◆漫画家・コラムニスト【辛酸なめ子さん】自分の足は自分で守る!靴の価値観の潮目はヴィクトリア・ベッカム/「#KuTooムーブメント」に意見した有名人・著名人画像
シュールな笑いでいつもあったかいものを読者の心に残してくれる漫画家でエッセイリストの辛酸なめ子さんは、女子中女子校育ちという自我を育む時代に「ザ・女子」な思春期を過ごされたことで、この手の話には敏感であるようです。
画像:『りっすん』2017年11月8日
かわいいー。
だいすきだよー(笑)
辛酸なめ子さんの話によると、「#KuToo」の前に、世界的に女性の靴に対する潮目が変わったのは2016年だと断言します。その年に何があったかというと、
「ハイヒールじゃないとおしゃれじゃない」を合言葉に常に12センチヒールを履いて、自宅のランニングマシーンすらハイヒールで乗りこなしていたというヴィクトリア・ベッカムさんが「ハイヒール女王退位」したという事実があったのだそう。
ヒールで
ランニングマシーンw
画像:『GQ』辛酸なめ子コラム 2019年6月7日
ヴィクトリア・ベッカムのヒール引退。
このことは、かなりセンセーショナルな出来事でもあったのだそうです。なにしろ、ヴィクトリア・ベッカムさんは外反母趾の手術をしてもまだなお、下界を見下ろすかのような物凄い高さのピンヒールを履き続けて威圧感をアピールしてきた女性だったからです。
ヴィクトリア・ベッカムが、ニューヨーク・ファッション・ウィークでの自身のブランドのコレクションにフラットシューズで登場。インタビューで、「ハイヒールはもうムリ」と、発言し、ファッション界がざわめきました。
引用元:https://www.gqjapan.jp
2016年というと、前述のようにカンヌ国際映画祭界隈での「女性に対するドレスコード・高いヒール強要問題」などが突如として盛んになったころです。ヴィクトリア・ベッカムさんはファッションにしてもそういった価値観にしても、最先端で今後の時代の流れをキャッチしていくアンテナが優れているのかもしれません。
それゆえの
ピンヒール女王退位の可能性。
画像:『cinemacafe.net』2018年6月8日
その上で、辛酸なめ子さんが語るのは、やはり「自立女子」ならではの真っ当なご意見でした。
世界中を巻き込んで混乱を起こした根本匠厚生労働大臣に対し、「当事者じゃないからあまり考えがまとまっていないようです。」と知的かつ簡易にまとめ、補足された内容も目を通したあと、
「ますます何を言っているのかわからないので、これは女性たち自身で自分の足を守るしかありません。」とピシャリ。
国が何かをやったところで、
守れるのはいつも自分しかいないことをお忘れなく。
画像:.『cinra.net』2018年11月13日
そんなメッセージを相変わらずまろやかに、愛をこめて届けてくれていました。余談ですが、辛酸なめ子さんはバレエシューズがお好きだそうです。
やっぱり、
自分の足で立っている人は
覚悟が違うw
◆立命館大学産業社会学部准教授【富永京子さん】あなたの「好き」や「きれい」は誰かに作られたものではないかという問いに向き合うことが意味になる/「#KuTooムーブメント」に意見した有名人・著名人
立命館大学産業社会学部准教授で社会運動論・国際社会学が専門の富永京子さんは『みんなの「わがまま」入門』という著作を出されており、その中でこのようなことを語られています。
画像:『honcierge』2016年12月8日
私たちが日ごろ抱えているモヤモヤを言葉にすることは「わがまま」ではなく、これからの社会を形づくることにつながる(中略)
現代社会は、みんな「同じ」ように見えても、それぞれ目に見えない差異を抱えている。だからこそ、自分と同じように見える人々の背景を想像することが重要なのだ。
引用元:huffingtonpost.jp
ネーミングのすばらしさから爆発的なムーブメントへ一気に広がった「#KuToo」でしたが、賛同の声が多くあがる一方で「単なるわがまま」という意見も多くあがるようになっていました。そこに対するもう一歩、踏み込んだ視点を富永京子さんは持たれています。
自分の靴を選ばせて、と声を上げることは「わがまま」なのか?
