小野小町の恋愛恋人・恋の歌まとめ!実は性別が男?六歌仙・古今和歌集

◆社会

小野小町の最も輝かしき黄金時代である若き日の恋愛、恋人への歌を取り上げ、小野小町の心がどこにあったのかを古今和歌集の恋の歌から追います。併せて、別が男だったのではないか?と噂された由来についても追いました。

◆小野小町は「古今和歌集」の評価された歌人?三十六歌仙とは?

小野小町がどうやら美人であるほかにも素晴らしい歌人ということはよく知られています。自著として『小町集』という歌集も存在し、有名な『古今和歌集』にも歌が載っています。そこから選ばれた歌が『百人一首』にも使われています。

 

 

小野小町は藤原公任の『三十六人撰にて『三十六歌仙』に選ばれています。平安時代の和歌の名人36人の総称として認められたということです。

 

柿本人麻呂 山部赤人 大伴家持 猿丸大夫 僧正遍昭 在原業平 小野小町 藤原兼輔 紀貫之 凡河内躬恒 紀友則 壬生忠岑 伊勢 藤原興風 藤原敏行 源公忠 源宗于 素性法師 大中臣頼基 坂上是則 源重之 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原元真 源信明 斎宮女御 藤原清正 藤原高光 小大君 中務 藤原仲文 清原元輔 大中臣能宣 源順 壬生忠見 平兼盛

 

その36人は上記の人物となります。百人一首でもよく見る名前が勢ぞろいですね。

 

紀貫之は、延喜5年(905)に醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の撰者のひとりとなり、仮名でその序文(「古今和歌集仮名序」)を執筆した。その中で「近き世にその名きこえたる人」として「六歌仙」を選んでいる。

 

小野小町紀貫之によって、さらに六歌仙(平安時代初期の、代表的な6人の歌人)のひとりにも選出されており、古い時代に活躍できた女性としては殿堂入りの凄い女性なのは間違いありません。

 

 

小野小町の和歌には議論がある。

 

小野小町の和歌」に関しては議論があります。古今和歌集(こきんわかしゅう)』に収録されてるものは小野小町のものとするのが通説ですが、その他の歌集のものは疑義が生じます。例えば、後世の『小野小町集』には小野小町の作とされる歌が多く収められていますが、正確な判別には難しいものがあります。

 

小野小町の生誕の地についてはこちら↓

小野小町とは?出身地(生誕地)秋田?位は?百人一首の女性は何人?
小野小町の出身地(生誕地)が秋田県以外にも多く候補がある事や、位、父親母親の話と共に『小倉百人一首』で取り上げられている女性歌人は何人いたのか?という情報を調べていきたいと思います。

 

ちなみに、同じく女性歌人で有名な紫式部ですが、小野小町が活躍した時代にはまだ生まれていません。

 

 

◆六歌仙は評価し選んだ紀貫之だけでなく小野小町の他にも失脚した人達で構成されていた!?

 

後々の恋愛エピソードにもつながる話なので、ここで六歌仙に選ばれている歌人の紹介をします。

 

 

六歌仙というだけに6人いますが小野小町以外は男性です。

 

『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。

 

女性では小野小町が紅一点の女性だったわけですね。まあ、男性の中で女が複数絡むと大抵モメるので、いい選択なんじゃないかと思います(笑)

 

管理人kira2
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小野小町六歌仙のアイドル的存在だったのかもしれませんね。

 

また、六歌仙に選ばれた人たちは、その内情を見ると、左遷され失脚している立場の人ばかりであるという見解もあります。

 

当時、文徳(もんとく)天皇が治世にあたっていたが、天皇には長男の惟喬(これたか)親王次男の惟仁(これひと)親王がいた。単純に考えれば、長男の惟喬親王が天皇になる予定だったが、惟喬親王の母方が、紀氏(きのし)だったのに対し、次男の惟仁親王の母方は藤原氏だった。

当時、藤原氏は、大変な勢力を持っており、そのため、次男の惟仁親王が、次期の天皇の候補となったのである。

 

それと同時に、惟喬親王側にいた貴族らは、次々と地方に飛ばされ、失脚。六歌仙の一人、文屋康秀(ぶんやのやすひで)も、三河の三等官として左遷されている。同時期、小野小町も失脚したと見えて、お互い慰め合うような和歌を交わしている事実でもこのことがわかる。

 

一方、政権争いに破れた惟喬親王の方はというと、山奥に隠棲せねばならなかった。彼が隠棲した地は、小野氏のゆかりの地で小野篁(たかむら)神社というものが今でもある。小野篁小野小町の父か、祖父だと言われている人である。つまり、、小野小町は、惟喬親王サイドにいたわけで、彼女が政治の駆け引きによる影響をもろに受け、その結果として失脚していったと考えられるのである。つまりは彼女は政権闘争の犠牲者でもあったのである。

 

そして紀貫之自身も、紀家の人間であることから、六歌仙を選ぶにあたり、半世紀ほど前に、辛酸をなめさせられて政治の表舞台から消されていった同胞に対する憐憫の情も加わっていることは否めない。

