【ジャワハルラール・ネルー】はインドの大地の一部になることを望んでいた。
  12. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸人・コメディアン【荒井注】はオーストラリアのケアンズ沖へ
  13. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・理論物理学者【アルベルト・アインシュタイン】はアメリカデラウィア沖へ
  14. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・プロウィンドサーファー【飯島直樹】はハワイの海へ。妻はハワイ散骨クルーズツアー事業を開始
  15. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【石原裕次郎】は兄・石原慎太郎の熱意で他界して4年後に相模湾(湘南の海へ
  16. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・作曲家【いずみたく】は自身の名曲「見上げてごらん夜の星を」と共に相模湾(湘南沖)へ
  17. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・ハワイアン歌手【イズラエル・カマカヴィヴォオレ】は愛するハワイの海へ
  18. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・作曲家【エドウィン・O・ライシャワー】は日米の懸け橋として太平洋へ
  19. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・女優【乙羽信子】映画監督【新藤兼人】は18年後に広島県の海で夫婦再会を果たす
  20. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【勝新太郎】は妻・中村玉緒によりハワイワイキキの海へ
  21. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・女優【沢村貞子】は馴染みの相模湾(湘南)へ
  22. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手【ジャック・マイヨール】はイタリアだけでなく日本、世界中の海へ!?
  23. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手【ジャニス・ジョップリン】はカリフォルニア州スティンソン海岸沖の太平洋へ
  24. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・政治家【ジョン・F・ケネディ・Jr.(JFK Jr.)】は妻と共に最期の地マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード沖へ
  25. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・落語家7代目【立川談志】はハワイのハナウマ湾、ダンシビーチなどへ
  26. ◆自然葬祭(散骨希望)/有名人・歌手【デヴィッド・ボウイ】はインドネシアバリ島へまいて貰うことを遺言
  27. ◆自然葬祭(自宅散骨/海洋散骨)/著名人・作家【中島らも】は無常観と共に生き、ほんとうの「無」へ向かうことを望んだ
  28. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・元死刑囚・小説家【永山則夫】は故郷オホーツク海へ
  29. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・芸能リポーター【梨元勝】は「恐縮です。」の合言葉と同じ名前のクルーザーから思い出の東京湾へ
  30. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【萩原流行】は愛する妻の手で湘南の海へ
  31. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【X-JAPAN hide】はアメリカ・サンタモニカの海に眠る
  32. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・歌手【深浦加奈子】は両親に見送られ逗子の海へ
  33. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・歌手【藤圭子】は娘・宇多田ヒカルに光を託して海へ
  34. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・囲碁棋士【藤沢秀行】は山口県の大津島沖周防灘へ
  35. ◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・ソプラノ歌手【マリア・カラス】は歌声と共に故郷ギリシャエーゲ海へ
  36. ◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【安岡力也】は大事に育てた長男の手でハワイの海へ
  37. ◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・評論家【山本七平】は『日本人とユダヤ人』の名前の通り、日本とイスラエルに眠る
  38. ◆自然葬祭(海洋散骨・競艇場散骨)/お笑い芸人【横山やすし】は愛する広島宮島競艇場、厳島神社に散骨された
  39. 自然葬祭(海洋散骨)/有名人・俳優【リヴァー・フェニックス】は故郷フロリダ上空から空中散骨
  40. ◆自然葬祭(その他・古城散骨)/著名人・放送作家・声優【井上瑤】は夫と共にオーストリアの古城へ散骨
  41. ◆自然葬祭(宇宙散骨?)/著名人・天文学者【クライド・ウィリアム・トンボー】は現在も宇宙を旅してる!?

◆自然葬祭(山林散骨)/歴史的人物【第53代 淳和天皇】は日本で最も高い場所に散骨された有名人!?

 

桓武天皇の第七皇子として生まれ、平安時代の天皇となった淳和天皇は、自身の意向で大原野の西山(京都府京都市西京区大原野南春日町の小塩山)の山頂へ散骨されています。

 


画像:城とか陵墓とか

 

淳和天皇(じゅんな てんのう)

●生没年:786年~840年(宝算54歳)
●第53代天皇(在位:823年~833年)
●異称:日本根子天高譲弥遠尊、西院帝
●方法:
山林散骨
●散骨場所:
京都府 大原野西山山頂/大原野西嶺上陵

●散骨エピソード:桓武天皇の第七皇子として生まれ、平安時代の天皇となった淳和天皇は、自身意向で遺骨は火葬された後、大原野の西山の山頂へ散骨されました。これは平安時代の歴史書『続日本後紀 巻第九』に記録が残っているようです。

日本の歴代天皇の中で唯一、散骨を行った人物でもあります。散骨自体は一般人ではさほど珍しいことではなかったようです。桓武天皇は薄葬思想が相当強かったといわれており、崩御間際にこのような遺言を残されていたそうです。

 

「大原野の山にて散骨をし、陵を作る必要はない。」

そのため、この遺言の言葉通り山頂で散骨したのみで御陵は造営されなかった為、幕末までは淳和天皇の御陵というものはなく、おおよその場所しか分かっていなかったようです。

 

しかし、現在は淳和天皇陵もできていました!

 


画像:城とか陵墓とか

 

淳和天皇陵「大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ)

陵形:楕円墳

 

しかし、幕末の尊王思想の影響から文久年間に全ての天皇陵について整備、もしくは整備という名の新造がされたのです。この淳和天皇陵もその新造陵墓の一つでした。

引用元:城とか陵墓とか

 

 


画像:城とか陵墓とか

 

こちらの「大原野西嶺上陵」御陵めぐりが趣味の方のブログを拝見したところ、歴代天皇の陵墓の中でもこの陵墓へ行くのはとっても大変なようです。

 

全陵墓の中でも最難関中の最難関、「トップ オブ ザ・最難関」でございます。
というのも、この御陵がある小塩山、なんと標高642m!!
(中略)

「な~んだ、642mか( ´,_ゝ`)」と高を括っていたんですが、問題は標高ではなく、「比高(平地からの高さ)」なのだということを思い知らされました。

しかも、車では登れないというオマケ付。

引用元:城とか陵墓とか

 

ここを参拝出来たら、他の陵墓どこでも行けるほど厳しい道のりのようですが、着いた時の喜びもとても大きいようです。

 

元々、日本最古の歌集と言われている万葉集』にもいくつか散骨にまつわる情景を詠んだ歌もあります。

 

秋津野の人のかくれば朝撒きし 君が思ほえて嘆きは止まず

(秋津野という地名を人が口にすると、朝、散骨した君を思い出して、涙がとまらないです。)
 
 

日本の最古の歌集にも記されているほど、遺灰を撒く散骨という慣習は古くから人を弔う埋葬方法として一般的に行われてきたことが分かります。

 

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◆自然葬祭(山林散骨?)/著名人・小説家【三島由紀夫】の生前の希望は富士山麓だった!

 

小説家の三島由紀夫さんは、生前、自分の遺骨を海が見える富士山麓に埋めてほしい山林散骨を望んでおり、あらかじめ分骨はされていたという話です。

 


画像:pinterest.jp

 

三島由紀夫(みしま ゆきお)

●生没年:1925年~1970年(享年45歳)
職業等:小説家
●方法:多磨墓地、山林散骨?
●散骨場所
海が見える富士山麓?/多磨墓地に納骨

 

●散骨エピソード三島由紀夫氏が生前に望んでいた海が見える富士山麓への散骨が実際行われたかどうかは不明であり、また、あらかじめ分骨されていた分が、1971年に盗まれた多磨霊園に埋葬された遺骨と別に存在したのかどうかも不明です。しかし、あらかじめ分骨されていた、という話から生前の希望通りに散骨が実現した可能性もあります。

 

多磨墓地から盗まれた遺骨については、事件から約2か月半後、墓から約40m離れた盛土の中から無事骨壺に入ったままの状態見つかっているそうです。現在も多磨墓地内にお墓があるそうです。

 

◆自然葬祭(樹木葬)/有名芸能人女優・市原悦子・夫で演出家の塩見哲は寄り添いながら眠る

 

2019年1月に他界された女優の市原悦子さん(享年82歳)も、生前からご本人の意思で「樹木葬」を希望していました。

 


画像:毎日新聞

 

有名芸能人の「樹木葬」はまだ多くないため話題となりました。

 

市原悦子(いちはら えつこ)

●生没年:1936年~2019年(享年82歳)
職業等:女優
●方法樹木葬
●散骨場所
千葉県袖ケ浦市のお寺の樹木葬墓地

 

●散骨エピソード市原悦子さんが生前から「樹木葬」を希望されていた理由としては、2014年に先に他界されていた夫で演出家の塩見哲さん(享年80歳)が関東近郊のお寺にある樹木の元に眠っているという経緯があったようです。

 

2014年に夫の塩見哲さんが亡くなった際に市原悦子さんは

 

コンクリートの下に眠らせるのはかわいそう。自然に返してあげたい。
引用元:AERA.dot

 

と語っていたと言われています。そして、市原悦子さん自身も自らその場所を安息の地として生前から決めていたそうです。市原悦子さんご本人も「緑の中で静かに眠りたい」「狭いコンクリートの中の骨壺で眠るのは嫌」という気持ちを生前に語られていたようです。

 


画像:AERA.dot

 

1999年に初めて許可されたという「樹木葬」は、ここ数年特に大変注目されており、新たな供養の方法として「樹木葬」を行える場所も徐々に増えてきているようです。

 


画像:スポーツ報知

 

