小野小町とは?出身地(生誕地)は秋田?位は?ミス小町画像!

今回は日本全国に未だにその名をとどろかせている小野小町という一人の女性が一体どこで生まれたのか、家系関連の情報ををサクッと調べていきたいと思います。その昔その時代で最もキラキラしていた彼女からもカケラをいただきましょう♪

◆小野小町とは?代表作を百人一首から。

 

おそらく小野小町の歌の中でもっとも有名な歌は百人一首に入っているこちらの歌でしょう。

 

 

色褪せていくあたしの美貌よ。

 

 

花の色は うつりにけりな いたづらに    

わが身世にふる ながめせしまに  

小野小町(9番) 『古今集』春・113

現代語訳:桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

 

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切ないっすね

 

はかなくも散りゆく桜の花と、女性として自分の衰えた美貌を重ねた今も昔も変わらない女性独特の憂鬱を歌った一首です。

 

 

この歌を見ても、小野小町自身、自分の美貌についてある種の誇りを抱いていたことが分かり、それが失われようとしていることについての深い悲しみを持っていることが分かりますね。

 

小野小町の伝説についてはこちら↓

小野小町と深草少将の悲恋「百夜通い伝説」意味とあらすじ伝承パターンまとめ
今回は、小野小町にまつわる様々な伝説(百夜通い伝説・草子洗小町伝説・雨乞小町伝説・通小町伝説・清水小町伝説・関寺小町伝説・鸚鵡小町伝説・卒都婆小町伝説)のうち、最も基本形として有名な百夜通伝説について主に調べていきたいと思います。

 

一般的には最初に小野小町の名前を知るのは古文の学習が始まるか、百人一首を始めた時なのかなあ?と思います。私の場合は中学校から「百人一首大会」というのが全校で毎年催されていましたので、中学3年間は毎日、「今日の一首」がありましたね。

 

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まさか それが本日こんな形で花咲くとは(笑)感無量でございます。

 

 

当時から、まず最初の情報として「小野小町は絶世の美女だった!」というのが導入として生徒の心を引っ張るのに都合がよかったようで(特に女子校だった為)、

 

 

へーそんなに美人な人だったのかあ。

 

 

ということと、百人一首の中でも、何となく10代女子の心にも入りやすいし、留まりやすいし、音もどことなくキレイ。ってことで、ほかの歌は忘れても、この一首だけは完全な形で覚えている人が多い気がします。(女性だけかもw)

 

小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

 

百人一首は、100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰ですので、もともとこちらの歌は『古今和歌集』にあった歌から選ばれたものです。

 

 

小野小町のものとされる和歌は『古今和歌集』『後撰和歌集』等に収められています。残された作品からは小野小町が中国文学に詳しく、教養のある女性だったことが推測されています。

 

 

藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだことからその名がついた小倉百人一首歌がるたとして現在も広く知られています。

 

 

 

 

諸説ありますが、早いうち申し上げておくと小野小町現段階のプロフィールはこうです。

 

名前:小野小町(おのの こまち)

出生地:不明

生年月日:不明

死亡年月日:不明

父親:不明

母親:不明

経歴:「六歌仙」「三十六歌仙」に選ばれた平安時代前期の女流歌人。ともかく謎だらけの人。絶世の美女と名高い。

 

このプロフィールを少しでも埋めるべく、今回は迫っていきたいと思います。

 

 

◆小町の出身地(生誕の地)はやっぱり「あきたこまち」の秋田出生ってことなの?