 

六歌仙選定には政治の表舞台から消されていった同胞に対する憐憫の情が加わっている、それと同時に左遷され、失脚した者たちを輝かせる復活の舞台だったともいえるのかもしれません。

 

「近き世にその名きこえたる人」

 

紀貫之って
やっぱりなん

カッコいいんですね。

 

◆小野小町の恋人へ詠む恋の歌『古今和歌集』の有名な17首一挙公開!歌風や特徴、意味・和歌番号を見てみましょう

小野小町の作品の中で特に『古今和歌集』に掲載されているものに絞って一挙紹介します。『古今和歌集』に納められている小野小町の和歌は、平安時代初期の当時にすると、女性としての恋の思いをかなりしっかりと表わされているとても進んだ感覚を持ったものでした。

 

 

小野小町のこちらの歌の中でさえも、艶やかな女性の彩りが歌ににじみ出てきます。

 

 

花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに/小野小町の和歌番号『古今和歌集』巻二  春歌下113 意味(桜)百人一首番号9

(古今和歌集巻二  春歌下113)

【意味】花の色は色あせてしまいました。むなしく私がこの世で月日を過ごして物思いにふけるうちに、そして長雨が降り続く間に。

 

 

思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十二  恋歌二552 意味

(古今和歌集 巻十二  恋歌二552)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】思いながら眠りについたので、(あの人が)夢に現れたのでしょうか。もし夢とわかっていたなら(夢から)覚めなかったでしょうに。

 

 

うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十二  恋歌二553 意味

(古今和歌集巻十二  恋歌二553)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】うたた寝の夢に恋しい人を見てしまってからというもの、あてにもならない夢というものを頼りにするようになってしまいました。

 

 

いとせめて 恋しき時はむばたまの 夜の衣をかへしてぞ着る/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十二  恋歌二554 意味

(古今和歌集巻十二  恋歌二554)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】全くどうしようもないほど恋しいと思うときには、恋しい人に夢の中で会えるように、夜の衣を裏返しで着て眠ります。

※「むばたまの」は、夜の枕詞(まくらことば)です。

 

 

おろかなる 涙ぞ袖に玉はなす 我はせきあへずたぎつ瀬なれば/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十二  恋歌二557 意味

(古今和歌集巻十二  恋歌二557)556の安倍清行朝臣に対する返歌

【意味】袖に玉となるくらいの涙はたいしたことありません。私はせき止められないほどの激しい流れになっていますよ。

 

送信元(古今和歌集巻十二  恋歌二556)安倍清行朝臣

つつめども袖にたまらぬ白玉は 人を見ぬ目のなみだなりけり

【意味】包んでも袖にたまらない白玉は、あなたに合えない私の目から落ちた涙です

 

 

みるめなき 我が身をうらと知らねばや かれなで海士の足たゆく来る/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十三  恋歌三623 意味

(古今和歌集巻十三  恋歌三623)

【直訳】海松布(みるめ)も生えない海岸と同じで見る所もない私を知らないのか、離れず漁師が足を引きずってやってくる。

【意味】逢おうという気持ちが私にないのを知らないで、(意味もないのに)あきらめずに足が疲れても通って来るのですね。

※「みるめ(海松布)」とは、海草の名前。

 

 

秋の夜も 名のみなりけり逢ふといへば 事ぞともなく明けぬるものを/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十三  恋歌三635 意味

(古今和歌集巻十三  恋歌三635)

【意味】秋の夜長というのは言葉だけですね。愛しいあの方に逢えればその夜は何ということもなくまたたく間に明けてしまうわ!

 

 

うつつには さもこそあらめ夢にさへ 人めをもると見るがわびしさ/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十三  恋歌三656 意味

(古今和歌集巻十三  恋歌三656)「夢」の歌の三連続

【意味】現実では仕方がないこともあるでしょうが、夢の中でさえ人の目を気にして姿を現してくれないのはとてもつらいものですよ。

 

 

かぎりなき 思ひのままに夜も来む 夢路をさへに人はとがめじ/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十三  恋歌三657 意味

(古今和歌集巻十三  恋歌三657)「夢」の歌の三連続

【意味】限りのない思いのままに夜も来るとしましょう。夢の中で通うことまでは誰もとがめたりしないでしょうから。

 

 

夢路には 足もやすめず通へども うつつにひとめ見しごとはあらず/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十三  恋歌三658 意味

(古今和歌集巻十三  恋歌三658)「夢」の歌の三連続

【意味】夢の中では足も休めずにせっせと通っていますけれど、現実に一目見た時のことに比べれば虚しいものです。

 

 

海人のすむ 里のしるべにあらなくに うらみむとのみ人の言ふらむ/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十四  恋歌四727 意味

(古今和歌集巻十四  恋歌四727)

【意味】海人の住む里の道案内人でもないのに、なぜ人は「浦見む」とだけ私に言ってくるのでしょうか。

※しるべ ・・・ 道案内人

 

 

今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十五  恋歌五782 意味

(古今和歌集巻十五  恋歌五782)

