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【写真画像】百人一首の歌人・小野小町は可愛い?美人顔でない?その条件とは?七小町伝説とは?

●刹那的/はかない 属

現在の世に至っても絶世の美女だったと名高い美人の代名詞、小野小町ですが、それ以外の情報に関しては彼女がどんな人、人生だったかはあまりよく知られていません。日本史の中で女性は決して好待遇ではありませんので平安時代の女性のご多分に漏れず、謎が多い彼女ですが

第2弾今回は平安時代の美人の条件、小野小町にまつわる様々な伝説について追っていきたいと思います。その昔その時代で最もキラキラしていた彼女からもカケラをいただきましょう♪

世界三大美女圏外の小野小町のはヘレネより美人でないのか?

 

小野小町といえば有名な歌人で、日本では「世界三大美女」の1人とされています。楊貴妃クレオパトラ小野小町ということで。日本では…。

 

 

世界的な三大美女では、クレオパトラ楊貴妃、そしてヘレネを入れるのが主流です。

 

クレオパトラ

 

楊貴妃

 

ヘレネ

 

小野小町

 

ちょっと比較に無理がありましたね(笑)

 

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無理目w

 

無理目である理由はいくつかあるのですが(笑)、そもそも顔の種類文化圏が違い過ぎる点に加え、それぞれ残されているものが「絵」なので実物との差がどの程度あるのか分からないこと。そして最後にこの「ヘレネ」さん、ギリシア神話に登場する女性で、樹木崇拝に関わる女神でした(笑)実父はゼウス(笑)

 

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女神かあ。。

 

それなのに一番ヘレネさんが人間ぽいっていうのがこれまた(笑)。皆さんは誰が一番美女に見えますか?

 

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小野小町はそもそも美人顔なの?

 

現代人からすると、そんなに美人には見えないんだけど…と思う方も多いはず。ちょっと怒った顔したら般若みたいになりそうですよね。

次はその小野小町の美人説がどこから来ているのか迫っていきたいと思います。

 

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小野小町ってどんな顔だったの?ってことをまず知りたいのですが、これも他の情報と同じで、顔写真や肖像画なども存在しませんし、容姿についての具体的な言い伝えも残っていないのです。

 

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見てみたかったですね

全く何もないのに、「美人」ということだけが明確に言い伝えられて残ってきている。不思議な現象です。

 

◆平安時代の美人の条件 その①顔立ち

 

ただ、平安時代の美人の条件というのはだいたい分かっています。

 

 

<美人の条件>

  • 一重の切れ長な目(細く線のような目)
  • 小さいながらも、鼻先がつんと尖ってしっかり筋の通った
  • 小さめで控えめなおしとやかな口
  • ふくよかで柔らかそうな頬、「しもぶくれ」顔であること
  • きめが細かくて色白の美肌
  • 長くあでやかな艶のあるサラサラの黒髪
  • ぽっちゃり体型で、ふくよかな体つきをしていること
  • 化粧がおしろい(白粉)
  • 引眉(ひきまゆ)元々の眉毛を処理し、横長の円の形の眉を描く。眉と目が離れていればいるほど美しいとされるのである。
  • 綺麗な声 和歌を詠む声がきれいだと、魅力的な女性

 

 

貴族階級においては、女性は家族や親戚といった親しい人以外には顔を見せないことが決まりとなっていました。

そのため、実際のところは、他人からはその女性が美人かどうかを推察するのは困難だったのです。

御簾(みす)を通して会話をし、気の合う女性の寝床に夜這いをしかけて、始めてその顔を確認することができたのです。

 

そもそもちゃんと顔を見て確認することができる人が少なそうですね。女性の外見を他人である男性が見ることは非常に困難な時代にどうして「美人」の評判が立ったのか気になります。

 

基本的には暗がりでしか見ることができなかったので、メイクは白粉に引眉、お歯黒とわかりやすくてなまめかしいものが好まれていたことがわかっています。

 

お歯黒

お歯黒

 

頬の白とお歯黒の黒でコントラストが利いた怖いメイクだったようですね(笑)肌の白さを際立たせるためだったのでしょうか?