市原悦子さんはこれまでの闘病生活を支えて続けていた、姪の久美さん(54)への最後の言葉としてこのようなことを言ったそうです。

 

塩見のお墓の隣に埋めてくれれば、なお、なお、なお、なおうれしい。

引用元:AERA.dot

 

市原悦子さんの希望通り、市原悦子さんの遺骨は塩見哲さんの隣にくっつくようにして納骨されたそうで、プレートにはご夫婦お二人のお名前が刻まれているそうです。
夫のそばで眠りたかった市原悦子さんの笑顔が思い浮かぶようです。

 

◆自然葬祭(ストロベリー・フィールズ散骨)/著名人・歌手【ジョン・レノン】は妻・オノヨーコによりセントラルパークへ

 

「ザ・ビートルズ」のボーカル、ギター、作詞作曲を担当し、ソロになってからも数々の名作を世に送り出し、日本にも熱狂的なファンをたくさん作ったジョン・レノンさんですが、実はジョン・レノンさんの墓の所在は明らかになっていません。

しかし、その遺灰の一部は妻であるオノ・ヨーコさんによって散骨されているようです。

 


画像:estorypost.com

 

実際は遺灰がどこにあるのかもわからないというのが事実です。あまりにもファンが世界中にたくさんいたことや、その死が元ファンを名乗る男に射殺されたということもあり、お墓が埋葬後に掘り返される危険があることから、公表されていません。

 

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(イギリス)

●生没年:1940年~1980年(享年40歳)
職業等:ミュージシャン、シンガーソングライター(元「ザ・ビートルズ」)
●方法散骨葬
●散骨場所
セントラルパーク内、ビートルズの名曲「ストロベリーフィールズフォーエバー」にちなんで名付けられた記念エリア

 

 


画像:rockinon.com

 

名曲『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』

 

●散骨エピソード:情報によると、妻で芸術家のオノ・ヨーコさんのお話で、「自宅であったダコタ・ハウス近くのセントラルパーク・ストロベリー・フィールズに遺灰を撒いた」というものがあるようで、そこへ少なくとも一部は散骨されたと言われています。

 


画像:Wikipedia

 

ファンが現在、ジョン・レノンさんを偲んで訪れる場所はセントラルパーク内のストロベリー・フィールズにあるイマジンの碑となっているようです。

 

また、名曲『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』のイメージの元になったのはジョン・レノンさんが幼少期に暮らしていたリヴァプール郊外の家の近くにあった救世軍が運営する戦争孤児の為の「ストロベリー・フィールド孤児院」だったということです。

現在はその姿は「学習障害を持つ若者たちのための研修施設」となっているようですが昔からビートルズ・ファンの訪問が絶えない場所となっているようです。

 

◆自然葬祭(湖散骨)/有名人・女優【ヴィヴィアン・リー】はミル湖で眠る

 

名作『風と共に去りぬ』の主演女優として現在でも世界中の女性の憧れとして存在しているヴィヴィアン・リーさんも遺灰はなんとへ散骨されています。

 


画像:cahiersdemode.com

 

ヴィヴィアン・リー(イギリス)

●生没年:1913年~1967年(享年53歳)
職業等:女優
●方法湖散骨
●散骨場所
イギリス ロンドン南部ティッカレジ・ミル湖

 

●散骨エピソードヴィヴィアン・リー生前からイギリス・ロンドン南部ティッカレジ・ミル湖への散骨を希望していたそうです。

 

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白鳥の湖のようなエピソードです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手 「ボヘミアン・ラプソティ」を遺したQUEENの【フレディー・マーキュリー】は生前最後に暮らしていたスイスのレマン湖畔へ眠る?

 

同じく、湖へ眠ったとされる有名人がもう一人いました。

「ボヘミアン・ラプソディ」でも近年再注目されたロックバンドである「QUEEN」の天才的ボーカリスト・フレディ・マーキュリーさんです。フレディ・マーキュリーさんは45歳の若さで亡くなったあと、遺言により火葬され、一部は湖へ散骨されたという情報があります。

 


画像:カケハシ・レコード

 

フレディ・マーキュリー(イギリス)

●生没年:1946年~1991年(45歳)
●職業等:ロック歌手「QUEEN」ボーカリスト)
●方法湖散骨(?)/墓地埋葬(?)
●散骨場所
スイスのモントルーにあるレマン湖?/ケンザル・グリーン霊園(現在不明)

 

●散骨エピソード:イギリスの伝説のロックバンド「QUEEN」のボーカル、フレディ・マーキュリーさんの遺骨はフレディさんの遺言により遺族によって火葬され、遺骨は生前に交際したこともあり、生涯の友人だったメアリー・オースティンさんのみが知る場所に埋葬されたと言われていました。

また、その遺骨の一部なのか、フレディさんの遺言により、遺灰が生前暮らしていたスイスのモントルーにあるレマン湖に撒かれたという情報もあります。

 

 


画像:https://tyana.exblog.jp/11465781/

 

レマン湖の畔にはフレディさんの銅像もあるそうです。

 

しかし、その後2013年頃になって『デイリー・ミラー』紙ではロンドンのケンザル・グリーン霊園にてフレディ・マーキュリーさんの墓誌が見つかったという話になっていました。墓誌に記された年月日はいずれもフレディさんの生年月日と合致していたそうです。

 

 


画像:https://cc-kochi.xii.jp/sonota/freddie.html

 

小ぶりな塔のような墓碑に同じ場所に散骨されたほかの人々の金属板の墓誌がいくつも貼りつけられてある作りになっていて、そこにフレディの本名であるファルーク・バルサラと記され、フレディの生年月日と歿日が記された墓誌の銘板が発見されていた。しかし、ここにきてその墓誌となっている銘板が取り外されてしまったという。

引用元:rockinon.com

 

 

取り外されてしまったとされる墓誌にはメアリー・オースティンさんが施したものだとされるフレディを偲ぶ一文が添えられていたそうです。

 

 

ファルーク・バルサラの愛しい思い出に。Pour Etre Toujours Pres De Toi Avec Tout Mon Amour (わたしのすべての愛情をもっていつまでもあなたの近くにいるために) M.

引用元:rockinon.com

 

 

そして、メアリー・オースティンさんは、かつてフレディさんがどこに埋葬されたのかという話について、フレディとは臨終の際に遺灰の埋葬先について公表しない旨約束をした為、明かすつもりはないと語っていました。

 


画像:https://haveagood.holiday/plans/54122

 

ですから、ここからは推測となりますが、遺骨については一部は墓地に埋葬され、残りのうち少なくとも一部ははスイスのレマン湖へ散骨されたと考えるのが自然かと思われます。

 

フレディ・マーキュリーさんがHIVを罹患し、闘病生活の中、生涯最期にレコーディングをし、歌声を残したのがレマン湖畔のモントルーのスタジオだったそうです。モントルーを大変気に入ったフレディ・マーキュリーさんは購入したスタジオで最後の7作品を遺したと言われています。

 


画像:https://tyana.exblog.jp/11465781/

 

僕はいつも自分自身に対して
正直であると感じていたいし、生きている限りは人生を大いに楽しみたいんだ。

ーフレディ・マーキュリー

 

また、フレディ・マーキュリーさんが生前に残した遺言には「QUEEN」でもっとも売れた曲である「ボヘミアン・ラプソディ」の印税の事も語られていたようです。

 

フレディ・マーキュリーさんの死因はHIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎だったこともあり、フレディ・マーキュリーさんは生前、エイズという病気と闘ってこられました。そうした経緯から、エイズ基金「テレンス・ヒギンズ・トラスト」「ボヘミアン・ラプソディ」の印税が寄付されるよう遺言を遺したようです。

 

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◆自然葬祭(河川散骨)/芸能人・俳優【天本英世】はスペインのグアダルキビール川源流へ

 

個性的な演技とバラエティ番組での自然体の受け答えに味わいがあった俳優の天本英世さんの遺骨は生前から大好きだったスペインの川へ散骨されたようです。

 


画像:NHK

 

天本英世(あまもと ひでよ)

●生没年:1926年~2003年(享年77歳)
職業等:俳優
●方法河川散骨
●散骨場所
スペイン・アンダルシア州グアダルキビール川源流

 

●散骨エピソード天本英世さんはスペインを非常に愛していたため生前から移住したいと言っており、さらに自身の著書にスペイン・アンダルシア地方のグアダルキビール川への散骨を遺言として残していたようです。没後2年で希望を知っていた友人により遺灰の一部が散骨されたそうです。

 

◆自然葬祭(河川散骨)/有名人・歌手【ジョージ・ハリスン】はインド・ガンジス川聖地アラハバードへ

 

1960年には世界的な人気を誇ったイギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」のギタリストとして活躍をしたジョージ・ハリスンさんもまた、生前から散骨を望んでいた一人でした。

 


画像:universal-music

 

ジョージ・ハリスン(イギリス)

●生没年:1943年~2001年(享年58歳)
職業等:作曲家、ミュージシャン(元ザ・ビートルズのギタリスト)
●方法河川散骨
●散骨場所
:インド ガンジス河、聖地アラハバード(ガンジス河とヤムナ河が交わる部分)

 

●散骨エピソード:1960年代後半からインド文化やヒンズー教などに傾倒していったジョージ・ハリスン本人の生前に残した遺言により、死後ロサンゼルスで火葬されたあと、ガンジス河に遺灰を散骨されました。さらに、聖地アラハバード(ガンジス河とヤムナ河が交わる部分)にも遺灰の一部が散骨されたそうです。後述のマハトマ・ガンディーさんと同じ場所ということになります。

 


画像:https://reminder.top/611254746/

 

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余談ですが、私はビートルズの中ではジョージ・ハリスンが好きですw

 

◆自然葬祭(河川散骨を希望)/歴史的人物・浄土真宗 宗祖【親鸞】は弟子に散骨してもらえなかった!?