【意味】今はもう、私の身も時雨に降られた木の葉のように古びてしまったので、あなたの言葉も以前とは変わってしまいましたね。

783番 小野貞樹の「人を思ふ 心の木の葉に あらばこそ」という返しが付いている。

(意味)あなたを思うこの心が木の葉なら、風のままに散り乱れることもあるだろうが

 

 

色見えで 移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十五  恋歌五797 意味

(古今和歌集巻十五  恋歌五797)

【意味】色にはっきりとは見えずにに変わっていくのは、世の人の心の中にある花だったのですね。

 

 

秋風に あふたのみこそ悲しけれ わが身むなしくなりぬと思へば/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十五  恋歌五822 意味

(古今和歌集巻十五  恋歌五822)

【意味】秋風に吹かれる田の実こそ本当に悲しいものです。飽きられて頼みを無くした私自身がむなしい身となってしまったことを思うと。

 

 

わびぬれば 身を浮草の根をたえて さそふ水あらばいなむとぞ思ふ/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十八  雑歌下938 意味

(古今和歌集巻十八  雑歌下938)文屋康秀への返歌

【意味】寂しい思いをしていますから、つらいこの身は根のない浮草のようなので、誘う水があれば行こうと思います。

「文屋康秀が三河の掾(ぞう:国司の三等官)になった時に 「県(あがた:任務地)を見に行きませんか」と、使いをよこした時の返し」

 

 

あはれてふ ことこそうたて世の中を 思ひはなれぬほだしなりけれ/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十八  雑歌下939 意味

(古今和歌集巻十八  雑歌下939)

【意味】「あはれ」という言葉こそ特に、世の中のしがらみを断ち切れない私にとっての足かせになっています。

 

 

人に逢はむ 月のなきには思ひおきて 胸はしり火に心やけをり/小野小町の和歌 番号『古今和歌集』巻十九  雑体1030 意味

(古今和歌集巻十九  雑体1030)

【意味】あなたに逢う手だてがない夜には、起きていても、胸を焦がす火に心が焼けて目が冴えてしまいます。

 

文塚の説明

 

【まとめ】「古今和歌集」に集められた小野小町の和歌では、心を通わす平安貴族への熱い思いと、老いゆく自分の美貌への吐露が溢れんばかりに詠まれ、それは、自分を表現することが許されなかった江戸時代以降の女性とは比べ物にならないくらい情熱のこもった自由度の高い内容でした。

刹那的な表現が多く、美しさと儚さが共存しているようなものが多い印象がします。

 

小野小町の晩年と最期についてはこちらです↓

小野小町の最期・晩年が壮絶!?九相図の死体の絵がある!?お墓は?
小野小町の壮絶な晩年と最期が「九相図」の絵や伝承として残っています。最後の歌、死生観とお墓についても調べてみました。

 

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その時その時で小野小町の心情にもだいぶ変化がありましたね。

 

◆小野小町の恋愛は国宝!?恋人はいたの?恋の歌・和歌作品と意味、夢に相手が出てくる意味とは?

小野小町の恋歌にもやっぱり謎が多いといわれています。その恋のお相手に関しても同様です。

小野小町の恋の思いを表現した和歌は、後の時代に編纂された『古今和歌集』に堂々と登場するわけですが、その『古今和歌集』を書き写した「写本」ですら国の宝、国宝に指定されているのほどなので、小野小町の恋心はこの国の「国宝」です。

 

 

小野小町の恋は
日本の国宝!

 

歌が自身の心情であるのならば、小野小町が恋をしていたのは確かです。先に「古今和歌集」小野小町の歌を見ていただきましたが、あれだけの情念を風景にのせ、言葉にのせ、という作業は自分の気持ちが存在しなければできないことかなと主観ですが思います。

中でも以下の歌は募る小野小町の気持ちがこれでもかという程込められています。

 

『635 秋の夜も名のみなりけり あふといえば事ぞともなく明けぬるものを』
― 秋の夜は長いといいますが、好きな人との時間はすぐ明けてしまいますよ

『656 うつつにはさもこそあらめ 夢にさえ人めをもると見るがわびしき』

『657 限りなき思いのままに夜もこむ 夢路をさえに人はとがめじ』

『658 夢路には足も休めず通へども うつつに人目見しごとはあらず』

 

小野小町に心底、慕い思うような人が、存在してとにかく会いたい!という気持ちが募った4首です。一方で、関心のない男性に対しては全く相手にもしない歌も存在するわけで、そうした立場の男性から見れば、小野小町は冷酷で打算的で、恋多き多情な性格を持ち、許すことのできない非情な女性となります。

 

 

そうした非常な振る舞いを受けて恥をかいた男性からすると、小野小町の悪い噂(晩年の醜い姿など)を流布して、小野小町を逆恨みする気持ちがあった可能性もあるなと思ってしまいます。

 

ちなみに…当時は夢に出てくる相手というのは「向こうが(自分に恋をしていて)会いたくて会いに来る」という認識だったようです。自分が相手に恋をしているから夢を見る、とは考えられていなかったと言われています(笑)

 

