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小野小町の恋人は誰だったの?六歌仙の歌人・恋愛と古今和歌集に残る恋の歌

●刹那的/はかない 属

現在の世に至っても絶世の美女だったと名高い美人の代名詞、小野小町ですが、それ以外の情報に関しては彼女がどんな人、人生だったかはあまりよく知られていません。日本史の中で女性は決して好待遇ではありませんので平安時代の女性のご多分に漏れず、謎が多い彼女ですが

第4弾の今回は日本全国に未だにその名をとどろかせている小野小町の最もキラキラした時代、恋の話とそれに絡む歌について追っていきたいと思います。その昔その時代で最もキラキラしていた彼女からもカケラをいただきましょう♪

目次

小町は古今和歌集の歌人

 

小野小町がどうやら美人であるほかにも素晴らしい歌人ということはよく知られています。自著として『小町集』という歌集も存在し、有名な『古今和歌集』にも歌が載っています。そこから選ばれた歌が『百人一首』にも使われています。

 

 

小町は藤原公任の『三十六人撰』にて『三十六歌仙』に選ばれています。平安時代の和歌の名人36人の総称として認められたということです。

 

紀貫之は、延喜5年(905)に醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の撰者のひとりとなり、仮名でその序文(「古今和歌集仮名序」)を執筆した。その中で「近き世にその名きこえたる人」として「六歌仙」を選んでいる。

 

小野小町紀貫之によって、六歌仙(平安時代初期の、代表的な6人の歌人)のひとりにも選出されており、古い時代に活躍できた女性としては殿堂入りの凄い女性なのは間違いありません。

 

 

小野小町の和歌」に関しては議論があります。『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に収録されてるものは小町のものとするのが通説ですが、その他の歌集のものは疑義が生じます。例えば、後世の『小野小町集』には小町の作とされる歌が多く収められていますが、正確な判別には難しいものがあります。

 

ちなみに、同じく女性歌人で有名な紫式部ですが、小町が活躍した時代にはまだ生まれていません。

 

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◆六歌仙って誰がいるの?

 

後々の恋愛エピソードにもつながる話なので、ここで六歌仙に選ばれている歌人の紹介をします。

 

 

『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。

 

女性では小野小町が紅一点の女性だったわけですね。まあ、男性の中で女が複数絡むと大抵モメるので、いい選択なんじゃないかと思います(笑)

 

管理人kira2
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六歌仙のアイドル的存在だったのかもしれませんね。

 

また、六歌仙に選ばれた人たちは、その内情を見ると、左遷され失脚している立場の人ばかりであるという見解もあります。

 

当時、文徳(もんとく)天皇が治世にあたっていたが、天皇には長男の惟喬(これたか)親王次男の惟仁(これひと)親王がいた。単純に考えれば、長男の惟喬親王が天皇になる予定だったが、惟喬親王の母方が、紀氏(きのし)だったのに対し、次男の惟仁親王の母方は藤原氏だった。

当時、藤原氏は、大変な勢力を持っており、そのため、次男の惟仁親王が、次期の天皇の候補となったのである。

 

それと同時に、惟喬親王側にいた貴族らは、次々と地方に飛ばされ、失脚。六歌仙の一人、文屋康秀(ぶんやのやすひで)も、三河の三等官として左遷されている。同時期、小野小町も失脚したと見えて、お互い慰め合うような和歌を交わしている事実でもこのことがわかる。

 

一方、政権争いに破れた惟喬親王の方はというと、山奥に隠棲せねばならなかった。彼が隠棲した地は、小野氏のゆかりの地で小野篁(たかむら)神社というものが今でもある。小野篁小町の父か、祖父だと言われている人である。つまり、、小町は、惟喬親王サイドにいたわけで、彼女が政治の駆け引きによる影響をもろに受け、その結果として失脚していったと考えられるのである。つまりは彼女は政権闘争の犠牲者でもあったのである。

 

そして紀貫之自身も、紀家の人間であることから、六歌仙を選ぶにあたり、半世紀ほど前に、辛酸をなめさせられて政治の表舞台から消されていった同胞に対する憐憫の情も加わっていることは否めない。

 

 