 

鎌倉時代前半から中期にかけての日本で活躍した浄土真宗の宗祖とされる親鸞は生前から大勢のお弟子さんがいるにもかかわらず、盛大な葬儀や立派なお墓は自分には必要ないみな仏さまの弟子であり、私の弟子ではないと語るほど己を特別視されたり、カリスマ化されることを嫌い、死後も散骨を望んでいました。

 


画像:http://inoue-bukkou.com/ownerblog/2431/

 

親鸞(しんらん)

●生没年:1173年~1263年(享年89歳)
職業等:浄土真宗の宗祖
●方法河川散骨(生前の希望)
●散骨場所
京都の加茂川(生前の希望)
※実際は鳥部野南辺の「延仁寺」への納骨、東国布教の聖地である「稲田の草庵」へなど諸説あり。

 

●入滅エピソード『改邪鈔』という書物によると、浄土真宗の宗祖・親鸞は自身の死後の遺体は「京都の加茂川に流してほしい、川の魚に食べてもらえばいい。」と語っていたそうです。このお話を聞くと、小野小町の最後の歌とされるものを思い出してしまいます。

 

我死なば 焼くな 埋ずむな 野にさらせ
痩せたる犬の腹を肥やせよ

(現代語訳)自分が死んだら、焼いたり埋めたりせずに野に放ってください。やせ細った犬の腹の足しにでもなれば私は本望です。

 

小野小町の晩年についてはこちら↓

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今回は絶世の美女・小野小町の壮絶な最期に迫ります。無常感たっぷりの小野小町の最期ですが、「九相図」を残すなど、独特なお話もあります。お墓についても調べてみました。その昔その時代で最もキラキラしていた小野小町の最期からもカケラをいただきましょう♪

 

散骨してもらえなかった!

 

1263年、親鸞は押小路南万里小路東にある実弟の尋有が院主である善法院にて、行年90(満89歳)をもって入滅したとされています。しかし、親鸞の願いは叶わず、ご遺体が加茂川に流されることはなかったとされています。

 


画像:Wikipedia

 

臨終には、親鸞の弟の尋有、末娘の覚信尼らが看取ったとされ、その遺骨は、親鸞の曾孫で本願寺第三世の覚如の『御伝鈔』によると「鳥部野(とりべの)の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」と記されている。一方では頂骨(ろちょうこつ)と遺品の多くは弟子の善性らにより、東国布教の聖地である「稲田の草庵」に納められたとも伝えられているようです。

 

流罪より生涯に渡り、非僧非俗の立場を貫いたとされています。

 

親鸞の希望は叶わなかったようですが、生前の生き様で、最後に人は何も現世で得た評価や財産などは持って行けず、ただ肉体は等しく大自然の一部に還り、心はお浄土に還っていくということを示されようとしたのかもしれません。

 

自身が死んだときの肉体でさえ、生きようとする他の命の役に立てば本望というところが「金ピカ葬儀」に感じる現世への執着と異なり、潔さという美意識の高さを感じます。

しかし何故?弟子は散骨してあげなかったのでしょうか?

 

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どなたか詳しい方がいたら教えてください(笑)。

 
 

◆自然葬祭(河川・海洋散骨)/著名人・非暴力運動指導者・インド独立の父【マハトマ・ガンジー】はインドのガンジス河、ヤムナー河、南アフリカの海インド洋へ還った

 

「インド独立の父」と呼ばれ、「不服従運動」「非暴力主義」で独立運動を指導したマハトマ・ガンディーさんは家族や支持者の元、ヤムナー河ガンジス河と南アフリカのインド洋へ散骨をされています。

 


画像:grapefruitmoon.info

 

「非暴力と不服従」を提唱し、イギリスからのインド独立運動を指揮

 

マハトマ・ガンディー(イギリス領インド帝国)

●生没年:1869年~1948年(享年78歳)
職業等:インド独立の父・非暴力運動指導者・弁護士
●方法河川散骨・海洋散骨
●散骨場所
インドのヤムナー河とガンジス河/南アフリカ共和国のダーバン沖(インド洋)

 

●散骨エピソードマハトマ・ガンディーさんの遺骨は国葬が行われた後、遺灰は家族や友人、支持者らに分骨され、インドのガンジス川とその支流であるヤムナー川に散骨されました。当時、ガンジス河ヤムナー河の合流点で行われた流骨式には100万人もの人々が集まったと言われています。

また、没後62年にマハトマ・ガンディーさんが生前弁護士として人種差別に反対し、政治活動を行っていた南アフリカ共和国ダーバン沖(インド洋)にも遺灰が散骨されています。

 

 

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

―マハトマ・ガンディー

 


画像:http://bddnews.com/post/20171107_15319/

 

 

余談ですが、ヤムナー川では、1972年日本航空ニューデリー墜落事故で犠牲となった日本人女性の遺骨も火葬後散骨されたことがあるそうです。

 

マハトマ・ガンディーさんには金融資産も不動産もなく、持っていた個人資産は以下のものだけだったそうです。

 

●一冊の『バガヴァッド・ギーター』(韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつ)
●インド綿布のぞうり
眼鏡入れ歯
竹の杖
糸車。毎日これで糸を紡ぎ「働かない日に食べるパンは、盗んだパンである」という信条を実践した。(勤労しない生き方は盗人だという基本指針)
三猿の像。(いわゆる「見ざる言わざる聞かざる」の像で日本人から貰ったものらしい)
●インガーソルの懐中時計。(人との約束の時間に遅れないため、紐で首にかけていた。)
携帯用便器。(インドの衛生状態の不備を憂慮するガンジーがいかに衛生を重んじているかを示す意味があった。)
●食事のための乳をとるヤギが1匹。
●習字用の鉛筆と、古い封筒を切り開いた練習用紙

参考:Wikipedia

 
 
そしてガンディーさんはインドを貧しくするものとして、
「鉄道」「弁護士」「医師」を挙げ、西洋文明を批判。
 
 


画像:https://lineblog.me/samuelmama1200/archives/1579232.html

 

マハトマ・ガンディーさんは鉄道はペストを広げるもの弁護士は争いを大きくしようとするもの西洋医学は人々の節制と自己治癒力を妨げるものと批判していたそうです。私たちが普段何も考えることなく「普通に」暮らしている生活にも、立ち止まって振り返る必要性を考えさせられる言葉です。

 

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◆自然葬祭(空中大地散骨?河川散骨?)/著名人・【ジャワハルラール・ネルー】はインドの大地の一部になることを望んでいた。

 

マハトマ・ガンディーさんと共にインド独立運動へ身を捧げ最も著名な指導者となりました。1947年にインド独立を達成し、初代首相となったジャワハルラール・ネルーさんは「インドの大地の一部になりたい」という遺言を遺していました。

 


画像:http://teemakes.com/jawaharlal-nehru/

 

ジャワハルラール・ネルー(イギリス領インド)

●生没年:1889年~1964年(享年74歳)
職業等:インド初代首相、インド国会議員議長
●方法墓地埋葬/空中大地散骨(?)/河川散骨(?)
●散骨場所
シャンティ・ヴァナ(墓地)/ガンジス河(?)

 

●散骨エピソードジャワハルラール・ネルーさんは、インド首相としての在任中に心臓発作で死去しています。遺体は火葬された後、墓として建立されたシャンティ・ヴァナへ埋葬されたようです。

また、ジャワハルラール・ネルーさんは生前から「空からの散骨によって土や塵とともに降り注ぎ、インドの大地の一部になりたい」という遺言を残していました。しかし、情報では共にインド独立に奮闘したマハトマ・ガンディーさんと同じくガンジス河へ散骨されたという情報もあります。

 

 

ちなみに・・・

ジャワハルラール・ネルーさんは1949年に東京の上野動物園へインドからゾウを贈ってくれた方でもあります。

 

 

戦争の影響で「ゾウのいない動物園」であった東京・上野動物園にゾウが贈られました。

 

「日本の子供たちにゾウを見せてあげたい」と1頭のゾウを上野動物園に寄贈することを申し出る。このゾウには「インディラ」(ネルーの愛娘と同じ名前であり、彼が愛したインドの国の名そのもの)と名付けられ、1949年9月に上野動物園に到着、1983年に死亡するまで上野動物園のシンボルとして子供達に愛された。

引用元:Wikipedia

 

私も子供の頃みました!(笑)

 


画像:https://oreno-trend.biz/2018/12/20/ochiaishogo-zo-indira/

 

 

余談ですが、インドの国会議事堂の右にはマハトマ・ガンディーさん、左にはジャワハルラール・ネルーさんの肖像画が掲げられているそうなのですが、正面は?というとインドの英雄・チャンドラ・ボースさんという方のものが掲げられています。この方も、インド独立の運動家としてご活躍されて人です。

 

 


画像:Wikipedia

 

インドの独立の為の協力の申し出を各国が断る中、唯一申出を受諾したのが日本であり、インドと共にイギリスと闘い日本兵も多く命を落としています。しかし戦後、日本の戦犯とされる人々を裁く極東裁判において各国裁判官が有罪を宣告する中、唯一インドのパール判事だけは「日本のために戦った兵士たちは無罪である」と主張しています。

 