管理人kira2
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結構、勝手な平安時代(笑)

 

◆小野小町の恋愛和歌①:「百夜通い伝説」を残した恋人・深草少将との悲恋の歌

まずは小野小町の恋の話で最も有名なものから。

小野小町は、多くの男性から求婚された女性だったようですが、なかでも、とりわけ熱心だったのが小野小町の美しさに魂を奪われた深草少将(ふかくさのしょうしょう)とのお話です。この恋の話が派生して小野小町の晩年の悲惨な話にも発展するので、最もインパクトのある恋愛になっており有名です。

 

 

100日通って小野小町に会いに行くけれど、深草少将は99日目や100日目当日に不慮の事故で死んでしまうという悲惨な『百夜通い伝説』の恋愛です。詳しくは下のリンクをどうぞ。

 

小野小町「百夜通い」「吉原七小町伝説」などはこちら↓

小野小町と深草少将の悲恋「百夜通い伝説」意味とあらすじ伝承パターンまとめ
小野小町の百夜通伝説は、深草少将との悲恋として多くの伝承の中でも有名であり、数々のお話の中でも基本形となって七小町の派生パターンを残しています。あらすじや内容詳細を調べてみました。

 

あかつきの 榻の端書き 百夜書き
君の来ぬ夜は われぞ数書く

 

この歌の上の句を深草少将が、下の句を小野小町が作ったとされています。下の句には最初は乗り気でなく拒んでいたはずの小野小町が徐々に深草少将に対して心を寄せて行っている心情の変化が分かります。

 

この歌は『奥義抄』『袖中抄』などに引用される古歌で、『古今和歌集』の詠み人知らずの1首

暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく

の異伝です。

(意味)暁方にはシギが何度も翼を羽ばたかせますが、あなたが来ない夜は、私も(そんな風に)幾度もあなたの訪れのなかった夜の数を数えているのですよ。

 

しかし、この深草少将は実在の人物ではなかったんですよね。後世の人が、小野小町美人伝説を強調するあまり、勝手につくりあげた逸話に過ぎないのです。

 

実在しないのか(笑)

 

管理人kira2
管理人kira2

だいぶ悪い女にされてますがw

 

 

◆小野小町の恋愛和歌②:仁明天皇(にんみょう)<54代天皇>に焦がれていた恋の歌!?

小野小町仁明天皇の更衣だったという説があります。それは小野小町小野吉子あるいはその妹だったという説があるからです。嵯峨天皇の子どもとして生まれた仁明天皇和歌や雅楽などをたいそう好み風雅な宮廷生活を作り上げた嵯峨天皇のご子息であった仁明天皇には、高貴な品性が漂っていたといいます。

 

文化的な男性ステキ!

 

その仁明天皇の身の回りのお世話をする女官として、小野小町が仕えていたのではないかという説です。小野吉子、またはその妹の位はいずれも「更衣」でした。

 

「更衣」

平安時代、皇后中宮女御 (にょうご) に次ぐ後宮の女官。天皇の衣替えをつかさどる役であったが、のち、寝所に奉仕するようになった。

 

が、とても手の届かない人。

 

仁明天皇

仁明天皇

いくら才色兼備の小野小町といえども、仁明天皇は身近にいるとはいえ、手の届かない世界の存在です。小野小町は天皇家とは血縁関係のない立場でしたので、一生、更衣以上にはなれなかったのです。

 

仁明天皇に恋をしたために小野小町は生涯を独身で通したとも言われています。

また、仁明天皇は、わずか41歳で逝去します。

 

 

一つの仮説としては、小野小町にとっては寵愛していただいた仁明天皇と死別した現実への落胆が大きく、それゆえに仁明天皇への思いをいつまでも大切にして心に留め置きたかった、言い換えれば時が止まったかのようにして小野小町の人生という舞台が進行していったのかもしれません。

 

仁明天皇の前の嵯峨天皇には70人もの子供がいたとされています。ですから、当時としては当然のことととして、権力者であれば何人もの女性がいて種の維持が図られていました。それを考えると、仮に小野小町が大変寵愛されていたとしても、気軽に会える存在ではなかったのではないかと推測されます。

 

小町たん、ずっと待ちぼうけの片想いやね。

 

 

小野小町が夢のなかでしか恋しい人に会えないと嘆いた、その相手が仁明天皇とすると、下の各和歌の意味にとてもリアリティーが出てきます。

 

552 思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

553 うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき

554 いとせめて 恋しき時はむばたまの 夜の衣をかへしてぞ着る

822 秋風にあふたのみこそかなしけれ わが身空しくなりぬと思へば

(意味)秋になれば、田んぼの稲穂は十分に実り黄金色に輝くのに、私は不作の稲穂のように実が成らず、いずれ捨てられ忘れ去られてしまうことでしょう

 

歴史上には和歌を除いて何も記録として残されていませんが、深く思いを寄せた相手を、気持ちも十分に交わせぬまま失った小野小町の悲しみを想像すると、残した歌のとらえ方も変わってきます。仁明という帝に出合わなければ小野小町は、普通の人生を送っていてのかもしれません。

 

しかし、そうなると当然、こうした小野小町の渾身の作である歌も後世には残らなかったことになります。

 

気持ちがぐらぐらするってことは、
本人は大変だけど
いい作品を作れる可能性と力でいっぱい。

 

その後、失脚してパッとしなくなってからも、小野小町かつて仕えた仁明天皇を裏切らまいと律儀に男たちの誘いを断り続けたのではないだろうか?

