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小野小町の恋人・深草少将の百夜通い・七小町伝説と老婆の顔!?画像


現在の世に至っても絶世の美女だったと名高い美人の代名詞、小野小町ですが、それ以外の情報に関しては彼女がどんな人、人生だったかはあまりよく知られていません。日本史の中で女性は決して好待遇ではありませんので平安時代の女性のご多分に漏れず、謎が多い彼女です。

今回は、小野小町にまつわる様々な伝説とそれに伴う小野小町の様々な顔について追っていきたいと思います。絶世の美女に残る数々の伝説とは!?その昔その時代で最もキラキラしていた彼女からもカケラをいただきましょう♪

 

 

◆小野小町にまつわる伝説がすごかった!「七小町伝説」とは?知られざる顔

 

小野小町には現在まで数々の伝説や伝承が残っています、有名なものを少し見ていきましょう。最も有名な小野小町の伝説は深草少将との悲恋のお話である「百夜通い伝説」です。若い頃のお話にもかかわらず、小野小町が老婆になるまで発展形のお話が展開されます。

 

 

 

 

また、「七小町伝説」とは、平安朝の歌人小野小町にまつわる挿話・伝説が、いつの頃からか七種にパターン化されて民間に親しまれ、画題ともなったもので、浮世絵や能の題材にもなっています。

 

「七小町伝説」はその名の通り、7つのお話で構成されており、「草子洗小町」「雨乞小町」「通小町」「清水小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」の七つをいうのだそうです。早速、小野小町の伝説を見ていきましょう。

 

 

◆「百夜通い伝説」<基本形>:心の恋人・深草少将との悲恋、小野小町の乙女な顔

 

こちらが小野小町の伝説でおそらくもっとも有名な「百夜通い」伝説の役者となる深草少将(ふかくさのしょうしょう)です。小野小町深草少将が恋をして恋文を送ったことが、悲しい伝説の始まりとなります。

 

 

 

 

ざっというと、

小野小町に恋した、けなげな深草の少将の悲惨な話。

 

 

愛を募らせ、想いを告げた深草の少将小野小町は困ってしまい最初は彼に諦めさせようと無理目な提案をします。(困るくらいなら最初にちゃんと断れよなw)

 

「本当に私のことを想ってくださるなら、100日間毎晩、私のところへ通ってください。それができたら、あなたの気持ちに応えて契りを結びましょう。ただし会いもしないし、声をかけてもいけません。」

 

 

それに対して、深草の少将は雨の日も風の日も、けなげに毎日通います。しかし雪の降る99日目の夜に倒れ、息絶えてしまうといったようなお話です。

 

 

管理人kira2
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こちらが基本パターンです。

 

 

深草少将はエリートコースにいる若者だった!

 

深草の少将は四位の少将とも呼ばれます。四位とは宮廷に上がることを許された身分で教養もあり、今で言うなら霞ヶ関のエリート官僚。そんな立派な身分の少将が、100夜通いを強いられます。

 

 

深草少将のいる深草から、小野小町の住む小野の里までは約5キロだったといいます。

 

 

あまりに深草少将がかわいそうなので

お墓は隣にしてもらってます。

 

 

 

 

次に紹介する歌は、上の句を深草少将が、下の句を小野小町が詠んだとされています。

 

 

あかつきの 榻の端書き 百夜書き 深草少将)
君の来ぬ夜は われぞ数書く (小野小町)

 

 

管理人kira2
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さすが小野小町さん、下の句が切ないですね。

 

 

牛車の前方に出ている2本の引き棒を置く台のことを榻(しじ)というらしいのですが、深草少将はそこに通った日数を刻んでいたといいます。小野小町が作ったと言われる下の句を見ると、いつしか深草少将の訪れを心待ちにするようになっている複雑な小野小町の乙女心が伝わってきます。(でも約束通り、通っていただきます、とw)

 

 

◆深草少将「百夜(ももよ)通い伝説」派生パターンと小野小町の晩年に関する話に小町の様々な顔が!?