紀貫之ってやっぱりなんかカッコいいんですね。

 

◆小町の『古今和歌集』の17首一挙公開

 

小野小町の作品の中で特に『古今和歌集』に掲載されているものに絞って一挙紹介します。『古今和歌集』に納められている小町の和歌は、平安時代初期の当時にすると、女性としての恋の思いをかなりしっかりと表わされているとても進んだ感覚を持ったものでした。

 

 

花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに

(古今和歌集巻二  春歌下113)

【意味】花の色は色あせてしまいました。むなしく私がこの世で月日を過ごして物思いにふけるうちに、そして長雨が降り続く間に。

 

思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

(古今和歌集 巻十二  恋歌二552)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】思いながら眠りについたので、(あの人が)夢に現れたのでしょうか。もし夢とわかっていたなら(夢から)覚めなかったでしょうに。

 

うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき

(古今和歌集巻十二  恋歌二553)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】うたた寝の夢に恋しい人を見てしまってからというもの、あてにもならない夢というものを頼りにするようになってしまいました。

 

いとせめて 恋しき時はむばたまの 夜の衣をかへしてぞ着る

(古今和歌集巻十二  恋歌二554)「夢と恋」というテーマの三様

【意味】全くどうしようもないほど恋しいと思うときには、恋しい人に夢の中で会えるように、夜の衣を裏返しで着て眠ります。

※「むばたまの」は、夜の枕詞(まくらことば)です。

 

おろかなる 涙ぞ袖に玉はなす 我はせきあへずたぎつ瀬なれば

(古今和歌集巻十二  恋歌二557)556の安倍清行朝臣に対する返歌

【意味】袖に玉となるくらいの涙はたいしたことありません。私はせき止められないほどの激しい流れになっていますよ。

 

送信元(古今和歌集巻十二  恋歌二556)安倍清行朝臣

つつめども袖にたまらぬ白玉は 人を見ぬ目のなみだなりけり

【意味】包んでも袖にたまらない白玉は、あなたに合えない私の目から落ちた涙です

 

みるめなき 我が身をうらと知らねばや かれなで海士の足たゆく来る

(古今和歌集     巻十三  恋歌三623)

【直訳】海松布(みるめ)も生えない海岸と同じで見る所もない私を知らないのか、離れず漁師が足を引きずってやってくる。

【意味】逢おうという気持ちが私にないのを知らないで、(意味もないのに)あきらめずに足が疲れても通って来るのですね。

※「みるめ(海松布)」とは、海草の名前。

 

秋の夜も 名のみなりけり逢ふといへば 事ぞともなく明けぬるものを

(古今和歌集巻十三  恋歌三635)

【意味】秋の夜長というのは言葉だけですね。愛しいあの方に逢えればその夜は何ということもなくまたたく間に明けてしまうわ!

 

うつつには さもこそあらめ夢にさへ 人めをもると見るがわびしさ

(古今和歌集巻十三  恋歌三656)「夢」の歌の三連続

【意味】現実では仕方がないこともあるでしょうが、夢の中でさえ人の目を気にして姿を現してくれないのはとてもつらいものですよ。

 

かぎりなき 思ひのままに夜も来む 夢路をさへに人はとがめじ

(古今和歌集巻十三  恋歌三657)「夢」の歌の三連続

【意味】限りのない思いのままに夜も来るとしましょう。夢の中で通うことまでは誰もとがめたりしないでしょうから。

 

夢路には 足もやすめず通へども うつつにひとめ見しごとはあらず

(古今和歌集巻十三  恋歌三658)「夢」の歌の三連続

【意味】夢の中では足も休めずにせっせと通っていますけれど、現実に一目見た時のことに比べれば虚しいものです。

 

海人のすむ 里のしるべにあらなくに うらみむとのみ人の言ふらむ

(古今和歌集巻十四  恋歌四727)

【意味】海人の住む里の道案内人でもないのに、なぜ人は「浦見む」とだけ私に言ってくるのでしょうか。

※しるべ ・・・ 道案内人

 

今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり

(古今和歌集巻十五  恋歌五782)