そうした、彼女の頑な態度に業を煮やした男たちのやっかみが、鼻持ちならないイヤな女のイメージを作り上げ、彼女の落ちぶれた半生をさらに壮絶なまでに輪をかけて惨めな様に変えていったと推測出来るのである。

 

小野小町はモテたけど、ツレナイ女だったようです。

 

管理人kira2
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小野小町にはまた次の天皇となる文徳天皇<55代天皇>や清和天皇<56代天皇>の頃もその後仕えていたという説も存在します。

 

◆小野小町の恋愛和歌③:安倍清行朝臣をバッサリ振った恋の歌

さらに『古今和歌集』では次のような贈答歌があるそうです。小野小町安倍清行をコテンパンに振った歌ということで注目されています。

 

 

結構、
好みがはっきりしている
っぽい小野小町(笑)

 

下つ出雲寺(下御霊神社の神宮寺)で行なわれた法事に、小野小町安倍清行と同席する。導師が語った法話の言葉を採り入れて、安倍清行小野小町に歌を詠みかけ、法華経の無価宝珠を「白玉」と呼んで、涙に喩えたのに対し、小野小町がユーモアを以て切り返した歌。

 

安倍清行としては
ちょっと知的におしゃれにキメた歌のはず…。

 

 

でしたが(笑)。

 

安倍清行朝臣が何かの法事で真静法師の唱えた経文をヒントに小野小町に対する恋歌を作り送ったことが記されています。

下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導師にていへりけることばをうたによみて、小野小町がもとつかわせりける 安倍清行朝臣

 

安倍清行朝臣556

つつめども 袖にたまらぬ白玉は 人を見ぬ目のなみだなりけり

かへし 小野小町557

おろかなる涙ぞ 袖に玉はなす 我はせきあへず たぎつ瀬なれば

 

安倍清行

「わざわざ出雲寺まで行ってお説教を聞いてきたのに小野小町に逢えないのが悲しい。涙がぽろぽろ玉のようにでちゃうぜ」

 

なんていう歌をキレイな言葉を重ねて贈ったわけですが小野小町から「かへし」で最初からおろかなるってバッサリ斬られています(笑)安倍清行から送られた歌に小野小町は直球で応えるのです。

 

(意味)いいかげんな涙だから(心からの恋でないために)袖に玉をなす程度なのです。私など、滝つ瀬のように涙が押し寄せるので、袖で堰き止めることなどできません。

(真静法師のお言葉に感激のあまり、涙が滝のように流れ出ましたよ)

 

薄っぺらな愛情だから、そんな感じなんじゃね?(嘲笑)

 

ってとこですかね。カッコつけただけの上っ面の恋文に厳しい返答です(笑)。ただ、これを読む限り、小野小町が狂おしいほど誰かに恋をしたことがあるのは確かなようですね。もちろん、安倍清行ではない相手のようですが。

 

管理人kira2
管理人kira2

バッサリいきましたね!

 

 

◆小野小町の恋愛和歌④:恋人は作らず誰にも応じない説、実は小町の性別が男性!?説

小野小町仁明天皇とのお話や安倍清行とのやり取りからから、小野小町のはとてもツレナイ女であるとか、性別が男性だったのではないか!?というものまで出てきたと言われています。

 

彼女(小野小町)は、また非常な美人で、その才女ぶりは、あまたの女官中並ぶものがないといわれ、それゆえ、数多くの男性から求婚されたが、彼女は応じることなく、かたくなに拒み続けたというのだ。宮仕えをやめてからは、世を避け、ひっそりと香を焚きながら92歳で天寿を全うしたと言うのである。

 

小野小町には確かに足しげく通っては口説いてくる男性が少しうっとおしくてあきれているような歌もありますし、深草少将との「百夜通い伝説」などはそうしたツレナイ小野小町の普段の振る舞いから生まれた伝説なのかもしれません。

 

古今集第十三巻「恋歌三」より

623 みるめなき わが身をうらとしらねばや かれなであまの足たゆくくる

【意味】(こちらは)会う気がないのに、なぜ男達は通ってくるのでしょう。まったく海藻もないのに足がだるくなっても海女が期待を込めて遠くまで海藻を取りに来るようで。

 

他の男性になど全く心が動くようなものはない、というような何とも冷静な小野小町の男性に対する視点が感じられます。

 

管理人kira2
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孤独に92歳まで生きた説ですね。

 

 

小野小町が恋人をつくらない理由は性別が男性だったから!という衝撃の噂があった!?穴なし針(小町針)の名前に

紀貫之は当時女性が使う仮名文字を男性である紀貫之が使うという、新しいチャレンジをした人でしたが、小野小町は前述のように男性疑惑がやはりあるようです。

 