口紅は中央部分に控えめに塗り、自己主張をし過ぎない女性が美人の条件であると考えられていました

黒髪のサラサラロングヘアーが好まれたのは、夜に月明りの下できれいに見えて、男性を虜にする妖艶さを演出する効果があったからだと言われています。

 

◆平安時代の美人の条件 その②教養

 

平安時代には顔があまり確認できませんでしたので、その他の条件もかなり大事だったようですね。

 

 

平安時代の貴族階級においては、見た目だけでなく中身の方も美人の条件として非常に重要視されていたのです。

たとえば、和歌のうまさであったり機知に富んだ会話のやりとりなどはとても重要なポイントとなります。

当時の上流階級では、みやびな風情こそが「おかし」という表現で大切にされていました。

 

<美人の条件>

  • 会話の上手さ
  • 知識の豊富さなどの教養
  • 人間性や情緒の豊かさ溢れる和歌
  • を美しく書けること
  • 楽器ができること
  • 控えめで自己主張をし過ぎない奥ゆかしさ(品)

 

女性は琴、男性は笛の演奏が上手いことが教養の持ち主であることを意味したそうです。そのため楽器が上手い男女が集まると、互いに演奏をしたという話もあります。

 

 

当時の恋愛は、まず男女で和歌のやりとりを繰り返し、男性も女性もその雰囲気が気に入れば、男性の夜這いを許すというのが流れだったようです。

つまり、初めて夜に男女関係を持つ時まで、お互いの顔を見ることはないわけで、男性が口説き落としている時に小野小町の顔は殆ど見ていなかったんですね。

 

つまり小野小町は

和歌と声と体のフォルムと会話でモテた!

 

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源氏物語では源氏は複数の女性に気持ちを奪われながらも、和歌の出来栄えや字の美しさ比較して、よく女性の査定に入れていましたね(笑)。

 

顔立ちだけでなく、このような条件を満たす女性を総合して「美人」といったようです。

美人=顔がキレイ

ではなく、

美人=魅力にあふれる

だったようですね。

 

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源氏にはいざ顔を見たらドブスだった!なんて話もありましたけどね(笑)

 

小野小町に関する残された逸話からは、ともかくかなりモテた女性であることは間違いないようです。

 

 

実際の顔立ちに関してはまったく不明ですが、彼女の場合は和歌が大変評価されていたことや、教養があったことが分かるので、いずれにしても教養の部分でかなりの評価があったと思われます。そこの加点で男性の心をつかんでいた可能性が高いですね。

 

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小町モテモテやん

 

紀貫之が、古今和歌集の序文に「近き世にその名きこえたる人」として六歌仙の一人にあげるくらいですから、相当な知性を備えた女性であったことは間違いありません。

 

美人という点において、平安時代と現代の間には外観的には大きな違いがありますが、内面的なところでは共通する部分もたくさんありますね。

 

結論としては…

小野小町はやっぱり美人だったっぽい(笑)

 

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小町良かったね♡

 

小野小町にまつわる伝説

 

小野小町には現在まで数々の伝説や伝承が残っています、有名なものを少し見ていきましょう。

◆京都「百夜通い」伝説~深草少将との悲話

 

こちらがこの伝説の役者となる深草少将(ふかくさのしょうしょう)です。小野小町深草少将が恋をして恋文を送ったことが、悲しい伝説の始まりとなります。

 

 

愛を募らせ、想いを告げた深草の少将小町は困って最初は彼に諦めさせようと

「本当に私のことを想ってくださるなら、100日間毎晩、私のところへ通ってください。それができたら、あなたの気持ちに応えて契りを結びましょう。ただし会いもしないし、声をかけてもいけません。」

と返事を返します。少将は雨の日も風の日も、毎日通います。しかし雪の降る99日目の夜に倒れ、息絶えてしまうといったようなお話です。

 

