小野小町の最期・晩年が壮絶!?九相図の死体の絵がある!?お墓は?

現在の世に至っても絶世の美女だったと名高い美人の代名詞、小野小町ですが、それ以外の情報に関しては彼女がどんな人、人生だったかはあまりよく知られていません。日本史の中で女性は決して好待遇ではありませんので平安時代の女性のご多分に漏れず、謎が多い彼女です。

今回は絶世の美女・小野小町の壮絶な最期に迫ります。無常感たっぷりの小野小町の最期ですが、「九相図」を残すなど、独特なお話もあります。お墓についても調べてみました。その昔その時代で最もキラキラしていた小野小町の最期からもカケラをいただきましょう♪

◆絶世の美女・小野小町の最期は悲惨だった!?

 

小野小町の最期に関する話は小野小町の伝説である「百夜通い伝説」「七小町伝説」のお話が前提となりますので、そちらがまだの方はこちらを是非ご覧ください↓

 

小野小町と深草少将の悲恋「百夜通い伝説」意味とあらすじ伝承パターンまとめ
今回は、小野小町にまつわる様々な伝説(百夜通い伝説・草子洗小町伝説・雨乞小町伝説・通小町伝説・清水小町伝説・関寺小町伝説・鸚鵡小町伝説・卒都婆小町伝説)のうち、最も基本形として有名な百夜通伝説について主に調べていきたいと思います。

 

結構この辺から重いので(笑)、歌や恋の話の前に「絶世の美女の最後」がどういったものだったか、そちらに関することを先に載せておこうと思います。

 

管理人kira2
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重いものはサッサと片付けるに限ります。

 

 

◆小野小町の最期は?晩年は老婆老女で物乞いで亡霊で狂乱だった!?

 

若い頃の小野小町は、絶世の美女として世の男性からモテまくり、誰もがうらやむ美しさで多くの男を虜にしたのかもしれないのですが、小野小町の晩年はとことん落ちぶれて、悲惨な伝承がかなり多いようです。パタン的には各小野小町の「伝説」に基づくものが多いようです。

 

 

ほかにも全国に70以上もの小野小町伝説があるということです。ザックリその晩年に関する各説を紹介していきたいと思います。

 

 

◆「七小町伝説」内での小野小町の晩年は?

 

以下は小野小町「七小町伝説」の中の内容となります。

 

「清水小町」…ある日在原業平小野小町の住む小さなみすぼらしい庵を訪れます在原業平から仏教へ帰依することを薦められた小野小町は、これは観音菩薩の教えであると悟り諸国めぐりの旅へ出ます。

「関寺小町」…近江(おうみ)国、関寺の僧が和歌の話を聞くため、稚児(ちご)を伴って、あたりに住む老女の庵を訪れる。和歌の物語の端々から、僧たちは老女を小野小町の成れの果てと知る。老女になった小野小町の話

「卒塔婆小町」…老婆となった小野小町が僧と問答。深草少将の怨霊に取り憑かれて狂う様

 

 

「七小町伝説」の中での小野小町の晩年は…

老婆・老女か乞食、物乞いか

深草少将の怨霊に取り憑かれて狂乱状態か

自分も亡霊

という悲惨ぷり。

 

また、「清水小町」での在原業平の提案通り、小野小町仏教的な遺物を残したとされています(後述)また、在原業平とはその仏教への関連での延長かどうかはわかりませんが小野小町の最期に在原業平が立ち会ったという話も出てきます。先にその話が以下でご紹介します。

 

 

◆「七小町伝説」以外での小野小町の晩年・最期は?

 

以下は小野小町「七小町伝説」以外の話となります。

 

新たに、

ススキ野原で行き倒れて野晒し

老衰して貧窮し、悲惨な老醜

髑髏(どくろ)で在原業平と再会

などが出てきます。いずれもけた外れの転落っぷりです。

 

 

・「老衰落魄伝説」…小野小町は老後、容色が衰え生活にも困り、物乞いになって全国を漂泊した。最後はススキ野原で行き倒れて野晒しとなった。

玉造小町」…これは美貌を鼻にかけて増長し、帝の寵愛を得ることを願って男たちをの求愛をすべて拒絶した驕慢な女が、老衰して貧窮し悲惨な老醜を生き、因果応報の人生を終えたとする物語である。これが小野小町と同一人物であると混同された。

あなめ伝説」…在原業平がススキ野原で「秋風の吹くにつけてもあなめ、あなめ」(あぁ、目が痛い)と云う声を聞き、「小野とは云わじ薄生いたり」と下句を付けてやる声が止み、近寄ってみると、髑髏(どくろ)があり、その目からススキが生えていた。抜き取ってやると、それは小野小町の髑髏だった。