小野小町は、大変美しい女性なのに、最後まで結婚しなかったとされています。さらに最後は美しさなど微塵もない状態で独り身のまま寂しく物乞いになったという終末の伝説すらあります。

 

美しさや能力を評価されて高飛車になり、「吊り合う男がいない」と突っ張る事もできますが、この時代、女性であり後ろ盾が無いということは、野垂れ死にすることを意味します。そういうことから、小野小町自身にも例外なく老婆になって野垂れ死んだという伝説も実際に語られています。

 

後ろ盾のない女性は
野垂れ死ぬ時代。

 

時代が時代ですから、夜這い婚(語源は「呼ばひ」で「自然発生的な求婚手段であった」)ですから、男は通い放題のはずなんですが、美人でお声もたくさんあったはずなのに、それがなかった、男を受け入れなかったと言われています。

 

そこからも、

小野小町の性別は男なんじゃないか?(笑)

 

という話が実際にあったようです。

 

(穴なし伝説)

この伝説が、小野小町は女陰を持っていなかったと云う「穴無し」伝説を生み、

更には、孔のない仕付け針を「小町針」と云うに至った。

 

小野小町男嫌いだった可能性や、操を立てた男性が死んだので、操を通した可能性(前述の仁明天皇の話など)もあります。はたまた、深草少将のモデルになったような人物が実は居て、恋した男が来てくれなかったので、悲嘆にくれたと言う可能性もあります。

 

管理人kira2
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そのくらい、小野小町からすれば特別な男性とは縁がなかったという事なのかもしれませんね。

 

◆小野小町の恋愛⑤:猟師の恋人になり妻になった説

次に小野小町猟師の妻になったという話を紹介します。結局、猟師と結婚したものの最期が酷いことには変わらないのですが…。なぜ猟師なのか?を考えた時に、小野小町「熊の掌」「鹿」「猪」が好きだったからかも?ということにもつながります。お肉食べたかったのかも・・・(笑)

 

 

小野小町の好物は
熊の掌や猪や鹿だったらしい。

なんとジビエな小町!

 

別な説では、小野小町は若い頃の絶頂期の栄華に比して、その晩年はあまりにも不幸であったかのように描かれている。

多くの男性の誘いを断り続けるうちに、次々と親兄弟に先立たれて、権力の後ろ立てを失って一人になってしまった彼女は、急速に没落してゆく。そして、あれだけ美しかった容貌も、見る影もなくやつれ果ててしまうのである。

誰にも見向きもされなくなった彼女は、仕方なく、猟師の妻となるが、それも、夫や子供に先立たれてしまい、最後には、乞食となって地方を徘徊するというのである。とんでもなく壮絶な話だが、こういったストーリーが作られたのは、5百年ほど経った後世になってからでいずれも真実ではない。

 
 
 
小野小町はちょっと意外なお話で、とてもお肉が好きだった!という面白いエピソードがあるのだそうです。肉食小町についてはこちら
 
 
お肉が食べたい
小野小町。

 

◆小野小町の恋愛和歌⑥:僧正遍照と一夜の恋人アバンチュール!?な恋の歌

小野小町僧正遍昭(遍照)のあいだには、贈答歌が存在します。『後撰和歌集』『古今和歌集』の約50年後の編纂で(950年代)、この贈答歌が、『大和物語』の遍昭と小野小町の各種の伝説に発展したと考えられています。

 

 

珍しく
小野小町が小悪魔っぷり
を発揮しています。

好みだったのかもしれません(笑)

 

いその神といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けてまかり帰らむとて、とゞまりて、「この寺に遍昭侍り」と人の告げ侍ければ、物言ひ心見むとて、言ひ侍ける   小野小町

 

1195 岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん

かへし 遍昭
1196 世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん

 

(意味)

私(小野小町)は、石上寺に行ったのですが、もう日が暮れてしまったので、夜明けに帰ろうと思って泊まることにしました。この寺に僧正遍昭がいることを教えてくれた人がいたので、ちょっと、お話でもして感じを見てやろうと思ってこう言いました。

 

管理人kira2
管理人kira2

なぜいつもは男性に興味がない小野小町が立ち寄ったかというと、僧正遍昭も六歌仙の一人だった為、交流があり、歌にも一目置いていたことが考えられます。

 

<現代語訳>

小野小町:岩の上の旅寝はとても寒いわ。あなたの“苔のお衣”を、わたしに貸してくださいませんか

返歌 僧正遍昭:世を捨てた“苔の衣”はひとつきりですが、貸さなかったら薄情というものですからいっそふたりで寝ましょうか

 

 

いざ二人寝なん、だと!?

 

『後撰集』では、たったこれだけしか二人の話はないようです。次に面白い評価がありましたので紹介します。

 

 『大和物語』168段「良少将」(←遍昭のこと。彼の出家にまつわる物語)では、
最後、返歌だけして遍昭は逃げ出してしまうのですが、
 この歌の余裕っぷりからすると似合わない結末で、個人的には大いに不満。
(大和物語の遍昭は逃げてばかりいる!!)