 

お米ブランドとしても名前が定着してしまった「あきたこまち」ですが、それなら小野小町の生誕地は秋田県なんだろうな、と私も思っていました(笑)

 

 

実は秋田県湯沢市小野は数ある小野小町生誕地の中の可能性のひとつにすぎないということです。

 

生誕地について、伝承によると現在の秋田県湯沢市小野といわれており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っている。ただし、小野小町の真の生誕地が秋田県湯沢市小野であるかどうかの確証は無い。

 

コメを制するなんて、日本人ならではだと感心します(笑)。

 

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お米食べると優しい気持ちになれるよね。

 

平安時代初期に出羽国北方での蝦夷の反乱で出羽国府を城輪柵(山形県酒田市)に移しており、その周辺とも考えられる。この他にも京都市山科区とする説、福井県越前市とする説、福島県小野町とする説、熊本県熊本市北区植木町小野とする説、神奈川県厚木市小野とする説など、

生誕伝説のある地域は全国に点在しており、数多くの異説がある。

 

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卑弥呼の墓状態ですね。

 

生誕地を含め、小野小町の神秘性を高めようとする動きがあった。

 

東北地方に伝わるものはおそらく『古今和歌集』の歌人目録中の出羽郡司娘」という記述によると思われるが、それも小野小町の神秘性を高めるために当時の日本の最果ての地の生まれという設定にしたと考えられてもいて、この伝説の裏付けにはなりにくい。

 

当時から名前を轟かせるほどの美人との情報が回った、ということですね。全国美女データの共有って感じなのですが(笑)、源氏物語の源氏も「美女らしい」って噂だけでわざわざ見たこともない女性に会いに行ってますからね。今も昔も、男性が考えることって一緒ですね。

 

 

 

ただ、小野氏には陸奥国にゆかりのある人物が多く小野小町の祖父である小野篁は青年時代に父の小野岑守に従って陸奥国へ赴き、弓馬をよくしたと言われる。また、小野篁のいとこである小野春風は若い頃辺境の地に暮らしていたことから、夷語にも通じていたという。

 

その中でもかなり小野小町の生誕地として有力な2箇所を紹介します。

 

 

◆小野小町生誕の地 有力候補①「秋田県湯沢市小野」説!小野良真が父親?

 

というわけで、秋田県湯沢市には「小野小町の郷(さと)」というのがあります。もう、「小野小町生誕の地」!って言いきってますね(笑)

 

 

 

 

小野小町は父親が誰であるかがよく分かっていないため、候補者の一人である小野良真(よしざね)にスポットを当て、彼が務めていたのが出羽郡司だったことから、小野小町の生誕地としてこの地が挙がったようです。

 

 

小野良真の娘(小野小町?)は現在の秋田県湯沢市小野字桐木田(きりきた)という場所で生まれたという説があったためです。

 

 

市内から選ばれた7人の小町娘

市内から選ばれた7人の小町娘

 

 

小野小町13歳までこの土地で過ごし、36歳ころにまた戻ってきたというお話になっています。

 

さらに、小野小町の生誕地として有力な候補地となった理由としては湯沢市「深草少将の百夜通い」伝承の地ともされていることからのようです。ただ、こちらに関しても京都市更科区小野御霊町の説と諸説あるようです。

小野小町ににベタ惚れしてしまった深草少将という男性がですね、通い詰めるんです。

 

小野小町にぞっこんの深草少将の悲恋についてはこちら↓

小野小町と深草少将の悲恋「百夜通い伝説」意味とあらすじ伝承パターンまとめ
今回は、小野小町にまつわる様々な伝説(百夜通い伝説・草子洗小町伝説・雨乞小町伝説・通小町伝説・清水小町伝説・関寺小町伝説・鸚鵡小町伝説・卒都婆小町伝説)のうち、最も基本形として有名な百夜通伝説について主に調べていきたいと思います。

 

つまり、秋田県湯沢市小野が小野小町の生誕地と言われているのは…以下の理由

小野小町の父親が小野良真だとすると、小野小町の生誕地は秋田県湯沢市小野が有力と言われている為

 

湯沢市が小野小町の有名な伝説の一つである「深草少将の百夜通い」伝承の地として有力な候補地である為

 

 

びじん証明書っていうものを発行しているらしい湯沢w

 

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あきたこまちがあるから、ではなかったのですね!