そのチャンドラ・ボースさんの遺骨はなんと日本に運ばれ、現在も杉並区の日蓮宗「蓮光寺」に埋葬されておりお墓もあるそうです。ジャワハルラール・ネルー首相も来日の際も、足を運んでいます。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸人・コメディアン【荒井注】はオーストラリアのケアンズ沖へ

 

2000年に行われた葬儀の際は、参列者から、荒井注さんの決め台詞であった「なんだバカヤロウ!」の声で見送られたという素敵なエピソードまである、初期ドリフターズでも人気を博した荒井注さんですが、遺灰は故人の遺志で海へ散骨されました。

 


画像:https://koimousagi.com/20592.html

 

荒井注(あらい ちゅう)

●生没年:1928年~2000年(享年71歳)
職業等:コメディアン(初期のザ・ドリフターズメンバー)、俳優、タレント
●方法海洋散骨
●散骨場所
オーストラリアのケアンズ沖

 

●散骨エピソード荒井注さんが生前に残した遺言の中には「オーストラリアのケアンズ沖の海への散骨」を希望する内容があり、実現したようです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・理論物理学者【アルベルト・アインシュタイン】はアメリカデラウィア沖へ

 

世界でもっとも有名な天才的科学者であるアインシュタイン博士もまた、海への散骨を生前から希望している一人でした。

 

 

アルベルト・アインシュタイン(ドイツ)

●生没年:1879年~1955年(享年76歳)
職業等:理論物理学者、科学者
●方法海洋散骨
●散骨場所
アメリカデラウィア沖/サンディエゴ河という説もあり(詳細は未公表)

 

●散骨エピソード:本人の強い希望により葬儀は親しい人だけで行われ、生前のアインシュタインの希望で、遺灰は遺族によりデラウィア沖へ散骨されたと言われています。散骨場所への訪問者が来ることを防止するため、散骨場所については公表されませんでした。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・プロウィンドサーファー【飯島直樹】はハワイの海へ。妻はハワイ散骨クルーズツアー事業を開始

 

日本人で唯一、8年連続でワールドカップへ出場した日本のトップウィンドサーファーの飯島直樹さんは2005年に38歳の若さで他界し、海を愛した選手として、海へ眠ることになりました。

 


画像:生き続けるための遺言

 

飯島夏樹(いいじま なつき)

●生没年:1966年~2005年(享年38歳)
職業等:プロウィンドサーファー
●方法海洋散骨
●散骨場所
ハワイの海

 

●散骨エピソード:2002年に肝細胞癌と診断されてから移住先のグアムから日本へ帰国し、2年間の闘病生活を過ごしたものの、2004年5月には余命半年と宣告され、8月にハワイへ妻と子供たち4人で移住した飯島夏樹さんでしたが2005年2月に他界。

飯島夏樹さんは愛する家族によって、遺灰をハワイの海へ散骨されました。

 


画像:ハワイに住む.net

 

最近では妻の飯島寛子さんはその経験から「ハワイ散骨クルーズ」というハワイの海に遺灰を撒くツアーのコーディネートも手掛けているようです。

 

主人の遺言は

「ハワイのような多国籍文化の中でのびのびと子育てをしてほしい」ということでしたし、私自身「冬のない場所」に住みたかったので、主人が逝った後もハワイで子供4人と生きる決意をしました。

引用元:ハワイに住むnet

 

いつも子供たちと奥さんが暮らすハワイの海で、飯島夏樹さんも家族を見守っている事でしょう。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【石原裕次郎】は兄・石原慎太郎の熱意で他界して4年後に相模湾(湘南の海へ

 

昭和のスーパースター石原裕次郎さんも海を愛する男性でした。兄である石原慎太郎さんの若くしてこの世を去った弟に対する強い思いから大好きな海へ還っています。

 


画像:amazon

 

石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)

●生没年:1934年~1987年(享年53歳)
職業等:俳優、歌手
●方法海洋散骨
●散骨場所
相模湾沖(湘南の海)

 

●散骨エピソード石原裕次郎さんが亡くなった1987年に兄の石原慎太郎さんは「海(とヨット)を愛していた弟は、海に還してあげたい」と弟が大好きだった湘南の海へ遺骨を散骨したいと考えていましたが、当時の「刑法」190条の死体損壊罪(遺骨遺棄罪)や、「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)の法解釈では死体損壊罪に問われる可能性があるとして周りが反対し、一度は断念。

 

 


画像:https://hiyake1696.com/6607/

 

しかし、1991年になり「葬送の為の祭祀で、節度をもって行われる限り違法ではない」と法務省が発表したことで、改めて奥様や兄・石原慎太郎さんの希望で一部の遺灰を相模湾へ散骨されたそうです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・作曲家【いずみたく】は自身の名曲「見上げてごらん夜の星を」と共に相模湾(湘南沖)へ

 

「手のひらを太陽に」「見上げてごらん夜の星を」「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌などの昭和の愛される名曲をこの世に送り出した作曲家のいずみたくさんは相模湾の湘南沖へ家族の手で散骨されています。

 


画像:amass.jp

 

いずみ たく

●生没年:1930年~1992年(享年62歳)
職業等:作曲家、国会議員
●方法海洋散骨
●散骨場所
相模湾(湘南)

 

●散骨エピソードいずみたくさんは生前、海が好きでヨットも好きだったことから湘南に散骨されました。家族は散骨の際、いずみたくさん作曲の名曲「見上げてごらん夜の星を」を口ずさみながら、湘南江ノ島沖へ散骨されたという事です。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・ハワイアン歌手【イズラエル・カマカヴィヴォオレ】は愛するハワイの海へ

 

現在でも大人気のハワイアン歌手イズラエル・カマカヴィヴォオレさん(愛称:IZ)も大好きなハワイの海へ散骨されました。

 


画像:https://www.discogs.com/ja/artist/476787-Israel-Kamakawiwoole

 

イズラエル・カマカヴィヴォオレ(ハワイ)

●生没年:1959年~1997年(享年38歳)
職業等:ハワイアン歌手
●方法海洋散骨
●散骨場所
ハワイの海

 

●散骨エピソードイズラエル・カマカヴィヴォオレさんはハワイのルーツと誇りを大切にし、穏やかながらも強いメッセージを込めた歌を歌ってきていたことで本当にハワイの人々に親しまれていたようです。惜しまれながらの葬儀は平日であったにもかかわらず2万人以上の人が集まったと言われており、遺灰はハワイの海に散骨されました。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・作曲家【エドウィン・O・ライシャワー】は日米の懸け橋として太平洋へ

 

東京で生まれで、東洋史研究家、ハーバード大学教授となったエドウィン・ライシャワーさんは1961年から1966年の間、駐日アメリカ大使まで務めました。彼も自分の希望で海への散骨を選んでいます。

 


画像:japaneseclass.jp

 

エドウィン・O・ライシャワー(アメリカ合衆国)

●生没年:1910年~1990年(享年80歳)
職業等:学者・駐日アメリカ大使
●方法海洋散骨
●散骨場所
太平洋(アメリカ・ラホヤ湾)

 

●散骨エピソードエドウィン・ライシャワーさんの遺灰は「日本とアメリカの架け橋になりたい」との遺言により、本人の遺志で太平洋に散骨されました。

 


画像:LINEショッピング

 

「ライシャワー事件」で有名な人!

1964年にアメリカ大使館門前で統合失調症患者によってナイフで大腿を刺され重傷を負います。そして、この時に輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました。」と発言し多くの日本人から賞賛を浴びました。

 

ところが…。

 

なんとこの輸血が原因で、ライシャワー駐日大使は肝炎になってしまいます。この事件がきっかけとなり売血問題が社会問題化、その後、輸血用血液は献血により調達されることになります。つまり、駐日大使というだけでなく、医療制度の基礎を変えた方でもあります!

精神衛生法(当時の名称)改正輸血用血液の売血廃止などへ動くきっかけとなったようです。

 

 

ライシャワーさんの二人目の妻は日本人!
(1人目の妻は急逝)

 

3ヶ月の入院を経て回復し退院し、一時は駐日大使の辞任を考えたものの、「今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう」と留任、その後も駐日大使として活躍してくださいました。

 

まさに、日本とアメリカの架け橋!