 

この小野小町「百夜通い」伝説という深草少将の悲恋の物語は、あくまで伝説で史実ではないとされています。さまざまにアレンジされて人々の心をつかみ、今に伝わっています。
なかでも亡霊となった小野小町小野小町が登場する能「通小町(かよいこまち)」は有名です。

 

 

 

 

先ほどの歌を改めて。上の句を深草少将が、下の句を小野小町が詠んだとされているこの歌は、古今和歌集で紹介されています。

 

『古今和歌集』巻15

「暁の鴫(しぎ)の羽がき 百羽がき 君来ぬ夜は 我ぞ数かく」

(詠み人知らず)こちらの歌が「百夜通い伝説」の由来と言われています。

 

 

◆「百夜通い伝説」のパターン小野小町は恋人・深草少将にS女な顏!?

 

それでは同じ小野小町「百夜通い」伝説の中でも、いくつかのパターンに分けられて話にアレンジが施されていますのでご紹介したいと思います。

 

パターンその①:ほぼ先ほどの基本パターンです。小野小町深草少将が毎日運んできた榧(かや)の実で深草少将の通った日数を数えていた99日目の雪の日に深草少将は99個目の榧の実を手にしたまま死んでしまう。小野小町深草少将の供養のために99個の榧の実を小野の里に撒いたという話。

 

小野小町の元へ通う99日目(最終日の前日)の雪の日に深草少将は榧(かや)の実を握ったまま死去。小野小町99個の榧の実を供養のために撒く。

 

榧の実って、結構大きい。

 

 

 

管理人kira2
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アーモンドみたいな実ですね

 

 

パターンその②深草少将は99日まで通い、100日目の最後の晩に大雪のために途中で凍死。

 

深草少将、最終日に凍死。

 

 

パターンその③小野小町深草少将が毎日運んできた99本の芍薬(しゃくやく)の花を植え続けてきた100日目の夜に空に雨が降り続く中、途中の森子川にかかった紫で編まれた橋で100本目の芍薬を持った深草少将が橋ごと流されてしまう。

小野小町は月夜に船をこぎ出し、深草少将の遺骸を探し、岩屋堂の麓にあった向野寺に安置して、芍薬1本1本に99の歌を詠じ、「法実経の花」と称した。その後、小野小町は岩屋堂に住み、香をたきながら自像を刻み、92歳で亡くなった。

 

 

小野小町の元へ通う100日目の最終日に深草少将が100本目の芍薬の花を手に、橋ごと川に流され溺死。

 

深草少将、最終日に溺死。

不運にもほどがあるぜ…。

 

 

でも、この話の場合は小野小町が結構、動いている。

 

小野小町深草少将の生前も届けられる99本の芍薬の花を植え続けてきていた。

小野小町が月夜に舟をこいで、深草少将の遺骸を発見し、岩屋堂の麓にある向野寺に安置。

小野小町は芍薬1本1本に99の歌を詠じ、「法実経の花」と称し亡き深草少将へ捧げた。

小野小町は岩屋堂に住み、香をたき自像を刻み、92歳で亡くなった。

 

 

小野小町もこれだけ手間暇かけた動き方をしているので、(特に②の夜中に舟漕いで遺体を発見し、寺までもっていくとか凄すぎw)深草少将はこの話ではまだ報われている気がするのは私だけだろうか。

 

 

ちなみに、芍薬の花はこちら。

 

 

 

管理人kira2
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こんなお花を毎日届けるなんて、深草少将ロマンチックですね。

 

 

パターンその④深草少将の死後、小野小町深草少将の怨霊に取り憑かれて頭がおかしくなり、乞食の老女になった。

 

深草少将怨霊になって小野小町に取り憑く

小野小町には頭がおかしくなって乞食の老女になる

 

両者、かなり悲惨な終焉。

 

 