 

どうやら艶やかな小野小町の美貌を目の前に煩悩に負けた僧正遍昭があらわになっています(笑)

 

修行が足りんぞ!遍昭!

 

ちなみに「百人一首」では僧正遍昭はこちらの歌で有名です。(『古今集』雑上・872)

 

 

とてもきれいな歌ですが…

 

天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひじ) 吹き閉ぢよをとめの姿 しばしとどめむ

<現代語訳>天を吹く風よ、天女たちが天へ帰る雲の中の通り道を吹き閉しておくれ。乙女たちの美しい舞姿を、いましばらくこの地上に留めておきたいのだから。

 

どうも、色々な情報を得た後だと、僧正遍昭がただの煩悩の多くて、若い女性が大好きな坊さんにしか思えなくなってしまうのは私だけでしょうか…。

 

 

◆小野小町の恋愛和歌⑦:恋人というより幼馴染の小野貞樹に慰めを求めた恋の歌

この話に出てくる小野貞樹という人は、小野小町が更衣を務めた同じ宮中で働いていました。仁明天皇の皇子である道康親王(後の「文徳天皇」)の世話をした人だったのですね。小野小町とは同じ年代で、一説には幼馴染とも言われています。かつての美貌も失い。他の男性が遠ざかっていく中で、唯一、小野小町が寂しさを聞いてもらうことのできる人だったかもしれません。

 

782小野小町 

今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり

783貞樹返し

人を思ふ 心の木の葉に あらばこそ 風のまにまにちりもみだれめ

 

小町:意味】今はもう、私の身も時雨に降られた木の葉のように古びてしまったので、あなたの言葉も以前とは変わってしまいましたね。

貞樹:意味】あなたを思うこの心が木の葉なら、風のままに散り乱れることもあるだろうが

 

 

さらに、不思議な人物が突如登場して和歌がもう一首続きます。「こまちがあね」という人物です。
小野小町にお姉さんかもしれません。年を経て人生を虚しく眺めるようになった小野小町に対する諭しのような歌です。

 

あひ知れりける人のやうやくかれがたになりけるあひだに、焼けたる茅に葉にふみをさしてつかわせりける こまちがあね

 

790 時すぎてかれ行く小野の浅茅には、今は思ひぞたえず燃えける

そして小野小町

797 色みえで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

 

<現代語訳>

こまちがあね:意味】恋の盛りの幸せな時が過ぎて、疎まれていても、私には恋しく思う胸の火が熱く燃えています。

小野小町:意味】(草木や花であれば、色あせて変わっていく様が目に見えてわかるけど、)目には見えずに色あせてしまうものは、人の心に咲く花なのだなあと思います。

 

噫(ああ)無情

 

老いてかつての美しさを失っていくごとに、女として最も大切な容姿が色褪せて行くだけでなく、目には見えないけれど、自分に対する人の心にある花(優しさやときめきといった興味)も色褪せてくること小野小町は気づいたのですね。

 

昔なら、掃いて捨てるほど自分に言い寄る数多の男性がいて、自分はそれを鬱陶しくも思っていたはずなのに、気がついたときには、もう誰も相手にしてくれる男性がいなくなっている女性としての寂しさを歌うようになりました。

 

孤高の小野小町が
心を許して寂しいと言える相手

 

そして、わざわざ小野貞樹へ歌を送ったのには気が許せる幼馴染だったというだけでなく、かつて彼と小野小町との間で何か関係があったか、少なくとも自分に対して小野貞樹が好意を抱いていたことを小野小町自身が認識していたから(寂しいと甘えても許される相手だったから)なのではないかな?ということが分かります。

 

◆小野小町の恋愛和歌⑧:六歌仙つながりの恋人!?文屋康秀とプチロマンスな恋の歌

同じく六歌仙文屋康秀(ふんやのやすひで)という人がいました。彼と小野小町にもちょっとしたエピソードがあります。

 

文屋康秀の和歌は小野小町と同時代の歌人で代表とされる歌として小倉百人一首の第22番にも採用されています。

 

『古今和歌集』の仮名序に文屋康秀のことを「言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人(あきひと)のよき衣(きぬ)きたらんがごとし」と紹介されています。

 

文屋康秀の和歌はこちら。(百人一首にも出てくるもの)

 

249 吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ

 

<現代語訳>

山からの秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめるから、山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのですね。

 

 

そんな紀貫之からの評価が高かった文屋康秀なのですが、彼は藤原氏の力が協力になった政治上、失墜してしまい左遷されてしまいます。三河掾(じょう)として赴任する際に、小野小町をデートに誘います。行先は「田舎見物」。その誘いに対し、小野小町が返した歌があります。

 

わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思う

 

【意味】人生が嫌になったので、誘ってくだされば行こうと思います

 

びみょう(笑)

 

これに関しては、先にも述べましたが、小野小町も藤原氏の台頭により失墜した側の立場の人間だったと推定されていますので、文屋康秀に対する不遇への同情と、これから我が身にも起こる同様の変化についての不安と相まって、このような変化になったのかもしれないなと感じます。ただ、この歌だけ見るとメンヘラっぽいので受け取ったらちょっと怖いですね(笑)