 

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◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・女優【乙羽信子】映画監督【新藤兼人】は18年後に広島県の海で夫婦再会を果たす

 

女優の乙羽信子さんと夫で映画監督の新藤兼人さんは大変なおしどり夫婦で有名なご夫婦でしたが、最期も同じ海へ散骨をされています。

 


画像:writerzlab.com

 

乙羽信子(おとわ のぶこ)

●生没年:1924年~1994年(享年70歳)
職業等:女優
●方法海洋散骨
●散骨場所
:広島県三原市宿祢島付近の海

 

新藤兼人(しんどう かねと)

●生没年:1912年~2012年(享年100歳)
職業等:映画監督
●方法海洋散骨
●散骨場所
:広島県三原市宿祢島付近の海

 

 

●散骨エピソード乙羽信子さんが主演した映画『裸の島』の撮影場所である広島県三原市宿祢島付近の海に遺骨の半分が散骨されました。

『裸の島』は夫である新藤兼人監督の代表作の1つで、新藤監督自身も先立った妻の乙羽信子の遺骨の半分が散骨された広島県三原市宿祢島付近の海に同じ箇所で散骨されました。無人島である宿祢島は遺族が購入し三原市に寄贈されています。

 

 


画像:コモレバWEB

 

乙羽信子さんの遺作は新藤監督の『午後の遺言状』になったそうです。目が悪かったと言われている新藤監督のために、乙羽信子さんは亡くなった病室に100本のきれいに削られた鉛筆を遺したそうです。

 

乙羽信子さんが老年期役を演じた『おしん』も2019年大変話題となっています↓

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画像:writerzlab.com

 

夫に遺した100本の鉛筆

 

新藤監督は妻が自分の為に遺した鉛筆について乙羽信子さんが他界した後、このように周囲に語っていたそうです。

 

乙羽くんが遺した・・・この鉛筆、全部使いきるまで、僕は脚本を書き続けるつもりなんだ。

引用元:writerzlab

 

その言葉通り、新藤監督はなんと100歳まで生き、約370本もの作品の脚本を執筆されたのだそうです。乙羽信子さんが去った後も、いつもそばにいたのが乙羽信子さんの遺した鉛筆だったようです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【勝新太郎】は妻・中村玉緒によりハワイワイキキの海へ

 

『座頭市』シリーズでの主演や豪快なキャラクターの名俳優として人気だった勝新太郎さんは妻で女優の中村玉緒さんらの手により生前より大好きだったハワイの海に散骨されています。

 


画像:music.jp

 

勝新太郎(かつ しんたろう)

●生没年:1931年~1997年(享年65歳)
職業等:俳優
●方法海洋散骨
●散骨場所
ハワイ ワイキキ沖

 

●散骨エピソード勝新太郎さんの遺骨は兄の若山富三郎さんのものと共に港区のお寺に埋葬されていると言われていますが、遺骨の一部は生前に故人の好きだったハワイのワイキキ沖へ散骨されたそうです。

 


画像:music.jp

 

勝新太郎さんの葬儀では、祭壇のセットに東京タワーが組まれる変わった葬儀で、スポーツ新聞の報道には「東京タワー葬」と表現されたそうです。

 

また、妻の中村玉緒さんは勝新太郎さんに対して「生まれ変わってもあの人と一緒になりたい」と語るほど一途な想いを貫いているそうです。色々と問題も多く苦労したに違いない妻の中村玉緒さんがそう思うのですから、勝新太郎さんという男性は私生活においてもとてもカッコイイ男性だったのだなあと感じさせます。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・女優【沢村貞子】は馴染みの相模湾(湘南)へ

 

生涯に350本以上の映画に出演し、幅広い役柄を演じることができる「名脇役女優」として活躍された沢村貞子さんも、最期は自身にとって思い入れのある海へ散骨されています。

 


画像:徹子の部屋

 

沢村貞子(さわむら さだこ)

●生没年:1908年~1996年(享年87歳)
職業等:女優、随筆家
●方法海洋散骨葬
●散骨場所
相模湾(湘南)

 

●散骨エピソード:生前の沢村貞子さんご本人の遺志により、葬儀は身内だけで行われ火葬後、遺骨は先立った夫・で映画演劇評論家だった大橋恭彦さんの遺骨と共に相模湾に散骨されたそうです。また、生前は「葬送の自由をすすめる会」の顧問を務めていたという事です。

 


画像:日本図書センター

 

沢村貞子さんが亡くなられたのは1996年8月16日ということで、丁度、世間では「お盆休み」の真っ只中だったということで、沢村貞子さんのご自宅は目の前が湘南海岸であることから、葬儀で混雑すれば海水浴客に迷惑になるというのが遺志により訃報は伏せられ近親者だけで密葬が営まれたそうです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手【ジャック・マイヨール】はイタリアだけでなく日本、世界中の海へ!?

 

1988年に公開されたジェネレーションX世代の憧れのリュック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』で描かれた主役の実際のご本人であるフリーダイバー・ジャックマイヨールさんはなんと日本の海にもその遺灰を散骨されています。

 


画像:ミドルエッジ

 

ジャック・マイヨール(フランス)

●生没年:1927年~2001年(享年74歳)
職業等:フリー・ダイバー
●方法海洋散骨葬
●散骨場所
イタリア トスカーナ湾と沖縄・与那国の海底

 

●散骨エピソードジャック・マイヨールさんは生前からの本人の遺言により、遺骨はイタリアのトスカーナ湾に散骨されました。そして、一周忌には沖縄県の・与那国の海底遺跡にも遺骨の一部が散骨されたそうです。また、一部の話では、親しかったダイバーが世界中の海へ少しずつ散骨しているという話もあります。

 


画像:amazon

 

映画『グラン・ブルー』でも象徴されるようにイルカとの関係がとても深かったジャック・マイヨールさんですが、人生で初めてイルカと関わったのはどうやら日本でのことだったようです。10歳の時に佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会ったとされており、それが人生の原点となったようです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・歌手【ジャニス・ジョップリン】はカリフォルニア州スティンソン海岸沖の太平洋へ

 

ジャニス・ジョプリンさんは1960年代を代表する優れた歌唱力のシンガーとして現在でもカリスマロックミュージシャンの一人としてその名が残っている女性です。ジャニス・ジョプリンさんの遺灰もまた、カルフォルニアの海へ撒かれました。

 


画像:個人ブログ

 

ジャニス・ジョプリン(アメリカ)

●生没年:1943年~1970年(享年27歳)
職業等:ロック歌手
●方法海洋散骨
●散骨場所
アメリカ・カリフォルニア州マリン郡スティンソン海岸沖の太平洋上空

 

●散骨エピソード遺体は火葬され、その遺灰は事件9日後、カリフォルニア州、マリン郡スティンソン海岸沖の上空から太平洋へと散骨されたそうです。

 

女性ロックシンガーとして比類ない才能を開花させていたジャニス・ジョプリンさんですが、その鮮やかな才能とは対照的に生涯を通して彼女を襲い続けた孤独感はヘロインの常用へと導きました。死因も通常のものより高純度であったヘロインが致死量を越えたことが原因であったと言われています。

 


画像:個人ブログ

 

ジャニス・ジョップリンさんの持つ名曲の数々の中でも『Piece of Heart』に映し出されるエネルギーと大きな大きな孤独感は、とてつもない大きさです。時代を超えてもなお若い時代の女性を襲い、今の時代に合わせて言えば女性をメンヘラ化を促す「何か」をとてもリアルに表現している印象がします。そして、そんなものには誰だってなりたくないという葛藤もあります。

 

大人になると、そこをうまく切り抜けられる「ケガをしない上手な転び方」を学ぶことになるわけですが、私はこの年齢になって、ちょっと思うのです。

ここまでの純度の高い感情を使って、大きく傷つきながらも食いしばって生きることが与える清らかさや勇気のようなもの、そこには無限大の価値があるなと。

 

彼女の歌声には、そうして今日も歯を食いしばって生き残っていた時間の声が残っており、その底からのエネルギーに励まされて生きている人たちも多いのかなと感じます。

 

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◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・政治家【ジョン・F・ケネディ・Jr.(JFK Jr.)】は妻と共に最期の地マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード沖へ

 

第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディを父に持ち、その妻・ジャクリーン夫人との長男(第二子)として生まれたジョンFケネディ・ジュニアさんは3歳で迎えた父の死と同様、とても数奇な運命をたどり、海へ還っています。

 


画像:wikipedia

 

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア(アメリカ合衆国)

●生没年:1960年~1999年(享年38歳)
職業等:アメリカ合衆国弁護士、法律家
●方法海洋散骨葬
●散骨場所
アメリカ マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード沖

 

1963年11月22日にケネディ大統領暗殺事件が起こり、その国葬が行われた11月25日はJFKジュニアの3歳の誕生日だった。目前で曵かれゆく父の棺に対し幼い彼が挙手の敬礼をした姿が当時報じられた。

引用元:Wikipedia

 

●散骨エピソードジョン・F・ケネディ・ジュニア氏は、登場した飛行機の墜落事故により、同乗していた妻・キャロリン・ベゼットさん、その姉・ローレンさんと共に海中で遺体が発見され、火葬後海軍の船に運ばれ、民間の式典が行われました。

 


画像:yahooニュース

 

そして、事故現場近くの海にその遺灰が撒かれたそうです。当初は遺族より遺体を海に埋葬する水葬願が出ていたようですが、結局、散骨となったそうです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・落語家7代目【立川談志】はハワイのハナウマ湾、ダンシビーチなどへ

 

江戸落語若手四天王の一人と名高い、7代目立川談志さんも生前より海への散骨を家族に希望していました。

古典落語を現代的価値観と感性で表現し直そうという「人生攻め」の姿勢や破天荒ぶりから、敵味方が両方多い生き方をされた方でしたが、美しい海へ還りたいという最後の望みからは美意識のとても高い方だったことを思わせます。

 


画像:個人ブログ

 

立川談志(たてかわ だんし)

●生没年:1936年~2011年(享年75歳)
職業等:古典落語家、落語立川流家元
●方法海洋散骨
●散骨場所
ハワイのハナウマ湾、他故人が勝手に「ダンシビーチ」と名付けた海岸など合計3か所の海

 

●散骨エピソード立川談志師匠は生前から家族に「海に撒いてほしい」と伝えていたそうで、その遺灰はハワイのハナウマ湾、故人が気に入って勝手に「ダンシビーチ」と命名した海など合計3か所の海に遺骨の一部が散骨されたそうです。散骨は立川談志さんの長女・弓子さんがハワイに1人で訪れて散骨されたようです。

生前には「葬儀もいらない、お経もいらない」と語っており、自分で戒名まで決めていたそうです。

 

 


画像:shop.kintoto.com

 