パターン⑤:(山科の随心院に伝わる「はねず踊り」の歌詞)九十九日目の夜、深草少将は雪が余りにも激しかったので代理人に通わせた。

余りの雪に小野小町は「一日早いけれど、どうかお入りなさい」と招き入れると、深草少将とは別人、小野小町も興醒めし、深草少将も恥として、二人は別れてしまう。

 

 

小野小町の元へ通う99日目の最終日前日、深草少将は余りに雪がひどいので代行業者利用

小野小町が1日早いけど良き計らいで招き入れると深草少将は別人で興ざめ

深草少将も恥として、二人は破局。

 

最も現実味のある展開w

 

 

◆小野小町と恋人・深草の少将の伝説「百夜通い伝説」ゆかりのもの

 

深草の少将小野小町のストーリーは伝説ですが、欣浄寺には伝説になぞらえられたものがいくつか残されています。こちらの寺院は深草少将が住んでいたとされる寺院です。

 

 

 

「墨染の井戸」…深草少将の涙のようにかれることから「涙の水」とも呼ばれています。

 

「小町姿見の池」小野小町深草少将の屋敷を訪れた際、美しい姿を水に映したと伝わっています。

 

「竹の下道」通称「少将通いの道」小野小町のもとへ通う深草少将が通った道と言われています。「この道を通ると願いが失せる」という言い伝えになっているとのことです。

 

「深草少将張文像」深草少将が亡くなった後、小野小町に書き送った多くの恋文を焼いて、その灰を粘土にして作ったというもの。像の制作には小野小町がかかわったとも言われています。本堂に置かれている像の朽ちかけた衣装が、伝説のリアル感を出しているそうです。

 

 

小町榧(かや)

小町榧(かや)

 

その他、ゆかりの地としては

 

<随心院>

「文塚」深草少将が書いた手紙を埋めたとする場所

「榧の大木」…糸に綴って日数を数えることになった深草少将が届けた榧の実を撒いて育てたという大木(小町榧)

<補陀洛>…別名「小町寺」と言われ、深草少将篋院塔小野小町供養塔がある。

<法雲寺>…御神体は深草少将小野小町の百夜通いの時に腰かけたといわれる石。あと一夜というところで亡くなり、果たせなかった深草少将の無念が悪縁を切ると言われている。

 

 

◆七小町伝説①:「草子洗小町(そうしあらいこまち)伝説」に寛容な小野小町の顔

 

小野小町七小町伝説のひとつである「草子洗小町」小野小町の宮中の歌合(うたあわせ)での伝説です。能の曲目の一つになっています。

 

 

 

 

小野小町を陥れようとして入れ筆をした大伴黒主の罪を

紙を洗って暴き、それでも寛容に大伴黒主を許す話

 

 

明日の宮中の歌合(うたあわせ)に、小野小町の相手に選ばれた大伴黒主(おおとものくろぬし)は、小野小町の下読みを盗み聞いて、それを『万葉集』のなかに入れ筆をしておく。

 

をはじめ紀貫之ほかの歌人の居並ぶなかで、小野小町の発表した歌は古歌の盗作だと訴えられる。その筆つきを見た小野小町は、草紙を洗いたいと提議し、入れ筆を証明する。

 

自害しようとする大伴黒主を、小野小町は和歌への執心はこうあるべきととりなし、めでたい宴に小野小町は美しく舞い、和歌の道をたたえて終曲となる。能の曲目。

 

この時の小野小町には「水辺の草」という題が与えられており、作られたと言われているものがこちらです。

 

 

まかなくに 何を種とて浮き草の 波のうねうね 生い茂るらん

現代語訳:若草は誰も蒔きはしないのに、何を種として、このように波の畝に生い茂るのであろう

 

 

「歌への熱い思いがそうさせたのだ」と罪を許される寛容さに

あっぱれな伝説です。

 

 

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そんな嫌がらせをされるほどの歌の才能の持ち主だった小野小町が浮かび上がってきますね。

 

 

◆七小町伝説その②:「雨乞小町(あまごいこまち)伝説 」に神も唸らせる歌人・小野小町の顔

 