【意味】今はもう、私の身も時雨に降られた木の葉のように古びてしまったので、あなたの言葉も以前とは変わってしまいましたね。

783番 小野貞樹の「人を思ふ 心の木の葉に あらばこそ」という返しが付いている。

(意味)あなたを思うこの心が木の葉なら、風のままに散り乱れることもあるだろうが

 

色見えで 移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける

(古今和歌集巻十五  恋歌五797)

【意味】色にはっきりとは見えずにに変わっていくのは、世の人の心の中にある花だったのですね。

 

秋風に あふたのみこそ悲しけれ わが身むなしくなりぬと思へば

(古今和歌集巻十五  恋歌五822)

【意味】秋風に吹かれる田の実こそ本当に悲しいものです。飽きられて頼みを無くした私自身がむなしい身となってしまったことを思うと。

 

わびぬれば 身を浮草の根をたえて さそふ水あらばいなむとぞ思ふ

(古今和歌集巻十八  雑歌下938)文屋康秀への返歌

【意味】寂しい思いをしていますから、つらいこの身は根のない浮草のようなので、誘う水があれば行こうと思います。

「文屋康秀が三河の掾(ぞう:国司の三等官)になった時に 「県(あがた:任務地)を見に行きませんか」と、使いをよこした時の返し」

 

あはれてふ ことこそうたて世の中を 思ひはなれぬほだしなりけれ

(古今和歌集巻十八  雑歌下939)

【意味】「あはれ」という言葉こそ特に、世の中のしがらみを断ち切れない私にとっての足かせになっています。

 

人に逢はむ 月のなきには思ひおきて 胸はしり火に心やけをり

(古今和歌集巻十九  雑体1030)

【意味】あなたに逢う手だてがない夜には、起きていても、胸を焦がす火に心が焼けて目が冴えてしまいます。

 

【まとめ】「古今和歌集」に集められた小野小町の和歌では、心を通わす平安貴族への熱い思いと、老いゆく自分の美貌への吐露が溢れんばかりに詠まれ、それは、自分を表現することが許されなかった江戸時代以降の女性とは比べ物にならないくらい情熱のこもった自由度の高い内容でした。

 

管理人kira2
管理人kira2

その時その時で小野小町の心情にもだいぶ変化がありましたね。

 

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小野小町は恋愛したの?恋人はいたの?和歌作品と意味

 

小町の恋歌にもやっぱり謎が多いといわれています。特にその恋のお相手に関してですね。

彼女の恋の思いを表現した和歌は、後の時代に編纂された『古今和歌集』に堂々と登場するわけですが、その『古今和歌集』を書き写した「写本」ですら国の宝、国宝に指定されているのほどなので、小野小町の恋心はこの国の「国宝」です。

 

文塚の説明

文塚の説明

 

国宝レベルの恋www

歌が自身の心情であるのならば、小町が恋をしていたのは確かです。

 

『635 秋の夜も名のみなりけり あふといえば事ぞともなく明けぬるものを』
― 秋の夜は長いといいますが、好きな人との時間はすぐ明けてしまいますよ

『656 うつつにはさもこそあらめ 夢にさえ人めをもると見るがわびしき』

『657 限りなき思いのままに夜もこむ 夢路をさえに人はとがめじ』

『658 夢路には足も休めず通へども うつつに人目見しごとはあらず』

 

小町に心底、慕い思うような人が、存在して、とにかく会いたい!という気持ちが募った4首です。一方で、関心のない男性に対しては全く相手にもしない歌も存在するわけで、そうした立場の男性から見れば、小町は冷酷で打算的で、恋多き多情な性格を持ち、許すことのできない非情な女性となります。

そうした非常な振る舞いを受けて恥をかいた男性からすると、小町の悪い噂(晩年の醜い姿など)を流布して、小町を逆恨みする気持ちがあった可能性もあるなと思ってしまいます。

 

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◆小野小町と深草少将の恋

 

まずは小町の恋の話で最も有名なものから。

小野小町は、多くの男性から求婚された女性だったようですが、なかでも、とりわけ熱心だったのが小町の美しさに魂を奪われた深草少将(ふかくさのしょうしょう)とのお話です。この恋の話が派生して小町の晩年の悲惨な話にも発展するので、最もインパクトのある恋愛になっており有名です。