 

 

◆「秋田県湯沢市小野」 にある小野小町ゆかりの地(生誕地)と小町まつり

 

そういうわけで、秋田県湯沢市内には小野小町ゆかりの地がたくさんあるようです。お米まで秋田で抑えたので頑張ってほしいですね(笑)村おこしもかねて盛り上がっているようです。

 

  • 小町堂(こまちどう)…小町の霊を祀る為のお堂「小町まつり」開催地
  • 桐木田の井戸(きりきたのいど)…小町誕生の地
  • 岩屋堂(いわやどう)…小町が晩年暮らした洞窟
  • 向野寺(こうやじ)…小町自作の小町

 

 

【小町まつり】6月に行われる小町まつりでは市内から選ばれた七人の小町娘が市女笠姿で登場し、小野小町が詠んだ七首の和歌を朗詠し奉納するそうです。また、前日には小町堂がライトアップされ、幻想的な宵祭りが行われるのだそうです。小野小町の生誕地らしいお祭りですね。

 

平成30年度ミス小野小町

平成30年度ミス小野小町

 

小野小町だし、

ミスコンもやっぱりやっとかなきゃね

 

ってことで毎年、この小野小町の生誕地ではその年の「ミス小野小町」が選ばれているそうです。上の写真はは平成30年度のミス小野小町(秋田)です。さすがにかわいいですね。

 

但し、ここについても京都市山科区小野随心院で開催されるミスコンと競合してるフシがあり、その点では印象からすると京都の方のミスコンの方がどうも盛り上がっている様子ではあります。。。。

 

 

やはり、皆考える事は一緒のようです(笑)。コメを制しただけあって、小野小町はやはり秋田のイメージが強いようですね(笑)

 

 

◆小野小町生誕の地 有力候補②「福島県小野町(おのまち)」説!小野篁が父親?

 

福島県小野町に関しても小野小町の生誕の地として候補に挙がっています。こちらも地名に「小野」が入っていますね。

 

小町生誕の碑

 

こちらも、同じように堂々と小野小町の生誕の碑まであります(笑)。

 

 

小野小町の生誕地取り合い状態ww

 

 

 

こちらでは小野小町の父親として有力視されているのは小野篁(たかむら)という人で平安時代の公卿であり、歌人・漢詩人です。

 

 

小野篁はこの地を繁栄させるべく都から赴任してきており小野町の名称小野篁が善政を行った事を地元の人達が忘れない為つけたとも言われています・・・。

 

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この土地の名称は小野篁がこの地を繁栄させた象徴なのですね。

 

小野篁は仕えていた美女の愛子(めづらこ)と一緒になっています。

 

愛子は篁に見初められ、二人の間に玉のように美しい姫が誕生しました。

 

小野篁と美女の愛子との間に生まれた子が幼名を比古姫といって、後の小野小町ではないかとされています。(福島県小野町では「断定型」で書かれています)そのため、小野小町の生誕地として有力視されているわけです。

 

 

その後、小野篁は宮中の要請で戻らなくてはならず、6歳になった可愛らしい小野小町を連れて都に帰ったされています。

 

は美しい比古姫を京の都で育てようと、 連れて行くことにしました。しかし愛子はこの地に残ることになったのです。
比古姫がこの地を離れてから愛子は、ずっと二人の帰りを待っていました・・・。

 

よ、嫁おいてくなよ(笑)!

 

 

って感じなんですが、小野篁にはその他にも、京都の珍皇寺(ちんこうじ)の井戸を通って、この世と地獄を行き来し閻魔大王にも使えていたという逸話を持つことでも有名なのだそうです。

 

そんな怖そうな交流がある小野篁みたいな人が旦那だったら、怖くて奥さんも逆らえないかもしれないですね。

 

閻魔大王

閻魔大王

 

小野小町のお母さんにあたる人がそもそも美女ということと、京都にも話が繋がる内容なので、確かに福島県小野町小野小町の生誕地として有力候補に残るのも頷けますね。

 

 