管理人kira2
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こちらが基本パターンです

 

深草の少将は四位の少将とも呼ばれます。四位とは宮廷に上がることを許された身分で教養もあり、今で言うなら霞ヶ関のエリート官僚。そんな立派な身分の少将が、100夜通いを強いられます。

 

深草少将のいる深草から小町の住む小野の里までは約5キロだったといいます。

 

 

こちらの歌は、上の句を少将が、下の句を小町が詠んだとされています。

 

あかつきの 榻の端書き 百夜書き
君の来ぬ夜は われぞ数書く

 

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さすが小町さん、下の句が切ないですね

 

牛車の前方に出ている2本の引き棒を置く台のことを榻(しじ)というらしいのですが、少将はそこに通った日数を刻んでいたといいます。小町が作ったと言われる下の句を見ると、いつしか少将の訪れを心待ちにするようになっていた小町の気持ちが伝わってきます。

 

百夜(ももよ)通い」伝説 派生パターンと小町の晩年に関する話

 

この悲恋物語は、あくまで伝説で史実ではないとされています。さまざまにアレンジされて人々の心をつかみ、今に伝わっています。
なかでも亡霊となった小町少将が登場する能「通小町」は有名です。

 

 

『古今和歌集』巻15

「暁の鴫(しぎ)の羽がき 百羽がき 君は来ぬ夜は 我ぞ数かく」

(詠み人知らず)こちらの歌が「百夜通い伝説」の由来と言われています。

 

パターンその①:ほぼ先ほどの基本パターンです。小野小町深草少将が毎日運んできた榧(かや)の実で深草少将の通った日数を数えていた99日目の雪の日に深草少将は99個目の榧の実を手にしたまま死んでしまう。小町深草少将の供養のために99個の榧の実を小野の里に撒いたという話。

パターンその②深草少将は99日まで通い、100日目の最後の晩に大雪のために途中で凍死。

パターンその③小野小町深草少将が毎日運んできた99本の芍薬(しゃくやく)の花を植え続けてきた100日目の夜に空き雨が降り続く中、途中の森子川にかかった紫で編まれた橋で100本目の芍薬を持った深草少将が橋ごと流されてしまう。小町は月夜に船をこぎ出し、深草少将の遺骸を探し、岩屋堂の麓にあった向野寺に安置して、芍薬1本1本に99の歌を詠じ、「法実経の花」と称した。その後、小町は岩屋堂に住み、香をたきながら自像を刻み、92歳で亡くなった。

パターンその④:深草少将の死後、小野小町深草少将の怨霊に取り憑かれて頭がおかしくなり、乞食の老女になった。

パターン⑤:(山科の随心院に伝わる「はねず踊り」の歌詞)九十九日目の夜、少将は雪が余りにも激しかったので代理人に通わせた。余りの雪に小町は「一日早いけれど、どうかお入りなさい」と招き入れると、少将とは別人、小町も興醒めし、少将も恥として、二人は別れてしまう。

 

下の画像は「卒塔婆小町」で使われた能面です。

深草少将との話に絡み、以後小町の晩年に関するものは、悲惨なお話も少なくないです。夫も子も家もなく、晩年になると生活に困窮してしまい乞食となって道端を彷徨った話や、

ススキ原の中で声がしたので立ち寄ってみると目からススキが生えた小町の骸骨があったなど、華やかで絶世の美女と名前を轟かせた若い時の姿とはかけ離れたような話がいろいろ残っています。

 

 

百夜(ももよ)通い伝説 ゆかりのもの

 

深草の少将小野小町のストーリーは伝説ですが、欣浄寺には伝説になぞらえられたものがいくつか残されています。こちらの寺院は深草少将が住んでいたとされる寺院です。

 

 

「墨染の井戸」…少将の涙のようにかれることから「涙の水」とも呼ばれています。
「小町姿見の池」小町が深草の少将の屋敷を訪れた際、美しい姿を水に映したと伝わっています。