 

 

あなめ伝説」「吉原七小町伝説」に出てくる「清水小町」の後に、在原業平との再会があったというお話になっています。

 

「あなめ伝説」においては小野小町在原業平はこのような歌を交わしています。

 

 

小野小町(髑髏)上の句:「秋風の吹くにつけてもあなめ、あなめ」(あぁ、目が痛い)

在原業平 下の句:「小野とは云わじ薄生いたり」

 

 

髑髏の目の穴からススキが生えていて、目が痛いという小野小町の声があり、在原業平がススキを髑髏からとってやるという話です。

 

 

 

 

小野小町在原業平の同じようなやり取りのお話が室町時代に成立した「御伽草子『小町草子(こまちのそうし)』」にもあります。

 

在原業平が陸奥に下り、小野のすすきの原に小野小町の跡を弔うために訪れると声がして来たと言います。それがこの上の句。それに対し、在原業平は下の句で返します。

 

 

小野小町:「くれごとに秋風吹けばあさなあさな」

在原業平:「おのれとは言はじ、すすきの一むら」

 

 

すると、おもむろに小野小町の亡霊が姿を現し、在原業平後世の弔いを頼み、消えて行ってしまいます。残されたのはススキの草むらに、白骨一むらのススキだったというお話です。

 

 

 

 

御伽草子の「小町草紙」は絶世の美女・小野小町の晩年をかなりキツメの転落で表現しています。

 

天性の美貌と和歌の才で浮名を流した小野小町が,年老いて見るも無残な姿となり,都近くの草庵に雨露をしのいでいた。里へ物乞いに出ると,人々は〈古の小町がなれる姿を見よや〉とあざける。彼女は東国から奥州へと流浪の旅を重ね,玉造の小野にたどりつき,草原の中で死ぬ。

 

 

歌道と仏道を結び付けた!?

 

 

御伽草子の「小町草紙」が、在原業平小野小町観音の化身とし、歌道と仏道を結びつけて中世の「小町伝説」を集成している。

 

一方で御伽草子の「小町草紙」はこのような見方もされているようです。また、研究者によると、小野小町の話を語り歩いていた女が複数いたようだということも分かっているようです。

 

 

 

 

管理人kira2
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しかし、在原業平という人はモテるだけあって、イケメンでしたね。

 

 

伝説は和泉式部伝説と重なるところも少なくないところから,小野小町の生涯を語り歩く唱導の女たちがいたことが考えられる。…

 

 

女が語り歩いたというところで、絶世の美女・小野小町これでもかという程に転落し、哀れな老婆として語り継がれていった理由がちょっとそこにも多少ありそうな感じがしますね(笑)

 

 

結論:小野小町の晩年は

だいだい醜く老婆の姿(汗)

 

 

管理人kira2
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なんか、読んでるだけでツラクなってきました。

 

 

◆小野小町の最期の辞世の和歌ってあるの?晩年の姿画像

 

小野小町の辞世の一首だと認識されている壮絶な和歌があるのでご紹介します。この歌があって次項の『九相図』の話が伝説として登場します。

 

 

我死なば 焼くな埋ずむな 野にさらせ 

痩せたる犬の腹を肥やせよ

 

 

【意味】自分が死んだら、焼いたり埋めたりせずに野に放ってください。痩せ細った犬の腹の足しにでもなれば私は本望です。

 

 

 

 

これまでの華やかで情緒あふれる作品の色とは全く違う、ある種の超越・解脱した小野小町の感情がありますね。この辺りが次項にお話しする『九相図』に関する内容と繋がってくることになります。

 

 

小野小町の晩年は、華々しいものとは隔絶した諸説と共に、小野小町の精神性の変化が見られます。
しかし、実際のところは謎が多く、不明なままです。

 

 

群馬県富岡市の「小町山 祥真院 得成寺(とくじょうじ)」もそのひとつ。

小野小町は13歳で宮中生活を始めるが、30代半ばで長谷寺(奈良県桜井市)の十一面観音のお告げをきっかけに故郷の出羽国(秋田県)へ向かう。東海道から中山道と旅する途中、当地で人には見せられないような顔になる病気にかかった。

村人に「霊験あらたかな薬師様が奉られている」と聞いた小野小町は薬師様まで朝に晩にと千日の願をかけたという。病が癒えた小野小町は貴重だった塩を薬師様に奉納、髪と爪も供えて小町塚とした。

小野小町が旅立ってから400余年後の1222(貞応元)年、小野小町の庵があった地に高野山から来た心全律師が「小町山 祥真院 普済寺」として開山。住民たちに小町伝説が伝わり続けていた証しだろうか。