 

 

100日通って小町に会いに行くけれど、深草少将は99日目に死んじゃう、という『百夜通い伝説』の恋愛です。詳しくは第2弾ですでにお話しましたのでそちらをどうぞ。

 

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あかつきの 榻の端書き 百夜書き
君の来ぬ夜は われぞ数書く

 

この歌の上の句を深草少将が、下の句を小町が作ったとされています。下の句には最初は乗り気でなく拒んでいた小町が徐々に深草少将に対して心を寄せて行っている様子が分かります。

 

この歌は『奥義抄』『袖中抄』などに引用される古歌で、『古今和歌集』の詠み人知らずの1首

暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく

の異伝です。

(意味)暁方にはシギが何度も翼を羽ばたかせますが、あなたが来ない夜は、私も(そんな風に)幾度もあなたの訪れのなかった夜の数を数えているのですよ。

 

しかし、この深草少将は実在の人物ではなかったんですよね。後世の人が、小町の美人伝説を強調するあまり、勝手につくりあげた逸話に過ぎないのです。

 

管理人kira2
管理人kira2

これは現実じゃなかったんですね。

 

◆仁明天皇(にんみょう)<54代天皇>に恋焦がれていた説

 

小野小町仁明天皇の更衣だったという説があります。それは小野小町小野吉子あるいはその妹だったという説があるからです。嵯峨天皇の子どもとして生まれた仁明天皇和歌や雅楽などをたいそう好み風雅な宮廷生活を作り上げた嵯峨天皇のご子息であった仁明天皇には、高貴な品性が漂っていたといいます。

 

 

その天皇の身の回りのお世話をする女官として、小町が仕えていたのではないかという説です。小野吉子、またはその妹の位はいずれも「更衣」でした。

 

仁明天皇

仁明天皇

 

「更衣」

平安時代、皇后中宮女御 (にょうご) に次ぐ後宮の女官。天皇の衣替えをつかさどる役であったが、のち、寝所に奉仕するようになった。

 

いくら才色兼備の小町といえども、仁明天皇は身近にいるとはいえ、手の届かない世界の存在です。小町は天皇家とは血縁関係のない立場でしたので、一生、更衣以上にはなれなかったのです。

彼に恋をしたために彼女は生涯を独身で通したとも言われています。

仁明天皇は、わずか41歳で逝去します。

 

 

寵愛していただいた仁明天皇と死別した現実への落胆が大きく、それゆえに仁明天皇への思いをいつまでも大切にして心に留め置きたかった、言い換えれば時が止まったかのようにして小町の人生という舞台が進行していったのかもしれません。

仁明天皇の前の嵯峨天皇には70人もの子供がいたとされています。ですから、当時としては当然のことととして権力者であれば何人もの女性がいて種の維持が図られていました。それを考えると、仮に小町が大変寵愛されていたとしても、気軽に会える存在ではなかったのではないかと推測されます。

 

 

夢のなかでしか恋しい人に会えないと嘆いた、その相手が仁明天皇とすると、下の各和歌の意味にとてもリアリティーが出てきます。

 

552 思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

553 うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき

554 いとせめて 恋しき時はむばたまの 夜の衣をかへしてぞ着る

822 秋風にあふたのみこそかなしけれ わが身空しくなりぬと思へば

(意味)秋になれば、田んぼの稲穂は十分に実り黄金色に輝くのに、私は不作の稲穂のように実が成らず、いずれ捨てられ忘れ去られてしまうことでしょう

 

歴史上には和歌を除いて何も記録として残されていませんが、深く思いを寄せた相手を、気持ちも十分に交わせぬまま失った小町の悲しみを想像すると、残した歌のとらえ方も変わってきます。仁明という帝に出合わなければ小町は、普通の人生を送っていてのかもしれません。

 

その後、失脚してパッとしなくなってからも、小町かつて仕えた仁明天皇を裏切らまいと律儀に男たちの誘いを断り続けたのではないだろうか?
そうした、彼女の頑な態度に業を煮やした男たちのやっかみが、鼻持ちならないイヤな女のイメージを作り上げ、彼女の落ちぶれた半生をさらに壮絶なまでに輪をかけて惨めな様に変えていったと推測出来るのである。