「芸人100点、人間0点(人格は最低だが芸は最高)」

などと、弟子からもよく語られていたようですが、無鉄砲なまでの冗談・いたずら好きであり、自著でもタブーをものともしない物言いで最近になって大騒ぎになった吉本興業という組織への批判を語っていた人でもありました。

 

「あそこ(吉本興業)の使い捨て体質は戦前から(創業時からの伝統)なんだよ」

引用元:Wikipedia

 

いつも冗談なのか本気なのかも分からない絶妙な間での噺っぷりは私たちを魅了していました。

 

◆自然葬祭(散骨希望)/有名人・歌手【デヴィッド・ボウイ】はインドネシアバリ島へまいて貰うことを遺言

 

イギリスの人気歌手、デヴィッド・ボウイさんも、自身の遺骨を散骨してほしいという遺言を残していたそうです。

 


画像:HEAPS

 

デヴィッド・ボウイ(イングランド)

●生没年:1947年~2016年(享年69歳)
職業等:ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優
●方法散骨(希望)
●散骨場所
バリ島への散骨(希望)

 

●散骨エピソードデヴィッド・ボウイさんは遺言状で「遺体はインドネシアのバリ島に搬送し、仏教の儀式にのっとって火葬してほしい」と要望し、さらに「もしこの願いが現実的でないのなら、どこかで火葬し、とにかく遺灰をバリ島にまいてほしい」という希望を遺していたそうです。

 


画像:美術手帖

 

デヴィッド・ボウイさんの遺体は、結局アメリカのニュージャージー州で火葬されたという事でしたが、遺骨が遺言書の通り、インドネシア・バリ島へ渡ったかどうかは明らかにされていません。

 

デヴィッド・ボウイさんが「仏教の儀式での火葬」という特殊な内容での遺言を遺していたことから、ヒンズー教の地であるインドネシア・バリ島へ独特の世界観を持っていたと思われます。

 

とくに、「イングランド出身」「白人」である自分を「ヒンズー教」の地での「仏教」の儀式にのっとり火葬という、ミスマッチなところが色々な文化を融合させて自身のパフォーマンスに取り入れて生きた彼らしいこだわりではなかったか?と言われています。

 

◆自然葬祭(自宅散骨/海洋散骨)/著名人・作家【中島らも】は無常観と共に生き、ほんとうの「無」へ向かうことを望んだ

 

求人募集に「仕事を断る仕事」として女性を電話番に雇うエピソードを持つ「ひねくれたユーモア感覚」と独特の文化的世界観で多くのファンから慕われていた中島らもさんは、常にすぐ横にある「無常観」と共に生きた人でした。

その最期も中島らもさんらしく、墓はいらない、本当の「無」になることを望む自然葬としての散骨でした。

 


画像:https://matome.naver.jp/odai/2143633056934268001

 

中島らも(なかじま らも)

●生没年:1952年~2004年(享年52歳)
職業等:小説家、劇作家、随筆家、放送作家、広告プランナー、ミュージシャンなど
●方法散骨/海洋散骨
●散骨場所
兵庫県宝塚市内の自宅の庭/大阪湾上空から散骨

 

●散骨エピソード:本人の遺志で葬式は身内と近親者のみで密葬として行われたそうで、遺骨の一部は兵庫県宝塚市内の自宅の庭に散骨され、残りは大阪湾上空から軽飛行機で散骨されたようです。遺骨は夫人の手で散骨され、墓は建てていないそうです。

 


画像:amazon

 

散骨の意向を生前に心に決めた理由は中島らもさんのエッセイ『わが葬儀』の中で語られていたようです。モンゴルの遊牧民が羊を解体した後無駄なく使うことがひとつの要因となったようです。

 

 

僕の死体も、できればそういう風に使ってほしいものだ。目玉、内蔵、せきずい、使えるところはみんな他の人のために使ってほしい。残った部分はミンチにして海に投げ込み、魚のエサにしてほしい。

お墓はいらない。金がムダである。僕という存在の喪失が、しばらくの間人々の間に影を落とし、やがてその影が薄れていって、僕はほんとうの「無」になる。そういうのがいい。

引用元:『わが葬儀』

 

中島らもさんは2004年7月に神戸の飲食店の階段から転落して脳挫傷による外傷性脳内血腫のため15時間に及ぶ手術を行うほどの大けがを負いました。そして、その際の脳へ大ダメージにより自発呼吸さえできない状態に陥ったそうです。

そして、入院時からそのまま意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止しています。

 

この経緯と『わが葬儀』での内容を考えた時、中島らもさんの残した「使えるところはみんな他の人のために使ってほしい」という遺言もおそらく実現したのではないかと推測されます。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・元死刑囚・小説家【永山則夫】は故郷オホーツク海へ

 

1968年~1969年に4人の犠牲者を出した連続ピストル射殺事件を引き起こした元死刑囚永山則夫氏は1969年の逮捕以降28年間、獄中で執筆活動をする小説家でもありました。1983年には小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞も受賞しましたが、1997年に死刑が執行され、故郷オホーツク海へ散骨されています。

 


画像:amazon

 

永山則夫(ながやま のりお)

●生没年:1949年~1997年(享年48歳)
職業等:刑死者(元死刑囚)、小説家
●方法海洋散骨
●散骨場所
オホーツク海

 

●散骨エピソード永山則夫氏の遺体は、刑執行の翌日には火葬されたことが判明し、身元受取人がいなかった為、国選弁護人の遠藤誠氏が引き取り、遠藤誠弁護士は葬儀での喪主までも務めたという事です。その葬儀には、「死刑制度廃止」を求める約120人の支援者らが参列したそうです。

 

そして、永山則夫氏の遺骨は元妻だった和美さん(獄中結婚)の手によって故郷の海であるオホーツク海に、散布されました。

 

死後、永山則夫氏の遺言により、弁護人たちによって「永山こども基金」が創設されたそうです。

 

著作の印税を国内と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしい。貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められている。

 

永山則夫氏が1971年に発表した手記『無知の涙』『人民をわすれたカナリアたち』の印税は4人の被害者遺族へ支援者を通して渡していたそうです。(受け取りを拒否した遺族もいる)

 

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◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・芸能リポーター【梨元勝】は「恐縮です。」の合言葉と同じ名前のクルーザーから思い出の東京湾へ

 

「恐縮です。」の合言葉でお馴染みの芸能リポーターとして、芸能人と同じくらいのテレビ露出度と認知度を誇り、ワイドショーにはなくてはならない存在というポジションを確立した梨元勝さんですが、最期はご家族の手で大好きな海へ還られたようです。

 


画像:AERA.dot

 

梨元勝(なしもと まさる 

●生没年:1944年~2010年(享年65歳)
職業等:芸能リポーター
●方法海洋散骨
●散骨場所
東京湾

 

●散骨エピソード梨元勝さんは生前から船を所有するほど海が好きで、友人と共有で所有していたクルーザ「KYOSHUKU-MARU(恐縮丸)」から、妻の玲子さんと娘の眞里奈さんに見送られ、東京湾に散骨されたそうです。

 

レインボーブリッジを観ながら散骨場所まで行き、お骨を海に撒くと、スッと海に消えていくのが見えて感激しました。主人が喜んで水面から顔を出すんじゃないかと思ったほどです。

引用元:NEWポストセブン

 

丁度亡くなる前日も『(元気になったら)海に行きたいね』梨元勝さんが話していた光景がずっと妻・玲子さんの記憶に残っていたそうで、お墓もありましたが一部を海へという気持ちになったのだそうです。

 


画像:amazon

 
 
梨元勝さんがマイクを向ける際の「恐縮です!」の決め台詞は、梨元勝さんがリポーターに転身して2年程たった時期に「取材を切り出す時の台詞」に悩んでいた梨元勝さんが元日刊スポーツ記者の小林秀夫さんと焼き肉店に行ったときにできた言葉だったようです。
 
 
焼肉店で飲み物サービスを受けた際「恐縮でーす」と礼を述べたところ、「小林さん、それいいねー」と応じたことが使い始めたきっかけであるという

引用元:Wikipedia

 

華やかな芸能界で活躍して来た梨元勝さんでしたが没後の葬儀・告別式は近親者のみの密葬でおこなわれたようです。

そのことについて、長女の眞里奈さんは「父の遺志とは反するかも」としながらも「なかなか家族で一緒に過ごすことができなかったため、最後くらいは親族だけで送りたいという私たち家族のわがままです。」とその理由を説明していたようです。

 

kira2
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娘さんの切ない気持ちが何となくよく分かる気がします。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【萩原流行】は愛する妻の手で湘南の海へ

 

カウボーイスタイルが定番の俳優・萩原流行さんは大型バイク「ハーレーダビッドソン」を所有し、昔からスティーブ・マックイーンのファンだったということで、そんな理由から一番カッコいい!というカウボーイスタイルを40代になってから貫くようになっていったそうです。

 


画像:デイリー

 

萩原流行(はぎわら ながれ)

●生没年:1953年~2015年(享年62歳)
職業等:俳優、ダンサー
●方法海洋散骨
●散骨場所
湘南の海

 

2015年4月、萩原流行さんがバイクを運転中に、前方の警察の護送車が安全確認なしに進路変更しようとしたところをよけた為に転倒し、後続車両に引かれる形で事故死しました。そこから警察との和解成立、妻で舞台女優のまゆ美さんが海へ散骨を送るまでに4年もの歳月がかかったようです。

 

●散骨エピソード:2019年なり、萩原流行さんの妻・まゆ美さんがテレビ番組へ出演し、警察との和解が成立したこと、萩原流行さんの遺骨を生前の約束通り、神奈川県の湘南の海へ散骨したことを報告しました。

 

 


画像:livedoorニュース

 

妻・まゆ美さんはこの4年間の間に本当に色んな方に助けられたり、応援していただいたり、心配していただいたりしたということで、きちんと終ったということを報告したかったと語っていました。

 

夜中にね、2人でよくドライブとか来たりとかしていたので、子供がいないし、(散骨は)昔からね、決めていたことなんで。けじめが全部ついて、一番最後に散骨をしようと思っていたので。4年かかりましたけど、やっとここに来ることができました。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00000118-dal-ent

 

みっちゃん!一緒にいるよね!