日照りが続き、雨乞いの達人が雨乞いをくりかえしても、一向に雨が降らない。。もはやこれまで…そんなシーンに小野小町吉原七小町伝説のひとつ「雨乞小町伝説」は誕生しました。小野小町が雨を降らせたという伝説です。

 

 

雨乞小町の原話は、天下早魁の際、小野小町が神泉苑で歌を詠み、その徳でにわかに大雨をふらせたという話。

 

 

こちらも小野小町の歌が

いかに素晴らしいものかを残した伝説。

 

 

江戸時代までは神々に歌や踊りを奉納する習わしがあったそうです。

その技を愛でられ、それに感心されると、神々が褒美として雨を降らすという言い伝えが信じられていたそうです。

 

 

 

 

こちらは江戸末期の歌川派の浮世絵師であった初世歌川豊国の門人の歌川国貞の作品です。歌川国貞は浮世絵の大衆化の流れに乗って、膨大な数の作画をつくり、広重、国芳ら人気の歌川派の絵師と共に、江戸末期の浮世絵界を牽引しました。

 

 

コマ絵は駿雨に波立つ神泉苑の景。柱に凭れる文政期美人の洗い髪は小野小町のおすべらかしの髪型になぞらえ、手にして見人る玉章は、和歌を記す短冊、そしてしどけなく引っかけた表服は十二単衣にそれぞれ見立てられています。模様の天翔る応竜が題材によく合い全体にスッキリとした新鮮な画調と色気とが、快い効果を見せています。

国貞 吉原七小町・雨こひ小町
大判錦絵 揃物 36.9×25.4 cm
落款所蔵庖需國貞両 板元:若狭屋与市 極印

 

 

浮世絵においては「雨乞小町」は特に多く用いられ、その大部分が、江戸庶民らしい美人風俗の見立ての図様に置きかえられています。この図もその一つ。吉原の名妓であった女性の艶姿に七小町をオーバーラップさせた所が鑑賞の主眼となります。

 

 

「小町」が美人の代名詞だったのは江戸時代も同じ。

 

 

 

 

したがって、日照り続きの時には、神の御心にかなうような雨乞いの歌が求められました。いくつか、有名な歌があるようなのですが、その歌の中に小野小町の歌があります。

 

 

ことわりや 日の本ならば 照りもせめさりとては またあめが下とは

ちはやふる 神もみまさば 立ちさばき 天の戸川の 樋口あけたまへ

 

 

小野小町の歌が詠まれると、途端に一天にわかにかき曇り、たちまち待ちに待った雨が降ってきたという伝説が「雨乞小町伝説」です。

 

 

 

 

小野小町・神泉苑に小野小町雨乞 蕉堂・明治二十九年

 

小野小町は歌だけでなく、浮世絵の題材としても発展し、それぞれ名を残すなど、その存在が与えた功績はすごいものがありますね。

 

 

 

 

 

管理人kira2
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神々も小野小町の歌に聴き惚れて、本当に褒美の雨を与えてくれたのかもしれませんね。

 

 

◆七小町伝説③「通小町(かよいこまち)伝説」に小野小町の亡霊と恋人・深草少将の怨霊の顔

 

こちらも小野小町吉原七小町伝説のひとつ「通小町伝説」小野小町の伝説の基本形である「百夜通い」伝説の続編のような伝説です。

 

 

 

 

深草少将は怨霊、小野小町も亡霊になっており、

亡霊と怨霊が僧のおかげでハッピーエンドを迎える話w

 

 

京都・八瀬(やせ)の山里で一夏の修行[夏安居(げあんご)。九十日間籠もる座禅行]を送るのもとに、木の実や薪を毎日届けるがいました。が、問答の末に名を尋ねると、女は、絶世の美女、才媛であった小野小町(おののこまち)の化身であることをほのめかし、姿を消しました。