「竹の下道」通称「少将通いの道」小町のもとへ通う少将が通った道。「この道を通ると願いが失せる」という言い伝えになっているとのことです。

「深草少将張文像」深草少将が亡くなった後、小町に書き送った多くの恋文を焼いて、その灰を粘土にして作ったというもの。像の制作には小町がかかわったとも言われています。本堂に置かれている像の朽ちかけた衣装が、伝説のリアル感を出しているそうです。

 

小町榧(かや)

小町榧(かや)

 

その他、ゆかりの地としては

<随心院>

「文塚」深草少将が書いた手紙を埋めたとする場所

「榧の大木」…糸に綴って日数を数えることになった深草少将が届けた榧の実を撒いて育てたという大木(小町榧)

<補陀洛>…別名「小町寺」と言われ、深草少将篋院塔小野小町供養塔がある。

<法雲寺>…御神体は深草少将が小野小町の百夜通いの時に腰かけたといわれる石。あと一夜というところで亡くなり、果たせなかった深草少将の無念が悪縁を切ると言われている。

 

◆「雨乞(あまごい)小町」伝説 あらすじ

 

日照りが続き、雨乞いの達人が雨乞いをくりかえしても、一向に雨が降らない。。もはやこれまで…そんなシーンに雨乞小町伝説は誕生しました。

 

雨乞小町の原話は、天下早魁の際、小町が神泉苑で歌を詠み、その徳でにわかに大雨をふらせたという話。

 

「吉原七小町」とは、平安朝の歌人小野小町にまつわる挿話・伝説が、いつの頃からか七種にパターン化されて民間に親しまれ、画題ともなったものです。

「草子洗小町」「雨乞小町」「通小町」「清水小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」の七つをいうのだそうです。

 

浮世絵には特に多く用いられ、その大部分が、江戸庶民らしい美人風俗の見立ての図様に置きかえられています。この図もその一つ。吉原の名妓の艶姿に七小町の俤をオーパーラとフさせた所が鑑賞の主眼となります。

 

コマ絵は駿雨に波立つ神泉苑の景。柱に凭れる文政期美人の洗い髪は小町のおすべらかしの髪型になぞらえ、手にして見人る玉章は、和歌を記す短冊、そしてしどけなく引っかけた表服は十二単衣にそれぞれ見立てられています。模様の天翔る応竜が題材によく合い全体にスッキリとした新鮮な画調と色気とが、快い効果を見せています。

国貞 吉原七小町・雨こひ小町
大判錦絵 揃物 36.9×25.4 cm
落款所蔵庖需國貞両 板元:若狭屋与市 極印

 

 

江戸時代までは神々に歌や踊りを奉納すると、その技を愛でられ、それに感応されて褒美に雨を降らすという言い伝えが信じられていたそうです。

 

したがって、日照り続きの時には、神の御心にかなうような雨乞いの歌が求められました。いくつか、有名な歌があるようなのですが、そのひとつに小野小町の歌があります。

 

ことわりや 日の本ならば 照りもせめさりとては またあめが下とは

ちはやふる 神もみまさば 立ちさばき 天の戸川の 樋口あけたまへ

 

すると途端に一天にわかにかき曇り、たちまち待ちに待った雨が降ってきたという伝説です。

 

 

 

小野小町・神泉苑に小野小町雨乞 蕉堂・明治二十九年

 

 

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神々も小野小町の歌に聴き惚れて、褒美の雨を与えてくれたのかもしれませんね。

◆「草子洗(そうしあらい)小町」伝説 あらすじ

 

小野小町の宮中の歌合(うたあわせ)での伝説です。

 

 