鬼石(小野町)案内板によると小野小町の母親、愛子は、殿上人となってしまった夫、小野篁の帰る日はないと諦めつつも、必ず帰ると約束した別れの日の言葉を信じ、年経る毎に遥かなる夫と吾子比古姫(小野小町)の身の上に思いを馳せながら、愛子の憂いは募るばかりだったといいます。

 

 

小野小町のお母さんかわいそう・・・。

 

月の明るいい夜など侍女を伴い丘の頂上の大石に佇ずみはるか篁山(矢大臣山)を眺めては思いに沈んだ。

 

 

なんだか、社会的には偉い人のようですが、小野篁がとても悪い人に思えてきました(笑)。

 

小野町の町並み

小野町の町並み

 

ここでは小野小町より、母の方が儚かった(涙)

 

  • 小町生誕の碑
  • 小野篁館…小野篁が住んだといわれる館跡
  • 愛子墓碑…小野小町の母親とされる愛子の墓
  • 鬼石…愛子に悪戯をした鬼を制裁して改心させた石
  • 珍敷御前(愛子)神社…小野小町の母親を祀った神社
  • 小町の湯…特にエピソードがあるわけではなさそうです。

 

 

しかし、この地で小野小町の母は「お館様」として祀られていた!

ただ、印象からすると、この土地に関しては仮に小野小町の生誕地であったとしても6歳でこの地を去っている小野小町よりも小野小町の母親とされている愛子さんの方がお館様として敬愛されていたり、助けてもらったり、祀られたりと大事にされてきている印象ですね。

 

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ちょっとホッとしましたね。

 

小野小町のその後の晩年のお話はこちらです。

小野小町の最期・晩年が壮絶!?九相図の死体の絵がある!?お墓は?
今回は絶世の美女・小野小町の壮絶な最期に迫ります。無常感たっぷりの小野小町の最期ですが、「九相図」を残すなど、独特なお話もあります。お墓についても調べてみました。その昔その時代で最もキラキラしていた小野小町の最期からもカケラをいただきましょう♪

 

 

つまり、福島県小野町小野小町の生誕地と言われているのは…以下の理由

 

小野小町の父親がこの地の発展に寄与した小野篁であり、小野篁と美女の愛子との間に生まれた子が幼名を比古姫といって、後の小野小町という説があるため

 

小野篁はわずか6歳の小野小町だけを連れて都へ渡り、帰ってくると約束したのに美女の愛子をこの地(福島県小野町)に取り残し、愛子は悲しみに暮れつつもこの地の為に尽くし、「お館様」として祀られるまでになったという話がある為。

(※秋田県の説では小野篁は祖父と言われている)

 

 

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どちらにせよ、小野篁の非道っぷりが気になります。

 

 

◆ミス小野小町コンテスト応募で有名な「京都府京都市山科区小野」は?生誕の地ではない?

 

 

 

現在「小野小町のミスコン」で最も有名な京都市山科区小野小野小町の生誕地候補ではないのでしょうか?

 

京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小野小町は晩年この地で過ごしたとの説もある。ここにある随心院には、卒塔婆小町像や文塚など史跡が残っている。後述の「花の色は..」の歌は、花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされる。

 

こちらは小野小町が晩年に暮らした土地と言われている場所だったのですね!

 

 

補陀洛寺(小町寺)小野小町終焉の地と伝える。

 

959年(天徳3)の創建。小さな本堂に平安時代作の阿弥陀三尊像と並び小町老衰像を安置。境内に小町供養塔、なきがらから生えたというススキ、姿見の井戸などの遺跡がある。1984年(昭和59)に楊柳観音堂が完成。天台宗。建立:959(天徳3)年

 

 

小町老衰像があるそうです…。

 

 

 

隋心院…ここは小野小町邸跡といわれている。

 

随心院(ずいしんいん・ずいしんにん、隨心院)は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院。小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。寺紋は九条藤。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、随心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。

 