市原野に赴いたが、小野小町を弔っていると、その亡霊が現れ、からの受戒を望みます。そこに、背後から近づく男の影がありました。それは小野小町に想いを寄せた深草少将の怨霊でした。執心に囚われた深草少将は、小野小町の着物の袂にすがり、受戒を妨げようとします。

 

はふたりに、百夜(ももよ)通いの様子を語るよう促します。深草少将からの求愛に、小野小町は、百夜通って、牛車の台で夜を過ごせば恋を受け入れると無理難題を出します。深草少将はどんな闇夜も雨、雪の夜も休まず、律儀に歩いて小野小町のもとへ通いました。そのありさまを再現します。

 

百夜目。満願成就の間際、まさに契りの盃を交わす時、深草少将は飲酒が仏の戒めであったことを悟り、両人ともに仏縁を得て、救われるのでした。

 

 

管理人kira2
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続編でふたりが救われてよかったです。

 

 

◆七小町伝説④:「清水小町(しみずこまち)伝説」に小野小町を想う元恋人・在原業平の顔

 

こちらは絶世の美女小野小町が老い始めた頃のお話となる、七小町伝説のひとつ「清水小町伝説」です。

都で年老いた小野小町は、故郷をなつかしく思い、再びたどりついたところが上岩川の小野村だったといいます。この上岩川の岸辺に冷泉があり、小野小町もこの冷泉のくんで使ったので、後世小町の清水とよびました。そこでの伝説です。

 

 

 

 

在原業平が小野小町に出家を勧める名シーン

 

 

年老いた小野小町は”関清水”と呼ばれる地で暮らしたとされ、それを基に描かれたのが”清水小町”です。

ある日在原業平小野小町の住む小さな庵を訪れます在原業平から仏教へ帰依することを薦められた小野小町は、諸国めぐりの旅へ出ます。

 

 

この話はもし、現実に何かしら基づいているのであれば、小野小町の人生の中でとても印象的なシーンの一つだなと思います。というのは、イケメンプレイボーイで美人にしか興味のないスケコマシの(言い過ぎw)在原業平が、わざわざ老婆になった小野小町の住む郊外まで出向き、仏教への出家を勧めているわけです。

 

 

 

 

在原業平は、情がアツイいい男。

 

美人を片っ端からアタックして落としていった在原業平ですから、おそらく若い時代には絶世の美女小野小町ともそれなりの恋心も交わしあったことでしょう。その小野小町に対して、老いた後にもこうして誠実な思いやりや人間性を見せるというのはの在原業平オトコマエっぷりがよく分かるエピソードだなと思います。

 

 

また、在原業平も歌人でしたから、それだけ小野小町に対し、「美女」を超えた人間としての尊敬や同じ時代を生きた親愛や情といったものがあったのかもしれませんね。別の伝説においても在原業平はもう一度登場することになります。

 

 

 

小野小町の壮絶な最期についてはこちらをどうぞ↓

小野小町の最期・晩年が壮絶!?九相図の死体の絵がある!?お墓は?
今回は絶世の美女・小野小町の壮絶な最期に迫ります。無常感たっぷりの小野小町の最期ですが、「九相図」を残すなど、独特なお話もあります。お墓についても調べてみました。その昔その時代で最もキラキラしていた小野小町の最期からもカケラをいただきましょう♪

 

 

 

が、これ、もしかしたら小野小町の妄想かもw

在原業平小野小町仏教へ帰依することを勧めたあと、ふっと消えていきます。小野小町自身も
は、これは観音菩薩の教えであると悟ったと言いますから、小野小町在原業平への想いからこのような幻覚を見た可能性もあります。

ともかく、そこから小野小町は流浪して、陸奥の玉造小野の里にたどり着き、そこで命を終えたとも言われていますし、最期の場面で在原業平に再会したという伝説もあります。

 

 

 

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年老いた小野小町が救われる道を在原業平が指し示してくれたのですね。愛やね。

 

 

◆七小町伝説⑤:「関寺小町(せきでらこまち)伝説」に小野小町老婆老女の顔

 