 

妻・まゆ美さんはそう叫んで、萩原流行さんの遺灰を海に見送ったそうです。愛しい人を失って4年も一緒にいた遺灰とのお別れではありましたが、魂はきっといつもまゆ美さんの傍にあり続けるに違いありません。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【X-JAPAN hide】はアメリカ・サンタモニカの海に眠る

 

1998年の謎の急逝で、現在でもそのあまりにも早すぎる死を惜しまれ続けているX JAPANhideさんですが、hideさんも大切な人々によって海へ見送られた一人でした。

 


画像:個人ブログ

 

hide/松本秀人(ヒデ/まつもと ひでと

●生没年:1964年~1998年(享年33歳)
職業等:ギタリスト(X JAPAN)、歌手、プロデューサー
●方法海洋散骨・墓地納骨
●散骨場所
ロサンゼルス沖・サンタモニカの海/神奈川県の三浦霊園

 

●散骨エピソード:四十九日法要をもって、神奈川県三浦市にある三浦霊園に遺骨は納骨され、そのほか一部を当時のzilchのバンドメンバー、マネージャーで弟の松本裕士さん等によってロサンゼルス沖・サンタモニカの海へ散骨されました。

 

解散後も、hide・kyo・TETSUはお互いに自分のバンドを持っているにもかかわらず、「元サーベルタイガーの○○です」と言っていた。

引用元:Wikipedia

 

「元サーベルタイガー」という名前は解散することのない意味で、永遠を感じさせます。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・歌手【深浦加奈子】は両親に見送られ逗子の海へ

 

「家なき子」「ナースのお仕事」などの大ヒットドラマでの陰の立役者、名脇役として人気ドラマを支えた女優の深浦加奈子さんは48歳の若さで亡くなられ、「恋人は仕事!」とご結婚もされていなかったことから、ご両親の手で海へ送られることとなりました。

 


画像:twitter

 

深浦加奈子(ふかうら かなこ)

●生没年:1960年~2008年(享年48歳)
職業等:女優
●方法海洋散骨
●散骨場所
神奈川県葉山町の相模湾(逗子沖)

 

●散骨エピソード:まだ若くして亡くなられた娘さんへの想いから父・栄助さんはしばらく深浦加奈子の遺骨を自宅で保管されていたようです。しかし、本人の生前の希望があったため、両親の手で相模湾に散骨されたそうです。

 

我が家では40年ほど前から、夏に一家で下田の海に行くのが恒例でした。
ただ4年前に散骨をしてからは、その意味が変わった。家内などは“加奈子に会いに行く”というんです。散骨したのは逗子ですが、海は繋がっているから、海に行けば加奈子に会える。そういう気持ちになりました
引用元:NEWポストセブン

 

世界中どこの海を見ても、きっと会える。

 

海洋散骨は地球のどこにいても、海へ行けば故人に会えるという気持ちや、故人との時間を思い出すきっかけとなる意味で、他の埋葬方法とは違う良さがある気がします。

 

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◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・歌手【藤圭子】は娘・宇多田ヒカルに光を託して海へ

 

藤圭子さんは1960年代末、1970年代と『新宿の女』『女のブルース』などの名曲を独特のハスキーボイスで歌い上げた歌唱力と表現力に長けた歌手でしたが、宇多田ヒカルさんの母親としても再注目を浴びました。

 


画像:個人ブログ

 

藤圭子(ふじ けいこ)

●生没年:1951年~2013年(享年62歳)
職業等:演歌歌手
●方法海洋散骨と思われる
●散骨場所
不明

 

●散骨エピソード藤圭子さんご本人の生前の強い意志によって通夜・葬儀・納骨などは行われず、散骨されたと言われています。娘である宇多田ヒカルさんは自身のツイッターを通してお母さまを偲び「海が見える所に行きたいな」とツイートされていたことから、どこかの海へ散骨されたと言われています。

 


画像:livedoorニュース

 

 

母の意志に沿い通夜葬儀納骨は行わず なお且つ母の強い指示で遺骨は散骨させて頂きました。

引用元:産経ニュース

 

 

藤圭子さんの実の兄である藤三郎氏は三郎氏だけではなく、全ての肉親、知人が亡くなった後の藤圭子さんの遺体へ手を合わせることもできず、通夜、葬儀さえ行わないという異常事態を踏まえ、散骨はされてないのではないか?とも一時語っていたようですが、宇多田ヒカルさんのその後のツイッターを見るとやはり「海へ散骨」されたことが濃厚のようです。

 

 

「母の遺骨は本人の希望通り散骨して、どこにもお墓はないから、お墓参りしたい時どうしたらいいのかな」と戸惑い、「海が見える所に行きたいな」と、母の遺骨を受け入れた海を、お墓代わりにイメージしたようだ。

引用元:デイリー

 

 

また、宇多田ヒカルさんは「散骨」について、散骨するには「粉骨」にしなければならず、それを選ぶと火葬後に家族は遺灰と一緒に帰ることができないというような、散骨を経験しなければ知りえない情報についてのお話もされています。

 

 


画像:twitter

 

 

宇多田ヒカルさんの『Deep River』の歌詞の中にはこんな歌詞があります。

 

線と線を結ぶ結ぶ二人 やがてみんな海に辿り着き ひとつになるから怖くないけれど

引用元:宇多田ヒカル『Deep River』歌詞

 

大切な人を人生で失ったとき、現世での縁と肉体としての別れに対し、とても深い悲しみを抱きますが、その悲しみに馴れた後にやってくるのは、不思議とそれでも「何か」が依然つながり続けている実感です。

 


画像:https://pinky-media.jp/I0010807

 

 

宇多田ヒカルさんの本名である「宇多田光」の由来は、母親である藤圭子さんが網膜色素変性症を患っており、徐々に視力を失っていた時に授かった子であることから「我が子から光が失われないように」という願いを込め命名したと言われています。

 

また、藤圭子さんは母親として、自分の世界である演歌の陰鬱や悲しさに娘が影響されないように心掛けていたとされています。藤圭子さん自身は宇多田ヒカルさんが幼いころから精神の病に苦しめられていたそうなので、娘だけは何としてもこの闇に飲み込まれないようにと強い願いを込めてつけられた名前だったのだと感じます。

 


画像:twitter

 

藤圭子さんが最初に結婚された前川清さんとの離婚の際、記者から離婚原因を尋ねられ、

 

離婚した最大の原因は結婚したこと。

 

と答えたというこの台詞に、私は何かとてつもない感性を感じてしまい、個人的にすごく大好きな言葉でもあるのですが、ここの感性は宇多田ヒカルさんにも引き継がれ、研ぎ澄まされた稀有な感性となって花開いたのだなあと感じます。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・囲碁棋士【藤沢秀行】は山口県の大津島沖周防灘へ

 

棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する囲碁棋士である藤沢秀行さんは輝かしい記録と共に子供が19人もいたり、競輪にはまり借金をしたり、アルコール依存症という破天荒な生きざまで有名です。そして、藤沢秀行さんも生前から散骨を希望していたそうです。

 


画像:https://matome.naver.jp/odai/2135463257094012701

 

穴があったら入りたいほど恥ずかしくなるのは 『勝ちたい』という自分のだらしなさが感じられるときだ。

-藤沢秀行

 

藤沢秀行(ふじさわ しゅうこう)

●生没年:1925年~2009年(享年83歳)
職業等:囲碁棋士
●方法海洋散骨
●散骨場所
山口県周南市大津島沖の周防灘

 

●散骨エピソード藤沢秀行さんは戒名も生前に自分で決めていたというほど、自身の最期についてはこだわりがあったようです。生前から「死んだら墓のような狭いところに入りたくない」と散骨を希望していたことから、山口県の周南市大津島沖の周防灘に散骨されたそうです。

 

 


画像:https://pinhukuro.exblog.jp/181046/

 

破天荒な夫であった藤沢秀行さんに最後までついて行った妻・モトさんの事も非常に気になります。モトさんには米長邦雄氏の妻から「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と相談され、「うちは3年、帰りませんでしたよ」と答えたというエピソードが残っています。

 

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◆自然葬祭(海洋散骨)/有名人・ソプラノ歌手【マリア・カラス】は歌声と共に故郷ギリシャエーゲ海へ

 

技術だけでなく役柄の内面性や情緒を見事に歌い上げる20世紀最高のソプラノ歌手・マリア・カラスさんですが、特に傑出した点として後世にまで評価されているのが「通俗的な存在だったオペラの登場人物に血肉を与えたことと言われています。ソプラノ歌手のアクロバティックな聴かせどころを単に技術的にクリアするという事ではなく、いのちを吹き込んでいく歌声は多くの人々を魅了しました。

 


画像:個人ブログ

 

 

しかし、残酷なことにその全盛期はたった10年ほどで終わってしまう。

 

マリア・カラス(アメリカ合衆国)