 

管理人kira2
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また次の天皇となる文徳天皇<55代天皇>や清和天皇<56代天皇>の頃もその後仕えていたという説も存在します。

 

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◆安倍清行朝臣をバッサリ振ったようだ

 

さらに『古今和歌集』では次のような贈答歌があるそうです。

 

 

下つ出雲寺(下御霊神社の神宮寺)で行なわれた法事に、小町安倍清行と同席する。導師が語った法話の言葉を採り入れて、清行は小町に歌を詠みかけ、法華経の無価宝珠を「白玉」と呼んで、涙に喩えたのに対し、小町がユーモアを以て切り返した歌。

 

 

安倍清行朝臣が何かの法事で真静法師の唱えた経文をヒントに小町に対する恋歌を作り送ったことが記されています。

下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導師にていへりけることばをうたによみて、小野小町がもとつかわせりける 安倍清行朝臣

 

安倍清行朝臣556

つつめども袖にたまらぬ白玉は 人を見ぬ目のなみだなりけり

かへし 小野小町557

おろかなる涙ぞ袖に玉はなす 我はせきあへず たぎつ瀬なれば

 

安倍清行

「わざわざ出雲寺まで行ってお説教を聞いてきたのに小町に逢えないのが悲しい」

なんていう歌を贈ったわけですが「かへし」で最初からおろかなるってバッサリ斬られています(笑)清行から送られた歌に直球で応えるのです。

 

(意味)いいかげんな涙だから(心からの恋でないために)袖に玉をなす程度なのです。私など、滝つ瀬のように涙が押し寄せるので、袖で堰き止めることなどできません。

(真静法師のお言葉に感激のあまり、涙が滝のように流れ出ましたよ)

 

薄っぺらな愛情だから、そんな感じなんじゃね?(嘲笑)

 

ってとこですかね。上っ面の恋文に厳しい返答です(笑)。ただ、これを読む限り、小野小町が狂おしいほど誰かに恋をしたことがあるのは確かなようですね。

 

管理人kira2
管理人kira2

バッサリいきましたね!

 

◆平安のプレイボーイ『伊勢物語』在原業平と熱愛してた説

 

在原業平「平安のプレイボーイ」と言われる人物で、生涯で愛した女性の数は、3733人もいたとされています。その中に小野小町が入っていたという説もあります。

 

 

彼が女性にモテた理由、それも和歌でした。彼も小野小町と同じ六歌仙に選ばれるほどの歌の名人だったのです。そして彼と小野小町恋仲だったのではないかとされています。ただ、甘い恋の話よりも強烈な印象なのは、晩年と最期に小町業平が再会するシーンなのです。

 

七小町伝説のひとつに「清水小町」というものがありますが、その中で、年老いた小町が暮らしていた小さな庵に在原業平が訪ねてくるシーンがあります。そして小町に対し、業平は仏教に帰依することを勧めるのです。そこからは諸国巡りの旅に出るというストーリーです。

 

清水小町

清水小町

 

さらにその後にも小町業平の衝撃的な再会があります。

 

(あなめ伝説)
在原業平がススキ野で「秋風の吹くにつけてもあなめ、あなめ」(あぁ、目が痛い)と云う声を聞き、「小野とは云わじ薄生いたり」と下句を付けてやる声が止み、近寄ってみると、髑髏があり、その目からススキが生えていた。抜き取ってやると、それは小町の髑髏だった。
この説話は、もともとは日本霊異記に出る話を、大江匡房や鴨長明のあたりが、小野小町在原業平の話に変えたものと考えられている。

 

骨連相

骨連相

 

在原業平が年老いた小野小町の庵までわざわざ足を運んでさらには仏教を勧めたこと、また、そのセンセーショナルな最期に立ち会ったこと、これは業平にとって小町が特別大切な人だったからこそ、業平なりの男の義というか、愛した女に対する思いがあったのではないかと推測できます。

そうしたことから、二人は若いころに恋仲だったのではないかとされています。

 

 

管理人kira2
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さすがプレイボーイだけあって、

在原業平はいい男だ。

 

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◆僧正遍照と一夜のアバンチュール!?