明日の宮中の歌合(うたあわせ)に、小野小町の相手に選ばれた大伴黒主(おおとものくろぬし)は、小町の下読みを盗み聞いて、それを『万葉集』のなかに入れ筆をしておく。

をはじめ紀貫之ほかの歌人の居並ぶなかで、小町の発表した歌は古歌の盗作だと訴えられる。その筆つきを見た小町は、草紙を洗いたいと提議し、入れ筆を証明する。

自害しようとする黒主を、小町は和歌への執心はこうあるべきととりなし、めでたい宴に小町は美しく舞い、和歌の道をたたえて終曲となる。能の曲目。

 

 

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小野小町の寛容な考えが分かる伝説ですね。

 

◆「通小町(かよいこまち)」伝説 あらすじ

 

小野小町「百夜通い」伝説の続編のような伝説です。

 

 

京都・八瀬(やせ)の山里で一夏の修行[夏安居(げあんご)。九十日間籠もる座禅行]を送るのもとに、木の実や薪を毎日届けるがいました。が、問答の末に名を尋ねると、女は、絶世の美女、才媛であった小野小町(おののこまち)の化身であることをほのめかし、姿を消しました。

市原野に赴いたが、小町を弔っていると、その亡霊が現れ、からの受戒を望みます。そこに、背後から近づく男の影がありました。それは小町に想いを寄せた深草の少将の怨霊でした。執心に囚われた少将は、小町の着物の袂にすがり、受戒を妨げようとします。

はふたりに、百夜(ももよ)通いの様子を語るよう促します。少将からの求愛に、小町は、百夜通って、牛車の台で夜を過ごせば恋を受け入れると無理難題を出します。少将はどんな闇夜も雨、雪の夜も休まず、律儀に歩いて小町のもとへ通いました。そのありさまを再現します。

百夜目。満願成就の間際、まさに契りの盃を交わす時、少将は飲酒が仏の戒めであったことを悟り、両人ともに仏縁を得て、救われるのでした。

 

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続編でふたりが救われてよかったです。

◆「清水小町(しみずこまち)」伝説 あらすじ 在原業平との話

 

都で年老いた小野小町は、故郷をなつかしく思い、再びたどりついたところが上岩川の小野村だったといいます。この上岩川の岸辺に冷泉があり、小町もこの冷泉のくんで使ったので、後世小町の清水とよびました。そこでの伝説です。

 

 

年老いた小野小町は”関清水”と呼ばれる地で暮らしたとされ、
それを基に描かれたのが”清水小町”です。

ある日在原業平小町の住む小さな庵を訪れます。
業平から仏教へ帰依することを薦められた小町は、
諸国めぐりの旅へ出ます。

 

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年老いた小町が救われる道を業平が指し示してくれたのですね。

 

◆「関寺小町(せきまちこまち)」伝説 あらすじ

 

古くは『小町』とも呼ばれたそうです。能の最奥の秘曲とされており、宗家以外の弟子家に許されたのは、宝生(ほうしょう)流、喜多(きた)流では大正以来、金剛(こんごう)流では明治から上演されていないのだそう。それほど重く扱われてきた能なのだそうです。その元となった伝説です。

 

 

近江(おうみ)国、関寺のが和歌の話を聞くため、稚児(ちご)を伴って、あたりに住む老女の庵を訪れる。和歌の物語の端々から、たちは老女小野小町の成れの果てと知る。

華やかであった昔の述懐と、落魄(らくはく)の現在との対比が語られる。七夕(たなばた)の祭りに招かれた小町は、稚児の舞にひかれて、思い出の舞を舞い、昔をしのぶが、明け方の鐘の音とともに庵帰って行く。山に捨てられた老女の霊の『姨捨(おばすて)』、地獄に落ちた老いた舞姫の『檜垣(ひがき)』とともに「三老女」とよばれるが、それらに比べ、劇的な起伏は極端に少ない。

しかも現在能で書かれた作品だけに、その淡々としたなかに、深い老女の嘆きと、昔の華やかさを描くことは、至難の業である。

 

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子どもたちに和歌を教える老婆となった小野小町のお話です。

◆「鸚鵡小町(おうむこまち)」伝説 あらすじ

 