隨心院の中には小野小町の晩年の姿とされている「卒塔婆小町像」や、文塚化粧の井戸など、小野小町ゆかりの遺跡が残っているそうです。

 

 

小野小町ゆかりの寺・隋心院

 

 

小野小町作と伝える文張地蔵や化粧井戸、文塚などがある。唐棣(はねず)の梅があり、3月最終日曜に‘はねず踊り’と観梅の催し。梅の名所。真言宗。

 

そのうち髄心院がとても面白い活動をされているのでご紹介します。

 

 

◆小野小町ゆかりの寺 隨心院のミス小野小町選考会がアツイ!ライトアップ

 

毎年11月になると小町祭開白法会、小町祭、夜間特別拝観に続き、随心院ミス小野小町選考会が行われるそうです。ライトアップも素敵ですね。

 

 

小町祭期間中の大きなイベントといえば「ミス小野小町コンテスト」です! “ミスコン”で、世界三大美女に数えられる小野小町ゆかりのお寺だけに、美しさとともに聡明さを持つ「現代の小野小町を選出しています。

 

 

審査基準は「美心(びじん)」だそう。

 

 

例年全国から70名以上の応募があるそうで、最終選考に残った10名のなかから、栄えある「ミス小野小町」が決定します。ライトアップに訪れた次の日がコンテストになります。

 

 

おーあでやか~

 

 

 

なかなかさすがに皆さんかわいらしいですね。

 

 

ミス小野小町

ミス小野小町

 

芸能界を目指している女性もたくさん応募してくるようです。

 

画像:クラシいち髪

 

2018年のミス小野小町も無事決まったようです。

 

 

◆小野小町ゆかりの寺 隨心院 女性のための終の棲家・永代供養「小町堂」

 

個人的には隨心院にある「小町堂」の方がとても気になりました(笑)私の希望は海に散骨か、樹木葬か、こういった感じがいいな~と思ってます(笑)

 

 

 

女性のための納骨堂

 

 

女性のための納骨堂「小町堂」 991年の開創以来、一千余年の法灯を護り続けた隨心院がこの先も貴女を護り続けてまいります。

当山は、平安時代の絶世の美女・小野小町が晩年を過ごした地として有名であります。その小野小町の美貌と才能にあやかって、女性の参拝者が後を絶ちません。

 

昨今のライフスタイルの変化によって、目まぐるしい社会の変動に柔軟に対応していくためには個人としてその荒波に耐えるのではなく、人と人が手を取り合ってお互いを支えていかなければなりません。

 

このたび、当山にて建立されました女性のための納骨堂「小町堂」女性の終の棲家としてだけではなく、生前より隨心院とご縁を持っていただき、様々な活動を通して、より充実した生活の一助を担うことができるものと信じております。
合掌

 

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これからの時代に、とても人気が出そうな納骨堂ですね。

 

◆小野小町の家系についての情報!父親は誰?位は高かったの?

 

 

小野小町の家系だという可能性のある人物について辿っていきたいと思います。

 

系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。

 

しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらない。加えて、数々の資料や諸説から小野小町の生没年は天長2年(825年) – 昌泰3年(900年)の頃と想定されるが、小野篁の生没年(延暦21年(802年) – 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。

ほかに、小野篁自身の娘、あるいは小野滝雄の娘とする説もある。

血縁者として『古今和歌集』には「小町姉(こまちがあね)」、『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、他の写本には「小町がいとこ」「小町姪(こまちがめい)」という人物がみえるが存在が疑わしい。

さらには、仁明天皇の更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、また文徳天皇や清和天皇の頃も仕えていたという説も存在するが、確証は無い。このため、架空説も伝えられている。

 

小野小町の位が高くなかったことによる悲恋もあったようです↓

小野小町の恋愛恋人・恋の歌まとめ!実は性別が男?六歌仙・古今和歌集
今回は日本全国に未だにその名をとどろかせている絶世の美女・小野小町の最もキラキラした時代、恋の話とそれに絡む恋の和歌について追っていきたいと思います。小野小町の恋人は誰だったのか、だれに思いを募らせていたのか、和歌を通して当時の小野小町の女心に迫ります。