 

小野小町僧正遍昭(遍照)のあいだには、贈答歌が存在します。『後撰和歌集』『古今和歌集』の約50年後の編纂で(950年代)、この贈答歌が、『大和物語』の遍昭と小野小町の各種の伝説に発展したと考えられます。

 

 

いその神といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けてまかり帰らむとて、とゞまりて、「この寺に遍昭侍り」と人の告げ侍ければ、物言ひ心見むとて、言ひ侍ける   小野小町

1195 岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん

かへし 遍昭
1196 世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん

 

(意味)

私(小町)は、石上寺に行ったのですが、もう日が暮れてしまったので、夜明けに帰ろうと思って泊まることにしました。この寺に遍昭がいることを教えてくれた人がいたので、ちょっと、お話でもして感じを見てやろうと思ってこう言いました。

 

岩の上の旅寝はとても寒いわ。
あなたの“苔のお衣”を、わたしに貸してくださいませんか

返歌 遍昭
世を捨てた“苔の衣”はひとつきりですが、貸さなかったら薄情というものですから
いっそふたりで寝ましょうか

 

 

『後撰集』では、たったこれだけしか二人の話はないようです。次に面白い評価がありましたので紹介します。

 

 『大和物語』168段「良少将」(←遍昭のこと。彼の出家にまつわる物語)では、
最後、返歌だけして遍昭は逃げ出してしまうのですが、
 この歌の余裕っぷりからすると似合わない結末で、個人的には大いに不満。
(大和物語の遍昭は逃げてばかりいる!!)

 

どうやら煩悩に負けた遍昭があらわになっています(笑)

 

修行が足りんぞ!遍昭!

 

◆小野貞樹に慰めを求めた説

 

この小野貞樹という人、小町が更衣を務めた同じ宮中で働いていました。仁明天皇の皇子である道康親王(後の「文徳天皇」)の世話をした人だったのですね。小町とは同じ年代で、一説には幼馴染とも言われています。かつての美貌も失い。他の男性が遠ざかっていく中で、唯一、小町の寂しさを聞いてもらうことのできる人だったかもしれません。

 

782小町 

今はとて わが身時雨にふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり

783貞樹返し

人を思ふ 心の木の葉に あらばこそ 風のまにまにちりもみだれめ

 

【意味】今はもう、私の身も時雨に降られた木の葉のように古びてしまったので、あなたの言葉も以前とは変わってしまいましたね。

【意味】あなたを思うこの心が木の葉なら、風のままに散り乱れることもあるだろうが

 

 

さらに、不思議な人物が突如登場して和歌がもう一首続きます。「こまちがあね」という人物です。
小野小町にお姉さんかもしれません。年を経て人生を虚しく眺めるようになった小町に対する諭しのような歌です。

 

あひ知れりける人のやうやくかれがたになりけるあひだに、焼けたる茅に葉にふみをさしてつかわせりける こまちがあね

790 時すぎてかれ行く小野の浅茅には、いまはおもひぞたえずもえける

そして小町

797 色みえで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

 

老いてかつての美しさを失っていくごとに、女として最も大切な容姿が色褪せて行くだけでなく、目には見えないけれど、自分に対する人の心にある花(優しさやときめきといった興味)も色褪せてくることに小町は気づいたのですね。

 

昔なら、掃いて捨てるほど自分に言い寄る数多の男性がいて、自分はそれを鬱陶しくも思っていたはずなのに、気がついたときには、もう誰も相手にしてくれる男性がいなくなっている女性としての寂しさを歌うようになりました。

 

 

そして、わざわざ小野貞樹へ歌を送ったのには気が許せる幼馴染だったというだけでなく、かつて彼と小町との間で何か関係があったか、少なくとも自分に好意を抱いていたことを小町自身が認識していたからなのではないかな?ということが分かります。

 

◆文屋康秀とプチロマンスあり?