家綱からは小町板絵と小町像も贈られた。板絵は狩野派が描いた全盛期の姿で華麗な顔が描かれている。対照的に無我無心像」と名付けられた木彫り像は老いさらばえた姿を見せる。「小町伝説があったからこそ、家綱公は無常観を伝えたかったのではないか」。鈴木住職はそう考えている。

 

 

晩年の小野小町は「無常観」がキーワード

 

小町板絵

小町板絵

 

 

美しい時代の小野小町だけでなく、老いてひどい状況になった小野小町の姿を残すものが多いようですね。

 

 

滋賀県大津市の月心寺には「小町百歳像」という像があるらしいが、ネットで画像を探すと、ここまで醜く小野小町を彫るかと驚いてしまった。薄暗いお堂の中では、妖気がこもって怖ろしく感じることだろう。

 

 

小町百歳像がこちら

 

 

小町百歳像

小町百歳像

 

 

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結構ショッキングですね

 

◆なぜ小野小町の晩年や最期は悲惨でなければならなかったのか?

 

晩年の小野小町に関する悲惨な話はいずれも信憑性に乏しいもののようなのですが、こんな話や像や掛軸がなぜ大量に作られ、各地に頒布されたのかを考えた時に、日本全土共通の「ある種の戒め」のような印象を覚えます。

 

単純に小野小町の美貌と才能を妬んだからというのではなさそうです。

その点に着目した記述がありましたのでご紹介します。

 

 

若い時にいくら周囲からチヤホヤされて浮き名を流した女性でも、やがて老醜を蔑まれ惨めな人生を迎える時が来る。いくらお金をつぎ込んでも「老い」を避けることは不可能だ。つまるところいつの時代も、老いても多くの人から愛される人間になることを目指すしかないと思うのだ。

 

近所づきあいをせず家族もなければ、今よりもずっと悲惨な老後が待っていた時代でもあった。
そこで、孤高では老後を生きていくことができないということを伝えるために、

 

若かりしときは伝説の美人であり才女であった「小野小町」の老いさらばえた姿を絵や物語に登場させることになったのだと思う。「小野小町」の伝承が全国にやたら多いのは、史実と物語とが時代と共に渾然としてきて、その見極めができなくなってしまったからなのだろう。

 

 

お高くとまってちゃだめよ、という戒めの為。

 

 

小野小町の気丈さは、当時の女性としては考えられないほど和歌の才能を遺憾なく発揮した為、キラキラ輝いている女性として、和歌の世界に君臨させるに十分な力量を持っていました。
一方で、あまりにもそれが強い輝きのために眩しすぎて小野小町には誰も近寄ることができず、一人宮廷で和歌を詠む暮らしを続けていたともいわれています。

 

 

 

 

つまりは、失われる美貌や若さにお高くとまってないで、

・近所づきあいちゃんとしろよ

・家族をもって、大事にしろよ

・多くの人から愛される人間になれよ

・じゃないと悲惨な老後が待ってるぜ

 

という、ひとつの「悟り」として、全国各地の家庭や村などの秩序の維持のために利用された可能性が高いのかな?と個人的には思いました。そうした「強烈な戒め」に対する需要が全国的にあった、ということなのかもしれません。

 

管理人kira2
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よりセンセーショナルな伝承にする為に、そもそも才能ある美人を転落させる必要があったということですね。

◆小野小町の最期死因は?「九相図」として死体を描かせたってホント!?画像

 

結論から言うと、小野小町は和歌のほかにも自分の死体を『九相図』として後世に残していると言われています。『小野小町九相図』、住蓮山安楽寺、京都市『九相詩絵巻(小野小町九相図)』、如意山補陀落寺(小町寺)にあるらしいです。

 

◆小野小町が最期に残した『九相図』って何?

 

小野小町に関して調べて行って、初めて私も知ったのですが、小野小町熱心な仏教徒だったため、自分が死んだ絵をわざわざ描かせたという事らしいです。後世の仏教徒のために自分ができる事をした、ということかもしれません。

 

九相図:屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画

 

 

結構コレがグロくてですね。人が死んだ後の体の移り変わりを九の場面にわけて描いたもので、死後直後から徐々に腐っていき、最後は白骨化した状態までの工程を描いています。(今回はグロイものは載せません。)

 

死後直後

生前相

 

 

絶世の美女が朽ちる自分の姿を絵に残すなんて。

かなり前衛的!?