老いて零落した小野小町が帝の御詠に対し鸚鵡(おうむ)返しの返歌をしたことを描いたという伝説です。『関寺小町』『檜垣(ひがき)』『姨捨(おばすて)三老女に次ぐ秘曲として、重く扱われているということです。

 

 

百歳に及ぶ老残の小野小町に、帝から哀れみの歌が下賜される。「雲の上はありし昔に変らねど見し玉簾(たまだれ)の内ゆかしき」。

小町は「内ゆかしき」と一字をかえるだけの鸚鵡返(おうむがえ)しの返歌に、かつての才気をみせ、勅使の求めに応じて和歌の道を語り、昔をしのぶ舞を舞う。小町が人に物を乞(こ)う生活の悲惨さを背景にしながら、温雅な叙情を漂わせる。

 

管理人kira2
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老いて昔の美貌は衰えても、小野小町の歌のセンスや技術だけはずっと小町の側に残ったのですね。

 

◆「卒都婆小町(しちばこまち)」伝説 あらすじ

 

能をする者にとって、「ソトバ」は特別な曲なのだそうです。「卒都婆小町」は親しみをこめて「ソトバ」と呼ぶのだとか。

「百歳に一歳足らぬ九十九髪」(ももとせにひととせたらぬつくもがみ)と謡いますが、九十九歳の老女になりますので、「卒都婆小町」の類いの数曲を「老女物」と呼び、重い習いの曲として扱っているのだそうです。そのお話の元となった伝説です。

 

 

小野小町は百歳近い老女となり、昔に比べて今の自分の老衰を思い、都の人目を恥じ、都を出ます。疲れて朽木に腰をかけて休んでいます。それは卒塔婆が朽ちたものでした。通りかかった高野山のは、教え諭して退かせようとします。

老女と問答をし、ついには、もともと本来無一物であり仏も衆生も隔てないと、反対にに諭します。は「誠に悟れる非人」と頭を地につけて三度礼拝します。

老女は小野小町と名のり、昔にひきかえた有様を恥じます。今日の命もわからないのに明日の飢えを助けようと粟豆の乾飯を袋に入れ首にかけ、垢や脂の衣の袋を後に負い、白黒の慈姑の籠を肘にかけ、破れた蓑、破れた笠、袂も袖も朽ち、路頭に迷い、人に物を乞う。

その有様を語るうちに、狂乱の心になり、に対し声を上げます「なう、物賜べなう、おなう」物を下さい、と。驚いたが「何事ぞ。」と尋ねると、小町は「小町が許ヘ通はうよなう」小町の所へ行く、と。

が尋ねると、小町に心をかけた人の中でも殊に思いの深い、深草の四位の少将が憑いたと答えます。ありし日の、深草の少将小町の許への百夜通いの有様を語り、あと一夜で死んだ少将の怨念が憑き添いて、小町は狂乱します。

それにしても後の世を願う事は真であり、小善を積み、仏身となるように、花を仏に手向け、悟りの道に入りましょう。

 

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深草の少将の怨霊に小町が晩年取り憑かれてしまったパタンの伝説ですね。

 

 

 普通、年を重ねた女性の装束は、色無(イロナシ)の装いとなります。色とは紅の事で、落ち着いた深い色合いになっていきます。当然の事に、老女物は赤い色は使う筈がないのですが、実は目立たない所に赤い色を使ってもよい心得になっています。「艶を忘れぬように」という「教え」になっているのですが、根本には「艶」即ち「人間の捨てきれぬ心」、これが残り、しかし枯れた態である表面は、このような事かと思いますが、これはなかなか、特に若く活気に溢れている頃には、本当にわかるものではない様に思います。

 

管理人kira2
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今回は第2弾としては小野小町に関する色々な伝説のことや、平成の時代の美人の条件などについてまとめました。次回は壮絶な晩年に関するお話をまとめます♪

 

小野小町の恋人は誰だったの?六歌仙の歌人・恋愛と古今和歌集に残る恋の歌
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