 

同じく六歌仙文屋康秀(ふんやのやすひで)という人がいました。彼と小野小町にもちょっとしたエピソードがあります。彼の和歌は小町と同時代の歌人で代表とされる歌として小倉百人一首の第22番にも採用されています。

 

 

『古今和歌集』の仮名序に康秀のことを「言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人(あきひと)のよき衣(きぬ)きたらんがごとし」と紹介されています。

 

彼の和歌はこちら

 

249 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ

 

 

 

そんな紀貫之からの評価が高かった康秀なのですが、彼は藤原氏の力が協力になった政治上、失墜してしまい左遷されてしまいます。三河掾(じょう)として赴任する際に、小町をデートに誘います。行先は「田舎見物」。その誘いに対し、小町が返した歌があります。

 

わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思う

【意味】

人生が嫌になったので、誘ってくだされば行こうと思います

 

びみょう(笑)

これに関しては、先にも述べましたが、小野小町も藤原氏の台頭により失墜した側の立場の人間だったと推定されていますので、康秀に対する不遇への同情と、これから我が身にも起こる同様の変化についての不安と相まって、このような変化になったのかもしれないなと感じます。ただ、この歌だけ見るとメンヘラっぽいので受け取ったらちょっと怖いですね(笑)

 

管理人kira2
管理人kira2

私が男だったら、

ちょっとゾワッとしますね、この歌。

 

ですが実際は三河には行かなかったと言われています。先ほどの文屋康秀の誘いに返した歌の次に、「題しらず」として小町のこのような歌があります。

 

939 あはれてふ言こそ うたて 世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ

 

(意味)「あはれ」という言葉こそ特に、世の中のしがらみを断ち切れない私にとっての足かせになっています。

 

 

管理人kira2
管理人kira2

と歌っています。個人的にはこの歌は文屋康秀について行ってしまいたいけれど、まだ世捨て人にはなれないというギリギリの判断のようにも思えます。

 

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◆小町は誰にも応じることがなかった説

 

この話から、小町の性別が男性だったのではないか!?というものが出てきたと思われます。

 

彼女(小野小町)は、また非常な美人で、その才女ぶりは、あまたの女官中並ぶものがないといわれ、それゆえ、数多くの男性から求婚されたが、彼女は応じることなく、かたくなに拒み続けたというのだ。宮仕えをやめてからは、世を避け、ひっそりと香を焚きながら92歳で天寿を全うしたと言うのである。

 

足しげく通っては口説いてくる男性が少しうっとおしくてあきれているような歌もあります。

 

古今集第十三巻「恋歌三」より

623 みるめなきわが身をうらとしらねばや かれなであまの足たゆくくる

【意味】会う気がないのに、なぜ男達は通ってくるのでしょう。まったく海藻もないのに足がだるくなっても海女が期待を込めて遠くまで海藻を取りに来るようで。

 

他の男性になど全く心が動くようなものはない、というような何とも冷静な小町の男性に対する視点が感じられます。

 

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孤独に92歳まで生きた説ですね。

◆猟師の妻となった説

 

最後に猟師の妻になったという話を紹介します。結局結婚したものの最期が酷いことには変わらないのですが…。なぜ猟師なのか?を考えた時に、小町が「熊の掌」「鹿」「猪」が好きだったからかも?ということにもつながります。お肉食べたかったのかも・・・(笑)

 

肉食小町についてはこちら↓

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別な説では、小野小町は若い頃の絶頂期の栄華に比して、その晩年はあまりにも不幸であったかのように描かれている。多くの男性の誘いを断り続けるうちに、次々と親兄弟に先立たれて、権力の後ろ立てを失って一人になってしまった彼女は、急速に没落してゆく。そして、あれだけ美しかった容貌も、見る影もなくやつれ果ててしまうのである。

誰にも見向きもされなくなった彼女は、仕方なく、猟師の妻となるが、それも、夫や子供に先立たれてしまい、最後には、乞食となって地方を徘徊するというのである。とんでもなく壮絶な話だが、こういったストーリーが作られたのは、5百年ほど経った後世になってからでいずれも真実ではない。

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いかがでしたでしょうか?今回は小町の最終回として最も小町がキラキラした時代、恋の話やそれに伴う和歌の意味などを追っていきました。皆さんは、小町が愛した人はいったい誰だったと思いましたか?

 

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