 

『大智度論』『摩訶止観』などでは以下のようなものである。

 

  1. 脹相(ちょうそう) – 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
  2. 壊相(えそう) – 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
  3. 血塗相(けちずそう) – 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
  4. 膿爛相(のうらんそう) – 死体自体が腐敗により溶解する。
  5. 青瘀相(しょうおそう) – 死体が青黒くなる。
  6. 噉相(たんそう) – 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
  7. 散相(さんそう) – 以上の結果、死体の部位が散乱する。
  8. 骨相(こつそう) – 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
  9. 焼相(しょうそう) – 骨が焼かれ灰だけになる。

 

 

画像は京都市左京区の浄土宗安楽寺が宝物として所蔵する掛軸である「小野小町九相図」(三幅)から、一応これでもグロテクな部分を除いて紹介してみました(汗)。

 

 

その場合の問題の朽ちる9場面の名称は

1、生前相 2、新死相 3、肪脹相 4、血塗相 5、肪乱相 6、青瘀相 7、噉食相

8、骨連相 9、古墳相 となっています。

 

 

血塗相

新死相

 

 

この工程を描かせたというだけで、小野小町がどれだけ体と魂をかけて後世(のため)に自分の跡を残したかが分かります。小野小町にとって、自身の美貌は存在価値のすべてだったように思えるような彼女の和歌でしたが、『九相図』を世に残すということは、その存在価値である「美貌」のすべてを捨て去り、ひっくり返すような行為でもある気がします。

 

 

これが本当に本人の意思で描かれた小野小町のものであるとするならば、最後に彼女が残した世の中の自分のイメージに対するレジスタンスだったのかな、とも思います。

 

 

美しいとは??という問いかけ

 

 

死体の変貌の様子を見て観想することを九相観(九想観)というが、これは修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと知るための修行である。

仏僧は基本的に男性であるため、九相図に描かれる死体は、彼らの煩悩の対象となる女性(特に美女)であった。

 

 

「九相図」は美女という煩悩を乗り越えて

修行僧が悟りを得るためのもの

 

 

骨連相

骨連相

 

 

なぜ小野小町の死体の腐敗観察の絵が仏教絵画扱いになるのかというところで、修行中のお坊さんが殆ど男性だということと男性の主たる煩悩=女性という話からのようです。煩悩を取り払うのが修行なので、肉体は不浄なもの、無常なものだと悟るために利用価値があったということのようです。

 

 

焼相

古墳相

 

 

簡単に言うと小野小町のようないい女だって、こんなぐちゃぐちゃの死体になるのは一緒で、人間みんな死んだら骨になって土にかえるだけなんだぜ。だから、おまいら女にうつつ抜かしてないで修行がんばれよ」ということのようです。

 

『九相図』に描かれるのが全て美女であるというのもそうした理由からのようです。有名なのは小野小町のほかに檀林皇后だそうです。

 

管理人kira2
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諸行無常ですね。。

 

 

◆小野小町の最期の地・墓所はどこにあるの?

 

さて。

ようやく小野小町のキツイどころを乗り越えました(笑)

少しホッとして小野小町の墓所の話になりますが、こちらも出生地同様に全国に候補地(?)が点在していました。小野小町の最期は故郷である出羽郡今の秋田(?)に帰る途中に、宮城県の大崎市で亡くなったというのが有力なようです。この地にお墓は一応あるのですけれども、何故か各地にも点在している状況です。

 

 

小野小町のお墓がある地は以下(一部)

 

宮城県大崎市、福島県喜多方市、栃木県下都賀郡岩船町、茨城県土浦市、茨城県石岡市、京都府京丹後市大宮町、滋賀県大津市、鳥取県伯耆町、岡山県総社市、山口県下関市豊浦町などがあるそうだ。

小野小町の物とされる墓も、全国に点在している。このため、どの墓が本物であるかは分かっていない。平安時代位までは貴族も風葬が一般的であり(皇族等は別として)、墓自体がない可能性も示唆される。

 

秋田県湯沢市小野には「二ツ森」という深草少将小野小町の墳墓もあります。深草少将は実在の人物でなかったとされていますが、お墓はあるんですね(笑)

 

管理人kira2
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今回は小野小町壮絶な最期を先にお届けしました。ちょっとホラーな話が多かったのですが、次回は華々しい時代の小野小町らしい恋の話と恋の歌のご紹介をしようと思います♪

 

 

小野小町の恋愛恋人・恋の歌まとめ!実は性別が男?六歌仙・古今和歌集
今回は日本全国に未だにその名をとどろかせている絶世の美女・小野小町の最もキラキラした時代、恋の話とそれに絡む恋の和歌について追っていきたいと思います。小野小町の恋人は誰だったのか、だれに思いを募らせていたのか、和歌を通して当時の小野小町の女心に迫ります。

 

 

 

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