富永京子さんは個人のそれまでの人生として、あまりパンプスやヒールを強要されるような背景を持つ職場とは縁がなかった為、街で出会うあらゆる人たち、例えば百貨店の女性、ショップ販売員の女性たちについてかかとの高い靴を履いていても、
「美しく見せる意識が高いのだろう」程度にしか気にしていなかったということを語り、そこに対する危機感を自分自身に持ったことを率直に語られていました。
画像:huffingtonpost.jp
このキャンペーンに対する反応の中で、ギクッとしたものがあった。それはおそらく男性からと思われる「好きで履いていると思ってた」(あるいは「好きで履いているんだろう」)という反応だ。
恥を忍んで言うが、自分も、彼女たちは好きで履いていると思っていた。本当に恥ずかしいことに、そこまで「強制」の状況が蔓延していることすら知らなかったのだ。(中略)
私は、同じ女でありながら、彼女たちを知らず知らずのうちに搾取していたのだ。
引用元:huffingtonpost.jp
そして、「#KuToo」運動を牽引している人々からでさえ出てくる「好きなら~」の「好き」についてもそれは本当にあなたの「好き」なのか?という点について富永京子さんは問いかけています。
あなたの「好き」や「きれい」は誰かに作られたものではないか
引用元:huffingtonpost.jp
「高いヒールを履くとスタイルがよく見えるから」といったその「良いスタイル」は誰の美意識、眼差しなのか?自分は自分以外の何者かによって「好き」を操作されてはいないか?
迷惑をかけないように、誰かが好むものだからという理由はほんとうに私自身の「好き」なのか?
画像:honcierge.jp
「好きだから」という言葉でごまかさず、その正体を見ることもまた、「#KuToo」が今まさに問うている社会の不平等を捉え直す試みになるのではないか。
だとすれば、たとえ職場でヒールを強制されていようがいなかろうが、私たちは繋がれるはずだ。
引用元:huffingtonpost.jp
私が富永京子さんの言葉をとても好きだなあと思うのは、「#KuToo」運動というムーブメントを通して、ここに男女の無駄な線引きや対立構造があるのではなく、私たちがきっとどんな立場に身を置いていようともお互いを大切なものとして尊重できる、繋がり合うことができるという扉へ私たちを導いた点です。
画像:石川優実公式Instagram
男性であっても、女性であっても大人でも子供でも、それぞれがこの時代を共有し、精一杯生きていることは同じ。よく生きよう幸せに生きたいと望む気持ちもきっと同じ、であればその気持ちを通して繋がり合い、一層素敵な世界を作っていくことに私たちは共闘するべきなのではないか。
そのような希望の種をそっと落としてくれた富永京子さんなのでした。
「#KuToo」を通して
自分の「好き」が見つけられたら
私たちはきっと繋がれるはずだ。
もう「#KuToo」は誰か特定人が引っ張るものではなく、老略男女それぞれがそれぞれの「好き」と「らしさ」で支える構造体のムーブメントなのかもしれません。
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コメント
はじめまして。大変面白く読ませて頂きました。Kutooについては知っていたのですが、石川さんがなぜそんなに批判されるのか、恥ずかしながら存じ上げなかったので、なるほどと思いながら拝読しました。石川さんに限らず主義主張を唱える方の中には、「女性差別の問題」「男性から差別される」という風に論点がずれていく方が多いような(本人からしたらずれてるわけではないのかもしれないけど)印象を受けます。私も、他の著名人の方がコメントしていたように、Kutooが男女問わず「選択権を与える」という問題提起であるべきだと考えています。また、主さんがまとめておられたように、男性ならではの息苦しさも当然あると思うので、主語を過度に大きくしたりだれかを敵視する形ではなく、それぞれの息苦しさやつらさを共有できるような社会であってほしいなと思います。
しかし、「風習に反対の声を上げる」「フェミニスト」などの行為や存在自体に嫌悪を示す方(男女問わず)はTwitterなどでは見かけることも多いので、主張を訴えることすら許さない方が多いのは世間の生きづらさを感じます。長くなりすみません。勉強になりました。
とてもあたたかい感想をお寄せいただいてありがとうございます。こちらの記事を作成した当初は世界でコロナの問題もまだ起こっていない時期でした。当時の私の違和感としてあったもののひとつに、SNSというこれまで以上にたくさんの人々と意見を共有し繋がることが出来る魔法のツールが、まだ使用者である私たちの感性や思考の整理が追い付いていないところで、思わぬ争いや対立構造をつくりやすい状況にもなってしまっていることがありました。
2020年のコロナ大流行によって激変する社会の節目を経て、私たちは「人々とつながることが出来る喜び」や「国内男女で闘っている場合ではない」ことに気づきつつあると思います。また、女性が意見や権利を主張できる土壌は世界的にも歴史的にも「国家が強く豊かである」という事に帰属していることを考えると、女性こそ、この「あたりまえではない豊かさを獲得している日本」の国防について真剣に考えていくべきシーンになっているとも主観ですが感じています。
こちらのブログも立ち上げから数年経過し、今後の運営についての岐路にありましたので、私の方が漣さんからコメントを頂けてとても励みになりました。私なりに力を入れてつくった1つでもあったので、とても嬉しかったです。心よりお礼申し上げます。