 

 

いずれにしても小野小町はあまり位が高いところの女性ではなかったようです。それでも名を残し、歌を残し、存在感を残した小野小町はなおさらすごいですね。

 

◆小野小町の推定プロフィール(今回の調査後まとめ)

 

※引用の表示になっていますが、最初の小野小町プロフィールに私が調べた内容を加筆したものです。

 

●名前:小野小町(おのの こまち)??本名ではない可能性大

    小野吉子?(仁明天皇の更衣)※更衣…位の低い夫人

    小野吉子の妹

「小町」は本名ではなく、「町」という字があてられているので、後宮に仕える女性だったのではと考えられる(ほぼ同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。前述の小町姉が実在するという前提で、姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説もある。

 

●幼名:比古姫?(愛子の娘だった場合)

●生誕の地:不明 全国に生誕の地を名乗る土地アリ。

有力なのは秋田県湯沢市福島県小野町

小野小町古今和歌集出羽郡司娘と書かれている。
編者で作者の紀貫之は、小町が生きていた時代の人です。
古今和歌集のコメントが後世に加えられたものでなければ、
一応、信用する事ができます。

系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。

生年月日:不明 西暦833年~850年

        天長2年(825年) – 昌泰3年(900年)

死亡年月日:不明 晩年は京都市山科区小野周辺にいたようだ

父親:不明

系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。

小野篁自身の娘、あるいは小野滝雄の娘

母親:不明 

小野小町小野篁の娘であれば、母親は愛子であることが濃厚。

経歴:「六歌仙」「三十六歌仙」に選ばれた平安時代前期の女流歌人。ともかく謎だらけの人。絶世の美女と名高い。

 

ようやく確実なものはなくても、ほわ~んと分かるような気がしてきましたね。

 

 

◆小野小町の晩年についてちょこっと。

 

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晩年についてのお話は改めて別途ページを作りました。

 

 

小野小町の壮絶な晩年についてはこちら↓

小野小町の最期・晩年が壮絶!?九相図の死体の絵がある!?お墓は?
今回は絶世の美女・小野小町の壮絶な最期に迫ります。無常感たっぷりの小野小町の最期ですが、「九相図」を残すなど、独特なお話もあります。お墓についても調べてみました。その昔その時代で最もキラキラしていた小野小町の最期からもカケラをいただきましょう♪

 

小野小町の晩年はまたこれがミステリーなことになっています。美人には悪意とミステリーがついて回るんですかね(笑)たいへんだなあと思います。

 

美女は結構たいへんみたいだ。

 

その一方、小野小町は長命であったと言われているが、その晩年を描いたエピソードは乞食となって落ちぶれた、地方各地を放浪して行き倒れになったなど、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なものが多い。

その反面、故郷の東北に帰って静かに隠棲した、百夜通いで命を落とした少将を弔って90歳近くまで生きたなど穏やかな晩年を描いた話も少なくない。

 

色々諸説ありますが、小野小町に関わるエピソードをいくつかご紹介できればと思います。出来れば幸せな感じだといいのですが・・・。ちなみに小野小町のお墓についても出生地同様日本全国に候補地があります(笑)

 

 

今回わかったことは謎だらけってことですね(笑)

 

 

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次回は小野小町にまつわる伝説について調べていきたいと思います♪おたのしみに。

 

小野小町にまつわる伝説はこちら↓

小野小町と深草少将の悲恋「百夜通い伝説」意味とあらすじ伝承パターンまとめ
今回は、小野小町にまつわる様々な伝説(百夜通い伝説・草子洗小町伝説・雨乞小町伝説・通小町伝説・清水小町伝説・関寺小町伝説・鸚鵡小町伝説・卒都婆小町伝説)のうち、最も基本形として有名な百夜通伝説について主に調べていきたいと思います。

 

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