●生没年:1923年~1977年(享年53歳)
職業等:オペラ歌手(ソプラノ歌手)
●方法墓地埋葬/海洋散骨
●散骨場所
ペール・ラシェーズ墓地/ギリシャ沖のエーゲ海

 

●散骨エピソードマリア・カラスさんの遺灰はペール・ラシェーズ墓地に一旦は埋葬されたそうですが、マリア・カラスさんの生前の希望から死後1年半を経て1979年に出身地のギリシャ沖のエーゲ海へ散骨されたそうです。

 

 

 

1974年のマリア・カラスさんの最期のコンサートは日本で行われました。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/芸能人・俳優【安岡力也】は大事に育てた長男の手でハワイの海へ

 

シチリアンマフィアの祖父と父親を持つ安岡力也さんは強面の役柄で独特の存在感を遺した俳優でした。強面の印象とは真逆に「借りたお金はその翌朝に返金しにいくような律儀な男」という人柄の良さが語り継がれていたり、離婚後に引き取った長男をとても愛情深く育てたというお話も残っていたり、あたたかなお人柄があったようです。

そんな安岡力也さんも遺骨の一部は海へ散骨されていました。

 


画像:i-article01.com

 

安岡力也(やすおか りきや)

●生没年:1947年~2012年(享年64歳)
職業等:俳優、ロック歌手
●方法:墓地埋葬/
●散骨場所
君津市の圓明院(墓地埋葬)/ハワイの海

 

●散骨エピソード:四十九日法要並びに納骨式が執り行われ、安岡力也さんの遺骨は千葉県君津市の圓明院へ納骨されました。そして、その一部については闘病中の安岡力也さんが、ハワイに行きたがっていたことから長男がハワイの海へ散骨したそうです。

 

◆自然葬祭(海洋散骨)/著名人・評論家【山本七平】は『日本人とユダヤ人』の名前の通り、日本とイスラエルに眠る

 

多くの日本人に「日本人」そして「日本教」について鋭く問題定義をした作品、イザヤ・ベンダサンの著作『日本人とユダヤ人』を翻訳刊行し、ベストセラーの翻訳者として華々しく登場した山本七平さんは亡くなって10年以上経過後にその作品の事実上の作者として取り扱われるなど、波紋を残す形で今も語られる評論家です。

その著作が山本七平さんの人生において大きなものであったためか、遺族は遺骨の一部をイスラエルへ散骨しています。

 


画像:ironna.jp

 

山本七平(やまもと しちへい)

●生没年:1921年~1991年(享年69歳)
職業等:評論家、山本書店店主
●方法墓地埋葬/散骨
●散骨場所
小平霊園(墓地埋葬)/イスラエル散骨

 

●散骨エピソード:家族の意向で山本七平さんの遺骨は一部イスラエルに散骨されました。どのような形での散骨だったのかについては情報が見つからず不明です。小平霊園の墓石には「吾等之高櫓也」と刻まれています。

 

◆自然葬祭(海洋散骨・競艇場散骨)/お笑い芸人【横山やすし】は愛する広島宮島競艇場、厳島神社に散骨された

 

漫才師の横山やすしさんは天才的な芸人でありながら、人生の後半では自らボートレースに出場するほどボートに熱中し、最後は競艇場にも散骨されています。

 


画像:https://entertainment-topics.jp/21044

 

 

横山やすし(よこやま やすし)

●生没年:1944年~1996年(享年51歳)
職業等:漫才師
●方法競艇場散骨/海洋散骨/墓地埋葬
●散骨場所
広島県宮島競艇場/厳島神社(大鳥居)付近/大阪府河内長野市の墓

 

 


画像:https://entertainment-topics.jp/21044

 

 

●散骨エピソード

横山やすしさんが亡くなった1996年にはボートレースに出場していた横山やすしさんの生前の希望から保有の愛艇のある宮島競艇場にて「散骨の儀」が行われ、競艇場に遺骨の一部が散骨されています。また同じく1996年には遺族とボート仲間によって、厳島神社の大鳥居近くの二ヶ所に船上から遺骨の一部が散骨されたそうです。

それらの散骨後に残った遺骨は大阪府河内長野市の墓に納骨されています。

 
 
 

画像:https://entertainment-topics.jp/21044
 
 

自分の生きやすさに替えても「笑い」に対する清々しいほどの姿勢を貫き、そこを癒したボートは横山やすしさんにとって伴侶同然の存在だったようです。

 

自然葬祭(海洋散骨)/有名人・俳優【リヴァー・フェニックス】は故郷フロリダ上空から空中散骨

 

スティーヴン・キング原作の1986年発表の名作青春映画『スタンド・バイ・ミー』への出演で脚光を浴び、その後僅か23歳という若さで亡くなったアメリカの俳優・リバー・フェニックスさんですが、遺灰は故郷フロリダの上空からすべて散骨されたようです。

 


画像:twitter

 

リヴァー・フェニックス(アメリカ合衆国)

●生没年:1970年~1993年(享年23歳)
職業等:俳優
●方法空中散骨
●散骨場所
フロリダ上空からの空中から散骨

 

 


画像:cinemore

 

 

●散骨エピソードリバー・フェニックスさんはヘロインとコカインの過剰摂取を原因とする心不全で23歳という若さで人気絶頂の中、亡くなってしまいます。故郷のフロリダで火葬され、遺灰もフロリダの空中から撒かれ、お墓も残さない形での葬送となりました。

 


画像:Wikipedia

 

そういったこともあって、リバー・フェニックスさんが亡くなったウェスト・ハリウッドのナイトクラブ、ザ・ヴァイパー・ルームの店先に多くのファンが訪れたという事です。

 

◆自然葬祭(その他・古城散骨)/著名人・放送作家・声優【井上瑤】は夫と共にオーストリアの古城へ散骨

 

井上瑤さんは昭和の人気アニメ『うる星やつら』のラン役、『おそ松くん』役、『アンパンマン』てんどん母さん、くろべえ役の声を担当し、人気絶大の中1年3か月に渡ってインドなど6カ国へ旅行してしまうなど、行動力抜群の井上瑤さんでしたが、旅行先の南インドで出会ったオーストリア人の夫・ピーターさんと一緒に散骨されています。

 


画像:https://matome.naver.jp

 

井上 瑤(いのうえ よう)

●生没年:1946年~2003年(享年56歳)
職業等:声優、放送作家、占い師
●方法古城散骨
●散骨場所
:オーストリアの古城

 


画像:知恵袋

●散骨エピソード井上瑤さんは、夫が先立った後、夫の遺骨の散骨の為にオーストリアへ渡りましたが体調不良の為に帰国すると自身もがんに侵されていることが分かります。2年間の闘病後、亡くなった井上瑤さんでしたが、遺族によって夫が一番大好きだったオーストリアの田舎の古城に夫の遺骨と一緒に散骨されたそうです。

 

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◆自然葬祭(宇宙散骨?)/著名人・天文学者【クライド・ウィリアム・トンボー】は現在も宇宙を旅してる!?

 

冥王星を発見した功績でその名を残している天文学者のクライド・ウィリアム・トンボ―博士ですが、その専門である天文学にちなんだ形で遺骨が葬られています。

 


画像:http://ufo4eti.web.fc2.com/tombaugh1.html

 

クライド・ウィリアム・トンボー(アメリカ)

●生没年:1906年~1997年(享年90歳)
職業等:天文学者
●方法宇宙散骨?(太陽系外を現在も移動中)
●散骨場所

 

●散骨エピソードクライド・ウィリアム・トンボー博士の遺灰の一部は驚くべきことに、2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体の探査を行うNASAの無人探査機ニュー・ホライズンズに乗せられて、現在も宇宙を旅しているそうです!探査機の中にあるという事なので、正確には散骨という言葉とは違う葬り方かもしれません。

 


画像:https://plaza.rakuten.co.jp/sickbed/diary/200701170000/

 

クライド・ウィリアム・トンボー博士の遺灰が納められたコンテナにはこのような銘文が刻まれているそうです。

 

INTERNED HEREIN ARE REMAINS OF AMERICAN CLYDE W. TOMBAUGH, DISCOVERER OF PLUTO AND THE SOLAR SYSTEM’S ‘THIRD ZONE’. ADELLE AND MURON’S BOY, PATRICIA’S HUSBAND, ANNETTE AND ALDEN’S FATHER, ASTRONOMER, TEACHER, PUNSTER, AND FRIEND: CLYDE W. TOMBAUGH (1906-1997)

(訳)ここに納めるは、冥王星および太陽系”第三領域”を発見したアメリカ人、クライド・W・トンボーの遺灰である。 アデルとムーロンの息子、パトリシアの夫、アネットとオールデンの父、天文学者、教師、駄じゃれ好き、そして我らの友、クライド·W·トンボー(1906-1997)。

引用元:Wikipedia

 

2018年12月現在、ニュー・ホライズンズは冥王星から10億マイル離れたカイパーベルトに向かっており、クライド・トンボー博士の遺骨は人類史上最も地球から遠くに送られたものとなっています。

 

<現在更新中>

 

自然葬、樹木葬と山林散骨の違い、海洋散骨についてはこちら↓

自然葬・海洋散骨・山林樹木葬とは?墓はいらない費用と手続き法律
現在の日本では少子高齢化社会による社会問題として、「墓問題」がひとつの大きなテーマとして挙がっているようです。地方の無縁仏の急増と共に、「お墓いらない」と考える人々や「墓じまい」を検討する人々も増え、自身の埋葬のされ方についても考え方が急速...
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