こちらも七小町伝説のひとつ「関寺小町伝説」ですが、古くは『小町』とも呼ばれたそうです。小野小町の老化がかなり進んで、老婆になったころの伝説です。

 

能の最奥の秘曲とされており、宗家以外の弟子家に許されたのは、宝生(ほうしょう)流、喜多(きた)流では大正以来、金剛(こんごう)流では明治から上演されていないのだそうです。それほど重く扱われてきた能なのだそうです。その元となった伝説です。

 

 

 

 

華やかな昔と現在の対比

老女になった小野小町の深い嘆きのお話。

 

 

近江(おうみ)国、関寺のが和歌の話を聞くため、稚児(ちご)を伴って、あたりに住む老女の庵を訪れる。和歌の物語の端々から、たちは老女小野小町の成れの果てと知る。

 

華やかであった昔の述懐と、落魄(らくはく)の現在との対比が語られる。七夕(たなばた)の祭りに招かれた小野小町は、稚児の舞にひかれて、思い出の舞を舞い、昔をしのぶが、明け方の鐘の音とともに庵帰って行く。山に捨てられた老女の霊の『姨捨(おばすて)』、地獄に落ちた老いた舞姫の『檜垣(ひがき)』とともに「三老女」とよばれるが、それらに比べ、劇的な起伏は極端に少ない。

 

しかも現在能で書かれた作品だけに、その淡々としたなかに、深い老女の嘆きと、昔の華やかさを描くことは、至難の業である。

 

 

美貌は失われても歌の技量は老婆になっても失われていない小野小町が印象的です。

 

管理人kira2
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子どもたちに和歌を教える老婆となった小野小町のお話です。

 

 

◆七小町伝説⑥:「鸚鵡小町(おうむこまち)伝説」に小野小町老婆老女の物乞いの顔

 

こちらも七小町伝説のひとつ「鸚鵡小町伝説」ですが、小野小町の老化っぷりが描写として激しくなってきます。老いて零落した小野小町が帝の御詠に対し鸚鵡(おうむ)返しの返歌をしたことを描いたという伝説です。

 

『関寺小町』『檜垣(ひがき)』『姨捨(おばすて)三老女に次ぐ秘曲として、能では大変重く扱われているということです。

 

 

 

 

小野小町が、100歳に及ぶ老婆で物乞いになっている

しかし歌の能力だけは、全てを失っても健在という話

 

 

百歳に及ぶ老残の小野小町に、帝から哀れみの歌が下賜される。「雲の上はありし昔に変らねど見し玉簾(たまだれ)の内ゆかしき」。

小野小町は「内ゆかしき」と一字をかえるだけの鸚鵡返(おうむがえ)しの返歌に、かつての才気をみせ、勅使の求めに応じて和歌の道を語り、昔をしのぶ舞を舞う。

小野小町が人に物を乞(こ)う生活の悲惨さを背景にしながら、温雅な叙情を漂わせる。

 

 

この歌の意味が一字でどう変わったのかを解説しているものがありましたので念のため引用します(笑)。

 

 

雲の上はありし昔にかはらねど見し玉だれの内ゆかしき
   (宮中は、あの頃の昔と何も変わりなしないけれど、
    あなたの見た、私たちのいる御簾の中が見たくはありませんか?)

 

雲の上はありし昔にかはらねど見し玉だれの内ゆかしき
   (宮中は、あの頃の昔と何も変わりなしないけれど、
    私の見た、あなたがたのいる御簾の中を見たいです)

 

 

 

管理人kira2
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老いて昔の美貌は衰えても、小野小町の歌のセンスや技術だけはずっと小野小町の側に残ったのですね。

 

 

◆七小町伝説⑦:「卒都婆小町(そとばこまち)伝説」に小野小町の老婆老女で半狂乱の顔

 

最後の七小町伝説となりましたが、「卒都婆小町伝説」です。能をする者にとって、「ソトバ」は特別な曲なのだそうです。「卒都婆小町」は親しみをこめて「ソトバ」と呼ぶのだとか。

 

 

 

 