 

管理人kira2
管理人kira2

私が男だったら、ちょっとゾワッとしますね、この歌。

 

ですが実際は三河には行かなかったと言われています。先ほどの文屋康秀の誘いに返した歌の次に、「題しらず」として小野小町のこのような歌があります。

 

939 あはれてふ 言こそうたて 世の中を 思ひ離れぬほだしなりけれ

 

(意味)「あはれ」という言葉こそ特に、世の中のしがらみを断ち切れない私にとっての足かせになっています。

 

管理人kira2
管理人kira2

と歌っています。個人的にはこの歌をみると小野小町文屋康秀について行ってしまいたいけれど、まだ世捨て人にはなれないというギリギリの判断のようにも思えます。

 

◆小野小町の恋愛和歌⑨:平安のプレイボーイで六歌仙仲間『伊勢物語』在原業平と恋人関係で熱愛してた?説

在原業平「平安のプレイボーイ」と言われる人物で、生涯で愛した女性の数は、3733人もいたとされています。その中に小野小町が入っていたという説もあります。

 

3733人って(笑)!
プレイボーイというより、病気だよw

(1日1人相手でも10年以上かかる計算)

 

 

在原業平が女性にモテた理由、それも和歌でした。在原業平小野小町と同じ六歌仙に選ばれるほどの歌の名人だったのです。そして在原業平小野小町恋仲だったのではないかとされています。平安の男性のモテ条件も歌だったのかもしれませんね。

 

ただ、二人の記録で甘い恋の話よりも強烈な印象に残ることは、小野小町の晩年と最期に在原業平がわざわざ会いに来て再会するシーンなのです。

 

3733人もの女性を愛したモテ男が
醜い老婆になった小野小町にわざわざ会いに来る。

よっぽどの思い入れです。

 

「吉原七小町伝説」のひとつに「清水小町」というものがありますが、その中で、年老いた小野小町が暮らしていた郊外の小さなみすぼらしい庵に在原業平が訪ねてくるシーンがあります。そして小野小町に対し、在原業平は仏教に帰依することを勧めるのです。そこからは諸国巡りの旅に出るというストーリーです。

 

清水小町

清水小町

 

さらにその後にも小野小町在原業平には衝撃的な再会があります。

 

(あなめ伝説)

在原業平がススキ野で「秋風の吹くにつけてもあなめ、あなめ」(あぁ、目が痛い)と云う声を聞き、「小野とは云わじ薄生いたり」と下句を付けてやる声が止み、近寄ってみると、髑髏(どくろ)があり、その目からススキが生えていた。抜き取ってやると、それは小野小町の髑髏(どくろ)だった。

この説話は、もともとは日本霊異記に出る話を、大江匡房や鴨長明のあたりが、小野小町在原業平の話に変えたものと考えられている。

 

醜い老婆どころか
髑髏(どくろ)になった小野小町にも
優しさと敬意を示す在原業平。

 

在原業平が年老いた小野小町の庵までわざわざ足を運んでさらには仏教を勧めたこと、また、そのセンセーショナルな最期に立ち会ったこと、これは在原業平にとって小野小町がよほど特別に大切な人だったからとしか考えることができません。

 

骨連相

骨連相

 

在原業平なりの自分が愛した愛した女・小野小町に対する男の仁義と慈しみいうものを感じますし、その想いが、お互いに年齢を増した時には、単なる外観の美しさにとらわれず、切磋琢磨した六歌仙仲間としての思い出の共有であったり、精神的な魂の結びつきや存在にまで達していたことすら感じられる逸話です。

 

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小野小町も同じようにおそらく在原業平との思い出や存在を大事に思っていたからこそ、晩年は仏教に勤しみ、「九相図」まで残すことになったのかもしれません。在原業平の提案を受け入れて小野小町自身が最大限にできることをしたという印象を受けます。この最期のススキ野原での髑髏(どくろ)姿の再会はもしかすると、「九相図」作成の最終段階だったのかもしれないですね。

 

外見の美しさは朽ちても
愛おしく想う 魂の美しさと
そのつながりは変わらない

 

そんな素敵なロマンを感じさせてくれる、在原業平小野小町の恋でした。小野小町にとって、六歌仙の男性たちとの時間は大切な思い出をはぐくんだ青春だったようですね。こうして見つめてみると、小野小町の人生はとても幸福だったのではないかという気持ちでおります。

 

管理人kira2
管理人kira2

在原業平にこっちが惚れそうやん。という結末でした(笑)

 

■紀宮さまこと黒田清子さんのお話はこちら

若い頃の紀宮さま~現在の黒田清子さん迄の豊かな記録と伊勢神宮祭主
紀宮内親王殿下の若い頃、皇室時代で娘として過ごされたご家族との日々と、ご結婚後~今現在伊勢神宮の祭主となられるまでの経緯やご活躍の日々を調べてみました。同じ一家の「女の子」として生まれ育った想いも添えています。

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