「百歳に一歳足らぬ九十九髪」(ももとせにひととせたらぬつくもがみ)と謡いますが、九十九歳の老女になりますので、「卒都婆小町」の類いの数曲を「老女物」と呼び、重い習いの曲として扱っているのだそうです。そのお話の元となった伝説です。

 

 

100歳近い物乞いの小野小町が僧に説教

小野小町は深草少将の怨念が憑き半狂乱

 

 

小野小町は百歳近い老女となり、昔に比べて今の自分の老衰を思い、都の人目を恥じ、都を出ます。疲れて朽木に腰をかけて休んでいます。それは卒塔婆が朽ちたものでした。通りかかった高野山のは、教え諭して退かせようとします。

 

老女と問答をし、ついには、もともと本来無一物であり仏も衆生も隔てないと、反対にに諭します。は「誠に悟れる非人」と頭を地につけて三度礼拝します。

 

老女は小野小町と名のり、昔にひきかえた有様を恥じます。今日の命もわからないのに明日の飢えを助けようと粟豆の乾飯を袋に入れ首にかけ、垢や脂の衣の袋を後に負い、白黒の慈姑の籠を肘にかけ、破れた蓑、破れた笠、袂も袖も朽ち、路頭に迷い、人に物を乞う。

その有様を語るうちに、狂乱の心になり、に対し声を上げます「なう、物賜べなう、おなう」物を下さい、と。驚いたが「何事ぞ。」と尋ねると、小野小町は「小町が許ヘ通はうよなう」小野小町の所へ行く、と。

 

が尋ねると、小野小町に心をかけた人の中でも殊に思いの深い、深草の四位の少将が憑いたと答えます。ありし日の、深草少将小野小町の許への百夜通いの有様を語り、あと一夜で死んだ深草少将の怨念が憑き添いて、小野小町は狂乱します。

それにしても後の世を願う事は真であり、小善を積み、仏身となるように、花を仏に手向け、悟りの道に入りましょう。

 

 

管理人kira2
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深草の少将の怨霊に小野小町が晩年取り憑かれてしまったパタンの伝説ですね。

 

 

下の画像は「卒塔婆小町」で使われた能面です。

深草少将との話に絡み、以後小野小町の晩年に関するものは、悲惨なお話も少なくないです。夫も子も家もなく、晩年になると生活に困窮してしまい乞食となって道端を彷徨った話だけではありません。

 

 

 

 

ススキ原の中で声がしたので在原業平が立ち寄ってみると目からススキが生えた小野小町の骸骨があったなど、華やかで絶世の美女と名前を轟かせた若い時の姿とはかけ離れたような話がいろいろ残っています。

 

絶世の美女のなれ果ての姿が痛すぎるww

 

 

 

艶は人間の捨てきれぬ心。

 

 普通、年を重ねた女性の装束は、色無(イロナシ)の装いとなります。色とは紅の事で、落ち着いた深い色合いになっていきます。当然の事に、老女物は赤い色は使う筈がないのですが、実は目立たない所に赤い色を使ってもよい心得になっています。

「艶を忘れぬように」という「教え」になっているのですが、根本には「艶」即ち「人間の捨てきれぬ心」、これが残り、しかし枯れた態である

表面は、このような事かと思いますが、これはなかなか、特に若く活気に溢れている頃には、本当にわかるものではない様に思います。

 

 

小野小町が、百夜通いの序盤に方針を中止して、エリート街道を走る深草少将と一緒になっていれば・・・ということを言っては元も子もないでしょうか(笑)?

 

 

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今回は小野小町に関する色々な伝説のことをまとめました。

 

小野小町の恋愛恋人・恋の歌まとめ!実は性別が男?六歌仙・古今和歌集
今回は日本全国に未だにその名をとどろかせている絶世の美女・小野小町の最もキラキラした時代、恋の話とそれに絡む恋の歌について追っていきたいと思います。その昔その時代で最もキラキラしていた彼女からもカケラをいただきましょう♪

 

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